あれよあれよという間に、小南と名乗った先輩少女と模擬戦をすることになった。
障害物が何一つない広々とした空間で犬彦と小南は向かい合う。
「さっきも言ったけど、真っ当にやってあんたがあたしに勝てるなんて思ってないからルールを作りましょう。あたしはあんたを
そう言ってトリオン体に換装した彼女の両手には小ぶりな二振りの手斧が握られている。
見たことのないトリガーだ。少なくとも訓練生時代には教えて貰っていないものだが、正規兵専用のトリガーでもあるんだろうか。
「別にこれ自体には特別な力とかそういうのはないわよ。ただの武器。本当ならオプショントリガーと一緒に使うんだけど、今は見た目通りの性能と思ってくれて良いわ」
犬彦の視線から察したのか、そうじゃないとフェアじゃないでしょ、と小南は肩をすくめてみせた。
「第一、あんた相手にこれ以外のトリガーなんて必要ないし。あんたは好きなトリガー使っていいわ。何だったら正規のトリガーを使ってもらってもいいくらいだけど」
「流石に、そこまでは許可できないな」
と、苦笑交じりに嵐山が首を振る。
「わかってるわよ。ま、そういうことだから使い慣れたトリガーでせいぜい気張りなさい。じゃないとあっという間に終わっちゃうから」
まるでやる前から結末が見えているかのような発言には流石にイラッとくるが、事実その通りなのだから口には出さない。
そもそも、小南は何が目的なんだろうか。
先程顔を合わせたばかりの初対面でいきなり喧嘩を売られる道理はないだろう。何となく気にくわないから、なんてチンピラみたいな理由で勝負を挑まれたわけもなし。
第一、彼女が誰彼構わず噛みつく狂犬のような少女であれば嵐山が提案を呑むというのもおかしな話だ。顔を付き合わせて話をしていたところを見るに、何か真っ当な理由があるのは間違いなさそうだが、それが何なのか皆目検討もつかない。
――小夜子の知り合いだろうか。
可能性としてはそれが一番ありそうな気がする――いや。小夜子から小南の話を聞いたことはないし、出会い頭のやりとりでは咄嗟に小夜子の顔を思い出せなかったほどだ。因縁がある、と考えるには少々そぐわない気がした。それさえも演技だというのであれば相当な腹芸持ちだが、そんなことをする意味が見出せない。
となれば、いよいよもって犬彦には何故この小南という少女がこんなにも突っかかってくるのかわからなくなった。
自分の実力に自信があり、犬彦のことをたいしたことないと見下していながら、そのくせ実力を見せろという。
そこに深遠な理由があるのか、それとも女性というのはそういうものなのか。生まれてこの方母親と小夜子以外の女性と親しくしたことのない犬彦はただただ目を白黒とさせるばかりだ。
「正直、意外だったわ。あんた、絶対に受けないと思っていたから」
差し出されたトリガーを起動して犬彦もトリオン体に換装すると、不思議なものでも見るような顔で小南が言った。
「どうしてですか?」
「どうして、って。あんたのあの反応見れば誰だって断ると思うでしょ。それに准から聞いたと思うけど、そもそも挑む側にも受ける側にもメリットのない勝負なんだから、別に断ってくれても良かったのに」
犬彦は思わず腕を組んで眉をひそめた。
あからさまな反応を示したのが気になったのか、「何よ?」と眦を釣り上げて問いかける小南に首を振る。
今ここで頭の中であれこれ理由を考えても、何もかも的を外している気がした。
ならば後は、ただぶつかるだけだ。
「その、おおよそ察していると思うんですが、話すのはあまり得意じゃないので……後は、これで」
伸ばした手に、立方体のトリオンキューブが音を立てて生まれる。
ぎこちないながらも半身の構えをとる犬彦に、小南は虚を突かれたように目を見開き――やがて不敵な笑みを浮かべた。
「ふうん、いいじゃない。あたし好みの答えだわ。それに免じて失礼な態度も許してあげるし、勝負もきちんとやってあげる」
でも、と小南が腰を沈める。狩りに挑む豹を思わせるしなやかな戦闘態勢に全身が総毛立つ。
開始の合図を認識した瞬間、小南は犬彦の眼前にいた。
「勝負になるかどうかは、あんた次第だけどね」
冷ややかな声を聞きながら、犬彦の頭部がずるりと滑り落ちた。
トリオン体は仮の肉体ではあるが、違和感を減らすために極力元の肉体に似せて作られている。たとえば食事をとることだってできるし、寝ることだってできる。発汗や呼吸といった代謝機能まで完全再現だ。
とはいえ、その運動能力は生身の肉体とは比較にならない。持ち合わせているトリオン能力によっては大岩を持ち上げることも何のそのだ。
それは極めれば、アメコミヒーローのような人外の動きも不可能ではないということ。事実それを聞いた時にはアメコミ好きな犬彦少年は数々の名場面を思い出して心躍らせたものである。
故に思うことは一つだ。
自分もいつか同じ動きを。
恐らくは多くの少年が憧れ、そして目指したのだろう一つの理想。
目の前に相対するそれは、紛れもなくその完成形だった。
「くっそ、何だよその動き……!」
トリオンキューブが生み出すバイパーの雨を、涼しい顔をして小南がすいすいと避けていく。
経験が浅いため、操作がつたなく狙いも甘いのは認める。まして動きながらとなればあとは弾数だけが頼りだ。だがこれほどに雨霰と撃ち続けてそれがかすりもしないというのはあまりにも信じがたい光景だった。
「別に動きながら撃つ必要なんてないわよ。今はあんたがどれくらい素質あるのか見極めてるところだし、止まった状態で好きなだけ撃ってくれて構わないわ」
まあ、それでも当たるとは思わないけどね、と。
眉一つ動かすことなく、呼吸一つ乱すことなく、当事者でありながら傍観者のようなあまりにも気の抜けた風情で小南は言った。
絶え間なく降り注ぐバイパーの群れを最小限の身動きでかわしながら、だ。
「好き勝手言って……っ!」
冗談じゃない、と犬彦は歯噛みする。
――足を止めて撃て? 馬鹿言うな、止めたら確実に
言葉を疑うわけじゃない。恐らくは言葉の通り、その気まぐれが続く限り小南が手出しをしてくることはないだろう。それは短いながらも小南の言動を覚えていれば何となくはわかる。
だが、しかし――目と目が合う。
逸らしても、誘導を狙っても、ひたすらに目線を合わせられる。
熱のない、感情のない視線がじっとこちらを観察している。
たとえるならそれは、蛇に睨まれたウサギの如しだ。
確信していた。足を止めたら反抗の意志さえへし折られる。それはあまりに情けない。
小南の言葉にも耳を貸さず、実戦さながらに動き回っているのは何のことはない、ただのちっぽけなプライドがためだった。
――カスればこっちの勝ちなんだ。これだけ譲歩されて黙って負けられるか……!
萎えかける意志を意地で奮い立たせ、咆哮とともにバイパーを放つ。
小南はそれを、一切目線を逸らすことなく避けてみせた。
「ウッソだろおい……!」
――目線で狙いがわかるってか? チートにも程があるだろ畜生め!
もはや犬彦には何をどう狙い撃てば小南に当てられるのかわからなかった。
並べても、三方から同時に射かけても、あらゆる方角からの攻撃をまるで読んでいるかのようにかわされる。
その理由が犬彦の視線で狙いが読めるから、だ。まさに小南の言葉通りだ。これでは犬彦が立ち止まって狙いを済ませようが、主人公補正が働いて瞬間的に犬彦の技量が二段飛ばしで上がろうが変わらない。
彼我の実力差は火を見るより明らか。
嵐山が言っていた――小南がAランク隊員であり、その中でも上位に入る実力の持ち主という話も、もはや疑う余地はない。
今の犬彦には逆立ちしたって勝てるはずもない相手だった。
相変わらず距離をとりながら懲りずにバイパーの雨を射かける姿に何を思ったのか、不意に小南が目を伏せて視線を外した。
檻の中の珍獣の気持ちからようやく解放されてほっと息を吐く犬彦の耳に小南の声が届く。
「もういいわ。だいたいわかった」
見に徹していた小南がついに牙を剥いた。
如何なる魔術か、両手の手斧が数度閃いただけで小南は呆気なくバイパーの雨を突破した。
「く――っ」
反射的に後退する。牽制の願いを込めてバイパーをばらまくも、
「
やけに確信めいた口調。言い終わる頃には小南の小柄な肢体が猿を思わせるしなやかな跳躍でバイパーの雨をすり抜ける。
再度弾丸を放つ慈悲をすでに小南は放り捨ててしまっていた。
『志岐、ダウン』
機械的なアナウンス。肩口からの袈裟斬りで呆気なく犬彦は落とされた。
身体は即座に修復されて元通りになったが、無意識のうちに斬られた箇所を擦ってしまう。慣れるまでにはそれなりに時間がかかりそうだった。
これで9本目が終わり、いよいよもって犬彦には後がなくなった。
情けないことに、ここまで時間にして5分とかかっていない。というのも、今までは全て小南による
勿論犬彦とて自分が斬られる様をただ眺めていたわけではない。
まずは開幕直後にバイパーをばらまくことを覚え、次に即座に後退することを覚えた。
間合いの詰め合いも、手を読むこともせず、只管に突っ込んでくるのだ。いくらでも対策は思いつく。……そう考え続けてついにここまで来てしまった。
小南の言動を思い返すに、先程の9本目はあくまで小南がこちらの実力を計るための気まぐれだ。2度目はないと思うべきだろう。
というより――あんな明らかに手を抜いた態度をそう何度もとられてほしくはない、と犬彦は唇を歪めながら思う。
単調な攻撃、対策を考えてもその上をいく圧倒的な実力差、そして極めつけの攻撃を捨てた
元々の実力差があるとはいえ、こうまで良いように嬲られて気分を損ねないわけがない。たとえ雲の上の存在だろうと、男の子には意地というものがあるのだ。
「悪かったわね。どうも人違いだったみたい」
そんなことを考えていたら、まるで思考を読んだかのような発言が飛んできて思わず背筋を伸ばしてしまった。
気落ちしたように――ほっとしたように、とも見える――肩の力を抜いて吐息をつく小南に首を傾げる。
「人違い?」
「こっちの話よ。それより、どうする? あたしとしてはもう用は済んだから、これで終わりにしてもいいんだけど」
「いえ。最後までお願いします」
即答した。勝ち逃げなんて許すものか。たとえ相手の用が済んでいようと、そもそも小南が吹っかけてきた勝負だ。始めたからには最後まで付き合ってもらう。
強い口調で返した犬彦の言葉に、小南は意外そうに眉を上げたものの、「そう」と一言頷いて構えをとった。
「悪いけど、もうさっきみたいな手加減はしないからね。見るべきところは見たし、結論はもう出たもの。これ以上続ける理由もないから一撃で終わらせてあげる」
願ってもない、と犬彦は内心で嘯いた。
たとえ負けることになろうと、せめて全力の相手と戦って負けたい。弄ばれて死ぬような真似は死んでもごめんだ。
手斧を振りかぶり、
「最後の勝負よ。せいぜい気張りなさい――おチビ」
ぷつん、と。何かが切れた音がした。
「だァれがチビだコラァ――ッッ!!」
「……えっ」
それは誰の言葉だったか。
あまりにも思いがけない叫びに、相対する小南も、外野で見守る嵐山さえも目を点にしてそれを見る。
少女のような顔を憤怒に歪め、犬歯を剥き出しにして荒い息を吐く少年の姿を。
「雑魚だのコミュ障だの言われるのはいい! 女顔だの、男らしくないだのもまあ許す!」
でもなあ、と怒りに震える指を突きつけて犬彦が言った。
「チビって言われるのだけは絶対に許さん! ヒトのタブー突いといてただで帰れると思うなよ畜生め……!」
興奮からか、あるいは言葉通りのトラウマを抉ったせいか、うっすらと目尻に涙さえ浮かべて犬彦が言った。
少女のような風貌の少年から発される怒気が突き刺さり、罪悪感やらが混じり合って思わずうっと怯む。
「ふ、ふん! お生憎様、意気込んでるところ悪いけどもう勝負はついたようなものよ! あんたの技量なんてとっくの昔に見切ったんだから、逆立ちしたって勝てるなんて思わないことね!」
「おーしよく言った! ならもう1つルール追加しようぜ。古今東西、負けた時のルールはつまるところこれ1つっきりだ! “負けたヤツは勝ったヤツの言うことを何でも1つ聞かなきゃならない”ってな!」
「え、そうなの? ――ま、まあいいけどね! どうせ勝つのはあたしだし! あんたこそ、そんな無茶なこと口にして負けた時に言い訳しないでよ!」
一瞬素に戻りかけたのを慌てて首を振って修正する。
端から見れば両者とんでもない約束をしているな、と戦くところだが、小南は自身の勝利を微塵も疑っていなかったので自信満々だ。
すでに未来予想図では跪く犬彦を従えて高笑いする小南女王様の絵図が描かれている。実力的にも、経験で言っても負ける道理はない。
上等だァ!と気炎を吐きつつ犬彦が構えをとった。
小南と同じく腰を沈めた姿勢――また退くつもりだろうか。それでは一生かかっても勝てないというのに。
まあ、今更よね。小南はため息を吐きつつ構え直した。どうなろうが知ったことではない。そんな諦観を露わにして。
戦闘、開始。
合図と同時に床を蹴って突撃する。先程の9本目を除いて繰り返し続けてきた小南のルーチン。
異なるのは、犬彦もまた前方に身を飛ばしたことだ。
お、と小南は目をわずかに見開いた。
小南と違い、武器を持たない犬彦が近接戦を主とする小南に突撃するのは自暴自棄な自殺行為としかとられないかもしれないが、小南はそうは思わない。
犬彦がこれまで一方的に負け続けたのは、実力や経験よりもむしろ、その逃げの姿勢だ。
犬彦が抱える問題のせいか、それともあまりの実力差に怯んでいたのか、これまでの犬彦は一撃を当てさえすれば勝てるその勝利条件に囚われ、回避しつつ攻撃を当てるという戦略に固執していた。逃げることしか頭にない兎では、狩りに行く獅子を凌駕することはできない。
それが先程の激昂のせいか、前に出るという攻撃的な意志に変わった。
それが生み出すものとはつまり――ガンマンの早撃ちにも似た刹那を争う極限の闘争だ。
「やっと面白くなったじゃない……!」
小南がようやく心底からの笑みを見せた。
犬彦と目が合う。先程までは気まずそうに逸らされていた視線。それが今では望むところとばかりに強い意志を秘めて合わせられている。それが小南の戦意を高ぶらせる。
「バイパー!」
犬彦の眼前にトリオンキューブが生まれ、射出される。
彼我の距離は5歩分ほど。この距離であればもはやコントロールは必要ない。相手よりも速く当てる、ただそれだけを考えればいい。
「甘いわよ!」
小南が吠えた。
手斧が舞踏のように鮮やかに閃き、接触するバイパーのみを斬り落とす。互いが踏み込んできている今、振るった手斧を引き戻して踏み込めばそれで犬彦は斬り捨てられる。
「まだだァ!」
咆哮。キン、とトリオンキューブが形成される澄んだ音。
生まれたのは、かざした手が伸びる犬彦の背後。――そして弾丸が射出される。
孔雀が羽を広げたようだ、とコンマ以下の秒が刻まれる刹那の中で思う。数えるのを諦めるほどの弾丸の雨。細かく分かたれたバイパーの群れが犬彦の背後から飛び立ち、ありとあらゆる方角から鋭角に角度を変えて小南を狙う。
「しつっこいッ!」
確かに、これが全て着弾すれば小南といえどひとたまりもないだろう。
元より今回のルールでは着弾した時点で小南の敗北が決まるルールだが、それを抜きにしても犬彦自身のトリオン能力は凄まじい。当たり所が悪ければ確実に
だが、小南にはそもそもそれを防ぐ気も、回避する気もなかった。
――才能はある。それは認める。だがそれでも小南には犬彦を育てようという興味も熱量も湧いてこない。
何より、ここで敗北する程度の奴に教えることなど何もない。
残り3歩。
犬彦がどう認識しているのかは知らないが、この距離はすでに小南の間合いだ。
恐らく犬彦の計算では小南があと1歩詰める前にいずれかの弾丸が着弾する算段なのだろう。確かに小南が今までに見せてきた速度であればその計算に間違いはない。
だが犬彦は小南を、トリオン体を甘く見ている。
小南は本気を出していなかったし、その必要もないと感じていた。しかし犬彦が条件を追加したことで事情が変わった。
小南は弱い奴の世話をする気なんて毛頭ない。
故に少しでも可能性を潰すために、瞬間的に倍以上の出力で踏む。バイパーの雨を抜け、犬彦を切り捨てる。それで終わりだ。
確信をもって動作に移行しようとした小南は、その時になって不意に気付いた。
逸らすことなく合わせていた目。
犬彦の目は、未だ色褪せることなく勝利への意志を叫んでいる。
「速度90! 水平に吹っ飛べ……!」
犬彦が吠えた。
音声入力で速度を調節したことにも驚いたが、それよりもその言葉。速度90。威力、射程のどちらかを捨てたほぼ最速設定。
通常であれば届くか、届いたとしても十分な威力を確保できるかさえ怪しい設定だが、トリオン能力の高い犬彦のものであれば話は別だ。その弾丸は確実にこちらに届きうる。その上発射場所はまたしても犬彦の背後らしく、目線を合わせて且つ距離を詰めているこの状況では軌道を推測するのは難しい。
ここにきて回避が選択肢の一つとして上がってくるが、今となってはそれも叶わない。全方位から同時に降り注ぐバイパーの雨が小南の動きを制限している。
切り抜けられないことはないが、確実にどこかに無理が生じる。
追撃も加味すると一度もカスらせないまま逃げることは難しい。
故に全力で踏み込んだ。
一息で斬り捨てられる状況なのは変わらない。見て、かわして、斬る。それが勝利への道だと信じるが故に。
果たして小南の手斧が犬彦を斬り捨てるその瞬間、小南はあまりの驚愕に表情を凍り付かせた。
気にしていること+どうにもならないこと+異性恐怖症による緊張+戦闘によるハイテンション=ブチ切れ
尚自分で口にした罵倒は全て経験がある模様。
ストックを修正してたら1万文字超えてしまったので分割しました(震え
なので明日も投稿します。何が起きたのかはまた次回。