那須隊の番犬   作:遠野雪人

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第5話 小南桐絵③

 

 

『志岐、ダウン』

 

 切り捨てられた犬彦の耳に届いたのは、聞き馴染んだ機械的なアナウンス。

 しかし今度はそれには頓着せず、勝負の行く末を見守っていた嵐山を見た。

 

 小南もまた顔を上げる。

 ――信じられない、と愕然とした面持ちで。

 

 嵐山が浮かべていたのは、快心の笑み。

 

「試合に勝って勝負に負けたな、桐絵。――この勝負、志岐君の勝ちだ!」

 

 告げられた勝利宣言に、思わず力の入ったガッツポーズ。やり遂げた、その充実感を噛みしめる。

 

「負けた……? あたしが……」

 

 現実に裏切られたような表情で呆然と呟く小南。

 結果として反応できなかったことからも間違いないと思っていたが、どうやら無事に作戦は成功したらしい。

 溜飲も下がり、満足した表情で犬彦はトリオン体を解除した。

 

「いや凄いな! こう言っては何だが、正直志岐君が桐絵に勝てるとは思わなかったよ」

「いえ、俺も途中までは勝てるとは思ってなかったですし、何よりあのルールでしたから」

「それでも、不利な条件だったことには変わりない。志岐君は初心者だったわけだからね。まして君が扱うバイパーは扱うのが難しいトリガーだ。攻撃手(アタッカー)として練度の高い桐絵相手では厳しいと思っていたんだが、いや、本当によく頑張った!」

 

 肩に手を置かれながらの大絶賛に流石に照れくさくなってきた犬彦は頬を染めて縮こまる。友人に恵まれなかった犬彦にとってこれほど衒いなく他人に褒められたのは初めての経験だった。

 

「ちょ、ちょっと待ちなさい!」

 

 再起動したらしい小南が声を上げる。

 明らかな静止の声に、何を言い出すつもりなのか、と胡乱げな視線を向けた。

 

「まさかやり直しがどうとか言い出すつもりか?」

「ぐぬ――」

 

 冷ややかな声に小南が鼻白む。

 思わずだろう、その手がさっと脇腹に小さく開いた穴に触れる。犬彦が放ったバイパーが着弾した箇所だ。

 感触を確かめるように指を添えながら唇をひん曲げ、何か呑みにくいモノを呑み込むようにその顔が天を仰ぎ――ややして、はあ、と大きな息を吐いた。

 

「……言わない。言わないわよ! でも、これだけは教えなさいよ。結局あんた、どうやってバイパーを当てたの? はっきり言って、あんたの腕じゃどこからどう撃ってもあたしに当てるなんて不可能だったんだからね!」

「まあ、当てたけどな」

「むきぃ――!」

 

 地団駄を踏みながら小南が吠えた。何だこいつ面白い。

 

 とはいえ――実情は別にもったいぶるほどのことじゃない。

 小南の言うとおりだ。1歩で手斧の攻撃範囲に入るあの距離でさえ、小南にはどこから撃っても斬り落とされるか回避されていた。あれだけ行動を制限した状況でもだ。たとえ横からでも、上からでも、下からでも。後ろからなんてもってのほか。

 となれば、後は1つだ。

 

「まさか正面から、なんて言うつもりじゃないでしょうね」

「……そんな言い方されると、何も言えないんだよなあ」

 

 腕を組みながらの凄みに、犬彦は困ったように頬をかいた。

 ここで皮肉の効いた一言でも返せれば洒落ているが、生憎とそこまでの能力はない。

 

 一瞬意味を理解し損ねたかのように眉をひそめた小南の顔が、みるみるうちに驚愕に染まった。

 

「はあ!? そんなわけないでしょ! 他の方向からならまだしも、真正面からのバイパーを落とせないなんてそんなこと――」

「確かに、何の障害物もなければ普通に弾かれて負けていただろうな」

「障害物、って」

 

 呟いた小南の表情に、ようやく浮かぶ理解の色。苦々しく歪んだそれは、気付いてしまえばあまりにも簡単な策を看破できなかった自分への怒りか。

 

「……ああ、そういうこと。盾にしたのね。あんた自身を」

「こっちの敗北条件じゃ別にいくらダメージを受けようが問題ないしな。俺自身を隠れ蓑にして最短距離を突っ切る分にはコントロールの甘さも問題にならない。ただ速く当てればいいだけだしな」

 

 背後に展開したトリオンキューブから、犬彦ごと貫く軌道で小南を狙い撃つ。

 至近距離まで前進したのも、逃げ道を潰すために囲う形でバイパーを展開したのも、全てはそのための布石だ。

 咄嗟に思いついた作戦だったが、上手くいって本当に良かった。アレさえも斬り落とせる技量と反射神経を小南が持ち合わせていたら為す術なく負けていたことだろう。

 

 胸を張りつつ、密かに内心で胸を撫で下ろしていると、ふと小南の表情がいやらしい笑みの表情に変わった。悪戯を思いついた悪ガキのような顔だ。

 

「その割には随分苦労していたようだけど?」

「……俺のログには何もないな」

「本当に? なら後で記録映像で確認しましょうか。私の記憶じゃ、バイパーを撃つのにわざわざ声を上げていた誰かさんの絵が映っているはずだから――」

「っくそ、いいだろ結果的に上手くいったんだから! 何素人に完璧を求めてるんだよ鬼かよ!」

 

 ぐああ、と両手で顔を覆って悶絶する。その小さな掌で覆い切れていない肌は興奮と羞恥で真っ赤に染まっていた。

 

 銃型トリガーを使わずに弾丸を飛ばす射手(シューター)タイプは威力・射程・弾速の三つを調整できる。

 今回はルール的に一撃を加えればいいだけなので当然優先するのは弾速だ。故にそう設定した上で放ったわけだが、はっきり言って経験の足りていない犬彦にそこまで細かく設定できるような技量――もっと正確に言うならそれを戦略に反映させるだけの実力はない。

 だからこその弾速90という極端な設定であり、だからこそのあの音声入力だったわけだが――正直どちらかで十分だった気がしないでもない。

 怒りと興奮、そして勝利への渇望に支配されていたとはいえ、流石にアレはやりすぎだった。黒歴史が一つ生まれた瞬間である。

 

 悶える犬彦に溜飲を下げたのか、ふふん、と鼻を鳴らして小南が背を向けた。

 

「まあ、せいぜい精進することね。あたしが負けたのは単純にハンデをつけてあげたからで、実力的には全然あたしの方が上なんだから。――それじゃあ准。あたしは帰るから、後は好きなように」

「……いや、何帰ろうとしてんの」

 

 ぎくり、と小南の動きが静止した。

 背を向けたままの小南に、腕を組んだ犬彦の顔に笑みが浮かぶ。

 

「何か忘れちゃあいませんかね? ねえ先輩」

「……な、何かしら。あたしには何のことだかさっぱり」

「まさかあれだけの大口叩いておいて今更知らぬ存ぜぬが通るとでも?」

「ぐ……あんた、意外とねちっこい性格してるわね」

「ねちっこくてもさっぱりしててもいいんだが、俺としてはもっと別の言葉が聞きたいっすね」

「ぐぐ――」

 

 段々わかってきたが、この小南という少女も犬彦と同じく中々負けず嫌いな性格をしているらしい。

 悔しそうに下唇を噛みしめ、葛藤すること数秒。大きく息を吐き出してこちらを振り向いたその表情は全てを受け入れたように静かなものだ。

 

「わかったわよ。ハンデつきとはいえ、確かにあんたはあたしに勝った。癪だけど――負けた以上、何でも言うこと聞いてあげるわ」

「……お、おう」

 

 覚悟を決めたらしいその言葉に、むしろ犬彦の腰が引けた。

 せいぜい1つ2つしか違わないだろう年の女子が何でも言うこと聞いてあげちゃう――ネットの世界では散々ネタにされてきたシチュエーションだが、実際に目の前にした時の衝撃は計り知れない。

 確かにお互いにそういう条件を呑んだが、それを口にすることに抵抗はないのだろうか。もっと自分の身体を大事にするべきじゃないのか――なんて、仕掛けた側のくせに父親のようなことを思う。

 

『何でも? 今何でもって言ったよね? いっちゃいなよYou……!』と悪心を唆す小夜子顔の悪魔の誘惑を振り払いつつ、咳払いを一つ。

 大きく息を吸って――全身全霊。頭を地に叩きつける勢いでひれ伏して言った。

 

「散々失礼なこと言ってすみませんでした! どうか俺を弟子にしてください!」

 

 言うまでもなく、本日2つ目の黒歴史が生まれた瞬間だった。

 

 

 

 

 

 訓練室を出て行く小柄な背中を見送る。

 隣に並ぶ嵐山が嬉しそうに言った。

 

「才能の塊だな、彼は」

「どこが? やっぱり節穴なんじゃないの、あんた」

 

 刺々しい口調で答える小南に、おいおい、と苦笑を浮かべて肩をすくめる嵐山。

 

「アレを見落としたなら君の方が節穴だぞ、桐絵。彼のトリオン能力は素晴らしい。何せ――あんな大きなトリオンキューブを見たのは二宮さん以来だよ」

 

 トリオンを生み出すのは、トリオン器官と呼ばれる見えない臓器。筋肉と同様に鍛えることが可能であり、その能力は個々人によって異なる。

 では、そのトリオン能力の大小をどう計るのか。専用の機材を使って計測するのが最も正確だが、射手(シューター)タイプであればある程度の範囲なら一目でわかる。

 

 要は、弾を撃ち出す際に生み出すトリオンキューブが大きいかどうかだ。

 犬彦が生み出したトリオンキューブは、本人に直接言えば傷つくだろうが――犬彦本人に並ぶ大きさ。小柄な背丈も相まって、犬彦が小さく見えるほどであった。

 

「桐絵も最初、彼のトリオンキューブを見た時面食らっていたんじゃないか? 認められるところは素直に認めてあげないと伸びないぞ」

「勝手なこと言ってんじゃないわよ。確かにトリオン能力は高いかもしれないけど、それ以前の問題でしょ、アレは」

「俺としては、桐絵に勝てただけでもたいしたものだと思うんだが?」

「ぐ……! い、1発当てただけだし……第一それだって、あたしが見落としなんてしなければ当たるなんてことなかったし……!」

 

 わなわなと肩を震わせながら小南が言う。

 未だに引きずっているあたり、よっぽど悔しかったらしい。負けず嫌いもいいが、あまり過ぎると誰のためにもならないぞ、と嵐山は吐息をつく。

 

「しかしどうかな、それは本当に桐絵だけの問題だったのかな?」

「は? どういう意味よ」

 

 じとり、と目を細めて小南が問いを投げる。

 面白そうに嵐山が返した。

 

「もしそれを、犬彦くんが狙ってやったのだとしたら、どうだ?」

「狙って……?」

 

 眉をひそめる。不機嫌な色を隠し切れていない。

 

 小南はボーダーの中でも古株の実力者であり、その腕にも自信を持っている。

 先程の模擬戦も、確かに本気は出していなかったがわざと負けるような真似をするつもりはなかった。あくまで、土俵を同じくするためだけの手加減に止めていたのだ。

 つまり嵐山は何かしらの1点において犬彦が小南の上をいった、と見ている。自分の腕にプライドを持つ小南としては面白くないのも無理はない。

 

「素人なんでしょ? トリオン体での活動にも慣れていなかったみたいだし。そんな状態でぶっつけ本番で、あたしの目を欺くなんて」

「それだ。まさに、犬彦くんは桐絵の目を欺いたのさ」

「どういうこと?」

「思い出してくれ。最初、犬彦くんは桐絵と目を合わそうとしていなかっただろう? それがあの最後の一戦ではしっかりと桐絵と合わさっていた」

「……視線を限定したってこと?」

 

 何となく嵐山の言いたいことを察して口にすると、その通り、と嵐山は頷いた。

 

「桐絵が犬彦くんの実力を計ろうと避け回っていた9戦目のように、二人が距離を置く展開であればあまり意味はなかっただろう。だけど最後の一戦だけは互いに前に出ての接近戦になったからね――それもお互いがお互いに向かって突っ込んでいく展開だ。実際、桐絵も犬彦くんのバイパーを弾いたりしていたわけだし、余裕をもっていたわけではないだろう? そこへ犬彦くんの目だ」

「その効果を狙ってやったってこと?」

「少なくとも前進したのはそのためだろうな。さっきも言ったが、それはお互いが距離を置いている状況だと意味がない。互いが前進して距離を詰め、視界を制限していた状況だからこそ桐絵の目を封じることができた」

「でもそれ、あたしが目を逸らしたら意味ないでしょ。偶然なんじゃないの?」

「それは多分、してやられた、って奴だろうな。桐絵」

 

 愉快そうに肩を揺らす嵐山に眉をひそめる。

 不機嫌そうに視線で先を促す小南に、嵐山はズバリ言った。

 

「今まで決して目を合わせなかった犬彦くんが目を合わせて、楽しくなっただろう?」

「ぐ……っ」

「元より、事前に桐絵が上位の実力者ってことは説明してあった。その上、9戦目まではこれ見よがしに目線を合わせていた。好戦的な桐絵の性格を見てとった犬彦くんはそれを逆手にとって逆に目線を合わせた。そんなところだろうな。桐絵も、格下の犬彦くんが挑発的に目線を合わせてきたら逸らすわけにもいかなかっただろう?」

「ぐ、ぬぬ……!」

 

 図星をつかれて、反論することさえできずに唸り声を上げる。

 仮にそれが罠だと悟っていたとしても、小南は自身の性格から言って逸らすことはなかったことを確信していた。

 自分から逸らすなんてありえない。仮に罠だとしてもそれを食い破ればいい。そう考えて踏み込んだことは想像に難くなかった。

 

「桐絵の目を塞いで、且つバイパーを放って逃げ道を塞いでの、犬彦くん自身を隠れ蓑にした一点突破。良く考えてやったと思うぞ。一連の動きを良く計算している。初めてとはとても思えないほどだ」

「全部綱渡りじゃない。もしあたしが退いたら? もしあたしが目を逸らしていたら? もしあいつを貫いたところでバイパーが消えたら、って挙げたらキリがないんだけど」

「そうだな。だからどちらかというと、彼が凄いのはそれを成し遂げたことというよりは、後がない最後の1戦でそれを押し通した度胸だろうな。ほら、俺の目もあながち間違ってはいなかったろう?」

 

 こめかみの辺りを突いて、意趣返しのように嵐山が笑った。先程言ったことをまだ気にしていたらしい。

 

「……それにしても、やけにあいつの肩持つわね、あんた」

「才能の塊だと言っただろう? 真偽はともかくとしても桐絵に勝ったのであれば紛れもなく逸材だよ。将来有望な人材は歓迎されて然るべきだし、何より桐絵の初めての弟子だ。どうせなら、教える側も楽しんでやれた方がいいと思ってね」

「お節介ねえ。……それにあいつの場合、もっと大きな問題があるでしょ」

 

 腰の引け具合。コミュ障。短い時間であるにも関わらずあまりにも大きな欠点を知ってしまった小南には、いくら持ち上げられても手放しに喜ぶことは到底できそうになかった。

 そして、最大の問題。

 

 ――9戦目まで、1度も目を合わせなかったのよね、あいつ。

 

 目を合わせてわかることは多い。意志。意図。熱量。相手が何を狙っているのか、前のめりなのか慎重なのか、どこを狙ってくるのか。そういう相手の心がよく見える。

 慣れてくれば見の目という奴で少し視点を外して全体を見ることでも読めるようになるが、素人同然の犬彦がそれができる道理もない。

 ともあれ、見る利点を数えても合わせた方が良いのだし――そもそも、それ以前の問題として相手を直視していないなど論外だ。動作の起こりから狙いまで、何もわからない状態で勝てるはずもないのだから。

 

 犬彦が9戦目まで何もできずにいいようにやられていたのも、つまるところ経験がどうとかよりそれが大きい。

 訓練生たちに囲まれた時といい、根本的に人が駄目なのだろうか。それにしては嵐山と話していた時は普通に見えたし……性別の問題だろうか。

 

 小南の渋い声に、嵐山も言いづらそうに頬をかいた。

 

「あー……まあ、それは師匠の腕の見せ所、という奴だな」

「投げたわね、完全に」

 

 ジト目で見やる。こればかりは嵐山も苦笑するしかなかった。

 

「まあ、でも確かに――ちょっとやる気出てきたわ」

 

 呟く小南の口の端に笑みが浮いた。

 

 乗せられた形になったのは少しばかり癪だが、嵐山の言うとおり、逸材であるのは間違いない。ただその輝かしい才能と同じくらいの問題があるのもまた事実。

 初弟子にしてはあまりにもクセのある人材だが、これも何かの縁だ。やりがいがある、と無理矢理プラスに考えるとしよう。

 

 何から教えるべきか、と頭を悩ませながら、小南は訓練室を後にした。

 

 

 

 

 




 小南が舐めプしてたのが最大の勝因。
 勿論手抜きなしなら普通に蹂躙されて終わりです。

 那須先輩に憧れてる割には那須先輩より先に師匠作ってますが、その辺も追々触れます (目逸らし
 勿論このままでは終わりません。

 明日は仕事の都合でちょっと更新できなさそうですが、活動報告はまた上げる予定ですのでそちらを見て頂ければと。
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