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「おーい、もう終わったよー? もしもーし」
耳に届いた声に、はっと意識が浮上する。
視界がクリアになる感覚。真っ先に目に入ったのはゲームのリザルト画面であり、小夜子が操っていた機体が勝利のポーズを決めていた。
「……あー、悪い。寝落ちしてた」
「深夜2時でうつらうつらとし始めるなんて……私は犬彦をそんな風に育てた覚えはありませんよ!」
「どこから突っ込めばいいんだよそれは」
くあ、と欠伸を漏らしながらの気怠げな言葉。細められた瞳は今にも完全にくっつきそうだ。
それを横目で見た小夜子は唇を尖らせつつ、
「むう、なんてノリの悪い反応。そんなテンションじゃこの先生き残れないぞー」
「お前は何と戦ってるんだ……ってやばいホント眠い。ちょっと休憩しようぜ」
コントローラを置いて立ち上がる。
キッチンへ向かって歩いて行く背中を物足りなさそうな目をした小夜子が目で追っていったが、肩を落としてため息を1つ。コントローラを放り出してソファに背中を預けた。
「そんなにしんどいの? 訓練って」
ヤカンを火にかけたところで、小夜子の声。
コーヒーとココアの粉をそれぞれ用意しながら、いや、と犬彦は首を振った。
「訓練自体は別にそうでもない。そもそもトリオン体は普通の身体と違って丈夫だし、換装していればそんなに疲れないしな」
「その割にはだいぶやつれているみたいだけど。徹ゲーで寝落ちするなんて珍しいじゃない」
小夜子の言葉通り、実家でも週末の夜や3連休初日などには夜通しゲームするなんてことはしょっちゅうだった。朝日が昇る頃ならともかく、深夜2時にうつらうつらとし始めるというのは確かに今までにはほとんどなかった。
新生活を始めた最初の週末、最初の徹ゲーでさえ寝落ちはなく、ボーダーでの訓練も影響を及ぼすほどじゃない。
とくれば、その原因は1つしかなかった。
「やっぱり、小南先輩? あんまり話したことなかったけど、あの人そんなに厳しい人だったかな」
用意したマグカップに粉末を注ぐ手がぴたりと止まる。
――違う。小夜子は小南のことを全然理解していない。
小南に弟子入りしてから1週間が経とうとしている。
確かな腕を持った先達だ、弟子入りしたこと自体は後悔していない、が……何かを得るためには代償が必要、とは誰の言葉だったか。
「……精神的にな、しんどいんだよ」
渋面を作る犬彦に、というと? と興味深そうな声で先を促す。
ちょうどいい、小夜子にも是非この苦労話を聞いてもらうとしよう。
すでに小南に弟子入りした経緯は話してある。
だから話は、その翌日。早速訓練を始めた日に遡る。
結局、小南はきちんとルールには従ってくれた。犬彦の渾身の土下座にも面食らいつつも頷いてくれたし、早速翌日から面倒を見てくれることにもなった。
そこで意気揚々と犬彦が小南に会いに玉狛支部を訪ねたところ、小南は夢から覚めたような面持ちで開口一番こう言った。
「……思ったんだけど。あんた
思わず目を逸らした犬彦の脳天に小南のチョップが炸裂した。
正直、勢いで口にしてしまったことは否めなかった。
入隊したばかりの犬彦にはポジションの認識が曖昧であったこと。目の当たりにした小南の腕前に率直に言って惚れ込んでしまったこと。そんな理由と禁句をつかれてハイになったテンションで思わず口にしてしまったのは紛れもない事実だ。
実際、ポジションが違うというのはそんなにも教えることに差が出るものなのだろうか。
「教えられなくはないわ。だけどあたし、バイパーなんて使ったことないもの。メテオラなら使っているけど、アレはまた別物だし。参考になるとは思えないわ」
メテオラ。確か着弾すると炸裂する弾丸だったか。
短いながらも小南の戦いぶりを見た限りではてっきり両手斧の手数でゴリ押すピュアファイターかと思っていたのだが、やはり手を抜かれていたのか。彼我の実力差を思い知るばかりだ。
「たとえば、あんたがせめてスコーピオンでも使うつもりがあるんならもうちょっと踏み込んだことも教えられそうだけど、そのつもりはないんでしょう?」
やけに確信めいた口調だ。
確かに今のところ、少なくともB級に上がるまでは他のトリガーを使うつもりはないが、そうだと感じた理由を知りたい。
尋ねると、呆れた様子で小南が言った。
「バイパーはね、他のどんなトリガーよりもセンスがモノを言うトリガーなの。あんたも多少使ったんなら理解したでしょうけど、扱いにくさは間違いなくトップクラス。そんなトリガーを入隊したばかりの頃に使おうなんて物好き、あんたが初めてよ。それでも使おうとするってことは、何か理由があるんじゃないかって思っただけ」
そっかー、やっぱ人気ないのかー、と複雑な気分になりながらも納得する。
成程確かに、バイパーというトリガーはクセがある。使いこなすには小南の言うようにセンスと熱意、根気が必要なのだろうことは想像に難くない。犬彦もまた、憧れという強烈な感情がなければ別のトリガーを選択していたことだろう。
しかしそうなると、バイパーについては別の師匠を探すしかないらしい。勿論、犬彦自身が憧れている人に教えてもらえるのであれば願ってもないことだけれど……と、それは追々考えていくとして、問題は今だ。バイパーのことについて教えられないのであれば、さて、小南は何を教えてくれるのだろう。
「まあ、仮に知っていたところであたしがあんたに教えられるとは思えないけどね」
――はい?
言葉を失う犬彦に、小南はむしろ開き直ったような面持ちで胸を張った。
「悪いけど、あたし感覚派だから。こうした方がいいだの、ここが悪いだの、そんなことを丁寧に教えられるスキルなんてこれっぽっちもないわ。だからあたしが教えられるやり方は、徹頭徹尾これ一つっきりよ。――トリガーをとりなさい。あんたが上手くなるまで、ひたすらにボコボコにしてあげるから」
人、それを私刑という。
鬼! 悪魔! 人でなし! などという犬彦の絶叫を皮切りとして地獄の日々が始まった。
小南の脳内には手を抜くという単語が欠落しているのか、犬彦は模擬戦の時の焼き直しのように何十、何百と斬り刻まれ続けた。
最初のうちは模擬戦の時を思い返して抵抗を試みたが、しばらくすると喉に魚の骨がつっかえたような顔をした小南が眉をひそめながらこう言った。
「あんた、もう抵抗するの止めてただひたすら避け続けなさい。勿論、シールドを張るのも禁止よ」
この女、意外と根に持つタイプだったのだろうか。
ふざけんなてめえ――! とコミュ障も師匠への敬意も忘れた怒りの叫びが訓練室に響き渡った。
うわあ、と引き攣った声を上げて小夜子が仰け反った。
「私にたとえるなら、持っていたゲームをハードごとまとめて捨てられたレベルの怨みを感じる。犬彦、実は気付いてないだけで何か怒らせるようなことしたんじゃないの?」
「菓子折持って土下座しに行くべきか一晩真剣に悩んだことは告白しておく。その後こっそり嵐山先輩に聞いてみたけどどうも素であんな感じらしいぜあの先輩」
「やはりボーダーは人外のすくつだったか……犬彦にお悔やみ申し上げる」
「笑えないからやめてくれ、本当に……第一嵐山先輩はまともな人だし、小南がアレなだけだと思う、んだが」
言葉尻がすぼんでしまったのは、前に小夜子が口にした言葉を思い出したから。
……まさか、広報担当が嵐山先輩達しかいないのはあの人達しかまともな人がいないからって意味じゃあ……。
即座に首を振って打ち消した。止めよう。これ以上は恐ろしすぎる。
「――珍しい」
身震いしていると、小夜子の呟きが耳に届いた気がして顔を上げた。
よく聞こえなかったんだが、何だって?
「で、結局訓練の意味は何だったの?」
「ん? ああ、要は俺がトリオン体での活動に慣れていないのが問題なんだと。スペックは普通の身体より数倍上だからもっと色々なことができるはずなのに、普通の身体の時と同じ動きをしようとしている。ハイスペックのパソコンでポチポチテキスト打ち込んで作業しているようなもんだってな」
「最新ゲーム機でテトリスやってるようなものだと?」
「それもドット描画のヤツな。まあだからまずは自分のスペックを理解することが重要ってことでそんな感じになったらしい」
「抵抗するなってのは?」
「選択肢が多いと迷うだろ。回避1本に絞ればそれに専念できるから余計なことを考えて動きが鈍ることがなくなる。だからそれに並行して色々やってるぞ。たとえば――」
ケース1『高層ビルからの自由落下』
「待って。ねえ待って。犬彦、本当に小南先輩怒らせてないの? 実は結婚を前提としたお付き合いの途中に犬彦の不倫が発覚したとか、小南先輩の好きな人のファーストキス奪って泣かせちゃったとか、もっと直裁的に犬彦が小南先輩の親の仇だったとか、そういうレベルの怒りを感じるんだけど」
「お前は俺をどんな目で見てるんだよ……まあもう少し話を聞け」
「Bランクに上がったら、多分あんたもどこかのチームに入ってランク戦をすることになるわ。場所とか天候とかはその時々で細かく弄れるけど、基本はこういう市街地戦ね」
夜空を背景に屹立するビル群。『摩天楼』と呼ばれるステージに犬彦たちはいた。
シミュレーションで再現された無数の人口の灯りが街を染め上げ、夜空を明るく照らしている。それをビルの屋上から見下ろす光景は圧巻の一言。
年若い少女であれば顔を輝かせて見惚れてもいい光景だろうに、背後にいる小南は腕を組んでいっそ不機嫌とさえ見える淡々とした口調で説明した。
「へえ。で、それとここから飛び降りろとかいうさっきの正気を疑う指示とどんな関係が?」
犬彦は屋上の縁から下を見下ろしながらそう尋ねた。
無論背後には細心の注意を払っている。説明の最中に突き落とされてはたまらないからだ。――何より恐ろしいのはこの頭のおかしい先輩の場合、それが冗談ではないことである。
頰を恐怖で引きつらせながらの問いに、小南は相も変わらず無遠慮な声でこう言った。
「ただ飛び降りろってわけじゃないわよ、勿論。――空中で色々動きなさい。トリオン体なら余裕だから」
「いや、そこをもっと説明してくれないと困るんだけど! 何が余裕!? こっちには小南の求めてるものがわからねえしそもそもやる意味が伝わってこないんだが!」
そんな最低限の説明でこんな超高空から紐なしバンジーやらされるこっちの身にもなってほしい。
今の説明で伝わってくるのは、どうやら犬彦はこの師匠からひどく嫌われているらしいということだけだった。
必死の説得が伝わったのか、んー、と顎に指を添えて小首を傾げた師匠が雑な口調で続けて言い放つ。
「そうねえ、じゃああたしが適当にハウンド撃つからいつもみたく避けなさい」
「あっクソ、しまったこれヤブ蛇だったか! 何てことを!」
「あと勿論シールド禁止よ。シールドオッケーにしたらあんたのことだし張ったまま一切動かずに落下するでしょ。それじゃ訓練にならないし、何よりあんたの硬い上におっきいんだから」
「くそ、こんな頭おかしい先輩なのに不覚にも最後に反応しちゃった自分が悔しい……ッ!」
この先輩ちょっと無防備すぎやしませんかね! 色んな意味でドキドキしちゃう!
「変態かな?」
「俺は悪くねえ! 俺は悪くねえ!」
「親善大使乙。で、結局やったの?」
「いや、だってやらねえと噛みついてくるんだもんよあの先輩……」
「ご褒美かな?」
「物理的にじゃねーよ。……いや、小南なら割とありえそうではあるけど……」
実際一歩手前まではいってるしな、うん。
あの先輩俺より年上のくせに俺より子供っぽいところがあるからなあ、とぼやきながら悩ましげに腕を組む。
「ていうか、本当にやったんだ……墜落死なんて死因、ボーダーのランク戦じゃ滅多にお目にかかれないからどうなるのか気になるんだけど。やっぱり爆裂四散?」
「四散する側の人間にわかるとでも?」
「あっ」
小夜子の声が途切れた。
まあ、システム的に考えて流石に四散はしないだろう……多分。
実際のところ痛覚は遮断されてるし墜落後は即座に再生するしで、墜落したという事実を正しく認識しているとは言い難い。
それでも高所恐怖症の人間に、そうでなくても心の弱い人間にやらせたらトラウマは避けられないレベルだろうが……あれ?
「……もしかして俺、とんでもないことをやらされてるんじゃあ」
「犬彦、今日はもう休もう? お姉ちゃんが添い寝してあげようか?」
「えっ、何か効果あんのそれ」
「あの、真顔で返すのは止めて欲しいんですが……結構心にぐさりとくるので」
ぐああ、と胸を抑えて悶える小夜子に鼻を鳴らすと、ちょうど火にかけていた湯が沸騰した。
あらかじめ粉末を入れておいたマグカップに湯を注ぐと、コーヒーとココアの香ばしい香りが漂ってくる。
ついでに、と戸棚から買いだめしておいたマシュマロを取り出して封を開き、1つずつ放り込んでからリビングへと持って行く。
「ほらよ」
「乙ー。ん、今日はマシュマロ入りですか。良いねえ、洒落てるねえ」
ご機嫌でココアに口をつける小夜子に「はいはい」と苦笑しつつソファに座る。
ココア一つでこれだけ喜んでもらえるなら入れた甲斐があったというものだ。
手を温めるようにマグカップを両手で包みつつ、溶けかけのマシュマロが浮かぶコーヒーを口に含んでほう、と息を吐く。
ほろ苦い香りと仄かな酸味がぼやけていた意識を覚醒させていく。
「勿体ないねえ」
「何だよ? マシュマロならまだ袋に一杯あるぞ」
「そっちじゃなくて――いやそっちは後で貰うけど。こんなに家事スキル高ければいくらでも女の子にチヤホヤされそうなのに、一向にそういう話を聞かないなんて……お姉ちゃんはとても悲しい」
「それは褒めてんのか貶してんのかどっちだよ」
第一お前にだけは言われたくねえ、と顔をしかめる。
つい口が悪くなってしまうのは、痛いところを突かれたからか。
「まあ、だから今の話聞いて結構安心してるところはあるんだよ」
「お前は本当に人の話を聞いてたのか? 今の話のどこに安心できる要素があったんだよ」
「だって犬彦がこんなに早く女の人と打ち解けたの初めてじゃない? その口ぶりだと結構素で接していられてるんでしょ?」
「む……」
確かに、犬彦は小南と話している時は小夜子と接している時と同レベルで普段通りに接することができている。が、それは別にコミュ障が改善されたからとかそんな理由ではないし、別に小夜子が期待するような色恋沙汰が絡んでいるわけでもない。
たとえて言うなら、破天荒な姉に付き合わされている気分、と言えばわかるだろうか。
容姿は整っているし、ふと近づいた際に漂う柑橘類の香りに落ち着かない気分になることはある。が、基本的に小南の顔が近づく時というのは小南の出す無理難題に噛みついて口論になっている時であるからして、生憎と色気とは無縁のシチュエーションでしかない。
そんな相手と女性として付き合うとかそういう話は流石に無理だ、というのが犬彦の偽らざる本音であった。
物思いに耽っていた思考から戻ると、はむはむと幸せそうに唇で溶けかけのマシュマロを弄ぶ小夜子の姿。
何だか真面目に考えていた自分がアホらしく思えてため息をついた。
「まあそうだな、確かに小南とは普通に付き合えているかもな」
「うんうん、お姉ちゃんも一安心だよ、本当に。――那須先輩達に会わせる約束が無駄にならずに済みそうで」
「は?」
ぼそりと呟いた言葉に、犬彦が目を剥いて声を上げる。
「那須先輩達と? 何で」
「何で、って。前に言ったじゃん。那須先輩達が犬彦に会いたがってる、って。入隊してからすぐはまあ犬彦も忙しいだろうし、ってことで那須先輩達も遠慮してくれてたんだけどね。もう1週間にもなるし、引き延ばすのも限界でしょ? とは言っても一応犬彦のことも心配だったしどうしようかなと思ってたんだけど、思ったより上手くやれてるみたいだし」
「いやいや待て待て。何をそんな急に……」
「何言ってるの、むしろ遅いくらいだよ。第一犬彦だって、どうせなら早く会ってみたいと思ってるでしょ?」
「それは……」
それは、そうだ。
小夜子が所属するチーム。小夜子が仲良くやれているチーム。
そして、犬彦が憧れた人。那須先輩に会えるというのであれば、本来断る理由などない。
――いや、そもそも断る気なんてないと言えばないんだが。
結局のところ、犬彦は問題を先送りにしようとしているだけ。自身の問題を解決する糸口が見つからず、及び腰になってしまっているだけだ。
だが、それもここが限界――そう踏ん切りをつけられるだけの余裕がかろうじて犬彦にも存在した。
それは犬彦にとっては素直に認めづらいことだが、入隊して早々小南と打ち解けられたことが大きいのだろう。
針の先ほどの希望だが、それが生まれたことが犬彦の決断を後押しした。
「そうだな。そろそろ、会ってみるのもいいかもな」
「お、意外。あと1週間くらいは引っ張るモノかと思ってたんだけど」
「まあ、会いたいと思ってるのは事実だし。どの道バイパーのことは色々と教えて貰おうと思ってたんだ、小夜子が約束つけてくれたってんならむしろ都合がいい」
言葉を口にするにつれて、意志が固まっていくのがよくわかる。
我ながら単純だなと呆れるも、勢いというものは大事だ。
これを逃す手はない、と小夜子に向き直り問いかける。
「んで、いつ会う予定なんだ?」
「明日」
「明日? そうか、明日か。それは……、なんて?」
「だから、明日。あ、違う。日付変わってるから正確には今日だね」
「えっ」
――えっ?
書いといて何ですが、バイパーのリアルタイムで弾道引くか、あらかじめ設定した弾道しか使えないのって絶対使いづらそう(小並感
障害物には弱そうですけど、ハウンドのが初心者向きには見えます。
勿論小南にはその辺は教えられないので、基本的には体術関係ですね。立ち回りとか。
たとえ攻撃手でも教えられなかったとは言ってはいけない(戒め
ステージ『摩天楼』は捏造。最新話の『市街地D』はシチュエーション的にクッソ燃えるので是非書きたい。
次回は那須隊回。