それから色々な話をした。初対面である犬彦とその姉である小夜子に関する話題がほとんどではあったが、那須隊の4人だけで話しているのを端から眺めているだけでも十分楽しかった。
犬彦の知らない姉の姿を知り、姉とその友人達の他愛のない日々を知った。それだけでも来た甲斐はあったように思えた。
だから――やっぱり下手なことせずにこのまま帰った方がいいと思うんですよ、ねえ?
3人の話に耳を傾けながら、笑顔のまま小夜子とアイコンタクトを交わす。
引き攣った笑みを浮かべる先、同様に愛想笑いを浮かべた姉がしきりに瞼をパチパチさせていた。
――いつまで日和る気なのか。ここまで来たら、後はもう行き着くところまで行くだけでしょ。ハリーハリー!
――いや、そうなんだけど、さ……。
催促を繰り返す姉に、しかし踏ん切りがつかずに頷くことができない。
実は、小夜子に頼んですでに“仕込み”は済ませてもらっている。
これから説明することはあまりにも荒唐無稽すぎて、論より証拠、言って聞かせるより実際にやってみせた方が話が早いと考えたためだ。
従って、あとは実行に移すだけ、なのだが……その一言がひねり出せない。
姉の言葉の通り、那須隊の皆はとても良い人達だった。
最初は緊張でガチガチだった犬彦だが、最初に比べれば随分と肩の力が抜けてきている。学校のクラスメイトとさえこんなに長く落ち着いて話したことはない。それを思えば犬彦にとって今の状況は驚異的とさえ言えた。
だからこそ、唇が震える。喉が絞められる。
犬彦が女性に対して壁を作るようになったのは、この“特性”を認識したその時からだ。
これからももっと那須隊の皆と付き合っていきたい。だからこそ隠し事はしたくない。
けれど、この“特性”の話をした時、果たしてこの居心地のいい空間は崩れずにいてくれるのか。
そう考えてしまって、どうしても踏み出せずにいた。
「犬彦くん……?」
那須先輩が名前を呼んだ。
声に釣られて顔を上げる――思い悩むあまり、笑顔を取り繕うことさえ忘れてしまっていたことにようやく気付いた。
「少し、顔色悪いみたいだけど……大丈夫?」
「あ、いえ、そのっ」
こちらの身を案じる声。
大丈夫だ、と即座に答えられればまだ良かった。だが別のことに気をとられていた犬彦には到底上手い返しなどできるはずもなく、この場の視線が一斉に犬彦に突き刺さった。
もう口にして楽になっちゃえよ、と心のどこかで声がする。
嫌われたくない、と子供のような叫びが声を掴んで喉奥に引きずり落とす。
「えと、その」
焦るままに適当な言葉を――恐らくはこの場をごまかすための――吐き出そうとしたその時。
大きな、大きな深呼吸が1つ聞こえた。
「――それじゃあ、宴もたけなわ! ここで1つ、ウチの自慢の弟にあっと驚く一発芸を披露してもらいましょう!」
がたん、と音高く立ち上がったのも意外なら。
天高く指を指し、今まで聞いたこともないような大声を張り上げたのが引きこもり代表のような姉であったこともあまりにも意外で。
上擦った声、耳まで赤く染まった表情。姉が無理をしていることに気付くのにだいぶ時間がかかってしまった。
「お、ようやく?」と興味深そうに熊谷先輩が佇まいを正し、
「楽しみです!」と期待に満ちた目で日浦先輩が手を打つ。
複雑そうな顔ながらも、那須先輩も好奇心は抑えられないようで、ただ話の成り行きを見守っている。
犬彦にとってあまりにも意外な切り出し方、そして瞬く間に転がってゆく展開。
犬彦はもう拒絶することさえできずに目を白黒させて、勢いに乗せてまくし立てる姉を眺めた。
「ルールは簡単です! 那須先輩達には事前にこの家の敷地内に1つずつ皆さんの私物を隠してもらいました! 犬彦には今からそれを見つけてもらおうと思います!」
「ほうほう。で、それで終わりじゃないんでしょ?」
楽しそうに熊谷先輩が相づちを打った。
調子に乗せられて、ようやく元のノリを取り戻したらしい。
小夜子がにやりと口の端を釣り上げる。
「勿論ですとも。だってそれじゃ徹底的に家捜しして終わりですしね」
勿論そんなあからさまな抜け道は作りませんよ、と指を振る。
「犬彦には、この場で! 座ったこの姿勢のまま! 皆さんが隠した私物を全て見つけてもらいます! 手を使うのも禁止、足を使うのも禁止、勿論皆さんに質問して隠し場所を見つけ出そうとするのも禁止! 徹頭徹尾この場でたった一人で発見してもらいます!」
高らかに宣言した小夜子の言葉に、俄に場が色めき立つ。
「え、え――!? 小夜子先輩、流石にそれは無理じゃないですか?」
「まあ、モノを隠した時点でこういう流れになるとは思ってたけどさ。どうやって見つけるんだって話よね、そんなの」
いくら何でも条件が厳しすぎる、とその反応が雄弁に語っている。
驚愕を全身で表現する日浦先輩は元より、熊谷先輩に至っては蝋の翼で空を飛ばんとする人間を見るような目だ。
その場から一切動くことなく。座ったまま、口を使うことさえ許されず。2階建ての、今日初めて来たばかりの家屋の敷地内から何を隠されたのかもわからない私物を見つけ出せ。
1億積まれたところで、やる意味もないと投げ出すのが普通の反応だ。
逆に言うと、それができるのであれば大金を自由にするのも容易いだろうということ。
あまりにもスケールの違うゲームが行われる予感に那須は密かに息を呑む。
「というわけで、早速始めましょうか。準備はいい、犬彦?」
「いや、準備も何も……」
そもそも承諾した覚えもないんだが、と口を開きかけた犬彦へ、
「犬彦」
真面目な顔をした小夜子の目が、射貫くように犬彦を見て。
「信じて。皆は、犬彦が今まで出会ってきたような人達とは違うんだから」
「――」
……そういうことか。
小夜子の言葉に、犬彦はようやく得心がいった。
あまりにも強引な話の持って行き方。無理をする小夜子の姿。
今までとは違う。その言葉の意味を正しく理解し、犬彦はようやく覚悟を決めた。
「私物の大きさは?」
「鞄に入るサイズ、って思ってもらえればいいよ。そんな大がかりな準備してないしね」
「それが何か、ってのは教えてもらえないんだな」
「だって、その方がきっと伝わりやすいでしょ?」
首を傾げる面々に、犬彦は「違いない」と苦笑した。
「制限時間は?」
「1分で考えてるけど、どう?」
問題ない。が、それだとだいたいの場所しかわからないだろう。
「5分くれ。――せっかくの機会だし、真面目にやるから」
顔の前で祈るように手を合わせ、目を閉じる。
その雰囲気が変わったことを感じたのか、息を呑むように身を縮める那須隊の面々。
ありがたい。別にどのようにしていても問題はないけれど、空気の乱れが少なければより一層その精度は増す。
山を作るように合わされた掌の間。覆い隠された影の中で、くん、と鼻を鳴らす。
家屋の中に漂う空気を、1つ1つより分けていく。解して、伸ばして、少しずつ範囲を広げていく。
そうしていると、閉じた瞼の裏に匂いによって再現された間取りが鮮明に浮かび上がっていく。
あとはそれぞれの匂いを探り当てるだけの簡単な作業だ。
「――はい、終了」
制限時間を告げた小夜子の言葉に目を開ける。
あまりにもいくつもの匂いを感じ取りすぎたせいか、軽い目眩が襲った。まるで夢の中にいるような心地だ。
「どう、わかった?」
「あーと、すまん。紙とペン貸してくれるか」
問いには答えず、催促だけを返す。
あらかじめ用意していたらしい2つを小夜子から受け取って、机の上で図を書き記す。
――これは、予想より……ううん、もっと凄いね。
机の上に広げられたメモ紙に図形を書き込んでいく犬彦を眺めて、那須は感嘆の吐息をついた。
言葉にせずとも、それは全員に共通した感情だ。
感情を表に出しやすい茜はともかく、男勝りな熊谷――くまちゃんでさえ押し黙っているあたり、どうやら全員が彼の非凡さを肌で感じ取ったらしい。
今は鳴りを潜めたものの、目を閉じて集中していた様子の彼から放たれる威圧感は凄かった。
こちらに害する行為をとろうとしているわけじゃない。にも関わらずこちらの全てを見透かされたかのような雰囲気に自然と身体が動くことを拒否していた。
迷いなくペンを走らせる彼からは、もうそんな気配は霧散してしまっているが……さて。小夜子曰く、自慢の弟である犬彦くんは、一体どのようにして4人の私物を探し当てたのだろう?
「とりあえず、この家のだいたいの間取りはこんな感じになっていると思います」
こつこつとペン尻で指し示すその絵図を見て、目を見開いた。
「……小夜子。これって事前に犬彦くんに私の家の間取りを教えたりしてるの?」
「勿論教えてませんよ。どころか、犬彦はこの玄関から廊下、突き当たりのこのリビングまでしか那須先輩の家を知りません。勿論ここに通ってくるまでに見た階段だの扉だのは別ですけどね。ただ、その先にどんな部屋があるのかまでは絶対に知りません」
「そう、なのよね」
……流石に窓の位置とか、壁の位置とかが事細かく書き記されているわけじゃないけれど。1階と2階、それぞれのおおよその間取りが――それもバスルームだのトイレだのキッチンだのが書き込まれていることには、流石に驚かずにはいられなかった。
しかも、その全てが正しく一致している。
思わずくまちゃんが小夜子のスマホを確認し、犬彦くんとのチャットでのやりとりを確認してしまっているのも無理はないだろう。
「む……確かに、間取りなんかを教えているような会話はないわね。でもそうなると、結局どうやって探してるわけ?」
誰もが気になっている問いに、犬彦くんは一瞬の逡巡を振り切ってこう答えた。
「匂い、ですよ」
「匂い……?」
訝しげな問いに、犬彦くんは鼻を指差しながら答えた。
「鼻がいいんです、昔から。おかげで、昔からこういう捜し物には困ったことがありません」
たとえば、と犬彦くんはペンでメモに書いた那須家の間取りのうち、1階バスルームを突いてある1点に×印を書き込んだ。
「ここ。多分バスルームだと思うんですけど、ここに私物1個ありますね。多分、日浦先輩の帽子でしょうか」
「ふぇっ?」
鳩が豆鉄砲食らったような。あるいは、目の前で猫だましを食らった猫のように驚く茜。
言葉に出ることはなかったけれど、那須自身、そしてくまちゃんも同じように驚いていることだろう。
誰かの私物がある、だけならまだしも、犬彦くんは茜の帽子、とあまりにも具体的な解答をしてみせた。もはや裏で通じ合わせているとしか思えないほどだ。
けれど、「間違いない?」と確認をする小夜子に頷く茜の驚愕は演技とも思えない。
手品のタネを見極めようとするような目をしてくまちゃんが尋ねた。
「帽子ってズバリ当てたのも驚いたけど……どうしてバスルームだって?」
「水の匂いとかタイルの匂いとか……石けんの匂いとかが一番強いから、でしょうか。あとは」
一瞬言いかけて、ちらり、とこちらを向く。
意図が読めず首を傾げると、
「那須先輩の髪から同じ匂いがしたから――ってあああああそそそそのすみませんすみません忘れてくださいっっ!!」
話すと決めた時から覚悟を決めていたのだろう。異性恐怖症の彼にしては珍しく淀みなく語られていたが、地雷を踏み抜いたと気付いた後にも続けられるほどには意志が固まっていなかったらしい。
哀れみを誘うほどに慌てて土下座する犬彦くんに那須は大丈夫、と首を振るが――その頬には隠しきれない朱が差していた。
怒っているわけではないし、それを引っ張っているわけでもない。
けれど自分より年下とはいえ、異性に匂いのことを指摘されて羞恥心を覚えないほど女を捨てているわけでもなかった。
「あ! じゃあ、もしかして私のも?」
思いついたようにポンと手を叩いた茜が問いを投げかける。
答えはない。――けれど、土下座のまま頭を上げようとしないところを見るにその通りなのだろう。
茜はおおー、とどこか抜けたような感心の声を漏らして手を叩いた。自身の匂いについてどうこう、というよりは、純粋に犬彦くんの特技に感心している様子だった。
気付いていないのか、それとも気にならないのか。気になるところではあるけれど、わざわざ藪をつついて蛇を出す必要もないだろう。
「あ……」
――もしかして、そういうことなのかな。
犬彦くんの態度。その理由。小夜子がわざわざ見せたかったもの。
それがようやくわかった気がして、那須は顔を曇らせた。見れば、くまちゃんも複雑そうな顔をして犬彦くんを見ている。
「はいはい、謝るのはもういいから、とにかく答え合わせしようか犬彦。やっちゃったものは仕方ないし、いつまでもそうしてるわけにもいかないでしょ」
小夜子が犬彦くんの肩を叩きながら声をかける。
目線が那須とくまちゃんに向けられる。軽く頭を下げてアイコンタクト。どうやらこちらが思い至ったことに気付いたようだった。
小夜子の声に促され、顔を上げた犬彦くんが言いづらそうに答えを言う。
1階・洗面台、小夜子の携帯ゲームソフト。
2階・那須の自室、くまちゃんのヘアゴム。
そして最後に、茜の胸ポケットにしまわれていた、那須のハンカチ。
引っかけのつもりだったのだろうか、少し捻った場所にあるものさえ、まるで見てきたかのようにどんな場所にしまわれているのかさえ説明して解答してみせた。
他はともかく、那須の私物については自宅に置かれたものである。勿論そのこともあって置き場所は一工夫したけれど、それでも指摘するのは容易ではないはずだ。
「というわけで、どうやら無事全問正解、ということみたいですけど。どうです皆さん? ウチの自慢の弟の一発芸は」
言葉の通り、自慢げに胸を張って小夜子が尋ねる。
反対に初めの様子とは裏腹にすっかり意気消沈してしまった様子の犬彦くんは俯き気味に目を逸らしている。まるで叱られる前の子供のようだ。
けれど……那須達にしてみれば、どうして犬彦くんがそこまで怯えるのかがわからない。
「凄いです! 匂いだけで当てるなんて初めて見ましたっ」
「そうねえ、小夜子が自信満々に言うだけはあったと思うわ。今度から捜し物があったら犬彦くんにお願いしようかしら」
目をきらきらさせてはしゃぐ茜と、冗談交じりに鼻をつついて笑みをみせるくまちゃん。クッキーをかじりながらそれぞれに口にする様子を見て、深刻な空気を感じ取る人がいるはずもない。
犬彦くんが顔を上げて、2人の顔を窺う。目を見開いた驚きの表情が那須に向けられた。
――同情してる、って思われるのかな。
ふとそんなことを考えた。
那須隊のチームメンバーの弟。贔屓目に見ていない、とは流石に言い切れないかもしれない。
那須はその思考を、構うものかと切り捨てて笑みを浮かべた。
「うん、凄かったよ。流石小夜子の自慢の弟ね」
「え……ど、どうして」
「どうして、って。また変なこと聞くのね」
「だって……こんなの、俺は一度も凄いなんて思ったことなく、て」
声が滲む。男の子とは思えないさらさらの髪が俯けた犬彦くんの表情を隠す。
人と違うということは、それだけで迫害の口実となる。特に多感な時期、遠慮のない時期、ちょうど犬彦くんの頃の年であれば、それはより顕著に表われることだろう。
まして、鼻が効くという特技。
少し考えればわかるものだ。匂いには良い匂いも、悪い臭いもある。
犬並に鼻が効く男の子が近くにいたとして、思春期真っ盛りの女の子が何も感じないでいられるかと言われたら、答えは否だ。
そして、一度迫害された子が元通りに輪の中に戻ることは難しい。
犬彦くんの女性に対する反応を見れば、どんな扱いを受けてきたのかは想像するに難くなかった。
「馬鹿ねえ。考えすぎなのよ、あんた」
こつん、とくまちゃんが犬彦くんの額を優しく小突いた。
「あんたがどう思ってるのか知らないけど、あんたのそれは間違いなく凄い特技よ。それは誇るべきものだわ。今まではあまり良い思い出がなかったのかもしれないけど……私達は凄い、って素直に思ってるんだから。それを喜びなさいよ」
「熊谷、先輩」
「でもあんた、今後はもっと気をつけなさいよ? 玲は優しいから何も言わないけど、女の子の匂いを口にするなんてデリカシーに欠けるわ。あんたの女の子に対するそれ、治したいと思っているんでしょ? だったら少しでも女の子の扱いを勉強しないとね」
「う……そ、それは、はい」
負い目を感じて顔を引き攣らせながらも、頷く犬彦くん。
宜しい、と頷いてくまちゃんが笑った。
「流石くまちゃん先輩! ショタっ子を口説かせたら右に出る者はいませんね!」
「あることないこと口にする悪い口はこの口か? うん?」
「
頬を引っ張るくまちゃんと、引っ張られる痛みに涙目になる小夜子。
……気を遣ったのかな。
そうだろうな、と思う。
直接聞けば否定するだろうが、普段とはまた違った一面が見られたことがとても嬉しかった。
だから、那須は犬彦くんに尋ねた。
「ねえ、犬彦くん。もし良かったら、私達のチームに入らない?」
薄暗くなった帰り道。
微かに伸びる影は1人分――けれど足は2人分。奇妙な生物になった2人組は行きと同じく身を寄せ合いながらよちよちと歩いて行く。
初夏を控えた時期とはいえ、夜になれば長袖の上着が欲しくなることも珍しくない。
朝は少し暑かったが、今は時折吹き抜ける風が少し肌寒く感じるほどだった。
「ねえ、どうして断っちゃったのさ?」
いい加減焦れたように尋ねる小夜子に犬彦がびくりと身を竦ませた。
那須家を出てからこっち、会話らしい会話もなく、口から零れるのは陰鬱なため息ばかり。
こうしているのは暖かいし、最愛の弟分ではあるのだが、どんよりと暗い影を背負った人にずっとくっついていられるほど小夜子は闇属性をこじらせているわけではないのだ。
「だよなあ……絶対いい話だったよなあ」
空気読めない奴だと思われたよなあ、と肩を落とす犬彦にため息を吐く。
普段から男らしくあることを志して憚らない弟ではあるけれど……まあ。そもそも男らしい男の子であればそんなことを志す必要もないわけで。
男らしくないことは本人が一番自覚しているのだ。口で言ってどうこうなる程度であれば、コミュ障にだってなるようなことはなかっただろう。
「後悔するくらいなら大人しく受ければ良かったのに。意地なんて張るから」
「だってなあ……何も成し遂げてないんだぞ、俺。始まってさえもいない。そんな状態で甘えてばかりっていうのは、何というか、違うだろ」
「憧れの先輩に誘ってもらえたのに?」
「憧れの先輩だからこそ、だ。別に先輩達が悪いってわけじゃない。だけどあそこは、何て言うか、居心地が良すぎて駄目になりそうな気しかしない」
……まあ、言いたいことはわかる。
犬彦は小夜子にそっくりだ。見た目も、中身も、まるで鏡を見ているかのように瓜二つ。
異性恐怖症をこじらせているところもそうなら、そのくせ人との繋がりを求めているところまでそっくりだ。
これまで灰色の青春時代を送っていたところへ、いきなり真逆の世界へ放り込まれてしまえばどうなるか。
きっと那須達は親身になって犬彦と付き合い、育ててくれるだろう。手取り足取り、幼子を導く親鳥のように育ててくれるに違いない。
けれど――その強さは、きっと犬彦が真に求めているそれとは別物だ。
「……まあそんな風にちょっとかっこいい感じに言ったところで、結局犬彦が私のメンツ丸潰れにしてくれちゃったことに変わりはないんだけどね」
「ぐ……!」
「あーあ、どうすんのさあんな風に断っちゃって。お断りな空気が出てたならともかく、普通に皆歓迎ムードだったじゃん。那須先輩傷ついただろうなー私も傷ついちゃったなー」
「やめろ、その言葉は俺に効く……! ああそうだよ半分は意地で言っちゃったよだからこんな風に後悔してるんだよ……!」
両手で顔を覆って悶絶する犬彦。
ネタを交えているあたり意外と余裕あるのか? とも思ったけれど、小夜子にメンツなど存在しないと主観的に見ても妥当な突っ込みを入れてこないあたり本当に後悔しているようだ。
実際、強さ云々は抜きにしても、本当に魅力的な提案であった。
犬彦のボーダーでの成績はすでに聞いている。元々の点数の高さもあり、遠からずB級に上がってくることは間違いない――というか、初期点数の高さから見るに上層部もそれを期待している節がある。流石に仮入隊期間の成績だけを理由にするには高すぎる数字だろう。
小夜子が心配しているのは、B級に上がったその時、犬彦が本当にチームを立ち上げられるのかということだ。
女子は論外。男子のみで構成されたチームに入るか、あるいは自力で仲間を――それも同性に限る――探さなければいけないわけだけど、こんな中途半端な時期にその2つが可能かどうかを考えると渋い顔をせざるをえない。
そして、もう1つ。これは犬彦が望んでいることではないとわかってはいるけれど――那須の提案がとても魅力的だと感じた、本当の理由。
「……おい。気持ちはわかるけど、あんま顔くっつけて息吹きかけないでくれ。こそばゆい」
「あ、ごめん」
いつの間にか唇がくっつきそうなほどに背中に顔を近づけていたことに気付き、顔を離す。
猫背気味に背中を丸めてとぼとぼと歩いて行く犬彦の背中を見ながら、夢を見た。
小夜子自慢の弟と、那須隊の皆が協力してランク戦を勝ち上がっていく……甘い夢を。
おおよそ予想ついてると思いますが、今まで仕事してなかったタグの一つが仕事してます。
前回でぶっ倒れた原因の一つ。至近距離でいきなり大量の情報量浴びたらそら処理落ちするよね、という感じで。
多分本格的に言及し出すのはB級になると思いますが、今は高いトリオン能力の副産物兼犬彦のトラウマとだけ覚えておけばOKです。