隔たりを越えて…   作:神座(カムクラ)

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終話 : 始まりの物語

 

 雨のそぼ降る水没林の崩れた崖の上で、オトモメラルーがその下の河を茫然と見つめていた。

 

 

「おいネコ、危ないからもう少し下がれ。」

 

 

 ギルドナイトの言葉で我に帰ると捜索を訴えた。しかしギルドナイト達の表情は険しかった。

 

 

「今の装備じゃ適していない。捜索するには一度戻る必要がある。捜索を始めるまで5日はかかるだろう。」

 

 

「キルトさんはモガ育ちニャ。サバイバルニャらアイルー顔負けだニャ!」

 

 

 どちらにせよこのまま何もなかったことにするわけにはいかないため、各々思惑は違えど無事を祈りながら捜索のため水没林を後にした。

 

 

 一方、そのころキルトは気絶して浮いているナルガクルガに掴まって為す術なく流されていた。うまく着水できたものの周囲は崖なので泳いで陸に上がることもできずこれではどうしようもない。加えてもし今の状態でナルガクルガが目を覚ましたら暴れて惨事になる。そんな状況のまま十数分、流れが少し遅くなってきた頃、川の外側にいたキルトと気絶したナルガクルガは崖が途切れた低い陸地にようやく打ち上げられた。

 

 

「なんとか助かったな…」

 

 

 陸地がそのまま川の中に入っていくような川岸を見るに、もともと河川敷のような場所だったところが雨季の増水で川に沈んでいるらしい。そして後ろを振り返って、自分の置かれた状況を理解した。

 

 キルト達が打ち上げられた場所は崖をスプーンでえぐったような地形で、キルトの足でも5分で一周できる狭さで周囲と隔離されている。崖は滑らかで登るのは困難、向こう岸は遠すぎる、おまけにナルガクルガ。まさに八方塞がりである。

 

 最も深刻なのはやはり食糧だろう。この流れでは釣りもできないだろうしこんなところに草食獣はいない。ポーチには携帯食料がほんの少し。…ナルガクルガなら十分な食糧になるだろうがこの天気と湿気では火が起こせないのでリスクもある。

 

 キルトは大きくため息をついた…

 

 

「討伐依頼に釣り道具なんて持ってくるわけないじゃん…」

 

 

 なるべく身軽にしたことが仇となった。ブツブツと文句を言いながら、何か食べられるものはないかと狭いエリアを探索。生食できるアオキノコをいくらか見つけたが雀の涙。食べられる虫はいないかと葉の裏を見たり石をひっくり返したりしていると、ナルガクルガの呻き声が聞こえてハッとそちらを振り返った。

 

 ナルガクルガは何度も咳をして水を吐き、焦点が合っていない目で周りを見渡してから起き上がる。そしてキルトを見つけた。

 

 どうやらナルガクルガの方から襲ってくる気はないようだ。しかしやはり警戒して唸り続けていた。

 

 まぁ仕方ないと探索を続けようとして、またナルガクルガの方を振り返った。

 

 …なんで飛ばないの?

 

 疲れているだけなら良いんだけどそんなに警戒するならそこの崖の上に行けばいいじゃない、と試しに距離を縮めてみると右前脚を引きずって後ずさった。

 

 飛べないのだ。落下の衝撃か、それとも崩れた崖によるものなのか、腕を痛めているせいで飛べない。つまり……

 

 

「今更なぁ…」

 

 

 ナルガクルガに食われるか餓死するかの二択。あの世へまっしぐら。流石にここは生き延びるためにナルガクルガを殺すべきか。殺したところで生肉を食べて腹を下せば終わり、食べなくても終わり。

 

 救助隊もあまり期待できない。キルトは考えることをやめた。とりあえずふやけた携帯食糧の干し肉の欠片を食べて、大きめの葉を集めて寝床をこしらえ虫を避けるために敢えて雨が当たる場所でふて寝した。これでナルガクルガに食われてももう知らない。

 

 色々と疲弊していたキルトは予想よりも早く眠りに落ちて、夜になって目を覚まして後悔した。真っ暗だ。雷光虫もいない。ナルガクルガがどこにいるのかもわからない。昼間にもっと探索しておくべきだった。

 

 

「寒いな…さすがに雨に当たりすぎたか…」

 

 

 気温は高いが体温よりは低い。アオキノコをかじって、ナルガクルガの唸り声を無視しながら少し運動をして体を温める。これは諸刃の剣だ。余計にエネルギーを消費するのは好ましくない。先行きが見えない中、不安な夜を過ごした。

 

 翌朝、キルトは干し肉の最後のひとかけらと苦虫を食べる。珍しく雨は降っていなかったが相変わらずの湿気で火を起こすことはできなかった。

 

 空腹とイラつきを紛らわすように、そして体力を温存するためにその日もほとんど横になって過ごす。本当に大変なのはここからだ。食糧をどうやって調達しよう、もう一度探索して野草や虫をさがそう。 

 

 そして2日目を終えた。

 

 

「んー……ん?」

 

 

 今日も生きて起きれたか、と思って体を起こそうとすると阻まれる。

 

 

「どうりであったかいわけだ。」

 

 

 ナルガクルガも濡れ続けて体温が下がっていたのかもしれない。キルトは寝ている間にナルガクルガの腕にすっぽり包まれていた。

 

 ナルガクルガの腕から抜け出すと、すでに起きていたナルガクルガはキルトを上目で見ながら後ずさった。

 

 

「ありがと、あったかかったよ。」

 

 

 しばらくナルガクルガと見つめ合った。ナルガクルガの感情は読み取れなかったが疲れた顔をしていた。

 

 

「ごめんね、逃げて欲しかっただけなんだ。」

 

 

 ナルガクルガは無表情のままじっとしていた。目の前にいる人間を警戒すべきなのか心を許しても良いのか決めかねているようだった。

 

 

「君は本当に不思議だね。野生とは思えないくらい人馴れしてる。さっきも、君が力加減間違えてたら窒息してたよ。」

 

 

 そっと手を差し伸べても反応しなかったのでそのまま頭に触れた。

 

 

「どうしたものか…このままじゃ僕ら飢え死にだ。」

 

 

 耳の裏を掻いてみると、耳を伏せた。キルトは微笑んで一旦ナルガクルガから手を離し、また探索を始めた。

 

 収穫は特にない。最後のアオキノコを食べ、無いよりマシだろうと無事だった回復薬グレードを飲む。日が暮れ始めるとナルガクルガの方から近づいてきて、座っていたキルトを腕で包んだ。

 

 

「はぁ…」

 

 

 片手でナルガクルガを撫で、もう片方の手で赤い石の首飾りを弄る。今ほど翼が欲しいと思ったことはない。

 

 

「よっこいしょ…」

 

 

 ナルガクルガの腕から抜け出して、その頭を抱いて撫でながらそっとナイフを取り出した。

 

 

「ちょっとごめんよ。」

 

 

 月迅竜の刃翼からできたナイフはナルガクルガの鱗を軽々裂き、血がにじむ。ナルガクルガは少し呻いたものの特に抵抗はしない。キルトはポーチから回復薬が入っていたビンを取り出したその血をとった。

 

 

「うーん…どんぐらいだろ…」

 

 

 血はすぐに止まってしまったが、確かにビンの中に入っている。キルトは続けて古の秘薬をいれて、首飾りを外して赤い石を取った。

 

 

「彼らいわく祖龍の血石…おとぎばなしの龍だけど…まぁ、実際にあそこで暮らした後なら本当にいそうな気がしなくもないし居ても驚かないけど。」

 

 

 別れ際にもらった首飾りの赤い石をビンに入れると仄かに熱と光を発しながら溶けてしまった。

 

 

「うわぁ…ダメもとのつもりだったけど行けそうな気がしてきた…」

 

 

 あのとき読んだ、おとぎばなしにあった手順でできた少量の液体を雨水で少し薄めて一気に飲み干した。

 

 

「うぇ…」

 

 

 味はまぁ、そのまんま血である。それが通った食道や胃がしばらく熱くなり、十分ほどで治ると今度は身体全体が熱くなって息苦しくなってくる。

 

 

「これ…やっば…」

 

 

 立っていられなくなり、四つん這いになって過呼吸に近いじょうたいになる。異変に気付いたナルガクルガがどうしたのかと舐めたり鳴いたりしたがキルトはそれすら知覚出来なくなり、やがて意識を失った。

 

 

 一方のナルガクルガはパニックになっていた。人間がまた撫でてくれたと思ったら何やらゴソゴソとして、悶えながらのたうちまわる始末。ゴキ、グシャ、バチンという音に飛び上がって驚き、その場を行ったり来たりしながら理解不能な状況を見守ることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 ○○○

 

 

 

 

 

「グッ……」

 

 

 どれくらい気絶していたのだろう。雨の音で気がついて目を開けると、それだけで自分が変わったことが分かった。視界が全く違う。広く、色鮮やかで遠くまでよく見える。起き上がってみると身体の感覚の違いに気がついた。人間で考えれば無理な体勢で違和感もあるが、妙にそれが身体に馴染んでいる。腰から先に、尻尾の感覚もある。

 

 

「ギィ……」

 

 

 振り返ると随分小さく感じるあのナルガクルガがこちらに気付いて首を傾げ、自分をまじまじと見つめた。音も全然感じ方が違う。

 

 もう一度自分の体を見回してみる。確かにナルガクルガだ。紺色と白色の毛が混ざり合う白疾風ナルガクルガそのものの躰。

 

 お腹空いたな。

 

 人間の時も空腹で、加えておとぎばなしを試した結果ナルガクルガになってしまったのだから当然空腹だった。

 

 ちょっと待っててね。

 

 そんな意味を込めて鳴いた。言葉とは違う、もっと繊細で多彩なものを、新しい躰は最初から覚えていた。

 

 崖の上を見上げる。聴覚も恐ろしいほど鋭くなっていて、崖の上にいる草食獣の足跡がはっきりと聞こえた。これがずっと聞こえているのに飛べないなんて、さぞかしもどかしかっただろう。

 

 キルトは刃翼のついた腕を片方ずつ動かしてみる。軽い。そして尻尾をくねらせてみる。予想以上に細かく動かせる。そしてもう1度崖の上を見た。

 

 飛び方なら、月迅竜の子の練習を飽きるほど見ていたからわかる。あとはその通りに身体を動かすだけ。このまま狩りをしたらいよいよ人でなくなる気がしたが今更であるし、もとより獲物を獲らなければ自分たちは共倒れしてしまう。

 

 崖の上で草を()んでいたアプトノス達は、突然崖の下から現れたナルガクルガの姿にパニックになり、内の大きく成長した一頭が疾風の如き速さで崖の下に連れ去られた。

 

 大きなアプトノスは2匹の腹を満たすには十分だった。やはり味覚も変わっていて、キルトは人間の言葉では表せない味に驚いた。

 

 そういえば装備を着たままだったけれどどうなったのだろう、と思い辺りを見回すと放置されたポーチや武具の金具などを見つけたが、本体や太刀は見当たらない。よくみると月迅竜の部分だけがなくなっており、竜化するときに自分に吸収されてしまったようだった。

 

 肉を食い終わり、川の水を少し飲んで満足気にため息をつく。同じく満足するまで食べたナルガクルガは喉を鳴らしてキルトに頬擦りした。礼を言っているようだった。

 

 キルトはチラリと空を見た。流されてから3日、捜索が始まるにはまだ時間はあるが、できれば見つかる前に管轄から遠く離れた場所に行きたい。ずっと一緒だったオトモのラルグに会いたかったがこれからはギルドに追われることになりかねないので諦めるしかない。

 

 そんなことを考えていたキルトはもう一方のナルガクルガに肩を甘噛みされて我に返る。ナルガクルガは可愛らしく鳴いて催促し、キルトはそれに応えて甘噛みした。

 

 こつん、と2匹は額を合わせる。少し前の裏切りなど忘れてしまったとでもいうように、ナルガクルガはキルトが同族になったことを喜んでいた。

 

 君、雌だったんだね。

 

 今まで確かめる必要もなかったので知らなかった。ナルガクルガになってからは人間が同族の性別を大抵見分けられるように、彼女の性別もすぐに分かった。

 

 やっと、同じ仲間ができた。

 

 珍しい故に、彼女が自分と同じ種に会ったのはこれが初めてだった。彼女がキルトの耳元で高く可愛らしい声を出して、後ずさるとキルトの方に後ろ脚を投げ出すように寝そべり、彼らは自然な流れで契った。

 

 竜の愛は人よりよっぽど単純なものだ。彼は、これからもずっと彼女を守りたいと思った。彼女は、元人間の彼ならずっと温もりを与えてくれると理解し幸福を感じていた。一時はあっさりと打ち負かされてしまったが、それは彼が自分より強い雄であることの証明であり、むしろ番う理由が増えただけに過ぎなかった。

 

 交わりを終えて離れると彼女が笑ったように見える。そして大きく欠伸をして、キルトもそれにつられて欠伸をした。満腹の後の眠気に誘われるまま2匹は正面から向かい合うように寄り添って眠ったのだった。

 

 

 

 

 ○○○

 

 

 

 

 キルトが行方不明になって5日、捜索隊は現場の川を流れに沿って下り痕跡を探す。

 

 

「川幅が広くなってきた…これでは向こう側が探しにくい。」

 

 

「この高さじゃ登れないだろ。崖が切れたら重点的に探そう。」

 

 

 さらに丸1日かけて下り続けると対岸がへこんでいる場所を発見。双眼鏡を覗いた捜索隊は予想外の光景に息を呑んだ。

 

 そこにいたのは2匹の白疾風ナルガクルガ。片方が何やらバタバタと前脚を動かしていた。

 

 

「番…?確認されてるのは一頭じゃないのか?」 

 

 

「キルトは…食われたのか…?」

 

 

「流れ着いた先に番がいるニャんてあり得ニャいニャ。それにキルトさんは……」

 

 

 付いてきたラルグも混乱しながら双眼鏡に顔を押し付ける。と、なるガクルガ達が捜索隊に気づいた。

 

 

「…来るか?」

 

 

「いや、この距離ならこちらが近づかなければ平気だろう。腹が減っていれば別の話だが…」

 

 

 片方のナルガクルガが短く咆哮を上げた。断続的に、リズムを変えながら吠えていた。

 

 

「ニャ……そんニャ…」

 

 

「……なんだ?」

 

 

 ラルグはしばらく黙った。ナルガクルガの咆哮はモガの村で使われている音の信号になっていた。

 

 

「ニ゛ャ゛ー!今月のお給料まだ貰ってニャいのニャ!!こんだけ長く付き合っといて酷い仕打ちだニャー!!ボックスの豪アキンドングリ全部もらっても埋め合わせにニャらニャいニャ!!つーかメラルーのボクに資産全部使っていいよ、とか、鬼だニャ!!馬鹿にしてるニャ!んなことしニャくてもボクはあの村で暮らしていけるのニャ!!」

 

 

「おいおい…どうした急に。」

 

 

「うニャ!!帰るニャ!!」

 

 

「いや、何を言って、」

 

 

「キルトしゃんはもうお嫁さんもいて、ボクらニャんか用済みニャのニャ!!助けニャくても飛べるし、ボク達も早く帰ってベッドでゆっくり寝るのニャ!!」

 

 

 ズカズカと来た道を戻るラルグ。捜索に来たギルドナイトは顔を見合わせた。

 

 

「どういうことだ?」

 

 

「ううん……」

 

 

「まぁ考えるに…」

 

 

「それしかないか…これは上層に報告するべきだと思うか?」

 

 

「しても良いがどうせ隠蔽される。俺たちも口止めされるだろう。それに元は龍暦院研究所からの依頼。このことが龍暦院に知られたらきっと管轄外まで探しに行くだろうよ。」

 

 

「どうせ信じてくれねぇよ。捜索対象が竜になっちまった、なんて。」

 

 

「ギルド上層部は分からないぞ。あそこは俺たちも知らないことをまだ多く隠してる。キルトもあのネコもそこに片足を突っ込むところまでは行った。もっと深くまで行ったのかもしれない。未知の何かを知っていたんだ。」

 

 

「この命令はそれが目的か。でももう竜になった。対象はいない。」

 

 

 過去のこともあり、キルトを危険視したギルドは今後彼を監視下に置くことを秘密裏に決定していた。

 

 

「帰ろう。元々乗り気じゃなかった。行方不明ってことにした方が俺たちにとっても良いだろうよ。」

 

 

 

 

 

 ○○○

 

 

 

 

 

 人間達がいなくなったことを確認して、ちょうど前脚が治ったらしい彼女にキルトは移動を提案し、彼女も承諾した。彼なら、人間に追われない場所を知っている。万一襲われても対処法を知っている。ようやく伴侶が出来たことを嬉しく思いながら、彼に続き飛び去った。自身に新しい命を感じながら…

 

 

 

 

 ○○○

 

 

 

 

 海に囲まれた村、モガの村。そこに住むニャンターのラルグは農場の手伝いをしたり村人の依頼をこなしたり時々村専属ハンター、ローグの狩りの手伝いをしたりと充実した日々を過ごす。ある日、1人森から帰ってきたローグが興奮気味にラルグと村長に言った。

 

 

「リオレウスが管轄に入ってきたんだ。そしたら紺と白のナルガクルガが追い払って、そのままナルガクルガもどっか行ったんだ。」

 

 

 それからというもののモガの村周辺に大型の竜が現れる度に白疾風ナルガクルガも現れて撃退し、時には村専属のハンターやニャンターと共闘することもあったという。

 

 

                   おしまい。


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