やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。   作:てにもつ

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 『何かのきっかけを与えてくれるような存在の人ってどういう形であれ、特別で替えなんて絶対にきかない存在だと思うの』

 

 新山先生の言葉。

 

 『みぞれのことはわかった。だけど、希美は私にとって……吹部に入るきっかけになった人だから……』

 

 中川先輩の言葉。

 

 『私はね、いつも大切な人とか、聞いて欲しい人に向けて吹くようにしてるんだ。その人が実際にそこにいるかとかが大事じゃないんだけど、誰かに届けって気持ちで吹くといつの間にか全力で吹くことだけに集中できるよ』

 

 香織先輩の言葉。

 色んな言葉を思い出すのは、眠る前に夜風に当たりながら優子先輩と話していたことが原因だろう。

 

 『…ねえ。比企谷はさ、なんでトランペット始めたの?』

 

 ――ああ。これはまた、懐かしい夢だ。

 

 

 

 

 

 石を蹴りながら一人で歩く帰宅路の途中で、甲高い音が聞こえた。…気がした。

 

 「……」

 

 ……ぷー…。

 勘違いかと思ったが、また聞こえた。だけどどうやら、ここからは遠いどこかで吹いているみたいだ。海から吹く潮風が運んでいる音の大きさは、聞こえるか聞こえないかくらいだからそう思った。

 

 「……」

 

 石を蹴るのを辞めて、耳を澄ます。ころころと石が地面を転がる音の後、やっぱりまた音が聞こえてきた。

 ……家に帰っても、お母さんもお父さんも仕事に行っている。妹の小町は保育園だから、どうせ家に帰っても誰もいない。

 ……ぷー…。

 

 「……はぁ」

 

 何も変わらない日常。

 平日は朝起きて、朝ご飯を食べながらおっはーをして、その後の三十分は歯磨きと今日の学校の準備をしながらアニメを見てから出発する。

 学校に行けば、クラスの友達と一緒に遊ぼうとする。遊ぼうとするって言うのは中々上手くいかないからだ。学校に入ったばかりの時は、友達百人出来るかなって歌ってたしきっと出来ると思ってたけど、現実は厳しい。

 放課後も同じだった。友達が遊ぶ約束をする中、家に帰る日々。誰もいない家で、猫のかまくらと一緒にテレビを見るか、図書館で借りた本を読むか。

 そんな平日が終わるとたった二日間だけのお休みだ。お父さんは黄色くてシュワシュワの子どもが飲んだらいけないものを飲んでいるときだけが生きがいだと言ってたけど、俺の生きがいと言えば、日曜日の朝八時半。プリキュア!あれだけは全くもって最高だぜ!

とは言え一週間の楽しみが三十分だけじゃあんまりにも短すぎる。だからこそ代わり映えのない退屈な毎日に、このときの俺は嫌気がさしていたのだ。

 気が付けば足は石を蹴ることをやめ、その音を目指して進んでいた。

 

 ぷー。…ぷー……。

 近付けば近付く程大きくなってくるその音は、川の方から聞こえてくることがわかった。さっき歩いていた道よりは思ったよりも遠くて足が疲れた。それならば近付こうだなんてよせば良いのに、足が勝手に動く。

 ぷー。ぷー。

 どうやら、何度も何度も同じ音を出し続けているらしい。飽きないのだろうか。でも俺もよく、ぶらんぶらん揺れてる、引っ張って部屋の照明を付けたり消したりするためのヒモで一人ボクシングをやるとなんとなく面白くてずっとやっちゃうからそれと同じなのかな?

 ぷー!ぷー!

 近付いてみて、単調に吹かれているその音がただ大きいだけの音じゃないことに気がついた。力強いのに、優しい。大きいのに柔らかい。

 自分でも矛盾したことを考えているのは分かっているけれど、他に上手い表現が見つからない。

 やがて、川沿いのランニングコースに抜けた。視界一面に川が広がっている。音がしているのは左からだ。遊具なんて何もない寂しい公園の屋根の下にポツンとあるベンチ。

 そこに彼女はいた。

 

 このとき俺は、彼女とラッパを見つめながら何を思ったのだろう。しばらくじっと見つめていたことだけは覚えている。

 もしかしたら、セミロングの綺麗な髪を風で揺らしながら音を奏でる姿を美しいと思ったのかもしれないし、一人で吹く姿を見て珍しいものを見たとでも思ったのだろうか。あるいは、たった一人でベンチに座りながら吹いている姿にどこか自分を重ねた可能性もある。

 

 

 

 「ん?君は?」

 

 やがて大きくて真っ直ぐな瞳が俺を捉えた。

 

 ――その目は、何もかも見透かしているはずなのに、全てを諦めている。

 

 

 「あ……えっと、俺は……」

 

 声を掛けられて慌てている俺に、彼女は人懐っこく微笑む。

 

 ――その眩しい笑顔は、誰しもを魅了するのに、決して誰も寄せ付けない。

 

 

 「ふふ。そんな怖がらないで。君も小学生でしょ?私もまだ小学六年生だしさ」

 

 その話し方は俺が小学生であることと、彼女の方が年上であることを確信していた。身長が俺よりも高いし、きっと正しい推測だろう。

 

 ――俺よりたった三つしか離れていない子どものはずなのに、ずっと歳の離れている大人のようで。

 

 

 「…遠くから、音が聞こえてきて……」

 

 「そうなんだ。聞こえてたかー、これ。恥ずかしいな!」

 

 テレビとかで見たことのある金色の楽器を指しながら、言葉とは裏腹に全く恥ずかしくなんてなさそうに屈託なく笑った。

 

 ――誰よりずっと楽しんで生きているように見えるのに、本当は自分を殺してばかりで。

 

 

 「あ。まだ名前言ってなかったね。私の名前は……」

 

 彼女は立ち上がって、何故か一歩も動くことのできない俺の前にゆっくりと寄って来た。

 

 ――だからこそ、優しさと完璧さを兼ね備えた仮面の下には、冷酷で残忍な本心が潜んでいることに俺は気が付いていた。

 

 

 「雪ノ下陽乃。よろしくね」

 

 

 ――彼女によく似合う名前。綺麗なのに寂しい。春のように温かくて、冬のように冷たい。陽の光は誰しもの心を照らして、けれど彼女自身は雪が溶けるようにすっと消えていなくなる。

 

 

 「それで、君の名前は?」

 

 「比企谷、八幡」

 

 ――けれど消えてしまった彼女に会うことがもう決してなくても俺は、この一年をこうしてまた何度だって思い出すのだろう。

 

 

 「もしよかったら、やってみる?これ」

 

 そして、このときから始まった。

 永遠に続けば良いとさえ思った二人だけの演奏会。

 

 ――だって、俺が吹く理由が叶うことなんてない。

 それはもう、永遠に訪れることはなく、終わりを告げたたった一年間だけの演奏会。

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