やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。   作:てにもつ

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「それでは、本日の練習は終わりにしましょう。皆さん、お疲れ様でした」

 

「「「ありがとうございました!」」」

 

「ねえ、早く行こう!」

 

「そんなに急がなくても、私穴場知ってるよ」

 

今日の放課後はいつもより皆が浮かれている。ぱたぱたと片付ける音があちこちから聞こえた。

きっと滝先生も今日が花火大会だとわかっているからいつもより少しだけ早く練習を終わりにしたのだろう。こんな日は電車も混雑するし、居残り練習するにしても早く帰るようにと言っていた。

隣にいる高坂も他の部員と同様で、合奏終わりはいつも指摘されたところを吹きながら確認しているが今日はすでに片付けの準備を進めていた。

 

「今日は残って練習しないのな」

 

視線は譜面に落としたまま高坂に聞いた。高坂の片付けの手は止まらず、忙しなく動いている。

 

「うん。今日の花火大会行くから」

 

「だろうな。花火上がるのってまだまだなんだよな?」

 

「そう。でも着物着るから早く帰らないと間に合わない」

 

「え、わざわざ着物着るの?」

 

「うん。帯締めたときにキツくならないように、お昼もあんまり食べなかったの。だから早く屋台でなんか食べたいってのもある」

 

「ああ。昼あんま食わなかったから今日の演奏、なんかいつもと違ったのか。滝先生、高坂のソロ気にしてた感じだったしな」

 

「……。…う、嘘……」

 

ばさり、と鳴る音は高坂が力なく譜面を落とした音だった。顔面蒼白とはこのことだろう。思ってた以上の高坂の反応に、慌てて言葉を紡いだ。

 

「う、嘘だよ。そんな人生終わったみたいな顔しなくても…」

 

「……最低。絶対許さないから」

 

「す、スマン」

 

「……」

 

「ごめんなさい」

 

「ふん」

 

まさかそんな怒ると思わなかったもん。ちょっとしたアメリカンジョークじゃん。そんなに滝先生に怒られるの嫌なのかよ…。

マウスピースを洗いに行く高坂の背中を見て、やっぱり高坂に冗談は吐かないようにしようと学んだ。

さて俺は時間があるわけだし、残って少しだけ吹いて帰ろう。市営の図書館や中学の時に通っていた塾もそうだったが、いつもは人がいるはずの場所に人があまりいないで使えるのは何となく気分を高揚させる。

しばらく練習して、人がいなくなるのを見計らって俺は音楽室を出た。少しだけ赤みが差した校舎に、聞こえてくるフルートの音はどこか夏らしい寂寥感を思わせる。

 

「……フルート?」

 

その音に導かれるままに渡り廊下の方へと向かっていく。別にフルートの練習をしていること自体は珍しいことではない。俺と同じように今日の花火大会に行かない誰かが練習をしているという可能性の方がずっと高いはずだ。

だが、今朝の塚本との話で希美先輩もフルート奏者だったという話を聞いた。最近部に復帰したいという彼女は放課後いつも低音の教室で頭を下げるために残っている。

点と点が繋がるようなインスピレーション。この直感は正しいだろうか。

 

「……」

 

上手い。キラキラとした音色を聞いて素直にそう思った。

北宇治の吹部のフルート奏者の誰よりも技術的な面でも上回っているし、何より演奏の表現力の高さ。楽しくて、美しい。茜色の寂しいステージで歌うように吹かれているフルートの演奏を止めないように、俺は物陰に隠れることも忘れ、ただ息を殺して聴いていた。

やがて吹き終わると、その視線がゆっくりと俺に向く。

 

「…あ」

 

「あ、あはは。どうもー。えーっと、吹部だよね?」

 

「そ、そうです」

 

き、気まずい。とりあえず気になることを聞いてみよう。

 

「そのフルート、先輩のマイ楽器ですか?」

 

「うん。そうそう」

 

「音楽室でそのフルート見たことなかったんで」

 

銀色に輝くフルートを持つ先輩が自慢げに笑った。

 

「去年まで吹部でさ。今は地元の楽団に入ってるの」

 

「へえ。だから上手いんですね」

 

「ありがと!ところで、君は何の楽器吹いてるの?」

 

「トランペットです」

 

「そっか。それじゃあ優子と一緒だね。私は二年の傘木希美って言うんだ。君は?」

 

「比企谷です」

 

「比企谷君……。うーん…」

 

「何ですか?」

 

「いや、妙に親近感がある名前というか。ごめん。自分でも何言ってるのか良くわかんないや」

 

へらへらと白くて歯並びの良い歯を見せながら笑う傘木先輩はやっぱり活発な印象を受けた。

だが、間違いなく初対面。親近感は全く感じないが、そう言われると…うーん。

 

「傘木先輩」

 

「ん?」

 

「俺もよくわかんないんですけど、犬と散歩するときはリードを離したらだめですよ」

 

「いや、私犬飼ってないけど…」

 

「あ、そうなんですね。すいません」

 

そうだ。折角だし先輩が低音の教室で田中先輩に部活の復帰をさせて欲しいとお願いしていることを知らない体で、どうして吹部に所属していないのか聞いてみよう。

 

「あの、先輩」

 

「あ」

 

聞こうとしたところで、先輩が俺の後ろを見つめた。振り返ると立っていたのは優子先輩だ。

…ん?真っ直ぐに傘木先輩を見つめる優子先輩はその瞳の奥で何を考えているのかわからないが、少しだけ怒っている、というか苛ついているように見えるのは俺の勘違いだろうか。

 

「優子先輩」

 

「優子ー。なんか久しぶりだね。元気にしてた?」

 

「うん。久しぶり、希美。そりゃまあ元気だよ」

 

「そっか。部活は大変?」

 

「まあね。毎日毎日吹いてるから大変と言えば大変なのかな」

 

「大分遅い時間まで練習してるしね」

 

優子先輩が傘木先輩のフルートを指さした。

 

「それ」

 

「あ、これは違うよ。ただ吹きたくて吹いてただけだから」

 

「……そっか。久しぶりに聞いたよ。希美のフルート」

 

「優子も聞いてたの?照れるな。比企谷君は褒めてくれたよ?」

 

「言っとくけど、私は何も言わないから。同い年の演奏褒めるのとか何か照れるし」

 

フルートを吹いていた理由を誤魔化したのなんて明らかだったのに、優子先輩は希美先輩が楽器を持っていることを深く掘り下げることはしなかった。本当は話すべき事が別にあるはずだ。

同じ中学で三年間一緒に吹いて来たはずの二人。十数歩分の距離は縮まらない。どちらも歩み寄ることを決してしないから。

 

「…それじゃ。私は比企谷に用があって来たから」

 

「俺?」

 

「うん。行こ?」

 

「いや、行こって…」

 

「えー。私はもうちょっと比企谷君と話したかったんだけどな」

 

「悪いけど、またの機会にして」

 

「いや、俺に自分で選ぶ権利は……」

 

渡り廊下から見える真っ直ぐに伸びた木が、後ろから見守る夕日の色に染まった校舎に影を落としている。

俺としてはいつもよりまだ早いし、もう少し残って傘木先輩と話をしたい。聞きたいことがまだある。

 

「時間もあんまりないから。お願い」

 

「時間って何のですか?」

 

「そ、それは……あ、後で言うから!」

 

「えー。ろくな事じゃなさそう」

 

「はは。優子全然信用されてないじゃん!」

 

「う、うっさい!」

 

はあ。優子先輩に付いていくか。傘木先輩の手前、あんまり優子先輩に恥をかかせると後で何か酷い目に遭う気がすると、俺の超優秀と評判の防衛本能が反応している。

 

「そんじゃ、行きますね」

 

「うん。またね、比企谷君」

 

また、か。本当に『また』はあるのだろうか。そんなことを思いつつ、俺は顔には出さず頭を下げた。

 

「……優子」

 

「ん?何?」

 

「…部活、変わったよね。比企谷君、一年生だけどAのメンバーに選ばれてるの?」

 

「うん」

 

「三年生も二年生もメンバー?」

 

「ううん。うちのパートは二年と一年が一人ずつメンバーに選ばれなかった」

 

「そっか。二年生がBで一年生がAってさ、どうなの?」

 

どこか責める口調にも聞こえたその言葉に、ぎゅっと心臓を捕まれたような気がした。ただ、冷静に考えれば俺を責めるのは理解できる。だってこの先輩を含めた南中の去年の一年生は上手くても出られなかったメンバー達なのだから。向けるべき矛先はきっと別にいたとしても、それが俺たちに向くのはわからないことではない。去年辞めた先輩からしたら、特にメンバーに選ばれた一年なんて『狡い』の一言に尽きるだろう。

ただその質問は優子先輩に聞かないで欲しかった。残った南中の一人として今年から変わってしまう事は良かったのか、と葛藤していた夜を思い出して、俺は優子先輩を咄嗟に見た。

だけど、きっと優子先輩はもうとっくにそんなこと乗り越えていた。オーディションで自分の考えを誰よりも真っ直ぐに貫いて、何よりも京都府予選を抜けたことで。

傘木先輩に向けた笑顔は今日一番の穏やかな笑顔だった。

 

「上手いからメンバーに選ばれたんだよ?いいに決まってるじゃない」

 

「でもさ、去年まではそんなのあり得なかったよ」

 

「うん。だって去年とは違うもん。私たちは全国に行くんだから、オーディションやってメンバーに上手い人が選ばれるのは当然よ」

 

ハッキリとそう言い切った優子先輩から傘木先輩が目を逸らした。

 

「……うん。私もそう思うよ。…それじゃあね、優子」

 

傘木先輩の笑った顔は初めて会った俺でもわかるくらい取って付けたような笑顔だ。そんな顔で笑うなら、いっそ泣いた方が見ているこっちは清々する。

その泣いたような笑顔から目を逸らして、俺は優子先輩について校舎に戻る。振り向くことはしなかった。

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