ヴァルハザクの撒き散らした瘴気は、その宿主を失った今となってはこの古代樹の森には根付く事はなさそうだった。
動植物問わずに肉体へと潜り込んでエネルギーを奪い去っていくその恐ろしい微生物はしかし、微弱な風にすら逆らえず、水を浴びれば地へと縛り付けられる。時が経てば、そんな瘴気の大半は消え去ってしまっていた。
天候の影響を受けにくく空気が澱んでいる谷底であるからこそ、瘴気はヴァルハザクの身を離れても長時間その場に留まる事が出来たのだろう。
未だに木々の奥深くにまで根付いて宿主の帰還を待ち侘びる残り僅かな瘴気はしかし、人の手によって切り倒されて燃やされる事で終わりを迎えようとしている。
そんな作業をする狩人達に、火竜達は手を出す事もなかった。
瀕死に陥っていた雌火竜の二匹も火竜達の努力でどうにか一命を取り留め、今や原種も亜種も寄り添って無事を穏やかに享受している。
しかし、それに加えて寄り添おうとした子供達を、親達は冷たく突き放した。
元より、同じ縄張りの近くに居続けられる事は好ましくなかったのだ。いがみ合っていた親達を傍に番ってしまった子達を追い出す事は、その番の親に対する宣戦布告にもなるようでし辛かっただけだった。子達もそれを理解していて、親の縄張りから大して離れる事なく平穏を貪っていた。
その結果がこれだ。平穏はもう、庇護されて享受するものではない。自らの手で掴み取るものだ。
子供達は、そうして渋々ながらもどこか遠くへと飛び去っていった。
また、銀火竜と金火竜も無事を見届ければそれに寄り添う事もなかった。だが、帰る事もなく古代樹の森でデートをそのまま敢行していた。
もう逆に親達を追い出す事も可能な程の力を秘めたその肉体は、しかし未だ発展途上である。古龍の頭を爆散させる様を見せつけられた父親達がその特別な子供達に向ける目線は、どこか遠いものとなっていた。
火竜達が襲ってくる気配は無いが、瘴気の除去に対してヒノキやらの元気な狩人は念の為の護衛に就いていた。
はたまた、研究者達は瘴気に冒された竜や植物の一部をサンプルとしてアステラまで運ぶ事もあれば、頭を失ったヴァルハザクの死体を調査したり。
それに対しても、火竜達は特に何もして来る事はない。
人のように素材として身に纏う事もなければ、トロフィーにすると言うような習慣もない。また、瘴気を殆ど使い切って死んだとは言え、それを操る古龍を食そうとは思わなかったようだった。
「それにしても……凄い威力ですね……」
正に爆発四散したヴァルハザクの頭。その破片はグロテスクとも思えない程の小さな破片となって広くに散らばっていた。
「あれでまだ発展途上なんだから、本当に希少種ってのは底が知れない」
解剖してみれば、血液はドス黒く染まり、内臓も機能不全に陥らされている事が分かる。
毒に関しては計三匹のそれを一身に受けた事もあるだろうが、まともに受ければそうなってしまう火竜達の毒を、瘴気がある状態ならば無効化してしまうヴァルハザクの力にも驚きは強い。
「これだけ手痛くやられちゃ、素材として使えるかも怪しいな」
そんな残念な結論も出て来てしまった。
そこへ、やっと到着したマハワがやって来た。
戻って来た時には全てが終わっている事を知らされていただろうが、実際にもう解剖までされているヴァルハザクを目にすると露骨につまらなさそうな顔をした。
「欲を言えば、俺が倒したかったな」
「そんな単純な相手じゃなかったけどな」
そう返せば、背負っていた双剣というよりは二本の手斧をクルクルと弄り始めた。
見るからに危ない輝きを放つその手斧が何を基にして作られたのか、すぐに察しが付く。ヒノキもそれを基にした太刀を持っている。
「バゼルギウスの武器か? 最近発見されたっていう特殊個体の?」
「そうだ、爆ぜり猛るバゼルギウスから作られた、名もバゼルボンバー!」
「バゼルボンバー」
名からして、バゼルギウスのような情け容赦ない爆殺をさせる気が満々だと思った。
「瘴気だろうと爆発で吹き飛ばせる程の力を持っているからな、行けそうだと思っていたんだが……」
そういう試みを古龍で試してしまう度胸はもう無謀というか……。だが、実際そんな事も即興でそつなくこなしてしまえる程の、根拠のある自信を内に秘めている事もヒノキには感じ取れた。
テスカトとネルギガンテのそれぞれの番の死闘を見てからというものの、マハワはその狩りの技術を今も尚、まるで古代樹が際限なく伸び続けるかのように成長させ続けている。
……あのクシャルダオラにも、今のマハワの牙は届くのだろうか?
そんな事を思っているのがマハワにも伝わったのだろう。
「あのクシャルダオラには、俺は届かねえよ。
テオ・テスカトルになら今の俺でも1%くらいの可能性がありそうだが、クシャルダオラにはどう足掻こうと0%だ。
あのテオ・テスカトルは戦い方にも拘りがあっただろう? 自分が一番優れているという自負と王であり続けるというそのプライドが、最終的に大きく劣るはずの相手に命を奪われる原因となった。
だが俺達狩人が竜や古龍に打ち勝つ為に何でもするように、あのクシャルダオラは拘りも持たなければ、何でもするだろう?
特に驕り高ぶる事なんぞ絶対にしない、だから0%だ」
「そう、だな」
飄々としながらも堂々としている。自分の大切をいざとなれば捨てる事も躊躇う事もないであろう、誇りや実力とは別の強さ。それをクシャルダオラは持っている。
「悔しいが、アレに勝てるようになる為には、俺の寿命は短過ぎるだろうな」
もう達観しているように、マハワは締め括った。
*****
手遅れな程に瘴気に冒された木々の処理も終える頃には日が暮れ始めていた。
護衛を早めに切り上げたヒノキがクシャルダオラの元へと戻れば、クシャルダオラは一歩も動いていない位置にそのまま座っていた。
早速クシャルダオラは手帳を渡して来て、描けというように目を向けてくる。
……クシャルダオラは、火竜達も自分達もヴァルハザクに負けてしまったら、この重い腰を上げただろうか?
そんな疑問を抱きながらも、さらさらと起きた出来事を描いていく。
干からびた火竜達の死体、ヴァルハザクに立ち向かう、仲が悪かったはずの二匹の火竜。
……俺に強い害を及ぼされたなら、きっと叩き潰しただろう。
やって来た金銀火竜、一旦退いたヴァルハザクに対して奇襲を掛ける狩人達。
……そうでなかったならば、俺を咥えて巣にでも持ち帰っただろうな……。
もう、このクシャルダオラとの付き合いの時間は、始まってから季節を一巡する長さに届いている。行動論理も基本は分かっていた。
興味のある事柄以外には、自らの身に多少危害が及ぶ事があろうが干渉しない。
どうしてそうなったのかは分からないが、基本自意識の強い古龍がここまで特異な性格になるのには、それ相応の理由があったのだろうと思っていた。
この関係には言葉というものを介さないし、これからもそんな事は無いだろうから、それを知れる時は来ないだろうが。
日が急激に落ちていく。イヴェルカーナの活動は鳴りを潜めたとは言え、今は寒い季節でもある。
火竜達が優勢に事を進める絵を描き終えれば、後はヴァルハザクが止めを刺される絵を描いて終わりではあるが、もう手元も怪しい暗さになっていた。
立ち上がって、一旦背を伸ばす。大きく欠伸をしてから、枯れ枝やらを集めて火を起こす準備をする。
歴戦王とも呼ばれる古龍の前でさえも欠伸が出来る程に緊張の欠片も抱かなくなった。
クシャルダオラが翼を軽く動かせば、周りの枯葉や枯れ枝が小さな竜巻に誘われて目の前に山となる。
関係は穏やかに続いている。そして、相互理解は時を経るに連れて少しずつ深まっていた。
火を起こそうとすればクシャルダオラが手伝ってくれるように、そしてまた、ヒノキは何を問わずともクシャルダオラが描いて欲しいものを理解するように。
だとしても、クシャルダオラが更に狩人達に歩み寄る事は無いだろうけれど。
火を起こして暫く、焚き火からパチパチと音が鳴り響き始めたのを確認してから、ヒノキは最後の絵に取り掛かった。
銀火竜と金火竜がヴァルハザクに浴びせかけた火球を炸裂させれば、後に残ったのは頭を失わせた無惨な死体。
それを描き終えて、何度か見直す。二つ目の完全な白紙から始まった手帳も、ページ数は残り半分を切っていた。
ちょいちょいと書き直してから、クシャルダオラに渡した。
クシャルダオラは喉を鳴らしてその手帳を爪で挟んで受け取るが、そのまま開かず立ち上がって翼を広げた。手渡すのが遅くなった時は、この場で中身を読まずに帰る時もあった。
目覚めと共に朝を迎えてからきっと待ちに待ったように読み始めるのだろうと思ったら、ある地域で冬のある日に子供の寝床にこっそりプレゼントを置いておく風習を思い出して笑いそうになったのは秘密だ。
クシャルダオラは飛ぶ前に、来るか? というように自分を見てくる。
その誘いに乗れば、龍結晶の地の高台から朝日や夕日、それから月を眺めるという風情に満ち溢れた時を過ごせるが。
「今日は、疲れた」
そう言って腰を地面に付ける。
すれば、そうかと言うようにクシャルダオラはあっさり飛び去っていった。
「流石に、ふかふかのベッドで寝たい気分だ」
そう呟きながら暫くぼうっと焚き火を眺めていれば、銀火竜と金火竜が遠くから歩いて来たのが見えた。
歩きながらでも舌を交わしたりと好き勝手にやっているその様子は、結婚願望のある独身からしたら、歯軋りをしながら血の涙を流す程のイチャつきだ。
しかし、巣立ってからまだそう時間が経っていないというのに、その実力はもうかなりのものだ。古龍と一戦交えた後でも疲れなど微塵も見せていない。
まだ一体相手にならばヒノキでも勝てると思うが、二体を同時に相手取るならばマハワでも多少は苦戦するだろうと思う。
そして、これでもまだまだ発展途上の実力だ。火球や毒の威力は刧炎状態を使いこなせていなくとも親を既に追い越しているが、経験や技術と言った点では親にはまだ強く劣る。
このままでは余り長生きする事も出来ないだろうと思うが、クシャルダオラが居るからか、本当に天狗にはなっていない。
ヒノキはそこまで結婚願望も抱いていなければ、討伐されるような事も起こして欲しくないとは思っているが、そんな事を起こすような個体でも無いとはまだ、信じている。
そんな二匹はどうせすぐに離れていくだろうと思っていたが、ヒノキの方にまで歩いて来た。
「……?」
何をするのかと思いきや、ある程度まで近づいたところで立ち止まると、少しの間じろじろと見るだけ見て去っていった。
自分とクシャルダオラの関係を不思議に思っているのだろうが、余り良い気分ではなかった。
「……帰るか」
飯でも食って、さっさと寝よう。今日は疲れた。
*****
翌朝。
どうしてか早くに目覚めたヒノキは、古代樹の森へと散歩をしていた。
ホットドリンクを飲む程ではないが、中々に肌寒い気温。ジャグラスやアプトノスといった竜達はもう、いつものように活動している。
ヒノキを見れば逃げていくのもいつも通りだ。
クシャルダオラにマーキングをされて竜種が逃げてしまうようになってからは、ヒノキは専ら採集しかしていなかった。
それでも狩人では在りたかったし、はたまた修練場でだけ鍛錬を続けるのも味気ないというのもある。
道すがらに鉱石や植物、キノコなどを採集していると、ジャグラスに食い散らかされたアプトノスの死体を見つけた。
呼吸を整えてから腰溜めに特殊納刀の構えに移る。そして強い踏み込みと共に抜刀斬りをすれば、骨ごと真っ二つに切れたアプトノスの死体が爆発を引き起こして骨肉が一気に弾け飛んだ。
「ほんっとうに危険な太刀だよな、こいつ」
そう言いながらそのバゼルバルガーを研いで、鞘に納めた。爆ぜり猛るバゼルギウスの素材を使う事で更に強化出来ると言うが、そうしたらどんな太刀になるやら。
まあ、また竜種と戦う事もいつになるのか分からないが。
銀火竜と金火竜も去ったようで、足跡は古いものしかなかった。
ヴァルハザクが死んだ場所にまで歩いていくと、何者かが肉を貪っている音が聞こえた。
毒に冒された古龍の死体などを貪ろうと思う生き物は精々一、二種しか思いつかず。一応警戒してその場所を覗くと、居たのはネルギガンテだった。
きっと最小個体よりも一回りも二回りも小さいと思える、まだ小柄で若い肉体は、自分も良く見知っている個体だと分かる。
竜結晶の地からも去って久しく、どこで何をしているのか全く分からなかったが、無事が分かって少しほっとした。
わざと足音を立てて歩いていけば、ネルギガンテが振り向いた。
「古龍を喰らう古龍が漁夫の利なんてするもんじゃないだろう……」
ただ、そう呆れ気味に呟くヒノキに対して、ネルギガンテはごっくんと肉を飲み込んでから上機嫌なように喉を鳴らした。火竜の毒もネルギガンテにとっては大したものでは無いらしい。
「まあ、ある程度大きくなったようで」
まだ育ちきっていないとは言え、最後に見た時よりは一回りも二回りも大きい。
その肉体も、成長するだけよりも鍛えられている印象があった。鳥竜などであればその腕の一振りで顔を叩かれたら、今でも首がポッキリ行きそうである。
未だ調査団が辿り着いていないようなどこかで修行でもしているのだろう。
そのネルギガンテは、ヒノキに向き直るといきなり強く高く跳び上がった。前動作もほぼ無しに高く。
一瞬身構えるが、空中で半回転して落ちてくるその先は、ヴァルハザクの死体に対してだった。
どぢゅう!!
現大陸のどこかで見た事のあるような既視感のある動きだったが、威力はそれよりも段違いに高い。
何せ背中に生えている棘が一斉に突き刺さるのだから、これをまともに食らえばヴァルハザクであれど致命傷になるだろう。
そんな自分の成長を見せびらかすように振る舞った動きは、けれど。
「お前なぁ……」
ぐい、ぐいと何度寝転がろうとしても、中々に引き抜けない。
ヒノキが太刀を抜く振りをして、近付いていく。ネルギガンテは分かりやすく焦るが、結局ヒノキが首に振り下ろす振りをするまで棘が抜ける事はなかった。
結局、棘をボキボキと折って脱出したのはそれから更に数分後の事で、ヒノキはその間に適当な長さの木の枝を持って来ていた。
それをネルギガンテに向ける。
「少し戦ってみるか?」
鈍りを解消するにも丁度良い相手だ。
それに対してネルギガンテは、こんなひょろい生き物が? と言うような目線を向けてきた。
いつでも止めを刺せる状態になってた癖に。
それでも枝を向け続けていると、ものは試しにと前脚を軽く叩きつけてくる。ひょいと避けて頭を叩く。何度かそれを繰り返すと唐突にタックルをしてきて、それも尻尾の方に避けて視界から外れる。
その尻尾を叩けば即座に振り向いて、先ほどより力の篭った叩きつけをぶつけてくる。
バゴォッ!
そのまま地面をも抉れば、ヒノキに向けて棘を折り飛ばして来た。転がってギリギリ避ける。
どれも予備動作が分かりやすく、また体躯がまだ小さいのもあって躱すのには苦労しない。
段々とネルギガンテも本気になってくる。気遣っていたのもなくなり、まともに受けてしまえば死にそうな攻撃もぼちぼちと。
……クシャルダオラはこれ以上狩人に歩み寄る事は無いと思っていたが、俺の方が竜や古龍の方に歩み寄っているのかもしれないな。
ヒノキも集中を深めていく中で、そんな事を思う。
飛び掛かってきたその頭を踏みつけて、強く跳躍。木の枝を思い切り叩きつければ簡単に折れて、それが模擬的な戦いの終わりを告げた。
露骨に悔しがるネルギガンテに対して、ヒノキはその横顔を撫でる。
その表皮は、撫でただけでもネルギガンテという種の、古龍の中でもトップクラスに入るであろう膂力を感じさせた。
まだまだこいつは強くなるだろう。
「じゃあ、またな。元気で居ろよ」
期待を込めた言葉を返して去っていくヒノキに、ネルギガンテは次は負けないからな! と言うように、咆哮を返した。
驕り高ぶらない歴戦王クシャルダオラ:
近接武器が届くところに降りてこないし、頭も尻尾も含めて龍風圧纏ってるし、閃光は効かないしで、圧倒的クソモンス。
ネルギガンテ:
ジンオウガの背中叩きつけを習得している。
威力は相手が古龍であろうと一撃必殺級だけれど、抜けないので外したら死ぬ。
まだそんなに強くない。
そう言う訳で死を纏うヴァルハザク編終了です。
次書くとしたらムフェト・ジーヴァ&アルバトリオン編だけど、以下の条件で書く事にしようかな、と。
・全期間各話UAの全てが5000を突破する
まあ、基本書かないって事です。
Riseで書きたいのは結構定まっているけれど、他に色々書いてからになるので、それも結構後になるかと。
死を纏うヴァルハザク
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和牛のような濃厚で美味しさ
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鳥胸肉のようなあっさり
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ブルーチーズのような臭みと独特な旨味
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漢方薬のような苦味
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不味い