だがそれは向かいに座る圭もまた同じであった。
(この人がお兄ぃの……)
どうやら兄は恋をしているらしい。
それがこの一年、圭が兄 御行の姿に感じることだった。
それまでは色恋沙汰にはとんと縁がなく。珍しくバレンタインにチョコレートを貰って帰ってきたかと思えば、中からは髪の毛やら正体不明の煙が立ち上がったりと、決して恋愛に良いイメージがなかった兄。
それが最近では勉強中でも携帯を開いては、ラインの画面を前にニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべる始末。かと思えば返事一つに悶絶したりと、それが単なる友達相手への反応でないことは明らかだった。
……そう、そのラインの相手。兄の変化と期を同じく彗星の如く現れた『ハーサカ』という女性。
いま目の前に座るこの人こそが、兄の想い人であることを、圭は半ば確信していた。
「圭ちゃんのクラスでは、文化祭で何をするの?」
「た……飲食店を」
「そっかぁ。じゃあ食材の衛生管理とか大変だね」
「はい……」
素直にたこ焼き屋と言えば良いものを、何を見栄はっているか。けれど、緊張するのも無理はない。
長らく携帯で存在を確認していながら、ラインのアイコンだけでは姿が見えず、変なあだ名だとばかり思っていたその人は、しかし実際に会ってみれば超が付くほどの美人さんだったのだ。
外国の血を感じさせる整った顔立ち。漂う気品はどこぞの名家のご令嬢か、フィリス女学院に通うというだけでも、とんでもないお嬢様であると窺える。
そんな人と兄はどこで、いったいどうやって知り合ったのか。
馴れ初めは?そもそも今の2人の関係は?友達以上か、恋人未満か。まさか恋愛のABCにまで足を踏みこんではいまいか。
あの奥手な兄にそんな甲斐性や度胸があるとは思わない。だが同時に、こと一度覚悟を決めたことに関しては驚くほどの行動力を示せる人だということを、妹の圭はよく知っていた。
(2人ともまだ学生のうちにそんな……。いやでも『高校生までに3人に1人は初体験を済ませてる』って萌葉から聞いたことあるし……)
悶々と押し寄せる煩悩の波。湧き立つ興味はとどまることを知らず、安易に口を開けば、拍子にポロポロとこぼれ出てしまいそうである。
ーーーだがそれは拙い。
現在反抗期
これで仮に、2人が既に恋仲であった際ーー
『そういえばこの前、街でばったり妹さんと会ってね』
『圭ちゃんと?』
『うん。私たちのこと、色々聞かれちゃったなぁ。すごく真剣な様子で‥‥やっぱり妹さんとしては、色々気になるんだと思うよ。』
『いや‥‥けど家ではそんな』
『ふふ、そりゃあ、2人きりじゃ素直になれないよ。近すぎると逆に見えなくものってあるじゃない?兄妹同士……本当は、お兄ちゃんを取られて、寂しい気持ちもあるんじゃないかな』
『‥‥‥そう、か。まったく、もう兄離れしてもいい年ごろだろうに……お可愛いやつめ』
(ーーーはああぁあぁぁ!!?)
自らの想像に青筋を浮かべ怒れる圭。
冗談ではない。そんな会話をされようものなら忿怒と羞恥で舌を噛み切りかねない。
やはり下策。兄の情事に興味深々と思われるなどプライドが許さない。
ーーーだがそれでも。胸奥に沸き起こる期待感を拭いきれないのも事実。
将来兄に恋人ができて。こんなにも綺麗な人が義姉になって。ウチのあの狭いキッチンルーム、2人肩を並べて楽しげに料理を嗜む……そんな淡い情景に、心躍る気持ちを抱かないわけではないのだ。
(なんとか……なんとか怪しまれず。それでいてさり気なく、お兄ぃとの関係を確かめる方法はないか)
彼女の方から兄の話題を振ってくれれば幸いなのだが、今まで話をした印象、悪戯に自分達の関係をひけらかすような人にも見えない。
やはり自分で切り出すか、なんとか上手く話を誘導してーーー
「ーーー?」
珈琲を口に運ぶとり澄ました表情の下、そんな思案ばかり浮かべていると、ふと向かいに座るハーサカさんが手を上げているのに気づく。
「圭ちゃん、お腹すいてない?」
「へ……?」
「すみません、シナモンパイ2つお願いします」
圭の返事を待つまでもなく、寄ってきた店員に注文を伝えるハーサカ。
2つ。その数字が示す意味に即座に気づいた圭だったが、その口が開くよりも早く、店員はまるで逃げる様にいそいそと厨房へと引っ込んでしまった。
「ここのパイ、凄く美味しくてね。雑誌で何度も紹介されるくらい人気なんだよ」
「そんな……悪いです」
「ううん、ご馳走させて。さっき助けてもらったこと。それに、普段お兄さんのお世話になってることのお礼も含めて、ね?」
優しげに、それでいてどこか悪戯気に片目を瞑るハーサカに、口を噤んでしまう圭。
きっと弾まない会話に気を遣ってくれたのだと思う。せっかくの厚意を無下にするのも失礼だし、既に為されてしまった注文を取り消すのも気が引けた。
何より、彼女の口から兄の話題が出たことは、圭にとってまたとない僥倖であった。
「兄とは、その……長いんですか?」
「御行くんと?そうだなぁ。互いに知り合ってからは、もう1年くらいになるかな。最初に出会ったのは、私のバイト先でね。……まあ出会ったって言っても、私の方はもっとずっと以前から、彼のこと知ってたんだけど」
「ふ、ふーーん??」
どこか照れたようにはにかむハーサカに、微笑み返す圭。無論、背筋には冷や汗を浮かべながら。
それはいったいどういう意味なのだろうか。
一年以上前ともなれば、お兄ぃはまだ秀知院学園の生徒会長にも就任していない頃。学業的にも今ほどの優秀さはなく、フィリス女学院の生徒に名を馳せるほどの知名度もなかった筈。それでも他校の、ほんの一生徒に過ぎないお兄ぃを気にしていたということは つまりーーー
(というか『御行くん』……!?)
なんてさり気ない名前呼び。学校では会長の名で通っている手前、父以外から兄の名を聞くこと自体、久しぶりな気がする。
「……フィリスの生徒さんでもアルバイトってするんですね」
「まぁ私はちょっと特別かな。周りの友達でしてるって子はあんまりいないし……でも御行くんや圭ちゃんだって、秀知院生なのにバイトしてるじゃない?」
「い、いえ。うちはその……うちもちょっと特別で」
「ふふ。でも良い経験だって思ってるよ。社会勉強にもなるし……こうして、圭ちゃんや御行くんとも知り合えたんだから」
そう嬉しそうに微笑むハーサカに、思わず頬が熱くなるのを感じる。
なんというか……初めに出会った時は、どこか近づきがたい、まさに高嶺の花のような印象を受ける人だったが、実際に話してみればとても気さくで、親しみやすい人だと思える。ふとした仕草に感じる気遣い。それは勿論、兄との繋がりがあるから優しくもしてくれているのだろうが……初め緊張を抱いたからこそ、雰囲気のギャップに不思議な安堵感を抱いてしまうのだ。
(お兄ぃも、こういう所に惹かれたのかな)
テーブルに出されたシナモンパイ、その蕩けるような甘い香りに感銘しながら、妙に納得してしまう圭。
ーーー無論、全ては早坂の
(やはり、私のことはフィリスの一女生徒と認識しているようですね)
警戒する相手の緊張を解きほぐすことなど、人心掌握のプロである早坂にとっては造作もないこと。浮かべる笑み、仕草、気遣いに至るまで、全ては圭を籠絡せんがための策略。
このまま警戒心を薄れさせ、少しずつ情報を聞き出していけば、彼女が「
(……今のところ、ハーサカの演技に違和感を持たれている節もない。)
厳密には対白銀御行用であるハーサカの性格に、圭からの信頼も得るべく多少ブレンドを加えたもの。できる年上の女性としての余裕と威厳をプラス。それでいて親しみやすいよう多少の茶目っ気をプラス。お兄さんの友人としての安心感をプラス……。
その効果は上々、次第に警戒を解きつつある圭の姿に、我ながら見事な采配だと心の中でゴチる早坂であったが、実はその対応、自らの主人と全く同じ轍を踏んでいることに気づいていない。
鼻をくすぐるシナモンの香り。サクサクとしたパイ生地の中に隠れるカスタードの甘みに顔を綻ばせながらも、2人の鍔迫り合いは続いた。
「でも学校も違うし、お互い忙しいからあんまり遊びに行ける機会がないんだよね。ラインではよくお話するんだけど」
「そ、そうなんですか」
「2人で一緒に行ったのも参考書選びの本屋だったり、あとはカラオケぐらいでーーー」
「ほ、ほーーっ!??」
ぐらい?「ぐらい」と言っただろうかこの人は。
無論早坂が述べたのは、合コン妨害策として先日送り込まれたカラオケ屋での一件である。早坂と白銀御行の2名がたった2人きりで過ごした時間はその機会を置いて他に無く、早坂からしてみれば、言わば小のうちの大。数少ない特別な例を挙げたに過ぎない。
だが。兄とハーサカの関係を疑い、かつ2人が自分たちの関係をイタズラに誇示しようとしないと思い込んでいる圭から見ればニュアンスが大きく異なってくる。
つまりは大のうちの小。『本当はもっと色んなとこ行ったり 色んなことしちゃったりしてるけど、カラオケデート「ぐらい」なら言っちゃっても大丈夫だよね』、と。
(というか、お兄ぃとのカラオケを「ぐらい」で済ませられる普通!?)
幼少の頃より共に過ごしてきた圭にとって、兄の歌唱力とは極めて警戒が必要なソレあり、先日家の中でラップの練習を始めた折には、純然たる殺意を思い抱いたほどである。
その厄災を、かくも寛容に言い流してしまうとは、いったいどれだけ兄と理解と信頼を深めているのか。
コホンコホンと。パイ生地が喉に引っかかったフリして咳払いを一つ二つ。動揺する心を抑え、必死に表情に出すまいと努める圭であったが、早坂の眼まではごまかせない。
何か失言があっただろうか、と明らかに態度を変えた圭に、目を細める早坂。
初めに比べれば順調に心を開きつつあると感じるも、あと一歩、やはり何処か余所余所しさが拭いきれない。
疑われているような、探りを入れられているような。そんな感覚が常に首裏をくすぐるのだ。
けれど、ハーサカの正体以外に疑いを向けられる理由なんてーーー
(……まさかーーー)
「圭ちゃん、その……ね。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「………?なんでしょう」
「知ってたらでいいんだけどね。……ううん。聞いてたらで……」
今までになく歯切れの悪い様子のハーサカさん。気恥ずかしげに俯いた後、意を決したよういに顔を上げーーー
「御行くんが私のこと、どう想ってるか知らない?」