K to I   作:パン de 恵比寿

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3話

 ーーー御行くんが私のこと、どう想ってるか知らない?

 

 

 時が止まったかのような錯覚。囁かれた言葉が頭の中でやけに大きく反響するなか、圭はグラスを口に運ぶ手を止め、向かいに座る少女を凝視していた。

 

「そ、そそ……それはどういう?」

「ああ、ごめんね。深い意味は無くて……。ただ御行くん、家では私のこと どんな風に話してるかなって思って」

 

 どこか照れたようにはにかみ……しかし薄く開いた瞼の奥で、絶えず圭の動向を窺い離さない早坂。

 

 それは彼女が抱える様々な思惑が交錯した末の問いだった。

 

  一つは無論、四宮侍従としての務め。

 圭が『私』について抱く人物像(イメージ)……兄 白銀御行から、『私』のことをどのように伝え聞いているか。その確たる証言が得ることができれば、彼女相手に抱える不安要素も無くなり、取るべき仮面を迷うことも、今のように無用な探りを入れる必要もなくなる。これから四宮侍従として行っていく『仕事』も、幾らか楽になることだろう。

 

 そうした理由とは別に……早坂にとってはむしろ此方の方が重要と云えたのだが……妹さんの態度。その出会った当初からいつまでも解けない『私』への警戒心に、一抹の不安を覚えてしまったからだった。

 

 

 そう……妹さんは、『私』に対して初めから不信感を抱いていたのではないか。こうして出会う以前から。

 御行くんが家で話した『私』への評価(おもい)はーーー決して、良いものばかりではなかったんじゃないかって………

 

 

 白銀御行という人は、私と同じ、外面を取り繕うタイプの人間だ。

 責任と重圧が圧しかかる会長職の仕事に加え、勉学やバイトに忙殺される日々……。そこには常に秀知院学園会長としての品格が求められ、重責は歴代受け継がれる金刺繍の装飾とともに、重く肩へとのしかかっている。

 

 だからこそ、だろう。その重荷から僅かでも解放される場、我が家という憩いの空間においては、いかに己を律することに長けた彼であろうと、つい本音を吐露してまうこともあるのではないか。

 私が普段、誰にも見えぬところで一人愚痴を零すのと同じように……。唯一心を開ける肉親、妹さんの前だけでは、人に明かせないような本音を晒すこともあるのではないか。

 仕事への憤懣。友人関係の悩み。そしてそこには、『私』という人間に対する評価も……。いかに普段、友好的に接してくれている彼でも、面と向かっては言えないこと。胸の内にしまう嫌悪感、なんてものも有ったかもしれない。

 

 心の奥には積み重なった不信感、猜疑の数々が、こうして妹さんを介して顕れているのではないかとーーー。

 

(なにせ私は……)

 

 分かっている。こんな疑念を抱くこと自体、会長に対する侮蔑であること。

 それでも、一度胸に湧いた疑念は、容易く消えてはくれなくて……やはり かぐや様の言う通り、自分は決して性格の良い人間ではないと思い知らされる。

 

 侍従としての使命。

 友人としての憂惧。

 

 交錯する多くの想いが、早坂に先の問いを投げかけさせたのだった。

 

 

 

 

 ーーーーだが、圭の動揺はそれどころではなかった。

 

(げ、言質を獲りに来た……!)

 

 真っ直ぐにハーサカを見抱いたまま、かつてない戦慄に震える圭。

 

『ーーー御行くんが私のこと、どう想ってるか知らない?』

 それは当初、自分がハーサカに問おうとしていたことを逆質問された形であり、これまでの抽象的な受け答えとは訳が違う、明らかに、兄からハーサカへの好意を確かめるための問いであった。

 

 なんという大胆さ、なんという直球ぶり。これまで恋愛話(こいばな)には消極的とばかり思っていたのに、まさかこれほど露骨な攻勢を見せてくるとは。「恋は盲目」という言葉の恐ろしさを知ったような。期待と不安が入り混じるような淡い笑顔で答えを待つハーサカさんは、なるほど いじらしいほどに可愛らしかった。

 

 

 しかしここまでくれば、ハーサカさんからお兄ぃへの恋心はもはや確実。

 仮に2人がまだ恋仲でなかったにしても、今この問いこそが、間接的な告白になり得る。

 

 既に付き合っていたならば尚酷い。

 家では私のことどう話してくれてるかな…と。

 離れても変わらず私のこと想ってくれてるかな…と。

 ご家族の方にも私のこと、ちゃんと紹介してくれてるかな…と。

 

 もはや完全に惚気の域。なんという甘い世界、漂うシナモンの香りと相まって完全に胸焼けレベルである。

 

 

 ーーーだが落ち着こう。

 コレは非常にまずい状況ではないか。

 

 なにせ(わたし)は兄の気持ちについて確証を得ているわけではない。あくまで予想。想い人がいることは分かるが、その相手を完全に把握しきれてはいないのだ。

 

 もし、この場で 兄がハーサカを好いていると……彼女の告白を代受けするような返事をしてみよう。それで二人が両想いならば何の問題も無し、圭は二人の愛を射止めたキューピッドとなることだろう。

 

 だが兄の想いが違う相手(ひと)に向いていたなら……。その暁には修羅場に陥ること間違い無し。

 妹の一言を発端に、本人の全くあずかり知らぬところで巻き起こる三角関係。あの返事は嘘だったのか、二股かけていたのかと。ドロドロに拗れた関係は愛憎の悲劇を糧に、少女の手に冷たいナイフを握らせーーー

 

(いやいやいやいや)

 

 何故かリアルに想像できてしまう、包丁を手にとる黒髪赤目の少女の幻影を消し去りつつ、我に立ち返る圭。

 

 だが「YES」と答えられないからといって、変に断ったり言葉を濁しでもすれば、2人の関係に亀裂を生むことも確実。

 兄の想いがハーサカさんに向いていれば、その時点でご破算(アウト)。失恋の原因を作った私は、甚だ兄に嫌われることになるだろう。

 

「………っ」

 

  ーーー正直、それは避けたい。

 いかに普段いがみ合うような態度をとっていても、本気で兄に嫌われて嬉しいわけではないのだ。

 

 

 今までの演技も忘れ、恥も外見もなく熟考する圭。答えを窮する姿に、不安そうな顔を浮かべるハーサカさんの姿も見えているが、「これ」だけは軽い気持ちで答えてはならないと思ったのだ。

 

 ーーーそうして5分か。10分か。長きに渡る熟考の末、覚悟を決めたように顔を上げる圭。

 Yes or No .

 Do or Die.

 その重い唇から出した答えは

 

 

 

 

「いやー、ちょっと聞いてないですね」

 

 逃避(ESCAPE)

 それまでの葛藤などかなぐり捨て、明後日の方向に全力で顔を背けては、お茶を濁す圭。

 

 別に嘘は言っていない。本当に知らないのだから、答えられないのも仕方がないのだ。決して一人で答えるには重すぎる責任に日和ったわけではないのだ。

 

「お兄ぃ、家ではあんまり外のこと話さないから」

「そう、ですか……」

「あ、いえ!でも嫌いに思ってるとか、そんなことはないです!ラインしてる時なんて、引く……本当に楽しそうにしてますから!」

 

 やはりというべきか、何処か悲しげに、しゅんと息を落としてしまうハーサカさんに、慌ててフォローをいれる。彼女とて、きっと一大決心のもとにあの問いを投げかけたのだろう。このままではご破算コース確実と、なんとか軌道修正をしようと、言葉をまくしたてるのだった。

 

「正直、珍しいなって思ったんです。おに……兄はかなり見栄っ張りで……会長の名で通っている体もあって、ラインで返信するときも、相手によっては相当緊張して文章考えたりするんです。それこそ、何分も携帯と睨み合うくらい……」

 

 そういえば、一度四宮先輩に返すのを見かけた時は、20分くらい時間をかけていた。その時も引くくらいニヤニヤしていたが ……まあかぐやさん相手なら仕方がない。

 

「けど、ハーサカさんが相手の時は、すごく自然体で……。あんまり肩肘張らないというか、遠慮がないというか……まるで中学校以来の友達相手みたいで……」

「……」

「え、えっと……」

 

 自分でもあまりフォローになっていないことに気づき、しどろもどろと言葉を続ける圭。

 ……そんな様子がおかしかったのだろうか、向かいに座るハーサカはクスリと笑みをこぼすと

 

「ありがとう」

「え、はい。……はい?」

 

 何に礼を言われたかもわからないまま、しかし、どこか安心したように微笑むハーサカさんの笑顔に釣られて頷き返す。

 

 あんな答えでよかったのだろうか。疑問は胸に残るも、満足そうに再び優雅にコーヒーを嗜むハーサカさんの姿を見て、なんとか危機を越したとホッと胸を撫で下ろすのだった。

 

 

(少し……功を焦り過ぎましたね)

 

 珈琲の苦味を舌に溶かしながら、静かに想いに耽る早坂。

 膠着する状況に耐えかね、あわよくばと試みた問いであったが、思うほどの成果は得られなかったようだ。

 やはり、こういうことは時間をかけて、ゆっくり情報を抜き出していくに限る。功を急いて迂闊に相手の胸中へ飛び込み、要らぬ不信を抱かれては元も子もない。

 

(今日のところは、関係を深めるまでに留めましょう)

 

 なにも時間は今日一日に限られた話ではないのだ。このまま友好な関係を築き、以後も会う約束を取り付ける……それだけの信頼を結ぶことができれば、次なる機会は如何様にも用意できる。なればこそ、今はより深く、圭との親睦を深める努力に徹するが得策ーーー。

 

 方針を固め、静かに息を吐く早坂。

 自分のやり方(セオリー)を曲げ、なお成果を得られなかったことに、不思議と悔しさは湧いてこない。胸を占めるのは、確かな安堵と満足感。

 何故……?他ならぬ自身の感情に疑問を覚えながらも、次なる懐柔案を思案しつつ、早坂はまたグラスを傾けるのだった。

 

 

 ****

 

 

 お兄ぃのことについては、先の一件で納得したのか、それからのハーサカさんは積極的に兄の話題を出すことはなくなった。

 

 文化祭のことであったり、近くの人気のお店のことであったりと他愛もない会話。と言っても話上手の彼女(ハーサカさん)の話は、どれもとても興味深く……。先程までの緊張感が嘘かのようにゆったりと流れていく時間に、またいつ爆弾が投下されるやと身構えていた圭も、いつしか彼女の話に聞き入るようになっていた。

 

 

「今つけてるのも自分で作ったものなんだけどね。こうやって自作したネイルチップを付ければ、爪のお洒落だって簡単にできるし、値段もお手頃だから色んなアレンジが試せるよ」

「こんな綺麗なのが自分でできちゃうものなんですか?」

「うん。簡単に取り外しもできるから、ザコ…………風紀委員の人に見つかりそうになっても、すぐ誤魔化せるしね」

「へぇー……(ザコ?)」

 

 特にオシャレの話題については、周りに詳しい人が居ないためにとても新鮮で。興味を見せるとハーサカさんは嬉々とした顔で教えてくれた。

 

「入浴剤一つでそんなに変わるものなんです?」

「全っっ然違う!入れると入れないとじゃ雲泥の差だし!疲れの取れ方から肌の保湿、血行の促進、香りだけでも凄くリラックスできるんだから!」

「そ、そうなんですか…」

「入浴剤を専門で扱ってるお店もあってね。ここのデパートだと3階にあるんだけど、私もいつもここでーーー」

 

 机の上に広げたデパートの案内図を指差しては熱弁するハーサカさん。余程拘りがあるのか、その勢いはなんとなく天体観測に向かう兄と同じ雰囲気を感じた。

 

 

 早坂としても、ついつい饒舌になってしまっていることは自覚している。それでも、普段は話せる相手に恵まれない話題。加えて、なにかと捻くれ者であるあの子とは違い、教えることに真っ直ぐに頷き喜んでくれる圭の存在は、新しい妹ができたかのようで素直に嬉しかったのだ。

 

「贈り物用の花を買うんだったら、ここのお店かな。種類も豊富だし、包装もそれぞれの花にあった可愛いものを選んでくれてね。」

 

 そこには、圭が会長の妹であるという安心感もあっただろう。四宮の業務にとらわれるだけじゃない。彼と同じように、『私』個人として、彼女と友情を築いていくことだってできるかもしれない。そんな淡い期待に、浮かれそうになる心も感じていた。だから

 

 

「私も、『母の日』の贈り物はいつもここでーーー」

 

 

 だから……そう。油断してしまったのだと思う。

 

 

 

 しまった、と。気づいた時には遅かった。

 弾んでいた心が急激に冷え落ちていくのを感じながら、恐る恐ると圭の表情を伺う早坂。

 対する圭は、キョトンとしたように首を傾げていたが、早坂の意図することに気づいたのだろう。静かに息を零したのち、淡く微笑むのだった。

 

「ああ……それ(・・)も、兄から聞いてたんですね」

 

 あんまり人に話したがらないのに凄いなぁ、と。感慨深げに、そして何処か達観したように笑みを零す圭。それは早坂の目からしても……嬉しさとも悲しさとも分からない。儚く、胸に去来する様々の感情が入り混じったような表情に、早坂は胸に重いものが落ちるのを感じた。

 

 それが実際に御行に聞いたわけではない。秘密裏の身辺調査で知り得たことだからこそ、彼女の勘違いが逆に悲しかった。

 

「いいんです。母が出て行ったのは、もうずっと昔のことだし……私たちの中では、とっくに折り合いが付いていることですから」

「寂しくは……ないんですか?」

 

 言葉は知らずこぼれ出ていた。

 何を知ったように、と思う。それでも、自身の中で「母」という存在が大多数を占める早坂にとっては、聞かずにはいられない……到底、分かり得ない感情だったのだ。

 

 世界でたった一人しかいない母。自分を愛し育ててくれた人が居なくなって、それで平気だなんて……本当にそんなことがあり得るのだろうかと。

 

「……正直に言うと、私はあんまり覚えてないんです、母のこと。まだ物心つくより前のことだったし、私にとっては、ずっとお兄ぃが母親がわりみたいなものだったので」

「そう、なんですか?」

「ええ。あ、でもべつに甘えきりなわけじゃありませんよ。家事はしっかり分担してますから。兄は料理担当。掃除や洗濯は私の担当です」

 

 そこだけは譲れないばかりに、フンと息を吐いてみせる圭。

 

「……そうやって家事分担してるくせに、家では母親面して、小言ばっかり言ってきますけどね。食事中にジュースは飲むなだの。しっかり ご馳走さまの手を合わせろだの……。そのくせ自分は、どんなに言っても靴下裏返しのまま洗濯に出すんですから」

 

 実際に言われた時のことを思い出すように、顔をしかめては語気を強めていく圭。

 そこには、先ほど見せた儚げな表情など微塵も残らない、快活な怒気の色が浮かんでいた。

 

「でもそのことを外で言ったら、絶対みんな否定してくるんです。立派な人だ。良いお兄さんじゃないかって。

 ーーー全っ然そんなことないっ!外ではいい格好しいだからみんな騙されてるんです。それも知らず白銀会長、白銀会長って……。ハーサカさんなら知ってるでしょう?お兄ぃのポンコツぶり」

「ええ、それはもう」

「そうですよ。絶対いつかボロ出しますよ、あの人」

 

 カラオケでの一件を思い出し、苦笑まじりに笑う早坂に、初めて賛同してくれる人が得られて嬉しいのか、嬉々一杯、益々として溜め込んだ鬱憤を晒け出していく圭。だが愚痴ばかりだと言うのに、不思議と嫌悪感は伝わってこない。

 これが兄妹というものなのか……そんな繋がりの在り方を知らない早坂にとっては、とても奇妙で、とても羨ましい光景であった。

 

 

「だいたい会長なんて役職も、本当は柄じゃないんですよ。それなのに、周りに見栄張って、無理ばかりして……」

 

 きっとこの兄妹は、自分などでは想像もできない苦労を共に乗り越えてきたのだろう。だからこそ築いてきた深い繋がりがあり、愚痴や喧嘩などでは揺るがない絆がある。

 それこそ、母の不在など何の障害にもなり得ないほどに……

 

「………」

 

 そこまで考えて、脳裏に浮かんだ御行の横顔に、また胸に重いものが落ちる。

 

 本当に、そうなのだろうか。

 夫婦にとって、子は鎹なのだという。どんなに仲の悪い夫婦であろうとも、子供への愛情があれば、二人を繋ぎ止めてくれるのだと……。

 けれど()の役割も果たせず、千切り残された子はいったい何を思うのだろう。最も多感な思春期という時期、母に見捨てられるという現実が、なんの感傷(キズ)も残さないなんて……本当にそんなことがあるのだろうか。

 

 努力中毒とも言える御行の性格。自分を才能ある人間だと、「出来る」人間だと思い込まなければ自我を保てず、そのために常人を遥かに凌ぐ努力を重ねる彼の日常。

 ……けれどもしそれが、母に見放された過去に起因しているというのなら……。

 母の代わりを努める理由に、かつて鎹の役目を果たせなかった自責があるというのならーーー

 

 

「ハーサカさん?」

「っ、……ああ、ごめんなさい」

 

 知らず、暗い表情を浮かべていたことに気づき顔を上げる。心配そうな覗き込む圭の瞳。いつしか、彼女の口から兄への愚痴は止まっていた。

 

「……」

 

 早坂の気配を感じ取ったのか……あるいは彼女自身、なにか思うところがあったのか、難しい顔で口を噤む圭。しばらく何かを考えるように口籠もるとーーー

 

 

「ハーサカさんは、今のお兄ぃのこと、どう思いますか?」

「え……?」

 

 それは、先ほど自分が投げかけたのと同じ質問。 言い淀むように、瞳の奥に迷いのようなものを湛えたまま圭は静かに続けた。

 

「ああ。これも、別に変な意味ではないんです。恋愛面(そっち)の答えは、もうわかりましたから……ただハーサカさんには、今のお兄ぃがどんな風に見えているのかなって」

 

 思い馳せるような瞳が窓の向こう、雨がりに沈んだ街に浮かぶ車のテールライトを追う。

 

「お兄ぃは……この一年で随分変わりました。

 秀知院に入学した頃は、子息令嬢の子ばかりが通う学校の空気に馴染めず、鬱屈とした毎日を過ごしていたけれど……一年前、突然勉強に熱を入れ出したこと思えば、途方も無い時間を勉強に費やして、成績を上げていっては、学年一位にまで登りつめた。その学力を武器に、今度は選挙戦に立候補して……私達混院では到底無理といわれた、生徒会会長に就任しました。

 だけどそれは、私から見れば……周りに嘘をついた……とても無理をした姿です」

 

 両手で包むグラスの中、揺蕩うコーヒーの水面にじっと目を落とす圭。青い瞳には、その色を映し出すように、深い戸惑いの色が浮かんでいた。

 

「正直、私には今のお兄ぃが何を考えているか分からないんです。どうして……そこまで頑張ろうとするのか。

 初め生徒会長になった時は、『推薦状』目当てなのだろうと思いました。お兄ぃ、星の研究するのが夢だったから……」

 

『秀知院理事会推薦状』

 それは生徒会長の役職を一年間満了した者にのみ学園から送られる、世界中の有名大学や研究機関へのプレミアムチケット。もう1ステップ上の夢に進むための架け橋でもある。地位や資産といった後ろ盾を持たない白銀にとっては、これ以上とない褒賞だっただろう。

 

「……けど、それなら1年間務めればいいだけなんです。2年目まで続ける必要なんてどこにもない……。バイトや勉強で、只でさえ睡眠時間を削ってるのに、どうしてあんな激務を進んで引き受けようとするのか……」

「それは……」

 

 思わず口籠る早坂。彼女は知っていたから。彼がいったい何のために、会長の職を続けようと願ったのか。

 けれど圭にはそれが分からない。見えるのは、まるで今の地位に固執し、縋るように見栄を張り通す兄の姿。

 

「試験日が近づけば毎度のように徹夜して。自分で気にしてるくせに、目つきも悪くなる一方で……。若いうちの今は良いです、まだ無茶が出来るから……。けれどこの先、こんな生活を続けていたら、いつ身体を壊してもおかしくない。

 お兄ぃを突き動かしているものが何なのか……。どうしてそこまで頑張るのか。ハーサカさんならその理由を知ってるかと思ったんです」

 

 真っ直ぐに。請い願うような圭の瞳に、早坂は息を零す。

 

 

(ああ、やっぱりーーー)

 

 この子も、そう(・・)なのだ。

 

 かつて母を失い、残されることの哀しさ、淋しさを知っているからこそ……。

 大切な人が傍から居なくなってしまう恐怖、いつか遠くへ行ってしまいそうな兄の背中に、知らず怯えを抱いている。

 

 幼少の頃より共に育ち。兄が頑張る姿を誰より近く(そば)で見てきたからこそ、それを誇りにしたい想い。

 けれど本当は、そんなもの(・・・・・)に頼らずとも、兄がどんなに優しい人であるかを知っているから……『会長』でも、『母親役』としてでもない。ただ、ありのままの自分を、大切にして欲しかった。

 

 認めたい心と否定したい心。相反する二つの想いを抱え持つからこそ、次第に遠くなっていく兄の背中に、ずっと迷いを抱き続けて来たのだ。

 

 

 

(……ようやく、わかった気がする)

 

 彼女が、いったいどういう子なのか。

 なぜ私が、この兄妹の間に入り……二人のことを、もっと知りたいと願ったのか。

 

 

 

 

 

「ーーー大丈夫ですよ」

 

 カラン、と。溶けた氷が音を鳴らす。

 え……?と。顔を上げた圭の瞳に映ったのは、グラスを机に置き、宥め慰めるような優しい微笑みを浮かべるハーサカの姿だった。

 

「確かにあの人は見栄っ張りな上に意地っ張りで、自分の身を削ることを厭わない人だけれど。そこに溺れるような人でもなければ……圭さん、本当に悲しんでいる貴方を前にして、それを無視できるほど賎しい人でもない」

 

 そうでしょう?と問う瞳には、信頼よりもっと強い色が浮かんでいた。彼女は言う。(あなた)は、ただ そのままでいいのだと。

 

「周りがどんなに持て囃そうと、本人がどんなに無理をし、見栄を張り続けようと……貴方だけは変わらず、ずっと側で叱り続けてあげれば、あの人が自分を見失うことはない。 『本当の自分』を見てくれる人。知ってくれる人が居ることはーーーそれだけで、とても大きな救いになるのですから」

 

 まるで自分のことを思い出すように、深く、穏やかに続けるハーサカさん。

 ……何故だろうか。今までずっと話してきた仲だというのに、彼女とはまるで今初めて出会ったかのような錯覚を覚えた。そう……初めて、出会()たかのような。

 

「……でも…」

「大丈夫。辛くあたってる今でさえ、あの人の口から貴方の悪口を聞いたことは一度もありません。大切に想う気持ちは同じ。其れが出来るのも、世界でただ一人、貴方だけなのですから」

「……ーーー」

 

 唇をギュッと噛んで、顔を落とす圭。

 彼女の囁く言葉の一つ一つが、まるで降り落ちる雫のように、心に波紋を立てていく。

 認められたかのような嬉しさ。胸の奥にずっと抱えていた重く暗い影が、すっと溶けていくような気持ちに、知らず目の奥が熱くなるのを感じた。

 

 

「……でも本音を言うのなら、あんまり叱らないであげて欲しいかな」

「ええっ!?」

 

 それまでとは打って変わり、まるで逆のことをのたまう彼女に驚き顔を上げる。待っていたのは、クスクスと笑うとても楽しそうな表情。

 

「確かに御行くん人一倍見栄っ張りではあるけれど……それは、あの人が描く理想の自分像。いつか成りたい自分を目指す姿でもある。……だから、全てを頭ごなしに否定するのは、やめてあげて欲しいな」

 

『ファッキン 俺の演技は理想のスペック いつか本物になるためのステップ』

 

 いつか聞いたラップを思い出しながら、口元を綻ばせる早坂。

 

初めて逢った時は、きっと貴方も長くは保たないと思った。

自分を大きく見せようと、上手く見せようと演じるほどに、その()は重荷となって圧しかかり、元ある本当の自分の姿さえ歪めていってしまう。かつて、かぐや様に言い寄ってきた数多くの男たちと同じ、己で築いた城の瓦礫に押し潰されて行くのだろうと。

けれどーーー

 

『白銀……もう生徒会やるつもりはないって言ってなかったか?』

『そのつもりでした。だけど……一生に一度、根性見せる時が来てしまったみたいで』

 

貴方が何のために。誰のためを想い、会長の職を続けようとしたのか。優しくなりたいと願うことは誰に出来ても、そう在り続けることの難しさを、知っていたから。

 

 

(そう…ようやくわかった気がする)

 

 なぜ私が、圭をお茶に誘おうと思ったのか。

 四宮の遣いとバレるかもしれないリスクを負っていながら……強引にも御行の気持ちを確かめようとしたのか。

 

『私達 普通に仲良くなれませんか?』

 

 きっと私も不安だったのだと思う。

 なにせ私は……「ハーサカ」として。幾度となく彼を騙して来た人間だ。偽名を使って側に近づき、誑かし。かぐや様ヘの恋心を弄んでは、時に失恋られたことへの罪悪感を煽り、良心につけ込んだりもした。

 

 そんな始まり方だったから……

 

 ーーーううん。そんな始まり方だったけれど

 

 

『イエス、マイメン』

 

 

「その優しさは、演技なんかでは隠せない。

 平凡で、些細で、本当に何気ないものだけれど」

 

 

 どこか私と似た貴方だから

 

 初めて出来た、男友達だから

 

 

「そんなあの人だからーー救われている人もいるんですよ」

 

 

 囁き、微笑む彼女に息を飲む。

 おだやかで、麗らかで、慈愛の色さえ湛える彼女の表情は、圭がこれまでに見てきたどんな笑顔より、綺麗なものであった。

 

 

 ああ、この女性(ひと)だったら、きっとーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当に、送って行かなくていいの?」

「はい。もうすぐバスも来ますし……お兄ぃを差し置いて、私が先に家に連れていくなんて出来ませんから」

「?」

 

 降り続けていた雨も止み、濡れたアスファルトに街頭の光が淡く瞬く頃。迎えにきた四宮家の車を前に、二人は別れの挨拶を交わしていた。

 車の後部座席に座るハーサカは、サイドガラスを開け、見送る圭にまたお礼を言う。

 

 

「今日はありがとう。助けて貰った上に、色々お話もできて嬉しかった」

「私こそ。美味しいパイまでご馳走になって……アイ姉ぇの話も聞けて、本当に楽しかったです」

 

 アイ姉ぇと。あの後圭に懇願され、ハー姉ぇやスミ姉ぇでは語呂が悪いと、二人だけの時に限り許したその呼び方に、妙なくすぐったさを感じながらも、笑顔で答える早坂。

 

「ふふ…初めは緊張したけれど、友達の妹さんと話せるのが、こんなに楽しいとは思わなかったな」

「そうですね。私もーーー」

 

 出会ったばかりの頃を思い出し、笑いながら答えようとすると圭だったが、途中、表情がピタリと固まる。今何かおかしなフレーズを聞いたような

 

「え……友、達?」

「はい。大切な、友達です」

 

 迷いもなく、とても綺麗な笑顔で返すアイ姉ぇに思考が止まる。いつかお休みの日に会いましょう、そう彼女がそう告げると同時、車のエンジンがかかりゆっくりと動き出していく。サイドウインドウを開け、窓から顔を出したアイ姉ぇは、その姿が見えなくなるまで、ずっと笑顔で手を振り続けていた。

 

 

 ……後に一人、繁華街に残された圭。

 帰り路に急ぐ人々の合間、オレンジに輝く街灯を呆然と見上げ一人呟く。

 

 

「お兄ぃ……片想いじゃん…」

 

 

 

 

 数日後

 

 

 

「あれ。珍しいですね会長、そんなしっかりワックスつけてくるなんて」

「いやな、なんか最近圭ちゃんがオシャレしろって凄くうるさいんだよ。そんなんじゃ絶対に振り向いてもらえないぞとか……」

「なんでしょうね……。まあバッチリ決まってますけど」

「お、そうか。……ところで、四宮どこにいったか知らないか?急ぎで話し合わなきゃならん議題があるんだが」

「先輩でしたら、同じクラスの女子と一緒に、屋上に上がって行ってましたよ。えっと……名前なんていったかな…」

 

 

 

 

 

 

「それで早坂……釈明は?」

「いきなり呼び出してなんのことですか、かぐや様」

 

 寒風の吹きすさぶ校舎屋上。しかしそれにまさる怒気を湛え、かぐやはヒクつく笑顔で早坂へと詰め寄る。

 

「会長が最近になって突然オシャレするようになったことです。」

「……それが私に関係していると?」

「違うというの?」

「白銀会長だって年頃の男の子なんですから、身嗜みに気を使うのは当然でしょう。文化祭では外賓の方も招くのですから、今から外見に気を使うようになっても不思議なことではありません」

「……。じゃあ最近、会長から あなたがよく好んで使う入浴剤と同じ香りがするのはどうして?」

「入浴剤の香りだって、種類は限られてます。偶々似たもの手に取ることだってありますよ」

「そう……あくまで シラを切るというのね……」

 

 なら……と更に睨みをきかせ、懐から携帯を取り出すかぐや。

 それも、かぐやの私物とは違う。早坂がプライベート用に使っているうちの一つだ。私室に厳重に保管していたと言うのに、勝手に盗み出してきたのか。

 

「最近あなたのラインに加わった……この『K』って子。随分と仲が良いようだけど、いったいどこの誰なのかしらね?」

「それは最近できた新しい友達で……」

「ふぅん?アイ姉ぇアイ姉ぇって凄く慕われているのねぇ。貴方にそんな友達居たかしら?」

「………それは……」

「それとこの文章と顔文字の使い方。というかラインのIDやアイコンに至るまで、全部私の記憶にある『あの子』と合致するのだけれど、それも全て偶然?」

「………」

「こんなに一杯ライン通知………。私だってまだこんなにお話ししたことないのに……っ!釈明は早坂ぁ!?」

 

 

 

 

 

「最近圭ちゃん機嫌いいよねー。何かあった?」

「んー、そう?……凄く綺麗で、頼りになるお姉ちゃんができたからかな」

「ええっ!?誰それ、萌葉の知ってる人!?」

「ふふー、秘密ー♪」

 

 

 

 本日の勝利者 白銀 圭

 

「将来のお義姉さん候補獲得」

 

 

 

 

 

 

 

 




***あとがき***

さて何とか書き終えました本シリーズっ!

アニメが始まり漫画本編でもクライマックスとまさに今が最も旬!
白銀会長とかぐや様のお可愛らしさが。まさに全国民へと知れ渡るーーー!
というおめでたい時にもかかわらず、私は変わらず早坂さんの話ばっかり書いてます、はい。
可愛いからね、しょうがないね。

今作は、早坂さんと圭ちゃんが主役のお話。
本編での登場が少ない圭ちゃんを、どこまではっちゃけさせていいか。
口調なんかも大変悩みましたが、後半は悩み疲れて雑な感じになってないか心配。

テーマは『兄妹愛』…ッ!なんてことはなく、圭ちゃんとハーサカさんが顔合わせたら面白いだろうなーというほぼ見切り発車で始めてしまった本シリーズ。
ただ二人が顔合わせてちょっとアンジャッシュ的会話するだけの予定が、途中どんどん妄想が膨らんでいって、色々混ざって、ねるねるねるねで色が変わって……何この……なに?
隙あらばシリアス挟もうとする悪癖のせいでどんどん文章ばかり長くなって、その割に内容はあんまり膨らまない……
それを補おうと更に文章が増やして投稿遅れるという悪循環。ヤンナッチャウネーッ!

なので最期は若干押しが弱いかなーと思いつつもここで区切りとさせていただきました。
ここまで読んでいただいた方々には、本当にありがとうございました!
今後ますます多くの早坂さんssが増えるのを祈りつつ、締めとさせていただきます!
デュワッーッ!

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