SSSS.GRIDMAN うたかたのそらゆめ【完結】 作:カサノリ
・一人でも、走らなかったら死んでいた
記憶喪失。
自分が何者であるか忘れてしまう症状。そして、フィクションでありがちなプロフィール。そんなものが、自分に追加されるなんて、思ったことなかった、……はずだ。
だって、それは物語の主要人物とか、何かが用意されている人の属性。一方で、記憶はないままにも、自分が平凡でどこにでもいる人間だということは分かる。
朝、鏡を見てみた。身体はそこそこ鍛えられているけど、筋肉質じゃない。特別な傷跡があるわけでもない。鏡で見る顔もちょっとは整っていると信じたいけど、主演俳優みたいなイケメンじゃない。何かあるとしたら、預かり知らない肩書。けれど、そんなのメタな視点からでないと分からない。
誰かが俺のことを表現すれば、少しだけ趣味が変わっている、どこにでもいる平凡な少年だ。なんて、感慨なく表されるだろう。
そんな俺に記憶喪失。
不釣り合いだと思えてならなかった。しかも、
『思い出してくれリュウタ、君の願いを!!』
変な声まで、俺の中に住みついているなんて。
スーツ姿の容赦ない子供。ボラーという名前で、しかも男らしい、彼の家で目が覚めた朝。用意されていた朝飯はどんと箱詰めされたシリアルだった。贅沢言わないが、牛乳くらいは欲しい。
そんな、怪我人相手には酷いメニューが俺の初めての思い出。仕方なく口に運ぶが、かさかさと水分だけが持って行かれる感触と、感慨なく満たされていく空腹を感じるだけ。
彼がこの場にいるのなら、一言くらい抗議したかったが、助けられて家に留めてもらった身を考えると、言える筋合いは俺にはない。
幸いだったのは、それを食べるのに苦がなかったこと。死にたいほどに体が痛んでいたのは、昨日まで。朝になると、不思議と痛みがきれいさっぱり無くなっていた。
体をほぐすように体操して、背を伸ばし、手足を折り曲げ、引っ張って。少しの違和感はあるにはあったが、身体は問題なく動いてくれる。あの死にたいほどの気持ちも、落ち着いてくれていた。
昨日は、自分のことを、壊れたおもちゃのように例えたが、今は歯車が少し噛み合って、回ってくれていると表現すればいいのだろうか。
巻き付いていた包帯を取り除いてみても、下に広がるのは普通の肌。あれだけ痛かったのだから、酷い火傷でも広がっているのかと思ったけど、それもなし。怖がって損をしたと、肩を落としたり。
客観的に眺めた結果、健康体だと思える。
一点、記憶喪失という馬鹿げた状態を除いたら。
「とはいっても、好きなものは覚えているんだけど……」
そんな、今朝の出来事を思い返しながら考える。
名前は馬場隆太。高校一年生。好きなものはウルトラシリーズとサッカー。苗字を想像した瞬間に嫌な感覚をしたのは、何故だか分からない。
記憶喪失とはいっても、自分についての基本情報は覚えている。
名前も知らない、言葉も分からないなんて最悪の症状じゃなかったのは幸いだ。けれど、だからといっていいことは何一つない。
今の俺には思い出がないのだ。
さっきの自分の情報だって、他人のそれを本で読んだような。住んでいた家だとか、友達だとか、家族だとか、その場所でどんなことをしていたかも分からない。
自分なのに自分じゃない。ゲームを始める時に、『主人公はこういう人ですよ』と、ステータス表示だけを見せられたようで気持ち悪い。
(けど、一つだけ……)
息を吐いて、目を閉じる。
そんな俺でも覚えていることがあった。そのことを考えると、全てがあやふやな世界の中で、自分の心が確かになる。悲しくて、愛おしくて、大切なたった一つの大切なもの。
今も記憶の中で涙を流している女の子。
誰なのかはわからない。名前も思い出せない。それでも心の底から大事にしたいと。彼女のために、何かをするべきだと。しなければいけないことが、あったのだと。
魂があるのなら、それが訴えているのだろうか。彼女との出会いも何も思い出せないのに。
そして、
『思い出してくれリュウタ、君の願いを!!』
謎の声が聞こえたのも、彼女を想った時だった。
やけにカッコよくて、声優の人でも雇っているんじゃないか、と思えてしまう不思議な声。それが、頭の中から響いてくる。
きっと、原因は……。
「これ、だよな」
右手首を見る。付けた覚えのない巨大なブレスレット。今は包帯で隠しているそれは、いい年をしてヒーローごっこをしていると勘違いされそうな造り。
頭の声が聞こえるたびに『オモチャ』の宝石がピカピカと光っているのを見たら、関連性に気がつかないわけがない。それじゃあ、取り外せばいいと考え、試してはみた。けれど、お約束というのはこういうことなのだろうか。力をいくら込めても外れてはくれなかった。
そんな自分の状況は、
「……どこのウルトラシリーズだよ」
もう一度、肩を落として息を吐く。
謎の声に、かっこいいブレスレット。それは、俺が大好きだったのだろう、ヒーローや怪獣の姿まで明確に頭に浮かぶヒーロー番組にそっくりだった。
(でも、ウルトラシリーズでも珍しいパターンだな……)
ウルトラマンの多くは、変身者に力だけが渡されるか、もしくはウルトラマンが人間のふりをするかである。お互いが別人格で、頭の中にまで語りかけてくるウルトラマンって意外と少ない。少ない例の中で、勝手に声が聞こえる俺の現状は、ウルトラマンゼロとレイトさんの関係が一番近いだろう。
思い出も何もないのに、ウルトラマン知識だけは持ってる自分に呆れてしまうが、そうして状況を整理できるのはありがたかった。これで、声の主がウルトラマンゼロみたいに賑やかな性格なら、気もまぎれただろう。しかし、現実は非情である。何が性質悪いかというと、
『思い出してくれリュウタ、君の願いを!!』
「それしか言わないのは、勘弁してくれって!?」
何度も何度もそればかり。ノイズ交じりのカッコいい声なのに、壊れたラジカセ、あるいはbotのように同じセリフを繰り返されたら、たまったものじゃない。最初は一時間に一度くらいの頻度だったのに、今では気を抜くと、ひっきりなし。
それに辟易として、できることは声を気にしないように周りへと集中することだけだった。
蝉の声、青い空、その向こうの霧に隠れた怪獣。
思い出のない街を、俺は一人歩いていく。
せめて少しでも記憶が戻るように、ボラーの家から無断で抜け出してしまったのが数時間前。なぜかサイズが合う黒スーツが一式、用意されていたので、それを着て。
フラフラと、地に足がつかないまま。亡霊のように歩き回る。
そうしていると、街の中に知っていそうな場所も見つかる。それは例えばCDショップだったり、コンビニだったり。前を通ると『知っている』と納得するのだ。けれど、そこで何をしたか、誰と一緒だったかはてんで思い出せない。
平凡なのに、奇妙な街。極め付けは、
「……あの怪獣、何なんだ」
歩道橋に上り、霧の向こうの怪獣を見る。
正統派の恐竜っぽい見た目。ゴモラみたいな大きな姿。霧に包まれているが、雲の見間違えなんかではない。動いていないのは、眠っているのだろうか。
不思議なことに、怪獣を認識しているのは俺だけだった。街行く人を引き留めて、指摘してみても、怪獣が見える人は誰もいない。
怪獣が好きだから、もしかしたら幻覚でも見えているのかな、なんて。それにしては、何度も見ても形は変わらない。頭に鳴り響く声と同じ、俺の身に起きている異常事態。
怪獣。
ウルトラシリーズに代表される、日本特撮の主役の一つ。人間ではかなわない、理不尽の権化。街を踏み潰し、人を殺す暴力の塊。そして、物語を動かす舞台装置。ヒーローの敵役。
「けど、俺は怪獣も大好きだった……」
ウルトラマンよりもこだわりが刻まれたデザイン。多種多様な動きに、物語。怪獣は、確かに敵役だけど、彼らがいないとウルトラマンは活躍しない。倒されてほしいと願ってもキャラクターは好きだった。
今もそうだ。思い出はない。なのに、怪獣やウルトラマンの活躍ははっきりと知識がある。
それを見てどれだけ感動や興奮を覚えたかは知らない。どんなシチュエーションで見たのかも知らない。でも、彼等を思い浮かべるだけで、新しく喜びと感動が生まれる。なんてことはなく、俺は今、この瞬間にもウルトラシリーズを好きになっていく。
理性的に考えれば、馬鹿みたいなオタクぷり。もし俺がまともだったら、あの怪獣を見て、楽しんでいたに違いない。
けれども、今、そんなことはできなかった。
怪獣から目を離し、ありふれた街を眺める。
怪獣に囲まれた、知っているけど、知らない街。何もかもに見覚えがありそうで、何もかもに思い出がない。そんな街は……、どこか作り物のように感じられた。下手をすれば、怪獣の方が親しみを持てるほどに。
卑屈な考えが頭をよぎり、喉の奥が詰まって嫌な味がする。
記憶喪失も嫌だ。思い出がないのも嫌だ。
何より、
「さみしいな……」
誰のことも知らない。誰も傍にいてくれない。世界にたった独りぼっちみたいな、酷い孤独。何もかも分からないことだらけで、帰る場所もない。寂しくて不安で、どうにもならない気持ちが暴れてしまう。
今、俺に残された唯一の知り合いと言えば、あの変な子供くらい。けれど、
「……ボラーが帰ってこないと、あの家にも入れないし」
ドアはしっかりとオートロック。そりゃ鍵も置かずに出かけるはずだ。結局、彼も俺のことを警戒していた。もとよりお呼びではないのだと突きつけられて、なおさらにさみしさが深まっていく。
だから、こうしてさびれた歩道橋で、弱虫な子供みたいに呟くしかない。
せめて、知りたかった。
「俺は誰で、誰が知り合いで、どんな学校に通って。……あの子は誰なのか。それに、」
『思い出してくれリュウタ、君の願いを!!』
またも聞こえる声。さっきよりもボリュームが大きいそれに我慢できず、俺は言い返す。
「お前は、誰なんだよ……!!」
いい加減にしろと。自分の不確かへの苛立ちと、彼女への正体不明の後悔と、自分に降りかかる理不尽の全てを込めて。そんな文句に反応したように、頭の中でノイズが走り……。
『私の名前はハイパーエージェント、シグマ。この世界に危機が迫っている!!』
瞬間、音が聞こえた。
「……は?」
続く、爆発音。
崩落。
悲鳴に、サイレン。
飛び上がるほどの地響きがセット。
思わぬことに驚き、顔を上げて。俺は呆然と視線を一点へと向ける。身体を震わせ、思考を停止させながら。
「怪、獣……」
その先に、あの霧の怪獣と違う、現実に暴れまわる怪獣がいた。
銀色ボディの恐竜みたいなフォルム。ディテールはメカっぽい。無機物と有機物の融合で生まれる、アンバランスな魅力は、怪獣オタク的には評価ポイント。そんなウルトラシリーズでも見た特徴を有しつつも、オリジナルな怪獣が、今まさに街を破壊し始めている。
しかも、ただ暴れているわけじゃない。怪獣の腹、そこに突起物が形成されて発光と共に細長いレーザーまで発射された。空の彼方まで伸びていく、長い、長い、白金の光。それが街に降りると共に、ドミノのようにビル群が倒壊していった。
風は、此処まで届いてくる。
「はは……」
怖がるではなくて、逃げるではなくて、思わず笑ってしまう。昔の俺は『もし現実に怪獣が現れたなら』なんて、考えたこともあったのだろうか。これだけ重度のウルトラオタクだ。そんなこと考えてもおかしくない。
それとも、こんな怪獣がいることが、俺の日常だったのだろうか。だったら、よく俺は怪獣が好きになったな。こんなに怖くて、死んでしまいそうなほど恐ろしいのに。
なあ、俺ってどんな世界に生きていたんだ?
異常事態なのに、俺ができるのは自分のことを考えるだけ。たった一人でいつまでも、泣き言を吐き続ける弱虫。
生きようとするべき体は、足を動かそうともしてくれない。
それでも、俺を置いて世界は勝手に動いていく。
「……っ!?」
遠く離れた怪獣に弾き飛ばされて、大きなビルの破片が、近くの民家に着弾した。砂ぼこりと飛沫をまき散らしながら、テレビの音が聞こえなくなる。あの民家の中身がどうなったかなんて、想像するのも恐ろしい。
破壊の手は止まらない。街の各所から火の手が上がっていく。溶けたビルが、人の上にかぶさっていった。きっと、彼か彼女かが消えていく。動いても動かなくても、ビームの射程だ。
今、この世界の主役はあの怪獣。
そんな物語の中で、多くのモブキャラが踊り狂って、泣きわめいて、なんでもなかったように消えていく。
『あの時のように』。俺もただ、彼らのように怪獣に怯え、蹂躙されるだけ。
だって、
「……そうだよ、俺はヒーローじゃないんだから」
ぼんやりと漏れた声は、『彼』に届くはずもなかった。
光が瞬くと共に、この世界へと巨人が降り立つ。
様になるポーズのまま、飛び蹴りを怪獣にお見舞いする、赤と銀の巨人。記憶の通りにヒーローみたいな姿。
ビルに軽やかに着地した姿は、ウルトラマンと同じく、男のロマン心を刺激するほどに凛々しく、かっこいい。けれども、ウルトラマンと比べると、鎧を着こんでいるような。
知らないはずなのに、知っている。頼りになるヒーロー。そんなヒーローがこの世界にいるのなら、
「だったら、俺は必要ないだろ。もう、勘弁してくれよ……!!」
吐き出す言葉は、もう自分でも意味が分からなかった。なんで、そんな台詞が出てくるのかも分からない。こんな変な人生を押し付けた誰かへと、泣き言を叫びながら。俺にできるのは頭を再び、柵へと押し付けるくらい、ちっぽけに憤りを表すだけ。
記憶喪失なんて主人公属性を持っても、俺は主人公になれる人間じゃない。ヒーローになれる人間じゃない。一人であの怪獣に立ち向かったり、誰かを助けられる気持ちを持ち合わせていない。
新しい破片が歩道橋の下に突き刺さった。
髪を揺らす爆風に従って、小さな破片が俺の頬を切る。
頭痛がする。
吐き気がする。
よく分からない怪我を負って。
よく分からないまま記憶を失って。
よく分からないまま街をさまよって。
よく分からない声がとりついて。
とても大切な女の子も助けられなくて、名前も思い出せなくなって……。
ふと、影に包まれた。
見上げると、頭上に大きな瓦礫が頭上に迫っている。今から走っても、きっと、間に合わない。あの大きさなら、そのまま下敷きになって俺は死ぬ。取るに足らないモブキャラには当然の結末。
そう思った時、スローモーションの世界の中で、俺は不思議な感覚を得た。
(……また、ああなるのかな)
いよいよもって意味の分からない、妙な既視感。
カチリ
瞬間、一つ、散らばっていたパズルが組み合わさる。
浮かんだのは、光の記憶だった。光の中で、自分という存在がバラバラになっていった、朧げな最後の記憶。けれど、思い出したからってどうということはできない。他の誰かと同じように、モブキャラのように死んでいく。諦めと、それが当然だという情けない気持ちが溢れそうになった寸前に、
『リュウタ君』
「……っ、嫌だ!!」
踏みしめる足に、力が籠もった。
嫌だ。
それだけは嫌だ。
自分に確かなモノなんてない。記憶も、身体も、何もかもがあやふやだ。何が本当かも分からない。こんな独りぼっちの自分なんて大切だとも思えない。
けれど、それでも。死んだら、この気持ちが消えてしまう。あの子のことが大切だという気持ちだけは、それだけは。
(失くしたくない……!!)
彼女が何者なのかも知らない。
それでも、俺はあの子と会いたかった。会って、話をして、好きなものも嫌いなことも知ってみたかった。笑って、泣いて、一緒にこの世界で生きてみたかった。
勇気や、度胸や、正義感みたいなヒーローの資格なんて持ってない。それでも、あの子の笑顔を見たいって気持ちだけは、きっと本物。
だから、それを叶える方法があるのなら。
『リュウタ! アクセスフラッシュだ!!』
必死な声に従ってでも。
「アクセス、フラッシュ!!!!」
俺は、何にだってなってやる。
いつだって、彼の原動力はそこだった。