SSSS.GRIDMAN うたかたのそらゆめ【完結】 作:カサノリ
特別な一日は、出会いは、なんでもなくやってくる。
それは例えば、響裕太が、怪獣少女と出会った日。宝多六花が怪獣少年と再会した日。そして、内海将が、降ってわいた機会に、一世一代の勝負に出た日。
この特別な一日は突然にやってきて、選択を迫った。
一歩を踏み出すか、踏み出さないか。
何気ない一歩。それが、後の大きなきっかけとなったり、世界の見え方すら壊してしまったり、中には、大きな後悔を呼び込むこともある。
三者三様の出会いと、きっかけが訪れた、この日。
偶然にもその日は、馬場隆太という平凡な俺にも、容赦ない選択を迫った。
じわじわと蝉の声に曝されながら、俺は独りで街を歩いていた。
太陽を照り返す無機質なビル群。にもかかわらず、霧は依然として街を取り囲んでいる。
何事もないように、通り過ぎていく街の人々。一人一人に生活があるはずなのに、ふと見た時に、その顔がのっぺらぼうに見えた。
歩みを進めると、熱を感じて。頭を振って、目を開け閉めすると、街はあの燃え盛る森に変わっていた。
(違う、これは現実じゃない)
もう一度、目を閉じて、開ける。
森は幻だった。けれど、燃えているのは変わらなかった。街が、俺自身が燃えている。炎に取り囲まれて、末端から炭と化し、崩壊していく馬場隆太という人間。
じわじわと浸食されていく炎に、頭まで塗りつぶされそうになって――。
「……っ!」
べたな物語のように、俺は汗を垂れ流しながら起き上がった。
なんて悪夢だ。夢なんて、記憶喪失になってから、めったに見ないのに。息を整え、周りを見渡す。
(こんなところで、寝ていたら、悪夢でも見るか)
目を覚ましたのは、公園のベンチの上。そうだった。突然の眠気に、少し休もうと考えたんだ。時計を見ると、もう小一時間は経っている。いつの間にか木陰だったベンチには、陽光が差し込んでいた。それが熱と共に頭に直撃していたのだから、炎に囲まれたのも納得だろう。
とはいえ、悪夢の原因は、それだけとも思わなかった。
何かがおかしい。
森でアカネさんを助けたあの日から、そんな予感が頭の隅にこびりついている。
記憶喪失になって、両手の指じゃ数えきれないほどの日を過ごし、戦いと出会いを繰り返してきた。その日々の中で何度もアカネさんを想い、少しずつ記憶の輪郭に迫っている感触もある。
けれど、
『もう終わり』
彼女に名前を呼ばれた時から、これでパズルのピースはすべてだと、そう言われている気がする。あのカチリと言う音さえ、ここしばらくは響かない。
これまでは、細かい断片になっていた俺と言う存在を、少しずつ集めては、はめ込みなおしてきた。バラバラになった一つの絵を、物陰に飛び散ったピースを探しながら復元していた。抽象的だけれど、そんな表現が似つかわしい気がする。
そして、新条アカネと言う大切な人を中心としたピースは、既に集め終えている。
彼女への恋慕も、守りたいという使命感も、様々な思い出のきっかけも。全部、もう、俺の中にはある。
(じゃあ、どうして記憶が戻らないんだ?)
それが分からない。
もしかしたら、その集め終えたという実感が勘違いで、単に頭がおかしくなっているだけかもしれない。なら、本格的に病院の出番かと不安に駆られたが、今さらだ。
だから、最初に逆戻り。
俺は、バイトの時間を除けば、日がな一日、街をふらふらと彷徨う記憶喪失者となっていた。
痛む頭を撫でながら、俺は公園を後にする。どこに行くとしようか。街なら、まだ見たことがない場所もある。ツツジ台はでかく、一人の足で回るには時間がかかっていたから。
迷って、気まぐれに足を進めたのは、街はずれ。
どこか寂しく、人も少ない、廃れた場所だった。一軒家はどれも、生活している様子はなく、誰ともすれ違うこともない。日が傾くには早すぎるのに、カラスが一声を鳴らしながら頭の上を飛んでいく。
「いや、いくらなんでも」
あんまりな寂しさに、苦笑いを浮かべた。ウルトラマン的な超直感で呼ばれたならともかく、適当に来た場所で、何を思い出す気だったのか。
けれど、来たからにはもったいなく。小一時間ほど歩き回って、最後は、サイレンを流す踏切の前で足を止めた。
(ここを抜けたら絢にでも戻るか)
諦め、妙に長い待ち時間を、足で地面を叩きながら過ごしていると、
「ん?」
横を向く。小道を挟んで向かい側、同じように踏切が上がるのを待っている人影があった。目を引いたのは、少し様子がおかしかったから。髪はぼさぼさで、元は立派そうなスーツも擦り切れだらけ、何も持たないで、ふらつきながら踏切を見つめている。
普段なら、気に留めないで、離れるはずだったのに、そうするわけにもいかなくなったのは、数秒後。
電車がやってきた。霧を突き抜けて、軽快に。それが通り過ぎれば、俺は踏切を超えて、元居た場所へと実りなく戻るだけだったのに。
「……は!?」
男が、勢いよく踏切の中へと飛び込もうとした。
おいおい、ちょっと待て。こんなの、怪獣に遭うよりも、よっぽど肝が冷える。よりにもよって、目の前で血みどろの惨劇なんて見たくはない。
だから、足に力を込めて、この間のように人間離れした脚力で、馬鹿を考えた男を踏切のこちら側へ引き倒した。
「き、君?!」
勢いに負けて、男がアスファルトに頭を打つ。ついでに目を白黒とさせながら俺を呆然と見上げるが、構うもんか。
アンタの事情なんて欠片も知らないし、助ける義理とか、今後の人生相談を受ける気なんてサラサラない。それでも、アカネさんがヒーローなんて呼んでくれている中で、死人が出るのを見過ごす気になれなかっただけ。だから、男をこのまま警察にでも連れて行って、さっさと帰るはずだったのに。
「り、」
「ん?」
「隆太……?」
思っていた以上に若々しかった男の一言が、そうはさせてくれなかった。
「ありがとう……」
俺が渡したペットボトルを受け取ると、男は軽く頭を下げた。俺は、腑に落ちない顔で、こぶし二つ分を空けて、彼の隣へ座る。踏切から少し離れたところに、バス停があったので、そのベンチを使わせてもらった。
男はペットボトルのふたを開けると、一口を含み、大きく息をつく。ついさっきは飛び込みを画策したのに、今は落ち着いているようだった。
なら、質問をしても許されるだろう。
「あの、さっきのこと、聞いても?」
この人が俺の名前を言ったことについて。
状況は少し複雑だ。この人が、言葉の通りに俺のことを知っているなら、知人第一号。記憶を取り戻すきっかけになる。だが、その後に呟いた不穏な一言が、大きな不信感となっていた。
『ちがうか……。あいつはもう……』
死んだ、と。
男は言う。男が知っていて、俺とそっくりで、ついでに名も俺と同じな『隆太』と言う彼の弟は、もうこの世にはいないと。
生きている俺に対して、なんて言い草だと思う。残念なことに、俺にも、目の前の男へ既視感が存在しなければ、妄言を言っているからと去っているところだ。
(しかも、アカネさんと違って、この人へは)
嫌悪感。
初対面と断言できない、その強い感情があった。弱り切ったやせぎすの男へ、なぜか同情なんて存在していない。なので、俺はなるべく感情を表に出さないようにしていた。
「その……。君は本当に、馬場隆太じゃ、ないんですよね」
「はい」
少なくとも、死んでいる彼の『馬場隆太』は、俺が生きている限り、別人だ。嘘じゃない。
そのぶっきらぼうな返答を聞き、男は残念そうに肩を落とすと、ぽつりぽつりとつぶやき始めた。俺へ向けて話すというより、溜まった澱を吐き出すような、そんな調子だった。
「ですよね……。弟は、死んで、俺が埋葬したんだから。もう、一年も前に」
「弟さん、だったんですか?」
「まあ、ええ。もう何年も会ってなくて、仲は最悪でしたが。……たった一人の肉親でした」
男は馬場隆一という名だそうだ。
一年ほど前、務めていたアメリカから帰ってきて、それ以来、ふらふらとしていたという。それが、とうとう限界に達し、いっそ死んでしまおうと思った、というのが先ほどのこと。昔はバリバリのビジネスマンをしていたそうだ。
今の落ちぶれたそのままの姿からは、信頼できない情報。だが、えらく長い調子で、そんなパーソナリティを語っていくから、作り話とも思えなかった。疑おうと思えば疑え過ぎて、怪獣の擬態にしては不出来だし。
「俺は、東大を出て……」
「あーあー、もう、そのあたりは別にいいんで。あの、俺に似てる人のことを」
さっさと件の馬場隆太へと話を進めて欲しい。そう言うと、男はきょとんとして、頭をかき、話を変える。
俺は黙って、それを聞くことにした。
不快感は変わらないまま、それでも、聞かなければいけない気がしたから。
「そうでした、ね。弟は、隆太は……。なんて言えばいいのかな。俺には、よく分からない奴でした」
男が語る。
馬場隆太は、ウルトラマンオタクだった。
もちろん、男も子どものころはウルトラマンを人並みには好んでいた。年が離れた幼い弟が、年相応に見ていたころも、それを馬鹿にするほど、意地が悪いわけではなかった。
ただ、
「正直に言うと、うちの家は問題だらけで。
親父は警察官だったんですよ。そう言うと、小学校のころは友達がかっこいいなんて言ってくれたものですが、実際は、まともに遊んでもらった記憶もない。仕事人間。それが親父の正義感っていうなら納得もいくけれど、そんな様子もなくて」
単に、人を救うでも、悪を懲らしめるでもなく、仕事をすることが好きだった。
そんな父親と。
「で、母は。……初対面の君に言うのも変だけれど、浮気の末に家を出ていったんです。隆太が生まれて、幼稚園に入った頃にはそういうことをしていたそうで。今思うと、親父も黙認していたんでしょう。
けど、二重生活に耐えられなくなったのか、他の事情ができたのか、弟と俺を置いて、母は突然、姿を消しました」
その後、父親も過労死。家族は兄弟二人になった。
特別な事情と言えば、事情だ。
けれど、そんな話、今の世の中にはいくらでも転がっている。それが当たり前になった世の中をどう思うかは別の話で、単にどこかの馬場家の子どもたちは、親からの庇護をあまり受けられる環境になかったというだけ。
「弟との間に、距離ができたのは、そのくらいですかね」
男は、弟がいつまでもウルトラマンを卒業しないことへ、違和感を感じた。
「俺は、あいつよりもだいぶ年上で、大学も順調だった。そのころになっても、中学生になろうって時なのに、隆太はまだウルトラマンを見ていた。
なんて子どもっぽい奴だって、俺にはあいつが理解できなかった」
だって、ウルトラマンは子どもの見る物だ。
造形やドラマには、子ども顔負けのものがあるという。それはそれで評価しても、成長した男が『いけ! ウルトラマン!!』だのと応援をしたり、おもちゃをせっせと集めるものじゃない。
「……うちのウルトラマン、最初は親父のお古だったんです。というよりも、祖父が、俺たちが生まれる時に、張り切って色々と買ってたものを、捨てるに捨てられなかっただけという話で。祖父も、俺が小さいころに亡くなったから、形見のつもりだったんですかね」
それが父の形見になり、弟がじっと見ている。
大きくなるにつれ、マニアやオタクと呼ばれるほどにのめり込み始めていく。
「俺が変えてやらないと。そう思いました」
だから、弟が中学へ進学するとき、男はウルトラマングッズをすべて捨てた。
「ガラクタを捨てたら、弟だって、まともな趣味ができると思ったんです。俺は、卒業後は海外へ行くつもりだったから、それまでに独り立ちさせないとって」
俺は、その話を黙って聞いていて。
ぶん殴ってやろうと思った。
手に力がこもり、汗がにじんだ。その『馬場隆太』の気持ちが乗り移ったように、目の前の男への気持ちが、ともすれば殺意のような存在へ変わろうとしていた。
今の自分は、人間離れした力が出せると知っていても、この勘違いした馬鹿へと一発加えてやらないと気が済まないと思い、それが実行されようとして――。
「でもね、」
男が、
「俺が、悪かったんですよ」
涙を流しているのを見て、何も言えなくなった。
「弟が死んだという話を聞いて、日本へ戻ってきたんです。
俺がおもちゃを捨ててから、連絡は途絶えていて。それでも、あいつはあいつなりに生きていけると思っていました。金は渡していたし、サッカーもしていたとは聞いていたので」
「でもね、あいつが死んで、部屋を見たら、ウルトラマンと怪獣だらけだったんです。きれいに集めて、並べてて。だいぶ切り詰めないと買えないのに、BD-BOXまで。あいつは、ほんとにウルトラマンが好きだったんだと、その時に気づきました」
男は主がいなくなった弟の部屋で、ウルトラマンを見た。
何日もかけて、見てみた。
そして、
「目が曇っていたのは、俺の方でした。俺は、たぶん、ウルトラマンを好きにはなれないけれど、大人でも子どもでも関係なく、好きになる人はいると、思えました。弟は、別に親父の形見だから執着したとか、子どもっぽさが抜けなかったとか。そんな理由じゃなかったんですよ、きっと……」
男は涙をこぼしていく。
今になって、何を後悔しようというのだろう。
その『弟』は死んで。それが死んだ理由でなくても、弟が大切にしていた物を丸ごと目の前で壊した分際で。
殴りはしなかった。
ただ、俺も、涙が流れて仕方なかった。
気が付けば、男の胸倉をつかんでいた。唸り声が、俺の口から洩れていた。
「……その時の、弟の気持ちが分かるか?」
「き、君は……?」
ああ、分かんないだろう。なんで、俺が怒っているのかなんて。でも、その、死んでしまった『馬場隆太』の分も、俺はこの兄貴に気持ちを伝えずにはいられなかった。
「好きなんだから! ただ放っておいてくれればそれでよかった!! 別に、理解してもらおうとか思ってねえよ!! いまさら、一緒に観てくれとか、そんなことも求めねえよ!!
でも、それを、否定して欲しくなかったんだよ!!」
分かっていたよ。
ウルトラマンが子どもの物だってことくらい。
きっと、世間には公にしづらい趣味だってことくらい、中学生にもなれば、同級生の反応からでも察しはつく。
それでも、好きだった。ウルトラマンが、怪獣が、そして人間たちのストーリーが。たまらなく好きだったし、嫌いになんてなれなかった。だからこそ、男のしたことは、許せなかった。
「俺に! ウルトラマンを最初に見せたのは!! 兄貴だったんだから!! そんな、裏切るようなこと、してほしくなかったんだよ……」
その後、『馬場隆太』がどうなったかは分かる。
大して変わらなかったさ。
ウルトラマンが好きなことは、肉親に否定されても、変わらなかった。
けれど、決して、表に出そうなんて思えなかった。目の前で、自分の夢のヒーローたちが、ごみと一緒に巻き込まれ潰されていく様を見て、赤の他人と、その趣味を共有しようなんて勇気はなかったから。
嘘の趣味で取り繕って、年頃に話を合わせて。それで、ひっそりとウルトラマンを一人で見る。
偶然、同じ趣味の、大切な人を見つけるまでは。
その人が、自分の弱いところを見ても、離れないと思えるまでは。
(だから、俺は――)
けれど、もう、いい。
この人に話すことはない。この人に言いたかったのは、『その時』のことだけだから。その後は、俺と『あの子』の話なのだから。あの時、縁を切った、兄貴には言いたくなかった。
「ほんとに、君は……?」
馬場隆太じゃないのか?
男が戸惑いながら言う言葉に、俺は無感情に答える。
「違いますよ。俺には、あんたみたいな優しい兄貴はいなかったんだから」
きっと、馬場隆太が生きている間は、兄貴は考えを変えることなんてなかったから。だから、この人は、俺の兄貴じゃない。俺も、この人の弟なんかじゃない。
そう言って、俺は男と別れた。
何事かを言いたげだった男を、一人残して、どこともなく、足早にかけてしまった。
(なんでだよ、神様)
記憶が戻る時っていうのは、きっと劇的な何かが待っていると思っていた。
アカネさんを庇ったときとか、シグマと一緒にラスボスに立ち向かうときとか。そんなクライマックスにふさわしい何かが待っているんじゃないか、なんて。その先に素晴らしい未来が待っているんじゃないかって。
それが、こんな。大嫌いだった。憎んでさえいた兄貴との出会いなんかで戻ってほしくはなかった。
俺にはアカネさんがいれば十分だったのに。アカネさんが傍にいてくれれば、最後は他の奴らだって見捨ててもいいとさえ思えていたのに。
それじゃダメだと、無責任に説教する気だろうか。
あんな憎い兄貴でも、憎い家族でも、殺したいほどの母親でも。俺という人間を取り戻すには必要なピースだったとでもいうのだろうか。
何より、そうして戻ってきた記憶の中身は、俺を幸せになんて導いてくれなかった。ただ、俺という人間がどれだけ愚かで、間抜けかを思い知らせただけだった。
それがどうしても許せなくて、納得できなくて。
「ハァ、ハァ――、は」
息が切れ、ぐちゃぐちゃになった頭が処理した映像は、ツツジ台高校だった。
どんなルートで移動したのかも、覚えていない。ただ、誰かを追い求めていたことは、分かっている。だって、その人は目の前にいるから。
夕暮れの校庭。
彼女と同じ名前の景色。
他に誰もいないのに、彼女は独り、真ん中でボールを蹴飛ばしていた。
俺は、ふらつきながら彼女へと近づく。
「あ! リュウタ君」
アカネさんが俺の名前を呼ぶ。
そのことに、涙がこぼれそうになるけれど、必死に我慢して、笑顔をつくって手を振った。
「あれ? 大丈夫? 何だか顔色おかしいけど?」
「――うん。大丈夫。それよりも、アカネさんは、どうしたの?」
こんな制服にスカート姿で、サッカーボールなんて蹴飛ばすものじゃないだろうに。それに、アカネさんは運動苦手だったでしょ。サッカーだって、結局教えてあげられなかったから。
「んー。ちょっとね、気分転換したくて。それで、サッカー部が忘れていったボールがあったから、蹴ってみただけ」
「上手く蹴れた?」
「だーめー! ボールって固いし、変な方向に飛ぶし、つま先痛いし! なんで男子がこんなので遊んでいるのか、意味わかんない」
ぶーぶーと、口をすぼめてアカネさんは素直な言葉を告げていく。
「あー、だよね。これ、けっこうコツがいるから」
駆け足で、ボールを拾って、アカネさんの傍まで戻ってくる。それを足元に引き寄せて、軽く上へと上げると、後はリズムよく。下手に力を入れるよりも、ポンポンと力を逃がし、コントロールする方が大事だ。
一回、二回、三回。十回を超えると、もう、こちらのもの。膝を超えない高さでリフティング。すんなりと百回は越えられるだろう。だけれど、そんなテクニックがあるところをアカネさんが見ても、つまらないだろうから。
少し力を込めて、高く空へと。
落下の予想地点と、助走のつけ方は、慣れたものだった。
アカネさんが驚くように目を見開く。せめて、彼女にはカッコいいところを見せたくて、いつもより足は大きく振り上げた。
「ふっ!!!」
インフロント。無回転。
空気を弾む、小気味いい音を伴って、ゴールの真ん中が大きく揺らされた。自分で言うのもなんだけれど、良いシュートだったと思う。
後ろから、パチパチと気の抜けた拍手の音。アカネさんは、何だか楽しそうに手を叩いている。
「すっごーい! なーんて、褒めてあげればいいの?」
ちょっとひねくれた言い方だけど、気を悪くしている様子はなかった。そんなアカネさんへ、拾ったボールを軽く転がす。
「ありがとう。さっきのだけど、足の先で蹴ると、傷める原因になるし、コントロールも効かないし。……こういう感じで、足を横にしてみて。それで、そこに当てる感じで」
「なんか、変な感じ」
「インサイドって言って、パスとかする時の基本の形。ほら、試しに蹴ってみて?」
アカネさんは俺と、ボールを見比べて、息を吐きつつ、ボールを軽く蹴飛ばす。さっきの変な方向へ飛んだキックと違って、弱弱しくも、俺の方向へと真っ直ぐ向かってきた。
赤い瞳が、興味深そうに見開かれる。
「へー」
「うん。きっと、ちょっと練習したら、しっかりしたシュートも撃てるんじゃないかな」
「別に、私はサッカー上手くなくていいんだけど」
「まあ、そこは興味持ったらってことで」
言うと、アカネさんは微かに笑い、俺のすぐ近くまでやってくる。
「ねえ。サッカーより、君の方が興味あるんだ」
「俺?」
「まだ、記憶喪失なの?」
「……そうだね、まだ、何も思い出せない」
彼女はじっと俺の眼を見つめながら、唐突に話を変える。
「実はね。私、今日、告白されたんだ」
「……そ、それで?」
「ん? 気になる?」
「え、えっと、それは、そうだ、ね」
「どうしよっかなー。って、もう、そんな顔しないでよ。フっちゃった」
あっけらかんと。
「同じ趣味だけど、たぶん解釈違いだし。それはそれで、知りたいこともあったから、試してみるのも良かったけど――」
なんで、そのことが、俺への興味につながるのか分からない、と。俺が少しの訝しさを向けていることに、彼女は独白しながら、気づいてはいないようだった。
「なんかね。告白された時、君のこと、考えちゃったんだ。で、そんな気にもなれなくて、断ったの。
……おかしいよね。君と会ってから、そんなにたってないのに」
「……」
「ねえ、私のこと、好きでしょ?」
それくらい、お見通しだぞ、と言いたげな眼差し。
俺は、静かに頷いて、素直に答えた。
「うん。好きだよ」
恥も、照れもなく、言葉はすんなりと口を出ていく。
「やっぱり! この間とか、もしかしたらって思っていたけど! けっこう、女の子ってそういうの敏感だから。リュウタ君も気をつけなきゃダメだったのに!」
上機嫌で、楽しそう。そんなアカネさんを見ていて、俺はまた、泣きたくなる。
「なんでなんだろうね? 最初に会ったときから、なんか君は特別な気がしてて。でも、知り合いじゃないし。で、色々話して、君は私のこと、イライラさせないって分かって、何だか頼もしいなーとか、面白そうだなって思って。
だから――」
「私と一緒に、来ない?」
嬉しかった。今すぐに抱きしめたくなるほど嬉しかった。
でも、そうすることは、できなかった。
「俺は……。うん、すごい嬉しい。ほんとに、泣きたいほど嬉しい」
君は大切な人で。大好きな人で。
俺に何の事情もなければ、一も二もなく頷いていたはずだったのに。
「じゃあ……」
「でも、もうちょっとだけ待ってて」
「……断るの?」
「違うよ。今は、少しだけ、やらなくちゃいけないことがあって。きっと、すぐに終わらせるから」
その時に、もう一度。
「俺から、アカネさんに言うよ」
「今じゃなきゃ、断るかもしれないよ?」
「そうならないように、精一杯努力する」
アカネさんは、それを聞くと、目を細めて、零すように笑う。
「ハードル上げすぎ! じゃあ、ちょっとは楽しみに待とうかな?」
言うなり、気まぐれな神様のように、彼女はスキップをしながら夕日の校庭を後にする。俺はただ、黙って彼女を見送るしかなかった。
「ああ――」
どうしてだろう。
君は、また俺を求めてくれたのに。なんで、断らなくちゃいけないのだろう。アカネさんのことは、こんなに好きで、愛していて。……君が何者かを知っていても、ずっと大切な人なのに。
アカネさんが、ただの女の子なら。怪獣使いでなければ。いや、
「馬鹿だな、俺」
そんな理由で、彼女を拒絶するのだろうか。それは、俺と彼女の間を隔てる理由になるのだろうか。考えても、答えなんて出ない。なんで、ここまで複雑な事情になっているのだろう、と笑えてさえくる。どうして、どこにでもいる、ちょっと変わった趣味のカップルでいさせてくれないのだろう。
「ほんとは、告白なんてしなくてもいいんだよ?」
だって、俺たちは恋人同士だったんだから。
毎日一緒にいて、抱きしめたり、キスしたり。デートも何回も行った。高校生が何を言ってんだって思えるかもしれないけれど、将来も一緒にいたいとさえ思っていたのに。
君は、何も覚えていない。
それが虚しくて、消えてしまいたかった。
「俺は、君の怪獣に殺されてるから。そこだけは、忘れていて、良かったのかな?」
アカネさんがそれを平然と受け止めて、暮らしていたらと考えるよりは。
そうだ。
「俺は、一度、殺された」
考えれば分かることだった。馬鹿にもほどがある。だから、みんなが俺のことを覚えていない。響も、内海も、他のクラスメートも。兄貴だって俺が死んだと思いこまされている。
そんな現象を、俺は知っているはずだったのに、考えようともしなかった。怪獣に殺されたら、みんなの記憶から消え去ると、知っていたのに。
すぐにでも気が付いていれば、問川は無理にせよ、あのArcadiaくらい救うのに、間に合ったかもしれないのに。
何が、怪獣使い。何が、アカネさんがターゲット。勘違いして、時間を無駄にして、元凶を放置してきた。
だから、
「アレクシス・ケリヴ……!!」
歯を剥き、怨敵の名前をねじりだす。
俺を『殺した』、黒い怪人。アカネさんを操り、怪獣を具現化する、この世界への侵略者。
あいつを忘れて、のうのうとヒーローごっこをしていた俺は、間違いなく最低の馬鹿野郎だ。救いのない糞野郎だ。
けれど、それでも、まだ間に合う。俺も生き返り、アカネさんが無事でいてくれるなら、まだ終わりじゃない。あいつを倒せば、全て終わる。アカネさんを助けて、怪獣との闘いも終わらせられる。だから、急いで、響とグリッドマンに伝えて、すぐにでもアカネさんの家に乗り込まないと。
馬鹿ではあるが、今の俺にはシグマの力がある。
そうして、あの時よりも強く駆けだそうとした俺の足を。
「やあ! 久しぶりだねえ、リュウタ君」
陽気な、悪魔の声が止めた。
脳髄から、全身を奔る嫌悪と、恐怖。
「……っ!?」
振り返ると、夕日をバックに悪魔が立っていた。
忘れもしない。
パソコンの画面越しに見た時と同じだ。全身の黒頭巾に、マスク。あの時は顔だけだったのに、俺より頭が一つも二つも大きい、人間とは根本的に違う姿がまるごとそこにあった。
震えながら、こいつの名前を呼ぶ。
「アレクシス……!」
その声に、怪人は、アレクシスは楽しそうに、本当に愉しそうに、俺を見下しながら、嗤うのだ。
「フフフ……。それとも、こう呼ぶべきかな?」
「グリッドマン、シグマ」
>NEXT「悪・魔」
死亡フラグ:アレクシス
原作通りは、概ねここまで。記憶戻って、第一部に繋がりました。
……後は、好きにやってしまいます。