SSSS.GRIDMAN うたかたのそらゆめ【完結】 作:カサノリ
・アレクシス
雨に打たれていた。
季節外れの土砂降り。あと二か月くらいして降ればいいのに、よりにもよって。
けれど、雨宿りをするでもなく、俺はただただ降られるに任せていた。何もする気が起きなくて、温度が体の芯まで染みてきても、感じるものはなくて。いっそ、この雨に溶けて消えてしまいたいほど。
そうすれば、こんな、答えの出ない問題を悩んだり、死にたいほどの怖さに押しつぶされなくても済むのに。
俺の夢は、そんな大したものじゃなかったはずだ。
自分を理解してくれる人と出会って、その人と毎日を過ごして、それで恋をして、家族になって。そうしたら、その人だけでも、一生をかけて守って幸せにしたい。
たとえば君が……。いつか彼女が歌ったように、大切な人だけでも、支えられるように。
真っ当な家庭環境じゃなかったから、そんな平凡な夢だけで十分だった。あの子を幸せにできれば、それでよかったのに。
なんでだろう。なんで、そんな夢をかなえるのが、こんなに難しいのだろうか。
「というわけでー。私たち、お付き合いすることになりました!」
「「「Fooooooo!!」」」
俺とアカネさんの恋人初日は、そんな緩やかな宣言から始まった。返ってくるのは、女子の興奮した黄色い叫びと、そこに混じる男子の嘆き。
それを真正面から浴びながら、俺はアカネさんの手だけをしっかりと握っていた。月曜朝、場所はクラスの黒板前。アカネさんによる、突然の交際宣言。そうして俺たちの交際は、クラスどころか学年中の周知のものとなったのである。
(……交際、恋人)
その言葉の意味を、女子の質問爆撃や遠くから飛ばされる男子の嫉妬の視線を浴びながら考える。
アカネさんと抱き合って、キスをして、想いを伝えあって。それがつい昨日のこと。今でも思い返せばドキドキしてしまうし、赤くなって頬が緩んでしまう。
そうして、経緯はどうあれ俺たちの関係はステップアップを迎えた。彼女への色々なことが許される関係であると同時に、彼女の良い人生へと責任を持つ関係に。
ただ、アカネさんを幸せにしたいというのは付き合う前から傲慢にも固く思っていたことであり、際限なくそれは強くなっていくから。ある意味で、俺の心構えは変わる様子はなかったのだ。
問題は、交際歴なんて持たない俺が、彼女と恋人らしくどのように付き合えばいいか、ということだが……。幸いにも、俺はそれを今すぐに考える必要はなかった。
「リュウタ君、ちょっと座って?」
「ん? いいよ」
「それじゃあ、背中、お借りします。ぎゅー」
背中にかかる軽さと、温かさ。ついでに、なんだか柔らかい感触。首元には彼女の一息ごとにくすぐったさが伝わってくる。
恋人になったことによる一番の変化は、アカネさんに遠慮が無くなって、甘えてくれる機会が多くなったこと。俺から何をするでもなく、彼女はスキンシップに積極的だった。
五分休みでも、毎回、俺の机まで来て話しかけてくれるし、今朝、家まで迎えに行けば、会うなり頬に口づけをくれた。
そして昼休み。場所はいつもの渡り廊下だけど、着くなり、こういう姿勢になって。彼女のリラックスした声が直ぐ近くで聞こえる。
「やっぱり、男の子の背中って広いね。筋肉がっちりー。なんだか安心する……」
「アカネさんもあったかくて、安心するよ」
「そう? それなら嬉しいな。今日はこういうことでー、けど、明日は逆がいいなー。リュウタ君が抱きしめてくれるの。たぶん、すっごくリラックスできそう」
アカネさんは蕩けるように言うと、もっと力を抜いて、俺にもたれてくれる。それでもやっぱり、この子は軽くて。守ってあげたいなんて、何度だって思ってしまうのだ。
ただ、そんな恰好になっても、俺たちで話すのは怪獣のことばかりだった。今日は番組のラスボス枠デザインについて。さすがに番組最後の敵だけあって、デザイン、存在感共に強烈なキャラがそろっている。近年だとグリーザなんて印象的だったよね、なんて。
そういう話はあまり恋人らしくはないかもしれないけど、互いに自然な姿でいられるのは、何よりも嬉しいことだった。
「やっぱり、みんなにばらしてよかったよね!
おかげで、昼休みも、他の時間も、一緒に居られるし」
昼休みが終わる少し前、アカネさんが自慢げに言う。
「いきなりで驚いたけど、そういう理由だったんだ」
「言わなかったら、ずっと追いかけられるし、二人っきりになるたびに煩い事言われるし。それなら、全部バラしちゃえって。これで私たちは、ちゃーんとクラス公認!
もう、こうやって抱き着いても、誰にも文句言われないから。リュウタ君も安心して? それに……、何かあっても何とかしてあげるから」
そう言って、後ろからの手に力が込められる。
「ありがとう。けど、アカネさんが大変じゃなければいいんだけど……」
「もー、すーぐそういうこというの、ずるいなぁ。……大好き」
言うなり、首元に湿った音と、温かい吐息を感じた。それで驚くでもなく、幸せになってしまうあたり、俺もかなり浮かれているし、アカネさん以外のことを考える余裕もないほど、彼女にのめり込んでいるのだろう。
何より、そうして好きだと言ってくれる愛情表現は、俺が今まで受けた記憶がないものだったから。もしかしたら高校生らしい向こう見ずな考えかもしれないけれど、彼女が望んでくれるなら、一生傍にいてほしいと思って。
「アカネさん」
「えっ……。ふふ、みんな見てるかもしれないよ?」
「今さらだし、見られてもいいよ。……それでも、したくなったから」
俺も振り返って彼女に手を回す。俺だって、アカネさんが好きだと、大切な人に伝えたかったから。まあ、やっぱり学校でそんなことをしてしまったので、クラス中から生暖かい視線を浴びることになったのだが、それもなんだか嬉しかった。
そうして一週間、付き合いたてのカップルよろしく、俺はアカネさんと楽しい時間を過ごした。思い返してみれば、付き合う前もそうだったかもしれないけど、もっと一緒に。横にいるアカネさんはいつも幸せそうで。俺もきっと、そんな顔をしていただろう。
そんな可愛くて優しい恋人から、いきなりのお誘いがあったのは、週末のことだった。一緒にあのバイキングレストランで食事して、彼女をあの豪邸へと送り届け、門の前で別れの挨拶を交わしている時。
「あちゃー、もう着いちゃったね……。送ってくれて、ありがとう。リュウタ君」
アカネさんがそう言って、俺たちは口を寄せる。
何時もなら、そこでアカネさんは門の向こうに帰ってしまうはずだった。けれど、今日はつないだ手を離さないまま。彼女は少しためらいがちに口を開く。触れたところから、彼女の心の音が高鳴ったのを感じた。
「えっと、明後日で私たち、付き合って一週間だよね?」
そして、彼女は頬を染めながら、
「だから、なんだけど……。明日の夜、うちにこない?」
そんな衝撃的なことを言い出したのだ。
俺は思わず言葉を失ってしまう。何度も言われたことが頭の中で反響していく。
「えっと、それって」
「せっかくだし、日付変わるときに、二人でお祝いしたいなーって。明日も家、誰もいないからさ……」
はにかんだ笑顔だった。少し興奮に上気して、誤解を恐れずに言うと、なんだか魅惑されているような。
俺はすぐには返事することができなかった。誰もいない家に恋人を連れ込む。健全な男子高校生ならば、色々と想像してしまうのは当たり前で。ただ、アカネさんが望まないなら、そんなことをするつもりはなくて……。
俺が顔を朱に染めて、ついでに目を白黒させることに気づいたのだろう。アカネさんは、自分が照れていたのを忘れたように目を弧にする。
「あー、リュウタ君、なんかえっちなこと考えてるでしょー」
「あっ、その……」
言葉を詰まらせる俺に、彼女は慌てたように手を横に振る。
「まあまあ、男の子だから仕方ないよ。けど……、明日はそういうのじゃなくて、リュウタ君に見せたいものもあるんだ」
「……そっか。そっか、よかった」
息を吐いて肩の力をぬく。なんと言っても付き合って数日、俺だって何時かはと思うけれど、なんだか準備も足りない気がしていたのだ。
「む、なんだかそんなに安心されると、ちょっと悲しいんですけど」
「……他の連中はどうとか知らないけど、俺はアカネさんのこと大事にしたいから。ちゃんとお互いに準備できた時がいいって思う」
「えへへ、大事にしてくれるんだ。わたしは、リュウタ君だったらいつでも良いけど!
じゃあ、その代わりに、すっごく楽しくて、ワクワクすること、見せてあげる♪」
アカネさんのからかう目を前に、断る言葉を俺は見つけられなかった。
そんなやり取りの後、やはり気もそぞろのまま迎えた土曜日。初めて入ったアカネさんの家は、外装と同様に、中身も豪奢なものだった。
うちのマンションとは比べ物にならないほど広いし、部屋も多いし、清潔感がある。玄関に飾られていた絵画や焼き物についての知識はないけれど、あれ、さぞや高いものじゃないだろうか。
「あんまり気にしないでいいよ? 私も全然興味ないし」
「けど、やっぱり、アカネさんの家はすごいなって思って」
「リュウタ君は、私の家がお金持ちだったら、迷惑?」
「ううん、関係ない」
即答する。アカネさんの両親が何かを言うようなら、何でもして認められてやる。そのくらいの気持ちはちゃんと持っている。
「まあ、もう、そんなの関係ないけどねー。私がリュウタ君がいいって言ったら、それで大丈夫だよ」
呟くアカネさんに手を引かれ、たどり着いたのは、とある角部屋。アカネさんは緊張した様子で扉を開くと、
「えっと、それじゃあ、いらっしゃい。……ここが私の部屋」
そうして部屋へと招き入れてくれた。
少し不安だったことがある。簡単に想像できる女の子の部屋と言えばお洒落で、ぬいぐるみがある部屋とか。そういう雰囲気に疎い俺からすれば、そのままの部屋が出てきたら、面食らってしまうかもなんて。
けれど、部屋に入った俺の顔に広がったのは、間違いなく興奮と喜びだった。
「……ぅおお」
感嘆。
そういうしかない。
俺の住んでいる部屋を超えるくらい大きい。そこに数多くのショーケースが並んでいる。収められているのは、怪獣、怪獣、また怪獣に、超獣、大怪獣、スペースビースト。まさに、ソフビの博物館のよう。
俺の反応を心待ちにするように、隣でそわそわとしていたアカネさんに、気持ちを隠すことなく抱き着いてしまう。
「……ほんと、アカネさんって素敵だよ」
「あ、あはは。そんなに喜ばれると、恥ずかしいよー。でも、よかったー!」
腕の中で、彼女がほっと息を吐く。もしかしたら、アカネさんも不安だったのかもしれない。
互いを結び付けてくれた怪獣趣味。だが、同じ趣味であっても熱量の違いは時に、溝にもなる。劣等感であったり、引け目を感じてしまう人もいるから。
アカネさんの表情を見ていると、部屋を見せるのにかなりの勇気を出してくれたんじゃないか。そう思うのだ。足元も埃一つないほどに輝いていて、気合入れて掃除してくれたことが分かる。そうまでして迎えてくれたことにも、胸が熱くなって仕方がない。
俺は彼女に案内されながら、棚の中のソフビを見ていった。
部屋には彼女が言っていた通り、ササヒラーどころか三種の神器すべても揃っていて。気軽に手渡してくれたそれを触った時は、手先がびりびりした。
そして高級なグッズやソフビがある中で、一番目立ち、綺麗に見える位置にあったのは、何でもないガタノゾーアのソフビで。それを見つけた時は、思わず彼女に駆け寄ってキスしてしまったり。
そうしてじっと過ごして、気が付くと外はすっかり暗くなっていた。家に入ったのが午後の六時だったので、もう八時近い。ただ、彼女が言っていた日付の変わる時までは、まだ時間はたっぷりだ。
俺達は手を取りあい、部屋の端までたどり着く。
(あれ……?)
そこで感じたのは、どこか不思議な感覚だった
広めの机。けれど、勉強机や化粧台という雰囲気ではない。カッターに、ヘラに、針金やペンチ。どれも作業に使うようなもの。
「アカネさん、もしかして、ここで何か作ってる? アクセサリーとか、そういうの」
「ふふ、そういうお洒落なのじゃないけどね。ちょっと待ってて!」
言うなり、アカネさんは頬を緩めながら、それを俺の目の前に持ってきた。
布にかけられた、立体物。見たところ、ソフビくらいの大きさで、もしかしたら彫刻とか、そういう趣味があるかもしれないなんて。
そして、俺の期待が高まっていく様子が分かったのか、アカネさんはマジシャンのように華やかに布を取り去った。
「じゃーん! 名付けて、一路順風怪獣エリケプト!」
目が丸くなる。それは、確かに怪獣の姿をしていた。しかし、俺はその怪獣に見覚えがなかった。姿かたちは重厚な四足歩行。俺たちがよく知るジオモスの意匠が取り入れられているような。けれど、その四肢は機械化されて、どこか、ロードローラーのようにあらゆるものを平らにしそうな形。
生物と機械の融合というか、目的のために効率化された凶悪な怪獣らしいフォルム。
何度見ても、それは既存のウルトラシリーズに存在しない怪獣だった。何より、その怪獣は粘土で造形されていて。詳しく見れば、細かいところまで彫り込まれて作成されていることが分かる。つまりは、発売品ではありえず、彼女の様子を見れば、誰が作ったのか一目だ。
「まさか、これってアカネさんが!?」
「けっこう久しぶりに作ったんだけど……。カッコよくできてる?」
俺は思わず、尋ねてしまう。彼女は顔をうっすらと染めて、髪を手で撫でていた。カッコよくできてるも何も、そんなレベルではない。
「でも、これ、手作りってクオリティじゃ……。すごい! すごいって、アカネさん!」
興奮は止まらなかった。彼女が作り上げたオリジナルの怪獣は、ちゃんと怪獣として成り立っている。単なる子供の落書きではなくて、既存のデザインを踏襲しつつ、オリジナリティを発揮させた芸術品。
しかも、自分で削り上げて、これを作れるなら……。
(……アカネさんって、天才なんじゃないか?)
俺は自分で作ったりデザインをした経験もない。それでも、目の前の怪獣はそのまま着ぐるみにして、世の中に出しても違和感がないと思う。ウルトラシリーズだけでも、何度も見てきたから。造形とかデザイナーの仕事でも通用するに違いないと。
そんな思いのまま、俺はずいぶんと勢いよくアカネさんを褒めそやしていたのだと思う。気が付いたら、彼女はそれこそ顔を真っ赤にして、大いに照れていた。もしかしたら、あのキスした時よりも、恥ずかしそうなくらいに。
きっと、それだけで終われば、俺たちは幸せになれたんだと思う。
彼女の素敵な一面を教えられて、またお互いをよく知って。
けれど、次の瞬間、
「そんな褒められても恥ずかしいって! ……でも、本番はまだなんだよ?」
アカネさんは満面の笑顔で、
「アレクシス、お願い」
『インスタンス・アブリアクション!!』
聞き覚えのない声。謎の発光。そして、俺の現実と幸せは、木端微塵に破壊された。
自分の生きる世界が、なんでもない平凡な世界ではなかった。
そう思い知らされる瞬間に出会ったことはあるだろうか?
俺は、その真実を真正面からぶつけられた。何の準備もなく、覚悟もなく、ただ、タネを明かされるように現実を壊されてしまった。
始まりは、足元から響いてきた、地震のような揺れ。家全体を何度も揺らすほどの。
次いで、外から大きな爆発音が響きだす。
サイレン。
轟音。
音を立てて崩れるナニか。
何事かが起きている。俺は慌てて、カーテンを開け放ち……。
その先に、『怪獣』を見た。
怪獣がいた。
アカネさんの家から、きっと少しだけ距離を置いて。動きのたびに爆炎を上げるそれを表現する言葉を、怪獣以外に持ち合わせていなかった。雄たけびを上げ、巨体を蠢かせ、街と人を蹂躙している。ウルトラシリーズでいつも見ていた、あの恐ろしい景色そのままに。
『グゥオオオオオオオオ!!!!!』
びりびりと音だけで死にそうになった。
怪獣の足音は、俺に震えをもたらして。燃え盛る炎は、熱と裏腹の冷たい恐怖を、心に刻みつけてくる。近くで見ていなくてもわかる。俺たちの一歩隣に、地獄が広がっていることを。
「……っ! アカネさん! 逃げよう!! 急いで!!!」
だから、俺はアカネさんの手を掴んだ。急いで逃げなくちゃいけない。急いで街を離れて……。いや、どこでもいいから彼女が安全な場所に行かないといけない。
(くそっ、電車はきっと止まる。道も大混乱だ。どっか地下室……。わかんねえけど、アカネさんだけでも!)
何とか彼女だけでも、あの怪獣から助けたい。
俺は冷や汗を流しながら、彼女を部屋から連れ出そうとして……。
「だいじょうぶ、何も危ないことないよ♪」
足を止めた彼女は、アカネさんは笑顔だった。
花開くような、自慢げな子供のような、柔らかく、俺に親愛を向けてくれる笑顔。
何でもないように。いつも見せてくれるあの笑顔で、彼女はあの非常を肯定していた。
それは、ただの強がりでも、危機感の欠如でもなく、本当に心の底から確信を持っている言葉。すぐ近くで怪獣が暴れまわっているというのに、彼女は何も恐れていない。
俺は、何が何だか分からなかった。
「……な、なにを?」
「いやー、驚かせちゃうと思ってたけど、ここまでなんて、びっくり! でもでも、必死で助けようとしてくれたんだよね? やっぱり、そういうとこ、大好き!」
掴んだ手をそのままに、どんと、彼女は身体を押し付けてくる。柔らかくて、温かくて。冷たい俺の身体に温もりをくれるのに。俺は安堵も出来ず、なすがまま。
笑顔の彼女と、凍り付く俺。
そんな歪な二人を現実に引き戻したのは、あの怪しい声だった。
『おやおや、アカネ君。見たところ、リュウタ君は混乱しているじゃないか。ここは、ちゃんと説明してあげないといけないよ?』
何時からいたのか、アカネさんの机の上、その大型モニターの中に、謎の存在がいる。
それは例えば、とある映画の有名な悪役のように。黒い機械的なマスク。不気味で、どう見てもぬぐい切れない悪役感。モニター一面にそんな仮面が映し出されている。見た目とは裏腹の、紳士的な言葉をアカネさんに向けて。そして、アカネさんも仮面へと、親し気に信頼を込めて答えるのだ。
もう、訳が分からない。
ただ、彼女のお部屋訪問をして、怪獣に目を輝かせていたのに。いつの間にやら、怪獣が現実に現れ、部屋のパソコンからは見るからに悪役然とした仮面。
それでもパニックにならなかっただけ、きっと、褒めてもいいはずだ。
「あー、やっぱりそう? 私なんて、いつもやってるから、慣れちゃったけど、リュウタ君は初めてだから仕方ないよねー」
俺の顔が青ざめているのに気が付いているのか、いないのか。あるいはただ単に驚いているだけだと思っているのか。アカネさんはごく自然な様子でタブレットを操作し、画面を俺に見せる。
「じゃーん! リュウタ君、たくさん褒めてくれたけど、やっぱり動いているところ見ると、違うと思うんだ! どうかな!?」
そこに映し出されていたのは、今まさに破壊の限りを尽くし、人々を恐怖に叩き落す怪獣。
どういう手段を使っているのか、その至近距離の映像が、彼女のタブレットに映されていた。そこまで近づけば、怪獣の正体が何者であるか、何の言い訳もできない。
アカネさんの怪獣だった。
アカネさんが見せてくれた、ついさっき、自慢してくれた手作り怪獣が、今、街を破壊していた。
「……っ、なんで」
なんで、こんなことになっているのか。
なんで、怪獣がいるのか。
なんで、暴れているのに、そんな平気そうなのか。
疑問が無限に湧いてきて、俺の言葉は意味をなさなかった。
だって、何が起こっているのか、まるで分からなかった。俺たちの毎日で、怪獣なんてものはウルトラシリーズや映画の空想の産物だったはずだ。こんな風に暴れる存在じゃなかった。実在する存在じゃなかった。
それでも、謎の仮面とアカネさんは、普通の調子で非日常の言葉を刻んでいく。
「すごいでしょ!? アレクシスの力なんだよ!!」
『いやいや、アカネ君の作る怪獣が素晴らしいからさ!!』
「いやー、でも、アレクシスがいないと暴れられないしねー」
『今回は特別なデザインにしたんだろう?』
「ほら、リュウタ君覚えてる? あの時、デートでぶつかってきた奴ら! あの時は浮かれてたし、それどころじゃなかったけど、やっぱりリュウタ君殴ったの許せないって思って!
だから、自転車と一緒に潰そうって思ったの!!」
殺す? 暴れさせる? 分からない。何を言っているのか、分からない。
「……け、けど。そんなことしたら、ま、まちも……! 人を殺したら……!!」
分からないまま、俺は何か否定を欲しくてアカネさんに尋ねる。頬が引きつって、きっと、えらく混乱した顔になっていたはずだ。
そっと、アカネさんが抱き着いてくる。
「ごめんね。やっぱり、いきなりだと混乱しちゃうよね」
「……あ」
俺は、そんな彼女に、一瞬、安堵を得ようとして、
「でも、大丈夫だよ。街をどれだけ壊しても、明日には元通りになるから」
心臓が止まりそうになる。
『死んだ人間も、元からいないことになるのさ』
「そーそー、病気とか、事故とかで死んじゃったって! だから、誰も、私たちのこと責めないの!」
『それに、アカネ君にはちゃんと理由があるからねえ』
「私たちにぶつかってきたり、嫌がらせしたり、そーいう死んでもいい奴だけを狙っているだけですからー。リュウタ君も覚えてないでしょ? 堀井君と刈谷君のこと」
言われた名前。堀井と刈谷なんて、俺は聞いたことがなかった。
「……それ、いったい、誰のこと?」
震える声で尋ねる。すると、アカネさんはいつもの笑顔で、
「ほら、そういう風に忘れてくれるから、大丈夫。えっと、堀井君はリュウタ君を私に突き飛ばしてきた調子に乗ったヤツで、刈谷君はリュウタ君に嫉妬して、足をケガさせた奴。リュウタ君が昼休みに、一緒に食事していたサッカー部の子」
堀井? 刈谷? 誰のことか分からない。いつも昼を食べているのは権藤で、突き飛ばしてきた奴も権藤で、足を蹴飛ばしてきたのは相手チームの奴だったはず。
けれど、彼女が言うには、それは嘘の記憶で。彼らはアカネさんの怪獣が殺したというのだ。
「別に覚えなくてもいいと思うよ? 私たちにはどうでもいい人だったし」
「っ……」
吐き気がした。
立っていられなくなった。
足元が根こそぎひっくり返ったみたいに。
アカネさんが抱きしめてくれないと、きっと、失神して、そのまま目を覚ませなかったかもしれない。むしろ、そうしてすべてが悪夢だと思えれば幸せだったかもしれない。
だが、アカネさんはそれを許してくれない。
「それで、リュウタ君も、一緒に遊ばない? 怪獣を作って、街で暴れさせて!! もっとたくさん、いろんなことができるんだよ? 実は実は、この世界にも秘密があって……!」
『アカネ君、それを教えるのは後のお楽しみにしよう。リュウタ君はどうやら、随分と混乱しているようだから』
興奮気味に俺を誘うアカネさんを、遮ったのは仮面の男だった。
さっきから、突然現れて、俺の日常を壊して、今もアカネさんから信頼を向けられている。怪獣を実体化させたという謎の怪人。
俺は、震える声で彼に尋ねる。
「あんた、いったい何なんだよ……?」
彼女が言う、アレクシスは表情を変えずに、
『初めましてリュウタ君。私はアレクシス・ケリヴ。……アカネ君の友達だよ』
余りにも紳士的な声で自己紹介した。
笑顔が可愛い恋人は、怪獣使いの人殺しでした。
字面にしてみると、ウルトラシリーズでも陰鬱としたあの作品に出てきそうなシチュエーションである。
それは決して冗談なんかでなくて。
結局、昨日の俺は、まともな受け答えができないほどだった。そんな俺をアカネさんは心配してくれて、それこそ家に押しかけんばかりに心配してくれて。俺は、彼女の望んだお祝いをすることなく、アカネさんの家を後にした。幸い、俺の家は怪獣に壊されてはいなかった。
家に着くなり、俺は何度も便器に嘔吐して、倒れるように気絶して、
『私、本当にリュウタ君のことが好きなんだ。だから、一緒に怪獣のこともやりたくて。……今日は疲れたんだよね? 明日、返事をくれると嬉しいな』
そんな、アカネさんの微笑みがぐるぐると頭の中を駆け巡っていた。
だから、目覚めは最悪。頭痛、吐き気、死にたい。けれど、休む暇はなく、着の身着のままで外へと飛び出す。
「……っ。……っ!!」
走って、走って、この混乱と恐怖がどこかに吹き飛んでくれることを願いながら、一心不乱に足を動かして。
そこはごく普通の街だった。昨日いた怪獣も、炎も、死人も何もない。街行く人たちは誰も、何事もなかったように日曜の朝を楽しんでいる。
それでも、もしかしたら、夢だったのかもしれない、なんて淡い希望は、アカネさんから送られた怪獣の写真と、今夜八時という約束のメッセージで破り捨てられた。
日が傾くまで街を駆け巡ることに費やして。
そうして気が付いたのは、街に破壊の痕跡は残されなかったこと。怪獣が暴れた辺りでは、無人の住宅や、親族を失くした人があまりにも多いこと。誰も怪獣を知らない。尋ねた俺を、異常者か何かのような目で見てくる。
つまり、全ては真実だった。
アカネさんが怪獣を操って、街を壊して、人を殺して。それでも、人以外の全ては元通り。死んだ人はどこか別の死因でいなかったことになる。俺だけが覚えているのは、彼らが何かをしたのだろう。理屈はわからないけど、それくらいしか、理由は考えられない。
受け入れられないけれど、現実。それを実感しつつも、これが夢であってほしい。そうして、俺は無様に叫びながら、何もできずに走っていた。
一日なんて、タイムリミットとしてどれだけ短いのだろう。自分の置かれている状況を、少しは理解するだけで終わってしまう。
走り回って、体力を使い果たして。天気はどんよりと暗くなっていて。
彼女との約束、午後八時。それがすぐそこまで迫っていた。
それまでに、俺は、自分の人生を決めなくてはいけないなんて。せめてと、残された時間で考えようとする。走り回ったから、余計なことを考える余裕がなかったのは、せめてもの良い事だった。
アカネさんとのこと、アレクシスのこと、自分の未来を考えて。
不思議だけれど、自分でもおかしいと思うけれど、狂っていると思うけれど。アカネさんを不気味に思ったり、糾弾しようという気持ちは自分にはなかった。
だから、まず最初に捨てた選択肢は、アカネさんを置いて逃げること。
だって、こんな事態になっても、俺は死んでもいいほど彼女のことが好きだったから。大げさでなく、アカネさんのいる世界が全てだと、彼女が俺の人生の主役だと思えるほどに。
彼女が自分の気に入らない人間を、この世界から消し去っていると知っても。怪獣を操っていると知っても。
それはもしかしたら、彼女があまりにも自然だったからかもしれない。いつも通り、可愛い笑顔で、少し我儘で、それでも俺を気遣って、理解してくれる。あの姿が仮面でもなんでもなく。
彼女は俺が好きな彼女のままだった。そのままで、人殺しへの罪悪感を根こそぎ奪われていた。
「……というか、誰でもおかしくなるって」
おかしくなっている原因は、何となくだが分かる。あのふざけた仮面野郎。怪獣を巨大化させたアレクシスだ。
人が人を殺してはいけない理由。それを、一度尋ねたことがある。俺も人を殺したくなった時に、親父に尋ねた。子供に関心がない親だったが、あれでも警察官だったから。
『……そんなことしたら、お前がまともに生きていけなくなるぞ』
親父から帰ってきたのは、そんなぶっきらぼうな答え。
それが多くの人が考える理由じゃないだろうか?
人を殺したら罪に問われる、周りから危険人物だと思われる。共に生きる社会の構成員を殺すような破壊者は、社会の維持のため排除されるから。だから、まともに生きようと思えば人を殺してはいけない。
けれど、アカネさんが言ったことが全て真実なら、誰も彼女を責める人はいない。人殺しの結果も因果も、彼女には与えられない。罪も何も、丸ごとなかったことになる。
そんな状況で、嫌な奴がいたら。排除したいやつがいたら。消さずにいられる人間が何人いるだろうか。
(……少なくとも、俺はそんなことできないよ)
自嘲しながら呟く。昨日、怪獣が殺しただろう奴ら。あいつらがアカネさんに手を出したら、何をしてでも殺していたかもしれない。俺を捨てて消えた母親が見つかったら、殺したかもしれない。罪に問われないなら。その確信があったら……。
アカネさんがそんな誘惑に手を染めた理由を知らないのが、悲しかった。きっとそうするだけの理由があって。その時にそばに居たかった。
しかし、彼女はその一歩を乗り越えて、きっと段々とエスカレートしてしまったのだろう。強い殺意がなくても、人を殺してしまえるほどに、タガを外されてしまっている。
「……アレクシス」
こぶしを握りながら考えるのは、あの仮面野郎のことだった。
そもそもなんだ、あいつは。善悪の境界が分からないほどの力を渡した張本人。あんな悪役然とした見た目に怪獣を操る能力。あんな力をアカネさんに渡して、止めもしない。
侵略者。好戦的異星人。異世界人。そんな言葉が脳をよぎる。
そんな奴の所にアカネさんを置いて、逃げるなんて選択肢を、俺は持たなかった。
じゃあ、どうするか。
(……アカネさんは俺を誘ってくれている。ってことは、アカネさんと一緒に怪獣を暴れさせるのが一つの選択肢。きっと、すぐには死なないだろうし、アカネさんと一緒に居られる)
実際に、それができるかと言われれば……。怪獣を暴れさせられるかと言われれば、たぶん、すんなりとやれそうな気がした。身近な人を襲わせるのは、ためらうだろうけど。世の中のどこかの人よりは、アカネさんの方が大事だ。
あの破壊行為が、彼女が幸せに生きるために必要なら、きっと俺は手伝える。
けれど、問題はあの行為をさせているのが、アレクシスだということ。何を考えているか分からない、悪役がアカネさんの背後にいる。彼女の行為を正当化させながら、怪獣を巨大化させて。
「きっと、協力しても。……最後は、アカネさんと一緒に地獄行きだ」
悪人なんて、最後は手駒を切り捨てるものと相場は決まっている。フィクションでなくとも、現実的に生かしておく必要はない。少女に怪獣を暴れさせるようなヤツだ。人への慈悲なんてないだろう。軍門に下ったとして、近い未来に悪の手下らしく、殺される。
俺一人だけ死ぬなら、嫌だけど、耐えられるかもしれない。けど、アカネさんも一緒だなんて許容できない。
それじゃあ、もう一つの選択肢。
「……何とか、アレクシスを倒す」
そうすれば、アカネさんから怪獣を操る力は失われる。もう、暴れさせることはなくなり、犠牲者はこれ以上でないし、アカネさんも無事だ。
だが、大きな問題は、あんな変な力を持った悪役を、こんな平凡な高校生がどうやって倒せばいいのか。そういう話だ。下手に立ち向かっても、俺は殺されるだけ。正体も何も分かってないし、防衛隊のような武器も持っていない。
どうやって勝てばいいっていうんだ。助けを呼ぶ? 馬鹿言うな、他の人間には、記憶すら残ってないのに。
「……アカネさんを置いて逃げられない。仲間入りしても、どうせ最後は一緒に殺される。立ち向かっても、殺される。タイムリミットは……、多分、午後八時」
あと少しだけ。それを過ぎたら、殺されるのかな。アレクシスならともかく、アカネさんに殺したいって思われるのは嫌だな。
そんなことを考えて……。
「……はは」
俺の口から嗤い声が漏れた。
笑いたくて仕方なかった。ついでに雨も降ってきて、もう気分は最悪。こんな雨脚が強まる中、外で突っ立って悩んでいるなんて、馬鹿のすることだ。
「……ふざけんな」
どうしようもなかった。
「……ふざけんな!! ふざけんなよ!!! なんで、なんで俺たちがこんな目に合うんだよ!! なんで、こんなこと、考えなくちゃいけないんだよ!!」
絞るように言っても、叫びにはならなかった。
悲しかった。悔しかった。
だって、今、俺を悩ませているのは、倫理観だとか、敵を倒す方法とか、アカネさんを救う方法だとか。そんな、考えなくても良かったことばっかりじゃないか。考えたくないことばかりじゃないか。
そんなことで、悩みたくなかったのに。
もっと、彼女を笑顔にするために悩みたかったのに。
次のデートの行先、話したい怪獣のこと、プレゼント、それにもっと高校生らしい生々しい事とか、将来のことに、もしかしたら結婚とか子供のことも。
アカネさんが幸せな人生を送るために必要なことを考えて。それで、そのために俺は生きて、全てを使って幸せにしたかったのに。
「なんで、こんなウルトラシリーズみたいなこと、考えなくちゃいけないんだよ……」
雨が髪から滴り落ちる。
目から、とめどなく、熱いものが溢れて、死にたかった。
「こんな、こんな、ヒーローでもない奴に任せるなよ。誰か、ああいうの相手できるやつ、他にいるだろ……」
アレクシスみたいなヤツがこの世界にいるのなら。
「おい!! どっかで見てんだろ……!! ウルトラマンでもなんでもいいから! すぐ来てくれよ!! 今、侵略されてんだよ!! 助けてくれよ!!
……せめて、アカネさんだけでも、助けてくれよ」
もう、立ってはいられなかった。
嫌だった。
自分が死ぬことも嫌だった。それ以上に、あのアカネさんが、心から好きな人が、あんな悪魔にもてあそばれて、罪を犯して、そして最後は破滅させられることが嫌だった。
「なんでアカネさんなんだよぉ……。もっと、誰かいるだろ……」
何もできない自分が、何より憎くて。
うずくまったまま、雨も時間も流れ続ける。残された道は何もなくて、先には地獄しか見えなくて。いっそこのまま、結末も見ないままで死んでしまいたくなって。そうして、
不意に、雨が止んだ。
「……ぇ」
いや、そうじゃない、と直ぐに気が付く。周りは未だ土砂降りだ。けれど、俺の体に当たっていた、あの冷たい感触が止まっている。
顔を上げる。
傘だ。
傘が、雨を防いでくれていて。俺は持ってなどいないから……。
それじゃあ、どうして。
俺は呆然としながら後ろを振り返り、
「って、誰かと思えば馬場かよ……。何やってんだよ、風邪ひくぞ?」
呆れた表情の内海が、俺が嫌いだったヒーローオタクがそこにいた。
そして、彼は選択する。
全ては、彼女を幸せにするために