インサニティ・ウィッチ~ヤンデレ魔女と魔女狩り師~ 作:藤龍
崩壊の始まり
こぢんまりとしたアパートの一室に、目覚まし時計の電子音が響き渡る。だんだんと音が速く、高くなっていくそれを、膨らんだ布団からゆっくりと伸びた手が、乱暴に叩いて止める。
「……そっか、今日から学校か……」
寝起きらしいぼやっとした声をこぼしながら、布団に潜り込んでいた少年――
寝起きのせいで極限まで細くなった目を擦りながら、双真は歩いて洗面所へと向かう。
暦は年明けを終えたばかりの、一月上旬。そして中学三年生である双真にとっては、中学最後の冬休みが終わり、三学期が始まる日でもある。
ついこないだまでは朝から夜まで家でだらけていたが、今日からはそうもいかない。冬休み以前のように顔を洗い、制服に着替えて、朝食を食べる――長い休みで若干忘れていた習慣を思い出しながら、テキパキとこなしていく。
最後に鞄の中身をザックリ確認してから、双真はそれを手に持ち玄関へと向かう――その前に、立ち止まって鏡に映る自分の姿をジッと眺める。
若干紫がかった黒髪に黒目。目立ったアクセサリーの類は何も付けていない。身長は一般の中学生の平均と同じぐらいで、全身を包む制服は、黒色のブレザー。そして少しばかり顔は整っている。イケメン、というほどでは無いが、女子には好まれそうな面持ちではあると言えるだろう。
だが、それでも特別花があるとも言い難い。少なくとも、双真自身はそう思っていた。
「……はぁ」
そんな鏡に映る自分の姿を暫し見つめると、双真は何故か深い溜め息を吐いた。サッと鏡から目を逸らし、再び玄関に向かって歩き出し、靴を履いて外に出る。
鍵をしっかり閉めてから、築三、四十年ほどの、言ってしまえばボロッちいアパートの錆び付いた階段を降りる。
「――おはよう、双真」
階段を降りて地面に足を付けたその時、双真の下に女性の声が届く。その柔らかな優しい声に、双真は寒さを誤魔化す為に縮こませていた顔を上げる。視線の先には、一人の少女が立っていた。
一月の淡い朝日が照らされ、美しく輝く栗色のロングヘアー。寒さのせいかほんのりと赤くなった小顔。双真と同じブレザーを身にまとい、ブレザーと同色のスカートとストッキングでスラリと伸びた足を隠している。
そんな紛うことなき美少女を双真がぼーっとした顔で見つめていると、その少女が髪と近い色を持った瞳で彼を見つめ返しながら、歩み寄る。
「どうしたの? そんな顔して」
「いや……なんというか……制服姿、久し振りに見たなって」
「学校が久し振りなんだから、そんなの当たり前でしょ? まだ寝ぼけてるの?」
「……かもな」
「もう、シャキッとしてよね?」
そう言いながらも、少女はクスリと笑った。
彼女は
「……じゃあ、行こうか」
と、双真は若干茜から視線を逸らしながら、学校に向かって歩き出す。それに茜は少し寂し気な表情を浮かべながら、「そうだね」と小さな声で呟き彼の後に続いた。
肌が痛いほど冷たい風が吹き抜ける住宅街を、二人は横並びで歩く。二人の距離は離れ過ぎず近過ぎず、絶妙な距離を保ったまま、二、三言で途切れる適当な会話を交えながら先へ進む。
二人の間に流れる空気は、正直気まずい。だが決して彼らは仲が悪い訳でも無いし、間に壁がある訳でも無い。むしろ幼い頃に双真の両親が亡くなり、彼は去年まで茜の家で暮らしていた。だからこそ二人の絆は、家族のそれより強い。小さな頃は仲良く手を繋いで歩いたり、一緒の布団で寝たりするのは普通だった。
だが今の茜は、いわば高嶺の花とも言える存在。学校中の男子の注目の的で、先生からの評価も高い、完璧な優等生。そんな彼女になんとなく近寄りがたいと、双真は思っているのだ。彼女は自分とは違う次元の人間な気がして。自分なんかが彼女と同等に接してはならないと、自分に自信を持てないのだ。遠くに住む親戚や彼女の両親に無理を言い、中学生の段階で一人暮らしを始めたのも、それが理由の一つだ。
だが、双真は彼女との繋がりは断ち切りたくは無いとも思っている。そして彼女を、誰よりも愛している。彼女にもっと近付きたい、彼女をもっと知りたい、彼女ともっと触れ合いたい――そう思っている。
だが中学生という年頃な少年である彼は、彼女と幼馴染という関係以上に親密になるのが恥ずかしく、そして怖くもあり、恐れ多くもあった。だから彼は、何も行動を起こそうとはしなかった。だからこうして、彼女と距離を置いている。
それじゃあ駄目だと、心のどこかでは気付いている。それでも、彼は何も出来なかった。下手に動いて全てを壊すのが、怖かった。だから双真は今日も、茜から距離を置いた。
何もしなかったせいで、全てが壊れてしまうという事も知らずに。
「……学校、着いたね」
学校の校門前に着くと、茜がどこか沈んだ声で呟いた。
「……もしかして、学校行くの嫌なのか?」
「そうじゃないよ。……ただ、双真が学校に行くのが嫌なの」
「……それって――」
「あ、おはよう双真君」
どういう事だと、双真が茜に問い掛ける直前、透き通った女性の声が正面から聞こえた。それに双真は茜への問い掛けを中断して、顔を動かしその声の主を視界に捉える。
視界に映ったのは、こちらに笑顔で手を振る少女。青がかったショートカットに、
「
「あ、うん。明けましておめでとう」
双真の言葉に少女は再びにっこりと笑い、挨拶し直す。
彼女は蒼井
彼女も茜に負けず劣らぬ美少女ではあるが、温厚な人柄である彼女とは、不思議と気安く接する事が出来た。
「久し振りだな。えっと……終業式以来だっけ?」
「そうだね。双真君、体調崩したりしてないみたいでよかった。こういう長い休み明けは、体調崩しやすいから」
「まあ、体調崩したらもっと長く休めるんだけどな」
「駄目だよ、そんな事言っちゃ。あ、早乙女さんも、明けましておめでとうございます」
「……ええ」
香乱の挨拶に、茜は目を逸らしながら素っ気なく返事をする。それに香乱は少し困ったような顔をする。二人の間に、先ほどの双真と茜の間に流れていたとは違った気まずい空気が生まれる。
双真はその空気を消そうと、校門を跨ぎながら口を開いた。
「寒いしさ、そろそろ中に入ろうぜ。茜、また後でな」
「あ、そうだね! 早乙女さん、また」
「…………」
同じクラスである双真と香乱は、一緒に校舎へと向かう。楽しそうに会話を交わしながら歩く二人を、茜は後ろからジッと見つめた。
おぞましいほど負の感情が滲み出る、据わった目で。
「……チッ」
◆◆◆
昼休み――久し振りの学校の授業に疲労が蓄積し、疲れ切った体を双真は目一杯伸ばす。
周りの生徒達は、グループを作ったりして既に昼食を食べ始めている。双真もさっさと昼飯を終わらせようと、机の横に掛けた鞄から昼食用に買ったパンを取り出す。
「あ、あの……紫之宮君!」
が、袋を開けようとした瞬間に、一人の女子生徒に声を掛けられる。双真は手を止めて、視線を女子生徒に移す。その女子生徒の手には弁当箱らしき物があり、表情はどこか恥じらいを持っていた。そして周りには、他の女子生徒が二人居て、彼女の背中を支えるように手を回している。
それを見て、双真は彼女が何をしに来たのかなんとなく察した。そしてその女子生徒はグッと息を呑み、必死に振り絞ったような声を出した。
「そ、その……よかったら、だけど……一緒に、お弁当食べませんか?」
やっぱりか――双真は自分の予想が見事的中した事に、内心溜め息をついた。
中学に上がった頃からだろうか、双真は今お昼に誘いに来た彼女と同じように、女性に好意を持たれる事が多少だが増えてきた。
双真は男性の中で言えばカッコいいと言える部類だろうし、性格も悪くは無いので、女性から人気を得る事自体はなんら不思議では無い。
だが双真自身は、小学校時代にそんな事が無かったし、元々自分に自信を持てない卑屈な性格。なので自分が好意を持たれるような人間では無いと卑下しているので不思議に思っている。
別にそれが嫌だという訳では無い。だが、特別嬉しい訳でも無い。むしろ少し辛いと思っている。彼女が双真を好いているように、双真も茜の事を好いている。だからこそ、双真は彼女の思いを受け入れる事はしない。いくら好意を寄せられても、それを双真は断らなければならない。
それは相手を悲しませる行為でもあり、自分も多少は申し訳無い気持ちになる。だから贅沢な悩みかもしれないが、こうやって女性に好意を寄せられるのを、双真はあまり良く思ってはいなかった。
といって、彼女を冷たい態度で遠ざけるのも、双真にとってはあまりしたくない事。そうすれば相手は確実に傷付くのだから。
だからこうして少しでも距離を縮めてこようとする相手を真っ向から拒否するという事は、彼には出来なかった。
「……ああ、いいよ」
だから双真は、そのお願いを二つ返事で受け入れた。
「ほ、本当!? あ、ありがとう!」
「やったじゃん!」
「これで一歩前進だね!」
女子生徒は嬉しそうにお礼を言い、周りの友人達は小声で彼女の恋路の進展を喜ぶ。
そんな声を横に、双真はバレないように小さく溜め息をつく。
このまま仲良くなれば、彼女は自分に告白するかもしれない。そうしたら、その思いをどう断ろうか――いつか来るかもしれない未来の事を憂鬱な気持ちで考えながら、双真は歓喜する彼女達から視線を逸らすように、廊下へ目を向ける。
「……茜?」
すると、廊下に茜の姿が一瞬見えた。彼女はまるで逃げるかのように、扉の前から消えた。
自分に何か用だったのだろうか。でもそれなら何故自分に声も掛けずに、それも逃げるように立ち去ったのか?
双真は少し考えた。が、その答えが出る前に双真は立ち上がった。彼女が立ち去る寸前に浮かべていた、悲しそうな顔を思い出して。
「……悪い。お昼はまた今度に」
「え? し、紫之宮君!?」
双真は女子生徒を置いて走り出し、廊下へ飛び出した。
廊下に出た時には、既に茜の姿はなかった。だが彼女が走り去ったのは、彼女のクラスとは反対側。ならばまだ教室には戻らず、この校舎のどこかに居るはず。
双真は彼女が行きそうな場所を考えながら、廊下を全速力で走った。
だが、しばらく校舎内を走り回っても、茜の姿は見当たらなかった。
「はぁ……はぁ……どこに行ったんだ、あいつ」
もう教室に戻ったのだろうか。それとも、また自分のクラスに来ているのだろうか。
双真は次にどこを探そうか必死に思考を回しながら、再び歩き出す。
「居た! 双真君!」
が、不意に背後から聞こえた声に足を止め、振り返る。そこには、微かに息を切らせた香乱の姿があった。
「蒼井? どうしてここに?」
「双真君が教室を飛び出したの見てさ……心配だから、探しに来たの。一体どうしたの?」
「……茜を、探してたんだ」
「早乙女さんを? どうして?」
「あいつ、俺の教室に来てたみたいでさ……でも、何故か何も言わずに逃げるように立ち去って。その時悲しそうにしてたから、なんかあったんじゃないかって……」
「そっか……早乙女さん……」
双真の話を聞くと、香乱は何かを察したような顔をして、そっと目を伏せる。
「……それで、話をする為に?」
「……悲しんでる幼馴染を放っておくなんて……なんか後味悪いしな」
「そっか……でもさ、だからって他の人を悲しませちゃいけないよ」
「他の人って……」
「双真君をお昼に誘ってた子。双真君が教室から出た後、凄く落ち込んでたよ。悪い事しちゃったのかなって」
香乱の言葉に、双真はハッと表情を変える。
「双真君の気持ちは分からない訳じゃ無いけどさ……あの子の気持ちも、ちょっとは考えてあげようよ。ちゃんと事情を話したりしてさ」
「そう……だな。悪い……ちょっと他の事に気が回らなかった」
「私に謝らないで、ちゃんとあの子に謝ってよね?」
「ああ……でも、茜……」
「早乙女さんとは後でゆっくり話せばいいよ。きっと、ちゃんと分かってくれるから」
「……そうだな。にしても……蒼井はお節介だな。関係無い事にわざわざ首突っ込んでさ」
「そんな事無いよ。誰かの為になれるのは、嬉しいから。それに双真君が困ってるなら尚更だよ。双真君は……私の、大切な友達だから。いくらでも力を貸すよ」
「……そっか」
蒼井の優しい笑顔と言葉に、双真は静かに笑みを浮かべた。
茜とは放課後にゆっくり話そう。それで何かあったかちゃんと話して、自分が悪かったのなら、ちゃんと謝ろう。彼女なら、香乱の言った通り分かってくれる。
そう信じて、双真は香乱と共にさっきの女子生徒に謝るために、教室へ向かった。
――その茜が、物陰から二人の事を見ている事に気付かずに。