インサニティ・ウィッチ~ヤンデレ魔女と魔女狩り師~   作:藤龍

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紫眼の暗殺者

 

 

 

 

 

 

「建物の中に逃げ込みましたか……」

 

 陽花と対峙する魔女――起島(おきしま)深雪(みゆき)は彼女が逃げ込んだデパートの正面に立ち、建物の中を見据える。

 

 デパートの中は明かりが一切点いておらず、外からでは数メートル先も視認出来ないほど暗い。

 現に、少し前に中に入り込んだ陽花の姿はもう深雪の視界から消えてしまっている。

 

 このままボーっとしていては逃げられてしまう。それは深雪も分かっている。だから今すぐ自分も中に突入し、彼女を追い掛け無くてはならない。

 

 しかし、彼女の足はどうしても建物の中に向かって進まなかった。

 足が竦んでしまい、その場から一歩も進み出せなかった。額からは汗が流れ落ち、視界は眩み、体は震えて、心臓は恐ろしく高鳴っている。

 

 これらは全て、恐怖から来るもの。あの建物の中に――暗闇の中に入り込むという恐怖心が、彼女の足を動かさずにいるのだ。

 

「大丈夫……私には、この力がある……暗闇なんて、恐れる事無い……」

 

 念じるように呟きながら、深雪は震える体を押さえつける。

 苦しそうに何度も、自分に言い聞かせるように大丈夫、と連呼する。

 

 

 どうして彼女がここまで暗闇を恐れるのか。それは彼女が幼少期に経験した、ある出来事が原因である。

 幼い彼女に恐怖というものをハッキリと理解させ、今もなお彼女を支配する、過去のトラウマ。

 

 それは、彼女がまだ小学生に入ったばかりの頃。

 友人達と楽しく遊び、新しい事を沢山学び、学校が終わったら家族団らんの時間を過ごす、幸福な日々。

 

 そんな幸せに満ちた彼女に、突如として暗い影が落ちた。

 

 ある日の放課後の事だった。彼女は誘拐されたのだ。

 帰り道の途中で、突然見ず知らずの男に背後から駆け寄られ、車に無理矢理押し込まれた。その後すぐに手足を縛られ、身動きが取れなくなった。

 幼い彼女はその状況を全く飲み込めず、ただ走る車の中で涙を流すしか出来なかった。

 

 車は走り続け、一時間近く経ってようやく止まった。目の前には、一軒の民家があった。

 すると男は再び深雪を抱え、民家に向かって足早に歩を進めた。

 しばらくして辿り着いたのは、民家の裏手にある物置の前。男は乱暴に扉を開けて――深雪をその中に投げ捨て、扉を閉ざした。

 

 訳が分からなかった。いきなり知らない人に攫われて、こんなとこに閉じ込められて、自分は一体どうなってしまうのか。

 理解が追い付かなかった。幼い深雪には自分が何に巻き込まれているのかも分からなくて、考える事も出来なかった。

 

 心を支配していた感情は、ただ一つ――怖い、だった。

 

 助けてと、ここから出してと、手足を縛られて思うように動かない体で必死にもがきながら、何度も叫んだ。

 でも、何も起きなかった。ただ狭い物置の中で自分の声が反響するだけ。返事も、助けも、明かりも何も無かった。

 彼女は何も、自分の姿すら見えない暗闇の中で、ただ泣く事しか出来なかった。

 

 

 そしてそのまま――三日の時が過ぎた。

 一切の光を浴びず、飲まず食わずで体力も精神も磨り減って、もはや泣く事も声を出す事も出来なくなった頃に、ようやく閉ざされた扉が開かれた。

 

 暗闇から解放された彼女の視界に大勢の大人――警察らしき人が映った瞬間に、彼女の意識は深い闇に落ちた。

 

 

 彼女が巻き込まれたのは、身代金目当ての誘拐だった。

 結果的に事件は解決し、犯人も逮捕され、深雪もどうにか無事に家族の下に戻って来れた。

 

 しかし、この事件は深雪の心に大きな傷を残した。暗所恐怖症という、深い傷を。

 

 

 あの事件のせいで、暗い場所が死ぬほど怖くなった。少しでも暗いと、体が震えてしまうようになった。それは中学、高校に上がっても治らなかった。

 

 

 一生この恐怖と付き合っていくと、そう思っていた。でも、今は違う。今は暗闇を照らし、消し去ってくれるこの力がある。

 

「暗闇を消し去る光を、私は持っている……だから、恐れる必要は無い――!」

 

 覚悟を決めたように声を発し、彼女は左手を広げる。

 掌から、小さな光の球体が浮かび上がる。それはまるで電球のように彼女の周囲を照らす。

 

 これなら薄暗い建物の中でも大丈夫――深雪は深く息を吸ってから、デパートの中に駆け込んだ。

 

 案の定、建物の中は暗闇に支配されていた。

 だが、光の球体のお陰で周囲は明るく視界はなかなかに良好。

 

 ホッと一安心しながら、深雪は敵の姿を探す。

 

 ――かなり時間を与えてしまいましたからね……もう既にこの階には居ないかもしれませんね。

 

 ひとまず上の階を目指そうかと、階段の方に向かって走り出した、その時だった。

 目指す方角から、階段を駆け上がるような音が聞こえて来た。

 

「今の音……」

 

 この辺りに、他の敵の姿は無かったはず。だとすれば、今の音は間違え無く陽花(彼女)のもの。

 ……しかし、どうにもわざとらしい。彼女の情報はある程度持っているが、彼女にとっては足音を殺すぐらい容易い事だろう。

 にも関わらず、ここまで聞こえるような大きな足音を立てている。つまり、これは誘っているに違いない。

 

「……とはいえ、乗らない訳にもいきませんか」

 

 ここで渋っていては、更に彼女に策を練る時間を与え、仕掛けを仕込む余裕を与えてしまう。

 これ以上好きにさせては、こちらが不利。ここは罠と分かっていても、攻めに行く。

 

 深雪は目的を変えず、上階を目指して階段に向かって走る。

 

 数秒で目的の階段に到着。タイルの階段を手元の明かりを頼りに駆け上がる。

 二階に続く踊り場に差し掛かり、方向転換した、その瞬間だった。

 

 彼女の目の前に、キラリと光を反射する細長い何かが見えた。それが何なのか理解する前に、深雪はそれに捕らわれた。

 

「これは、ワイヤー……!?」

 

 それの正体は細長いワイヤー。一面に張り巡らされたワイヤーに体を取られ、深雪の足が止まる。

 

 刹那――頭上から一つの影が、彼女に覆い被さる。

 

「紫眼の……!?」

 

 影の正体は陽花。二階に続く階段の終点から飛び降り、踊り場でワイヤーに捕らわれる深雪に向かって苦無を構えて襲い掛かる。

 

 しかし、彼女が何かを仕掛けてくる事は想定済み。深雪は落ち着いて対応を開始する。

 左手に浮かぶ球体が、より一層光を強く放ち――迫る陽花に向かって光線を放つ。

 

 敵は空中。これは避けられまいと、深雪はニヤリと微かに口角を上げる。

 

 が、深雪目掛けて斜めに落下していた陽花が、突然鉄棒で逆上がりをしたようにクルリと半回転。光線を華麗に躱す。

 

 ――何が!? いや、階段の途中にもワイヤーを仕掛けていたんですね。それを掴んで、回避した訳ですね。

 

 流石に簡単には行かない。なら、もう一発撃ちこむまで。

 すぐさま追撃を仕掛けようと力を集中させる――が、陽花はそれ以上攻めて来ようとはせず、ワイヤーを利用して飛び跳ね、二階へと姿を眩ます。

 

「意外と消極的ですね……」

 

 ――まだ何か仕掛けている? ともかく、警戒は続けた方がいいですね。

 

 辺りのワイヤーを光線で一掃してから、深雪は二階に上がる。

 

 同時に、一本の苦無が彼女を出迎える。眼前に飛来したそれを、深雪は辛うじて躱す。

 飛んで来た方へ目をやると、そこには陽花の姿。

 

「今度は逃がしませんよ――!」

 

 右手を広げる。そこから粒のように、無数の光が深雪の周囲に散る。

 

「ハチの巣です!」

 

 右手を薙ぐ。それを合図に、散った光が散弾のように敵に襲い掛かる。陽花はそれから逃れるように、店内を駆け抜ける。当然、深雪も後を追う。

 光の散弾が辺りの店に残った商品を消し飛ばし、地面を抉りながら、陽花を追い詰める。

 

 やがて、陽花は洋服店の中に逃げ込む。

 

「追い詰めましたね」

 

 その店は、デパートの端に位置にある。つまり、これ以上逃げ道は無い。

 ここで一気に仕留めてやると、深雪も店内に入り込む。陳列された洋服で出来た迷路を、一気に駆け抜ける。 

 

 そしてとうとう、目の前を走る陽花の足が止まる。彼女の目の前は――行き止まりだった。

 

「フフッ……追い掛けっこは、ここまでのようですね」

 

 背後から忍び寄り声を掛けると、陽花がゆっくりと振り返る。その目は、とても追い込まれたようには見えなかった。

 

「追い詰められたのに、随分と余裕ですね。まだ何か逆転の手があるのですか?」

 

 陽花は何も答えない。

 

 まあ、この距離だ。攻撃を当てるのは容易い。避けられたとしても連射で追い詰めれば、何もやらせずに仕留められる。

 

「チェックメイト――ですね」

 

 正面に立つ陽花に向けて右手を突き出し、一閃の光を放つ。

 

 

 ――その、直後。放った光線が、自分に眼前に襲い掛かった。

 

「えっ……!?」

 

 思いがけない事態に、深雪は慌てて体を傾ける。光線は自分の顔を掠め、遥か後方に消える。

 

 何が起こった!? どうして敵に放ったはずの攻撃が自分を襲う!? 一体何をしたんだ!?

 予想外の事にパニックに陥るが、直後に視界に映った物を見て、深雪は全てを理解した。

 

「あれは……姿見!?」

 

 ――そうか、彼女の背後にあったのは試着室! 私が攻撃を放った瞬間に真横に逸れると同時にカーテンを開いた! そして私が放った攻撃は試着室の姿見に当たって、反射して返って来た! 彼女は追いこまれてここに来たのでは無い。私を誘い込んだ!

 

「……ッ!? しまった、彼女は!?」

 

 跳ね返って来た攻撃に対する驚きと、回避に精一杯で、目を離してしまった。彼女はもう目の前には居ない。

 慌てて辺りを見渡すが、周囲は洋服で出来た壁で囲まれ、上手く見えない。

 

「クッ……ここを選んだのも、身を隠しやすいから!?」

 

 ――いや、落ち着け! 今は動揺で冷静さを欠いてるだけ! まだ近くに潜んでるはず! 目を凝らせば、ちゃんと見える!

 

 右か、左か、それとも背後からか。敵がどこに潜んでいるのか、必死に目を走らせる。

 

 その時だった。不意に深雪を、頭上から落ちた影が覆う。

 

「――上!」

 

 反射的に深雪は顔と右手を挙げ、即座に光線を放った。

 光速で昇った閃光が、人影の頭部を抉る。

 

 ……が、舞い散ったのは肉片でも鮮血でも無く――プラスチックの破片だった。

 

「マネキン……!? ワイヤーで吊り上げて……!?」

 

 そう気付いた時には、既に遅し。

 深雪の背後から――紫眼を煌めかす、暗殺者が迫った。

 

「しまっ――」

 

 慌てて体を逸らす。が、陽花(襲撃者)の一撃は深雪の脇腹を掠め、僅かな切り傷を作る。

 

「この程度……!」

「ううん、もう、終わり」

 

 反撃に出ようとする深雪だが、対して陽花はもう戦いは終わったと言わんばかりに、武器を納める。

 どういうつもりだ――そう声を吐く寸前に、深雪は思い出した。

 

 彼女の扱う魔法が、どんなものかを。

 

 直後。突然、全身に激痛が走る。

 

「グウゥ……ガアァッ……!?」

「私の事知ってるなら、知ってるよね? 私の、魔法」

「はぁ……はぁ……即効性の、毒……」

 

 正解、と陽花は小さく頷く。

 

 陽花の魔石の持つ力は、『毒素生成(どくそせいせい)』。その名の通り、あらゆる毒素を作り出す事が出来る。さらには武器など自身が触れる物に毒素を付与する事も可能で、傷口などから体内に入り込めば、即座に効果を発揮する。

 そして彼女が対魔女戦で扱う毒はただ一つのみ。激痛が走り、数分後には死に至る――相手を苦しませ、殺す事のみを目的とした猛毒。

 

「今の攻撃で、あなたの中にその毒が入った。だから、もう終わり」

 

 武器をしまい、黒い指抜きグローブを嵌め直しながら、陽花は苦しみ、悶える深雪を見据える。

 

 ――ここで死ぬ? いやだ、死にたくない。死んだら、どうなるの?

 

 だんだんと、思考が出来なくなってくる。体から力が抜ける。視界が、黒に染まっていく。

 

 

 ――ヤダ……光が、消えてく……暗闇が、襲って来る……怖い。怖い、怖い、怖い、怖い。

 

「た、す、けて……」

 

 その言葉がこぼれた直後――彼女の意識は、抜け出す事の出来ない闇に落ちた。

 

 

 

 

 

 

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