『ラーメンと、高級な日本料理。あなたはどっちが食べたい?』
名演出家にして名監督である黒山墨字の作品の説明をするには、この問いが一番分かりやすい。
ラーメンという分かりやすい娯楽か。エンタメ映画か。
高尚な日本料理か。芸術的に価値がある映画か。
どちらが好きかは人による。そういうもんだ。
黒さんはカンヌ国際映画祭、ベルリン国際映画祭、ヴェネツィア国際映画祭の世界三大映画祭の全てで入賞した男だ。
すげえ。
なんだお前。
頭おかしいぞお前。
見る人が見れば、35歳の日本人監督でこれが凄いことなんだとひと目で分かる。
今の日本でこの経歴を見せても、「???」って反応が最大多数だろうな。
良くて「あーなんかすごそう」って反応くらいじゃねえか?
なんにせよ"よく分からん"としか、一般人は言いようがねえだろう。
何故なら日本では、映画は面白ければいいからだ。
作品に贈られる海外の賞には、日本人はあまり興味を持たねえ。
カンヌ国際映画祭、ベルリン国際映画祭、ヴェネツィア国際映画祭の世界三大映画祭は、どれも凄えもんだ。
だが、この三つの映画祭の映画は、あんま日本では上映されねえ。
それは何故か?
見ねえからだ、日本人が。
面白くないが素晴らしい映画がある。
面白いが素晴らしくない映画がある。
それなら日本人は、後者を見る。
俺も銀魂とかめっちゃ好き。
世界三大映画祭は、ハリウッドとは違え。
ハリウッドはよりエンターテイメントな映画、これまでにないものでありつつも大ヒットを狙った映画、大衆のための映画を作る。
世界三大映画祭では、よりアートな映画、より挑戦的で前衛的な映画、難しい技術を使って芸術的で美しくした映画が評価される。
だからハリウッドの映画は一般人の多くに受け、めっちゃ売れる。
世界三大映画祭で評価される映画は、評論家に受ける。
そういうことなら、映画で稼ぎたい日本の会社は、売れるかも怪しい世界三大映画祭の入賞作より、ハリウッドでめっちゃ売れた作品を輸入したいもんだろ?
だって誰も、赤字なんて出したくないもんな。
「売上が全てじゃない、売れなくても素晴らしい映画はある」と主張するデカい派閥の拠り所が世界三大映画祭になってる、って面も強え。
芸術か?
エンタメか?
そいつはまさに、人によるってやつだ。
好みの問題だ。
どっちを重視するかは、監督やスポンサーによって違うだろうし、映画を見に行く人の好みにもよるだろうぜ。
こいつが、世界三大映画祭での入賞者が日本で皆に凄えと言われない理由だ。
エンタメに特化してない。
だから世界三大映画祭の映画は大抵ハリウッドほど大ヒットしない。
大ヒットしねえから、『世界三大映画祭の入賞作は凄い』という意識が一般人の記憶の中に刻み込まれない。
だから日本の映画館に輸入もされなくなり、日本人の目に映る『世界三大映画祭の名作』の数もどんどん減っていく。
ヒーローが仲間達との絆&ド派手なアクションとCGで悪役をぶっ飛ばす映画と、美麗な背景と繊細な心情描写で美しい世界と心情の動きを表現する映画。
それなら、日本やアメリカでは前者の方が圧倒的に売れる。
かくいう俺だって、それなら前者の方が好きだ。
黒さんは、日本では無名だ。
アリサ社長は以前、黒さんが日本では無名な理由を、黒さんが金も名声も求めてなかったからだと言っていた。
だが、俺の個人的な見解は違う。
そもそも黒さんの活躍のフィールドの関係上、日本人は黒さんの経歴に「すげー」ってなれないんじゃねえか、ってのが俺の見解だ。
すげえ人なんだが、この人が日本人向けに作品を作っているのを見たことがない。
国内ではまだ無名の怪物。
例えるなら、まだ世の中が核ミサイルの存在を知らない時代の核ミサイルだ。
この人が『炸裂』すりゃ、間違いなく世界は震撼する。
だがこの人が『炸裂』するかどうか、まだ誰にも分からない。
確かなのはこの人の能力だけで、未来は分からない。
だってそうだろ、やべえよ。
日本は『エンタメ映画が受ける世界』だ。
つまりそこを下地にして腕を磨いた映画監督ってのは、世界三大映画祭で入賞しにくい作風と技術を揃えた監督になる。
日本人でも世界三大映画祭で入賞する人はいるが、そういう人達はまさしく周囲に染まらない個性の強い人や、本物の天才ばかりだ。
"日本で受けやすい監督"が、単純にイコールで"世界で受ける監督"になれない理由は、こういうところにもある。
黒さんは、日本には染まりきらなかった。
黒さんは黒さんの画作りをしてやがる。
そいつは、他人が真似しようとしてもできないすげえ強みなんだ。
日本で映画を作るなら、理想的な監督ってのは日本の観客層と日本の業界に最適化された監督なんだろうが、この人はそんな枠には収まっていない。
「ほー、また面白いの作ったんだな。
ゴジラ手袋と専用の設定した音楽ソフトか。
凡人でも凡人に出せない音を模倣できるって試みは悪くねえんじゃねえか?」
「差し上げますよ、ゴジラ手袋。俺はもういくらでも作れますから」
「お、いいのか? 柊の土産にするわ」
「絶対喜びませんよ」
俺は黒さんに呼ばれた。
黒さんはアリサさんに呼ばれて、この現場の対応を任されたらしい。
ここは、とある漫画原作の二時間ドラマものの撮影場所。
問題がここで発生したのは、少し前のことだそうだ。
日本の映像界にも派閥がある。
プロデューサー同士の対立、師匠筋の対立を引き継いだ対立、テレビ局内の派閥争いに、単純にプロデューサーの性格に問題があって不仲な監督がいたりもする。
そいつが今回、モロに出た。
撮影が開始されてから、とんでもない大喧嘩が発生し、監督が降りちまったのだ。
監督のコネでその撮影に参加しただけだ、って人は割と多い。
そういう人は、偉い人が監督と喧嘩したり監督に不義理を働いたりすると、監督と一緒に撮影を離れちまう。
こうなって初めて、上の人は「ヤバい」と実感し、「なんとかしろ」と言い、現場がそのツケを払うことになる。くたばれ。
カバーに動いたのは、このドラマにスターズ俳優を何人も提供しているスターズだった。
スターズが黒山墨字を動かし、黒さんが俺を引っ張ってきた、そういう話だ。
あくまでピンチヒッターなので、スタッフロールとかに俺達の名前が載るわけじゃあない。
次の監督が正式に決まるまで、俺達で撮影と制作を進める。
じゃなきゃ、制作の遅れが、正式な監督が決まる頃には手遅れになってるからだ。
「ごめんね、こっちの都合で朝風君まで動員しちゃって」
「いえ、俺も仕事ですから。町田さんはいつも通りに仕事しててください」
「うん、でも君が来たなら物作りの方が遅れることはなさそうね」
町田リカさんを初めとして、知った顔がちらほら見える。
申し訳無さそうな表情をしているが、その言動には俺に対する信頼があった。
……失敗に終わらせたくねえ。
この人達が作る映像は、絶対に予定通り世に出してやる。
「おう朝風。ガタついた大道具の修理とかも頼むぞ」
「黒さん、了解です」
「しっかしあのババア、ウルトラの母の癖して慈悲も優しさもねえ仕事振りしやがる」
「やめましょうよそういう呼称使うの」
"ウルトラ仮面の母"を略すなや!
「ほらプリヴィズだ。お前も仕事しながら見とけ」
「分かりました。大道具を直しながら見ておきます」
このドラマの場合なら要所の絵コンテ、撮影に使う街の一角の撮影写真、俳優を使っての簡易な通し演技などがそれにあたる。
まあ映像を見てるだけの時は手が空くしな。
空いた手で大道具を直していくってのは悪くねえかも。
「ああそうだ。
午後までにクライマックスシーンの橋作っとけ。
幅5m、長さ15mくらいでいい。
派手に崩落するやつだが、分かってるよな。任せたぞ」
おい
おいコラ。
午後まで? あと二時間くらい? そのヒゲむしるぞコラ。
「できるな?」
「できますけど……」
撮影スケジュールをフルに使って、俺もフルに使って、何作る気だ!
満足いかない映像は絶対市場に出さないプロはこれだから! これだから!
二時間だと、俺一人じゃ絶対に手が足りねえ。
いや、スタッフ全員動員しても一から橋なんて作ってられねえ。
こういう時は既存の奴のリペイントに限る。
頭の中で今、ここの各スタジオと倉庫の中にあるものを考える。何かあったか?
そうだ、あれがあったな。
「第八スタジオから橋のセット持ってきてください!
重くて大きいので大道具などの動ける人全員行っていいです!」
既にあるものを利用すんのは一番楽だ。
何より出来が早く、かつ上質になる。
流用万歳! 流用にも視聴者視点で欠点はあるがそいつは今は考えないでおく。
壊れない橋のセットを、壊れる橋のセットに変えるのもまたクソ労力がかかるだろうが、そこ考えるのは後にしねえとな。
残ってるスタッフにも色々聞いておかないと。
「ちょっといいですか?
MA(マルチオーディオ。映像編集責任者)の人はどこですか?
あと美術監督や美術の総締めの人と相談がしたいんですが」
「朝風さんと黒山さんが来る前、前の監督と一緒に全員出ていきました……」
「……ああ、分かりました。だからそんな顔しないでください。すぐに代わりがきますから」
死ねよぉ……俺が死ぬだろ……ちくしょう。
昭和の時代はスタッフの大半がストライキボイコットとかできた空気があったらしいが、もう想像もつかねえわ。
「映像編集で残ってるのは何人いらっしゃいますか?」
「新人と美術大学からのバイト、合わせて四人です」
「分かりました。アフターエフェクトか似たソフトを使える人間は?」
「ええと……聞いてきます!」
Adobe After Effectsは、デジタル合成やモーション・グラフィックスを行える販売ソフトウェアだ。
プロも、プロを目指す者も、こいつを使ってる奴は多い。
大学生でも使っていて、映画・TV番組・CMの作成にも使われてるこのソフトがあれば、バイトの人間を使ってもとりあえず映像加工で一つの作品にはできる。
「いました朝風さん! 新人とバイトに一人ずつ!」
「ありがとうございます! ……あとは」
高い技術を必要としないように、俺がここからの舵取りを間違えないようにしていこう。
(プランを立てよう)
まず、黒さんが作れと言ってたクライマックスシーンの橋。
こいつは崩れる橋の上をヒロインが駆け抜け、橋を渡りきって主人公に抱きつき、愛を誓うっていうシーンだ。
原作の漫画だと、それまで日常描写がほとんどだったところの最後に派手なこのシーンを入れることで、かなり印象的な場面になってる。
まあいいよな。
自分の命も顧みない愛の証明。
王道だ、嫌いじゃない。
俺の想定プランはこうだ。
第八スタジオにある橋のセットは、分割して運べる構造になってたはずだ。
大体のセットは、分割できるようになってる。
分割しねえと運べねえし、スタジオの入口から出せねえからな。
あの橋は確か、棘谷が古巣の人達が作った足場……だから、セットの下に
人手があれば、ここまで運んでくるまでは問題ねえ。
何よりいいのは、分割できるってことだ。
橋を真ん中から二つに分けられれば、できることもある。
■■を元の橋のセットだとする。
■と■を二つに分けた橋のセットだとする。
□を橋の高さまで上げられた飛び石みたいな、点々とした足場のセットとする。
○を人間だとする。
通常の橋のセットは、
○←
■■
人がこういう風に歩いて渡れる。
ここに、二つに分けた橋の間に飛び石的なセットを挟み、■□■という順に並べる。
■の部分はちゃんと橋のセットになってるが、□の部分は点々としか足場がないわけだから、ジャンプして足場を飛び移っていかないといけない。
すると、
○←
■□■
こういう風に、橋の部分は走って、飛び石的な足場の部分はジャンプしながら進んでいく感じになるだろう。
ここで、□の部分に橋のCGを合成する。
そして、主役たちが来たところで、CGを崩壊させる。
するとどうなるか?
走ってる途中にジャンプして、点々とした足場を飛び移っている元の撮影映像が、崩れる橋の中で、崩れていない足場を探して跳び移って渡りきるシーンに変わるってわけだ。
橋のセットが来て、そいつが組み上がったら、俺は橋のセットを二分割した状態で大改造して、□の部分にあたる橋の高さの飛び石セットを作りゃいい。
それでなんとか、午後には間に合う。
黒山さんが俺に午後までに作れと時間を指定したのは、そういう画作りをしておけっていう俺に対する指示だろう。
俺の能力で二時間以内に作れるものなんてこのくらいだしな。
口で言えやヒゲオヤジ。
とりあえず映像編集班は橋のCG作りに集中しておいてもらおう。
今はスタッフを誰も遊ばせておきたくない。
かといって今の制作班の状態じゃ、映像編集の出番が来るのはかなり先だ。
時間をかけて、ここの橋が崩れるシーンのクオリティを上げててもらおう。
頑張れよ皆の衆。
「橋セット到着しました! 今から組み上げます!」
「分かりました、出来たら俺にすぐ言ってください!」
今俺が動かせる人間は全部セットの組み上げを頑張ってもらおう。
俺はその間に、大道具の修理と、必要な分の作成を終わらせねえとな。
クロマキー合成、ってやつがある。
今の撮影方式だとそういう呼び方は正しくないから、別の呼び方しようぜって、言ってる人もいたが。結局今もクロマキー合成と呼ばれてやがる。
ある色成分を除外する、ってやつだ。
例えば、特撮の撮影では緑や青のマットが壁と床に敷き詰められた場所で、俳優の撮影なんかをしてるのが、これにあたる。
緑一色のマットを背景にして、撮影した俳優の動画から緑を除外する。
そうすると、緑の部分は透明扱いになり、この俳優の動画を他の動画の上に重ねるだけで、簡単に合成動画が出来る。
昔ながらの、特撮の王道だ。
この『透明にするための背景』を、グリーンバック、ブルーバックと言う。
何で緑と青なのかと言えば、そいつが人間の肌の色の補色だからだ。
補色ってのは、色相関で正反対に位置する色の組み合わせのこと。
補色を使うことで、緑や青を消しても人間の肌は画面から絶対に消えねえってわけだ。
「こっちで緑の塗装やるんで他のスタッフさんは近寄らないでくださいね!」
他スタッフに、俺は大きな声で呼びかける。
一旦スタジオの通路を使って屋外に出て、そっから塗装だ。
クロマキー合成のいいところは、緑の背景も緑の物質も、完全に同色なら一緒に消せるってところにある。
例えば緑の背景の前に、同色緑の足場を作り、百城さんにそこを歩かせるとする。
するとクロマキーで緑を消せるから、何もない空中を百城さんが歩いている合成映像を作ることができるってわけだ。
そう、足場。
大道具が作るべき足場だ。
しからば俺が作るべき足場である。
(備蓄の木材は足りてる。ぱぱっと作るか)
まず作ったのは、クロマキー合成用の足場。
仮面ライダー撮影場所で『サカナ台』と呼ばれる、仮面ライダーの撮影現場でしか使ってないニッチなやつの魔改造品を作った。
青色と緑色の二色、二種類一つずつありゃ十分だろ。
このサカナ台が発明されたのは、仮面ライダーディケイド(2009)の時。
これでもか、これでもかと仮面ライダーが出て来るというかつてない撮影に、撮影スタッフはライダーキックの撮影に疲れ切っていた。
そこで助監督の超さんが開発したのが、このサカナ台ってえわけだ。
なんでサカナ台かって?
その助監督の超さんのあだ名が、サカナだったからさ。詳しくは知らん。
緑のサカナ台の上に仮面ライダーが寝そべり、ライダーキックのポーズを取り、緑の背景で撮影し、クロマキー合成で緑を除外して合成する。
これだけでライダーキックの映像ができる。
へへっ、こいつはやはり基本だ。コイツがないと始まらねえ気がする。
「橋のセット組み上げまでもう少しです、朝風さん!」
「分かりました! こっちも残り終わります!」
小道具も作らねえと。
CG含む合成は新人とアルバイトに今のところ任せてるが、援軍が来たら速攻手直しをしてもらいたい……が、どうなるか分からん。
CGの粗は誤魔化さなきゃならねえ。
撮影時、カメラ手前側に作り物の手すり等を用意し、そいつが壊れるようにするなどして、『手前にリアル、奥にCG』の鉄則を徹底する。
ジュラシック・パーク(1993)ってやつがある。
言わずとしれた、世界を震撼させた伝説の恐竜映画だ。
こいつは
CGはカメラから遠くに、ヴェロキラプトルは着ぐるみで表現してカメラの近くに……こうすることで、実物を見ている人間の目が、遠くのCGも実物のように見せてくれる。
こいつが『手前にリアル、奥にCG』って鉄則の魅せ方だ。
(あとは!)
家屋系のセットも微調整・微修正し、橋のセットの準備が完了するギリギリまで他のことをやっていかねえとな。
瓦礫、煙も作らねえと。
橋が壊れるシーンで瓦礫が飛び、煙が漂ってりゃ、あとはカメラワークを激しくするとかでCGに多少粗があっても誤魔化せる。
映像編集の方に新人と大学生バイトしかいねえってんなら、俺がここからカバーすりゃいい。
瓦礫は発泡スチロール製、煙は四塩化チタンに混ぜ物をして作る。
四塩化チタンは空中の水分と反応して白煙を生じる特性を持つ物質だ。
ヒーローのスーツに黒い跡を描き、そこに四塩化チタンを塗っておけば、「弾丸が当たったところが焦げてるし煙出てる……痛そう」みたいに視聴者に思わせることができる。
こいつに混ぜ物をすれば、白と灰の混じり合った煙を演出できる。
橋のセットに仕込んでおいて、任意のタイミングで瓦礫と煙を同時に出現させることだってきできるわけだ。
また、ラブシーンでどこか現実的でないような、やや幻想的なシーンを演出することも可能だ。
そのまんま白煙で使ってもいいし、光を当てればまた別の色に見えるしな。
いやー便利だな四塩化チタン!
最近は仮面ライダーの撮影とかこれ昔ほど使ってねえけど!
「朝風さん! 橋のセット準備完了です! 言われた通り二分割してセットしました!」
「ありがとうございました! 五分以内にそっち行きます!」
まずは橋を加工する。
全体の塗装をどうにか工夫して、カメラアングル次第で過去のセットの流用だとバレない、そういう感じにしておきたい。
あと橋の各末端に手を入れて、CGの橋が崩壊した後も自然に見えるようにしておかないと。
作る、作る、作る。
ぶっさいくな出来だが、とりあえず11:30になる前に橋は完成した。
「黒さん、ちょっといいでしょうか?
手すりのチェックなどもしてほしいんですが……」
「ん? やっとか」
CGの橋が壊れる時、手前で壊れるための手すり。
とりあえずありものを使って、塩化ビニール製の手すりを作った。
真ん中に仕込みがあって、目を凝らさないと見えないくらいの細い糸を引っ張ると、真ん中が気持ちいいくらいベキっと折れるようになっている。
そういやウルトラマンメビウス(2006)に出てくる怪獣・コダイゴンジアザーの持ってる釣り竿も、あれ竹っぽく塗装しただけの塩ビパイプなんだよな。
普通のカッターナイフで切れ込みが入るくらい。
この手すり、ちょっとアレに近いかもしれん。
コダイゴンジアザーの釣り竿は本編で折れるが、確か切れ込みを入れてぶっ叩いても全然思うように折れなかったんだ。
だから折れた断面をそれっぽく加工した釣り竿を作成し、あらかじめ切断しておいた釣り竿を接着剤で仮止めして、叩きつけることで折れたシーンを演出してたはずだ。
リアルな折れ方にすりゃいいってわけじゃねえ。
分かりやすく折れること、分かりやすく折れた断面を魅せることが大事だ。
塩ビで手すりを作り、切断して二つに分け、断面をFRP(繊維強化プラスチック)で加工して折れた断面を刺々しく表現する。
工房に詰めてた方がもっといい出来になるんだが、ここで作るなら削り出しが限界だな。
それでも十分な出来になってると思う。
こうして本体塩ビ・断面FRPで作った手すりを、簡単に接着剤でくっつける。
くっつけた部分は上から塗装してるんで、そこで接着されてるなんて見ただけでは分からんように仕上げた。
こいつは、初代ウルトラマン(1966)由来の技術だ。
初代ウルトラマンのスーツは、スーツを着た上で医療用の薄手袋を付け、手袋とスーツの腕部分を一緒くたにしてゴム系塗料で銀塗装していた。
こうすることで、手袋とスーツの継ぎ目を隠すことに成功したのだ。
まあ、ゴム系塗料だったもんだから、着る時にはいちいち塗らなきゃならんし、脱ぐ時にも時間を掛けて剥がさないといけなかったそうだが。
塗装によって、既に折れてる手すりの接着面は見ただけじゃ分からない。
塩ビとFRPの二種を使っていることも分からない。
突貫作業にしては結構自信ある作品だぜ、これ。
自信作だった、んだが。
「ボツ」
ボツかよ!
「この手すり折りゃもっとよく分かるんだろうが、折らなくても分かる」
「……出来が悪かったでしょうか?」
「いや、出来は悪くねえだろ。悪いとすりゃ、スタンスの方だ」
スタンス? 俺の?
「分かりやすさ第一の子供向け番組のノリは、俺の手足には要らねえぞ」
「っ」
「分かりやすい折れ方はいらん。
地味でも、映えなくても良い。リアルに折れるようにしろ」
「……はい」
「やり直しだ。0点、出直してこい」
殺すぞ!
黒さんじゃなかったらキレてたかんな!
あんたの言うことにあんま間違いねえからなクソ。
……黒さんは、芸術を映像に描ける人だ。
でなけりゃ、世界三大映画祭全てで入賞なんてできやしない。
芸術に、分かりやすさはあまり必要ない。
分かりやすすぎるものは芸術として下等、なんて言う人もいるしな。
俺が仕事に自然と入れた"分かりやすさ"は、黒さんがしようとしていた仕事からすれば異物で余計なもんだったんだろう。
仕事は続く。
その後も結構、俺は仕事の呼吸があんまり合わない黒さんにダメ出しされ、仕事の細かいところを細々と修正させられていった。
つかれた。
黒さんは不機嫌には見えん。
ダメ出しはたくさんされたが、それは俺があまりにも無能だったんじゃなく、黒さんがより良いものを目指した結果なんだろうか。
いや分かんねえけど。
そう思いたい。
主に俺のメンタルのために。
黒さんは流石だな。
自分の名前を出さないことを条件にして、スケジューリングの権限までもぎとってやがったとは驚きだわ。
まあ分かる。
こんな作品に監督として名前を残したくないって思考も、スケジュールレベルで組み直さないとこの作品は世に出せないだろう、って思考は。
リアリストだもんな黒さん。
俺も今日は結構セットを作った。
椅子にテーブルに衣装に、撮影時に使う小物に、色々作った。
午前が一番忙しいと思ったら午後の方が忙しいってどういうことだ。
つかもう夜の12時だぞ。
『午後』もう終わってんじゃねーか!
俺は名目上は外部からの応援アシスタントだ。
が、黒さんが今代理監督な上、その手足として動かされてるもんだから、実際は助監督と美術監督を両方やってるようなもんだ。
アリサ社長ー。
早く本格的な代理として使える人間派遣しておくれー。
俺が死ぬぞ。
俺が俺を殺す。
適当な仕事をするくらいなら過労死して逃げた監督と問題起こした上の奴に思い知らせてやる覚悟だぞこの野郎。
「ふぅ」
休憩室で休んでいていいと言われたので、休憩室のソファーに横になる。
技を身に着けても体力は増えない。
朝から晩まで休憩を控え目にして動き続けりゃ、俺の体力はどう工夫しても空っけつになっちまう。ここから徹夜作業は無理だ。
道具作りは、俺が頑張ればとりあえず遅れは出ねえだろう。
映像編集は分からん。
他の仕事を全部引き受けて一部の業務にだけ集中させればなんとか、って感じか。
他は……黒さんが上手くやってくれることを祈ろう。
頑張れ黒さん。
あんたが上手くやってくれないと、俺は間違いなく一ヶ月以上地獄を見るぞ。
「何考えてるの?」
疲れからか、俺は幻聴を聞いてしまう。
柔らかな声だった。
このまま寝ちまおうかな、朝まで。
「無視されると傷付くなあ」
あ、これ幻聴じゃねえやつだ。
「百城さん!?」
「こんばんわ。お疲れ状態かな?」
「お疲れ状態です……何故ここに?」
「アキラ君と出先で会ってさ。
君に差し入れしようとしてたけど、忙しくて駄目になっちゃったんだって。
だから私が代理で来たんだ。
はいこれ、アキラ君が差し入れしようとしてたやつ」
「あ、白い恋人。前に好きだって言ってたのを覚えてくださっていたみたいですね……」
あいつマメな男だな、マジで。モテる男だ。
「それとこっちは私から差し入れ。ただのコーヒーだけどね」
「! ありがとうございます! 一生大切にします……!」
「いや、ここで飲めば良いんじゃないかな」
「疲れてるんで俺が今何か変なこと言っても忘れてください、切にお願いします」
くすっ、と百城さんは笑った。
可愛い。
甘いものとコーヒーはありがてえ。パワーの源だ。
「お疲れ様。また明日も応援にきてあげようか?」
「……いえ、大丈夫です。頑張れます」
「男の子だね」
百城さんは、ソファーの上でくてっとしていた俺の頭を撫でて。
「かっこいいよ」
そうして、帰路についた。さようなら百城さん。夜道には気を付けて帰れよ。
うむ。
やる気が出た。また明日から頑張ろう。
ピンチヒッター監督。複数の監督を使う作品作りで時々あるやつです
ちなみに二時間作品の色んな仕事を今まとめてやってる彼ですが、仕事分担の負荷はとても分かりづらい形で来ています
例えば仮面ライダー電王俺、誕生!(2007)
これのオープンセットを作るのに必要だった人数は、班長含む大道具六人、塗装師二人、装飾一人、装飾助手一人、美術一人、運搬ドライバー一人、ユニックオペレーター(作業者操員)一人の合計十三人だったとされています
今の黒山指揮での撮影は美術責任者(英二)一人、作業担当六人って感じの分担になります
英二君がMAや美術監督を最初に探したのは、指示を出してくれる人が自分以外にいた方が、自分の負担も減って自分の作業に集中できるからです
なお