周囲をカゲたちに囲まれる。鋭い鎧の爪を向けられる。一応いつでも刀を抜けるように構えておくが、斬れない鎧相手だと意味があるかどうかも果たして微妙だ。それでも牽制にはなると思って構えは解かない。
「きゃあっ」
クラリスの悲鳴が聞こえたが、後ろは振り向かない。この間もカゲ達と自分の睨み合いは続いているからだ。
「泥棒さん!」
「コラーッ、ご婦人はもっと丁重に扱えー」
ルパンの周りにカゲの気配がある。囲まれて首に爪を突きつけられているのだろう。
呼吸を限り無く細くし、集中力を極限まで高め、意識で間合いを作る。1歩でも踏みいれば斬るという意識を敷いておけば、直ぐには捕まる様な事はないと思いたい。
カゲたちの包囲が割れて、伯爵が現れた。
「態々指輪を届けてくれてありがとうルパン君」
「盛大な歓迎痛み入るぜ伯爵」
「早速だが君には消えてもらおう」
「さーて、そう簡単に消せるかなぁ?」
「やめて! その方に手を出してはなりません!」
「大丈夫だよお嬢さん。ドロボーの力を信じなきゃ」
ルパンへの話が一区切り着いた伯爵が、ルパンから此方へ視線を向けてきた。
「指輪を返してもらった所で、君からも預けたものを返して欲しいものだね。子ねずみ君」
「読んでも意味がわからない本でしたからね。返すのは構いませんよ」
懐から賢者の石の記録を出し、床に置いて滑って行くように蹴り飛ばす。
その一瞬他の意識が本に向かった隙を突いて頭上に向かって腕の袖口からアンカーを撃ち出す。
天井に刺さったアンカーから伸びるワイヤーが自動で巻き上げられ、身体が天井に向かって登っていく。
登りきった反動を利用して身体を振って、天井の非常口に飛び込む。
「ああ、おいノワールちゃん?」
「じゃあねルパン。骨は拾ってあげるから!」
カゲ達がジャンプして非常口に手を掛けようとするのを蹴り飛ばし、非常口を閉める。
中から伯爵がおれを追う様に指示を出す声が聞こえるが、追われるよりも逃げる方が早い。
塔の壁に両腰のワイヤーハーケンを撃ち込んで、そのまま下へ垂直降下。ヘタなアトラクションよりもスリリングな降下の行き着く先は礼拝堂の屋根だ。
屋根に着地してワイヤーを切り離して、アンカーガンで城壁の上の方にアンカーを撃ち、城壁の上に登るとサーチライトが焚かれる。
「クソッ」
銃撃を走って避けながら城壁の端から飛んで下の湖に飛び込もうとした瞬間。背中をいくつもの衝撃と熱が襲い。そのまま身体は湖に落ちて行った。
◇◇◇◇◇
「たった今君の息子は地獄に落ちたそうだ」
「…っ、そんな。あの子…」
「誰が俺の子だよ。俺はまだ独身だってーの」
伯爵からノワールがやられたらしい事を聞かせられた。
それを聞いたクラリスは息を呑んだ。急に現れたノワールのことまで気にかけてくれるなんて良い娘だな。
俺たちに着いてまわって色々なヤマを乗り越えてきたアイツの事だ。簡単には死んでいないとは思うが、そう判断出来る手傷を負っているかもしれないことは確かだろう。
「さて。次は君の番だが、態々花嫁の部屋をこそ泥の血で汚す事もないだろうと思っていてね」
「そんなこと言っちゃって。あとで後悔するぜ? それとな」
周りのカゲたちに囲まれて誘導された床は落とし穴になっている。ここから地下に落とす気だな。
「窮鼠猫を噛むっていう言葉を知ってっか?あんま舐めてっとガブーッと噛みつかれるぜ?」
「フッ。減らず口はそこまでだ」
床が抜けて身体が落ちていく。ワイヤーを落とし穴の壁から突き出ている針に引っ掻ける。まったくおっかねぇ城だこと。
まぁ、アイツも一応はルパン一家の仲間だ。そう簡単にくたばる様な鍛え方はしてないし、これくらいでくたばってたらアイツもいくつ命がなくなってるかわかったもんじゃない。
クラリスの指に嵌めた偽の指環から聞こえる伯爵の声を聞きつつ、窮鼠猫を噛むプランを考え始めた。
◇◇◇◇◇
「はぁ…っ、はぁ…っ、っっ、おれはっ、こんな、所でっ、死ぬわけ、には…っ」
岸になんとか這い上がって、背中に刺さった銛を抜く。
「ぐくっっ、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っっっ……っ~~~~~ーーー!!!!!」
刺さった銛を抜いて、あとは地を這って休める場所を探した。まだ何本か刺さっていそうだがどうにも出来ない。
寒さと濡れた服と流血に体力を奪われながら辿り着いたのは植木の木陰だった。
「うっ、く…っ」
治療をしようにも身動きが出来る体力は残っていなかった。背中の激痛も尋常ではない。痛みで泣いてしまいそうだ。普通なら意識が飛んでいるが、幸いにも銃弾の掠り傷とか稀によくある直撃の経験のお陰で歯を食い縛れば耐えられないこともない。
ざまぁない。裏社会で生活をしていれば良くあることだ。
襲い来る眠気。今寝たら確実に不味いのはわかっているが、抗えないその誘いに意識を引かれて、眠りに就いてしまった。
◇◇◇◇◇
「ぅぅ…っ」
寒さに目が覚めて、まだ夜が白みだした頃だった。
「…起きたのか?」
「…はい。…おはようございます」
パッパさんに声を掛けられて返事を返す。
「ちょうどいい。眠気覚ましにコーヒーでも淹れてくれ」
「はい…」
昨日の夜。お城がライトアップされた時、パッパさんも五エ門さんも少しそわそわしたけれど、灯りが直ぐに消えて落ち着いた頃にパッパさんに寝てろと言われて寝てしまった。
水を汲みに湖の方に向かう。水を汲んで、頭を起こすために軽い柔軟体操をして腰の銃を抜く。少し湿っぽい銃身を拭って、冷たい銃にキスをする。これは毎日の日課。離れていてもこの銃でわたしと彼は繋がっているから。
銃を腰のホルスターにしまって、水の入ったバケツを運ぶ。その途中で大きな犬を連れたおじいさんと出逢った。確か庭師のおじいさんだったはず。
「お、おはようございます…」
「おはよう。この辺りじゃ見ない顔だね。観光かい?」
「は、はい…。か、家族と」
あの時はわたしはノワールの影に居たからおじいさんからわたしは見えていなかったらしい。初対面みたいに接するおじいさんに合わせてわたしも初対面の様に会話をする。
「そうかそうか。だが、この周りは大公殿下のお屋敷じゃ。あまり荒らさんでおくれと親御さんにも伝えておくれ」
「は、はい…。では、それじゃあ…」
わたしが去ろうとすると、おじいさんの連れていた大きなワンちゃんが突然走り出した。
「これカール! どこへ行くっ」
「ワンッ! ワンッ! ワンッ!」
さっきまで大人しかったのに急に走りながら吠えて行ってしまうワンちゃんを追い掛けるのはおじいさんひとりじゃ大変そうだ。
「あ、あのっ、わたしも、追い掛けます」
「そうか? すまんな」
バケツを置いてわたしはワンちゃんが走った方に向けて走り出す。五エ門さんの修行で足はかなり速くなっているから、たぶん追い付ける。
「ワンッ!」
ワンちゃんに追い付いたのは、少し開けた庭園みたいな場所だった。
お屋敷は焼けて荒れ放題なのに、ここだけは今も手が入っているのがわかる。
「見つけた…」
「ワンッ」
ワンちゃんがわたしを見て吠えてきた。
「ッッ!?!? ノワール!!!!」
木陰で俯せに眠っているノワールが居た。でもどうして周りが血まみれで、背中に2本も棒が刺さってるの?
「ワン」
「っ、ノワール!!」
どうしたら良いかわからなくて声を描ける。こういう時はどうすれば良いの?
「こりゃ酷い。お嬢ちゃんの友だちか?」
あとから追いついてきたおじいさんの声に振り向いて縋りつく様にお願いした。
「お願いしますっ、ノワールを助けてっっ」
ノワールが普通のケガをしていないのは百も承知で頼み込む。
「で、でも、け、けいさつとか、びょういんはダメで、だから、だからっ」
「ワケがありそうだね。お嬢さん」
普通の人なら警察を呼ばれたり病院に連れていかれたりするのは決まっているから、腰から抜いた銃を向けてまでおじいさんに頼み込む。
「…なーにやってんだ、おめぇ」
「っ、パッパさん! ノワールが、ノワールがっ」
おじいさんに銃を向けていると、パッパさんがやって来た。
「パッパ言うな。それとそれくらいで死ぬようなタマじゃねぇよ」
「お前さんはこの間の」
「よう、じいさん。ウチの倅が迷惑掛けちまったな」
そうおじいさんに声を掛けると、パッパさんはノワールを肩に担ぎ上げた。
「お前さんたちは何者だ。ただの観光客ではなかろう」
「まぁ、チョイとした人助けの最中ってだけさ。ジャマしたな」
そのままノワールを担いで歩き出すパッパさん。おじいさんに頭を下げてわたしもあとを追う。
「ぅっ…、ぁっ……。じ、じげ、ん……」
「目ぇ覚めたか? 余計な手間取らせやがって」
「ツケに、しとい、て……」
「おうおう。ツケが貯まって大変だなぁ」
「…フッ。ちゃんと……、はらう、さ…」
背中に棒が刺さったままで喋っているノワールに声を掛けようかどうしようか迷ってしまう。余計な負担は掛けないようにやっぱり声は掛けない方が良いのかな。
「麻酔なんて上等な物はないからな? 覚悟しとけよ」
「あぁ……」
お屋敷の天幕を張った場所にノワールを担いだパッパさんが戻ると、五エ門さんもノワールを見て目を一瞬見開いた。
「昨夜の動きはお主だったか」
「まぁ、そういうこったろうな」
ノワールを俯せに寝かせたパッパさんはネクタイを外して丸めると、ノワールの口にあてがった。
「321で抜くぞ」
それにノワールは頷いて答えた。
「3、2、1…っ」
「ぐむっっっ、むぅぅぅう゛う゛う゛う゛う゛っっ」
一本の棒を抜くだけでとてつもない悲鳴をネクタイを噛んで我慢するノワール。
「手持ち沙汰なら手でも握っててやりな」
「は、はい…っ」
手が真っ白になるほどに強い力で握られた指を解して、指を絡める様に握り締める。
「次、行くぞ。3、2、1っ」
「ぐむっっっっ、っ~~~~~ーーー!!!!!」
痛いどころか指が折れそうなくらい強い力で握られた手。でも本人はもっと痛いはず。
どうしてこんな痛い思いをしてまで危ないことをするのだろうか。ノワールも子供だからわたしみたいに学校に通っても良いと思うのはダメなことなのかな。
「どうしてノワールはこんなになっても」
「男には自分の世界ってものがあるからな。自分の世界と合わない場所に居ても苦しいだけさ」
「でもノワールはまだ子供なのに」
「子供である前に、コイツはガンマンで居たいのさ。いや、ガンマン以外にも色々とやっちゃいるが、わかっているのは、コイツには普通の生活は合わねぇってことだ」
「そんなこと……」
火で炙った針に糸を通して、ノワールの傷口を縫うパッパさんとの問答。日本に居るときのノワールは普通なのに、どうしてルパンさんが関わるとこうも危ないのに首を突っ込んで行くのだろう。
「そいつがわからねぇウチはまだまだだぜ」
わからない。ノワールも酷いケガをして、ルパンさんも大ケガをしてお城から逃げてきたのに、どうしてまだ逃げないのか。
わたしには、それがわからない。
◇◇◇◇◇
庭師のおじいさんに匿って貰って、ベッドに眠り続けるルパンさんはミイラみたいに包帯がぐるぐる巻きだった。
「どう? ルパンの具合は」
「熱がまだ下がらねぇな。ま、傷が傷だしな」
篭にパンや飲み物を入れたノワールがパッパさんに訊ねながらパンとビンを渡す。
「ほい、五エ門」
「かたじけない」
五エ門さんにもパンを渡したノワールも椅子に座る。
「いちちちっ」
「だ、大丈夫?」
「あぁ。ゆっくり座ればな」
痛がるノワールに声を掛けて、座ろうとする彼を支えながらゆっくりと座らせる。
「それで。そっちはこれからどうすんだ?」
パンをかじりながらノワールにパッパさんが訊ねた。
「まぁ。傷はヘマこいた手前の所為だけど、無理矢理女の子がオジサンと結婚させられるのはおれ的にもNGなわけよ」
首もとの黄色いネクタイを締めながらノワールが口を開いた。いつものノワールとは違う。何処かルパンさんに似た調子だった。
「伯爵の狙いはカリオストロ家に伝わる秘宝さ」
「……お宝の在処がわかったのか?」
「まぁ、大体は。問題はその鍵がお姫様と伯爵の持つ銀と金の指環だってことさ」
「あの指環か。んで? どう盗むんだ」
「カリオストロ家は古い習わしで指環を交わして婚姻の印になる。つまり伯爵とお姫様の結婚式にはちょうどふたつの指環が揃うってわけさ」
「結婚式に乗り込もうってか? 大胆な事を考えやがる」
「ルパンなら同じことを考えるさ」
パッパさんと話ながら、ノワールは篭から新聞を取り出してパッパさんに投げ渡した。
「しかも結婚式には西側諸国を中心にVIPもわんさかの場で偽札造りをおっぴろげにしてお姫様を盗んだらどうなると思う」
「ヒゲじじいの権威は失墜だな。だがそれだけで掃除が出来るのか?」
「衛星中継も入れるってさっき不二子と会って聞いてきた。全世界生中継ってやつさ」
「そりゃたまんねぇわな」
口許をニヤつかせるパッパさんとノワール。この辺りのふたりの顔はそっくりだと思う。
「でもいつ不二子とグルだったんだお前」
「仕事手伝うから城の中に忍び込む手伝いをして貰ったのさ」
「俺たちが苦労して水道から入ろうって時に不二子とよろしくやってたワケだ」
「別に~。不二子と仕事してただけだし」
ニヤニヤしながらノワールの肩を肘で突っつくパッパさん。なにやってるんだろう。
ここまで話を聞いてきたけど、内容が殆ど掴めない。どうしてこっそり盗み出さないで目立つ様な事をするのかがわからない。
「ただ問題はルパンが起きないと始まらないってことさ」
「まぁ、お姫様盗むって予告だしたのはルパンだからな」
「オマケにお姫様のルパンに対する印象も白馬の王子さまって言うのがミソよ」
「ハッ。サル面の白馬の王子さまなんて夢に出そうだぜ」
「ククク、ッッ、ちげぇねぇ」
「しかし警備は厳重だ。どうやって城の中に入る」
痛みを堪えながらパッパさんと笑うノワールに五エ門さんが訊ねた。
「そこについてもアテはありさ」
そう言いながらノワールはパッパさんから五エ門さんの手に渡った新聞を指差した。
「バチカンの大司教が婚姻式の進行役で来るんだとさ」
「成る程。それに化けて入ろってワケか」
「ピンポーン♪ 大正解!」
そうパッパさんに言いながら立ち上がって、ルパンさんの銃が収まったホルスターを肩から下げて、赤いジャケットを羽織った。
「なんだ。ルパンごっこでも始めようってか?」
「まさか。城下町に停めてある車を取りに行くだけさ」
「あ、ならわたしも…」
「否、拙者が参ろう」
「悪いね五エ門センセ」
家から出ていくノワールと五エ門さん。またわたしは置いてけぼりだ。
「なんでルパンさんの銃を」
「背中の傷で後ろ腰から銃が抜けねぇんだろ」
「ならホルスターの位置を変えれば良いのに」
「それが男ってやつだ」
わたしが女だからノワールやパッパさんたちの事がわからないのかな。
◇◇◇◇◇
「いっっっ」
「大丈夫か?」
「まぁ、なんとか」
背中の引き攣る感覚をこらえながら歩く。
「しかし何故ルパンの服を」
「いやだって服は血まみれで着れないし。手持ちも全部車だし」
「大きさが合わずに却って目立つのではないのか?」
「だからワルサーも借りてきたし、五エ門センセ~も居るから心配はしてないのよ」
流石にルパンの服を着たままマグナムは似合わないし。それに傷が痛くて腰からマグナムを抜くのに少し時間が掛かる。だから脇の下から抜けるルパンのワルサーを借りたのだ。
「ルパンは解らんでもないが、お主がここまでその花嫁に肩入れする益とはなんだ」
「別に。ポリシーだよ」
大人の都合に子供は関係ない。ただそれだけで深い意味はなにもない。
大人に振り回されて人生に生きる意味を見失ったひとりのバカがせめて自分の目に見える範囲で、そんな子供がひとりでも減るのなら。
慈善事業者でも聖人でもない自分に出来るのは高が知れている。
なら何故サオリに手を出したのかと言われたら、日系の血を感じる顔と、まだ子供でスラムに落ちる前の普通の女の子だったからだろう。
言っちまえば、手前の勝手な都合で偶々拾った娘を面倒みてるだけだ。クソ野郎かな?
ただひとつ言える事は、ルパンが目を覚ました時にはすぐに動ける様に準備をするのがおれの仕事だ。
to be continued…