駆るは青年。
語るは不穏。
そして、傍らには巫女装束と思しき少女。
物語の、幕は開く。
夕暮れ、暗がり――
赤・青・橙に、黄色や紫。
『それら』で
時折、それらを引き裂くようにして、クラクションの音がけたたましく響き渡ると、人々はようやく僅かに口を
――そんな賑やかな街並みを、眼下に見下ろすような山道にひとつ。
毒々しいまでに鮮やかな赤のスポーツカーが、光の軌跡を描くようにして駆け上がっていた。
暗がりの中を心許ない二つのライトだけで照らし出す車両は、けれども迷いも惑いも無く、山肌に連なるヘアピンカーブを滑らかに上っていく。
一つ間違えば、斜面をどこまでも転がり落ちるような、生と死との境界線。
その上を、車両は駆けていく。
「――ったく、遅いんだよ。うちへ寄越すのが」
巧みにハンドルを――そして、シフトレバーを操作しながら、青年は忌々し気に吐き捨てた。
年の頃はまだ二十代だろうか。
無造作に整えられた、ぎらぎらと目に痛いほどの金髪のためか、見た目には随分と若く、この派手な車体には、よく見合っているかもしれない。
「喰い殺されたのは――牛が八頭に? 豚が四頭だったか。それから、キャンプ客が三人と、猟友会の会員が六人? なんでそうまで自分らでどうにかしようと思っちゃうかね」
「仕方ないだろ……『そいつ』が熊じゃないってことも、猟友会の生き残りの証言でようやく分かったくらいなんだから」
苛立ちが治まらない様子の青年を
――だからって。と、喉までかかった言葉を飲み込み、代わりに青年は大きなため息を返す。
「『
「『
確かに、世間一般的な常識の
まさか、化け物のような猿――いや、猿の『かたち』をした化け物の仕業だなどと、想像できるものが居るだろうか?
いや、もしも仮に――万が一にでも、そうしたものが居ると想像できたところで、誰が自らの上役に「化け物の仕業です。我々では手に負えません」などと言えようものか。
そんなことをすれば、適切な対処が望まれるどころか、どこかの病院へ入れられたっておかしくないだろう。
そうと思えば、こうまで報告も対応も後手に回ってしまったことだって、あるいは仕方のない事かもしれない。
そもそもが、彼らにとって『これら』の出来事は、本来『起こり得ない事』なのだ。
誰がそのことを責められようか。
青年は、再び静かにため息を吐くと、助手席に座る人物へ、ちら――と視線を投げかけた。
そこに居たのは、随分と小柄な女性であった。
いや――物静かな雰囲気が大人びては見えるが、その身体つき。
手指に浮かぶ、きめ
瑞々しさに満ちた、柔らかな唇。
腰まで有ろうかというほどに長く
それは、女性と呼ぶにはまだあどけなさの残る、年端も行かぬ少女であった。
先ほどから続いている青年たちの問答に、一切の反応を見せぬまま、少女は車窓の闇をただじっと、静かに見据えている。
――あるいは、彼女の目には、彼らの言う『
「『居そう』かい?」
青年の、如何にも軽薄じみた声色に、少女は言葉も無く、こくり――と頷いて応える。
幾ら目を凝らしたところで、何一つ、すがたかたちを捉えることの出来ない暗闇の中。
やはり、彼女は確かに『それ』を捉えているらしい。
「こちら
少女の『応え』に満足げな表情を浮かべた青年――
目的地は、目と鼻の先である。
「さすがにまだ早いだろ?」と
その表情には、少女に対する疑いや心配といった様子は、
確信とも言うべき信頼すら浮かんでいるのではないだろうか。
そうして、間も無くして車は『緊急退避所』と表記された看板のところへと、停められた。
道の先が封鎖された『そこ』は、ただでさえ車通りの少ないこの山道の中でも、特に普段から使われることの無い場所だと言える。
――とはいえ、本来の目的からすれば、理由も無く使うべきではないのだが、今夜に限っては、一般車が通行しないよう、疾うの疾っくに手配済みである。
まだ梅雨も明け遣らぬ夜の森は、随分と湿り気を帯びて、そのくせ肌を撫でる空気はひどく冷たい。
ぢっとり――と、重く張り付いたような霧が、あるいは霧雨と言うのが相応しいほどのそれらが、辺り一帯に滞留し、動物や鳥たちの鳴き声はおろか、息遣いすらも溶け込んで、呑み込まれてしまいそうなほどである。
警戒するように周囲を見渡す
夜の森。
赤のスポーツカー。
金髪の青年。
その、いずれにも似つかわしくない出で立ちで、少女はその場へ降り立つ。
染み一つ無い白の小袖。
燃えるような
そして、透き通るような白の
少女の纏う装束は、見紛うこと無き巫女のそれであった。
「そうそう、今日のお仕事は『
――失敗する事の無いように。と、言い切るよりも早く、少女は
遅れてやってきた頬を打つ冷たい空気だけが、彼女が
「ま、言うまでも無い――か」
半ば呆れたように――あるいは、置き去りにされた憐れな自分の境遇を、自嘲するかのように冷笑すると、「そういうわけだから、『処理班』――早めによろしくね」と、再び
時刻は既に二十一時を回っている。
――『処理班』を待つ間に日を跨がなきゃいいけど。と、
そこには、ただただ静寂だけが満ち満ちているだけであった。
深い木々の中を、少女は疾走する。
人工的な灯りなど何一つ無い。
星明りはおろか、月明かりさえも通さない。
およそ、視界など何一つ確保されていないであろうその中を、しかし少女は疾走する。
何一つ迷う事無く。
何一つ
――と、少女は何かを察したかのように、僅かにその身を屈めるように、体勢を低く取った。
直後、その紙一重のところを、『何か』が空気を切り裂くように貫いていく。
次いでもう一つ――また一つ。
進む先の方角から少女へ目掛けて、『何か』が幾つも飛来する。
ぶうん――という音を立てて空気を切り裂き、後方の木々を
いや――人の頭ほどもあろうというそれは、もはや岩とでも言うべきだろうか。
凄まじい速度で投擲(とうてき)されるそれは、まともに受ければただでは済むまい。
しかし、少女は
「見つけた――」
やがて、霧と木々の開けた、星の薄明かりの下で、少女と『それ』は対峙を果たした。
大の男より、一回りも二回りも大きな体躯に、宛ら針金のような剛毛を逆立たせた『それ』は、かたちこそ人に似せてはいるものの、人間に比べて随分と『けもの』じみている。
手足はいかにも長く、口は頬の辺りまで裂けそうなほどに広い。
地響きと聞き間違うほどに低い唸り声を上げ、黒々とした瞳に狂気とも怒気とも取れぬものを浮かべ、少女を
獣の咆哮が夜の森に
――刹那、銀色の閃光が閃いた。