字――あざな――   作:がめちょん

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 夕闇の繁華街を遠めに見下ろす山間の道を、一台の――鮮やかな赤のスポーツカーが駆けていく。
駆るは青年。
語るは不穏。
そして、傍らには巫女装束と思しき少女。

 物語の、幕は開く。



一章一節 夕暮れ、暗がり――宵の口

 夕暮れ、暗がり――(よい)の口。

(きら)びやかな駅前の繁華街は、色鮮やかなネオンを幾つも幾つも灯していく。

赤・青・橙に、黄色や紫。

『それら』で(うるさ)いほどに彩られた大通りは、行き交う人々でごった返し、人々の雑踏と取り留めのない雑談は、宛らノイズのように街を賑わせている。

時折、それらを引き裂くようにして、クラクションの音がけたたましく響き渡ると、人々はようやく僅かに口を(つぐ)み、立ち止まる――が、しばらくそうして眺めると、何もなかったかのようにまた談笑に興じ、何処へともなく歩いていく。

――そんな賑やかな街並みを、眼下に見下ろすような山道にひとつ。

 毒々しいまでに鮮やかな赤のスポーツカーが、光の軌跡を描くようにして駆け上がっていた。

暗がりの中を心許ない二つのライトだけで照らし出す車両は、けれども迷いも惑いも無く、山肌に連なるヘアピンカーブを滑らかに上っていく。

 一つ間違えば、斜面をどこまでも転がり落ちるような、生と死との境界線。

その上を、車両は駆けていく。

 

「――ったく、遅いんだよ。うちへ寄越すのが」

 

 巧みにハンドルを――そして、シフトレバーを操作しながら、青年は忌々し気に吐き捨てた。

年の頃はまだ二十代だろうか。

無造作に整えられた、ぎらぎらと目に痛いほどの金髪のためか、見た目には随分と若く、この派手な車体には、よく見合っているかもしれない。

 

「喰い殺されたのは――牛が八頭に? 豚が四頭だったか。それから、キャンプ客が三人と、猟友会の会員が六人? なんでそうまで自分らでどうにかしようと思っちゃうかね」

「仕方ないだろ……『そいつ』が熊じゃないってことも、猟友会の生き残りの証言でようやく分かったくらいなんだから」

 

 苛立ちが治まらない様子の青年を(なだ)めるように、通信機の越しの――これもまた、若い男の声が答えた。

――だからって。と、喉までかかった言葉を飲み込み、代わりに青年は大きなため息を返す。

 

「『(ましら)』――か」

「『(ましら)』――だ」

 

 確かに、世間一般的な常識の範疇(はんちゅう)で考えれば、これほどの被害を起こす害獣など、熊以外に想像もつかないだろうし、それは彼ら――猟友会の領分だと言えるだろう。

まさか、化け物のような猿――いや、猿の『かたち』をした化け物の仕業だなどと、想像できるものが居るだろうか?

いや、もしも仮に――万が一にでも、そうしたものが居ると想像できたところで、誰が自らの上役に「化け物の仕業です。我々では手に負えません」などと言えようものか。

そんなことをすれば、適切な対処が望まれるどころか、どこかの病院へ入れられたっておかしくないだろう。

 そうと思えば、こうまで報告も対応も後手に回ってしまったことだって、あるいは仕方のない事かもしれない。

そもそもが、彼らにとって『これら』の出来事は、本来『起こり得ない事』なのだ。

誰がそのことを責められようか。

青年は、再び静かにため息を吐くと、助手席に座る人物へ、ちら――と視線を投げかけた。

 

 そこに居たのは、随分と小柄な女性であった。

いや――物静かな雰囲気が大人びては見えるが、その身体つき。

手指に浮かぶ、きめ(こま)やかな肌。

瑞々しさに満ちた、柔らかな唇。

腰まで有ろうかというほどに長く(つや)やかな黒髪は、今にも窓の外に広がる闇に溶けてしまいそうなほどに――暗い。

それは、女性と呼ぶにはまだあどけなさの残る、年端も行かぬ少女であった。

 先ほどから続いている青年たちの問答に、一切の反応を見せぬまま、少女は車窓の闇をただじっと、静かに見据えている。

――あるいは、彼女の目には、彼らの言う『(ましら)』が、既に見えているのだろうか。

 

「『居そう』かい?」

 

 青年の、如何にも軽薄じみた声色に、少女は言葉も無く、こくり――と頷いて応える。

幾ら目を凝らしたところで、何一つ、すがたかたちを捉えることの出来ない暗闇の中。

やはり、彼女は確かに『それ』を捉えているらしい。

 

「こちら上総(かずさ)。間もなく予定のポイントに現着する――ってわけで、『処理班』の手配、よろしくな、板倉(いたくら)

 

 少女の『応え』に満足げな表情を浮かべた青年――遠野(とおの) 上総(かずさ)は、通信機越しにそう伝えると、僅かに車体を加速させていく。

目的地は、目と鼻の先である。

「さすがにまだ早いだろ?」と(いぶか)しむ通信相手――板倉(いたくら) (かなめ)へと、上総(かずさ)は「むしろ遅いくらいさ」と鼻で笑う。

その表情には、少女に対する疑いや心配といった様子は、微塵(みじん)も見られない。

確信とも言うべき信頼すら浮かんでいるのではないだろうか。

 そうして、間も無くして車は『緊急退避所』と表記された看板のところへと、停められた。

道の先が封鎖された『そこ』は、ただでさえ車通りの少ないこの山道の中でも、特に普段から使われることの無い場所だと言える。

――とはいえ、本来の目的からすれば、理由も無く使うべきではないのだが、今夜に限っては、一般車が通行しないよう、疾うの疾っくに手配済みである。

 上総(かずさ)は先に車を降りると、(さなが)らエスコートするかのように、助手席のドアを開いた。

 

 まだ梅雨も明け遣らぬ夜の森は、随分と湿り気を帯びて、そのくせ肌を撫でる空気はひどく冷たい。

ぢっとり――と、重く張り付いたような霧が、あるいは霧雨と言うのが相応しいほどのそれらが、辺り一帯に滞留し、動物や鳥たちの鳴き声はおろか、息遣いすらも溶け込んで、呑み込まれてしまいそうなほどである。

 警戒するように周囲を見渡す上総(かずさ)の視線の先で、少女は羽織っていた上着を――半ば脱ぎ捨てるかのように、助手席へと放り込んだ。

 夜の森。

 赤のスポーツカー。

 金髪の青年。

その、いずれにも似つかわしくない出で立ちで、少女はその場へ降り立つ。

 染み一つ無い白の小袖。

 燃えるような(あか)の袴。

 そして、透き通るような白の上襲(うわがさね)

少女の纏う装束は、見紛うこと無き巫女のそれであった。

 

「そうそう、今日のお仕事は『(うえ)』へ定例報告するやつだから、くれぐれも――」

 

――失敗する事の無いように。と、言い切るよりも早く、少女は上総(かずさ)の視界から姿を消していた。

遅れてやってきた頬を打つ冷たい空気だけが、彼女が()うに行ってしまったことを告げている。

 

「ま、言うまでも無い――か」

 

 半ば呆れたように――あるいは、置き去りにされた憐れな自分の境遇を、自嘲するかのように冷笑すると、「そういうわけだから、『処理班』――早めによろしくね」と、再び板倉(いたくら)へ催促するのであった。

 時刻は既に二十一時を回っている。

――『処理班』を待つ間に日を跨がなきゃいいけど。と、上総(かずさ)はややうんざりとした心持で、少女の去っていった方角をぼんやりと眺める。

 そこには、ただただ静寂だけが満ち満ちているだけであった。

 

 深い木々の中を、少女は疾走する。

人工的な灯りなど何一つ無い。

星明りはおろか、月明かりさえも通さない。

鬱蒼(うっそう)とした木々は重なり合い、(もつ)れ合い、わずかに白く滲んだ視界の中へ漆黒の影を落としては、幾重(いくえ)にも行方(ゆくえ)を遮るようにして、少女の道を阻まんとする。

およそ、視界など何一つ確保されていないであろうその中を、しかし少女は疾走する。

 何一つ迷う事無く。

 何一つ躊躇(ためら)う事無く。

(つまず)くことも、立ち止まる事も無く、まるで闇の中にありながら、周囲が見えているかのように、少女はひた走る。

――と、少女は何かを察したかのように、僅かにその身を屈めるように、体勢を低く取った。

 直後、その紙一重のところを、『何か』が空気を切り裂くように貫いていく。

次いでもう一つ――また一つ。

進む先の方角から少女へ目掛けて、『何か』が幾つも飛来する。

ぶうん――という音を立てて空気を切り裂き、後方の木々を(したた)かに打ちつけて、幹を砕き、力任せにへし折ったそれらは、見紛うこと無き石塊(いしくれ)であった。

いや――人の頭ほどもあろうというそれは、もはや岩とでも言うべきだろうか。

凄まじい速度で投擲(とうてき)されるそれは、まともに受ければただでは済むまい。

しかし、少女は微塵(みじん)も恐れる様子を見せることなく、その(ことごと)くを紙一重の所で躱しながら、その『主』のところへと駆けていく。

 

「見つけた――」

 

 やがて、霧と木々の開けた、星の薄明かりの下で、少女と『それ』は対峙を果たした。

大の男より、一回りも二回りも大きな体躯に、宛ら針金のような剛毛を逆立たせた『それ』は、かたちこそ人に似せてはいるものの、人間に比べて随分と『けもの』じみている。

手足はいかにも長く、口は頬の辺りまで裂けそうなほどに広い。

地響きと聞き間違うほどに低い唸り声を上げ、黒々とした瞳に狂気とも怒気とも取れぬものを浮かべ、少女を()め付けている『それ』は、それこそが上総(かずさ)たちが『(ましら)』と呼んでいたものに間違いないだろう。

 獣の咆哮が夜の森に(とどろ)き渡る。

――刹那、銀色の閃光が閃いた。

 

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