字――あざな――   作:がめちょん

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一章三節 それは、ごくありふれた日常の風景

 それは、ごくありふれた日常の風景。

校庭の方では、予鈴を聞いた生徒たちが、慌てた様子で校舎へと駆け戻っている。

廊下や周りの教室もまた、俄かに騒がしさを増している。

職員棟を見れば、気の早い教員の幾人かは既に、授業のための荷物を抱え、教室へ向けて移動を始めている。

 (あざな)もまた、陣内の後につくようにして、実習棟へと向かう。

渡り廊下から外を眺めると、遠くの空は随分と青々として、早くも夏の到来を告げているかのようにさえ感じられる。

 ()の時間。

 人の時間。

『おそろしいものども』の跋扈(ばっこ)することの無い、安寧(あんねい)の時。

欠伸(あくび)の出る程に退屈な、けれど生き死にの関わることの無い平穏の時が、この学び舎を支配している。

 しかし、それでいいのだ。

そうでなくてはならないのだ。

 

 彼らは知らない。

夜の闇に何が潜むのかを。

 彼らは知らない。

彼女が『それら』と、どのように関わっているかを。

 彼らは知らない。

自らの送る生活の裏側に、どのような者たちが存在するのかを。

 彼らは知らない。

知らされる事のない、それらの秘匿された機関を。

 彼らは知らない。

それらを知ることが、どれほどに危険であるかを。

 彼らは知らない。

知れば自らがどうなるかを。

 彼らは知らない。

彼らは知れない。

 彼らは知らない。

彼らが知らないという事すらも。

 

 闇に潜み、人の世を脅かすモノ――(あやかし)

古来より、伝承や物語の内に現れ、時に退治され、時に人と手を取り合い。

けれども決して表の歴史に現れる事の無い、現れてはならない存在。

 そんな彼らを狩り、あるいは説き伏せて、人々の――人の世の平穏を影ながらに守り続けている者たちが居る。

(あざな)の属する『(しきみ)機関』もまた、そうした秘匿機関の一つであった。

 

「良い天気だね」

「うん」

「まるで、梅雨なんて明けちゃったみたいだよね」

「うん」

「さっきは、気持ちよさそうに寝てたね」

「うん」

 

 会話の糸口を探るように、陣内は何かと声を掛ける――が、(あざな)はただ、相槌を打つだけで、話は何一つ広がってくれそうにない。

その声にも、表情にも、およそ感情と呼べる何一つが宿る事もなく、打てど響かぬその様に、陣内も思わず苦笑いを浮かべてしまう。

もはや宙ぶらりんになってしまった話題を、どう繋いだものか。

或いは、別の話題を持ち出すべきだろうか。

 そうして思い悩む陣内を気に掛けることも無く、(あざな)の視線は校舎間の広場に建てられた、鳥を模した彫像に注がれていた。

細長い(くちばし)と、後頭部辺りに広がる、(さなが)ら風にでも(なび)いているかのような羽毛。

きっぱりと区切られたような面立ちと、ぎょろりとした目玉もまた、印象的である。

翼を広げたような姿を模られたそれは、一メートル程もあるだろうか。

それは、今日(こんにち)では野生絶滅とされている(とき)の像であった。

 

『私立ときせ高校』

 愛知県は三河の中心に位置する商業都市『ときせ市』

その中にある、県内有数の進学校であるこの高校が、この春より(あざな)の通う学び舎である。

『ときせ』は、古くは『(とき)()』と記し、かつて水辺に(とき)が多く見られたことから、この名前が付けられたのだという。

 しかしながら実際には、この辺りで(とき)が見られなくなって久しい。

都市開発の名目で幾つもの山や森が拓かれ、広い道路が通されると、その周辺もまた数々の商業施設が乱立した。

そうして長年に渡りそれらの開発が繰り返された事で、今やこの地方の中核的な都市と言えるまでに発展したものの、失われたものも大きかった。

この街には既に、およそ自然と呼べるものなどは殆ど残されておらず、時折浮島の如く雑木林が点在する以外には、大きな公園だけが『人工物でない』と言えるだろう。

それほどまでに、自然というものは失われてしまっている。

 近年に於いてはその名前さえも、市民団体より難読であると苦情が寄せられたことをきっかけに、二十年ほど前から『(とき)()』改め『ときせ』と称することになった。

ときせ市は、無常と無情の街である。

 

 そんな市内に存在する『私立ときせ高校』は、その名の示す通り、それらの諸問題が起った後に設立された、比較的新しい学園である。

新しい――という事は、近代的であるともいえるだろう。

正門及び裏門には、安全性に配慮された守衛室が配されている他、二年ほど前からは、非接触式のカードリーダーを採用し、学生証に埋め込まれたチップを認識させることで部外者や危険人物の侵入を防ぐ――という試みが採られているほどだ。

 しかし、これに関しては関係各所より「過剰対応だ」という声や、「ゲートを乗り越えられてしまえば意味が無い」という声も上がっており、賛否は両論である。

また、導入コストや、紛失時の対応などの負担面に関しても、やはり無視できない問題であるらしく、管理運営側ではこれらの話題が、日々絶えることなく議論され続けている。

 

――とはいえ、そのような事情も、生徒たちには直接に関わりが有ることでは無い。

 彼らにとって重要なのは、学校側の運営がどうであるか? ではなく、仲間や友人・同級生たちと、どのように過ごすかという問題なのだから。

事実、陣内に至っても、相変わらず他愛もない話に花を咲かせようと、(あざな)に対してあれこれと話しかけるのに懸命な様子である。

 

「そういえばさ、大阪だっけ? 病院に数十億の寄付がされたとかなんとか……ちょっとぐらい分けて欲しいよね」

「うん」

「俺だったら、一億とかあったら欲しいゲームとか本とか、色々買っちゃうなぁ……(くに)(もり)は一億とかあったら、何か買いたい物とかってある?」

「別に」

「そっか……」

「うん」

(くに)(もり)って欲しい物とか興味のある物とかって、あるの?」

「別に、何も」

「そっか……」

「うん」

「あ、昨日また地鳴りがあったってニュースでやってたね。岩手だっけ? 大地震の前兆とかだったら怖いよなぁ……」

「うん」

「うちなんか古いし、物が積み上げられてるから、大地震とか来たらマジでヤバいんだよね。(くに)(もり)()は大丈夫?」

「別に、平気」

「物が落ちてきたり、棚が倒れてきたりとか……」

「部屋に物、無い――から」

「そっか、じゃあ平気だね」

「うん」

「……そうだ! ネットで見かけたんだけどさ、長野と静岡の県境近くで地図に無いゴーストタウンが見つかったとか、探索しようとした人たちが行方不明になったとか……そういう噂があるみたいなんだよね。(くに)(もり)ってそういう話とか、興味ある?」

「別に」

「あー……そっか、ごめん……」

「ううん」

「あ、ポーキーズの新作気にならない? 味噌カツ丼だっけ。クラスのやつらと『気になるよな』って話しててさ。今度一緒に食べに行くかもしれないんだけど、(くに)(もり)も興味あれば一緒に――」

「別に、興味ない――から」

「そっか……」

「うん」

 

 暖簾に腕押し――糠に釘。

あれこれ多方から話題を持ち出すものの、一向に興味を惹かれたような様子を見せない(あざな)に、それでも陣内は何か話しかける内容が無いかと頭を悩ませる。

ほんの一つでも会話の糸口さえ掴めれば――と、雑学や、最近の出来事・友人と交わした話題・ニュースやネットの情報などを、幾つもいくつも頭の中に並べ、中でも(あざな)の興味を惹けそうなものを、ようやく言葉にしようとした、正にその時であった。

 

「陣内――くん」

「えっ」

 

 (あざな)はふと名を呼び、真っ直ぐな視線を陣内へと向ける。

心の奥底まで見抜かれてしまいそうなほどに、黒く深い(あざな)の瞳が、陣内のやや茶色がかあった瞳の中心を射抜く。

長い睫毛につぶらな瞳。

彼女の見る風景すら映って見えそうなほどに、二人の視線が交錯する。

 どきり。と、耳にさえ聞こえるほどに鼓動が撥ねた――気がする。

鼓動が、早鐘(はやがね)のように激しく震え、陣内は思わずごくりと生唾を飲み込んだ。

ほんの僅かの間だというのに、まるで、もうずっとこうしているかのように、陣内もまた、字の瞳を見つめていた。

 名を呼ばれ、視線を合わせて――その後に発せられる言葉は、彼女の心情は、一体なんであろうか?

あり得ぬ程に都合の良い期待と空想が、陣内の頭の中を(よぎ)り、彼はそれを必死に打ち消すように(かぶり)を振る。

それでも、どうしても、好意を向けられる――あるいはそれを打ち明けられるのではないか? という期待が、胸の内を、頭の内を支配して、陣内はそうした思考から逃れることが出来ずに居た。

 春先に転校してきて以来、孤立しているように見える彼女である。

ただ一人、そんな彼女を気にかけ、声を掛け、力になろうとしている自分に対し、そうした感情を抱いてもおかしくは無いだろう――という確信めいたものすら、陣内の中にはあった。

それは決して打算的に行われてきた事では無く、あくまで彼自身の善意で行われてきた事ではあるのだが、それでも期待せずには居られまい。

 

 けれども――しかし。

その視線に込められていたのは、淡い慕情(ぼじょう)などではなく、まして、転校生へ向けられる気遣いへの感謝ですらなく――

 

「わたしに――関わらないで」

 

 その冷たい瞳に相応しいほどの、ひどく冷たい声色が突き刺さる。

身体の芯から、すぅっと血の気が引くような、無感情にして無機質な拒絶。

さっきまで早鐘(はやがね)のように打ち鳴らされていたはずの鼓動は、心電図すらもフラットを示さんばかりに動きを止め、陣内自身もまた、言葉一つ発する事も無く、ただただ口をはくはくとさせることしか出来ずにいた。

 その横を、(あざな)は相変わらずの無表情で通り過ぎる。

僅かにさえ視線を向けることなく、無感情で通り過ぎる。

通り過ぎるその姿を、陣内は振り向く事すら出来ぬまま、その姿を横目で見送っていた。

その情景が――去り行く少女の言葉・姿・顔立ちなど、それら全てが、まるでコマ送りのように脳裏に焼き付き、頭の中で繰り返される。

 やがて校舎中に本鈴が鳴り響く。

あちこちの教室で、授業の始まりを告げる号令や、けたたましいほどに椅子を引きずるような音が響いてなお、陣内は茫然として立ち尽くしていた。

そうして、ムラセンこと木村先生に叱りつけられ、半ば強引に引っ張られるようにして教室の中へ押し込まれてさえ、陣内は上の空で自らの席へと辿り着くのがやっとであった。

 号令と――椅子の音。

再び叩きつけられる怒声と説教。

それら全てが、陣内を素通りしていく。

心と身体とが薄膜を一枚隔てられてしまったかのように、何もかもへの実感が失われ、まるで自らを俯瞰するかのように、陣内はただただ聞き入れて――受け入れて。

けれども、その内容の何一つが、陣内の心に留まる事は無い。

いまや陣内の胸の内は、空洞――あるいは、空虚とでも呼ぶのが相応しいだろう。

 そうした彼の――そして彼らの様子を、(あざな)はただ、関わり無い事のように、相変わらずの無表情で傍観するのであった。

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