打って変わった闇の中。
いや、闇と呼ぶには
標準的な学校の教室よりもやや手狭――およそ三十畳ほどの暗い室内には、それでも幾つかの明かりが灯っており、その多くは電子的な黄緑がかった、あるいは黄色や青や赤といったパイロットランプの類が占めている。
上総は手にした資料を眺めながら、その部屋の中心ほどのところへ置かれた――手すりさえない、ひどく簡素な造りの椅子に腰かけていた。
その眼前に、五つほどの
ひとつは、白髪を一面に散りばめながらも、気品を感じさせる佇まいの初老の男。
ひとつは、内に秘めた情熱的な本性を、微塵も隠そうとしない、見るからに熱血漢じみた黒髪の青年。
ひとつは、栗色がかった柔らかな髪の、眼鏡を掛けたいかにも
ひとつは、やや短い黒髪を後ろへと撫でつけて、目鼻立ちにはどことなく爬虫類にも似た鋭さを感じさせる、中年ほどでありながらも精悍な顔つきが若々しくさえある男。
ひとつは、スーツ姿が良く似合う、ありふれたサラリーマンのような、冴えない中年の男。
彼らは、確かにそこに在りながらも、時に揺らぎ、刹那の静止を見せ、あるいはノイズがかった乱れを
恐らくは、上総の姿もまた、彼らと同じように『あちら側』ではそう映っているのだろう。
狭い室内に配置された観測機器は、上総の――いや、この会議に加わっている全ての人々の表情や身体の動き。そして、その指や目線の動き一つを逃さぬようにデータとして取り込んでいる。
それらは電子的に処理され、北方支部・関東支部・中央支部・関西支部・南方支部・そしてそれらを統括する『
その理由を、上総は誰から聞いたものだったろうか。
万が一にも起こってはならない事ではあるが、仮にこの会議の参加者が、敵対者や襲撃者。あるいはそうした何らかの組織などから、脅迫や
しかし、それらのシステムが有用であるかどうか? という点に関して言えば、南方支部の支部長である、
いかにも中年のサラリーマンめいた外観の彼は、生来の気質として
本来であれば三十分ほどで終わるような定例報告が、こうして長々と引き延ばされているのも、他ならぬこの男の横槍による停滞の影響が大きい。。
無用不要な停滞を強いられることに対し、
そんな上総(かずさ)の様子を察してか、優男こと関東支部長――
そして今度は、爬虫類染みた目鼻立ちの関西支部長――
どうやら
それらの気質が災いしてか、南方支部内部でも時として不満が噴出する事もあると聞くが、こうして顔を合わせて話し合う場を設けてみると、それも当然だと頷ける話である。
「――以上で、こちらからの報告は終わります。何か他にご質問は?」
ともあれ、会議が始まってから優に一時間。
――これ以上長引かせてなるものか。と、
やるべき事――やらなければならない業務は、他に幾らでもある。
「昨今の妖たちの動きについては、何か分かったかね」
穏やかな口調ながらも、鋭く、冷たささえ感じさせる声色で問うたのは、白髪を散らした初老の男――『
その声色と同じく、
痛いところを突かれ、
『それ』こそ正に、
通常、妖のものとされる物的あるいは人的被害など、年間で多くとも四十件ほど。
月換算にすれば二件か三件というのが相場である。
まして、それらが北海道や沖縄などを除いた、本州に広がる五つの支部――その管轄内で分散しているのだから、各支部にて実際に対応を迫られるのは、それこそ年によっては一度も発生しない月が多い――というケースがあっても、なんら不思議では無いほどだ。
だというのに――
「いえ……明確な原因については、未だ掴めていません」
苦い面持ちで
この半年――特に、春先からの二か月程に起きた、妖に起因すると思われる事件事故の類は、誰の目にも明らかに、そして異常なまでに増えている。
このところに関して言えば、それらは更に悪化の一途を辿っている。
六月に入ってからは週に一度は必ず何かしらの問題が起きるうえに、ひどい場合は連日連夜のように立て続けに妖が現れる事さえある。
まるで、何かに呼び寄せられているかのように、彼らはときせ市を中心とした周辺都市へ現れているのだ。
いや、あるいは、何かを呼び寄せるために妖どもを暴れさせているのだろうか。
上総をはじめとする中央支部においても、明確な答えは未だ不透明ながら、この現象に何かしらの『意図』が介在する可能性は高いと考え、原因の調査に当たっている――が、それでも決定的な情報は未だ掴めていないのが現状だ。
女子生徒の神隠し事件。
本来の中央支部の長である
しかし、この件に関してもまだ不明瞭な点は多く、妖による事件・事故件数の異常な増加と同様に、調査は難航を極めている。
「そこは『
「早急に対処を進めます」
『
触れてはならぬ、禁忌の領域。
もしも、この『意図』を持つものの狙いが『それ』であれば、見過ごすわけには行かない。
あるいは
その境界が、万に一つでも乱されるような事があれば、この国中へと『この世ならざるものども』が溢れかえり、世界にはありとあらゆる厄災が降りかかるだろう。
謂わば、「この世そのものが、生きながらにして地獄へと変わる」ようなものである。
そのような事は、決して見過ごす事など出来るはずもない。
一同の間に、重苦しい沈黙が停滞する。
おそらく誰もが、容易に予想されるその凄惨な光景を、脳裏に描いているのだろう。
そして、余りに救いの無いその結末に、思わず閉口しているのだろう。
「ところで、
永劫にも続きそうな程の重苦しい沈黙を破ったのは、他ならぬ
――
支部制というかたちをとりながらも『本部』というものが存在しない
「もう
「そうか……いや、な。あの野郎、最近連絡寄越さねェんだよ」
気さくで温厚な人柄も
勤務時間の合間を縫っては世間話に花を咲かせたり、あるいは菓子類やちょっとした小物の差し入れを送られる事も多いらしく、その頻度の多さに、
何せ
一通りの話を聞くと、
そんな状況に呆れているのは、
「ところで北方の、えっと……
北方の地の熱血漢こと磯村は、聞くところによると非常に真面目な人柄だという。
真面目――ではあるのだが。
しかし、その数えるほどの間だけでもよく分かるほどに、彼の発言は――
「そうですね、
「うん、そうですね。分かりました、一応伝えてみます」
――的外れと言うべきか、調子外れと言うべきか。
磯村はいつでも、そうした突飛な発言や回答が多い。
真面目過ぎるが故なのか、それとも生来そうした人格なのかはわからない――が、あまりに突飛な答えや質問が飛び出して来るため、返答に躓いてしまう事もしばしばである。
それでも、なんとか通り一遍の質疑応答を終えると、
定例会議が終わりを告げたのは、それからもう間もなくの事である。
一同が共に礼を済ませ、空間映像たちが掻き消えると、室内は薄ぼんやりとした――常夜灯にも似た明かりが灯された。
結論からすれば、現在のところ
今後も
「よっ、お疲れさん」
「ん――さんきゅ」
会議室から出て来た
閾(しきみ)機関中央支部 支部長補佐こと
事実、彼らは普段から気兼ねなく本音をぶつけ合えるような仲であり、その遠慮の無さに、時折別の部署の人間や、外部からの客人からも「喧嘩しているのではないか」と心配されてしまう程、彼らはお互いに気が置けない存在であった。
「
「問題無いってさ」
手渡されたコーヒーを
どうやら、表向きにはそうした素振りを見せない彼もまた、内心では随分と気にかけていたのかもしれない。
これまでのところ、
強いて言えば感情表現が希薄である以外は、人格面にも
まして、仕事振りに関して言えば早さも確実性も文句なしである。
人に牙を
それでも、こうして定期的な報告が必要となるのも、あるいは仕方のない事なのだろう。
「ま、
特別である――と、いうことは、時として
しかし、それもまた仕方のない事だ。
恐らくヒトとは――人間とは、元来そうした性質を持っているのだろう。
理解出来ないものや、受け入れられないものを排除しようとする者は、幾らでも居る。
そんな彼らが、特別である『
特別というのは、言うなれば「他とは違う」「普通ではない」という事でもあるのだから。故に彼らは、恐れるのだ。
その『特別』の優劣や善悪に関わらず――である。
「ところで、時間――大丈夫なのか?」
板倉の言葉に
ぢりぢりと脳を焦がすようなネガティブな思考から、瞬く間に現実へと引き戻され、
壁に掛けられたアナログ時計は、十五時をとっくに回っていた。
「悪い板倉! 何か報告があれば端末に送っといてくれ!」
乱雑に、半ば放り投げるようにして、会議の資料を板倉へ手渡すと、
ときせ高校への最短ルートを頭の中で浮かべながら駐車場へ急ぐ
そんな事よりも、
赤いスポーツカーが大通りを駆ける頃、梅雨の晴れ間はどこかへ行ってしまったらしく、いつの間にか降り出した、しと、しと――とした霧雨は、フロントガラスをじっとりと濡らしていく。
雲行きは――
道行きは――暗く。