1905年6月2日 駆逐艦「ブイヌイ」艦上
「ウルーム大尉、貴官は、ここがルソン島だと思うか?」
「ブイヌイ」艦長のコロメイツォフ中佐が尋ねる。彼自身はここはルソン島であると思って「いた」
「ブイヌイ」は石炭も尽きて、漂流していたが、ここまでサボタージュが起こったり日本軍の水雷艇に襲われたりはしておらず、まさに奇跡の航海であった。さらに、並みのおかげでこの海外に着いたわけであるが、海図上ここはルソン島であるが、とてもルソン島とは思えない、中佐には島というよりも大陸に思えてすらいた。
だが、彼は外で常に見ていたわけでないので、確信はなかった。だからこそ、よく外を見ていただろう乗組員の一人であるウルーム大尉の意見を聞いたのだ。
「ここまで、あの陸地が途切れた様子はありません。バタン諸島からでは途切れるはずですので……ここは島では、少なくともルソン島ではありません!」
大尉は、中佐の真剣な目を見て、重要な報告であると思い、ルソン島ではないという最重要部分を特に強調して言った。中佐は、
「そうか。ならば一旦ここに泊まろう。明日朝に燃料になりそうな物を取りに行く」
とだけ言った。中佐の目には火が灯っていなかった。
1905年6月1日 ロシア・インドシナ帝国首都マニラ
「……中将閣下? 第三太平洋艦隊に機銃及び機砲を送るべしというのはどういうことですか?」
参謀長のコロング大佐がロジェントヴェンスキー中将に疑問をぶつけた。軍事以外は好き勝手できるポール・ボー(人がおらずほとんどの省庁を彼が兼任しているため)と違って海軍は規模に対して十分人はいる。
未だサボタージュの危険性もあるため、コロング大佐としては機銃と機砲を送れというこの戦列艦やそれ以前のバリスタ主武装の船しかない世界ではどうでもいい命令を出す際には理由をはっきりさせておきたかった。
正当な理由ならばサボタージュも起きないだろうという考えであった。
勿論大佐はロジェントヴェンスキー中将が誰よりもサボタージュを警戒していることは知っている。だがそれでも聞かねばならない立場であった。
「この艦船は木造、その木造船に155ミリや255ミリをくれてやるのは、コストパフォーマンスが悪い。木造船ならば機銃や機砲で撃沈破が可能であり、これらなら弾薬も砲身もまだ安い。それに、台に乗せれば、ワイバーンらしき者への攻撃もできる。対空、対艦共にこの世界に合っているだろう」
中将の目が鋭く光っている。かなりの自信があるのか、と大佐は思い、又確かにそうであると中将の言い分に徹頭徹尾心の奥底で賛成した。
「分かりました。では、そのように適切な数の輸送船に命令を下します」
その日のうちに現地軍から機関銃や機砲を強引に全て没収し、輸送船にロビオノフ大尉を長とした工兵団を入れて、内部で部品の組み立てなどもさせた。
1905年6月7日 ロデニウス沖
本国よりやってきた輸送船から物資を積み込む。機銃、機砲、台、食料、水などが主だ。中将は我々のことを気遣ってくれている。そこは嬉しいが、贅沢を言えば、もっと大口径の砲弾が欲しかった。
だが、勿論色々と大人の事情があるのだろうと察したニコライ・ネボガトフ少将はいちいち文句は付けずに、
「中将閣下のご厚意に感謝する」
とだけ言った。
しかし、インドシナが帝国になった時には冷静であることに徹していた彼も紅茶を噴き出すことになった。
第三太平洋に走る必要もない震撼が走った。だが、とりあえず「ブイヌイ」さえ探せば良いのだと言われたので、このことは帰還するまで忘れることにした。
仮装巡洋艦「ウラール」を護衛につけて輸送船を全て返すと、デッキに出たネボガトフ少将は乱雑に取り付けられた機銃などを見てただため息ひとつだけついて淋しげな、いや、落胆したような背中を見せて船内に入ったという。
1905年6月10日 エジェイ
この日、ロウリア王国第2派遣軍が再編成された第1派遣軍と合流、以前の倍の規模もある大軍は斃れたバッタに群がるアリのようにエジェイ付近に殺到した。だが、弓矢の有効射程には中々入らない。たまに土を掘り返すくらいで、何がしたいのかわからない。クワ・トイネ軍は徐々に緩み始め、警戒も最低限のものになった。
だが、それでも何もしない。敵の二将軍、パンドールとスマークは何を考えているのだろうか。
パンドールは言わずと知れた「撤退の天才」相手を慢心させ、撤退し、敵を自軍が有利に戦えるところに誘導し、一挙に攻めて打ち破るという戦法を得意としている。このような意味のない力攻めは行わない将軍だ。
スマークは素早い騎兵隊で敵前に颯爽と現れ、対策の取れないうちに突撃し、混乱させるという戦術を取る将軍だ。彼もこのようなちんたらした攻撃は行わない筈だ。
だが、ここの司令官にこの攻勢が虚か実かを結論付ける判断力はなく、彼らは徒に時を過ごすのみだった。
「パンドール将軍、そろそろ頃合いですかな?」
スマーク、パンドール両将軍が幕舎で宴会のふりをしつつ、小声で確認をし合う。このような方法をするのも、間諜にすっぱ抜かれない為だ。敵を慢心させる所まで行ったのに、ここで落とすのはもったいないではないか。
「はい。敵兵の警戒は緩んでいますし、何より我らにはこの暗闇が付いています」
パンドールは厠へ行くと言ってスマークを連れ出すと、空を指差して、
「今日は新月ですから」
と言った。スマークは、
「神は我らにお味方した!」
と小声で、だが力強く言い、心の中で復唱した。
神は我らにお味方した。
そうであれば明日にはエジェイ陥落、一週間も経てばアデムからマイハーク陥落の吉報が届くだろう。いや、そうに違いない。
両将軍によって任命された特別工兵隊--通称土竜連隊は戦闘中に乱雑に掘られた穴からエジェイの城壁の中まで、急ピッチで穴を開けて言った。
後に「パンドール戦術」と言われることとなる、坑道作戦である。
紅茶を飲んでいるのは、特に理由はありません。決して、決して某紳士の国とは関係ありません。