続かない……と思う。
「……ぅん。──っ!?」
目を開けると、ひんやりと冷たい空気を感じた。
薄く煙が張っているが、むき出しで所々シミのあるコンクリートで囲まれた部屋ということは分かる。
思わず立ち上がろうとしたが、手足が何かに固められて身動きが取れない。
下を向くと、皮でできたベルトで椅子に四肢を固定されていた。
「ちょっと、なによコレ!?誰か!誰かいないの!!」
力の限り叫ぶも、ただ狭い部屋に自分の声が響くだけ。
辺りを見渡しても扉のようなものは見つからない。
もしかしたら死角である背後にあるのかも……。
ピッ!という機械音がなり、体は反射的に反応する。
すると目の前には仮想スクリーンが一つ現れた。
映されているのはただの黒い画面。いったい何がしたいの──
『どうも初めまして奥さん』
「──キャア!!」
突然画面に男が映りこんできて思わず甲高い声を出して驚いてしまう。
そこに映っていたのはピエロのようなメイクをした男だった。
肌は全体が白塗りで目の周りは黒く塗っており、唇は血のように真っ赤で米神まで紅を引いている。
まるで常に笑顔を浮かべているようだ。
『おいおいおい。人をの顔をみて驚くなんて失礼な奴だな。俺だって傷つくんだ』
「此処から出して!」
『まあ待て、少し話をしようじゃないか。俺はジョークとお喋りが大好きなんだ』
「知らないわよ!何がしたいの!!」
『何がしたい?そうだな……さっきも言ったが、俺はジョークが好きだ。それも背骨が逆なでされるようなドギツイのがな』
「そ、それがどうしたのよ?」
『ショーだよ!爆笑必死抱腹絶倒な最高のショーをしたいのさ。だが…あんただけじゃ役不足だからアシスタントを用意した』
男はパチンと両手で指を鳴らすと、男が映っている画面の両隣に新しいスクリーンが増えた。
そこに映っているのは──
「悠人!?雅人!?」
私から見て、右手に長男で12歳の悠人。左手には次男で9歳の雅人が私と同じように椅子に拘束されていた。
『お、お母さん!?それに雅人!!』
『だずげでおがあぁざん!!』
「ちょっと、どういうことよ!?」
どうやらお互いが画面で見えているらしく、悠人は私と雅人を見て驚き、雅人は泣き叫んでいた。
「息子たちを放して!!!」
『なにもそんなにはしゃぐことじゃないだろ?仲のいい親子のご対面だ。喜んでくれると思ったんだが──』
「ふざけないで!!」
『なんだ?ただ母と子供の愛の深さってやつを試そうと思っただけじゃないか』
男は肩をすくめてあきれた様子だ。
愛の深さを試す?訳も分からないまま人を拘束して何を言っているの?
『ねぇええ!!だずげでよぉお!!』
『おいおいボウズ。お前も男の子だろ?泣くんじゃなくて笑ったらどうだ。笑ってるやつがこの世で一番つえーんだろ?お前らが大好きな"オールなんちゃら"みたいによ』
どうだ?ん?と男は雅人に話しかけるも君の悪い男の顔では逆効果だった。
一層泣き声が大きくなったのを見て男は首を傾げ、まあいいかとばかりに話を戻した。
「まあいい。これから始まるのは母と子供の感動ストーリーだ。いい結果をだせばきっと今よりも一層仲が深まると思うぜ?ちなみにこれネットで放送してるからテレビ映りも考えてくれよ」
そう言った後に、私の手元に変化が現れた。手すりの先端……ちょうど指のある位置にボタンが現れたのだ。それも左右両方の手すりに一つずつ。
『選べ』
「……は?」
『あんたの子供どっちか選べ。制限時間は1分。右が悠人くん?で左が雅人くん?だ』
「選んだら……どうなるの」
『選ばれ方とめでたくご帰宅。パチパチパチー』
「え……じゃあ選ばれなかった……ら?」
『ポンッ!て頭で真っ赤なバラを咲かしちまう。バラの花言葉知ってるか?"愛情"だよ。その身を使って愛を表現してもらうのさ。面白いだろぉ?最高のジョークだ!!』
男はHAHAHAHA!!!と折れてしまうんじゃないかというくらい仰け反りながら笑っている。
『おいおい、どうしてお前らは笑わないんだ』
"Why o serious?"
男の底冷えのするような声がコンクリートの箱に響いた。
こいつは何を言ってるんだ?つまりは息子のどちらかを見殺しにして選んだ子供と帰れというのか?
意味がわからない。
意味がわからない。
わからない。
わからないわからない。
わからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからない。
『ほら59、58、58、56』
「ま──っ!まって!!」
無情にも男がカウントダウンを始めた。こんな出来もしない選択を迫られ今にも気が狂いそうだった。
『お母さん、雅人を選んで!!』
「はる……と?」
聞こえてきたのは初めて腹を痛めて生んだ息子の声。
『僕はいいから!雅人を選んで!!』
「──でっ、出来るわけないじゃない!」
混乱し、一瞬流されそうになった自分に嫌悪しつつ叫ぶ。
どちらも等しく愛した人との間に生まれた──愛の結晶だ。優劣など着けれるはずがない。
『お願いだから!』
『おがぁざぁん!!』
「大丈夫だから!お母さんが何とかするから!!」
少しでも泣きじゃくる雅人を安心させようと虚勢を張る。
「それにきっとお父さんが助けに来てくれるから!」
そう、私の夫はヒーロー。個人の事務所をもち、サイドキックを何人も従えている大手のヒーローだ。
『お、お父さんが?本当に?』
「えぇ、本当よ。だから泣き止みなさい」
『う、うん』
雅人はヒックと嗚咽を漏らしながらも涙を抑えていた。
『あらまぁ落ち着きやがって。だがあと数十秒で助けに来られるわけ──「私を殺しなさい」あぁ?』
「だから、私を殺しなさい!だから息子たちは開放して!!」
『ほぅ?』
『だめだよ!!』
『お母さん!?』
息子たちの身を守れるなら命だって惜しくない。私は画面の前の男に提案する。
「誰か一人の命が欲しいなら──私の命をあげる。だから……息子たちは!」
『おいおい、実に感動的じゃあないか!子供のためなら命を懸ける親の鏡だなぁ。だが同時にこの年で親を失わせようとする酷い親だ』
男はまるで涙を抑えるかのように目頭を押さえる。しかしその動きが大仰で、どこからどう見ても演技にしか見えない。
なにがひどい親だ。お前がこうしたんだろう!
『それで子供たち諸君?君達のお母さんはこう言ってるけど?』
『だめだよお母さん!』
『お母さん!だから僕を選んで!!雅人と生きて帰って!!!』
二人は泣き叫びながら私を説得しようとする。
だが私の覚悟はもう済んでいる。
「大丈夫よ。きっと私が死んでもお父さんが何とかしてくれるから。悠人……雅人を宜しくね。雅人……風邪をひかないように──」
『おっと時間だ!』
ポポンッ!!!と何かが弾けるような軽い音が重なって聞こえてきた。
「──へ?」
目の前の現状が理解できない。
先ほどまで映っていた息子たちの姿は消え、同じ画面には赤く染まった頭の無い人形だけが映っている。
その人形の首元からはリズムよく赤い液体が天井めがけ噴出している。
「あれ……?悠人?……まさ、と?どこに行ったの?」
『最低なお母さんだなぁ?せっかく片方は生かしてやろうと思ったのに両方見捨てるなんて……ってもう聞こえてないか。なんぜ耳も眼も鼻も脳みそも無いもんなぁ!!!ホント最高だ!!!!』
目の前に映った男がHAHAHA!!と大きな声で笑ってとても楽しそうだった。
どうして笑ってるんだろうか。
とりあえず私も笑ったほうがいいのかな……。
「は…はは……はははっ、ハハハハハHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAH!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
『いい笑顔じゃないか!どうやら俺のジョークが気に入ってくれたらしい!!それじゃあ画面の前のみんな、サヨウナラだ!!』
──数時間後
ある廃墟に一人のプロヒーローと数人のサイドキック、そして数十名の警察官が踏み入った。
警察にネットで不穏な生放送が流れていると通報が入り、警察はその放送を確認したのち大慌てで捜査。ようやく場所の特定を済ませ即ヒーローと共に事件現場を訪れた。
「美里!どこだ美里!!」
映像に映っていたのはどうやらヒーローの家族であり、必死の形相で廃墟を虱潰しに探している。
既に息子二人の遺体は見つかった。あまりにも無残な様子だったが涙を流す暇もなく、生きている可能性のある妻を探し始めた。
「"ジャストキッド"!ご婦人が──」
「今行く!!」
捜査官がヒーローの名前を呼んだ。どうやら妻が見つかったらしい。
むき出しのコンクリートの部屋に雪崩れ込むような勢いで入ると、椅子に縛られた妻の姿があった。
「美里!?大丈夫か!!」
急いで駆け寄り妻の顔を見る。
「美里!……美里?!」
「…は……ハハッ」
明らかに正常ではなかった。口からはよだれを垂らしながら途切れ途切れに笑いをこぼしている。そしてその顔は引きつった笑顔のまま一切崩れない。
「ハハハッ……ハハ!」
「うそ……だ…」
壊れていた。生きながらにして妻は壊れていた。
私はあまりの絶望に自然と膝を落としてしまう。
きっと妻のあの顔を一生忘れることはないだろう。
なぜなら──犯人の顔にとてもソックリだったから。
『神野区の悪夢から1年、敵の数は増加の一途をたどり──』
『かつてのヒーロー飽和状態が嘘のようですねぇ、斎藤さん』
『えぇ、これもひとえに奴のせい──』
『日本史上最大の敵!復活した"犯罪王"にせま──』
『2世なんて呼ばれてますがね?やり口、残虐性、計画性どれをとっても本人としか言えないんですよねぇ』
『しかし奴が生きていた時代はもう遥か昔ですよ?それこそ"生き返った"とでも──』
『前年と比べ死傷者は倍に近い数になり、中でもヒーロー本人を含めた関係者の死傷者数だけでは4倍──』
目の前でテレビのチャンネルはめまぐるしく切り替わる。
ただ放送している内容はどれも似たり寄ったりだ。現在日本一と言われる敵について──。
神野区での事件後、敵連合など名だたるヴィランと共に彗星のごとく現れたソイツは残忍な事件を頻繁に起こし、一瞬で日本史上最悪の敵。"犯罪王"と呼ばれた。
今でも目の前でチャンネルは切り替わり続ける。
なぜリモコンを動かす手を止めないかだって?
俺に言わないでくれ。
俺がリモコンを操作しているわけじゃない!
次々に切り替わるチャンネルと共にコツ、コツ、と革靴の音が近づいてくる。
しかし俺は振り向かない。いや──振り向けない。
なぜなら椅子に縛り付けられ、頭も固定された状態だからだ。
コツッ、と俺の真後ろで足音は停まる。
すると頬にひんやりと皮の感触があった。どうやら皮手袋をはめた手が添えられたようだ。
ペチペチペチと頬を叩かれる
「どこを見ても俺のことばかり……人気者はツライねぇ」
今の日本人なら誰もが知っている声に全身から冷や汗が流れ出る。
俺の頬を叩いていた男はバッと俺の前に顔を出した。
まるで血で口をかいたようなメイクが印象的な顔を──
「Why so serious?」
復活した犯罪王。日本史上最悪の敵。
敵名"ジョーカー"