「では、どうやったら戸部先輩がうまくいくか作戦会議を始めましょう」
「いや待て。何でいる」
奉仕部の拠点。そこに集まった面々と集められた面々の温度差が非常に激しいことになっているが、それはともかくと八幡は音頭を取った少女に目を向けた。
一色いろはである。この話題が出た時には影も形もなかったはずだ。
「何言ってるんですか先輩。わたしもテニスコートにいたんですよ、何か変な話してるな~ってバッチリしっかり見てました」
「そうか。で、何でいる?」
「人の話聞いてました?」
もう、と頬を膨らませ腰に手を当ててプンプンという擬音でも出ているかのごとく怒っていますと言わんばかりの態度をとったいろはは、そのまま雪乃へ目を向けた。
その視線を受けた彼女は、コクリと頷くと八幡を見やる。
「だってその方が比企谷くんが疲れるでしょう?」
「お前とことん性根腐ってるな」
「え、先輩の方が腐ってますよ?」
「お前はお前で俺を疲れさせる存在だということについて何か反論しろよ。後その言い方だと存在そのものが腐ってるみたいだからやめて」
背後では隼人が肩を震わせている。どうやら自分に被害がないので楽しいらしい。こいつはこいつでいい性格してるなとジト目で彼を見た八幡は、もういいと溜息を吐き話を進めることにした。普段お調子者で通っている翔が若干ついていけず観客になっている時点でこの空間はかなり駄目だ。そういう判断である。
「そうね。では戸部くんの依頼だけれど」
「その前に、戸部。本当に依頼でいいのか?」
「え? そりゃ協力してくれるんなら頼もしいっしょ」
「いいんだな? 本当にこれに頼んでいいんだな?」
「葉山くん。可愛い幼馴染をこれ扱いは酷いと思うわ」
ジロリと雪乃が隼人を見る。その視線を受けた彼は、ふうと小さく息を吐き翔から雪乃へ向き直った。そうして、真っ直ぐに彼女を見詰める。傍から見れば美男美女がお互いを見詰め合う非常に絵になる光景ではあるのだが、しかし。
「雪乃ちゃん。俺はあの時から君を可愛いと思ったことはこれっぽっちもない」
「つまりそれまでは可愛いと思っていた、と。そう受け取ってもいいのね?」
「ああそうだね。見た目だけは良かったからね。ちなみに出会ってすぐだ」
言っていることはただの罵倒である。雪乃は余裕の表情でそれを受け流し、それならそれでいいのよと話を打ち切った。その際にいろはの方を見るのも忘れない。その視線が何を意味しているのか、それを分かるのは向けられた本人と八幡の二人だけである。
「さて、葉山くんの同意も得られたことで、話を続けましょう」
「……ああそうだね。それで雪乃ちゃん、どういう方法で戸部を玩具にする気だ?」
隼人の言葉から棘が抜けない。そのあまりにも普段と違い過ぎる姿に、いろはと翔は思わず彼を見てしまう。その視線に気付いた隼人は、はっと我に返るとコホンと咳払いを一つした。そうした後、表情をいつもの葉山隼人に切り替える。
「言葉が過ぎたね、申し訳ない。それで、
「どうするも何も。極々普通にアイデアを考えるだけよ。姉さんじゃあるまいし、そこの比企谷くんみたいな状況にさせるわけないじゃない」
「おい何でいきなり俺に振った?」
注目が八幡に集まる。隼人と翔、そしていろはの視線を受けた彼は思わず後ずさり、そして何かを誤魔化すようにわざとらしい咳払いをした。別に何もない、とそう説明したものの、それを信用するにはいささか八幡は挙動不審過ぎた。
「そういうわけだから、こっそり海老名さん本人から聞き出すのは無理ね」
「……まあ、それは確かに難しいだろうな」
が、深く追求することなく雪乃が話を進めたので隼人もそれに乗っかる形で脱線しかけたそれを元に戻す。自分で脱輪させて自分で戻すその動きを横目で見ていた八幡は、分かっていたことだが再確認した。こいつは碌な奴じゃない、と。
そんな彼を尻目に、とりあえずアイデア出し担当ということでいろはが意見を述べていく。ふむ、とそれを聞いて考え込む仕草を取った隼人は、確かに一般的な女子高生ならばありだなと頷いた。
「あ、やっぱり海老名先輩ってその手のじゃ駄目でした?」
「いや、駄目というわけじゃない。恐らく普通に喜んでくれるだろう。が、印象に残るかと言えば」
ちらりと翔を見る。普通の印象で終わりそうだよなぁ、と苦笑いする彼を眺めた隼人は、そういうわけだといろはに視線を戻した。
「え。戸部先輩にダメ出しされるとか地味にショックなんですけど」
「ちょ、いろはすそれは酷くね!?」
大げさなリアクションを取っている翔とは対照的に、最小限の動きで感情を表現するいろは。だったら別の意見を聞いてみましょうよとその表情のまま視線を横に向けた。そこにいるのは八幡である。雪乃の方ではなく、敢えて彼の方を向いた。
「……え?」
「ほらほら先輩。次は先輩の番ですよ」
「いや待て。俺にそんな気の利いた意見が出せるわけないだろ。彼女どころか女友達とかいう存在すら皆無に等しいんだぞ」
何それ美味しいの状態だ、と続ける八幡を眺めていたいろはは、呆れたように溜息を吐いてそんなこと言ってますけどと雪乃を見た。そういう男だからしょうがないと同じように溜息を吐いた雪乃は、では次と言わんばかりに隼人を見る。
「え? いや今はそれより比企谷へもっと突っ込んだ話を聞く場面じゃ」
「それはまた今度。さあ、葉山くん、あなたの意見を頂戴」
そう言って微笑んだ雪乃を見て舌打ちをした隼人は、一瞬目を伏せると顎に手を当て女性陣を眺めた。そうだな、と呟きつつ、今度はそのまま翔へと視線を移動させる。
「とりあえず、姫菜の好みを反映したものがいいだろうな」
「海老名さんの好み、っていうと」
パッと思い付くものはある。あるのだが、それを口にして果たして正解かどうか。まず間違いなく間違っていると断言出来る。だがしかし、彼女の好みと聞いて出てくる答えの正解はそれなのだ。
「あら
「何でだ!」
「うお、隼人くんが叫びツッコミした。超レアじゃね?」
もう帰ってもいいかな、と八幡は隣のいろはに問い掛けた。わたしが寂しいから駄目ですと返され、訳分からんと彼は盛大な溜息を吐く。
しょうがないのでこの不毛な会議に最後まで付き合った。
「何かさ」
ふと、唐突に姫菜がそんな言葉を零した。ん、とそれに反応し顔を向けた優美子と結衣は、彼女の視線が揃ってどこかへ消えていく隼人と翔に向けられているのを確認する。
「最近、とべっちと隼人くん、仲いいよね」
「へ? そだね。ここんとこ昼休み二人でどっか行ってるし」
「何か碌でもない事考えてんじゃねーの? 戸部が」
姫菜の言葉に結衣は軽い調子で返し、優美子は呆れたようにそう呟く。それぞれの反応を特に肯定も否定もすることなく、彼女はそのまま視線を二人に戻した。その顔に浮かんでいるのは、笑み。普段の彼女の、趣味の話をする時の顔である。
「これはやっぱりしっぽりやってるんじゃないですかね!? はやかけ? いや、かけはや? うー、どっちだ!? どっちが正しい!?」
「どっちも間違ってるわボケ」
「……だね」
はぁ、と二人揃って溜息を吐く。何だ心配して損した、と優美子が何かを諦めたような視線を向けている横で、結衣も同じように苦笑し。
一人、教室を出ていく男子生徒が視界に映った。
「あ、ヒッキー……」
「ん? ヒキオがどしたん?」
「いや、何か出てったなーって」
「何か変だったの?」
何々、と姫菜が通常モードに戻り結衣に問い掛ける。が、問い掛けられた彼女は別段何か変なことがあったのではないと言葉を返す。だったら何が気になったのか、そう続けられた言葉には答えを返さなかった。
「……つまり何となくヒキオを目で追ってたってこと?」
「あーはいはい。ごちそうさま」
「いや意味わかんないし。……まあ、あたしも何でヒッキー見ちゃったのかよく分かんないんだけど」
あはは、と頬を掻く結衣を見ながら、優美子は先程よりもげんなりした表情を浮かべる。本当にこいつは。そんなことを思いながら、しかし口にしてもしょうがないので飲み込んで。
「あ、じゃあ追いかけてみる?」
隣から出てきた言葉に思わずむせた。何言ってんだと提案者を見るが、張本人は冗談だと流さずどうかなとこちらに笑顔を向けていた。
どうせ昼食は食べ終わっている。昼休みの時間もまだまだ残っている。テニス部をしごく予定もない。姫菜の提案を却下する理由は心情以外には特にない。
が、そういう意味では心情的に何であいつを追いかけなければいけないのだという思いが強かった。正直時間の無駄だ。そう結論付けた。勿論それは優美子の判断であり、結衣が行こうと同意すれば、渋々であるが付き合ってやらないこともないという程度の反対意見である。
「あ、ちょっと面白そう」
どうやら乗り気らしい。しょうがないと肩を竦めた優美子は、だったらさっさと追いかけるぞと席を立った。乗り気じゃん、と笑う姫菜には一撃をお見舞いした。
教室を出る。八幡の足取りは別段急いでいるわけではなかったが、しかし初動の遅さはかなりの痛手であった。既に見える範囲には彼の姿はない。そう思い、まあこんなものだろうと諦める提案を出しかけた優美子は、しかし結衣の言葉で遮られた。
「あ! あっちにいたよヒッキー」
「おお、流石ユイ。ヒキタニくんセンサーはばっちりだねぇ」
ててて、と走っていく結衣とそれを追いかける姫菜。遅れること少し、ああもうと優美子もそれを追って走り出した。騒いだらバレるだろうが。そんなツッコミは喧騒に掻き消された。
そのまま暫し付かず離れずを保っていた三人は、彼が動きを止めたことで慌てて足を止める。素早く物陰に隠れ、彼の視界から見えないようにした。何だかんだで優美子もノリノリであった。
辿り着いた場所はテニスコートの見える特別棟の一角。八幡がベストプレイスと呼称しているそこは、結衣も度々訪れる場所だ。
「別に何もなさそうだね」
「そうなの?」
「うん。だってここ、ヒッキーが教室以外で昼ごはん食べる時の場所だもん」
「ヒキオとここで食ってんの? 昼飯」
「そだよ」
どうやら取り越し苦労だったらしい。そんなことを結論付けた優美子は、まあ腹ごなしの運動にはなったかと伸びをした。そうそう面白いことは転がっていないかぁ、と少しだけ残念そうな姫菜も、彼女と同意見のようでもう終わりだと撤収の方向に舵を切っている。
その舵を思い切り逆方向に切ることになったのは、その直後だ。八幡に近付く人影を見たからだ。
「あれ、って」
「……一色じゃん」
ひらひらと手を振りながら笑顔で彼のもとにやってきたのは一色いろは。どうやら偶然というわけではないようで、彼女を見ても別段驚きもせず、八幡はそのままいろはを受け入れる。
そうしてそのまま何やら談笑を始めた。いろはは笑顔、八幡はどこかげんなりした表情であるが、その辺りは普段からそうなので別段気にすることはないだろう。それより問題なのは、と優美子は隣を見る。この光景を見た親友の反応だ。
「いろはちゃんと待ち合わせだったんだ」
「え?」
「へ? どしたの?」
「いや、ユイは平気なわけ?」
「……? 何が?」
本気でよく分かっていないように首を傾げる結衣を見て、姫菜はあははと頬を掻いた。これはもう完全に友達ポジションに慣れ切ったな。そんな感想を同時に抱いた。
「いや、何かバカにされてる感があるから言っとくけど。二人の言いたいことは何となく分かるから。でもいろはちゃんの好きな人って隼人くんでしょ? ヒッキー関係なくない?」
「……成程。実は鈍感系じゃなくて正妻の余裕か」
「いや、これユイ微妙に勘違いしてるし」
「……あー」
納得した姫菜は、やっぱり鈍感系ヒロインだったわと頷いた。どこか生暖かい目で見られた結衣は納得いかないと眉を顰めたが、気にするなと二人がかりで強引に宥められる。
そうして落ち着いた一行は、視線を再度八幡達へと向けた。先程結衣が言った言葉を思い返しながら、姫菜と優美子はいろはを眺める。
「……やっぱあいつ二股かける気じゃね?」
「どうなんだろねぇ。私はその辺よく分かんないから」
そう言いながら、姫菜は一旦言葉を止める。そう、自分はその辺りがよく分からないから、だから少し気になった。向こうで彼と話している彼女は確かに別の狙っている男がいる。だからといって、彼を気にしていないわけではない。優美子の判断はそうだったし、姫菜としても頷けたのでそう思っていた。
だから、そのことを踏まえ、自分では分からない部分の質問をぶつけてみた。
「ねえ、二人はその辺どうなの?」
「その辺って何だし」
「例えば、好きな人が別の女と楽しげに話しているのって、どんな感じ?」
眼の前の光景がまさにそれなのだが、当事者であるはずの結衣がこの調子なのであまり参考にはならないかもしれない。そんなことを思わないでもなかったが、それでも好奇心に負けた。どんな答えが聞けるのか、少し期待してしまった。
あくまでグループでは傍観者を気取るつもりであったが、達観しきれなかったのだ。
「そりゃ、嫌だよ」
「お、意外」
「え? フツーじゃない? だって好きな人なんでしょ? その人の好きな人が自分じゃないかもしれないって思ったら、悲しいし」
にも拘わらずあの反応である。改めて自覚したら面白いかもしれないとは思ったが、そう仕向けるのものもあれなのでとりあえず放置を決め込むことにした。そう考えながら、じゃあ優美子は、と姫菜は視線をもう一人に移す。正直聞くまでもないけどと思いつつ、それでも口にして欲しいと言葉を促す。
「……あーしは、勿論ヤダ。自分だけを見て欲しい」
「だよね、優美子ならそう言うと――」
「でも、そういうのも含めて、好きな相手だから。やっぱ、いいな、って思うから」
いつになく真剣な声色で。そう述べた優美子を見ていた姫菜は、どこか眩しいものを見るように目を細めた。そうしながら、そっか、と微笑んだ。
「まあ、勿論一色には渡さないし。あーしが隼人の隣に――」
空気を変えるように不敵な笑みを浮かべ、優美子はそう宣言する。当然ながら自分が勝つのだと胸を張る。そうだね、と姫菜も、結衣も。笑いながら同意する。
そのはずであったその三人の目に映ったのは、向こうからやってくる一組の男女。女子は隣の男子をからかうように笑い、男子はそれを受け嫌そうな顔を浮かべながらも、しかしどこか楽しそうで。
「……隼人」
その男子は葉山隼人。普段彼女達が見ている彼の姿とは似ても似つかないそれは、作られたものではない自然体のように思えて。そんな彼の姿を引き出している隣の女子こそが、彼に相応しいのだと思わず考えてしまうほどで。
「と、ゆきのん?」
その女子は雪ノ下雪乃。彼のそういう相手には決してならないと本人が断言していたのに、自分達に協力してくれていたのに。眼の前のその光景を見せられればそれが嘘だったのだと思わず考えてしまうほどで。
「……タイミング悪かったなぁ」
彼女が嘘をつくとは思えない。この考えは恐らく誤解なのだろう。そう姫菜は思っても、優美子はどうだろう。自分では出来なかった表情を引き出している彼女を、信じられるのだろうか。
はぁ、と溜息を吐いた。自分は傍観者、深く関わらない。関われない。その意見は変わらないが、それでも。
「私も案外お節介だなぁ」
ではちょっと向こうに介入しようかな。そんなことを思いながら、とりあえずショックを受けている優美子を宥めようと彼女は視線を隣に向けた。
もしシリアスっぽいと思ったのならば、安心してください
気のせいです
というかこの引き前もやったじゃねぇかとかいうツッコミはなしの方向で