青ざめた血の水平線に 作:[この名前は既に使用されています]
「おかえり。どうだった?」
横須賀鎮守府第四支部――母港。その出撃ドックへと帰還した五人を待っていたのは、一人の青年と女性だった。
中途半端な長さの髪を持ち、中肉中背。顔付きにも特筆すべき点はない。何処か腑抜けたような、これまた半端な笑顔が口元に浮かんでいる。一応現海軍における艦娘を指揮する立場――便宜上『提督』と呼ばれる地位の常装を纏ってはいるが、それすらもどこか着崩れているような印象を受ける。
彼こそ、横須賀鎮守府第四支部を統括する、彼女たちの司令塔――提督、あるいは司令官と呼ばれる男である。
「見ての通り、無傷よ。こんな近場で救難信号が飛ぶなんて、何事かと思ったけれど、大した相手じゃなかったわ」
「いや、見ての通りって言われても。君たちいつも血塗れで被害状況よく解らないしな」
叢雲の言葉に、提督は苦笑いを浮かべながらそう答える。
実際、彼女たちは瑞鶴を除き、恐ろしいまでに血に塗れている。先程第六支部まで護送してきた天龍たち遠征艦隊の面々も、叢雲たちの有様を見て、血の気が引いた様子で顔を引き攣らせていた。
「本当よね。いつも思うけれど、あんたらなんでいつもそんな血塗れになるの?」
提督の言葉に同調したのは、唯一血に染まっていない瑞鶴である。どこか呆れたような顔で自身の僚艦を見回す彼女。
「なんでって言われましても……」
「気がついたら血まみれになってるっぽい?」
「しかたないだろ、斬れば血が吹き出すんだから。文句なら敵さんに言ってくれ」
「と言うか瑞鶴、あんただって返り血だらけになる時はなるじゃない」
四人の返答に、瑞鶴はため息をつく。
「まあ、私だってたまにはそうなるけれど、それでもあんたたち程じゃないわよ?」
実際、空母と言う艦種の都合上、瑞鶴は他の五人と比べて近接戦闘まで縺れることが自体が少ない。少ない、というだけで、無いわけではないのだが。
通常の艦隊であれば、空母は艦載機の発艦等に集中するため、戦場では駆逐艦などの小回りの効く艦がその護衛につくのが基本である。しかしこの艦隊――横須賀第四支部、第一艦隊において、その常識は当てはまらない。
誰も彼もが好き勝手に行動するからだ。一応、作戦らしい作戦を立てることも稀にあったりするが、しかし基本は自由自律の遊撃。カバーリングなど自発的にすることはまず無い。むしろ、各人自分の獲物を僚艦に取られることを嫌う節まであるため、それを避ける傾向にあるとさえ言える。
故に、瑞鶴自身も空母としては非常に珍しいことに、近接兵装を装備している。それを扱うことにも長けていて、無論それを振るうこともあるため、返り血を浴びることもあるわけだが、その頻度も程度も他の艦よりは少ない。
「まあ、そうね」
瑞鶴の言葉に、叢雲はそう返答する。実際、瑞鶴の血への『陶酔』は、他の僚艦に比べれば高くはない。言い換えれば他の艦よりも常識的ではある。あくまで、第四支部を基準にした話ではあるが。
叢雲はそっと提督へと向き直って、簡易的な報告を続ける。
「まあ、聞いていて解る通り、全部返り血よ。たかが戦艦重巡重巡軽巡駆逐駆逐の相手に遅れを取るほど耄碌しちゃいないわ」
「そうかい、そりゃ良かった」
「……戦艦クラスも居たのね」
ふいに、提督の後ろにいた女性が口を開いた。
肩口辺りまでの黒髪。その右側に付けられた、恐ろしく大胆なデザイン……そしてサイズの、髪飾り。それは彼女に宿る『軍船の魂』の象徴に酷似したものだ。巫女服をこれまた大胆にアレンジしたような衣服の上から、今は薄手のカーディガンを羽織っている。
艦娘においてそれは特別なことではないのかも知れないが、目を引く美人である。しかし、その表情はお世辞にも明るいとは言えなかった。いや、どう贔屓目に見ても暗黒まっしぐらと形容するに吝かではないかもしれない。
美しいがゆえに、まるで幽鬼のようだ。
「久しぶりの出撃だと思ったのに……私だけ留守番だなんて……不幸だわ」
扶桑型戦艦、二番艦、山城。
現在は改装されて、航空戦艦となっている彼女も、横須賀鎮守府第四支部、第一艦隊――俗に『血に酔った艦娘』と称される艦隊の一人である。
「まあ、今回は救難信号地点に、艦隊を出来るだけ早く到達させる必要があったからね」
「……一人だけ足の遅い私は邪魔ってことね……不幸だわ」
「いや、邪魔とかじゃなくて、適材適所と言うか、臨機応変と言うか……なんと言うか」
「提督と一緒にお留守番だなんて、不幸だわ……」
「それ俺への悪口じゃない? 大丈夫? 上官への暴言って実は結構不味いんだよ?」
「権力を盾に脅迫されるなんて……」
「解った。解ったから。近い内にまた出撃組むから」
さしもの提督も、耳元で囁かれる地獄から響くような低い声音での『不幸だわ』の連続には耐えかねたのか、そう言葉を返す。山城は「約束、ですからね」と案外あっさりと引いた。戦えるならば、それで良いのだろう。
提督は帰還した五人に向きなおり、言う。
「じゃあ、まあ、とりあえずみんな血を落としてきなよ。艤装への補給はこっちでしておくから。終わったら各人自由行動で……ああ、叢雲さんだけは執務室まで、今回の詳細を報告に来て」
「了解したわ」
叢雲の返事が終わると、夕立が身を乗り出す。
「提督さんっ! 演習場使っていいっぽい?」
「演習場? いいけれど、今から? 疲れてないの?」
「大丈夫っぽい!! これから綾波と遊ぼうと思って!」
言いながら夕立は、綾波へと視線をやる。
綾波は小さく笑いながら、「楽しみですねっ」と言葉を零す。
「そ……まあ、大怪我しないように気をつけてね」
綾波と夕立。
艦隊の中でも一層エネルギッシュな二人だ。夕立は言うまでもなく、綾波は一見のほほんとして穏やかそうに見えるが、その内側に潜むものは夕立に負けずとも劣らない。
叢雲や木曾は、どこか一歩引いて自身の異質さと付き合っているのに対して、二人にはそれが無いと言えばよいのだろうか。闘争心や血への欲求は、他と比べても極めて強い。
(……演習場、壊れなきゃいいんだけれどな)
以前壊されたことがあるからこその、提督の懸念だった。
「じゃあ解散ね。あー、疲れた。間宮にでも行こうかなー」
「今回はそんなに動いてないだろ? またバルジがついたー、とか騒いでも知らないぜ?」
「なっ」
木曾の皮肉げな言葉に、ムッとした表情を浮かべる瑞鶴。
「い、いいじゃない、別に。結構艦載機発艦するのだって大変なんだから!」
「そりゃあそうだろうけどな、まあいいさ。でも前みたいにダイエットと称して人を振り回すのはやめて欲しいもんだな」
「……い、いや、それは、その……えっと……」
過去の記憶を思い出してか、瑞鶴は言葉に詰まる。
「そ、そういう木曾はこれから何するのよ」
「俺か? 俺はいつも通り工廠へ、だな」
「工廠? ああ、『落葉』の手入れ? 毎回思うけれど、『艤装化』しているんだから、そんなに頻繁に手入れしなくても傷まないんじゃないの?」
「こいつは俺の相棒だからな。丁寧に扱ってやりたいのさ」
「へぇ……まあ、兵装の手入れは大事よね。私も久々にこいつの手入れしようかなー……その前にシャワー浴びてこよ……」
言いながら瑞鶴は、艤装を外して出口へと歩んでいく。返り血こそ浴びていない彼女であったが、潮風で髪がベタつくようで気にしたような素振りを見せている。
その瑞鶴に続くようにして、他の面々も続々ドックから退出していく。
その様子を見送ってから、提督も執務室へと戻っていった。
× ×
「――ざっくり説明すると、そんな感じだったわ」
母港、執務室。
暗めの木で出来たフローリング、白と黒で彩られた窓、壁は赤レンガを模した壁紙で覆われていて、黒の提督用デスクと椅子が置かれている。その隣には秘書艦――この鎮守府では、大抵の場合、叢雲が務めている――用の執務机があり、壁には古風な鳩時計が掛けられている。
部屋の中心付近には二つのソファが無造作に向かい合わせに置かれている。その間にはガラス製のテーブルが存在し、その上には現在、間宮羊羹と緑茶の入った茶飲みが一つ。
部屋の隅に置かれた蓄音機へと目をやりながら、叢雲はソファに座って間宮羊羹と緑茶を味わいつつ、提督へと先程の海戦の報告を終えたところだった。
「……なるほどね。大体解った」
羽ペンをくるくる弄びながら、提督は言った。その前にはデスクに置かれた一枚の用紙が置かれている。
「……しかし、戦艦ル級ね……こんな鎮守府近海で救難信号なんて不思議だとは思ったけれど……」
「しかも随伴に重巡が二隻、軽巡が一隻、駆逐が二隻よ? 丸々一艦隊、こんな近場まで侵入を許すなんて、深海棲艦への警戒網も随分と緩んだものね」
叢雲は茶碗をテーブルに置いて、呟いた。聞きように依っては皮肉げに聞こえる言葉だが、その声音には微塵のトゲも感じられない。
むしろ何処か楽しそうにしている。
「んー、ここらは海洋観測ブイもあるし、各横須賀支部で警戒や巡回もしている筈なんだけれどな……まあうちはしてないけれど」
「百歩譲って、巡回の方にはヒューマンエラーならぬクルーザーエラーがあって、敵艦隊を見過ごしていた……なんてことも考えられるかもしれないけれど、ブイにまで反応が無かった、と言うのは不自然よね」
「純粋に考えれば故障、とか?」
「うちの海軍はそんな簡単に壊れるものに頼っているのかしら? 世も末ね」
「さてね、諸行無常の響あり、なんて言うし、この世に壊れないものなんてないだろうさ。とは言え、月イチで近くの支部の明石さんがメンテナンスしているらしいし……よっぽど故障なんてことは、ないだろうね」
「……ふうん」
羊羹を黒文字で切り分け、叢雲は『この鎮守府の明石』を思い返す。
「……叢雲さん、言っておくけれど、うちの明石さんは結構な変わり者だからね? 普通の明石さんはあんな感じじゃないから」
「解っているわよ」
叢雲の表情から何を考えているのか察したらしい提督の言葉に、叢雲は憮然として答える。
「なんせ『工房』の明石の一人だものね」
『工房』――と呼ばれる、奇妙な組合が、艦娘の中には存在している。主に明石や夕張と言った、兵装の開発に深い造詣を持った艦娘たちで構成されるその組織は、変わった『兵装』を造り出すことで知られている。
その兵装はおよそ、通常の艦娘のそれとはかけ離れたものであり、普通の艦娘が戦闘で使用することはまず無いと言っても良い。と言うよりも、大抵の場合『仕掛け武器』と呼ばれるその異質の兵装は、通常の艦娘が使えるような代物でないことが多い。
艦娘と呼ばれる存在は、かつての大戦に存在した『軍艦』とはまた違う。いくら『艦』と呼ばれようが、実際の『艦』とはまるで別物である。
戦艦によるロングレンジからの砲撃、そしてそれをも凌駕する超ロングレンジ……あるいは場合によっては、アウトレンジにさえなりうる航空戦。
それらは確かに艦娘においても不可能ではない。だが、単純に考えて、かつての大戦とは敵味方共に、サイズも機動力もまるで違うのだ。
人と同じようなサイズの敵と味方。互いに、そんな超長距離からの攻撃を、そのような小さなサイズの的に当てることは難しい。
故に、艦娘と深海棲艦の間に生まれる戦いは、主にショートレンジからミドルレンジによる撃ち合いとなる。場合によっては超接近の近接戦闘や長距離射撃なども行うことがあるが、それはあくまでサブ的なものだ。
当然ながらそれらの戦い方には近接戦闘を主軸に置いた――しかも奇妙な仕掛けのついた、並の膂力や技術では扱えない武器など不必要である。
『工房』の造り出す兵装の中には、もちろん遠距離を主軸に置いたものも存在するが――それらは稀だ。
故に、『工房』製の兵装を操る艦娘は極少ない。扱える者自体が少ないし、扱える物自体も少ないのだから、実戦で使用するような輩となれば両手で数えるほども居ないだろう。
まあ。
ここ、第四横須賀支部には、そんな輩ばかり揃っているのだが。
「――『ノコギリ槍』って言ったっけ? 叢雲さんの武器。どう? 使い心地は」
「ま、悪くないわ。随分と馴染んで来たってところね」
「そりゃ良かった。まあ、元々『叢雲』の艦娘には初期兵装として、艤装化されたマスト型の槍が付属していたし、『槍』とは相性がいいのかもね」
「あれが普通の『槍』に見える? 悪いけれど、槍として使ったことなんて数えるほどしか無いわよ」
「ん? そうなの? ノコギリ槍って名前なのに?」
「その文句は『工房』に言ってくれる?」
通常時は人ならざる深海棲艦の装甲を削り、そしてその青白い皮や肉を裂くコンパクトなノコギリとして機能し、スプリングとジョイントによってその刃を伸長させた変形後は、ノコギリ刃をそのままとして長柄の槍として扱うことが出来る――それがノコギリ槍と言う得物だ。
変形機構を利用して深海棲艦の膓に深く刃を食い込ませ、例え相手が戦艦だろうが力任せにその胴体を引き裂けるこの得物を、叢雲は存外気に入っていた。
「まあ、なんにせよ気に入っているなら良かったよ」
「流石に木曾ほどじゃないけれどね」
自身の得物である『落葉』に、一兵装に対する以上の愛情を注ぐ木曾を思い出しながら、叢雲は言う。
提督は苦笑する。
「武器を大事にしてくれるのは、まあ、俺としてもありがたいよ。資源も無限にあるわけじゃないから」
「言われなくとも、みんな大事にしているわよ。奴らを殺すための武器なんだから」
「そこで、命を預けるものなんだから、とか言わないのがうちの艦隊がうちの艦隊たる所以だよなぁ……」
提督は沁み沁みと呟いて、苦笑いを濃くする。
(……優秀なのは間違いないんだけれど)
この艦隊が、血に酔った艦娘たち、などと呼ばれているのは、ある種蔑称の側面もある。
その異様なまでの凶暴性。深く深く根付いた極端な深海棲艦への憎悪と、悍ましき血への渇望。暴虐に身を任せたかのような戦い方。
その性質から、彼女たちは、ある種忌み嫌われる存在でもある。敵からも、味方からも。だからこそ、一箇所に集められ、統治されている。
ある種の隔離だ。
艦隊と言う、協調性が大きな意味を持つ中にぽつりと浮かぶ異分子は、チームワークの乱れ以上の損害を、その艦隊に生むだろう。故に、この措置は一種の隔離であると同時に、合理的な戦術であるとも言える。
それが解っているからこそ、叢雲たちも甘んじてその処置を受け入れているのだ。
地位や名誉や世間体よりも、深海棲艦の殲滅を。そして血を。それが彼女たちの第一目標であり、揺るぐことのない支柱だった。
「……っと。そう言えば午後から明石さんと約束があるんだった」
ふと顔を上げて時計を見た提督は、思い出したかのようにそういった。
「約束? 食事にでも行くの?」
「生憎とそんな心躍るようなイベントじゃないよ。ほら、この間叢雲さんたちの定期診断、しただろ? その結果の確認」
「ああ、そんなこともあったわね」
定期的に、在籍する全艦娘たちの検診を行うのは、なにもこの鎮守府だけのことではない。日本各国あらゆる地域の鎮守府、そしてその支部において、それは行われている。艦娘と言うのは深海棲艦に対する、現在人類が保有している唯一無二の切り札だ。その戦力のメンテナンスは、例え一月に一度でも過剰とは呼べないだろう。
しかし、各鎮守府における艦娘の平均在籍数を考慮すれば、一月に一度全員を検診すると言うのは些か非現実的だ。そのため現在は最低限、上半期、下半期に一度は行うこと、と言う規則が制定されている。
この鎮守府においては、純粋に籍をおいている艦娘がたった六隻であると言う都合上、年に二回よりも少しだけ頻度の高い、四半期に一度と言う形態を取っている。
「変に悪い結果でなければいいけれど」
間宮羊羹をつまみながら、叢雲は呟いた。
「何? なんか気になることでもあるの?」
「別にないわよ、この鎮守府に配属されてから随分とストレスフリーにやらせて貰っているし。けれど――」
「けれど?」
「もしも問題があったら、あいつらを十全に狩れないじゃない」
薄く微笑んで、叢雲は羊羹の切れ端を食む。それはまるで、無邪気な少女のような笑みでもあったし、獲物を食らう蛇のような冷徹な笑みでもあった。
「……はは、結局そこに行き着くんだね。まあ、らしいけれどさ」
いいながら、提督は立ち上がる。
「んじゃま、俺はそろそろ行くよ。叢雲さんは?」
「羊羹食べてから部屋に戻るわ」
「了解……それにしてもよく食べるね。ああ、ひょっとして診断で気になるのってバルジ――」
「あんたのその不健康そうな内臓で、執務室をデコレーションしたいんじゃなかったら、その口を閉じることをオススメするわ」
黒文字を提督へと突きつけながら、叢雲は底冷えのする声音でそう言った。口調こそ冷静だったが、凡そ冗談とは思えない殺気がその目の奥に宿っているのが見て取れた。
「……ははっ、口は災いの元って奴だね」
突きつけられたのはたかが和菓子を切り分けるための黒文字だと言うのに、まるで巨大なノコギリでも眼前に向けられたかのような気分になった提督は、大人しく執務室から出ていく。
こんなでも、存外彼と彼女たちの関係は良好であった。