青ざめた血の水平線に 作:[この名前は既に使用されています]
「明石さんいる?」
この鎮守府支部には医療施設と呼べる場所が三ヵ所ある。一つは治療室と呼ばれる部屋であり、そこは言うなれば通常の手当てを行う、至って平凡な医務室である。次に、艦娘の外傷を高速で修復するための施設である入渠ドッグ。
そして最後に、『医療研究室』と呼ばれる特殊な施設がある。この施設はどの鎮守府にもあるものではなく、日本全土の鎮守府支部を見渡しても設置されていることのほうが少ない。この横須賀第四鎮守府支部に、そのようなレアリティの高い施設があることには、勿論のこと『血に酔った』とさえ称される、特殊な艦娘が関わっている。
提督が『医療研究室』のドアを開けると、中には一人の女性がいた。桃色の長髪。その左右の部分を髪ゴムで縛っている。セーラー服をモチーフにしたような衣服。そのスカートは袴の脇あきのように左右が開いている。上から、今は白衣を羽織っており、その手元には黒色のボードと紙、そして三色ボールペンが握られている。
彼女は明石という。中央からこの鎮守府に派遣されてきた艦娘である。主に艤装や兵装の手入れ、開発、在籍する艦娘たちの健康管理、酒保の運営などを任されている。
「あ、提督、お疲れ様ですっ」
提督の姿を確認すると、明石は手にしていたボードと紙を置き、ペンを白衣の胸ポケットにしまい、小走りで駆け寄ってきた。同時に自身の左手首に巻かれている腕時計へと目をやる。
「あー、もうこんな時間になっていたんですね。すっかり気が付かなかった」
「何かあった?」
「いえ、特別なことは何もないんですけれど、ちょっと新しい兵装のアイディアをまとめていたら思いのほか時間を食っちゃって」
てへっ、と言わんばかりにぺろりと舌を出す明石。先ほど見ていたデータがそれだろうか、と思いつつ、提督は「なるほど」と相槌を打つ。
「それで、えーと、あれですよね、提督。この間の健康診断の結果報告」
「そうそう。それを聞きに来たんだけれど、今大丈夫? 忙しいなら別に後でも構わないけれど」
「今で平気ですよー、じゃあ資料出してくるので、ちょっとその辺に掛けて待っていてください。すぐ戻ってくるので」
言われて、提督は医療研究室の左奥に設置されている、応接スペースのような場所へと赴く。そこには黒革のソファが二つ、ガラスのテーブルを挟んでおかれている。提督は手前のソファに座ると、明石を待った。
二、三分ほどして、明石は戻ってきた。その手にはホチキスで止められた、二枚組の資料が五つ、三枚組の資料が一つ握られている。
「お待たせしました。はい、これ。今回の診断結果です。って言っても、みんないつもとあまり変わりなかったですけれどねー」
「ありがとう」
礼を言って、提督は資料を手に取る。上から順に、叢雲、夕立、綾波、木曾、瑞鶴、山城のデータである。
ぺらぺらと、紙を捲る音が室内にこだまする。
「……うん。まあ、ざっと見た感じ、前とそんなに変わらないみたい……かな。みんな全体的に『血質』が増加傾向にあるのが気になるけれど……」
提督は資料をテーブルの上に広げながらそう言った。
「ですねー。特に綾波ちゃんは、元から高かったのに加えて、上昇割合も少し大きい気がしますね」
「あんまりいい傾向ではないんだろうね」
「うーん……それは微妙なラインだと思いますけれど……」
言いながら、明石は広げられた資料へと目をやる。様々な一般的な健康データ……身長や体重などの基本的なものから、内臓系の異常、非異常を示すあらゆる数値……それらの中に混じって、人間の健康診断では存在しない項目がいくつか見られる。
中でも取り分け目に付くのは、『血質』の項目だろう。
「実際のところ、『血質』が艦娘にどう影響しているのかは未知数ですからね。値の高低が、良い悪いに繋がるのかさえ、私たちにはまだ理解できていません」
人間と艦娘の違いを説明しろ、と言われたとき、どのように答えるか。
ある政治家は、人であるか兵器であるか、と答えた。ある将校は、深海棲艦に対する対抗力を持つか否か、と答えた。ある科学者は、生物学上、ほとんど同じであるが、数点、人と違う部分がある、と答えた。
その『人と違う部分』の一つが、『血質』である。
艦娘は生物学上、概ね人と同じである。身体構造も同じ、各種臓器も過不足なく人間と同じだけ存在している。心臓を貫かれれば死ぬし、出血多量でも死ぬ。病気になることもあるが、加齢は極端に遅い。もっともそれは、生物学上の理由があるわけではなく、『艤装化』された兵装が消耗し難くなるのと同様、艦娘の用いる障壁の影響によって、肉体の劣化が著しく軽減されるためである、とされている。
では、何が違うのか。その答えが、『血』だ。
「叢雲ちゃんが24.8パーセント、夕立ちゃんが31.9パーセント、木曾さんが17.0パーセント、瑞鶴さんが16.7パーセント、山城さんが15.4パーセント……」
「そして、綾波さんが66.2パーセント、か。極端だな」
艦娘の血液には、人間には存在しない『解析不能な未知の物質』が混ざっている。現在においては、その『未知の物質』こそが、艦娘を艦娘たらしめる原因そのものであり、この『未知の物質』があるからこそ、艦娘は人ならざる特異な現象(水上歩行、障壁展開、艤装との同調ならびに兵装の艤装化、妖精と呼ばれる未確認存在との対話あるいは具象化、物理学的に不明な身体能力の発揮、など)を引き起こせるのだとされている。
この『未知の物質』の割合のことを称して、『血質』と呼ばれている。
ただし、通常その割合は、およそ、2パーセントから5パーセント程度でしかない。だが、極々稀に……10%を超える艦娘が生まれてくることもある。
そういった艦娘は、異常な性質(血への渇望、並外れた膂力、極端に高い俊敏性、深海棲艦への強い憎悪、など)を持つことが多い。高い『血質』を持つ艦娘の全てがそうなるわけではないが、そこには何かしらの因果関係、ないし相関関係が見て取れるというのが現在のスタンダードな学説である。
言うまでもなく、この鎮守府に集められた六人はみな高い『血質』を持つ異端である。本来収まるべき数値を大きく逸脱している。綾波に関しては特に並外れており、その血液の過半数が『未知の物質』で埋め尽くされている。
「綾波さんが通常の兵装を艤装化できないのは、やっぱり、この異様に高い『血質』が関係しているのかな」
「その可能性は高いと思いますね」
提督の言葉に、明石は頷く。
『血質』に関してはいまだ未知の領域が多い。この『血質』の研究は中央にて継続して行われ、中でも『未知の物質』を扱った実験も過去に何度か行われたというが、その実験データは高度なアクセス権限がない限り閲覧することはできないことになっている。
一体、何が起こったのか。
それを知る術を持つものは、この鎮守府にはいなかった。
「前回の診断の際の綾波さんの『血質』は、64パーセントくらい……だったかな。約2パーセントの上昇か……」
「不安そうですね、提督」
「そりゃあ、まあ、なぁ……」
「やっぱりあれですか、あのことが気になっているので?」
「……そうだね。気にならないと言ったら嘘になるよ」
艦娘の血液に存在する『未知の物質』を、同じく体内に抱える生物が、現時点まで一種類だけ確認されている。
何を隠そう、深海棲艦だ。
深海棲艦の体液は、人間のものとも艦娘のものとも異なっている。彼女らのそれは、限りなく人に近い生物の血液と、B、またはC重油、そして前述した未知の物質の混合物で構成されている。それらの割合は各種深海棲艦ごとに異なっているが、上位の深海棲艦と考えられる存在になればなるほど、『未知の物質』の割合が増加する傾向にある。
このことから、艦娘と深海棲艦に関連性を見出す研究者も少なくない。現在においてもその説は部分的に肯定されており、艦娘と深海棲艦には何かしらの繋がりがあるとされている。
だからこそ、提督はわずかな不安を抱かずにはいられない。
果たして、極端に『血質』の高くなった艦娘は、どうなってしまうのか。その終着点に、どうしても不吉な想像が働く。
とはいえ、艦娘の『血質』を減少する方法は今のところ発見されていない。『未知の物質』を持たない人の血液を、艦娘に輸血することは可能であるが、輸血された血液は血管内で希釈され、瞬く間に『血質』をもとの値に戻してしまう。一時的……およそ一時間程度であれば『血質』を下げることは可能であるが、長期的な減少は現時点において不可能であるとされている。
また、艦娘に人間の骨髄を移植することは可能であり、これを行った場合、艦娘の血液はおよそ150日前後で完全に人のものとなる。血液中に『未知の物質』は存在しなくなるが、その艦娘は、水上歩行や艤装との同調、といった艦娘としての特殊技能を失うことになる。
「……まあ、俺が不安に思ったところでどうしようもないんだけれどさ」
提督はそういうと、テーブルに広げられた資料のうちの一つを捲る。ほかの資料は二枚構成であるが、この資料だけは三枚構成となっている。その資料の最後のページには、奇妙なレントゲン写真が付属していた。
「不安と言えば、俺としてはこっちのほうが不安かな」
提督はレントゲン写真へと視線を落としながらそう言った。
その写真は、まさに異様と言うほかになかった。X線で写し取られた女性の身体の中に、いくつもの奇妙な白い影が映っている。まるでさながら腫瘍のように。あるいは……そう、寄生虫のように。
蠢くように身をくねらせた白い影。それはまるで軟体生物……ナメクジのようにも見えて――ただのレントゲン写真だというのに、それを見ていると、なぜだろう、
頭蓋の中で何かが蠢く。
そんな気がしてならない。
「こちらは山城さんの資料ですね……彼女は、まあ、確かに、ただでさえ特殊なここの人員の中でも、さらに異端ですよね……」
「体内にナメクジにも似た不明な生物を飼っている……なんて聞いたときは、流石の俺も驚いたよ」
生物学的にあり得ない。というのが、山城を検査した研究員たちの言い分だった。このサイズの生物を体内に複数宿していながら、全く健康上の問題が起きていない。そんなことは常識では考えられないのだと。
そしてさらに、その体質のみならず、山城の引き起こす現象はそれを遥かに超えて非常識的である。ただでさえ埒外の艦娘の特殊な性質。それを大きく上回る、さながら『神秘』とでも形容するほかにないような……そんな現象を、山城がたびたび引き起こしていることは既に何度も観測されている。
例えば、綾波は艦娘という異常存在の中でも、その異常さが極めて高い、という意味で異端だった。
だが、山城の場合はそうではなく、艦娘としての異常さとはまた別に、著しく異常な性質を持つ、という意味で異端なのだ。
山城のような艦娘は、今のところほかに確認されていない。同じ『山城』の艦娘や、その姉妹艦である『扶桑』の艦娘においても、一切。
「……まあ、みんな健康上の問題がないなら、俺から言うことはないかな」
六人分の資料を確認し終えた提督は、ソファに深く座りなおしながらそう言った。
叢雲、夕立、綾波、木曾、瑞鶴、山城。
六人が六人とも、尋常の艦娘とは到底呼べない。当然、彼女らをまとめた横須賀第四支部、第一艦隊も尋常の艦隊とは呼べず、故に問題はあらゆる場所に存在している。
それでも、彼は彼女たちの提督である。まるで厄介払いのように――そして実際そうなのだろう――この鎮守府へとまとめて送られてきた彼女たち。
彼女らを統べる立場にある彼は、果たしてどんな心持ちで、その座に就いているのだろうか。その心中は測れない。
「それじゃあ明石さん、ありがとうね」
言いながら、提督は立ち上がる。
「はい、お疲れさまでした。また何かあればいつでもお呼びくださいっ」
同じく立ち上がって、小さく手を振る明石に、手を振り返しながら提督はゆっくりと医療研究室を後にした。
ほぼ半年かけて設定紹介回終了