怪獣に産まれて 作:どろどろ
アカネの曲を聞いて泣いた。
邂・逅Ⅰ
四苦八苦しながらも新たな住居を見つけ、一人暮らしを初めてからというもの、アドニスの朝は極端に早くなった。
まだ街に光が差さない午前三時。目覚めた場所は、変わり者の大家が経営しているボロアパートの一室だった。壁は薄く亀裂が入っているし、その上雨漏りすることもある。だが、身元不詳のアドニスを黙って受け入れてくれる物件はここ以外にないだろう。住まわせて貰っているだけで頭が上がらない。
顔を洗ってからコップ一杯のトマトジュースを飲み干す。これが彼の朝食だった。
その後、アドニスは唯一の収入源である新聞配達のバイトのために外出した。
まだ住民の大半が寝静まっている頃合いのツツジ台。立ちこめる霧の向こう側には巨大な怪獣が何体も鎮座している。
不思議な光景だが、アドニスにとってはもはや見慣れたものだ。
人間はおろか、動物の気配すらしない街並みは、奇妙な充実感を与えてくれる。毎朝の早起きは心身共に辛いが、アドニスはこの時間帯の街が嫌いではなかった。
自分を咎める者は誰もいない。ひたすらに開放感を享受する。
孤独を楽しむ。
つい一週間ほど前のアドニスなら考えられないことだった。
しかし、だからこそ街の静寂の中で佇む少女は嫌に印象に残った。
アドニスが漕ぐ自転車の先。視線を泳がせながらおぼろげな足取りで歩いている少女がいた。汚いフードを目深に被り、安っぽいリュックを携えている。
少し注目して見ていると、少女は突然道脇のゴミ箱を漁り始めた。
「オイオイ……、彼女、何してるんだ?」
自分に似たような経験が無いとは言えないが、見るからにまだ小学生くらいの少女がホームレス紛いの行動をしているのは目に毒だった。アドニスは言葉を詰まらせる。
いや、実際にホームレスなのかもしれない。
本物の放浪者を見たのは初めてだった。その上、その放浪者が年端もいかない少女だったのだから同情するのが人情だ。怪獣が人情を持つのもおかしな話であるが。
接近して自転車を止めて、声を掛ける。
「なぁ君」
一瞬だったが少女の動きが止まった。
が、またすぐにゴミ漁りを再開した。こちらの声が聞えていないという訳ではなさそうだが、それ以上気にする素振りを見せることもない。
困ったように頬を掻くと、歪な笑みでアドニスは少女の肩を叩いた。
「こらこら、止めるんだ。そんなことでは服が汚れてしまうぞ」
もう汚れていた気がするが、一度口にしたことを撤回するのも忍びない。
微動だにしない少女を、やむなく強引にゴミ箱から引っ張る出すことを決意した。
「だから、止めなさい……てば!」
「あうっ!?」
脇に手を回して掴みあげる。
実力行使に移行するとは想像していなかったのか、ゴミ箱から顔を出した少女は口を開閉させて狼狽していた。
少女は突然のことに暴れていたが、下ろしてやると逃げもせず途端に大人しくなった。
「ごめんな。痛かったかい?」
返事はなかったが痛がる素振りもないし無事とみていいだろう。
「どうしてゴミ箱を漁っていたんだ」
「……あれは、捨てられたやつ。拾ってもいいでしょ?」
「君は僕みたいな事を言うんだな。でもダメだ、廃棄されたゴミってのはその街の、ひいては国の所有物になる。無断で持ち帰るのは犯罪だよ」
「そうなの?」
常識が欠如している所はまさしく一週間前のアドニスのようだった。
「でも、お腹空いた」
「だからって盗っちゃダメだよ。ご両親は?」
「いないよ」
「……そう」
予想出来た回答だったが、少女が惜しげもなく大胆に告げたの予想外だったし、心底嘆かわしく感じた。沸き上がってきたのは少女に悲痛な事実を告げさせたことへの罪悪感だけだった。
アドニスの目線が、自分の腰に巻いたウエストポーチに落ちる。厳密には、その中の財布に意識が向いた。
ここで施しを与えるのは簡単だが、アドニスの生活は極限状態だ。そのため、一瞬だけ戸惑いが生じる。
だが、ここでアドニスは少女に施しを与える二つの理由を思いつく。
まず一つ目。怪獣である自分より、人間の幼子の方が何倍も尊い命の筈だ。どちらを優先するべきかは明白だった。
そして二つ目――
(
恩人である彼女になぞらえて、自分もそうしようと考える。すると迷いは消えた。
「ほら。これで好きな食べ物を食べてくるといい。この時間帯だとコンビニくらいしか空いてなさそうだがな」
少女に財布ごと渡す。中にはアドニスの全財産の約五千円が入っていた。
「いいの?」
「年上に遠慮するものじゃないぞ」
言いながらも、アドニスには絶対に自分の方が年下であるという自信すらあったが。
絶対にそうは見えないのだが、アドニスはまだ〇歳児だ。
「腹を満たしたら、警察に行きなさい」
それは誰が聞いても、実年齢に比例しない大人びた声音だったことだろう。精神的にはきっとアドニスの方が少女より遙かに成熟しているのだ。
付き添ってやりたい気持ちもあったが、配達の途中だ。最後に一度だけ手を振って、自転車のサドルに跨がった。
「ありがとう、金色の人」
「……うん?」
不可思議な少女の言葉に首を傾げる。
頭髪の色のことを言ったのだろうか。確かにアドニスの髪は黄金色だ。
「今度会ったらあたしが奢ってあげるね」
「会えたらな」
別れて、しばらく進んで振り返る。
路地裏の方にでも進んだのだろうか、少女の姿は影も形もない。
「――金色の人、ね」
色自体は明るくて好きだ。
だがどうしても、胸の中で渦巻く一抹の不安は消えなかった。
「何か、怖い女の子だったなぁ……」
後々になって思い出すと、彼女は人間の形をしていなかった気がしたのだ。考えたくないが、もしかして幽霊と話していたのだろうか。
嫌な予感は全て気のせいだと割り切って、アドニスは配達へと戻った。
◇◆◇
配達を終え、午前六時頃になるとアドニスはアカネの家の前に現れる。
「いってらっしゃいアカネ」
「ん」
学校へ向かうアカネに一言挨拶するために何時間もここで待っているのだ。アカネからは素っ気ない返事しか返ってこないが、次に期待して今度は帰宅してくるアカネを待つ。
「おかえりアカネ」
「ん」
それだけ言って、アカネは家の中に入っていった。基本的にはもう朝まで外に出てくる事はない。
本日アカネから聞けた言葉は『ん』だけである。間違いなく会話ではないだろう。
(……無視されないだけマシ。無視されないだけマシ無視されないだけマシ無視されないだけマシ無視されないだけマシ無視されないだけマシ無視されないだけマシ無視されないだけマシ無視されないだけ――)
アドニスは基本的には平然を装っているが、不幸なことを自覚すると途端に精神崩壊する。それも数秒で回復するので問題はないが。
(明日は「今日も綺麗だね」とか言って褒めてみるか)
どうしてもアカネから別の反応を聞きたいアドニスは新たなアプローチを模索する。アカネから「ストーカー」だの「セクハラ」だの言われる日は近い事だろう。
「……僕も家に戻ろう」
決して帰るとは口にしない。アドニスは自分の帰る場所がアカネの隣であるという希望を捨てていないのだ。
新条家を後にする。今はアカネの方から歩み寄ってくるのを待つと決めたのだ。
アドニスの夕飯はパンの耳と珈琲牛乳だった。生活面でもアドニスはアカネに援助を求めない。よってこんな質素な食生活になってしまうのだ。
普段ならばあと一品ほど加えているところだが、今日は予想だにしない出費があった。食費は出来る限り押さえたいところだ。それどころか、今月は数日の断食すら覚悟しなければならないかもしれない。
「あぁ、六花のハンバーグが食べたいなぁ」
実際に叶うとは欠片も思わないが、誰にも聞かれないところで願いを口にしてみた。
ため込むよりは、吐き出したほうがいっそ楽な時もある。
「む、意外に旨いな、コレ」
近所のデパートで無料配布されていたパンの耳だが、空腹であったためか、予想していたよりは美味だった。
珈琲牛乳と一緒に口に含むと、殊の外飽きない味がした。
「旨い旨い」と言いながらパンの耳を頬張っていると、羽織ったジャケットの内ポケットからスマホが鳴った。通話の着信音――相手は十中八九アカネだろう。
「もしもし」
画面に表示された着信相手も確認せずに応答する。
『もしもしアドニス?』
やはり相手はアカネだった。
『“また”殺して欲しい人がいるんだけど』
「……そうか」
今までにアドニスが殺してきた人間の数は、把握しているだけで十人に及ぶ。完全怪獣化して暴れる際には二次被害を出さないように標的だけを“狩る”のがアドニスの戦い方だが、知らぬうちに殺してしまった人間がいないとも限らないので一概にはいえないだろう。
アドニスはアカネとの会話を望んでいた。だが、こんな形で叶うことは望んでいなかった。
出来る事なら、もっと他愛ない会話で親睦を深めたいところだ。
「――分かったよ」
断る理由はない。むしろ、こういった命令には積極的に関わる必要があった。
本来なら動物の殺傷を好まないアドニスの性格は、無駄な命が多く散ることを強く嫌った。アカネはアドニスが使えなければ別の怪獣を使うだろう。そこで懸念されるのは街への災害と、無関係の人間が死ぬことだ。
知性のあるアドニスならば最小限度の被害で狩りを終わらせることができる。
それに、命令に従えばアカネの機嫌は良くなるのだ。
どのみち殺すのだから、被害を最小限に押しとどめ、なおかつアカネの機嫌とりに殺し有効活用する方がいいに決まっている。
もちろん最善はアカネが誰にも殺意を抱かないか、あるいはそれを実行しない理性を得るかだが、そう助言すればアカネは簡単にアドニスを切り捨てるだろう。
結局の所、アドニスは嫌われるのが怖かったのだ。
(この臆病者め)
自虐的に心の中で思う。
(アカネも僕も、ついでにアレクシスもか。きっといつか地獄に落ちるだろうな)
アドニスには、『待つ』以外の選択肢がない。
いや、それ以外の選択を忌避していた。
「それで、僕は誰を殺せばいいんだい?」
『うちのクラスの問川って言うんだけどさ~。あ、写真送るね』
場所は変わり、交差点の真ん中。
アドニスは送られてきた写真を見つめている。
「……なんだ、また子供を殺すのか」
映っている女の子はアカネと年齢の近そうな若者だった。
人間を殺すのはもちろん、子供を殺すとなると相当の覚悟がいる。
躊躇を捨てるために大きく息をついた。どうせ何をやっても後で後悔するのは目に見えている。いっそ今は無心で殺そう。
『じゃ、アドニスやっちゃって!』
「ああ」
――クソッタレ、地獄じゃ生ぬるいなぁ、全く。
次の瞬間、街の中心に黄金の竜が君臨した。
◇◆◇
完全怪獣形態。もはや怪獣態と人間態のどちらがアドニスの真の姿なのかすら曖昧だが、その形態になることによって本来の力を引き出せることは確かだ。
アドニスの性能はアカネの怪獣コレクションの中でも群を抜いて頂点である。生身の人間たちに抵抗できる道理はない。
だからこそ、アドニスには慢心と油断があった。
力を温存するため、そして二次被害の確率を減らすため、金竜の核とも言える虹色の羽を出していなかったのだ。羽がなければ戦っている最中にエネルギーの補充ができないが、大きな脅威もないし問題ない。そう考えていたし、実際に今までもそうだったのだが――、
【(……何だ、コレは)】
突如現れた謎の巨人。青と白を基調とした装甲がついている。
現れた途端に拳を構え、アドニスへの敵意を剥き出しにしていた。
相手には戦う気概があるらしい。しかし、混乱しているアドニスは戦闘意欲を削がれてしまっていた。
【(アカネが用意した敵、か? ……いや違うな、どうもそんな感じじゃない)】
ゲーム性を持たせるためにアカネが敵を用意した――と考えたアドニスだったが、アカネが作るのは怪獣だけだ。こんなロボット紛いの巨人を作ったりしない。よってその可能性を除外する。
考えられるのは、この巨人がアカネもアレクシスも関係がない第三者だということ。
そしてその目的が――
【(僕を倒す気か、コイツ。――面白い、やってみるがいい)】
やはりアドニスは一方的に人間を殺すのが嫌いだった。
抵抗する手段を持つ敵と邂逅したことで、改めて自分の士気が高まっていくのを感じる。
感極まって、アドニスは巨人を睨み付けた。
【――そら、掛かってこいよ】