怪獣に産まれて   作:どろどろ

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亀・裂

 アドニスはツツジ台の市立中央図書館に訪れていた。

 図書館とは知識の宝庫である。そして、知識に触れる事はアドニスの数少ない娯楽の一つ。アドニスが図書館に入り浸るようになるまで、そう時間を要することはなかった。

 

 図書館の自習コーナーでは学生達が勉強にいそしんでいる。そこを避けるように、遠回りしながらアドニスは目的の本棚にまで移動する。

 アドニスが好むのは、本の中で人間が生きる小説である。アカネに言われて一般人と関わるのを避けるしかないアドニスは、小説から世界の常識を学んでいた。

 

(さて、時間との勝負だ。今日は何冊読めるかな)

 

 住民票はおろか戸籍すら持たないアドニスは、当然、図書館で本を借りることが出来ない。あくまで館内で読むだけである。

 浮き足だって移動するアドニスは、途中で見知った顔を発見した。

 

(む。――あれはアカネ?)

 

 アカネが図書館にいるとは珍しい。だが、新条家には大量の怪獣本があった。そう考えれば、図書館にいるのも納得出来るが、アカネがいるのは参考書のコーナーである。実は普通に勉強のために来ているのかもしれない。普段のアカネの生活を見ているアドニスからすれば、それは不自然極まりないことだったが。

 

 外でアカネとあったのが初めてなので、どう接したらいいのか悩んだアドニスだったが、普通に声を掛けることにした。

 図書館の隅、まるで一目を避けるような場所にいるアカネの元へと向かう。

 ある程度近づくと、アカネのすぐ隣に背の低いメガネの男がいることに気付く。

 

(近いな。友人というやつか? 僕にはいないから分からないが)

 

 アカネの道楽の邪魔をしてはいけない。友人同士の会話に自分が割り込むなど言語道断である。

 アドニスは咄嗟に近くの棚の影に隠れた。

 聞き耳を立てていると、二人の話声が届く。

 

「……ご、ごめんね。でもこの本、君も読みたかったんじゃ……」

「いいんですよ~! どうぞどうぞ! お兄さんにお譲りします! 私は表紙が気になっただけんなんで! マジ内容には全く興味ないんで!」

「そ、そう? ふへへ、優しいんだね……僕に優しくしてくれるってことは、そういうことなのかな……ふひっ、う、嬉しい……」

「何言ってんすかお兄さ~ん。も~。じゃ、私行くんで!」

 

 男との会話を切り上げたアカネが逃げるようにその場を立ち去る。

 タイミングを見計らって、アドニスは少女の前に飛び出した。

 

「やぁ、アカネ」

「っ!? アドニス!!」

 

 アドニスの声を聞いたアカネが立ち止まり、顔を上げる。

 まず表情に滲んだのは安堵と悦び。しかしそれは感情を後追いするように出現した不快感で掻き消され、怒りの様相を成していく。

 

 アドニスは目線を下げると、アカネが震えるほど強くこぶしを握っていることに気が付いた。

 

「アドニス……来るの遅いし! どれだけ探したと思ってるの!?」

「僕を探していた、のか? 何のために……?」

「……はぁ、アドニスってたまにバカだよね。少しくらいはさぁ、ほら、察してよ。こっちはアンタのおかげで嫌な目に遭ってたんですけど……」

 

 少女の言は妙に的を射ない。理解に苦しみながらも、アドニスは謙虚に学習する姿勢を貫くことにした。反論せず、ただ「以後気を付ける」とアカネに謝意を述べる。

 

「所で、学校はどうした?」

「……だ、か、ら、アドニスに会いたくなってサボったんだってば」

「なるほど。では僕に殺しの指示を出そうとしているわけだな」

「いや違……わないか。結果的には」

 

 アカネは呆れたような溜息をつくと、歩いてきた道を振り返る。

 先ほどの本棚の前には、うっとりとした目で少女を見やる男の姿がある。アドニスも遅れて気付いたが、男はずっとアカネの後ろ姿を凝視していたようだ。尋常でない視線に悪寒が刺激される。

 

「アドニス、あいつ殺して。今すぐ怪獣になってぐちゃぐちゃにして」

 

 一般利用客もいる中、自分たちの正体の確信を突くような発言にアドニスは焦る。だが、他人の記憶なら幾らでも消すことができるし、深刻視する必要もないのだろう。

 平静を取り戻すと、アドニスはまず問うことにした。

 

「アカネ、それを僕に命じる前に、その命令の正当性を僕に解いてくれ。あの男には、君に殺されるべき理由が本当にあるのだろうか」

「はぁ!? な、なにを、言って……」

「そしてもう一つの問いだ。君は、僕が誰かを殺すときにドローンを使って遠くから眺めているだろう。状況に合わせて使う怪獣を変えたり、新しく作ることもある。計画的と言ってもいいかもしれないな。だが、今回はやけに突発的だ。一体何が君を動かしているというんだ? その行動の原動力を教えてくれれば、今後僕は君の指示なく君の意思を汲み取って動けるかもしれない」

 

 アカネは豆鉄砲を喰らった鳩のように固まった。実際には数秒だけだが、アドニスはそれが数分単位の出来事に思えた。

 アカネは再び顔を俯かせ、今度は肩を振るわせ始めた。

 体調不良を心配したアドニスはアカネに声を掛けようとするが。

 

「何それ、意味わかんないんですけど」

「む。僕とて状況を理解していないのだから、君が僕の言葉の意味を理解してくれなければ何も始まらないぞ? では、かみ砕いて分かりやすく再度問うから――」

「だから、意味分かんない! 殺してって言ったんですけど!?」

 

 今度はアドニスが言葉を失う。

 アカネの激情の理屈が分からなかったが、自分の言動の何かがアカネの琴線を刺激してしまったようだ。罪悪感と不安が押し寄せてきて、声を取り戻すのに少し時間が掛かりそうだった。

 

「あいつ、本を取るとき私の指に触れやがった。しかもすっごい息臭かったし! あんなの存在してちゃ駄目なんだよ! 殺さなきゃ!」

「? 指に触れて、息が臭ければ、殺されなければならないのか? 理解が困難だな」

「………………」

「アカネ?」

「もういい」

「うん?」

「役立たず」

 

 アドニスの胸板に全力で拳を叩き込んだアカネは、鞄の中から工作用のカッターナイフを取り出した。

 今の発言と照らし合わせれば、この後のアカネの行動は容易に説明がつく。

 

「あの、アカネ? その、僕は悪いことを言ったか?」

「うるさい! 話しかけんな!」

「そ、そんな風に言わなくても……」

「邪魔!」

 

 アカネは止まらない。強引にその場から去る。

 アドニスはその背中をずっと眺めるしかなかった。

 こみ上げてくる感情が、胸を締め付ける。初めて自覚する自責の念は、階段で転んだときより痛かった。そして条件反射的にぽつりと呟く。

 

 

 

「……ごめん、なさい」

 

 きっとアカネが望んでいるのはそんな言葉じゃないだろうに。

 アドニスは呆然と、立ち尽くしている自分を嫌悪する。

 だから、そんな自分を倒すため、とりあえずはアカネを追おうと、数十秒遅れて走り始めた。

 

◇◆◇

 

 

 メガネの男は図書館での出会いに胸躍らせていた。

 

 知り合ったのは偶然だった。世界中の珍獣をまとめた図鑑を手繰り寄せようとした時、真っ白な柔肌と触れ合ったのだ。

 

 ──まさしく妖精とは、彼女のことなのだろう。

 

 24年間、全く異性とのふれあいがなかった男。

 容姿に恵まれなかったため、母以外の女性に優しくされたことはない。しかし少女は、そんな男に対しても積極的に懇意にしてくれたのだ。

 これを好意を呼ばずに何と呼ぶのか。

 そして、少女の想いに応えるように、男の摩耗しきっていた恋愛欲が一気に膨れ上がる。

 

「ふへっ、へへへへ、かわいい子だったな……」

 

 今思い返しただけでも、下半身に熱が灯る。

 恋仲となった二人の行きつく果てまで想像し、鼻の下を伸ばさずにはいられない。

 かすかな少女の残り香が鼻腔を擽り、男の情欲を駆り立て続ける。

 

「また、逢えるかな……」

 

 ただ、そう願う。

 その先を夢見てそう願った。

 

 下衆で醜く愚かな願いではあるが、男として至極真っ当な願いではある。

 

 

 ──しかし、駄目なのだ。

 

 

 

 この世界の小さな神様は、()()()()()()()()()

 

 

 その汚い欲を微かにでも向けられただけで、男の生存を認めない。

 ここは少女の為の理想郷(ユートピア)

 

 男は劣情を匂わせ、新条アカネの気分を害した。

 

 彼が潰れて死ぬ理由はそれだけだった。

 

 

「…………へぁ?」

 

 

 

 天井が崩れて落ちてくる。

 身体が潰れて、肉が弾けた。

 絶叫する間もなく、男は静かに、死の音を聞いた。

 

【―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ッッッ!!】

 

 鼓膜が破けそうになるほどの咆哮。

 暗闇しかないはずの視界で、黄金が蠢いた気がして。

 男の些細な命はひっそりと、この世界からなくなったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「最初からこうしとけばいいんだよ。バカアドニス」

 

 怪獣化したアドニスを見た者たちはアカネを除いて、例外なく逃げ出した。

 そのため、この場にはアドニスとアカネの二人だけである。

 

【………ゥゥ】

 

 黄金の竜から声がした。意味を含んだ言葉ではなかった。

 

 

「ほんっと、君は使えないなぁ。ゴミだよ、ゴミ」

 

 その言葉はアドニスには痛すぎた。

 まるで、《》産まれてくることが間違いだった》》と言わんばかりに、アカネは鋭い視線を投げつける。

 竜の耳が垂れ下がる。その時だけアドニスは、縮こまった犬や猫のような雰囲気だった。

 

「この役立たず。今日から家には入れてあげないからね」

【……分かった】

 

 きっと、明日には何事もなかったかのように街は元に戻るのだろう。

 だが、アドニスが受け取った拒絶の言葉だけは、撤回されないはずだ。

 人間態に戻り、エネルギー砲を放ったときに羽根がぶつかったのか、半壊してしまった図書館を見る。

 

「……あぁ、本が潰れちゃった……」

 

 何もする気が起きない。

 縋るような目になってアカネの方を見ると、もうそこには誰もいなかった。

 





次回、聖人君子ついに登場。

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