怪獣に産まれて 作:どろどろ
六花の家は一階がジャンクショップとなっているが、店主である六花の母は家を留守にしているため、現在は臨時的に閉店中である。客人の来訪に不都合はない。
ただし、自分以外誰もいない我が家に、見ず知らずの男を連れ込むことがどれほど軽率なことか、冷静に考えれば分かるはずである。六花は至極冷静だと自認しており、その上で自分の身の危険を欠片も予感しなかった。
理由は直感と言わざるを得ない。
些かかの害意も感じさせない男の立ち振る舞いは、他人からの警戒を招かない独特の雰囲気があったのだ。さながら、本当に強い催眠にでもかかってしまったかのように、六花は男を“敵”と認知することが出来なかった。
「……ホームレス、とかですか……?」
失礼な質問かとも思ったが、寝床を用意してやるのだ。それを聞くくらいは許されるだろう。
「少し違う。君たちの状況に当てはめて分かりやすく言い換えるなら、親に捨てられたというのが適切だろう」
「……複雑な事情の家なんですね」
同情するように頷きながらも、六花はか弱い男の声音に辟易する。親元を離れて段ボール暮らしに直結するのは、ある意味周囲への甘えの現れだろう。どう見ても男は16を超えている。もう独立して生きても良い年代だろうに。
そう思った矢先、続く男の話が痛く六花の胸を斬りつける。
「僕は無戸籍だ。複雑といえば複雑かな」
「え……?」
この年齢まで無戸籍。つまり、この社会にもはや『存在しない』存在。男の人生がどのようなものだったのか想像できた。
経緯は分からないが、前提として出産届を役所に提出されていないだろう。そしてその後の措置をされず今まで生きてきたとなると、悲劇の子供と言っても差し支えない悪辣な生活を送ってきたに違いない。
「……そういう場合って警察とかに言えばいいんじゃないですか?」
「いいや、その場合は僕の親が処断されてしまう。良い扱いはあまり受けてないが、それでも僕は彼女が大好きで、とても大切なんだ。迷惑をかけたくない」
「……そういうものなんですね」
なるほど、その結果、関係の無い自分に迷惑がかかっている、と。男の親に会う機会があったら喝を入れてやりたい。
男の考えは一種の洗脳のような気もするが、当の本人はそれで納得しているようだし口出ししないほうがいいのだろう。
「家に入ってください。もうびしょびしょですよ」
「ありがとう、心優しき少女よ。あぁ、彼女も君のように優しければなぁ……」
男の目がどこかに飛んでいってしまうそうなほど遠くなっていく。このままでは不味い気がしたので、背中を圧して半ば無理矢理家の中に押し込んだ。
「ところで、あなたの名前は?」
「僕の名前? ……天条アドニスという。そして君はなんと呼べば?」
「宝多六花です」
「そうか。ありがとう六花」
「……はい」
いきなり下の名前で呼んできたアドニスに、改めて警戒心を抱きながら、か細い声で返事をする六花。一般的な常識が欠落しているだけならばいいが、実は今までのが全部演技で、アドニスの本性がただの女好きの変態ならば最悪である。
アドニスは玄関に入るや否や、まず上の服から脱ぎ始めた。
上半身が裸になったところで、六花はその異常性に気付く。
「へっ、ちょ、何してんですか!?」
「君のような聖人のお宅のお邪魔する以上、濡れた服で中を歩いて床を汚してしまっては罰があたるだろう」
「ここで脱ぐのはやめてください!? すぐタオルとって来ますから!! とりあえず脱ぐのは靴下だけで!」
「は、はい」
アドニスが女好きかどうかは分からないが、やはり変人であることには間違いないようだ。
あまり長く目を離すのがこわいので、六花は急いでタオルをもってきた。
そしてそのあと風呂に入ってもらい(浴槽の使用は禁止した)、その間にアドニスの服を洗濯機にぶち込んだ。
◇◆◇
新条アカネと宝多六花を比べてみて、アカネのことを悪魔か何かのように考え始めたアドニス。
それでもなおアカネへの愛着が消えないのは、自分の創造主がアカネであるからだろうか。そういう風に設計されているのかもしれない。
だがアドニスは、自分のアカネへの好意が他ならぬ自分の感情であったならいいな、と思った。
風呂に入るのは初めてだった。アドニスは発汗しないため、屋内に閉じこもっている限りは穢れを知らない身体だ。今までは身体を洗う必要性すら見いだせなかった。
そのため、アドニスは身体の洗い方を知らない。
「……まぁ、水洗いで良いか」
シャワーを使って頭から水を被る。暑い時期なので、怪獣であるアドニスとて水の冷気は気持ちよく感じた。
シャワーを浴びながら、今の自分の状況について考える。
(アカネの名前は出していないが、それで正解だったんだよな)
アカネから他人と関わるなと命じられていたためだ。アカネの元から逃げ出しておいて、もはや命令に従う必要はないのだが、染みついた性根は治らないようだ。
(……六花はとても優しい。優しすぎる。いつかアカネは六花のことも殺してしまうのだろうか。…………それは、嫌だな)
シャワーが終われば、あとは座して待つのみである。水を止めてその場に座り込む。
大体三十分ほどが経過しただろうか。ようやく六花の声が聞えてきた。
「天条さん、服ここにおいときますね」
「分かった、ありがとう六花」
六花が脱衣所から居なくなると同時に、アドニスは風呂場から出た。バスタオルと乾いた自分の着ていた服が畳んで置いてある。ジャケットは無かったが。
「なんだこれ。とても柔らか」
ふかふかのバスタオルに顔をうずめる。こんなに柔軟な布の感触は初めてであった。そのまま寝てしまいそうだ。
身体を拭いて着替える。濡れたバスタオルはどうすればいいのかと悩んだが、たたんでその場に置いておくことにした。
「六花、あがったぞ」
六花は二階にいた。スマホから目を離し、アドニスを見ると、二回瞬きをして口をひらいた。
「ええと、髪、乾かしていいですよ?」
「む。水の沸点は100度だが、放っておいても気体になるんだぞ。六花は勉強不足だなぁ」
「そうじゃなくてドライヤー。使って良いのに」
「……ど、らい、やぁ?」
「……もしかして、知らない?」
「本で読んだことはないな。生命活動に必須の知識ではないのだろう」
「あー、そっか。そんなことも知らないんだ……」
初めて聞く単語だが、六花の反応から察する所、一般的に普及している代物なのだろう。そして、会話の流れから髪を乾かす器具だとも推測できる。
「別に無くても構わないだろう」
アドニスはそう言うが、女性にとってドライヤーは生活必需品だったりする。
苦虫を噛みつぶしたような顔をつくり、しばらく視線を泳がせてから、覚悟を決めたように六花は言った。
「来てください」
六花は再びアドニスを脱衣所まで連れて行く。畳まれて床に置かれていたアドニス使用済みのバスタオルを洗濯機に放り投げると、その奥の洗面所の前に立った。
鏡のすぐ隣の棚にはいくつか化粧品が並べられており、そのすぐ下の段には鉄の筒──少女の言う“ドライヤー”とやらが置いてあった。
「ここに立って」
「む……何する気だ?」
「いいからいいから」
鏡の前にアドニスが立つ。
六花はドライヤーをコンセントに繋げて、アドニスの頭を押さえた。
一瞬困惑するアドニスだが、その直後に頭部にぶつけられた熱気に完全に思考がショートする。
「え、なにこれ」
「何って、ドライヤー」
突然の事に攻撃されたのかと驚いたが、どうやらドライヤーなる機械を使って髪を乾かされているだけらしい。 熱風は生物を殺すためだけに引き起こすものだとばかり思っていたアドニスは、心地良い温度の風に当てられて謎の安心感につつまれる。不思議な体験だった。
丁寧に柔らかい髪を撫でられ、ゆっくりと乾かされていく。
すると、まるで親にあやされる子供のように瞼が重くなる。身体の力も抜けていき、自分の力で立っていることすら出来ないほど気が緩んでいく。
徐々に意識が朦朧としていき、六花の方に体重を預けた。
六花に頭を支えられていたとはいえ、アドニスの体重は平均的な成人男性より少し軽い程度。その全体重を支える力は六花にはない。
アドニスの身体が六花の方に倒れていく。
その際、アドニスの後頭部が六花の胸の辺りに流れるように着地し、
「……は?」
アドニスが無自覚に敢行したセクハラ。六花はそれを許容できるほど聖母ではなかった。あくまで彼女は育ち盛りの乙女なのである。
「き、きゃぁああああ!!」
「あばっっ!?」
六花はアドニスの頭を思いっきり引き離した。
その際に自分でも驚くほどの膂力を発揮してしまったようで、アドニスの頭はものすごい勢いで鏡へとダイブした。
鏡は紙切れのように砕け散った。変な声を出して鏡に顔面を埋めたアドニスは、ぴくりとも動かない。
「す、すみません! あっ、めっちゃ血が出てる!?」
「これが、ドライヤー……何て恐ろしい……っ」
アドニスは割と平気そうな声音だったが、顔面の至る所から出血をしている。それを見て六花から血の気が引いていった。
「すみません、すみません……。って、私もやりすぎたけど、今のは天条さんも悪いでしょ」
「何が?」
「だから、いきなり頭を胸に」
「……胸? 何が?」
「あれ、会話が成立してない!?」
「僕は言語が不自由なもので……」
アドニスはとりあえず、鏡を割ってしまった罪悪感と顔面の痛みに全ての意識を注いでいた。どちらかといえば、早く自分の治療をしたい思いの方が強い。人間態のアドニスの身体の脆さは人間と変わらない。頭に風穴を開けられたら普通に死んでしまう。
怪獣態になれれば光エネルギーを吸収して身体の傷を治すこともできるが、人間態だと怪獣としての恩恵はほとんどない。病気にならないくらいだ。
「今、絆創膏とって来ますから! ああでも、包帯の方がいいですか? 目に鏡の破片とか入ってませんよね!?」
「ご心配は不要だ。皮膚の表面が切れただけだから、眼球も無事だ。迷惑をかけてすまない」
「いや、謝るのは私の方なんで……」
──そういえば、アカネの部屋を勝手に掃除して叩かれたときも、相手が女性とは思えないほどの力で攻撃されたっけ。
女性は自分のデリケートゾーンに侵入されたとき、または無意識に引いている一線を越えて物理接触された場合、通常の何倍ものパワーを発揮すると記憶したアドニスだった。そして数日後、それがセクハラに該当する行為と知ることになる。
◇◆◇
「で、六花。君は何をしようとしているんだ」
「キッチンですることって言ったら決まってませんか?」
言いながら、包丁を構える六花。
「――ヒェッ」
「いや、何でそこで身震いするんですか! 何か勘違いしてません!? やっぱ鏡の件、根に持ってますよね!?」
「それは本当に気にしていない」
アドニスは六花に感謝するしかない立場だが、痛みと共に刻みつけられた恐怖が根付いているのも確かだった。六花のような善人は絶対に自分を傷付けないだろうが、反応してしまうものは反応してしまう。脊髄反射のようなものだった。
「これから晩ご飯作るんですよ。天条さんは料理経験あります?」
「掃除と将棋とオセロなら得意だ。あとは何も出来ない」
「何その組み合わせ……」
実質何も出来ないのと同義だが、生後一週間とちょっとなのだからそれは追求しないでもらいたい。
「僕はどこにいればいい?」
「じゃあ居間にいてください」
「分かった」
六花の夕食を邪魔するのも悪い。急いで居間に向かったアドニスは、窓側の何もない床に寝転んだ。
(アカネは、どうしているだろうか)
窓の外から見える星空を見ながら、新条家での日常を思い出す。
新条アカネがいて、アレクシス・ケリヴがいて、そしてアドニスがいる。物騒な会話が多いが、一人でいるよりは何倍もマシだった。
あそこを自分の実家だと思ったアドニスは、それが真実だと信じたかった。
(僕が外にいなくて、慌ててくれているだろうか)
アドニスは毎日のように新条家の前に立っていた。いなくなればすぐに気付いてくれるはず。
自分を探して街を走り回るアカネを想像して、胸が温かくなり。
自分がいなくても全く気にしないアカネを想像して、目頭が熱くなる。
「どうすれば、よかったんだろう……」
いったいどれだけの間、感慨に耽っていたのだろう。気付けば、知らない香りがアドニスの鼻腔を撫でていた。
なぜか口内の唾液が過剰に分泌される。
「起きてください」
「……ん、六花?」
「ご飯ですよ。お客さんが来るなんて知らなかったんでちょっと少ないですけど」
おかしい。アドニス認識を越えた何かが六花の口から飛び出している。まるで、アドニスの分も夕食が用意されているかのように聞えた。
その予感を裏付けるように、居間のテーブルには二人分の茶碗があった。
まさか――――
「……僕の、分も……?」
綺麗な形をしたハンバーグとキャベツのサラダ、豆腐の味噌汁といったラインナップだった。
果てしない六花の温情に触れたせいで喉の奥に熱がこみ上げてきた。六花と向き合う形で席についた。
アドニスは自分の夕食があることに加え、自分の分のハンバーグが六花のと比べて少し多いことにも驚愕する。六花教が説かれたなら即入信する所存だった。もはや人生の半分を彼女に捧げてもいい。
「冷めないうちにどうぞ」
「あ、うん」
六花の手製料理と睨めっこをして、アドニスは動けなかった。
「……食べないんですか」
「えっと、その。……あの、ぼ、ぼくがっ、これ……っ、食べても……?」
アドニスの様子は混乱していることが明らかだったが、その理由を六花はようやく理解する。
後光が差すような輝かしくも柔らかい笑みを浮かべて、子供に語りかけるように言った。
「いいんですよ。遠慮しないで」
そこまで言われて、ようやくアドニスは料理に手をつけた。
文字通り、素手でハンバーグを掴みあげたのだ。
「天条さん!? 遠慮せずに箸使って良いですよ!」
「箸、とは……?」
「……あぁ、そっか。うーん、だったらスプーンの方が良いかな」
何かを察したらしい六花は居間から出てどこかに行くと、片手にスプーンを持って戻ってきた。
「これで掬って食べるんです。どうぞ」
「なるほど」
素手での食事は不衛生だということを言いたいのだろう。察したアドニスはスプーンを受け取った。
そして、ついにハンバーグを口に含み、咀嚼し、その段階で存分に味を楽しんでから呑み込む。そしてそれが喉を通る際、せき止めていた何かが遂に溢れだした。
手が震えて動けないし、息苦しい。
アドニスに瞳から体液が流れるという現象が起こり、それを見た六花は微笑んでから、
「
「……うん、美味しい。とても、とても。これは僕が、知らなかったものだから」
「そう言われると、自分の腕に自信が沸いてきます」
――その後、会話は無かった。
六花の目など気にせず、アドニスは一心不乱に食事を続けた。少しでもその味を噛みしめようと何度も咀嚼を繰り返し、その度に「旨い」と繰り返す。
涙の理由は分からなかった。
けど確かに、新条家にはないものが、そこにあった気がした。