怪獣に産まれて 作:どろどろ
「ねぇアレクシス。アドニスがどこにいるか知らない? 最近見当たらないんだけど」
新条アカネは画面の中の人外に問う。
アレクシスは肩をすくめて返答した。
『私は何も知らないよ。行方不明とは困った坊やだねぇ』
「ま、別にまだ使わないからいいんだけどさ。肝心な時に側にいないと困っちゃうんだけどなぁ」
『アドニスくんは不可思議な言動をする時があるからなぁ。彼の行動は私にも予測できない』
アドニスを自律思考型怪獣と設計したのはこの二人だ。
通常の怪獣ならば単一的な命令に素直に従う。アカネやアレクシスが直接操作できる怪獣もいる。だが、アドニスはそのどちらにも当てはまらなかった。
正直な所、アドニスの生態や思考パターンを全て把握するのは不可能だろう。アドニスは人間と変わらない知性を持っている。
『一応、アカネくんの命令には従ってくれる怪獣のはずなんだけどねぇ』
自律的にアカネの意を汲んで行動してくれるのが最善だが、一応は最低限怪獣として機能するように、アドニスには「感情がアカネの命令に従う方向に傾く」プログラムが搭載されている。アカネに無断で損害の発生する行いをする可能性はできる限り削られているはずだ。
「あ、そういえば、私ってアドニスに何も命令してないな……」
『どういうことだい?』
「外に出てろとは行ったけど、家から離れるな、とか、同じ場所でずっと待ってろ、とかは言ってないんだよ。だからふらふら出歩いちゃったのかも」
『なるほど、それじゃ別に命令違反じゃないねぇ。彼はまだ発展途上だから、きちんと言葉にしてあげないと伝わらないよ。それが面倒なら家の中に閉じ込めていたらどうだい?』
「えー……、なんかもう嫌だよ。ここは私一人だけで良いもん」
アカネのアドニスに対する印象の下落は、初期から最大の期待を寄せ過ぎていたことが原因だった。
アドニスという怪獣には確かに人間並み、あるいはそれ以上の知性がある。だが、所詮はまだ産まれて数日といったところ。その生長期間の不備を黙過できるほど、少女は肝要ではない。
『ふむ、どうしても扱いに困っているなら、いっそのこと処分してしまってもいいかもねぇ』
「いーや、まだそこまで困ってないし。捨てるほどではないよ、ちゃんと命令したら割と使えるんだしさ」
『そうかい? アカネくんが言うならそうなんだろうね』
アドニスは突発的に指示をしても動かないときがある。だが、事前に説明を踏まえて指示するのであれば何も問題はないだろう。
「うん。けどもしも、私が思ってる以上に使えなかったら、その時はもうアドニスはいらないね」
アカネは何の感情も乗せず、ただ淡泊に事実だけを告げるように、言った。
「――使えない
◇◆◇
会ったばかりの男と一晩同じ屋根の下。昨夜は六花にとって不安要素の多い夜だったが、何事もなく朝を迎えられた。
天条アドニスと名乗った少年と青年の狭間くらいの男。彼の本質は童子である。
生物特有の正常な倫理観は持ち合わせているが、自分の欲を正確に認識できず、まら常識的な知識があまりに欠落している。それに昨日の食事の時の言動にも、年相応の落ち着きがまるでなかった。
そのため、彼の行動の全てに純然たる悪意はない。
下心を持って六花に近づいてくるなど有り得ないことである。
目覚めると六花はベッドから動かずにスマホを手に取った。
毎朝七時に目覚ましをセットしているが、それが鳴っていないということはまだ七時にもなってないのだろうか。
電源ボタンに触れてもスマホに反応はない。どうやら電池切れのようである。
「そういえば、昨日電源つけっぱなしで寝てたかも……」
スマホを充電器に差し込んで、今度は部屋の時計を見た。針は八時半を示している。
今日は休日なので起床が遅くても問題無いのだが、流石に長く寝過ぎてしまった。客人がいるにしては不用心だが、それだけ無意識に六花がアドニスに心を開いてしまっているということなのだろう。
昨日のアドニスの涙に嘘はなかった。本当に心からの感情で泣いていた姿として少女の胸に響いた。脇目もふらずに懸命に食事をしていた彼の姿は、誰にでもそう直感させるだろう。
「天条さん、どうしてるんだろ」
パジャマから着替えて、居間へと降りる。
アドニスは正座して六花を出迎えた。
「おはよう六花」
「お、おはようございます」
「少し考えたんだが、敬語はなしで構わない。僕は君から敬意を向けられるに足るものなど、一つも持っていないからな」
「……なら、そうするけど――」
萎んで消えそうだった昨晩と打って変わって、思った以上にアドニスは生き生きしていた。
子供は良くも悪しくも視野が狭いため、周囲を意識せず、大人より羞恥心を感じ取らない。子供同様、恥ずかしさを知らないアドニスは、泣き顔を見られた程度で心を乱すことはなかった。
「今日は快晴のようだ。とても気分が良い。淀みない青空は開放的で清々しいし、昨晩の放射冷却によって気温も良い塩梅で調整されたようだ。風が気持ちいいね、六花。それに朝から日光でセロトニンが分泌されているからか、不安や悩みが一気に飛びそうな幸福を感じる」
窓に目をやって雄弁に話すアドニスを見ていると、六花は自分が思い悩んでいたことが徒労に思えてきた。
張り詰めた気が抜け落ちて、自然と笑みがこぼれた。
「そう……だね。うん、最近じゃ一番の気持ちいい朝かな」
つい敬語口調で話しそうになったが、意識して崩した言い方に変えた。
「して六花よ。ここでの僕の役割は何だろう」
「別に、してほしいことなんて何も」
「それではだめだ。役割がないと僕は僕でなくなってしまう。雑用でも何でも良いから、手間な事があれば僕におしつけてほしい。君の力になりたい」
「う、うん……分かった。何かあったら言うことにする」
多分ないだろうけど、と六花は心の中で捕捉した。
だが、何も言わなければアドニスは居間で正座したまま24時間動かないような気もしたので、
「天条さんはここで好きに過ごしたらいいよ。こっちでご飯も用意するし。でもあんまり周りのものに触らないでね」
「分かった」
つまりここから出ずに何もするなと遠回しに言ったわけだが、悪い含意は気付かれずに伝わったようだ。
アドニスはもう足が痺れていたらしく、言われると途端に足を崩した。
「この家、気配が少ないが……六花には親がいないのか?」
「ううん、いるよ。親戚の集まりで出てるだけ。帰ってくるのは月曜だから明後日」
本来ならば、六花は休日を好きなように過ごせていたという訳である。ただ、今になってはアドニスのおかげで暇を潰せるとすら感じているので、本人はあまり悪い気分ではないらしい。
「でも六花は料理がすごく上手だから、食うには困らないんだろうな。昨日のは絶品だった」
「え、そ、そうかなぁ……?」
「料理店を開くべきだな」
褒められて悪い気はしない。しかも、今回は昨日とは違って面と向かって絶賛された。ついつい頬が緩んでしまう。
「君の手料理を、“あの人”にも食べさせてあげたいよ」
「……それって、天条さんのことを捨てた人のこと?」
「うん、僕の一番大切な人だ。あの人はずっと、質素なものしか食べてないから……」
「……やめなよ。そんなヤツのこと考えるの」
不愉快だった。
透き通るように純粋なこの人が、最低な親のことで頭を埋めていることが。
気分を変えるように六花は咳払いをした。
「私はお母さんがやってる喫茶店の手伝いすることがあるから、ちょっとだけ料理慣れしてるだけだよ」
「喫茶店……知らないな」
「あれ、聞いたこともない感じ? 珈琲とか出してる店なんだけど」
「珈琲か。聞いたことはあるが飲んだ事はない」
箸の概念すら知らなかったアドニスなのだから、珈琲を飲んだことがなくても何の不思議もない。
だが、ふと思う。珈琲を飲むアドニスの姿はさぞ絵になるだろう。何しろ、アドニスは容姿だけならば非常に恵まれている。絵本の中から飛び出したかのような美青年と言っても差し支えない。
珈琲には色男が絵になると、太古から決まりきっているのだ。
「じゃあ、飲んでみる?」
丁度予定もない。初めての珈琲に挑戦するアドニスを見てみたくなった。
「確かに興味はあるが、いいのか」
「今更になって遠慮されてもこっちが困るよ。興味あるなら試してみ~?」
「なら、お言葉に甘えるとしよう」
やはり興味津々だったのだろう。アドニスは踊るように元気よく立ち上がった。だが足の痺れはまだ抜けきっていないようで、身体がふらふらと揺れていた。
アドニスの紅い目は宝石のように輝いているが、その時は光彩の鮮やかさに一段と磨きが掛かっていた。未知なる珈琲に好奇心がくすぐられているのだろうか。
六花は、アドニスが期待に胸を膨らませているときはいつも以上に瞳を輝かせることを記憶する。
平然を装っているらしいアドニスは、どこまでも子供っぽかった。
アドニスが六花に案内されて訪れた部屋には、家電製品や家具、楽器や骨董品など、ジャンルの統一されていない商品が並べられていた。
「これが喫茶店か。整理された物置のようだ」
正直すぎるアドニスの意見に六花は苦笑いするしかなかった。
「ジャンクショップと喫茶店が併設してある変わった店だからね」
「そうか。だが落ち着いていて良い雰囲気だと思うぞ」
古い物に囲まれていると、奇妙な安心感に包まれるのは事実だった。アカネの部屋がゴミ屋敷なので、そのせいかもしれない。やはり結局、アドニスにとって一番落ち着く場所は新条家なのだ。
「そこのカウンターに座って」
言われたままにアドニスは椅子に腰掛けた。
店の内観を眺めながら待つこと数分、六花がマグカップに入った珈琲を持ってくる。全身から力が抜けるような匂いだった。
「はいどうぞ。ブラックだから結構苦いけど、砂糖とかどうする?」
「不要だ。素の味を楽しみたい」
ずっと嗅いでいたいと感じる深く苦い匂い。どのような味がするのかアドニスには皆目見当も付かなかった。
珈琲に映る自分の姿を上からのぞき見る。
ごくり、と喉を鳴らした。
そしていざ、珈琲に挑戦してみたのだが――
「――……ぶはっ!? 苦い、苦いぞ、これは本当に飲料なのか!? 医療用とか毒殺用とかでなく!?」
舌に広がる苦味は控えめに言って不味かった。
「ほらぁ、だから言ったでしょ苦いって。無理せず砂糖入れれば良いのに」
「じ、人類の味覚は狂っているな」
「そこまで言わなくても……。あ、ミルクも入れる?」
「……お願いします」
とりあえずはアドニスが飲める段階まで、砂糖とミルクで甘みを加える。
両方とも多量に、砂糖に至ってはカップの底に少し沈殿して残るほど投入した。だが、もはや珈琲本来の味は完全に損なわれてしまっていて、お世辞にも好んで飲みたいと思える味わいではなくなっていた。
「完全に珈琲が余計だな。砂糖とミルクだけの方が絶対に美味い」
「うーん、だったらココアとかカフェオレとかの方が良かったかな? まぁ、慣れればその味も癖になってくるよ。それに珈琲って味より香りを楽しむみたいな所あるし」
「……申し訳ないが、僕には慣れるまで飲み続けるのは無理だ」
アドニスは顔を歪めながらも、珈琲を喉に流し込んだ。六花に恩義を感じていたから無理に飲み干したが、今後は御免被りたいところである。
カップの下に沈殿した砂糖が溜まっていた。勿体ないと感じたので、砂糖を溶かすときにつかったスプーンでそれを広い、口に含む。
純粋な甘味。実に美味だった。アドニスはアカネからはあまり食物を貰わなかったため自分の好みなど一切把握していなかったが、どうやら自分は甘党であるらしい。
アドニスが溶けた砂糖を楽しんでいると、インターホンの音が鳴った。
「あれ、誰かな? 天条さんはここにいてね」
「分かった」
六花は玄関に向かった。
◇◆◇
面倒なタイミングで面倒な人たちが来てしまった。
短髪の少女なみことマスクの少女はっすの二人。両方とも六花の学校の友人である。
「……どうしたの?」
突然の来訪。今まで無かったとは言わないが、今回はタイミングが最悪すぎる。
何しろ、現在の宝多家には天条アドニスという謎の男が居候している。それを知られればあらぬ誤解を招くことになるだろう。
六花は動揺を悟られぬよう、自然体の自分を振る舞う。
なみこは浅くため息を吐いた。
「昨日の夜連絡送ったじゃん。土曜に三人で買い物いこ、って。いつまでも既読つかないからわざわざ迎えに来てやったんだっての」
「あ~、ごめんね二人とも。そういえばスマホの充電切れてた。昨日付けっぱなしで寝ちゃってたみたいで」
手を合わせて二人に謝意を表わす。お願いですから今はとっととお帰りください。
「気にしないで良いよ。じゃ、早く準備してね」
「え、もう行くこと決定……?」
「だって六花さ、今日は家にだれもいないんでしょ。どうせ暇じゃん」
「確かに誰もいない……。そう、絶対に今、私以外この家には誰もいないんだけどさ!」
「いやなぜそこを強調したし」
猜疑の色を向けてくるなみこ。
今のは六花自らがが墓穴を掘ってしまった。六花は自分の嘘の下手さに失望する。
誘いを断る理由はない。だが、アドニスを独り置いていくわけにもいかなかった。アドニスを疑う訳ではないが、一応は他人なのだから彼が滞在している間は目を離すわけにはいかない。
「……さては六花さん、男と会う予定でもあるんじゃないか~?」
妙に勘のいいはっすの言葉に肩が震える。
「そ、そんなわけないじゃ――」
瞬間、家の中から何かが割れる音がする。
そう、まるでアドニスが床に落としてしまったマグカップが盛大に割れるかのような。
その音はなみことはっすの耳にも届いてしまったようで。
「ねぇ、誰も中にいないんだよね?」
「……今のは猫だよ」
「六花ん家に猫なんていたっけ」
「昨日拾ったんだ。すぐ近くの道路で」
半分は真実だった。
「ふぅん」
「へぇ」
だが、なみことはっすの疑念の目は強くなるばかり。
いっそのこと全て正直に話した方が楽になるかもしれない、という考えが頭をよぎるが、出来る事なら隠しとおしたい。アドニスの事を知られれば、後々絶対にイジられる。
「はっす、六花を押さえて!」
「がってん承知!」
「ちょ、待っ!?」
はっすが背後に回り、六花を拘束する。その隙になみこが六花の真横を通って家の中へ入っていく。
もちろん制止の声に二人とも耳を傾けない。
もう六花は諦めることにした。
「――うおおおおおおおお! 本当にいたぁあああ!?」
「な、なんだ君! 出ていけ!! 六花、不法侵入だ!! 殺すか!?」
「めっちゃ物騒なこと言ってんだけど!!」
「物騒なのはそっちだ!!」
素っ頓狂ななみこの声に続いて、アドニスの声が聞こえてきた。
男を連れ込んだことがバレた。現行犯である。
六花の口から、自分でも呆れてしまうくらい弱弱しい諦めの笑いが漏れる。
「ねぇ六花。もしかして、大人になった……?」
「はは、もう知りませんよ……」
もう二人には全てを正直に伝えよう。
そう決心した六花だった。