怪獣に産まれて 作:どろどろ
六花は二人にアドニスを家に招き入れた経緯を説明した。
路上で段ボールの中にいたこと。子犬や子猫のように純粋な目で拾ってくれと訴えかけられたこと。警戒はしたがそれよりも同情の方が強く、ついつい拾ってしまったこと。
「と、言うわけでして」
「――なるほど。ってアホか!?」
割と強烈ななみこのチョップが六花の脳天を刺した。結果として、六花は見ず知らずの不審者を家に招いている。これと軽率と言わずして何というのか。
「あのさぁ、年頃の女の子が男の人と一晩同じ屋根の下って、どういう意味か分かってる?」
「あんたどういう神経してんのさ」
「言われなくても分かってるよぉ。でも何だかほっとけなかったって言うか、使命感みたいなのがあったって言うか……言語化が難しいんだけど、私あの時だけ何かに操られてたみたいで……」
「「なんじゃそりゃ」」
「あー、もう分かんない!」
こそこそとアドニスに聞えない声でやりとりをする三人。実はほとんど丸聞こえなのだが、アドニスは過度な反応を見せず無関心を装っていた。
「まぁ、六花の気持ちも分からんでもないけどさ……。だって、ねぇ?」
なみことはっすが視線をアドニスに向ける。二人に続いて六花もアドニスを見やる。
三人から視線を注がれて反応に困ったのか、アドニスの頬に冷や汗が流れる。しばし悩んだ末、アドニスは華のような笑顔を作ってその場を乗り切ろうとした。
日本人離れした整った顔立ちに、純金のように輝く髪。その容姿はお伽話の王子様のようでありながらも、幻想的で妖精じみているとも言えるだろう。
極めつけは深い赤の瞳である。一見鋭利で妖しいそれは、だが妖艶な雰囲気を醸し出していた。
((すんごい美形……))
なみことはっすの思考が一致した瞬間であった。
「つまり六花は」
「イケメンなら見境のない女なんだね」
二人に両側から肩に手を置かれ、事実無根の言いがかりをつけられる六花。覚悟していたとはいえ、こうして実際に言われると頭にくる。
だが、真っ向から否定できないこともまた事実である。アドニスに抵抗心を抱かないのは、彼の見た目の良さが関係しているに違いない。
「はぁ。天条さん、こちら私の友人」
「友人……? そうか、良かった。てっきり泥棒かと思った」
「ははは、こんなくたびれた店に泥棒なんて来ないって」
六花は自虐的に笑って見せた。
「……二人は、六花に会いに来たのか?」
少し間を溜めて逡巡する様子を見せてから、アドニスは二人に問いかけた。
かなり世間知らずのアドニスだが、今の空気を読めないほど鈍感ではなかった。完全に自分だけ場違いなのを自覚しているようで、声のトーンは若干控えめだった。
「そうでーす」
「うちらとても仲良しでーす」
アドニスを警戒しているのか、一定の距離をとりつつの返答だった。
「ではやはり、僕は邪魔だろうか?」
そう聞くが、肯定の返事も否定の返事も帰ってこない。それでアドニスは自分に向けられたおおよその感情を知る。
時間にして十数時間の付き合いだったが、六花との時間はとても満たされたものだった。別れるとなると寂しいが、相手を不快にさせてまで長居しようとするアドニスではなかった。
「……六花にはとても世話になった。感謝しかしていない。だからこそ、邪魔物の僕はもう去ろう」
「え、やっ、ほんと、二人のことは気にしなくていいよ!?」
「いや、恩人である君にこれ以上気を遣われては、僕の方が辛い。六花、本当にありがとう」
「でも天条さん、ここを出たらもう行くところがないんじゃ……?」
アドニスにとって自給自足はさほど大変なことではない。むしろ容易だ。
だが、アドニスの正体を知らない六花の抱く心配は多大だった。大袈裟かもしれないだが、最悪の場合、餓死した状態で発見されるケースまであると想定してしまった。
「いいさ。世の中には食える虫がわんさかいるらしい。ツツジ台の川には魚もいるらしいじゃないか。野宿する分に不足のある生活にはならないよ」
その姿を想像したその場の三人は顔面蒼白になっていった。図らずも、六花の想定した未来が三人で共有されてしまう。
「でも、そんなの危険だし」
「流石にそれは、ねぇ?」
「……ちょっとありえないかも」
だから何ができる訳でもないが、とりあえずアドニスをここに引き留めておくべきだという共通認識を持った三人は、アドニスの説得を試みた。
ただ、有効打になる言葉は出てこない。結局の所、アドニスは居候でこの場における異端者で、言葉を選ばないのであれば邪魔物であることに変わりはなかったのだ。
「うちのお母さん、明後日まで帰ってこないし。それまでならここにいても良いんですよ」
「今日も明後日も大して変わらない」
どうやら本気でアドニスは出て行く気でいるようだ。
もちろん六花としてもいつまでもここに居座られる訳にはいかないのだが、
「だったら、臨時バイトとして月曜まで店を手伝ってくれない?」
六花の急な思いつきで、アドニスを巻き込んで店を開店することになった。
だがアドニスは接客の心得など一つも知らないどころか、他人とのコミュニケーションも経験不足だ。六花の店の店員はあまり適役ではないだろう。
「……確かに今日の朝は何でも任せてくれといった。だがそれは……うまくできる自信はないぞ?」
それが善意から成るものであっても、どのような形式であれ頼まれた以上は断ることはできない。それだけの恩義が六花にはあった。
「大丈夫大丈夫、丁度、ここに練習台もいるし!」
そして六花が指名したのは、なみことはっすだった。
「……うん、なんだどういうことだ?」
「うちら妙なことに巻き込まれてないか~、これ」
二人の顔には『帰りたい』と書いてあった。
アドニスは喫茶店ならではのカフェコートに身を包んでいた。
彼の容姿ならば、似合わない服を探す方が難しい。特に喫茶店の制服は熟練の店員に見えるほどマッチしていた。
金髪で端正な顔立ちのアドニスがカウンターの内側に立てば、そこはもうヨーロッパあたりの格式高いカフェのようで。
「「おお~」」
六花の友人二人が感嘆の声を漏らす。
「六花、似合っているのか?」
「おぉ~結構良い感じ。……てか、何でそんな服うちにあったんだろ。お母さんの趣味?」
六花からも評価されて満足のアドニスである。思わず自然に微笑んでしまって女性陣のハートを掴んでしまうのだが、それはアドニスの知る所ではない。見栄えは満点だった。
「では――……えっと、何をするんだっけ?」
「じゃあ、色々あるけど、基本の珈琲の淹れ方から教えよっか」
あくまでアドニスは二日だけの臨時雇用。どうせロクに客も来ない店だ。手塩に掛けて指導する必要はないだろう。
六花はコーヒー粉を使った淹れ方を簡単に説明し、目の前で実践してみせる。
そこで露見したのはアドニスの驚くべき学習能力だった。一度見た六花の動作を完璧に記憶して、そのまま模倣して見せたのだ。
「――こんな感じか」
「おお、初めてにしては上手」
アドニスからしてみれば単に見よう見真似でやってみただけなのだが、その完成度は流石は最賢の怪獣といったところだろう。そう設計されているのだから、呑み込みが早いのも道理である。
六花の時と違わぬ分量、タイミングで同じ動作をしてみせたのだから、味も破綻しているはずがない。
「よし、もう覚えた。珈琲に関しては完璧だ」
「はやっ」
「僕は物覚えが早いんだ。忘れることもない。さぁ、次のステップにいこう」
アドニスは煽てられやすい性格だった。六花に認められて気分が上がっているらしい。乗り気でなかった最初と比べてかなり威勢が良い。
「その前に、この珈琲をお客さんに出して」
「え~、うち珈琲よりラテの方が良いんですけど~」
「右に同じく~」
「こらそこ、文句言わない! 天条さん頑張ってるんだから! はい、じゃあ天条さんどうぞ」
まるで小学生のお遊戯会のようである。
アドニスは愛想の良い人間の理想像を想像する。それを自分に見立てて、最高の店員になるよう自己暗示した。
そして、そこに誕生したのは薔薇が咲き誇っているように煌びやかで、少女漫画に登場する王子様にも劣らない笑顔の好青年だった。
「――こちら、珈琲です♪」
その豹変ぶりに空気が凍った。
凍った時間は雪解けのように徐々に溶けていき、辺り一面に満開の花畑が広がった。
「……ねぇ六花、あんたは今すぐこの人を雇うべきだ」
「うちらは毎日この店に通うよ」
「その気持ちは、分からなくもない」
この瞬間だけは、六花も二人に全力で同意したい気分だった。
それからしばらくして、丁度正午に差し掛かった頃合い。
四人は近所のファミレスに訪れていた。一文無しのアドニスは当然のことながら三人に奢られる流れである。数時間前には宝多家を去ろうとしていたアドニスだが、今や自然に三人に溶け込んでいた。
六花とアドニスが並び、対面になみことはっすが座る構図。
注文したメニューが四人分届くと、六花が話を切り出した。
「天条さんはうちで働くってなったら、嫌?」
「そんな訳ない。六花と一緒にいるのはとても楽しいぞ」
即答だった。そのはっきりとした物言いは六花の乙女心をくすぐるのには十分すぎた。六花は狼狽えて言葉を失ってしまう。
代わりに反応したのは残りの二人だった。
「天条さん六花ん家に就職!?」
「だったらうちらともまた会えますね!」
随分と気に入られたたらしい。前のめりになって喜びを露わにしていた。
「僕が、六花の家に就職?」
「いや、あくまで聞いただけね! 第一、お母さんがどう思うか分かんないし!」
「そうか……」
アドニスは目に見えて落ち込んでいく。最初に六花と長く共にいられると期待した分、その反動は大きかった。
もうアドニスが六花に向ける好感度は最大値に近い。拾われた恩もあるが、アカネとアレクシスを除いて初めてできた個人的な関わりのある人間なので、その分思い入れも強いのだろう。
「もっと、側にいられたらいいんだけどな」
こうして自分の望みを口にできるようになったのは、成長の一環としてカウントできることだろうか。
「ちょっと、そういうの真顔で言うのやめて……」
「……うん?」
優れた聴覚を持ったアドニスにも鮮明に聞き取れないボリュームで呟いた六花。
少し照れたようだが、アドニスの本音は聞けた。
「天条さんがそうしたいなら、雇ってもらえるように私からもお母さんにお願いするよ」
これからもずっと家に住まわせるという訳にはいかないだろう。だが、雇うくらいなら何とか説得できるはずだ。
六花はアドニスが側にいることで満たされている気がしていた。
きっとそれがアドニスの生来の気質なのだろう。彼ほど純粋で、正直で真っ直ぐで、一緒にいてこれほど幸福感を与えてくれる者はそういない。
「……本当か? いいのか!?」
アドニスの言葉は、これまでと異なって感情的だった。全身を使って歓喜を発している。
「どうなるかは分からないけどね。……嬉しい?」
「ああ、もちろんすごく嬉しい」
やはり即答だった。
「ふふ、そっか。なら良かった」
六花もおそらくはアドニスと同じ気持ちである。
もっと長く一緒にいられたらいいと思っている。
「おやおやお二人さん、お熱いことで」
「天条さん、うちも! うちも天条さんとまた会えるなら嬉しいすよ!」
なみこが六花とアドニスの会話を茶化し、はっすはアドニスへの好意を隠す気がないようだ。
この二人もアドニスには友好的に接してくれた。
三人のおかげで、この短期間でアドニスの笑顔が増えたのは確かな事実である。
「なみこ、はっす。僕は君たちにも感謝している。誰かと関わることがとても幸せなことだと再認識させてくれた。ありがとう」
言いながら、アドニスの表情は明るい。
閉鎖的だった彼の心は徐々にだが開けてきていた。
「君たちと友人の六花が羨ましいよ」
「そんな寂しいこと言わないで、天条さんもうちらと友達になりましょ~」
「な、なってもいいのか?」
「もちろんです!」
すると途端にアドニスは六花の方を向く。
「六花、僕に友達ができたぞ!」
「……良かったね」
低学年の小学生みたいなことを言われて、六花は高校性ながらに母親の心境というものを知った。
◇◆◇
一日の残りは料理の練習で終わった。まだ完璧とは言い難いが、驚くべきことにアドニスはもう店員として扱える程度にまで成長していた。
そして、夕飯を終えて一日の終わりに差し掛かる。
アドニスが居間のソファで身体を休ませていると、隣に六花が腰掛けた。その距離は拳三つ分くらいだ。
「一日お疲れ様」
「六花こそ、一日中付き合って貰って悪かった。本当はあの友人たちと遊ぶ予定だったんだろ」
「そんなのいつだってできるよ」
「……六花は優しいな」
「それ、何度も聞いたから」
着実に、二人の距離は縮まってきていた。どちらの声音も朗らかである。
「知らない男に良くするのはいいが、もっと警戒するべきだぞ。物騒なことを考える者もいる」
「はは、それ天条さんが言っちゃう?」
「安心してくれ、僕に下心はないから」
それから心地良い沈黙が訪れた。本当に相手と打ち解け合っているからこそ楽しめる時間が流れる。アドニスはその数秒を噛みしめて、感じた温もりを心に刻む。
対して六花は、しばらくすると何度かアドニスに目を向けた。そして、重たい口を開ける。
「――あのさ。言いにくいだろうけど、聞いてもいい?」
六花は顔は向けずに言葉だけ向ける。緊張しているようだった。
「天条さんって、親に捨てられたんだよね」
「……ああ、そういえばそう話したな」
「うん、それ。詳しく聞かせてくれない?」
また、間が空いた。
顔を伏せながらアドニスはぽつりと呟く。
「別に聞いても楽しい話じゃないと思うけどな」
「なんとなく分かってる。言いたくなければ、言わないでもいい」
「……いや話そう。隠すことでもない」
躊躇はあったようだが、アドニスは自分について語ることに決めたらしい。
六花も意を決した表情でそれを聞く。
「僕は彼女を満たすためだけの存在だった。自分が幸せになるためじゃなく、他人を幸せにする義務を課せられて生まれてきた。そういった点が、きっと君たちとは違うんだろうな。叶うなら、僕は彼女の家族として生きたかった」
「……天条さんは、その人の家族じゃないの?」
「断じて違うだろうな。僕は手段だ」
もはやアドニスに迷いはなかった。その上で、自分が愛されていないと断言する。
「簡単な話だったんだよ。僕は彼女を満足させられなかったんだ。だから突き放された。そしてそこでようやく僕は気付く、自分の正体は彼女の道具だったんだと。今ならはっきりと分かるけど、僕らは家族なんかじゃなかったのさ。実に哀しい話だろ。だから他の人間に庇護を求めたんだ、僕はすごく弱い子供だから――実は僕は幼いんだよ、六花の目にはどう映ってるのか分からないけどね」
アドニスは暗然としていく六花を和ませようと、そこで微笑みを挟む。
「けど僕はどうしようもなく愚かだから。それでも彼女が好きなんだ。だから、さ、彼女に『愛して欲しい』と言えたなら、どんなに幸せだったんだろうなぁ――」
涙はもう流さない。だが、感情的になったアドニスは悲痛な本音を漏らした。
それを聞く六花も、やはり堪えるのか苦しそうだった。
「彼女と、あともう一人の同居人。それが僕の全てだった。……だったん、だけど――」
「――だけど?」
「君だよ六花。君に会えて、僕は初めて満たされた。本当に君が初めてなんだ、こんなに僕に優しくしてくれたのは」
「……私がしたのなんて、普通のことじゃん」
「それは絶対に違う。君は超がつくお人好しだよ」
「まぁ、振り返ってみれば強く否定は出来ないけど」
「実際にそうだからね。けど、そのおかげで救われた。君には是非とも自分の世話焼きな性格を誇って欲しいな」
しんみりした空気を打破するため、アドニスは更に微笑んだ。
六花からは乾いた笑いしか溢れなかったが、重苦しかった雰囲気は少しだけ緩和されたようだ。
「天条さんは困ったことがあれば私を頼ればいいと思う。私は見捨てないよ。絶対に、助けになるから」
「それは参ったなぁ。いま以上に六花の世話になったら、その恩を返すのは骨が折れそうだ」
「返さなくていいってそんなの。私がしたくてするんだから」
「そうもいかないよ。ふむ、そうだなぁ……」
アドニスは受け取った恩はきっちり返す腹づもりである。
六花の役に立ちそうなことを少し考えていると、丁度良い言葉が見つかった。
「――だったら、もしも君が怪獣に襲われたら何があっても助けてあげるよ」
「ふっ、何それ~」
六花は冗談のように受け取ったようだが、実際のところはそんなことは無いと言い切れない世の中である。
そして、今の言葉はアドニスにとって重要な意思表明だった。
「君はもう、僕にとって“彼女”と同じくらい大好きな人だってことだよ」
「は、はァッ!?」
アドニスに他意はない。純粋な気持ちを言葉しただけだが、その直球過ぎる言葉選びによって六花の顔に含羞の色が浮かぶ。
「い、意味分かんないんだけど……」
「むむ、かなり分かりやすい言葉だと思うんだがな。もしかして聞き取れなかったのか? だったらもう一度言おう。僕は君が――」
「いや言わなくていいから! 嘘ついてごめんなさい! 本当は意味分かってます!」
六花は勢いよく立ち上がり。
「じゃ、じゃあおやすみ! 天条さんはそのソファで寝て良いから!」
そう言うと自分の部屋に逃げ帰っていく。
「おやすみ……?」
困惑しながらも、少し遅れて返事をするアドニス。もちろんそのときには既に視界から六花は消えている。
一人になるとソファに深くもたれて、天井の木目を眺めた。
「……やっぱり、言葉は大切だな」
それは六花と話す中で実感したこと。人間の心は目に見えないから、自分の想いを伝えるのに有効かつ唯一な手段こそ言葉に他ならない。
アドニスは一度目を閉じて周囲の気配を感じる。
やはり背後には、自分を眺めるもう一人の機械の自分がいた。
「――アドニス、君は
続いたその言葉には、仄かな影が差していた。
他ならぬアドニス本人ですら知らない自分の深部が顔を出した瞬間。
だがそれは、一縷の希望の種を握っていたのだった。
タイトル通り、ちょっとだけアドニスが成長する話でした。
自分で読み直してみたんですけど、かなり展開が急でした。もっとキャラは掘り下げるべきですよね、反省反省♪