怪獣に産まれて   作:どろどろ

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温・光

 アドニスが喫茶店の一日店員体験をしたその日の夕方のこと。

 新条アカネは新しい怪獣のアイデアを得るため、中央図書館で生物図鑑を読んでいた。フィクションの怪獣をモチーフにするのもいいが、実在する動物を参考にするのも意外なアイデアが降りてきて面白いのだ。

 

 かなり集中して図鑑に目を通していると、すぐ側の席に座る二人組の女子高生の笑い声が聞えてきた。

 

「あははっ、何それ」

「ほんと、笑っちゃうよね~」

 

 断片的に聞き取っただけなので何の話をしていたのかは分からないが、間違いなくアカネの集中を妨げたのは事実だった。

 鬱陶しく感じるも、直接注意する度胸もないためアカネは我慢するしかない。他人が原因で自分が席を移動するのも癪だったため、その場に居座り続ける。

 だが、しばらくするとまた女子高生たちの密やかな会話が聞えてきた。この静寂の中で話しているのは彼女たちだけなので、どれほど小声でもその声はよく響いた。 

 

「……うっさいんだけど」

 

 小さく不満を吐き出す。

 女子高生たちは会話をやめる気配がなく、とうとうアカネの瞳には明確な苛立ちの色が浮かぶ。もう図書館にいるだけで苦痛だった。

 

「もういいや」

 

 図鑑は開いたまま机の上に放置して、席を立つ。

 歯ぎしりしながら出口へ向かった。

 外に出たアカネは開口一番、

 

「――だめだよぉ、図書館では静かにしないとね」

 

 そう言って、次の標的をあの女子高生たちにすることに決めた。

 新しい標的が出来たことで怪獣創作のモチベーションは上がる。むしろ気分がよくなって、アカネはスキップしながら帰宅するのだった。

 

 

 ◇◆◇ 

 

 

 日曜日になった。

 六花を叩き起こしたのは、間違いなく昨夜に設定したアラームの音ではなく、けたたましいスマホの着信音だった。

 意識が曖昧な中で見た画面に表示されている通話相手はなみこだった。

 身体はまだ睡眠を求めていたが、渋々上半身を起こして通話に応じる。

 

「……もしもし」

『あー六花、もしかしてまだ寝てた? ごめんね突然』

「別にいいけど。何?」

『実はもう六花の家の前にいるんだけどさ』

「……は?」

 

 あっけらかんと言い放ったなみこに半ば呆れる六花。

 今日は会う予定も無かった筈だし、会うにしてもこんな早朝に家に来られたら誰だって困惑だろう。なみこの行動はいつだって唐突である。

 

『六花部屋にいるでしょ。窓から外見てみてよ』

「えー……。何なの一体」

 

 ベッドから身を乗り出してカーテンを開ける。

 昨日と同じく快晴の日だった。視線を下ろしてみると、玄関先の道路になみことはっすの二人が佇んでいる。二人は六花を見ると手を振ってきた。

 

『おはよ』

『寝癖ヤバくない?』

「……はぁ」

 

 スマホから二人の声が聞えてきた。

 どうやら今日も騒がしい一日になるようだ。六花は重たいため息を吐いた。

 

 

 

 二人を一階の喫茶店に案内する。まだ開店時間ではないので、一度家の玄関を経由して店内に入って貰った。

 二人が所望したのはアドニスの手料理であった。昨日のうちに、アドニスは半日かけて珈琲の淹れ方と料理を覚えていた。軽い朝食くらいなら作れる。

 

「本当に僕なんかが作る朝食を食べたいのか? 料理に関してはまだ練習不足なんだが」

 

 アドニスは謙遜しながらそう言うが、実際の料理の腕は凡人を脱している。料理のレパートリーこそ少ないが、その質は六花にも引けを取らない。

 

「だったら練習台になりますよ」

「うち天条さんの料理なら何でも食べますんで! 軽い気持ちで作ってください」

 

 昨日はアドニスの接客練習などに付き合わされる時に不満げだった二人だが、今では進んでアドニスに歩み寄るほど親しみある関係柄になっている。これだけ打ち解け合うのが早いのは、アドニスの純粋な人柄が成せる効果だろう。

 

「二人とも、言っておくけど自腹だからね」

 

 なみこが『練習台』と口にした瞬間に嫌な予感がした六花は、そう念を押しておく。

 だが、どうやら六花の予想通り二人は奢られる腹だったようで、面白くなさそうに抗議し始めた。

 

「えー、いいじゃん六花~。練習台になってあげるんだから奢ってよ」

「昨日だってうちら付き合ってあげたじゃん。ここはそのお礼ということで……」

「何を言っているのか私には分かりませーん。一応飲食店なので、お金がない人はお帰りくださーい」

「ちぇっ。分かったよ、払えばいいんでしょ」

「六花のケチ~」

 

 二人の本心は、どうやら有償でもアドニスの料理を食べたいようだ。実は二人はアドニスの料理の腕を知っている。

 二人は料理を注文すると、渋々と言った表情で六花に料金を前払いした。

 

 アドニスが注文を受けたメニューはチーズの乗ったトーストである。手際良く調理を進めて、五分もしないうちに完成させた。

 なみことはっすはトーストを加えながら感嘆の声を漏らす。美味しそうに食べてもらえてアドニスも満足だった。

 

「で、二人は今日は何しにきたの」

 

 六花はふと思い出したように、食事中の二人に問いただした。

 

「あーそうそう、天条さんが六花の家にいられるのって今日が最後じゃん? だから今日は四人でどっかでかけようかと思って」

 

 聞いて、改めて六花はなみこの行動力に感心させられた。

 

「ちょうど昨日は三人で買い物いく予定だったしさ。今日は天条さんも連れていこうよ」

 

 アドニスの所持金はゼロである。必然的にまたアドニスは奢られる流れになりそうだが、女子高生の資金にも限りがある。あまり豪遊は出来ないし、もしかするとアドニスはただの荷物持ちとして一日を終えてしまうかのしれない。

 

「天条さんどうする? 私たちと出かけても楽しいかどうか分かんないけど」

「一緒にいられるだけで十分すぎるほどだ。僕は君たちに同伴したい」

「……なら、決まりだね」

 

 アドニスが希望するなら自分が反対する理由もない。

 六花は少々落胆しながらも、なみこの提案に同意した。だが、自分が実は落胆しているという事実には気付かなかった。

 ――そう、自覚こそしていなかったが、彼女はアドニスと二人で一日を過ごせなくなったことを残念に思っていたのだ。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 午前十〇時に差し掛かった頃、アドニスたちは近所のデパートへ訪れていた。

 デパートは休日客で賑わっている。図書館以外の施設に訪れた事のないアドニスには初めての光景である。物珍しそうに内観を見回した。

 

 最初に入ったのは服屋だった。アドニスが所持している服は今着ているものが全てなので、お金を出し合って買ってあげようという六花たちの計らいらしい。

 遠慮がちのアドニスだったが、善意を断るのも失礼かと迷っている内に――何故か着せ替え人形になっていた。

 

「やっぱこっちの服の方が良いんじゃない?」

「いや~、それは似合わないって」

「だったらとりあえず試着してもらおうか」

 

 六花たちの選ぶ服にもう五回ほど着替えさせられている。

 試着室から出るたびにまじまじと観察されるのは、厚顔無恥な性格のアドニスといえど羞恥を覚えた。

 

「天条さん、これ着てみて」

「……六花、もう恥ずかしいんだが」

 

 周囲には六花たち以外の客も集まっていた。その全員が女性客であり、まるで街中で有名人に遭遇したのようにアドニスを眺めている。

 原因は明白だろう。アドニスの容姿が無条件に他人を魅了するほど耽美なものだったというだけだ。本来なら誇るべきことの筈が、今のアドニスにとってそれは単なる奇妙な体験でしかない。

 

「大丈夫大丈夫、天条さんは何も気にしなくていいの。変なところなんて一つもないよ」

 

 六花の声はいっそ誇らしげにも聞こえた。

 

「だったらもう今着ているこれでいいんじゃないのか?」

「ダーメ。一番似合う服を買ってあげるから」

 

 アドニスはファッションに頓着がないので買って貰える服なら何でも嬉しい所存だ。

 しかし、アドニスに合う服を全て買い占める資金力はないため、購入できるのは一着だけである。そのため六花たちは服選びに全力を尽くしていた。

 

「というわけで天条さん、試着お願いします♪」

「……分かったよ」

 

 共感こそ全くしなかったが、六花を突き動かしている原動力が簡単に消えるものではないということだけは分かかる。

 短く返事をしたアドニスは、長期戦になることを覚悟しつつ試着室に入っていった。

 

 

 

 アドニスが着替えている間に、近辺の服を払拭していた六花の元にはっすが近寄ってきた。

 

「ねぇ、天条さんって明日から生活どうするの?」

 

 アドニスに実家があることは明らかになっている。もちろんそこに戻ることが出来るのが最善なのだが、当のアドニスは自給自足の生活をする気でいるらしかった。

 明日から宝多家にアドニスは滞在できない。六花の母が許可を出せば滞在期間を長引かせることはできるが、それでは問題の先送りである。

 

「……言っちゃ悪いんだけど、天条さんってあんまり自分の今後について考えてなさそうなんだよね」

「えっ、じゃああの人どうする気でいんの」

「多分、ホームレス……?」

 

 確信がないのであくまで疑問系であったが、有り得ない話ではないだろう。

 

「仕事が見つかって、住むところが見つかったなら安心なんだけどね。やっぱ難しいのかな」

「六花ん家でバイトすれば少しは給料出るでしょ」

「それも実はお母さんが許してくれるか微妙な所だし。雇ったとしても、その給料だけで生活するのは簡単じゃない気がするんだよね」

 

 六花は真剣に考えてみた所で、アドニスがおかれた現状の深刻さに改めて気付く。どうやら自分たちは今の状況を楽観視しすぎていたらしい。

 そもそも、宝多家にアドニスが止まっている時点で異常だった。状況判断が甘くなっていたのは、その異常な生活に慣れ始めてきていたかもしれない。

 

(やっぱり天条さんは、自分の家に帰るべきだよね……?)

 

 何度も思案してみて、最終的に当たり前の結論に行き着いた。

 だがその場合、天条アドニスという人間は一生不幸なままだ。

 

(――きっと、何かもっとしてあげられることがあるはず……。もっと単純なことが)

 

 やるせなさを感じつつ、胸に引っかかる何かを感じる。うまく言葉にすることは出来ないのだが、一度理解してしまえば呆気なく納得できるような気がした。

 

 

「――六花、着替えてきたぞ」

 

 

 それは自分の中に軽やかに落ちてくる聞き慣れた声だった。

 六花の選んだ服装で身を包んだアドニスはモデル雑誌の表紙を飾るのに何ら不足のない着こなしで、ごく自然と辺りの客人たちから拍手が巻き起こった。

 

「えっ……、何が起こっているんだ、これ?」

 

 それに戸惑うアドニスの様子が堪らなく愉快で、深刻に考えていた先程までの自分が馬鹿らしく思えてきた。

 つい綻んだ口から、微笑混じりにアドニスに声をかける。

 

「ふふ、似合ってるよ。天条さん」

 

 そんな些細な褒め言葉で、アドニスは全力の笑顔を返してくるものだから、それを見ただけで六花は全てが良い方向に進んでいるように感じた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「おっ、なみこじゃん」

 

 昼時に差し掛かかり、デパートの中の飲食店で昼食を済ませようとしていた矢先に、二人組の女性が四人の側に寄ってきた。

 

「おお、おっす先輩。外で会うなんて奇遇ですね」

「……誰?」

「茶道部の先輩だよ」

  

 相手が同じ高校の上級生だと知った六花とはっすは、軽く会釈して挨拶した。

 二人が頭を下げる中、その行為についていけなかったアドニスだけが必然的に相手から視線を集めてしまった。

 

「おお、そちらのイケメンさんは……うちの学校の人?」

「違いますよ。この六花の親戚みたいな感じです」

 

 かなり抽象的に暈かしたなみこの自己紹介は、それでも先輩たちには伝わったようだ。数秒アドニスの瞳を見つめると、愛想良く微笑みかけてくる。

 

「君、年齢は?」

「……えっと、生後一週間とちょっとです」

「ぷっ、何そのネタ。流行ってんの?」

 

 つい本当のことを答えてしまったが、当然信じられるはずもなかった。

 六花たちもアドニスの言葉に苦笑いしている。

 

「接点があるなら仲良くしたかったところだけど、どうもそんな感じじゃなさそうだね、君」

「アンタがっつきすぎだよ~? そんな面食いなキャラだっけ」

「これ、恥ずかしいこと言わないの」

 

 二人が友好的な人間だというのは会話の雰囲気だけで伝わってきた。

 先輩の前だからか六花たちは畏縮している様子だったが、きっと良い人柄の人間なのだろう。

 

「それにしてもなみこ、アンタ休日に男と遊びだなんて偉くなったもんだね。えぇ?」

「ち、違いますよ~。あの人はどちらかというと六花の――」

「――いやそれこそ違うから!」

 

 六花が途中でなみこの言葉を遮った。

 二人の先輩たちは互いに見合って笑顔を歪ませる。

 

「なんかウチらだけ男っ気がなくて寂しくなってきちゃったなぁ」

「後輩たちの青春なんて見るもんじゃないね。泣けてくるよ」

「……んじゃ、お邪魔なウチらはとっとと退散しますか」

 

 先輩たちは六花たちが居心地が悪そうにしているのを察したらしい。後輩にとっては知らない先輩と一緒にいるというだけで重圧なのだ。それを察した先輩はやはり悪い人間ではないだろう。

 

「青春を謳歌したまえよ、後輩たち」

 

 二人は雄々しい言葉を残して去る。

 小さくなっていく背中はやがて遠くに消えていき、もう戻ってくることはないだろう。

 ――この数分後、先輩たちはこのデパートに地獄を招き入れてしまうことになるのだ。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 デパートの中のレストランは、幸いにも四人用のベランダ席が空いていた。

 席について注文をすませる四人。すると六花は自分のバッグの中からおもむろに十字架のネックレスを取り出した。

 

「これ、あげる」

「僕に?」

「そう、天条さんに」

 

 受け取ると、アドニスはまじまじとネックレスを見た。

 銀箔の十字架に、黄金の竜が巻き付いていた。竜は安らかに眠っているようにも見える。ただ無言のまま、アドニスは金竜のネックレスを首にかけた。

 

「これは……僕にすごく似合っている気がする」

「いやダサくね? 六花ってこんなに見る目の無い子だったっけ?」

 

 はっすの言う通り、一概にセンスが良いとは言い難い品だった。なみこもおおむね同感のようで、はっすの言葉に強く頷いている。

 

「う。で、でも天条さんは気に入ったみたいだし!」

「ああ、六花からの贈り物なら何でも最高だぞ」

「そういうことを言ってるんじゃなくて……」

 

 美的感覚を全否定されたような気がした六花はその場で項垂れる。

 しかし、実の所アドニスはこれまでの贈り物のうち、このネックレスを一番気に入っていた。

 

金の竜(・・・)って、子供じゃあるまいし」

「なんか安っぽいよね~」

「そうか? 僕は気に入ったんだがな……」

 

 アドニスは世間一般的な社会通念の勉強不足を自覚している。通常の尺度で見たなら、このネックレスはナンセンスなのかもしれない。

 しかしそれ故に、一時的にとはいえ六花と感性が一致したことに喜びを感じていた。

 

「ドリンクを汲んでくるよ。皆は何が飲みたい?」

 

 どうやら座っていられない程に自分は興奮しているらしい。

 アドニスは幼い自分の内面を自覚した。

 

「うちはレモンティーで」

「こっちも同じ物を」

「私オレンジジュース」

 

 上からはっす、なみこ、六花の順である。

 アドニスは自分も六花と同じくオレンジジュースにしようと決めた。何故か、今は六花と同じものが飲みたいのだ。

 

 店内のドリンクコーナーで三人分の飲み物を汲んでいる最中に、アドニスは首にかけられたネックレスを握った。

 

 

「カッコいいと思うんだがなぁ、金竜」

 

 

 アドニスは絶望的に運がない男だったのか、それとも当面の幸せを今日この瞬間に使い果たしてしまったのか。

 黄金の竜に無垢な想いを馳せたその瞬間と、理不尽だけを纏った地獄が顕現したのはほぼ同時だった。

 

「……え」

 

 誰が漏らした言葉かは分からないが、誰もが目の前の現実を直視出来ていないのは明白だった。

 小刻みに来る地響きは最悪の光景をアドニスに連想させる。一抹の不安を抱えながら外を見た瞬間、アドニスの予感は現実へと昇華した。

 

 ――怪獣が、こちらを見ていた。

 

「な――どうして、こんな時に……!」

 

 その場の誰よりも早く危機を察知したアドニスは、脇目も振らずにベランダ席の三人の元へ走り出した。

 怪獣が見ているのはアドニスたちのいるデパートだと見て間違いない。目を逸らさず、この建造物だけをじっと凝視しているのだ。

 アドニスの中で怪獣の目的についていくつかの可能性が浮上するが、その全てはアカネによる独裁的な断罪に帰結する。

 もしもその標的がデパートの中にいるのだとすれば、六花たちにも身の危険が及んでしまう。

 

「六花!」

「……天条さん。あれ凄いよ」

「何が凄いものか! それよりも危機意識を持て!!」

 

 アドニスが初めて見せた真っ黒な激情に、六花たちは反応すらできない。

 威圧的に叫びすぎたと反省するアドニスだが、今は六花たちに譲歩する余裕はない。いつも通り落ち着いた声で、だが焦りを隠さずに続けた。

 

「この建物が倒壊するかもしれない。三人とも、あの怪獣がここに来る前に逃げるんだ」

「え、と……、何言ってるんすか?」

「だから、この建物の中は危ないんだ。今すぐにここを離れよう」

 

 六花たちは怪獣が自分たちの命を直接脅かすとは思っていないようだったが、アドニスの主張にも同調できる所があった。

 状況を正確に掴めていないためその動作は遅いが、アドニスに言われた通りに席を立って、

 

「――……嘘、だろ」

 

 アドニスはもう避難は手遅れだということを理解した。

 

 怪獣が姿勢を低く屈め、デパートに向けて口を開いていて。

 その口内には、禍々しい炎をため込んでいた。

 口に含んだ炎弾は呆気なく射出される。

 アドニスたちの居る方向へ一直線に進む。同じ怪獣でなくても、生身であれを真っ向から防ぐのは不可能だということは重々に理解できた。

 

 誰一人として声はない。

 アドニスを除いた全員が呆然と立ち尽くしていた。

 

「……せろ。……伏せろよ、三人!!」

 

 アドニスが叫び、しゃがみこんだ三人に覆い被さると同時に炎弾は一つ上の階に衝突し、激しい衝撃波が辺りを遅うと共に天井が崩れ落ちた。

 

 

 

 

 視界いっぱいに闇が広がっている。凄まじい熱気で肌が焼かれているように痛い。

 泥の中の泳いでいるような無力感を体験しながら、再び消えそうになる自分の意識をなんとか保った。

 

「……! ……さん!!」

 

 愛おしい声が聞えた気がして、胸の奥から噴水のように気力が溢れ出てきたようだった。

 目が冴えてくると途端に全身に激痛が走る。

 

「――ぐっ、ぅ」

「天条さん! 良かった! まだ生きてる!!」

 

 ずっと声をかけていてくれたのは六花だったようだ。傍らにはなみことはっすもいた。見る限りは軽傷もなく、負傷したのは自分だけだった。

 だが、自分自身の傷はかなり深い。天井の瓦礫によって左腕は完全に潰され、心臓が動いているのが不思議なくらいの出血量だった。

 

 身体の状態は最悪だが、アドニスは自分の血が赤いのを知って少し安堵した。

 

「天条さんが庇ってくれなかったら、私たちきっと今頃……!」

「……あぁ、そうか、良かっ、ぁ。僕は、無駄じゃなかった、ん、だ……」

 

 肺が圧迫されてしまっているために声がうまく紡げない。

 その弱々しい声がアドニスが瀕死であることを示していた。糸のように細い声ではっすが、

 

「……大丈夫、ですか……?」

 

 大丈夫な筈はないが、この状況下で他人の身を気遣ったはっすに心を打たれ、アドニスは無理に笑顔を作った。

 口から赤い泡が吹き出る。それを見たなみこは小さく悲鳴を上げながて目を逸らしてしまう。

 

「大丈夫、だよ」

「……絶対に、絶対に助けるから、待ってて、ね……? 私たちが、君を助けてあげるから」

「なぁ、……六花。子供、扱、ぃは、……もう、はぁ。ぃぃ、から――」

 

 アドニスはあくまで冷静を保って話しているつもりだったが、喋る度に血を吐いているのだ。その光景はただの女子高生たちには凄惨に過ぎた。

 炎弾がレストランに直撃しなかったのは不幸中の幸いだったと言えるだろう。まともに喰らっていたら、人間態のアドニスは即死していたに違いない。便利なことにこの身体は自己修復能力があるのだ。死ななければ幾らでも助かる方法はある。自分だけ瀕死で六花たちが無傷なのは間違いなく幸運だった。

 

 瞳を滲ませながら自分を潰している瓦礫をどけようとしている六花。それだけでもうアドニスは赤子のように声を上げて泣きじゃくりたい気分だった。

 きっと今は、人生で一番幸せな瞬間なのだと、そう思えば何も辛いことはない。

 

(――何があっても君を守ると、言っただろうに)

 

 喋る度に少女たちの不安を煽るだけだったので、アドニスは言葉を出さずに決意を固める。

 

 

(今度は、僕が君らを守ってやろう――)

 

 

 アドニスの視線の隅っこで、怪獣が続く炎弾を発射しようと構えた。

 これ以上デパートに攻撃されれば、倒壊して全員が死ぬことだって考えられる。もう一発だって許すわけにはいかない。

 三人だけじゃない。

 この建物にいる全員をもう殺させないと心に決めた。

 

(怪獣の攻撃を止めるには怪獣化しかない。だけどそれをここですれば側にいる六花たちを潰してしまう。だったら……)

 

 怪獣は再び炎弾を放つ。

 そして、

 

 ――局所怪獣化。

 

 瓦礫の中に波紋が広がり、歪んだ空間から黄金が顔を覗かせた。

 それは巨大な羽。

 かつてこの街に破滅をもたらした偉大なる黄金竜の双翼である。

 

(光エネルギーの補充器官の羽だけの顕現……出来た。これなら……!)

 

 六花たちに被害が及ばないように出力を調整して、器用に瓦礫だけを粉砕していく。

 瞬きする程度の間に自由の身になったアドニスは、その羽を大きく広げて飛翔した。

 

「残念だがその程度の火炎弾など――僕には通用しないんだよ!」

 

 光の吸収・増幅・変換によって精製された超エネルギーをシールドの作成に転用する。

 アドニスの正面に現れた半透明の障壁は怪獣の炎をせき止めた。

 天を掴む黄金の竜に傀儡の炎は通用しない。圧倒的な力を以てして、アドニスは怪獣の攻撃を文字通り消滅させた(・・・・・)のだ。

 

「……天条、さん?」

 

 人の形を保ったまま輝く羽を纏うアドニスは、天使の様にも、悪魔の様に見えたかもしれない。

 名を呼ばれたアドニスは振り返り、こちらを仰ぎ見る六花たちに告げた。

 

「ごめんな、皆。僕は只のアドニス。天条アドニスなんて人間は、この世の何処にもいないんだよ」

 

 アドニスの身体の傷は、ほとんどが癒えていた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 標的にした女子高生をデパートもろとも消し炭にしてやろうと目論んでいたアカネは、ドローン越しに怪獣の放った第二の攻撃をアドニスが受け止めた光景を目撃した。

 

「……何か、アドニスが出て来た」

『おやおや、どうやらあの坊やはデパートにいたらしいね。いやぁ危ない危ない、殺してしまう所だったようだ』

「はぁ? だったら逃げれば良いじゃん……。もしかして怒っちゃったのかな」

 

 アドニスは怪獣と対峙してその場を動くつもりがないようだ。建物を庇うように、ずっとにその場に佇んでいる。

 どう見ても、それは怪獣と対立している構図だった。

 

「ていうか何あれ。羽だけが出てるよ」

『ほう、あれはとても効率がいい。羽さえあれば彼は光エネルギーを元にした超エネルギーを扱えるし、怪獣化に必要なエネルギーを温存できる。ただ、生身が飛び出しているから守りは甘くなってしまうけどねぇ』

「えー、あれだとなんか怪獣っぽくないんですけど」

 

 アカネはあくまで完全怪獣形態のアドニスに拘っているようだ。戦闘における効率性は度外視して、彼女にとって見栄えが一番大事らしい。

 

「もう、仕方ないなぁ」

 

 とりあえず怪獣の動きをとめて、ドローンを操作してアドニスに接近した。

 ドローンのカメラの焦点とアドニスの瞳が重なった。

 

「ほら、早くどい……て、ってええ!? 六花たちがいるじゃん!」

 

 アドニスの背後のデパートに六花たちの姿を見ると、途端にアカネは素っ頓狂に叫んだ。

 

『うん? 友達かい?』

「もしかして六花たちのこと守ってるの……? いや、それ以前に、どこで知り合ったの!?」

『無視されると寂しいなぁ』

 

 アレクシスの声を無視して、アカネはドローンの映像を睨み付ける。

 画面の向こうのアドニスは依然として怪獣に対して臨戦態勢を崩していない。やはり何かを守っているように見えた。

 

「……建物ごとだと六花たちも一緒に殺しちゃいそうだなぁ」

 

 アカネは数秒考えた後、

 

「――アレクシス、もういい」

『怪獣を消すのかい?』

「うん、お願い」

『そうかい、アカネくんがそう言うならそうしようか』 

 

 そんな気まぐれみたいな怪獣の神様の判断で、アドニスと相対する危機は消失したのだった。

 

  

 ◇◆◇

 

 

 天使か悪魔か怪獣なのか不明だが、羽を持った金色の男が降り立つ。

 瓦礫の上で悠然と佇むその姿は逆光で神々しくもあり、だが恐怖の類いを全く連想させない。

 

「ねぇ、天条さん」

「違うよ六花。天条の名前はでっち上げだ。僕は怪獣のアドニス。それ以外に名前なんてない」

「……ちょっと待って、どういうこと?」

 

 少なくとも今の姿を見たら、誰もがアドニスが人外であると確信するだろう。だが、建物を破壊し人を殺そうとした怪獣とアドニスが同じ存在だという結論には至らないらしい。

 六花は不安そうにアドニスを見上げている。

 アドニスは澄んだ太陽のように笑って見せた。

 

「安心してほしい。僕の名前と正体以外は、君に嘘はついていない。僕が作られた(・・・・)のは一週間と少し前のことだ、僕が幼いっていうのはこういう意味さ。ご主人様に捨てられたってのも本当だよ。それに、もちろん僕の君への想いに一切の嘘偽りはない。君はこの先も僕が大好きな大恩人だ」

「あの、さぁ、なんか全部が衝撃的すぎてついていけないんだけど……。えっと、つまり天条さんは本当は怪獣だってこと?」

「……僕の名前はアドニスなんだ。出来れば、そう呼んで欲しい」

 

 母親に自分を見てもらえない子供のように、アドニスは表情を曇らせた。

 

「じゃあ、えっと、アドニス、さん……? 私はこれから、どうすればいいの」

「『さん』はとって欲しかったな。……何もしなくていいさ、どうせ今日の出来事は消えて無くなるから」

「……それ、どういう――」

 

 アドニスの視線が六花から外される。

 すると、今度は言葉を失って立ち尽くしているなみことはっすに向けて、

 

「なみこ。はっす。君たちもありがとうな。君たちの中から僕は消えるだろうけど、僕は君たちを忘れないから。これからもずっと、きっと守ってあげるよ」

 

 欠片もアドニスに恐怖する者はいない。そのは声は無条件に相手を包み込む温もりがあった。

 それからしばらく周囲の音は無くなる。パトカーや消防車のサイレンの音が聞えてきた頃、アドニスは黙ったまま俯く。

 

「――じゃあな、六花」

 

 そのまま飛び立とうとする男を、六花は掴んで離さない。

 

「待って、……アドニス」

「なんだい?」 

「……このまま消えたりしないよね」

 

 アドニスから返答はなかった。返事など出来るはずもない。この場で一番辛い現実を背負っているのはアドニスなのだ。それを自ら肯定する言葉をこれ以上吐くことは出来なかった。

 

「別れるのは辛くないんだ。生きていたら会えるから。けど、忘れられるのは辛いなぁ」

「聞いてアドニス。私はね――」

 

 溶けて消えてしまいそうなアドニスを呼んで逃がさない六花の言葉は、途中で途切れた。

 甘い砂糖の味だった気がした。ミルクの風味は優しかったが、珈琲の苦さが混じっていた。けれど、曖昧な味の中で確かな暖かみだけは決して消える事はない。

 それはたった一秒足らずの口づけだったが、これまでのアドニスの全てが込められていた。

 

 今にも壊れそうな顔で、だがか弱い笑顔を崩すことなく、アドニスは。

 

「――言わないで、お願いだから」

 

 言われて六花は、全力で拒絶した。

 最後に一言。 

 アドニスに届くように、彼が一番聞きたがっている言葉を贈る。

 

 

「――――――」

 

 

 

 聞き届けたアドニスは恨めしそうに六花を見つめて、

 

「僕が大好きな君は、意地悪な人だな」

 

 今度こそ、アドニスは六花の手から離れていく。

 

 

 

「――じゃあ、またね」

 

 

 

 その日、少年は人間になった。

 

 

 




あれ、デパートを襲った怪獣の記憶とその日のアドニスの記憶は六花たちから抜けるだろうけど、それ以前のアドニスの記憶は忘れないんじゃない?と思った方もいると思いますが、普通にアカネに消されます。アドニスはアカネから誰とも関わるなって言われてましたから。

あと最後のキスシーンですけど、アドニスの方に限って言えば六花に恋してる訳じゃないです。恋愛っていうか親愛みたいな。ニュアンスは近いですけど微妙に違います。パッと思い浮かんだ愛情表現がキスだったってだけです。
六花の方の心情はまぁ、お察しの通りだと思いますが。

それから六花が最後に言った言葉ですけど『あなたは人間ですよ』的なことでした。それがアドニスの一番聞きたい言葉でした。

羽だけの局所怪獣化は最近放送された某アニメに影響されたものです。そのうちアドニスくんが「僕の黄金物質に常識は通用しねぇ」とか言い出したらどうしよう……。

あらすじの所に書いてあるとおり、この話は怪獣として生まれたアドニスが人間として生きる話なので、個人的にはようやくプロローグが終わりそうっていう感じです。そろそろ原作突入の準備しなきゃね。
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