キルミーベイベー短編です。殺し屋としての在り方に悩むソーニャ。そしてソーニャの居ない生活に馴染めないやすな。そんな二人のお泊まり会。やすな家にソーニャがお邪魔します。

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初めて書いたキルミーベイベー短編です。何番煎じか分からないネタですが、可能な限り原作の雰囲気を再現しました。楽しんでもらえたら幸いです。


あめふろざけねりとうがたつ

 

 

 

 折部やすなは退屈だった。

 

 いつものように学校に行って、いつものように授業を受けて、いつものようにお昼ご飯を食べて、いつものように下校時刻になり、帰り道を歩いていた。だが、退屈で仕方が無かった。持ち前の無駄遣いで買った適当な玩具を持ってきてはいたが、一人で遊んでも特に面白くなかった。

 

 そう、一人というのがとてつもなく退屈で仕方なかった。いつも右隣に居るはずの、彼女が居ないだけで授業がもっとつまらなくなり、お昼ごはんが美味しくなくなり、遊んでも楽しくなかった。一日が恐ろしく長く感じ、そして退屈で仕方が無かった。

 

 ソーニャが時折り学校に来なくなる日は幾度となくあった。もちろん、その理由のほとんどが彼女の「仕事」によるものだ。仕事の内容は、今更考える必要はないだろう。

 

 殺し屋。ソーニャの女子高生としての身分の裏にある、真の顔。やすなは、それを考えると気が沈む。もしかしたら、今まさにこの瞬間に誰かが殺されてしまい、ソーニャが手を下しているのかもしれない。それを考えると、やすなはどうしても気分が良くならなかった。だがそれ以上に、最も恐れる事が起こるのではないか。それが怖いと思っている自分が居て、そんなことは無いと首を振って思い直した。

 

 いつも一緒の帰り道。手を折られても、極められても、盛大な突っ込みパンチを顔面に食らわされても、それでも帰り道はいつも一緒。やすなにとって、この毎日がとても大切で、何でも無い一日でもソーニャと一緒なら思い出が残る毎日だった。

 

 だが、そのソーニャが居ない。それだけで一日がとんでもなく退屈なものになってしまう。隣を見ても誰も居ない。盛大なボケをしても突っ込みが来ない。居なくても居る物と思って声をかけてしまい、そして誰も居ない椅子を見て、しょんぼりとするだけだった。

 

 夕焼けに染まる空を見ながら河原を歩き、静かすぎる一日を思い返す。そして、ソーニャが居る一日を思い出して、やっぱり彼女が居ないと詰まらないと認識した。

 

 試しに、自分の携帯電話を取り出してメールが来ていないかどうか見てみる。だが、ソーニャからメールが来たことなんて一度も無い。来たらきっと翌日にはナイフの雨が降るだろう。それはそれでちょっと違う気もした。

 

 夕日が、やすなの顔を照らす。地に沈んでいく太陽は、ソーニャと居る時ならまた明日、というイメージだった。だが、一人で居るととても寂しい物を見ている気がした。同じ太陽なのに。同じ色なのに。ただ違うのは、ソーニャが居ない事だけ。それだけで、やすなは世界が寂しい物になっている気がした。

 

 いつ帰ってくるのだろう。やすなは、早くソーニャと遊びたいと、いつものようにちょっかい掛けて返り討ちにされて、めげずにまた仕掛けて関節技を決められて、それでも時々女の子らしい一面を見せ、それを否定しようと真っ赤になるソーニャに会いたいと思う。もし、これからもずっとこのままだったら、自分はどうなるのだろうか。

 

「…………ソーニャちゃん」

 

 やすなは、無意識のうちにソーニャの名を呟く。その声は空に向けて抜けだし、やがて空気に溶けて消える。ざわざわと、いつだったかソーニャと一緒に花見をした桜の木が揺れて、やすなを慰めているかのようだった。

 

 

 

 

 ソーニャは最近の自分がよく分からなかった。任務を終え、組織の用意した帰還用のヘリの中で、沈んでいく太陽を見つめて何か違う、と感じていた。

 一体何がどう違うのかは分からない。正確に言えば思い当たる節はあるのだが、正直な話それを認めたくない、というのがソーニャの本音だった。

 

 無線のコール音が鳴る。組織の上層部からの暗号通信だった。ソーニャはコールボタンの受信ボタンを押しこんで、応答する。幹部から任務の達成の確認をしたという報告だった。数日続いた任務もようやく終わり、明日からまた女子高生としての日常が始まる。やたらと長く感じた任務だ。早く学校に戻りたい。何度そう思ったことだろうか。

 

 通信を終え、ソーニャはこれでしばらくは任務の依頼が来ないだろうと安心した。そして、安心した自分を思い出して、またかとため息をする。

 

 ここ最近、組織の任務の事を嫌がる自分に気付き始めていた。任務を行うよりも、学校に行く方が楽しいと、そう思う自分が存在している事に、少なからず動揺していた。だがその一方で、普通の女子高生というものに憧れている自分も居た。

 しかし、そんなものは殺し屋という仕事をしていく内で殺しているつもりだった。私は人殺し。普通の人間になる事は出来ない。

 

 だが、あいつのせいでこの感情を殺す自分が正しいのか。はっきりと否定する事が出来なくなっていた。折部やすな。一体どうしてくれるんだ。ソーニャは思う。

 

 太陽が沈み、機内の必要最低限の照明が点灯する。窓に映る自分の顔に、ターゲットを仕留めた時に付着した返り血が残っているのに気が付く。任務用に着込んでいる迷彩服の袖でそれを拭い、幾分か目立たなくなる。だが、その目はまだ人殺しをするときの鋭い目つきだった。

 

 酷い目だ。ソーニャは右手を頬に当ててみる。ぬるりと、ほんの少しだけ残った血痕の感触が不快だった。今のこの自分をやすなが見たらどう思うだろうか。学校では極力仕事するときの表情は出さないようにしていたが、今のソーニャはターゲットを仕留めた達成感と、人を殺したと言う興奮によって、全く隠しきれない物になっていた。

 

(やすなにこんな顔は見せられないな)

 

 ソーニャはそう思う。そして、そう思うようになっている自分を呪う。こんな事を考えるようになったら、殺し屋として失格だ。殺し屋に感情なんて必要ないのだ。情けなど必要ないのだ。友人など必要ないのだ。なのに、折部やすな。彼女のせいで、ソーニャの殺したはずの感情という物が蘇生されつつあった。

 

 殺し屋で感情を生かす事などもってのほかだ。ソーニャは何度も否定しようとしてきた。だが、それを実行しようとして行き着いた先は、折部やすなその人だった。

 

 ソーニャは、もしかしたら感情を殺す事が出来なくなっているのかもしれない。そう、感じていた。

 

 

 

 

 ソーニャを乗せたヘリは組織専用の秘密ヘリポートに着陸し、機内で制服に着替えたソーニャは地面に降り立つ。空を飛ぶと言うのにはいつになっても慣れそうな気がしなかった。人間は地上で生きるために進化したのだ。わざわざ空を飛ぶ必要がどこにあるのかと、小一時間問いただしたくなる。が、結局のところ一番早いのが空の移動なのだから致し方が無い、のも事実だった。

 

「ご苦労。報酬はいつも通りに支払う。次の依頼まで待機せよ」

「了解」

 

 ヘリの扉が閉まり、メインローターの回転数が上がって周囲の草木を風が揺らし、ソーニャを残して上昇する。やがて闇夜に紛れて、ヘリのローター音が消えていく。つまり、いつもの生活に戻ってきたのだと言う意味でもあった。

 ソーニャはそれを見送って、装備品の入ったカモフラージュ用のスポーツバッグを持って歩き出す。時刻を見れば、日没から数十分程度しか経っていない。予定では零時を回るくらいに到着するはずだったが、思っていたよりも早く終わっていた。腹の具合も夕食にはちょうどいいくらいだったから、コンビニに寄ろうかと決めて歩き出す。

 

 ソーニャの住んでる隠れ家まで一旦学校からの帰り道を通過する。数日ぶりに通る真っ暗な通学路は、少しだけ違う雰囲気を出していた。

 

 川辺の道を歩き、その先に広がる街明かりを見る。大都市の物と比べれば、そこまで明るくは無いのだが、その差がいい雰囲気を出しているかもしれないなと、ソーニャは思う。その光はまるでソーニャの寄託を歓迎しているかのような気がして、思わず安堵してしまう。

 

 少し歩いて、いつもの桜の木が見えてくる。花びらは散り、青葉でさえも色を変えて風が吹く度に一枚、また一枚と散っていく。もう、冬が近かい事を表していた。

 

「…………ん?」

 

 桜の木の下を通り過ぎようとした辺りで、ソーニャは木の下の斜面に誰かいる事に気が付いた。暗くてよく見えないが、服が自分の通っている学校と同じ制服で、まさかと思って目を凝らして見ると、見覚えのあるアホ面があった。いや、バカ面と言うべきだろうか。ソーニャは一瞬無視しようかと思ったが、体の向きを変えた辺りで足が止まり、もう一度木の下で寝ている折部やすなを見る。

 

「……ったく」

 

 ソーニャはため息を吐きながら斜面を下り、やすなの傍まで近づくと、まず一言「おい」と声をかける。が、やすなは全く目覚める気配が無く、寝息を立て続けている。仕方なく、ソーニャはしゃがんでやすなの肩を掴み、軽く体を揺らして起こす。

 

「おい、やすな。やすな起きろ」

「う……う~ん……オンデマンドぉ……」

「何言ってるんだお前……おい、いいから起きろ。風邪引くぞ」

「うぇへへ……裸のソーニャちゃんがいっぱい~」

「…………さっさと起きろ!」

 

 ゴチン、とソーニャの拳がやすなの額にクリーンヒットし、漫画の様な素晴らしい衝突音が響いて、それと同時にやすなが悲鳴を上げながら跳び起き、斜面をのたうちまわる。

 

「いったーーい!! 何、何が起きたの、十年以上遅れたノストラダムスの予言が今来たの!?」

「来てない。いいから起きろ」

「あれ……ソーニャちゃん?」

 

 やすなはソーニャの顔を見て、きょとんとした顔になる。なんで今ここに居るのだ、と言いたげな顔で、事実次の瞬間には全く同じ事を口にした。

 

「なんでここに居るの?」

「仕事の帰りだ。そしたらお前がここで寝ていただけだ」

「ああーなるほど。そして風邪をひくと思ってソーニャちゃんは起こしてくれたんだね」

「……まぁ、そうだが」

「やっさしー! ふぅー!」

 

―ゴチン―

 

「いだぁーーい! やっぱり優しくない!」

 

 二度目のゲンコツにやすなは涙目に抗議するが、ソーニャは「ふん」と鼻を鳴らして土手を登り始め、待ってくれないと察知したやすなは慌てて荷物をまとめると、ソーニャの背中を追いかける。

 

「待ってよ、ソーニャちゃーん!」

「ったく、鬱陶しい奴め」

「だって私も帰り道こっちだし?」

「じゃあ回り道して帰れ」

「ひどい! こんな乙女を夜道に一人置いて帰らせようとするなんて、鬼、悪魔、円卓の鬼神!」

「鬼が二人くらい居たぞ。それに誰もバカには手を出さないから安心しろ。」

「なにおぅ! 私のこのナイスバディに惹かれない男が居るものか!」

「無いすバディだな、お前は」

「うわぁーーん!! ソーニャちゃんがいじめるよーー!!」

 

 後ろでうわんうわんと喚くやすなを尻目に、ソーニャは歩みを進める。また今日もこいつは後ろから着いてくる。鬱陶しい半面、帰って来たという実感が湧く。そして、「帰って来た」と表現した自分にまた複雑な気分になってしまう。自分にとって帰る場所なんて明確には無いはずなのに。

 

 やすなが隣まで走り寄って、ソーニャと同じペースで歩き出す。ソーニャは何も言わない。やすなが隣に居る事が日常となっている。本人には絶対言わないが、彼女が居ると嫌な事を忘れて、普通の女子高生として過ごす事が出来る。少なからず憧れていた日常。普通の女子高生。ソーニャと同い年の女子たちは、人を殺す事も無く、工作員として活動する事も無く、武器も持たずして平和な毎日を送っている。ソーニャには、それが出来ない。いや、許されなかった。

 

「あれ、ソーニャちゃんほっぺに何か着いてるよ? 泥かな?」

 

 やすながソーニャの頬に付着していた、黒い痕に触れようとする。ソーニャは一瞬何の事か分からなかったが、すぐにぞわりと思い当たる節があって、思わずやすなの手を振り払ってしまった。

 

「さ、触るな!」

「へっ!?」

 

 予想外の行動に、やすなは素で驚いた顔になり、ソーニャは獣の様な目つきになってしまい、すぐにそうなっている自分に気が付いてなんとか平常を取り戻す。

 

「あ、いや……すまない、何でもない」

「もー、びっくりした。今は仕事じゃないんだからそんなに警戒しなくてもいいじゃん」

「ああ……悪い」

 

 ソーニャは制服のポケットに入っていたティッシュを取り出し、頬に残っていた血痕を今度こそこすり落として息を吐く。神経質になりすぎている。やすなに、血で汚れて自分の顔を見られたくないと体が反応していた。

 

 やすなは少し不思議そうな顔をするが、ソーニャは気にせず歩き始める。やすなはなんだったのだろうと思ったが、次に頬に何か冷たい物が落ちてきて、その正体を確かめるために上を見上げると、ぽつり、ぽつりと雨が降り始めて来た。やがてその勢いは増し、小雨程度では済まない雨量がやすなとソーニャに降り注ぎ始めた。

 

「うわぁ、どうしよう!」

「ちっ、ついてないな」

 

 ソーニャはスポーツバッグを頭に乗せで一足先に走り出し、やすながそれを見て通学鞄を頭に載せながら追いかける。ソーニャが目指すのは恐らく目の前の鉄橋の下だろう。やすなはソーニャの意図を察知して、同じペースで走る。やがて鉄橋の下まで辿り着き、そのころには二人ともぐっしょりと服を濡らしてしまっていた。

 

「うぇぇ、もうずぶ濡れになっちゃったよ……」

「この時期の雨は厄介だな。冷たいし体温が無くなる」

 

 ソーニャは試しに外の様子を見るが、結構な量の雨が降っていた。この勢いだとピークが過ぎるのにそう時間はかからないが、それでも雨は降り続けるだろう。

 

「少しの間止みそうにない。仕方ないから弱くなったら濡れて帰るぞ」

「うう~、寒い……」

「この時期の雨だと、な」

 

 ソーニャは鉄橋のコンクリート部分に座るやすなの隣に座ると、少し憂鬱そうな溜息を吐いた。雨のせいで中のカッターシャツまでぐっしょりと濡れてしまい、下着にべたべたと張り付いて不快だった。恐らくやすなも同じだろう。

 

 ソーニャはブレザーを脱ぎ、カッターシャツの被害を確認する。主に肩から胸に掛けてがひどい有様だったが、腹部の浸水はどうにか避けられたようだ。どうやら下着も透けているようだが、暗いから分からないだろう。ソーニャはふむと鼻を鳴らしてコンクリートに背中を投げた。

 

「ヘックシっ! うーん寒い……」

「そうだな」

「ソーニャちゃんは寒くないの?」

「服の感触は不快だが寒さはどうってことは無い。-30度を経験したら何ともなくなる」

「冷蔵庫より寒いじゃん……」

「どちらかというと冷凍庫だ」

 

 ザーザーと、雨の降る音が耳に響く。やすなはあーあーとつまらなさそうに足をふらふらと動かし、背伸びをしてみたりしているが、ソーニャは相手にしない。タオルでもあればよかったのだが、持ち合わせていなかった。支給された装備品と一緒にヘリの中に置いて来た事を思い出す。

 

「止まないねー」

「そうだな」

「じゃあ暇だから指すまやろうよ!」

「やらない。というか知らない」

「うえー!? ソーニャちゃん誰もが学生時代に一度はやった事がある指すまを知らないなんてだっさーい!!」

「ふんっ!」

「あいだだだだだ!! ごめんなさい、指折れます、指すまできなくなります!!」

「分かってるなら人を馬鹿にすんな」

 

 逆方向に曲げようと親指を握っていた手を離し、やすなはふーふーと自分の指をさすり、突然「あ」と声を出した。

 

「ソーニャちゃん、私の家に来る?」

「ああ? どうしてそうなる」

「こんな雨じゃ濡れるだけだし、どうせ濡れるなら私の家に来て着替えたりする方がいいよ! というか泊って泊って!」

「断る。さっさと自分の家に帰る」

「あーん、待って待って! ここからなら私の家の方が近いし、それに明日学校休みだし、このまま帰ったらソーニャちゃん風邪ひいちゃうよ!」

「私は簡単に風邪なんて引かない」

「くそう、くそう! いつだったか私と一緒に風邪ひいて学校休んだ癖に!」

「あれはあれ、それはそれだ」

 

 あーだこーだと言うやすなを軽く受け流し、ソーニャは飽きるのを待つが一向に収まる気配が無かった。と言うかしつこくなってきた。ソーニャはだんまりを決め込もうとしたが、やすなが驚異的なしつこさを発揮し、我慢できそうになくなる。ひたすらソーニャの周りを変な顔しながら「家に来ようよー」や「来ないと損するよー」など、適当な言葉を並べてソーニャの気を引こうとする。これは服の濡れた感触よりも鬱陶しい。ソーニャはそう判断し、渋々やすなの提案を受け入れる姿勢を見せた。

 

「あー、分かった。分かったからいい加減にしろ」

「うわーい! ソーニャちゃんが私の家でお泊まりだ!」

 

 両手を上げて飛び跳ねるやすなだったが、ソーニャは実のところ途中で帰ろうと思っていた。適当なタイミングで勝手に帰ればいいだろう。そう決めていた。

 

「よし、早速我が家にご招待しよう! お母さんに電話するから待ってて!」

 

 懐から携帯電話を取り出し、数回ほどボタンを押しこんでやすなは自宅に電話を掛ける。後ろで数回ほどのやり取りをする声がして、意外と早く電話が終わり、そのやすなの顔は満面の笑みを浮かべていた。不覚にも、ソーニャはちょっとかわいいと思ってしまった。

 

「来てもいいって! ご飯用意するから食べて行って!」

「そこまで世話になるには……」

「いいのいいの! ソーニャちゃん焼きそばパンしか食べてないだろうから我が家の料理ご馳走してあげる!」

「どう言う意味だ」

「えー? だってソーニャちゃんお昼だいたい焼きそばパンじゃん」

 

 焼きそばパン以外も食べてる、と反論しようかと思ったが、ここ一週間の自分の昼食を思い出す。学校でも、任務中もストックしていた焼きそばパンだったのを思い出して反論できなくなり、ソーニャは黙ってしまった。

 やすなは、勝ったと確信し、ニヨニヨした表情になりながら追い打ちをかけた。

 

「ほぉーら、焼きそばパンじゃん?」

「うぐっ!」

「やーいやーい、焼きそば星人~!」

「てめぇ!」

 

 やすなは鞄を持って走り出し、ソーニャもそれを追いかける。雨はまだ降っていたが、やすなは気にせずに全力ダッシュで駆け抜ける。ソーニャはやすなを追いかけながら気にしてないのか天然なのかどっちなのだろうかと考えながら、まぁいいだろう。付き合ってやるとソーニャはそのままやすなを追いかけ続けた。

 

 今が楽しいと思っている自分の事は、見ない事にした。

 

 

 

 

「ただいまー」

 

 結局、雨の勢いは衰えぬままに折部家に到着した二人は、全身ずぶ濡れの状態で玄関へと掛け込んで、ようやく雨から逃げきれたと安堵した。まるで川に飛び込んだかのような濡れ具合である。ソーニャは、やすなによって池や川に落とされた事を思い出す。少し、本人を殴りたくなった。

 

「ちょっと部屋で待っててね。お風呂沸いてる思うから見てくるよ」

「ああ、分かった」

 

 部屋はそこの階段登った先だよ、と言い残し、やすなはリビングへと向かい母親に報告しに行く。ソーニャは靴下を脱いで、指定された階段を上る。その先に数個ほどドアがあるが、分かりやすく「やすなの部屋」とバカっぽい字で書かれて、なお且つ変な落書きまみれのプレートが下げられているドアを発見した。

 

 かちゃり、とドアノブをゆっくりまわして中を覗きこみ、スイッチを探して点灯。私物や洋服、ベッドの上に丸められたピョン助を見る限り、やすなの部屋で間違いないだろう。

 ソーニャは濡れた鞄を床に置き、どっと疲れが増して思わず座り込みたくなったが、濡れた服で座るのはいくらやすなの家でも気が引けた。それくらいのマナーくらい持っている。ソーニャは少しの間だけ部屋を見回し、それからすぐにやすなが部屋に入ってきた。

 

「お風呂の準備できてるってー。早く脱いで入って入ってー」

「ん、なら先に入らせてもらう」

「あれー? いつもなら遠慮するのに今日は素直だね」

「私だって女だ。こんな状態で乾くのを待つのは好きじゃない」

「乙女だね~、ソーニャちゃん乙女だね~。もしかして私の行いによってついに更生の兆しが!?」

 

 ニマニマとした顔でやすなはソーニャの周りにまとわりついて、ぐるぐると回転を始める。ソーニャはさすがに鬱陶しくなったから、ナイフ一つやすなに当てない程度に投げつけ、それはやすなの頭の上をかすめて壁に突き刺さった。

 

「うっほぉーい!!」

「避けるな」

「避けなかったら当たるじゃん! ああ、部屋の壁に穴が!」

「どうせ明日には消えている。不思議な力でな」

「なるほど! それならいいね!」

 

 かがくのちからってすげー! と、やすなは目をキラキラさせている一方で、ソーニャはそれを無視して、ブレザーを脱ぎ、部屋を出て脱衣所を目指す。後ろからやすなが、「一階に降りて右に曲がったらすぐだよー」と言い、ソーニャはその言葉通りに家を進むと、やすなの母親らしき人物に出会い、頭を下げて一礼。風呂を貸してくれる事に感謝の意を述べて、やすなの母親も「まぁまぁ、礼儀の正しい子ね~」とにこにこしていた。容姿はどことなくやすなに似ていて、素直に美人だと言う印象だった。

それから二、三言ほど質問に答え、最後の「一晩ゆっくりして行ってね」という言葉が少しばかり痛かった。風呂に入った後、やすなと入れ替わるタイミングで抜けだそうと思っていたからだ。

 

 そして、他人の好意を無駄にしようとして胸が痛んでいる自分にまた気が付いて、ソーニャは歯を噛みしめた。前までは全く関係なかったと言うのに。

 

 脱衣所に入り、やすなが入らないようにドアに鍵を掛けてまずネクタイをほどいて、次にシャツのボタンを上から順番に外す。シャツを脱ぎ、びっしょりと濡れた下着が露わになって、次にスカートのチャックを外した。そのタイミングで、脱衣所のドアがノックされた。

 

「ソーニャちゃーん、言い忘れてたけどこっちの脱衣所開けといてね、洗濯物洗えないからー」

「分かった。あと鍵外した瞬間ドアを開けて押し入ろうなんて考えるんじゃないぞ」

「…………テヘペロ☆」

 

 ゴンッ、とまたもナイフがドアに突き刺さり、やすなは「ひえー」と声を上げながらドタバタと走り逃げ、ソーニャは単純な奴めと思いながらスカートを降ろして、下着姿になる。

 脱いだ服を洗濯かごに放り込んで、次に髪を結んであるリボンをほどき、まとめられていた二つの髪の毛が美しいなびきを見せながら開放される。

 その際洗面所に備え付けられている鏡に自分の姿が映り、それを見つめる。鏡の中のソーニャは、じっと自分の姿を見つめている。映っているのは自分のはずなのに、自分じゃない気がする。まるで普通の人間を見ているかのようだった。

 

 殺し屋じゃない、自分の姿。普通の人間としてここに来ていたら、自分はどんな奴だったのだろうか。全く想像できない。もしかしたらやすなの様なバカっぽい女子高生になっていたのだろうかと考え、そんな馬鹿なと首を振る。

 

 ソーニャは、複雑な気持ちを紛らわすためにさっさとブラのホックに指を回して外し、貧相な胸が現れるがそれは見ない事にして、下着を全て脱いで洗濯かごに入れると、脱衣所の鍵を開けて今度こそ浴室へと入った。

 

 

 

 

 

 シャワーの熱いお湯が、ソーニャの体を撫でていく。雨で冷え切った体にはこれほどまでありがたい物は無いだろう。ソーニャは柄にも無く安心しきった息を吐いてしまう。シャンプーで髪の毛を洗い流し、次はボディソープを使おうかとお風呂を見回した、その時だった。

 

「イヤッフゥー! ソーニャちゃんのお背中流しに来たよー!」

 

 バンッ! と浴室の扉が勢い良く開かれ、中からバスタオル一枚のやすなが現れ、ソーニャは声にならない悲鳴を上げると同時に、ボディソープを発射し、勢いよく飛び出したそれはやすなの目に飛び込み、目を押さえてのたうちまわった。

 

「目が、目がぁあぁあ!!」

「てんめぇ、どこから入りやがった! じゃなくて、どうやって入りやがった!?」

「お風呂場なんて十円玉で鍵が開くものだよー……」

「だからって入ってくんじゃねーよ!」

「そんなこと言われても私だって寒いし、それに女同士だから気にしないでしょ? 銭湯にだって入ったし」

「そう言う問題じゃないっつーの……」

「じゃあどういう問題?」

 

 と、不思議そうな顔をするやすなを見て、ソーニャはすぐに答えようとして、そして答えが浮かんでこなかった。たぶん、この顔からすると何かを企んでいるという要素は薄いだろう。何かあるならそれなりに顔に出るからソーニャは知っていた。だから素で返答された時の対応が追い付かなく、変な間が空いてしまった。それを誤魔化すために、ソーニャはすぐに切り返しに入った。

 

「あれだ……お前の事だから何か企んでるんだろう。そうだ、そうに決まってる」

「えー、酷いよソーニャちゃん。普通に背中流してあげようと思ってたのに」

「前科が腐るほどあるからな。信用ならん」

「じゃあ私が何かしたらお風呂に沈めてもいいよ! 絶対だよ!」

「……言ったな。もし何かしたらその時は…………」

 

 バキボキと指の音が浴室に響き、やすなはガタガタと震え、「わかりましゅた……」と声を上ずらせながら返事をして、ソーニャは座り、やすなはボディソープを背中流し用のタオルに吹き付け、軽く泡立てるとそのままソーニャの背中に押しつけて、丁寧にこすり出した。

 

「いかがですかな、ソーニャちゃん」

「ん……まぁいいだろう」

 

 ほど良い力加減で、やすなはソーニャの背中を丁寧に洗い流していく。思っていたよりもまじめだったから、ソーニャは少し疑いすぎたかと思う。まったく、随分と丸くなってしまった考え方だ。ソーニャはため息を吐く。やすなの鼻歌が浴室に響く。

 

「ソーニャちゃんって、運動神経抜群な割にはあれだよね、体細いよね」

「そうか?」

「だって私と大差ないし、背中も普通に細いし。でも見た目からは想像できない力あるし」

 

 じっと、背中に視線を感じる。やすながソーニャの背中を見つめているのが分かった。私は見世物じゃないぞ。内心そう思うが、特に動きも無かったのでソーニャは好きにさせてやることにする。

 

「それに、胸も小さいし!」

 

 胸元が包まれる感触。むに、と言うような柔らかさで、しかしソーニャは突然の出来事に頭が一瞬硬直し、しかし自分が今何されているのかを認識した瞬間に、顔が一気に紅潮して悲鳴が上がり、遠心力のたっぷり乗った裏拳がやすなの顔面にクリーンヒットし、今度はやすなの悲鳴が浴室に響き渡った。

 

 

 

 

「きっさまぁ~!!」

 

 拳を握りしめ、怒りのあまり血管が浮きまくって丸で独立した怒りを持っているかのような状態、そしてソーニャ本人の怒り狂った表情に加え、圧倒的な圧力を持つ黒いオーラは、やすなを恐怖させた。

 

「ひぃいいいい!! ごめんなさい、つい!」

「ついで済むと思うんじゃねぇ!!」

 

 あと二十三発ほど殴りたかったが、あまり騒ぎ過ぎると折部一家にも迷惑だし、目立つ事をすれば厄介になりそうだったからそこはぐっと我慢する。しかし、よりにもよって胸をダイレクトに揉んでくるなんてなんて常識はずれな奴め。しかもあの一瞬で数回ほど揉みし抱かれたのだからなお屈辱である。

 

「いいか、今日はお前の家に居るってことで許してやる! だが、この精算は後日たっぷり支払ってもらうからな!!」

「は、はいぃいい! お手柔らかにお願いします!!」

 

 涙目にそういうやすなを見て、ソーニャは一旦許してやることに決めて湯船に入り、ちょうどいい湯加減で片足を入れただけで全身で浸かりたいという欲求に襲われ、しかし焦らずにゆっくりと肩まで体を沈めた。心地よい。まるで抱かれているかのようだ。ここ数日の任務、そして雨に濡れて疲れきった体を癒してくれた。

 

 隣ではやすながシャンプーを頭に吹っかけて、ゴシゴシと泡だてて鼻歌を歌っていた。どこかで聞いた事のある歌だ。どこで聞いたのだろう。少しだけ記憶の糸を手繰り寄せてみる。

 

「すーきよー、あなーたがー、こーろしたいほーどー」

 

 ああ、今テレビでよくやっているダンスの歌だったかと思い出す。確か前にやすながそれを踊って、頭を床にぶつけて失神した事があった。思いの外打ち所が悪くて、しばらく起きなくなってしまった。ようやく起きた時には多少馬鹿が治っているかと思ったが、第一声が「ワレワレハ ウチュウジンダ」だったから悪化したなとソーニャは呆れ、取り合えす殴っておいた。

 

 やすながシャンプーを洗い流し、頭を振って水滴を飛ばす。シャワーのお湯を止めて、やすなはソーニャに詰めるように言って少し強引に足を引っ込めさせ、そのまま湯船の中にへと半ば飛び込む形で湯船に入った。

 

「おい、狭いだろ! 無理矢理入ってくるな!」

「えー、二人で入った方があったかいし楽しいじゃんかー」

「なんで私がお前と風呂に入らないといけないんだよ」

「銭湯じゃ一緒だったじゃん」

「狭いって言ってるんだ! もういい、私は上がるぞ」

「あーん待ってよ、一緒に入った方が楽しいし、今上がっても部屋で私が帰るまで寂しく待つことになるよ!」

「構わん」

「ほらほら、あひるさんも浮かべるし、水鉄砲もあるよ!」

「いらん。子供じゃあるまいし」

 

 と言うか、さっさと上がって帰るつもりだった。しかし、案の定やすなは食いついてくる。これはもう素直に帰る意思を見せた方が早いかもしれないと、ソーニャは結論付けた。

 

「どうせ上がったら帰るつもりだ。だからもう出る」

「ふっふっふ……帰れるものなら帰ってみなさい!」

「ああ?」

 

 だが、やすなの反応はソーニャの予想していた物とは違う形で帰って来た。不敵な笑みを浮かべて、まるで勝ち誇ったかのような顔でソーニャを見ていた。また何か企んでいるのか。どうせくだらない手段だからどうという事は無いと、ソーニャは余裕の返事をする。

 

「お前に私が止められると思っているのか?」

「ふっふっふ……私が止める必要は無いのだよ」

「?」

「ソーニャちゃんの着替え、全部洗濯機の中に突っ込んじゃってます!」

「あっ!!」

 

 しまった、とソーニャはようやく気が付いた。まったくもっと考えれば分かった事なのにこんな簡単な手に引っかかるなんて不覚だった。

 急いで浴室のドアを開けてみれば、洗濯かごの中に入れた自分の衣服が跡形もなく消えていて、そして洗濯機が全力運転で回っていた。時既に遅し。代わりに、やすなの物と思われる衣服が二着分置かれていた。しかも兎プリントの。

 

「ふっふっふ、遅かったねソーニャちゃん! 私の勝ちだよ!」

「くっそう……羽目やがったな!」

「帰るなら帰ってもいいんだよぉ~? 自分の制服置いて帰ってもいいんだよぉ~? 殺し屋さんが自分の証拠品を置いていくなんて真似できないでしょ~?」

 

 その通りである。ナイフは抜いておいたとは言え、自分の持ち物を置いていくなんてしたくなかった。変なところで賢くなる奴め。ソーニャは変なところで驚異的な知能を発揮するやすなに呆れた。こんな変なところで頭が回るなら、普段の生活に活用すればもう少しましになっただろうに。

 

「ほらほら~、もう泊るしかないよ? 私の家乾燥機なんてないから自然乾燥だよ? しかも雨だから部屋干し、一晩で乾くかどうかも怪しい!!」

「貴様……覚えてろよ……」

 

 ソーニャはため息を吐きながらドアを閉めて、少しばかり冷えた体を温めるためにもう一度湯船の中に入る。やすなは、素直に足を引っ込めてソーニャが入りやすいようにする。

 

「まぁまぁ、たまにはゆっくりしてもいいじゃんか。仕事終わったんでしょ?」

「……まぁ、そうだが」

「休息も大事!」

「…………分かったよ。今回だけだぞ」

 

 やすなにしてはまともな事を言われ、ソーニャは仕方なくやすなの意見を受け入れる事にした。やすなの言う通りにするのは少し負けた気がするが、たまには違った事をするのもいいだろう。

 

「ふへへ~、私の勝ちだね!」

「別に勝負してないだろ」

「でも私に正論言われて負けた気がしてるでしょ!」

「…………ちっ」

「完全勝利!!」

 

 やすなは腕を高らかに上げ、なぜか用意してあった防水レコーダーの再生ボタンを押して、例のごとく完全勝利した折部やすなUCのBGMが流れ出す。なぜそんな物がある、とソーニャはもう突っ込まないことにした。

 

 ひとしきりBGMが流れた所で停止ボタンを押して、やすなはまた湯船につかる。次に水鉄砲に水を入れて、適当に狙いをつけて一発発射。置いてあったシャンプーボトルに命中し、やすなは「おお!」と歓声を上げた。

 

「見てみて! 私射撃の才能があるかも!」

「まぐれだろ」

「そんなことない! はっ、そうか。私のダーツの才能は実際には射撃の才能だったんだ!」

「またか」

「ソーニャちゃん、適当に物飛ばしてみて! 打ち落として見せる!」

「ほれ」

 

 ソーニャは湯船に浮かべてあったあひるさんを放り投げて、やすなはそれに狙いをつけてトリガーを引く。空気圧により発射された水の弾丸は浴室の湯気を切り裂き、上昇から自由落下を始めたあひるさんの脇をすり抜けて、壁に命中。あひるさんはそのまま自由落下を続けて、湯船の水面に叩きつけられた。

 

「ダメじゃないか」

「くそぅ、くそぅ! 水鉄砲が悪いんだ、もっと正確な射撃能力がある奴じゃないと話にならない!」

「貸せ」

 

 さっきそれを使って射撃の才能どうこうと言ったじゃないか。ソーニャが右手を出して水鉄砲を要求する。やすなは素直にそれを手渡し、期待の眼差しでソーニャを見つめる。やすながあひるさんを再び放り投げ、ソーニャは申し訳程度の照準機と、湯気による大気の抵抗、水の発射角度と飛距離を計算し、ベストポジションに固定。トリガーを複数回引き絞り、その全ての一撃が落下を始めるあひるさんに命中し、落着地点が変更される。

 

 そして全弾命中の後、あひるさんはやすなの顔面へとタッチダウンし、同時に「ごふぅ!!」と言う呻き声が聞こえた。

 

「あ、すまん」

「うえーん、ソーニャちゃんがあひるさんで私をいじめたーー!!」

「わざとじゃないって……悪かったよ」

 

 ソーニャは少しばつの悪そうな顔になる。やすなもそれを見て、思いの外素直に謝ったソーニャを見て少しやりすぎただろうかと思い、少しだけ戸惑い、あわあわと手を動かして、やがて停止した。

 

 天井にたまった水滴が、一滴浴槽に落ちて、その音が浴室に響いた。変な間が開いて、少しそれがおかしくなってまずやすなが「あははは」と笑いだし、ソーニャも釣られて「フフフ」と笑いだす。二人の声はしばらくの間浴室内を反射して、まるで二人以上の人間が笑っているかのようになっていた。

 

 

 

 

「美味い……」

 

 風呂から上がり、やすなの部屋で用意されていた夕食を一口食べて、ソーニャを素直にそう呟いていた。それを見たやすなは満足そうに笑顔になって、「そーでしょそーでしょ」と自分も用意されたハンバーグを頬張り、箸を持つ手を高らかに上げて「うんまい!」と叫んだ。

 

「お前のリアクションはオーバーだ」

「美味しい物にはそれ相応のリアクションをする物だよソーニャちゃん!」

 

 だからほらほら、と機体の眼差しが掛るも、ソーニャはそのやすなの顔を見続けるだけでもう一口ご飯を口に入れる。やすなはまた数秒ほど待ってみたが、全く反応せずに黙々とご飯を口にするソーニャを見てやはり無駄だったかと落胆のため息を吐きながら自分も食事を再開する。

 

「ところで、ソーニャちゃん手いつもどんな晩御飯食べてるの?」

「基本コンビニ弁当とか、外食。それに加えてカ○リーメイトとか、サプリメントだ」

「えー!? そんなの女子高生の食べるご飯じゃないよ、体壊しちゃうよ!」

「私は女子高生以前に殺し屋なのだが」

「関係ないの! 女子高生としての身分があるなら世間から見たら女子高生なの! ソーニャちゃんは女子高生、はいこれ世界の心理!」

「意味が分からん」

 

 だが、人の作る料理は確かに温かみがあり、コンビニ弁当独特の風味の全くない天然その物のハンバーグと言う物は、味覚に絶大な衝撃を与え、ソーニャを唸らせる。表には出さないが。

 

「うーん、美味しかった!」

「うむ、御馳走さまだ」

 

 ぽんぽんとお腹を叩いてやすなは満足な顔になる。ソーニャも久しぶりに美味い飯が食えたと満足する。

 

「どうどう? お母さんの料理美味しかったでしょ!」

「まぁな」

「ソーニャちゃんが私と結婚したら、お母さん譲りのこのご飯が食べ放題だよ!」

「誰が結婚するか」

「結婚しよ」

「殴るぞ」

 

 ぶーぶー、とやすなは抗議の顔になるが、ソーニャはナイフをきらりとちらつかせ、本人両手を上げて降伏し、鎮圧完了。その後にやすなが食器を重ねて、片付けて来ると言って部屋を出ていった。また、ソーニャだけが部屋に残される。やたらと静かだ。あのにぎやかな奴がいなければ、本人の部屋もここまで静かになってしまうのかとソーニャは少し寂しい物だと思った。

 

 ふと、やすなのベッドに目が行く。ごく一般的な木製ベッド。だが、今のソーニャには少しばかり厄介な誘惑であった。任務の疲労で、少なからず睡魔を感じていた。

 

 じっとやすなのベッドを見つめる。心なしか布団がおいでおいでしているように見えてしまう。膝を床に付き、ソーニャは上半身だけをベッドの上に乗せてみる。ギシ、と軽くベッドがきしむ音。意外とふかふかで、疲れているソーニャの体を優しく包み込む。

 

 ベッドの布団から、ほのかに人の温もりと人の匂いを感じる。やすなの匂いだろう。今この部屋に誰も居ない。だが、ここには誰かが居たと言う確かな証拠がある。人の香りと言う物は、人を安心させる一種の薬なのかもしれない。ソーニャは、思いの外落ち着いている自分に気づく。だが、悪くは無い。しかし、次の瞬間に猛烈に嫌な予感がして体が跳ね上がる。

 

 そして、恐る恐る後ろを振り返る。そこには…………。

 

 誰も居なかった。ソーニャはほうと安心のため息を吐く。こんな所やすなに見られでもしたらバカにされるに決まっている。バカにしにきて、なお且つ冷やかしに来るだろう。そうなったら鬱陶しい事この上ない。

 

「ただいまー。あれ、何してるのソーニャちゃん?」

「いや、ベッドに座ろうとしたらお前が来ただけだ」

 

 ソーニャは平静を保ち、微妙なタイミングでやすなが帰ってきたから少し対応に困った、と言う顔をする。やすなはをれを見て「ああ、そういう時って気まずいよねー」と納得し、持ってきた缶ジュースを渡した。

 

 二人は缶のプルタブを開け、やすながジュースを差し出して、「ん」と言う。ソーニャは一瞬何の意図があるのか分からなかったが、ああ、そう言う事かと軽く缶をぶつけて乾杯した。

 

「で、何の意味が合ったんだ?」

「えへへ~、ソーニャちゃんが初めて私の家にお泊まりに来た記念だよ」

「意味が分からん」

 

 ぐい、とソーニャは一口飲む。レモン味の炭酸が喉を駆け下りて、その刺激が心地よくてほっと一息吐き、やすなは「ぷはぁー!!」とおっさんみたいな声を出し、高らかに缶を持つ手を振り上げて全身で表現していた。

 

「あ、お菓子もあるよー。さきいかに、さけるチーズに、チーズかまぼこ!」

「酒のつまみばかりじゃないか……」

「意外と行けるよ~、さぁ食べよう食べよう!」

 

 袋を片端から開け、更にその全てを転がしてやすなはさきいかを摘んで頬張り、ソーニャもさけるチーズを手に取り、千切って口に入れる。その次に缶ジュースを口に入れて飲みこむ。ふむ、やたらと合う。案外いけるかもしれない。

 

「んー、うまうま。ソーニャちゃんどぅ~?」

「普通に美味いが、なんたってこんな物用意してるんだ」

「最近ハマってるの! 夜食にお酒のつまみに加えてジュース! たまにノンアルコールのチューハイで飲んだりするよ、大人でしょ!」

「ノンアルコールのチューハイって、つまりジュースじゃないか」

「チューハイって書いてるからチューハイなの!」

「分類上は炭酸ジュースだ。缶の裏にも書いてるだろ」

「くそぅ、くそぅ! こう言うのは気分が大事なんだよ、大人になる為の気分が!」

「こう言う風に酒を飲む真似事をしている時点で子供だと思うが」

 

 やすなは完全に論破され、また「くそぅ、くそぅ」と悔しがる。ソーニャはガキめ、と缶ジュースを口に入れる。やすなもヤケ酒だー、と一気に缶の中身を腹に注ぐ。

 

「ところで、お前はどうしてあんなところで寝てたんだ?」

「ふえ? あんな所って?」

「桜の木の下だ。普通あんなところで寝ないだろ」

「んあー、あれね、ソーニャちゃん居なくてつまんなかったから寝てたの」

 

 バカだこいつ。ソーニャは真っ先にそう思った。いやバカなのは今に始まった事ではないが、何が好きで自分が居ないからと、あんなところで寝るのかとソーニャは呆れに呆れた。

 

「バカだな、お前……」

「バカって言うなぁーっ! 私は天下の美少女折部やすなであるぞ!」

「分かった、分かったからひっつくな」

 

 べたべたと飛びつこうとするやすなを、ソーニャは片手で押えて制止する。やたらと絡んでくる。一発殴ってやりたいのだが、いかんせんやすなの家であるため、むやみにそんな事をする訳にはいかない。いや、あまりにしつこいようだったらやるだろうが、この程度で手を出す必要性を感じはしなかった。

 

 ああ、そうだな。甘くなってしまったなとソーニャは不意に気が付く。前ならこんなこと思わなかったのに。それもこれも、きっとこいつのせいなのだとソーニャは作戦に失敗し、しょんぼりとするやすなを見てそう思った。

 

「そーいえばソーニャちゃんは何であんなとこに居たの~?」

「仕事の帰りだって言っただろ。実際もう少し遅くなる予定だったらしいが、少し早めに終わってな。帰り道を歩いていたらお前を見つけただけだ」

「うぇへへ~、私の愛の力がソーニャちゃんを引き寄せたんだね!」

「んな訳あるか」

 

 全く、とソーニャはまた摘みを口に入れる。やすなもそれに釣られて、あーんとチーズかまぼこを口に入れて、うまうまと飲みこむ。

 

「仕事ねー、ソーニャちゃんのお仕事ねー」

「何だよ」

「お仕事って、殺し屋だもんねー、ひっく。危ないって言ったのに~」

「無理に抜けようとすると、秘密保持のために消されるからな。怪我でもして諜報員にでもならない限りは無理だ」

「じゃあさ、うっく。どうすればいいのさ……」

「ああ?」

 

 と、ソーニャはやすなの様子がおかしい事に気がついた。何かさっきからやたらとしゃっくりしている。まあそれはあまり気にはしていなかったが、心なしかろれつが回っていないように感じて、やすなの顔を見てみると、少しばかり紅潮していた。まさかと思ったが、その前にやすなが突然声を張り上げてソーニャにすがりついた。

 

「じゃあ私どうすればいいの……ソーニャちゃんはどうやったら殺し屋を辞められるの!? 続けても危なくて、止めようとしても危ないなんて、どうしようもないじゃん!!」

「ちょ、やすな落ち着け!」

 

 明らかにいつもと違うやすなに、ソーニャは動揺し、その動揺が災いしてやすながソーニャの肩を掴み、その目にはうっすらと涙を浮かべていた。ソーニャはその涙を見て、何か胸の奥が締め付けられるような感じがして、防衛行動起こす為の反射神経もやすなに語りかける為の声帯に続く神経も閉鎖され、アクションを起こす事が出来なくなっていた。

 

「分かんないよ、私分かんないよ! いつソーニャちゃんが帰って来なくなるのかが恐いよ! 学校に行っても居ない、話しかけてもいない、一人で食べるお昼ご飯はなんだか美味しくないし、一人で遊んでもつまらない、帰り道も一人なんて寂しいよ……このままずっと一人だったらって、ソーニャちゃんと二度と会えなくなったらどうしようって、私恐いよ!」

「やすな…………」

「だからぁ……居なくならないでずっと居てよぉ……殺し屋なんて、危ないよぉ……」

 

 そこまで言って、やすなは声が出なくなり、その代わりに嗚咽が漏れ始めてやすなは大人しくなった。ソーニャはその隙にやすなの飲んでいた缶を手に取り、目を通すと、やすなのだけノンアルコールではなく、紛れもない本物のお酒だった。

 一体どうして本物のお酒なんて飲んだのか。いや、もしかしたらノンアルコールの隣にあった本物を間違えて取って来てしまったのかもしれない。だが、それだとレジで止められそうなのだが。しかし、真相などソーニャに知る由も無かった。

 

 酒のせいで聞いてしまった、やすなの本音。ソーニャは何とも複雑な気分になってしまう。これで軽くスルーできなくなっている自分にも、複雑な気分になる。ソーニャはため息を吐いて、あまりやすなを刺激しないように頭をぽんぽんと叩いてやる。それが功を奏したのか、やすなはそのまま何も喋ることなく、いつの間にか寝息を立ててソーニャの胸の中で眠っていた。

 

「ったく、手間かけさせやがって……」

 

 まぁ、これはこれでいい。あまり絡まれるよりも素直に眠った方がありがたい。ソーニャはやすなを抱え上げると、そのままベッドに乗せ、布団を首まで被せてやると、自分は床に座って背中をベッドに預けて、携帯を開く。特に新着は無く、ソーニャはそのまま携帯を閉じて学生鞄を手に取り、ナイフ類のチェックをする。ちゃんといつも通りの本数だ。雨のせいで少し濡れていたから、少しばかり手入れをする。

 

 ナイフを磨き、錆つかないようにと丁寧にこすり上げる。磨き上げたナイフはきらりと部屋の照明を反射させ、その刃はソーニャの顔を映し出す。その刃に映るソーニャの顔は、殺し屋ではない悩む一人の乙女の顔をしていた。その顔を見て驚いたのは、紛れもないソーニャ本人だった。

 

(私は、こんな表情になれるんだな……)

 

 それが嬉しく、そして嫌だった。殺し屋として生きる自分と、普通の人間として生きて痛いと思う自分。その二つがぶつかって、火花を散らす。その火花はソーニャの感情に降り注ぎ、「複雑」と言う表情を作らせる。ソーニャはナイフに映る自分の姿を見るのが嫌になって、一本目にしてナイフ磨きを辞めた。その代わり、せめてもの応急処置としてティッシュで水滴を取るぐらいはしておいた。

 

 またベッドに体重を掛け、ソーニャは天井を見上げる。何もない天井。やすなの部屋の天井。意味は無い。ただ、どうも重苦しかった。酒は人に本音を言わせるとは聞いていたが、あれがやすなの本音なのだろうか。正直ソーニャはここまで自分の事を想われているとは予想外だった。

 いつも関節を外したり、殴ったりナイフを投げたり、鬱陶しい度にそれなりに痛い目にあわせて来たのに、それでもこのバカは後ろを着いて来て、いつも一緒に帰っていた。そして、いつしかそれが自分の日常になっている事に、ある日ソーニャは気付いた。

 

 たまに、考える事はあった。もし自分が死んだらどうなるか。昔こそ組織に適当な処理をされ、新しい人材が送り込まれるであろう。それでいい、と思っていた。

 だが、今となっては、一番の気がかりがやすなだった。自分が殺されたと知ったら、彼女はどう思うか。たぶん信じない、と言うだろう。それでも、あぎりがたぶん真面目な顔をして教えるだろう。そうしたらどうなるか。

 

 自分の事をさっさと忘れて、他の奴とつるむのか。それならいい。殺し屋である自分の事はさっさと忘れるべきなのだ。だが、やすなのことだ。死んでも鬱陶しく付いてくるに違いない。墓の場所だけは絶対に教えないでおこう。ソーニャは密かにそう誓う。

 

「!」

 

 突然、携帯のバイブが鳴った。着信である。ソーニャは画面を開いて誰からの着信かを確認すると、画面には『呉織あぎり』と表示されていた。ソーニャはなぜこのタイミングで、と思いながら通話ボタンを押しこみ、スピーカーを耳に当てた。

 

「なんだ、あぎり」

『あ、どうも夜分にこんばんは~、あぎりです』

「分かっている。用件はなんだ?」

『いえいえ、任務が終わったそうなので、労いの言葉を~』

「そりゃどうも。じゃあ切るぞ」

『ああ、せっかちさん~。今やすなちゃんの家ですよね~?』

「…………それがどうした」

 

 まったく、この忍者の情報力は一体どうなっているんだ。ソーニャはつくづくそう思う。いくらか耐性は付いてきたが、これはどう考えても発信機か盗聴機、監視カメラを仕込んでいるとしか思えないような正確さだ。忍術(?)恐るべし。

 

『いえいえ、特に意味はありませんよ~? 冷やかしです』

「切るぞ」

『冗談ですよ~。ただ、一言だけです。あまりやすなちゃんを泣かせちゃダメですよ、ソーニャ?』「…………おい、お前は盗聴でもしてるのか?」

『それは~、秘密です。ではまた~』

 

 そう言うと、あぎりの方から通話が切られて、ソーニャは何なんだと切られた画面を見つめ、首を振って携帯電話を閉じて、置いてあったクッションに向けて投げた。

 

 その時ぎゅ、とソーニャの肩の服を摘む感触がした。首を曲げてみれば、やすながうっすらと目を開けてソーニャの事を見ていた。また絡まれるだろうか。そう思ったが、ソーニャが聞いたやすなの声は、思いの外か細く、弱々しい物だった。

 

「ごめん、ソーニャちゃん……ちょっとおかしかった」

 

 そう言うやすなの顔は、相変わらず赤く染まっており、心なしか苦しそうな表情になっていた。当然と言えば当然だろう。未成年なのに酒なんて飲んだら、頭が痛くなる。まぁ、やすななら関係なく動き回りそうだったが、酔いのせいもあるのか大人しかった。

 

「……気にするな。と言うか、何で酒なんて飲むんだよ」

「たぶん……間違えたと思う」

 

 やっぱりか、とソーニャは呆れる。やすなはえへへと、いつも通りのキャラを演じるが、どうも調子が悪いのかすぐに疲れたような顔になり、力なくベッドに倒れ込む。ソーニャは寝てろと促し、やすなはそれに従った。

 

「まったく、ここまでバカとは呆れてものも言えないぞ」

「えへへ……ドジっ子属性かわいいでしょ」

「お前の場合はバカ以外当てはまらん」

「え~……酷いよ、ソーニャちゃん」

 

 辛そうにはしても、口数の減らない奴だった。これもまた彼女なりのプライドなのだろうか。こんな所に変なプライドを使うなら、もっと違う所に使った方が役に立つだろと思う。

 

「いいから寝てろ。今喋ると頭に響くぞ」

「だいじょぉぶ~。今私の頭の中サンバカーニバルで大きく揺れてるからぁ」

「それ大丈夫じゃないだろ。いいから寝ろ」

「じゃあソーニャちゃんも一緒がいいなー」

 

 なんでそうなる。ソーニャは素でそう言いかけて、寂しそうな顔をしているやすなを見て、それが言えなくなった。ここで断ったらまた面倒な事になるのは明白だった。まったく、今日はやすなに振り回されてばかりだ。ソーニャは大きく、今日何度目か分からないため息を吐いて了承した。

 

「分かったよ。今日だけだぞ」

「ソーニャちゃん、やっさしぃ~」

「一緒に寝てやるからもうしゃべるな」

 

 時計を見ると、寝るにはほんの少しばかり寝るには早い時間だった。まぁいい、起きたら起きたで適当に時間を潰そう。やすなが眠ればそれでいいのだから。

 

 やすなの用意していたもう一つの枕をベッドに置き、ソーニャは布団に入る。やすなの体温によって少し温かくなっていた布団は、ソーニャを拒否することなく受け入れ、二人分の体温でまた温かくなる。それを見てやすなは「えへへ」と満足そうな顔になり、ソーニャは取りあえず落ち着いてくれた事に安堵した。

 

「ソーニャちゃんあったかい~」

 

 ぎゅ、とやすなは手を握り、ソーニャはされるがままにしてやる。我慢だ我慢、ここで拒否したら何が起きるか分からない。どうせ酔っ払っているのだから記憶なんて曖昧になる。残っていたらあぎりから天然由来成分の記憶消去薬を譲ってもらおう。

 

「あまりひっ着くな、酒臭いぞ」

「私ってば大人~」

「聞いてるのかよ……」

「大人の色気ぜんかい~」

 

 ダメだこりゃ。まったくソーニャの言葉が耳に入っていない。訳の分からない事ばかり話して、会話がキャッチボール状態になっている。適当に受け流すのが一番だろう。

 

「きついなら寝ろ。ちゃんといてやるから」

「ウェヒヒ~、ソーニャちゃんと初夜」

「誤解を招くような言い方するんじゃない……」

 

 どうやらやすなは酔うと絡み上戸になるらしい。ただでさえ鬱陶しいのにそれに磨きが掛るとなると、ソーニャでさえも抑えられそうにない気がしてきた。一発殴って気絶させたらいいかもしれないが、そんな気は起きなかった。

 

「……やすな、お前はいつもあんな事を思っていたのか?」

「んにゃ~?」

「…………いや、何でもない」

 

 ソーニャはやすなに背を向けて寝ようと体制を変えようとして、しかしまたもやすなに肩を軽く掴まれてしまい、体半分くらい背を向けた状態で制止される。今度はなんだ、と思うもすぐにやすなが口を開いた。

 

「私ね、本当に寂しかったんだよ。ソーニャちゃんと会う前でも、十分楽しかった。でもね、ソーニャちゃんと会って、二人で遊んだり、ご飯食べたりしているとすっごく楽しいんだ」

 

 やすなの手はいつしかソーニャの手を握りしめ、一言一言口にするたびに握る力が増していく。それが何を意味しているのか、ソーニャにはなんとなく察しが付いた。

 

「時々危ない目に遭ったりもするけど、それでも楽しかった。それで、ソーニャちゃんが仕事で居なくなると、急に楽しくなくなるの。一人で居るとつまらなくなるくらいに、私はソーニャちゃんと一緒に居る事が大事になってたんだよ。だから…………」

 

 やすなは、その次に続く言葉を言おうとはしなかった。行ったらたぶん、また声を荒げてしまうかもしれなかったからだ。ソーニャはそれを察して、手を握るやすなの手を握り返してやる。やすなの体が、軽く跳ね上がる気配した。

 

「…………今から言うのは独り言だ。あるいは寝言だ、いいな」

「……うん」

「私は今まで殺し屋として生きて来た。組織から任務を通達されて、世界中を飛び回って依頼を受けて来た。いろんな事をやって、感情なんてとっくに無くなっていたんだ。例えるなら、真っ白な何もない部屋だ。ある日、私はそれなりに裏の世界で噂されるようになって、偽装を兼ねて女子高生として今の学校にやってきた。最初の印象は、なんてバカな奴らなんだと思った」

 

 今まで修羅場なんて腐るほど見て来たソーニャだった。普通の人間が見たら二度と立ち直れないような死に様を見てきて、そして自分が手を下した事もあった。飛び散る血液、響く絶叫、呻き、断末魔。飛び散る血は体に降り注ぎ、ソーニャを赤く染めていく。ソーニャは、そんな敵の刺客を、そしてそれを行う自分を何度も見て来た。

 そんなソーニャからして見れば、毎日教室で騒ぎたてる自分と同年代の高校生と言う物は、世間知らずの馬鹿どもの集まり、と言う認識しかなかった。本当にこんな子供の集まりが自分と同年代なのだろうか。

 

 そして、その中に一際鬱陶しく、そしてしつこくてバカな奴が居た。こいつと出会ってしまったのが運の尽きだったのだろう。その女子高生の名前は、折部やすな。

 

 やすなと出会ってから、毎日が激変した。常に自分以外の誰かが居て、しつこく付いてくる。いくら追い払っても、いくら脅しても、めげずに付いてくる。自分が殺し屋だと言う身分を明かしても大笑いし、その証拠を見せ付けても変わらずに接してきた。ソーニャにとって、これほどイレギュラーな存在は初めてだった。

 

 そして、今まで例えるなら何もない真っ白な部屋の中に、ひとつ、またひとつと物が増えていき、窓が付けられ、壁の色が変わり、一つの癒しの空間が出来るような、そんな感じでソーニャの心の中は豊かになっていった。

 

「でも、それを否定する自分も居たんだ。私は殺し屋。こんな物は必要ないんだって。だから私はその部屋を出て、鍵を掛けた。もう入らないように。それでも、部屋の中の物はまた増えていくんだ。いつの間にか部屋に入りきらなくなって、ドアが壊れそうになっていたんだ。それでも私はそれを見ないようにしていた。けど」

 

 もう、無視する事が出来ないほどに、ソーニャの部屋はやすなで満たされていた。その部屋をまた開けたい。それはつまり、普通の人間として生きたいと思っている自分を素直に認めると言うことになる。だが、そんな事をしてしまえば、今まで感情なく行ってきた自分の行動が恐ろしくなり、殺し屋として失格になってしまう。そんなことになれば、組織から消される。どうすればいいのか、自分はいったいどうすればいいのか分からなくなっていた。

 

「無視し続ければ、私はいつか壊れてしまうかもしれない。けど、開けてしまっても、殺し屋としての自分を殺すことになるかもしれない。そうしたら、私は消される。もうどうしたらいいのか分からないんだ」

 

 言ってしまった。ソーニャは、やすなに自分の本音をついに打ち明けてしまったと言う何とも言葉に出来ない、安堵と緊張と不安が混じった物が雪崩れ込んでくる。どんな反応をされるのだろうか。笑い飛ばされるのか、親身になって答えてくれるのか、やすなには難しすぎる問題だったのか。それはやすなが答えないと分からないことだった。

 

 しかし、いつまでたっても返事が来ない。ソーニャは長く考えてるのかと思ったが、よく聞いてみると、やすなの寝息が聞こえ、まさかと思って振り向いてみれば、やすなは既に深い眠りについていた。

 

「…………おい」

 

 流石にちょっと頭にきた。ソーニャは流石に一発殴ろうかと思って拳を作る。が、次にやすなの放った一言で、全ての怒りが鎮静化されてしまった。

 

「ん~……だいじょうぶだよ、そーにゃちゃん……」

 

 大丈夫。確かに、やすなはそう言った。ただ単純な一言なのだが、そう言ったやすなの顔は本当に無防備な寝顔を見せていて、真剣に悩んでいる自分が少しバカバカしくなってきた。やすなみたいに頭が空っぽになれば、こんな事で悩む必要なんてないのだろうか。

 

 ソーニャは、作った拳を崩し、自分も眠る為に布団を少し深く被る。やすなの手は握ったままだ。今日は許してやろう。

 

 これからどうしようか。恐らく自分の心の限界が来てしまうのは時間の問題かもしれない。だが、まだ時間はある。いつかこの破裂しそうな自分の部屋を開けて、少し中身を整理しよう。そうだ、こんな風に部屋でいっぱいになったのはやすなのせいだ。それならやすなにも付き合ってもらおう。縛り付けてでも、だ。

 

 ソーニャはそう思い、小さく言った。

 

「……ありがとうな、やすな」

 

 

 

 

 朝。ソーニャが目覚めたのは夜明け前だった。思っていたよりも長く眠っていたようだ。しかも、やたらと目覚めがいい。こんなのでは敵に襲われてしまえば、対応が遅れてしまうなと思い、布団から抜け出そうとする。が、いつの間にかやすながソーニャに抱きつくような形になっていて、少々身動きが取れない状態になっていた。

 

 強引に動かすのは少し気が引けるが、致し方ないとソーニャは腕、足と絡みついたやすなの五体をほどいて、布団から抜け出す。窓の外を見ると、うっすらと東の空が明るくなっていた。

 

 やすなの部屋を出て、一階に降りる。脱衣所には部屋干しされたソーニャの制服が掛けられており、触れてみるとまだ若干湿ってはいたが、着る分には問題ない程度にまで渇いていた。ハンガーから制服を降ろし、またやすなの部屋に戻る。カッターシャツを着込み、服に入り込んだ長い髪の毛を出して、スカートを着る。

 

 次にネクタイを締めて、髪の毛を結ぶためのリボンを取り出す。手近にあったくしで髪の毛を梳かして、鏡に映る自分を見ながら髪の毛を結ぶ。まず右片方、そして左片方。いつものツインテールのソーニャになる。

 鞄を開けて、ナイフがちゃんとあるかチェックする。問題無し。鞄を閉めて、ブレザーに袖を通してボタンを閉める。

 

 ちらりと、やすなの方を見てみる。相変わらず寝息を立てていて、起きる様子は無かった。まぁいい、起きないうちにメールで一言帰った事を教えておけばいいだろう。ソーニャはソックスを履いて、最後にもう一度やすなの顔を見る。今度は枕元まで近づき、間近にやすなの寝顔を見る。

 

 昨日考えていた事が、少しだけすっきりしていた。やすなに話したころによって、少なからず軽くなったのだろう。少々癪な気がするが何、今日は素直に感謝しよう。ソーニャは、そっとやすなに顔を近づけて、聞こえない程度に言った。

 

「спасибо, ясуна」

 

 そう言うと、ソーニャはやすなの頬に軽く口づけた。らしからぬ行為だが、いいだろう。どうせ寝ている。起きていたら記憶を消し飛ばしてやる。だから、覚悟しておけ。

 

 部屋を出て、音をたてないように階段を降り、玄関まで辿り着く。まだ誰も起きていない。好都合だと、ソーニャは靴を履いて玄関のカギを開けて、外へと出る。朝の冷たい空気がソーニャの顔に突き刺さり、少しだけ顔をしかめてしまう。息が白い。朝方はもうこんなに寒くなっていたのか。

 

 ドアをゆっくりと閉めて、門へと向けて歩き出す。庭に居るやすなの飼い犬、ちくわとちくわぶが起きて、ソーニャの事を見つめる。すこしぎょっとしたが、つまらなさそうに欠伸をして、二匹はまた眠る。

 

 ほっとして、門を開けてやすな家の敷地外へと出る。雀の泣き声が聞こえ始め、今まさに朝日が昇ろうとしていた。住宅街の道路を歩きだし、足を自分の家の方に向ける。と、その時だった。

 

「ソーニャちゃん!」

 

 やすなの声だった。やすな家の二階を見てみると、窓を開けてやすながソーニャの事を見降ろしていた。起きてしまったか。変なところで起きる奴だ。ソーニャは内心思いながら、やすなを見る。

 

「なんだ?」

「えっとね……」

 

 少しだけやすなは目を泳がせて、言いにくそうにしている。心なしか顔色もまだあまりよくない気がした、二日酔いだろう。ソーニャは一言。

 

「今日は一日寝て、しっかり酔いを醒ましておけ」

「え……うん……あの、ソーニャちゃん!」

 

 意を決したように、やすなはソーニャの名を呼ぶ。あまり大きな声ではなかったが、ソーニャを引き留め、そして最後まで聞こうと言う気にさせるには十分な力を持っていた。

 

「……また来てね!」

「…………おう」

 

 ソーニャはそれから体の向きを変えて歩き出す。その後ろ姿を、やすなはしばらく見つめ、窓を閉める。ソーニャは、やすなに背を向けて、自分の唇がつり上がるのを感じた。少しばかり、今の自分を見ない事にしよう。女子高生として楽しむ自分を無視してみよう。

 それが甘さだとしても、そうしないときっと自分は壊れてしまう。だから、きっとこれでいいのだ。

 

 ソーニャは、少しだけ上機嫌で歩みを進める。そんな彼女の顔を、地平線から姿を現した太陽がそっと照らし出す。ああ、いい天気だ。昨日の雨が嘘のようだ。

 

 ソーニャは眩しく光る太陽を見ながら、全身に温かい光を浴びる。その温かさは、どことなくではあったが、やすなに似た何かを感じた。だが、やっぱりこう思う。

 

 やすなと一緒に居る方が、温かいな、と。

 

 

 

 

 ソーニャを見送ったやすなは、その背中が見えなくなるまで窓の内側から見つめ、そして見えなくなった所でベッドに潜り込み、痛む頭を押さえた。

 その後、携帯電話を取り出して、昨日の夕食の後にソーニャが自分のベッドに寝転んでいた際に隠し撮りした写メを表示する。後ろ姿だが、とても落ち着いているような感じがした。それをロック付きのフォルダに移動させ、やすなは「えへへ」と布団に顔を埋める。

 

「ソーニャちゃん可愛かったなぁ……」

 

 そして、次に、ついさっき起こった信じられないような事を思い出し、やすなは顔が沸騰するかのような気持ちになり、その場でごろごろと悶える。

 

「~~~~~っ!!」

 

 キスをされた。自分の頬に、ソーニャが口づけをしてきた。その事実が信じられなくて、思わずやすなは顔を真っ赤にして悶え回る。やがて二日酔いの頭が警報代わりの頭痛を叩きつけ、やすなは大人しくなる。そして、悶える代わりに布団で全身を包み込み、芋虫の様な状態になって少しだけ笑みを浮かべながら、小さく呟いた。

 

「…………だいすきだよ、ソーニャちゃん」

 

 口にして見ると、結構恥ずかしかった。顔を手に当てて、やすなはきゃーきゃーとまた小さく悶える。そうして、嬉恥ずかしい気分を存分に味わっている内に、また疲れてきていつの間にか眠りに就く。その時に見た夢は、とても幸せな物だった。また起きるころには夢の内容を忘れていた。だが、こう断言する事は出来た。

 

 ソーニャと一緒に笑っている。そんな、楽しい夢だった、と。

 

 

 

 

 

雨風呂酒寝り塔が建つ。

 

 

 

 終わり

 



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