これは小説ではなく独白である。
私は戦車乗りだ。
提督も指揮官も兼任しているし、人理修復や戦場で行動したりもしている。また、あるときは荘園で追いかけたり逃げ回ったり、またあるときはバンドハウスの新人アシスタントになったりしている。それに、戦艦も指揮していた。
しかし私は戦車乗りだ。
初めて戦車に乗った感覚を、今でも忘れられない。私の初めてはMS-1、今は亡きTier1の戦車だ。奴はTier1随一の火力を誇った戦車で、慣れないうちはかなり撃破された。
最初の戦場は、丘だった。右も左もわからないままに進み、撃ち、撃破される。楽しかった。ただ戦車に乗って戦場を駆ける楽しみに浸っていた。次第に日本、イギリス、ドイツ、アメリカと他のツリーに手を出していった。
そして私は出会った。出会ってしまったのだ、T82に。
今は亡き駆逐戦車、今は亡き105mm砲。私は奴に出会って一撃で相手を吹き飛ばす喜びを覚えた。それは今も受け継がれ、KV-2やSU-152といったソ連の戦車が引き継いでいる。アメリカの戦車ではないのだ。
852の戦場を駆け933の敵を倒し、394424のダメージを与えたT82。私はこいつがツリーから削除され、105mm砲を奪われたのだと知ったのはつい最近だった。
一戦の中で7両の敵を倒した時の事を鮮明に覚えている。あれはトップ戦だった。最後に残ったのは瀕死の私とBT-7だけだった。一撃で相手を葬り、機動力を生かして回り込み、貫通せずとも爆風で倒す。T82が育て、SU-152に受け継がれたテクニックでもある。
しかしT82も良い思い出ばかりではない。BT-7Artに追い回され、M2Mediumの75mm榴弾砲に怯え、ヘッツァーの105mmやLuchsやⅡ号の機関砲にマッハで蜂の巣にされる日々も送った。
しかし、例えどんな奴が相手でも105mm砲は私に不屈の信念を与えてくれた。例え敗北が確定しても、一両でも刺し違えてでも倒す。相手が恐れをなして畏敬の念を抱くまで、ただ戦車を葬る。
今では通常貫通20mmの75mmの榴弾砲のみを載せて13、7、13の装甲と言うのも憚られる鉄板。そして5人の乗員達を乗せて奴は戦場に赴くのだろう。火力の代償の装甲ならばロマンの一言で片付くだろう。今回のアップデート5.5の趣旨も重々理解しているつもりだ。
だからこそ、私は叫ぶ。なぜT-150まで消した、と。私は愛車を数多く持つ人間だ。そして、火力か装甲を選ぶぐらい分かりやすいタイプの人間だ。
T-150とは459の戦場を渡り、363の敵を葬り、462457のダメージを敵にプレゼントをしてきた。そんな愛車を買い戻す前に失った。ツリーを見て哀しみに暮れて私は思った。失った戦車は取り戻せずとも、似たような車両はいる。そう呑み込むしかない。
消された戦車への哀しみと戦車乗りとしての誇りを胸に、また新たな戦場へ踏み出す。同じ思いをした人と、愛車を失った戦車乗りへ告ぐ。独白の言葉である。