どうしても書きたかった。

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懺悔

誰にも言えない懺悔をここに記す。

 

私は介護職をしていた。

 

デイサービスで働いていたのだ。

 

私は軽い気持ちで「何でも話して下さい。

 

私が語り継ぎます」と言ってしまった。

 

実はこの「語り継ぐ」と言うのが本当に難しい。

 

介護職は利用者様のパーソナルな話題について、「余所では絶対に漏らさない」という『守秘義務』を負う。

 

しかし利用者様が「余所で話して欲しい」と言う話はその限りではない。

 

しかし利用者様は要介護者もしくは要支援者である。

 

つまり利用者様には『成年後見人』がついている事がままある。

 

ご利用者様が「語り継いで欲しい」と言う場合でも、成年後見人であるご家族が「余所では話さないで欲しい」と望まれればその話は誰にも言ってはいけない。

 

そして「ご本人は『語り継いで欲しい』と言ってるんですけど」とはご家族になかなか言えない。

 

デイサービスがご利用者様の家族に出来る事の一つに『ご利用者様がデイサービスに行っている間、束の間介護の事やご利用者様の事を忘れて別の事がやれる』という物がある。

 

誤解ないように言っておくが「デイサービスは本人のため、ショートステイは家族のため」などと思われているようにデイサービスの大きな役割りは『機能訓練』や『社会参加』だ。

 

だがどんな介護サービスも『ご家族の介護負担を減らす』という普遍の目的もある。

 

ご家族にご利用者様の事を考えさせるような事はするべきではないのだ。

 

そしてこれは誤った物の考え方であるとは思うのだが「家族がデイサービスに通っている事を恥じている」ご家族が多い。

 

「デイサービスのお迎えの車を家のそばに停めるな、体裁が悪い」などと言う方はかなり多い。

 

なのでデイサービス職員が利用者様の事を余所で語る事を良く思わないご家族はかなり多い。

 

だが『私が語り継ぐ』と言ってしまった一言は一部の利用者様にとっては本当にうれしい事であったらしい。

 

ある先輩介護職員は言った。

 

「彼等は『死に行く者達』なの。

 

『早く死にたい』『楽になりたい』なんて呟きは日常的に飛び交ってる。

 

彼等が死ぬ事以上に恐れているのは『何にも残せないでこの世から消える事』なの。

 

あなたは出来もしないのに『あなた達の事を後世に語り継ぐ』なんて言って蜘蛛の糸を垂らしたようなものなのよ」

 

私は自分の浅はかさを呪った。

 

守秘義務がある以上、語り継ぐ事なんて出来ない。

 

語り継げる内容はご家族が語り継ぐ許可を自分から申し出てくれた場合のみで、正直レアケースだ。

 

第二次大戦前にヒットラーが日本に来た時に花束を渡した方の話と、2・26事件の前夜『陸軍の青年将校達が何か企てているぞ』と当時軍属だった父親の膝の上で父親が同僚達と将棋を指しながら話しているのを聞いた、という方の話などなど・・・話せない内容にも興味深い話は多い。

 

ヒットラーの話はお迎えの時にご家族の前で利用者様が話された話でご家族にも「是非皆様にもお聞かせ下さい」と了承を受けている。

 

2・26事件の話は一人暮らしの要支援者の方の話で、その方に『成年後見人』はついていない。

 

そして私が忘れられない話がある。

 

いや正しくは忘れられない話は沢山聞かせていただいた。

 

ただ話せる話はごくわずかだ。

 

語り継げる話は悲しい話、凄惨な話ばかりではない。

 

面白い話もある。

 

これも一人暮らしの方の話で、その方の旦那様はすでに他界されている。

 

認知症はなく、成年後見人はその方にはついてらっしやらない。

 

その方は食事にこんにゃくばかりを食べていたそうだ。

 

何故かと言うとその方のお姉様が軍需工場で働いていたという。

 

軍需工場で作っていたのは『風船爆弾』。

 

風船に爆弾を付けて偏西風に乗せてアメリカ本土を攻撃する予定だったという。

 

「今考えるとくだらない攻撃手段としか言えないけれど、当時の日本はそんな事しか出来ないほど追い込まれていたのね」と言うのは利用者様ご本人の弁。

 

しかし当時の日本には資源が足りなかった。

 

金属は兵器を作るために供出させられていたという。

 

そしてそれ以上に足りなかったのが石油である。

 

零戦も松の根の油で飛んでいたらしい。

 

当然風船も石油では作れない。

 

何で作るかと言うと、こんにゃく芋だったと言う。

 

こんにゃく芋で風船を作るのは本当に困難で、配合が少し違うとすぐにこんにゃくになってしまったと言う。

 

そんな訳でその方の食卓には風船爆弾を作り損ねたこんにゃくが食卓に毎日のぼったと言う。

 

それ以外の話は私のPCのWordのファイルの中に記録されている。

 

語り継ぐと言ったのに、語り継げていない。

 

今から語る話は夫婦で二人暮らしされていた利用者様の話だ。

 

ご夫婦に認知症はなく、『成年後見人』はついていらっしゃらなかった。

 

そしてご婦人は「亭主の希望通り語り継いで」と言われていた。

 

正直語り継げる話などほとんどない。

 

現行法で守らなくてはならない守秘義務と「この話だけは語り継ぎたい」と言う話とは関連性が全くないのだ。

 

そもそも私に『語り継ぐべき話題』『語り継がなくても良い話題』に振り分ける作業を行う権利もないし、おこがましいが。

 

幸いと言うか不幸にと言うか、現時点では振り分けるほど話せる話題がある訳ではない。

 

話は脱線したが、今からする話は「俺のシベリア抑留時代を語り継いで欲しい」と言った方の話だ。

 

シベリアの夏はとても短い。

 

でもその短い夏の間に、川に入って藻を採るという。

 

食べる物に藻を混ぜるそうだ。

 

「藻は美味しいんですか?」

 

「いや不味い。

 

でもな、藻を食べないとな。

 

暗くなると何にも見えなくなっちまう。

 

藻を食べるとな、少しは暗闇で物が見えるようになるんだ」

 

その方がデイサービスに来るなり体調不良でベッドで寝ている時があった。

 

その方がガバッと起きて「思い出した!」と言った。

 

そして私を呼ぶと「シベリアではなあ、土が凍るんだ、そんな時になあオガクズをまくんだよ」そう息も絶え絶えに言った。

 

その時に最後まで話を聞けば良かった。

 

「その話はあなたが元気になったらゆっくり聞きます、まずは寝ましょう」その時私は言った。

 

その日の晩、その方は亡くなった。

 

私はその方の執念を甘く見ていた。

 

自分の命より、後世にシベリア抑留の事実を残そうとされたんだと私は理解している。

 

それ以来、誰であれその方が語られたそのままを伝える事にした。

 

そこに私の考えや解釈は一切含めない。

 

私はその方達が歩まれてきた道程を理解出来ているようで出来ていない。

 

特に戦争に関しては聞いた事はあっても、体感した事は全くない。

 

その方達が命を削って伝えようとした事を、私の考えに寄せるように都合の良い部分だけ引用し都合の悪い部分は見ないフリするような卑怯なマネはするべきではない。

 

 

ある韓国のアイドルグループのファンの子達が第二次大戦を、日韓関係を語っているのを見た。

 

久々に頭に血が昇った。

 

若い人間が戦争について語るな・・・なんて言う気はない。

 

むしろ私に「戦時中の記憶を語り継いで欲しい」と言った方は若い世代に戦争の事を考えて、悲しい歴史は繰り返さないで欲しいと望んでいると思う。

 

ただ戦争について勉強はしろ。

 

ネットで都合の良い部分だけを引用して、わかった気になるな。

 

反対意見もきちんと見ろ。

 

そもそもアイドル擁護に戦争の記録を使うな。

 

「語り継ぐ」と宣言してから、三年の月日が経過した。

 

私は相変わらず皆様の生きた証し、伝えたい想いを語り継げていない。

 

ここに懺悔を記す。


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