⇒いつものこと
旧校舎、その部室棟に入った僕たちは、比良坂さんの案内で手品部の部室へと向かっていた。
古びた部室棟の建屋はそれこそ怪談の舞台にはぴったりな感じだが、作りがしっかりしているためか意外にも壊れそうな感じはしない。
「旧校舎の建屋に入るのは初めてですけど、そんなに老朽化している感じでもないんですね」
「それはまあ、そんなところに生徒を立ち入らせたりしないでしょう?」
「言われてみれば、確かに」
旧校舎自体、今の校舎ができてからはメインで使われなくなったというだけで、今でもときどき講義で使われている。特に、大型の教室は新校舎のそれだけではしばしば不足するため、いまだに需要が絶えないのだ。その他に、今から向かう部室棟の存在もあり、『旧』と言いつつも現役で稼働する建物ではあるのだ。
そんな風にとりとめもない話をしているうちに、お目当ての手品部の部室前に到着する。旧校舎は学院の規模が小さかった頃に建てられたものなので、全体的に容積が少ない。このため、旧校舎内の移動はさほど時間がかからないという特色があった。
早速、部室に入ってみようと思ったのだが。
不意に、愛乃さんがさりげなく僕に近づいてくる。甘ったるい花の香りが鼻腔をくすぐる。
何事かと思って愛乃さんの方に目をやると、彼女はこしょりとこんなことを耳打ちしてきた。
「ねえ、普君。そう言えば、なんて言って話を聞けばいいのかしら?口実がないわ?」
愛乃さんマジ愛乃さん。
この期に及んで、この人は全く…
思わず、愛乃さんに咎めるよな目を向けてしまう。気まずそうに目を背ける愛乃さん。この人、本当にこういうことでは役立たずだ。
とはいえ、無理もないのかもしれない。彼女の人間関係は家族と僕を除けば基本的に怖がられるだけであるものだったので、他人との交渉どころか世話話すらまともにできるか怪しい。一応、外面を取り繕うことは知っているのだが、こうやって突撃取材みたいなことをするには色々と経験が足りないのだろう。
「…別に、口実なんて必要ないと思いますけど」
「でも、部活中にいきなり話を聞かせろだなんて、迷惑じゃないかしら?」
「今さらそこですか」
愛乃さんの言葉に苦笑してしまう。しばしば倫理観をすっ飛ばした行動をするくせに、意外と常識はわきまえているのが愛乃さんの不思議なところ。その辺は、善人にさせるためにご両親が頑張ったのだろう。ただ、その常識が単なる知識を前提としたものであるため、あまり融通が効かないところがあるのだ。
「友人から聞いた話によると手品部はあまり熱心に活動している部活ではないようですし、そもそも同じ学院の学生同士でそこまでかしこまる必要もないと思いますよ?別に、積極的に邪魔をするわけでもないですから」
「…あなたが言うなら、そうなのかしら」
「まあ、僕も礼節の何たるかを熟知しているわけではないですけど」
ただ、学生同士であまり礼にこだわっても堅苦しいだけだろう。
「それに、口実も全くないわけではないですし」
「そうかしら?」
「まあ、ここはお任せください」
愛乃さんにそう宣言して、部室に入る。中には携帯ゲームで対戦している男生徒が二人、マンガを読む男生徒が一人、そして手品の教本らしき本を読んでいる女生徒が一人。聞いていた通り、あまり熱心に活動をしている感じではない。
「こんにちは~、斎藤さんはいらっしゃいますか?」
「…斎藤は俺です。何か御用でしょうか」
僕の言葉に、マンガを読んでいた生徒が顔を上げる。ちょっと気弱そうな風貌。
「ああ、こんにちは。井端の友人の平野といいます」
「平野さん。確か、井端から聞いたことがあります」
心当たりアリ、といった感じの斎藤何某。友達の友達が友達とは言わないが、名前だけでも聞いたことがある相手ともなれば多少は会話のハードルも低い――
「確か、『魔女の従者』の!」
――と思っていたんだけどなあ…
多分、その呼び方はちょっと恐れられている気がする。
って言うか、裏ではそんな呼ばれ方していたのか、僕。確かに、いつも愛乃さんと一緒にいるわけだが、従者て。
「えっと、その呼び方は知らないですけど、多分。はい」
「あ、ごめんなさい。変な名前で呼んじゃって」
「いえ、だいたい事実なので大丈夫です」
むしろ反省すべきは愛乃さんである。
「…えっと、それで、今日はどんなご用事で?」
「ああ、それなんですが、旧校舎の怪物の噂についてちょっと」
「噂…あの、満月の夜に怪物が出るっていう?」
「ええ、そうです。件の魔女さんが、自分の身近にでた怪物に興味があるって」
そう言いつつ、愛乃さんに入室を促す。意外にも人見知りを発揮しているのか、やや小声で挨拶をしながら控えめに部屋に入る彼女の様子は、なかなかに新鮮だ。
一方で斎藤何某はよほど驚いたらしく、ビシリと固まってしまった。まあ、学院で恐れられている『魔女』がいきなり現れれば驚きもするのだろう。僕は、その辺の感覚が麻痺しているので良く分からないが。
「こちら、阿久津愛乃さん。件の魔女です」
「えっと、こんにちは。阿久津です。今日は噂話について伺いに…」
そう言って小さく礼をする愛乃さんだが、部室の人間は誰も聞いていない。
――魔女の悪名を使って上手く話を聞こうと思ったけど、これは逆効果だったか…
魔女が興味を持ったといえば変に勘繰られたりしないかと思って素直に話してみたわけだが、失敗だったかもしれない。やはり、僕はその辺の感覚がだいぶ麻痺しているらしい。
とりあえず、愛乃さんに害意がないことを説明し、場の混乱を収めることにする。
まったく、変な駆け引きはするもんじゃないね。
その後、何とか場を収めた僕たちは、斎藤君を始めとする手品部の皆に件の怪物の噂について聞いてみた。どうも、思った以上に旧校舎ではその噂が浸透しているらしく、斎藤君以外の三人も割と詳しい内容を知っているようだった。
「――そもそも、俺がその噂を知ったのも手品部で最初ってわけじゃないんだ」
「…手品部に、怪物に食われる夢を見た人がいるって比良坂さんから聞きましたけど、その方ですか?」
「そうそう。今日はまだ来てないけど、鈴川っていう女子部員がいて、その子から聞いたんだ」
「…その鈴川さん、今日もここに来ますか?その夢について聞いてみたいんですけど」
「ああ。遅い講義があるからいつも遅れるけど、もうそろそろ来ると思うよ」
噂をすれば影あり。斎藤君のその言葉に合わせるように、部室の扉を開いて一人の女学生が現れた。
何かにピクリと反応する愛乃さん。
「お疲れで~す…って、あれ?今日は人が多いですね?」
「やあ、鈴川さん。今日は、怪物の噂を聞きに三人お客さんがね」
「…?……うわっ!魔女!」
新たに部室を訪れた女学生――鈴川さんは、部室の端の方に座っていた愛乃さんを見ると驚愕の声を上げ、逃げるように斎藤君たち部員の後ろに回り込む。手品部の皆は苦笑いしているが、まあ、その反応が普通なんだよね。
「…おかしい、私は善人として振舞っているはず……なぜ…?」
後ろで愛乃さんが何やらショックを受けているが、無視。怖がられるのは振る舞いは善人でも根が悪人だからだと思います。
「えっと、そんなに怖がらなくても…僕たちは本当に、単に噂について聞いて回ってるだけだから…」
「…そうなんですか?」
鈴川さんは、手品部の面々を見回して、僕の発現の真偽のほどを問う。無論僕は何も嘘をついていないので、帰ってくる答えは肯定。その反応を見て、一応鈴川さんも安心したようだった。
「…と言っても、私も大したことは知らないんですけどね」
「でも、夢を見たって聞きましたけど?」
「ああ、その話ですか。もう、恥ずかし。ちょっと雑談の話題にしただけなのに、噂の流行に合わせて妙に広まっちゃって…――」
鈴川さんの話によると、その夢は部室に置き忘れた課題を取りに戻ったところから始まるらしい。期限間近の課題を部室に置き忘れたことに気づいた鈴川さんは、夜も更けた部室棟に赴く。幸い満月の夜のため辺りは明るく、それほど危険も感じない。ただ、いざ部室棟に入って廊下を進むと、不意に後ろから衝撃を受けて地面に倒れこんでしまう。すると、視界にじわじわと広がる血だまりが見え、自分が何者かに攻撃されたことに気づく。助けを求めるが誰も助けには来ず、最後には怪物に食われてしまう。そんな夢だったらしい。
「――まあ、典型的な悪夢ですよね。ただ、置き忘れた課題とか、部室棟の光景とか、割とリアリティあって。だから、起きたときは思わずお腹に穴が開いていないか確認しちゃいましたけど」
「それは…怖いですね……」
「そうそう、怖かったんですよ。今でもたまに、もしかしたらあれ現実だったんじゃないかとか思うくらいですから」
鈴川さんの語り口からすると、その夢は相当にリアルであったようだ。口では冗談めかしているが、夢を見たその日はだいぶ怖かったんじゃないかと思う。
「なるほどねえ…ちなみに、化け物の姿かたちに、何か見覚えがあったりとかは?」
「えぇ?…うぅん、そもそも、後ろから襲い掛かってきたから、どんな姿だとかほとんど見てませんし…」
「そうですか…」
一通りの話は聞いてみたが、これだけだと流石にピンとこない。他に聞くべきことはあるだろうかと愛乃さんの方に視線を向けるが、何やら考え込んでいて気付かない。仕方なく肩を軽くたたいてこちらに注意を向かせる。
「…なに?」
「いえ、何か他に聞いておきたいことはないかな、と」
「……いえ、無いわ。ありがとう」
素っ気ない返事。最初に調査を言い出したのが彼女であることを考えるとちょっとあれだが、こんなことで一々怒っていても話が進まない。
「…ありがとうございました。おかげさまで色々新しい事実を知ることができました」
「それは良かったです。何か分かったら、私たちにも教えてくださいね?」
「ええ、必ず」
そう言って、手品部の部室を後にする。結局愛乃さんがあまり乗ってこなかったのは気になるが、一応それなりに知ることができた。まあ、調査の初段階としては十分だろう。
「噂の怪物の夢の話とか、結構いろいろ聞けましたね」
「そうだね。聞き込みなんてしたことないから不安だったけど、案外何とかなるもんだ」
比良坂さんも同じ感想だったようで、ちょっと満足げにそう言ってくる。…って言うか、さらっと混じってるけど、この子は調査に着いてきて楽しいのだろうか?
いや、まあいいか。
それよりも気になるのは。
「…さっきから何を考え込んでいるんですか、愛乃さん?」
再び何やら考えている愛乃さんに水を向けると、ちょっと考えを整理するように間をおいて、何かを口にしようとして…
「…ねえ、さっきの――」
「おや、あまり見ない顔ぶれですね。新しい部員の方ですか?」
突然、後ろから声をかけられた。
思わぬ闖入者にびっくりして振り向くと、そこには優し気な顔立ちの中年男性。
「あ、湧井先生!こんにちは」
その見知らぬ男性に、比良坂さんがそう言って声をかける。先生、と比良坂さんは言っていたが、部室棟に来るということは部活動になにか関係しているのだろうか?
「えっと、こんにちは。魔導科の平野です」
「…始めまして。魔導科の阿久津と申します」
「こんにちは。僕はこの部室棟の管理を任されている湧井だ。普段は、錬金科の講師もしているけどね」
部室棟の管理。それで普段から部室棟に出入りする生徒を見ているから、見慣れない僕たちが気になったということだろうか?
「湧井先生はすごいんですよ!部活棟の壁に穴が開いちゃったときとか、錬金術でパパっと塞いでくれたりするんです」
「まあ、これでも講師だからね。ちょっとした修繕くらいなら朝飯前さ」
「いや、流石に凄いですね」
実際凄い。錬金術は便利そうに見えるが、その場でパパっと使うには相当な熟達が必要だ。少なくとも、十年程度の修行では全く話にならないらしい。
「まあ、これくらいは……そう言えば、さっき噂の怪物がどうとか聞こえたけど?」
「ああ、それですか。なんでも、生徒の間で部室棟に怪物が出るとかいう噂が流行ってるらしくて…」
「うん、僕も聞いているよ。あまり生徒が怖がるようだったら、何か対策でも必要かと思っているんだけど」
そう言って、湧井先生は穏やかに微笑む。部室棟の管理を任されるだけあってマメな人だ。たかが噂話程度、普通は放っておくだろうに。
「まあ、そんなに気にしなくていいと思いますよ?流行っているといっても、大体はちょうどいい雑談の種くらいにしか思っていないみたいですし」
「ふむ…実際に噂を聞いた生徒がそう言うなら、気にする必要もないのかな?」
「ええ、多分」
僕の返答に得心がいったような風の湧井先生は、うんうんと頷くと軽く手を振り僕たちに別れを告げる。
「ありがとう、気になっていたことも解決した。それじゃ、お疲れ様」
そう言って、湧井先生は部室棟の奥の方へと消えていく。と思ったら、壁にひび割れでも見つけたらしく、手をかざしてそれを修繕している。
「いや、熱心な先生ですね」
そんな彼の様子を見た僕は、誰にともなくそう口にする。壁の皹くらい、放置してもさして問題にもならないだろうに。
そう思ってその言葉を口にしたわけだが、そこで愛乃さんが訝しむような口調で独り言ちた。
「…あの人」
いつになく険しい様子の愛乃さん。基本的に鷹揚な彼女がこうも警戒を露わにするのは珍しい。力技で色々と解決できる彼女は、危機といったものに対して鈍感なきらいがあるのだ。
「…ねえ、ちょっとこっちに」
そう思っていると、愛乃さんは僕を視線で促し、比良坂さんの手を引いて部室棟から離れる。
いきなりどうしたのだろうか?
彼女の意図は気になるが、どうにもまずは場所を変えたいらしい。彼女に視線で問うてみても、待てとばかりに無視されてしまう。
そして、少し移動して旧校舎から離れた休憩スペースに着くと、ようやく愛乃さんは歩みを止めた。
「…うん。あの人は着いてきていないわね」
「いきなりどうしたんですか?急にあの部室棟を離れようとして」
「説明するわ。まず、手品部の彼女…」
「鈴川さん?」
「ええ。彼女のことなんだけど、あなたたちには普通の人間に見えた?」
「え?」
いきなりの質問に、意図が見えず困惑する。見えたも何も、普通の人間に違いないと思うが。まさか、宇宙人とか言うわけではあるまいし。
「…いやまあ、もちろん普通の人間に見えましたけど」
「えっと、私もです」
僕の返答に、比良坂さんも追従する。
当たり前のことだろうと思ってそう返答したのだが、愛乃さんは険しい表情のままこう切り返した。
「――私の、魔女の視点で見ると。彼女、精巧に人間を模した、錬金術製の人形だったわ」
「……は?」
衝撃的な言葉に、思わず思考が停止する。
錬金術製の人形?あの女生徒が?
「…ええ、いや、あり得ないでしょう?どう考えても人間そのものだし、受け答えもしっかりしてた。錬金術って、そんな出鱈目な技術じゃ無いはずですよね?」
「ええ、普通は無理。でも、外法まで含めればいくつか可能性はある」
「いや、そんな無茶苦茶な…」
愛乃さんの言葉は、にわかには信じがたいものだ。そもそも、彼女が錬金術製の人形だとして、そんなものが学院の生徒として生活している意味が分からない。
「私も混乱しているのよ?ただ、目で見た事実は変わらないわ」
「……」
愛乃さんの言葉に、反論もできずに黙り込んでしまう。確かに彼女の言葉は信じがたいが、愛乃さんが嘘をつく理由もない。魔法の実力から言っても勘違いではないだろう。そうであれば、どんなに信じがたくてもそれが事実であるということだ。
「…あの、錬金術ってことは」
「そうよ。私は、湧井先生があの人形を作った人間なんじゃないかと思っているの」
「でも、何のために…?」
「分からないわ。ただ、怪物の夢を見たこと、ひいてはあの噂事態に関係したことかもしれないの」
愛乃さんの言葉は、言ってしまえば言いがかりに近いもの。何故か人間に擬態して生活を送る錬金人形が、何故か怪物の夢を見たという。その二つを、強引に結びつけただけに思える暴論だ。
でも、愛乃さんはその結論にほとんど確信といっていい程の自信を持っているみたいだし、僕自身その考えに対して嫌な予感が収まらなかった。
「だから、普君、比良坂さん。今後は、湧井先生の動向に気を付けて頂戴?さっきの反応、もしかしたら私たちが何かに勘づいたと思って、口封じか何かをしようとするかもしれないわ」
「…分かりました」
「はい…」
愛乃さんの言葉に、僕も比良坂さんも反論せずに頷く。
何か手掛かりでも、と思った調査が、思わぬ核心を突いてしまった。それだけでなく、藪の蛇まで。
「特に、比良坂さん。私たちはどうにでも出来るけど、あなたはそうではないでしょう?出来る限り、一人にならないように注意して」
「はい!心得ました!」
その返事を聞いた愛乃さんは、満足げに頷くと比良坂さんにこう申し出る。
「さて、今から帰るのよね?一人で帰すのも不安だから、家まで送りましょうか」
「あ、実は友人と図書館で勉強する予定があって。図書館までご一緒していただく感じでどうでしょう?」
「…そうね、分かった。でも、帰るときはその友達と一緒に帰るようにしてね?」
「了解です!」
結局、比良坂さんを図書館まで送って友人に受け渡した後、僕たちは彼女と別れた。僕たちとしても、湧井先生が怪しいと言うなら何かしらの対策を立てなくてはならない。これは今日は徹夜かな、と若干憂鬱になりつつも、愛乃さんの家へと向かう。お互いに一人暮らしだから、こういうときは便利だ。
「それにしても、何だって怪物の噂なんて流すんでしょうね?錬金術と関係あるんでしょうか」
「さあ……何か錬金術で怪物を作って、部室棟に放し飼いにでもしているのかしら」
「いやいや、それはもう噂じゃすまないでしょう」
「それもそうね…じゃあ、噂話に怖がる学生を眺めるのが趣味とか?」
「怪しいの意味が違う…」
そんな風に軽口を叩き合う僕たち。
なんだかんだ言って、その時点での僕たちは、まだまだ事態を軽視していた。奇妙な事実は見つかって、怪しい人物も特定できたものの、実害が出ているように見えなかったからだ。もし、この時点で真相が分かっていれば、僕たちはあんなに暢気にしていられなかっただろう。そんなことは、後になってから言えるIFでしかないのだけど。
比良坂七夜が行方不明になったのは、その日の夜のことだった。