ノックをしても返事がないので、無言の了承ととって愛乃さんの部屋に入る。自分でもどうかと思うが、今の状態の愛乃さんを放っておくのは気が引ける。
部屋に入ると、カーテンを締めきった室内は昼間なのにだいぶ暗い。それはまるで、部屋の主の心理状態を表しているようだった。
「愛乃さん。お昼ごはん、作ってきましたけど」
ベッドの横でうずくまる愛乃さんに、持ってきた皿を示しつつ声をかける。
しかし、愛乃さんからの反応はない。
ただまあ、無理もない。僕にとっての比良坂さんは単に知り合ったばかりの後輩でしかないのでショックは深くない。だが、愛乃さんにとってちがう。ほとんど初めての純粋に慕ってくる後輩は、付き合いは短いとはいえ愛乃さんにとってはかなり特別な存在であったはず。昨日もたじたじになってはいたが、内心かなり嬉しかったはずだ。そんな後輩が行方不明。しかも、直前まで自分たちが一緒にいて別れた後にともなれば、その衝撃は計り知れない。
皿を机において、愛乃さんの隣に座り込む。
そう言えば昔、同じような状況があったなと思い出す。あれは確か、小学生のころ。当時はいじめられっ子だった僕は、同じクラスのガキ大将に目をつけられてしょっちゅう泣かされていた。そして、そのたびに近所の公園の隅で、うずくまって泣いていたのだ。
そんなある日、いつものように公園で泣いている僕の横に、一人の女の子がやってきた。それが、愛乃さんだった。愛乃さんは僕の隣に座ると、何を言うでもなくずっと隣にいてくれた。そして、それはいじめられたせいで味方がいないような気になっていた当時の僕にとっては、何よりの救いだったのだ。
そして、当時から既に『善人であるべし』を実行していた愛乃さんは、泣き止んだ僕からいじめてくるガキ大将のことを聞き出すと、すぐさまそれを解決してあげると言って飛び出していった。そして、その日のうちに件のガキ大将をすっかり懲らしめて、僕へのいじめをやめさせてしまったのだ。当時の僕にとってはそんな彼女のことが天使か何かのように思えた。そして、今度は僕が孤立しがちな彼女の隣に、ずっと居ようと思ったのだ。
…まあ、実際は天使の皮をかぶった悪魔なわけだけど。笑顔だった理由も善行を積めるちょうど良い理由が見つかったからだし。孤立したのも自業自得だし。
「何も言わないのね」
不意に、愛乃さんがそう口にする。俯いたまま顔を上げないけど、とりあえず会話はする気になったようだ。
「…初めて会った時、愛乃さんがやってくれたことと同じですよ」
「覚えてないわ」
「まあ、愛乃さんはそうでしょうけど」
思い出って、当事者全員にとって大切なわけじゃないよね。
「…とにかく、愛乃さんの気が済むまでここにいますから。落ち込んだときって、誰かが近くにいるだけで安心するもんでしょう」
「……」
愛乃さんが納得したのかしないのかは分からないが、特段追い出されるようでもないのでそのまま隣にいる。
カチコチ、と時計が時間を刻む音だけが部屋に響く。
愛乃さんと僕は密着する程の距離感で隣り合っているため、服越しに彼女の体温が伝わってくる。
しばらくそうしていると、愛乃さんが再び口を開く。
「実はそんなに悲しくないのよ」
静な口調で、そう話し始める。
「いえ、正確に言うと悲しくないわけじゃないの。でも、それ以上に怒りが収まらない」
「…それは、比良坂さんを、その、『消した』犯人に対して?」
「――ええ、そう。そうね」
「まだ、死んだと決まったわけではないでしょうに」
「いえ、分かるわ。多分、犯人は私と『同類』だから……」
愛乃さんの口調は穏やかなままで、だからこそその怒りの深さが透けて見える。考えてみれば始めて見る、彼女の激情。
「彼女を消した犯人を、許してはおけない。必ず報いを受けさせる」
「…でもどうして、そんなに落ち込んでいるんですか?」
彼女の怒りは分かる。だからこそ、解せないのがそこだった。
僕のその問いに、しばらく沈黙する愛乃さん。
そして、顔を上げた彼女は、僕の方を向いて言葉をつづけた。
部屋が薄暗いせいだろうか。その瞳は、妙に輝きを失っているように見えた。
「普通の人は、友人を喪えば、その死を悲しむものなのでしょう?」
「まあ、人にもよりますが、普通は」
「そう。でも、私は違った」
彼女の表情が一段と暗くなる。まるで、自身に絶望するかのように。
「私は悲しみよりも、怒りを強く感じた。彼女を悼むよりも、自分の憎悪を…」
「ええ、さっきもそう言ってましたね」
「…それは結局、私は比良坂さんよりも自分を優先したってことでしょう?」
「なるほど…」
それは、愛乃さんらしいといえばらしい、らしくないといえばらしくない言葉だった。
考えてみれば彼女には友人という友人はいないわけだから、友人に対する感情というものを知る機会はなかったのだろう。僕はどちらかというと家族に近い。
ついでに言えば、人倫をよく理解していない彼女にとって、『普通の感情』なんてものは難しくて仕方がないのだろう。基本的に自分の感情は他人から外れたもので、本や漫画に書かれた人間から普通の感情を推し量るしかなかったわけだから。
だから、彼女は今、珍しく抱いた普通の感情の置き所に戸惑っている。
「…そんな自分本位な私自身に嫌気がさしたのよ」
「別に、そんなこと気にしなくていいと思いますけどね」
僕の返答に、愛乃さんは驚いたような顔をこちらに向ける。
「え…?だって、いつも善行だなんだって言っている私が、自分の怒りを優先して…」
「そんなの、普通の人だって同じですよ。さっき言ったじゃないですか。『人それぞれ』だって」
「人それぞれ…」
呆然と言った感じで、愛乃さんが僕の言葉を繰り返す。その無防備な感じが無性に愛おしくて、思わず彼女を抱き寄せる。
「あ…ちょ、ちょっと……」
「…いいんですよ、こういう時は、感情のままに振る舞えば。理想的な感情を持つ人間なんて、どこにもいないんですから」
「でも、友人の死は悲しむものよ?」
「まあそうですけど。でも別に、死を悼む感情がないわけではないでしょう?」
「ええ、それはまあ…」
煮え切らない愛乃さん。本当に珍しい。
「感情なんてのは元々理不尽なものです。いわゆる普通の人間でも、親しい人間の死に際して怒りを真っ先に感じる人なんて珍しくないですよ」
「…あなたがいうのなら、そうなのかしら?」
「そうです」
ようやく、愛乃さんの瞳に光が戻る。心なしか、その表情はさっきよりも晴れやかな気がした。
「さあ、まずはご飯を食べましょう。怒るにしても悲しむにしても、まずはご飯を食べなきゃ始まらないですよ!」
「…それはさすがに、違うと思うわ」
そんな否定の言葉を口にしつつも、微かに、柔らかく、愛乃さんは微笑んだ。
***
「次の満月の夜に、旧校舎に乗り込もうと思うの」
その後、お昼ご飯を食べた愛乃さんは、今後の行動についてそう切り出した。
「…湧井先生を調べるとか、そう言うのはいいんですか?」
「確かに彼は怪しいけど、それはちょっと決め打ちが過ぎる気もするし。それに、多分ろくな証拠も出ないと思うわ」
「そう言うもんですかね」
そこら辺の感覚は、愛乃さんの方が断然上手だ。魔女としてのセンスなのか、それとも単に同族だから思考が読みやすいのか。基本的に、僕は彼女の方針に逆らわないことにしている。
「そうよ。だから、実際に怪物が出てくるところを抑えて、言い逃れできないようにしようと思うの」
「物騒な…」
彼女の乱暴な案に頭を抱える。魔女としての高い実力を持った彼女であれば怪物の一体二体怖いものでもないのだろうが、僕は凡人なのだ。
ちなみに、警察に任せない理由は彼らではおそらくこの事件を解決できないためだ。魔法使いが主で舞台に現れてから結構な時間がたつが、いまだに警察は魔法使いたちに対する有効な対応策を持たない。才能に完全に依存した技術である魔法が組織と相性が悪いというのもあるし、そもそも魔法使いというのが総じて我が儘な存在であるということもある。ちなみに、愛乃さんは典型例だ。
そんなわけで、愛乃さんは警察に任せずに自分で犯人を始末するつもりでいるのだろう。過去にも同じような経験はあって、その時は民間協力者みたいな扱いになったと思う。
ただ、気になる点も一つ。
「というか、そもそも怪物は襲ってくるんでしょうか?愛乃さんがいれば返り討ちになるでしょうに、力の差を感じて隠れてしまうのでは…」
「まあ、そこは問題ね」
僕の懸念に、愛乃さんも同意する。愛乃さんは力の強い魔女である上にやたらと有名だ。悪い意味で。だから、怪物にしろ黒幕にしろ、彼女を警戒して行動を控える可能性はあった。
「…だから、ちょっと普君にお願いしたいことがあって」
ちょっぴり媚びるように言う愛乃さん。
愛乃さんのお願い……何だろう、嫌な予感がする…
「聞きましょう」
「…その、囮になってくれないかしら?」
「えぇ……?」
…ちょっと、愛乃さん?
夜の部室棟を、一人歩く。いや、正確には一人ではないのだが、はたから見れば完全に一人にしか見えないだろう。何せ、僕は囮。怪物にとってとるに足らない、哀れな犠牲者を装わなくてはならない。
「…とはいえ、そんな風に変身できるなら、僕が囮になる必要はなかったのでは?」
そんなわけで、愛乃さんは子猫に姿を変えて、僕のカバンの中に陣取っている。正直、それができるなら囮は要らないと思う。
『意外とそうもいかないわ。二人組だと片方を逃がすかもしれないってことで、相手も慎重になるかもしれないし』
「いえ、僕を連れてくる必要が無いだろうって話で…」
『…言わなくても、ついてくるつもりだったでしょう?』
「むう…」
愛乃さんの言う通りだ。
元々乗り掛かった舟ということもあるし、何より僕自身比良坂さんの仇を野放しにするつもりはない。こういう鉄火場にはそこそこ巻き込まれているので、足手まといになるつもりもなかいわけだし。
『ま、とにかくそのまま手品部の部室にでも向かって。多分、すぐに仕掛けてくるから』
「了解です」
旧校舎の建屋を進み、部室棟へ向かう。手品部は部室棟の階段を挙がって一番奥。とはいえ、旧校舎の敷地も小さければ部室棟もさほど大きくないため、十分もあればたどり着く。
油断なく、旧校舎の中を進む。今日は満月であるため、明りの消えた旧校舎の中であっても、窓の外から降りそそぐ光によって廊下はかなり明るい。これなら、怪物が現れても視界が悪い状態で戦う羽目にはならないだろう。そう思って歩を進めていくと、廊下の突き当たりの角を曲がったところで…
「…愛乃さん」
『来たわね』
ゆっくりと、後ろに振り向く。そこには、肉の塊に目と口が付いた怪物の姿。その体から無数に伸びる触手がうねうねと宙を這い、手を伸ばすようにこちらに向けられる。
次の瞬間。
――ピュン!
「…!っと、危ない」
怪物から槍のように束ねられた触手が放たれ、僕の元へ飛来する。とっさに防御魔法を展開しつつ回避するが、正直視界が暗かったら危うかった。
「このっ…!『風よ!』」
同時に、鞄から飛び出して人間の姿に戻った愛乃さんが、怪物に向けて疾風の魔法を撃ち込む。愛乃さんの放った魔法は過たず怪物を打ち据え、その半身をえぐり取ったが…
「…全く、そう簡単には斃れてくれないってわけ」
えぐり取られた怪物の胴体に、まるで草木が早送りで成長するかのように内側から肉が生え出し、その傷をすぐさま補填する。数秒ののち、怪物はまるで何もなかったかのように現れたときの姿まで回復していた。
じり、と怪物との間合いを計る。こちらの攻撃は有効打にならなかったが、怪物からの攻撃が先ほど程度のものであれば、ある程度の距離を開ければ対処可能。となると、双方に現状を打開する術はない。
「――…いつまで隠れているつもり?いるのは分かっているから、出てきなさい」
永遠に続くかと思った膠着を破ったのは、愛乃さんのその言葉だった。
そして、その言葉に応えるように、廊下の角から一人の男――湧井先生が姿を表した。
「なるほど、噂の魔女というのは、まんざら嘘でもないらしい」
「そっちこそ、噂の怪物は随分と素敵な出来栄えですこと」
「……『彼女』に対する侮辱はやめてもらおうか」
「…彼女?」
湧井先生の言葉に、思わずそう聞き返す。『彼女』。それは、目の前の怪物を指し表すのには、かなり不適当な言葉に思えた。
「ふん……あなたの右手にあるのは、死者を操るという『ヴェリア=ボルンの魔本』。大体事情は読めたわ。誰を蘇らせようとしているのかは知らないけど、手品部の人形はその魔本の仕業ってわけ?」
「…娘は必ず蘇らせる。邪魔はさせん」
『ヴェリア=ボルンの魔本』。聞いたことはある。死者を蘇らせ使役するための魔法を記した魔導書で、月の魔力を用いて死体を蘇生させると言われている魔本。一説には、古の王が不死身の軍隊を生み出すため、宮廷魔導士に書かせたと呼ばれる魔導書であるが…
「なるほど。自らの娘を蘇らせるため、元となる死体を用意するために始めたのが『旧校舎の怪物』。そして、手品部の彼女はその犠牲者ってところかしら」
「元となる死体って、他人の死体を使って娘を蘇らせようと?そんなことできるんですか?」
「さあ、知らないわ。そう言う魔法もあると聞いたことはあるけど」
愛乃さんの推測は衝撃的なものだった。そして、それを聞く湧井先生の様子からして、早々外れた推論でもないようだ。そうなると、彼は娘のために怪物の噂が流れるほどの死体を集めたことになる。
「殺した後は錬金術で人形を作って、魔本でそこに魂を乗せる。そうすれば、いくら殺しても発覚はかなり遅くなる。怪物に襲われる夢っていうのは、魂が覚えている死ぬ前の記憶でしょうね」
「…嫌に饒舌だな、魔女」
「あなたは不機嫌そうね。図星だから?」
愛乃さんの言葉に、湧井先生は表情を硬くする。やはり、愛乃さんの推測は間違っていないようだ。
「ただ、そうなると解せないわね。なぜ比良坂さんを殺したのかしら?満月の夜でなければ、魔本は十分な力を発揮しない。人形を作れず、ことが発覚する危険を冒してまで、何故?」
愛乃さんの目が針のように細まる。それはまるで、自らの内の激情を、弓に乗せて引き絞るかのように。
しかし、それは失言だった。彼女にとって、湧井先生が比良坂さんを殺した理由も、それを新月の夜に強行した理由もどうでもいいはず。それでもその言葉が口を出たのは、愛乃さんの深い怒りのため。
――どうして彼女を殺した!
質問ではなく弾劾のためのその言葉が、形を取ったものだった。
そして、それは湧井先生にも即座に伝わる。
「…なるほど、かたき討ちと言う訳だ」
愛乃さんの様子に不気味な笑みを浮かべた湧井先生は、右手の魔本を掲げて一つの魔法を発動する。
「だったら、こういうのはどうだ、魔女?君の友達を蘇らせてあげよう」
その言葉とともに、湧井先生の前に淡い光が灯る。そして、数秒の後、光が収まった後には一人の女生徒の姿が。
「…比良坂さん!」
それは、間違いなく比良坂七夜の姿。あの日、別れる前の彼女と寸分たがわぬそれであった。
だが、その瞳は虚ろで、愛乃さんの声にも反応を示さない。
それは、形だけ比良坂さんの姿を模した、ただの人形だった。
「ふん…やはり、満月の夜にすぐ蘇らせるのでなければ、魂までは戻らないか…」
「…貴様ァ!」
愛乃さんが、絶叫とともに走り出す。一息で発動した風の魔法が目の前の怪物を吹き飛ばし、壁にたたきつける。愛乃さんと湧井先生の間にはなんの障害もない。絶好の好機。
「っ!愛乃さん!」
だが、駆け出した愛乃さんを、僕は強引に抱えて後ろに引っ張る。
そしてその瞬間、愛乃さんの進路上、その天井から、新たな怪物が飛来した。
「くそっ、一体じゃなかったのか?!」
「…ごめんなさい、助かったわ。でも、これはちょっとマズいかも」
大きく後ろに跳び退った僕たちは、目の前に現れた新たな脅威に緊張を深めた。
愛乃さんが魔法で吹き飛ばした怪物も、すぐに元の場所に復帰する。二対一でも膠着状態だったのに、これで状況は二対二…
「は、誰が一体しか生み出せないなど…?」
いや、その言葉と同時に、僕たちのさらに後ろにもう一体の怪物が現れる。
二対三。しかも、挟み撃ちの状況だ。
「ッ…、僕が何とか後ろの一体を押さえます。愛乃さんは前の二体を!」
「…出来るだけ急ぐわ。無理はしないで」
愛乃さんと背中合わせに位置取り、背後の怪物と対峙する。
この怪物が一体目と同じ強さであるとしたら、僕に勝ち目はない。それでも、守りに徹すればしばらく時間を稼ぐことくらいはできる。
――ただ、一対二だと愛乃さんでも厳しいか…?!
冗談のような再生能力と、高速で打ち出される触手の槍。その双方に対処しつつ、一度に二体を相手取るとしたら、果たして愛乃さんが勝てるのか。
そんな不安を抱えつつも、目の前の怪物にすべての意識を向ける。初撃の感じからして、一瞬の油断が命取りだ。そう思っていたのだが…
「……?動きが遅い…?」
目の前の怪物は、明らかに最初の一体よりも動きが遅い。それでも攻勢に出るには僕自身の実力が足りなかったが、それでも当初の予想と比べれば遥かにローペースな攻防。
それだけではない。その怪物は、不自然なタイミングでわずかに動きを止めることがあった。始めはわざと隙を見せる罠のようなものだと思っていたが、よくよく観察すると、それは…
「必ず、愛乃さんの攻撃と同じタイミングだ」
背後の愛乃さんが攻勢に出る際、怪物の動きは目に見えて鈍くなる。
脳裏に浮かぶのは、一つの可能性。だが、まだその仮説は確信には至らない。
――だったら…!
だから、無理やり証拠を引きずりだす。
「愛乃さん、光!」
僕の声に、怪物が身構える。それは、いくつかの戦いを潜り抜ける中で、自然と決まっていった連携の符号の一つ。背後で愛乃さんが僕の行動に備える気配を確認し、僕は一つの魔法を発動した。
「光よ!」
それは、フラッシュバンのような強烈な光を放つ、初等光魔法の応用。単純な効果でありながら、事前の備えがなければまず防げない速さと、決まった後の強い目くらまし効果を備えた僕の得意魔法の一つだった。
「――ぁあ!クソが!」
湧井先生が絶叫し、その目を抑える。その手前で二対の怪物が滅茶苦茶に暴れまわり暴力の壁を作り出す。流石に目つぶし程度で戦いが決まるとは思っていない。だが、僕の狙いは別にあった。
「愛乃さん、こっちに!」
愛乃さんの手を取り、湧井先生とは逆方向に走り出す。当然進路上には一体の怪物がいるが、それは目がくらんだかのように完全に動きを止め、僕たちの逃走を阻むそぶりも見せない。
「ちょっと、普君!一体何を?!」
「説明は走りながら。とりあえず、仕切り直しです!」
愛乃さんが疑問の声を投げかけるが、今は説明している余裕がない。とりあえずは、目くらましが効いているうちに逃げ出さなくてはならない。
愛乃さんの手を引き、校舎の外に出る。
行く先は、旧校舎の中央広場だ。
「あの怪物、単なるラジコンなんですよ」
「ラジコン……手動で動かしている、ということ?」
「そう言うことです」
旧校舎を抜けて広場に向かう道すがら、僕は思いついた仮説を説明する。いや、先ほどの一手で、それは最早確信に至っていた。
「最初に疑問に思ったのは、背後の一体の動きが妙に遅かったこと」
「ああ、それは前の二体もそうだったわ。明らかに、最初より動きが悪かった」
まあ、それでも押し切れなかったけど、と続けながら、愛乃さんが視線で話の続きを促す。愛乃さんの言葉は、僕の確信をより深める材料となるものだった。
「そこで思ったのは、あの怪物は数が増えるほどに術者の負担になるんじゃないかってことです」
「…でも、それだけじゃ魔力の都合とか、魔本のキャパシティの問題とかも考えられるんじゃ…?」
「ええ。でも、もう一つ、あの怪物について考えるための材料があります」
それは、恐らく怒りに燃えて冷静さを欠いていた愛乃さんでは気付けなかったこと。
「そもそも、湧井先生の言葉にも違和感があったんです。『満月でないと魂が乗らない』ってことは、魂が乗った人形と乗らない人形の両方を知っていることになる」
「…手品部の、『魂の乗った人形』以外に、魂が乗っていない人形があるってことね?」
「はい。そして、それは湧井先生の『彼女』という発言から、あの怪物のことなんじゃないかと思うんです」
湧井先生の発言から考えれば、あの怪物は先生の娘を蘇らせようとして生み出された失敗作。そしてその失敗の理由は、恐らく娘の魂を確保することができなかったこと。
「恐らく、満月以外にも条件があって、ああいう怪物の形しか作れなかった。そして、そこには魂が乗っていない」
「…でも、それだけだとやっぱり、逐一操作しているという証拠はないと思うけど」
「はい。だから、先ほどの一手で確かめてみたんです」
先ほどの一手。
閃光魔法による目潰しは、単にあの場から逃げ出して仕切り直しを計ることだけが目的ではなかった。
一番の目的は、湧井先生の視界を潰した場合に、怪物がどう動くかを見極めること。
「あの時、目くらましの後に怪物がとった行動は極めて単純でした。前の二体は周囲に無作為な攻撃。そして、後ろの一体は完全に停止」
そして、その結果は僕の仮説を支持するものであった。
「前の二体はともかく、視界が無くなったくらいで完全停止するのは湧井先生からの操作が無くなったからと考えるのが妥当です。キャパシティが問題なら、前の二体と同様に暴れるはずですから」
魔力不足やキャパシティが問題で動きが悪いのなら、前の二体と後ろの一体で行動を分けることはできないはず。にもかかわらず後ろの一体が停止したのは、湧井先生が咄嗟に指示を出せたのが手前の二体だけで、後ろの一体にまで手が回らなかったと考えるのが一番自然。
「まあ、これも湧井先生が意図的に情報操作をして僕たちをだまそうとしているなら話は別ですが。ただ、あの状況なら普通に後ろの一体に暴れられて逃げ出せないほうが状況は悪いですし」
「…そうね。」
愛乃さんは難しそうな表情で頷く。
「でも、それが分かったところで三体の物量は脅威のままよ?さっきも、二体相手でも押し切れなかったわけだし…」
「…大丈夫です。今の仮説が信じられるのであれば、一つ策があります」
「策?」
「愛乃さん、ちょっと囮になってもらえますか?」
***
「追い付いたぞ、魔女」
旧校舎の中央広場に役者が集まる。一つの欠けもない満月に照らされた広場で対峙するのは、魔女と恐れられる女生徒と、魔本を有する錬金術士。そして、その横には三体の怪物が、その腹に魔女を収める瞬間を待ちわびるかのように、うなり声をあげて立ち並ぶ。
「死にゆくことへの覚悟はできたか?」
「――お生憎様。私死なないわ」
じり、と互いに相手の出方を伺う。魔女と恐れられる愛乃さんと、三体の怪物の実力は拮抗している。いや、先ほど前の戦いを思えば、わずかに怪物が有利。
やがて、月が雲間に隠れ、広場は薄暗い闇に包まれる。怪物にとってはさしたる違いも無かったが、人間にとっては大きく視界が制限される状況。愛乃さんはたまらず暗視魔法を発動して視界を確保するが、素保一瞬を怪物たちは、湧井先生は見逃さない。
『グルァァアアアアアアアアアアアア!!!』
「ッ、風よ!」
怪物三体による突撃。
それを見た愛乃さんは風の魔法で応戦するが、咄嗟の魔法では三体の怪物を押しとどめきれない。
――ピュン!
接近した怪物が、愛乃さんに向けて触手の槍を放つ。
三体の突撃により虚を突かれた愛乃さんには、その一撃に対処するだけの時間は残されていない。
触手の槍が、愛乃さんの腹部に直撃する。その光景に、湧井先生は一瞬勝利を確信したようだったが、すぐにその表情は苛立ちへと変わる。
愛乃さんの腹部に到達した触手が、見えない防壁に阻まれ、その数センチ手前で停止していたのだ。
「…残念。そのまま突撃された方が辛かったけど」
怪物の触手が見た目以上に非力であることを見抜いていた愛乃さんがあらかじめ講じていた対策。それは、怪物たちの触手による牽制を完全に封じる一手であった。
愛乃さんの対策に一つ舌打ちをした湧井先生は、怪物を散開させて愛乃さんの周りを囲う。正面から突破できないのであれば、包囲によってじわじわと削り取ればいい。
「嘗められたものね」
だが、そんな考えをあざ笑うかのように、魔女・阿久津愛乃は無慈悲の一撃を放つ。
「火炎よ!」
その一言と共に放たれた火炎の魔法は、光の渦となって三体の怪物をまとめて焼き払う。それは、怪物の回復能力を以てしても大きな損傷を免れない強烈な一撃。
「…っ、散れ!」
湧井先生は、怪物たちがその一撃を耐えられないことを瞬時に悟ると、魔法の効果範囲から怪物たちを退避させる。だが、それもまた愛乃さんの手中。
「――包囲はいいのかしら?風よ!」
大きく開いた怪物の包囲をすり抜けて、三条の鎌鼬が湧井先生の元へと飛来する。両足、右手、そして首を同時に狙う鋭い一撃。
「ッ防壁!」
それを、湧井先生は単純な防壁魔法で凌ぐ。だが、その対応により、怪物たちの操作が一瞬完全に停止した。怪物たちは炎の嵐により焼けただれ、回復すら間に合わない。だから、愛乃さんが続けてはなった魔法の連撃を止めることはできない。
「疾風よ!」
先の一撃より遥かに強大な魔法が、湧井先生の体を打ち据える。防壁魔法はまだ効果を残していたが、単純な防壁で受けるにはその魔法はあまりに強大。呆気防壁は破られ、湧井先生はボールのように弾き飛ばされた。
それは、はたから見れば完全に勝負が決まった瞬間。
だが…
「くっ…!しつこい!」
愛乃さんの周囲に、焼けただれたままの怪物が殺到する。防壁を破られ弾き飛ばされた湧井先生は、それでも咄嗟に怪物達に指令を出していた。そして、湧井先生に注意のほとんどを向けていた愛乃さんにとって、それは予想外の行動だった。
故に、体の半ばを喪い簡単に打倒できそうなその怪物たちに、しかし愛乃さんの対処が数秒遅れる。そしてその数秒は、怪物たちが完全にその体を修復するのに十分な時間だった。
勝負は振り出し。
いや、絶好の勝機を逃した分、愛乃さんの方が不利か。
「嘗めるなァ!」
再び巻き上がる火炎。しかし、万全の怪物に囲まれ、その攻撃を受ける状態で放たれた火炎には、先ほどのような火力はない。わずかに怪物を怯ませた火炎は、しかしその動きを止める前に掻き消える。その隙を突き、三体の怪物が同時に攻撃を加える。
「防壁!」
そして、それを愛乃さんの防壁が押しとどめる。
戦場は、完全に拮抗していた。
野外に出たことで火炎の魔法を十全に扱い一瞬で怪物たちを焼き払う魔女と、その火炎を使わせないように猛攻を加える怪物たち。戦いは、激しくも膠着状態を迎えていた。
「クソ、油断した…!」
愛乃さんと三体の怪物が戦う広場の端。校舎の影になる暗がりに、湧井先生はうずくまっていた。
三体の怪物によって愛乃さんを抑え込んでいるとはいえ、疾風の魔法の一撃は湧井先生の体に大きなダメージを与えていた。それゆえ、次に怪物たちの包囲網を突破されれば、もう対処はできない。
「魔女め……これほどとは!…だが、勝敗は変わらん」
それでも、湧井先生の目は自身の勝利を疑っていなかった。
状況は完全に膠着している。だが、それは今この時点の話。
魔本によって生み出された傀儡である怪物たちと違って、愛乃さんは魔女であっても人間。このまま戦いが長引けば、先に力尽きるのは愛乃さんだ。
だから、湧井先生はこの膠着状態を維持するだけで勝利を得ることができる。
「確かにその力は脅威。だから、最後まで気は抜かんぞ」
それゆえ、湧井先生の注意は完全に愛乃さんに向けられていた。
隠密魔法で暗がりに隠れる、僕の姿に気づかないほどに。
ゆっくりとその後ろに近づく、僕の存在に気が付かないほどに。
――取った!
湧井先生のすぐ横まで近寄ったボクは、その右手に持った魔導書に手を伸ばし…
「気付かないとでも思ったか?」
だが、その右手は突如振り返った湧井先生の左手に掴まれる。
「魔女は囮か。小賢しい策を使ったところで、見破られれば意味はない」
魔導書を奪えなければ、怪物たちの動きを止めることはできない。
この距離では、僕が魔法を発動するより湧井先生が対処する方が早い。
万事休す。
そう思わせることも、策の一つだった。
僕の策は、先生に近づけた時点でほぼ成功している。
「…力のある魔導士って不思議なもんなんですけど」
僕の言葉を、湧井先生は無視する。当然だ。先生にとっては真の脅威は魔女である愛乃さんであり、無力化した僕にいちいち構っている余裕はない。
でも、その考えがつけ入る隙だ。
僕の奥の手は、湧井先生からは僕の体の影に隠れている、左手の『兵器』。
「皆、魔法以外の脅威を甘く見すぎなんですよね」
「ぐ、がああぁぁぁああああああ!!」
その一撃を受けた湧井先生が、たまらず地面に崩れ落ちる。
スタンガン。
どんな魔法でも、技術でもなく。
非殺傷性個人携行兵器の代表であるそれが、僕の切り札だ。
「貴様…!!」
とはいえ、服の上からスタンガンを押し付けたくらいでは、人間は気絶しない。精々が痛みにのたうち回るくらい。湧井先生も、痛みにうずくまったとはいえ意識を喪ったわけではない。
だが、それで十分だ。
「火炎よ!」
湧井先生が地面にうずくまる、その数秒で、愛乃さんはすべての怪物を跡形もなく焼き払う。それは、この戦いを完全に終結させる、終わりの光であった。
長くなったのでエピローグは後で。