「終わりましたね」
戦いが終わり、僕は愛乃さんの横へと近づいていく。手には『ヴェリア=ボルンの魔本』。湧井先生は怪物を焼き払われた瞬間に戦意を喪失していたが、念のためこの魔本は回収しておいた。仮に先生が悪あがきをしようとしたとしても、魔本がなければ愛乃さんに敵うはずがない。
「そうね……普君、それは先生の魔本かしら?」
「ええ。先生はもう戦う気はなさそうですけど、念のため」
「ありがとう。ちょっと、それ、貸してくれない?」
頷いて、愛乃さんに魔本を渡す。
魔本を開いた愛乃さんは、しばらくそ内容に目を通していたが、やがてため息をついてぱたんと本を閉じる。
「やっぱり。比良坂さんを蘇らせる手立てはないか…」
そうつぶやくその目には、深い悲しみが浮かんでいるように見える。怒りの方が大きいといっていた愛乃さんだが、湧井先生を打ち倒したことである程度怒りが収まったのだろうか。
そして、数秒魔本を見つめたのち、
「炎よ…」
その魔本を持った右手を掲げ、炎の魔法で魔本を完全に焼き払った。
「…いいんですか?使い様によっては役立つと思いますけど」
「いいの。この本を見るたび、悲しさが止まらなくなると思うから…」
愛乃さんは静かに語る。自分で使えないならそれを役立てられるところに寄贈すればいいとも思ったが、あるいはこれは愛乃さんからのある種の追悼であるのかもしれない。
灰になり空に巻き上がる魔本を、それが夜空に消え去るまで見送る。
「さて、始末をつけましょう」
そして、愛乃さんは湧井先生の元へと向かった。
湧井先生は、呆然とした風に地面に図割り込んだまま、愛乃さんが近づいても顔もあげずに動かない。
「終わりね。もう、戦うどころか逃げることもできないでしょう?」
「…殺せ。魔本がなければ、娘を生き返らせられないなら、最早生きている意味もない」
「ふん、潔いわね」
「……今さら生き残ってなんの意味がある」
湧井先生がぽつりとそう呟く。
怪物――娘を蘇らせようとした人形を喪い、『ヴェリア=ボルンの魔本』も無くなった彼にとって、今となっては生きる望みもないのだろう。
そんな湧井先生を、愛乃さんは冷めた目で見つめる。
正直なところ意外だったのは、湧井先生がいまだに生きていること。悲しみが塗りつぶされるほどの怒りが湧くといっていた愛乃さんだ。戦いが終結した瞬間に先生を殺したとしてもなんの不思議もなかった。
そのまましばし湧井先生を見つめた愛乃さんは、深く、深くため息をつき、
「普君、湧井先生を拘束して」
そう言って、何かを堪えるように天を仰いだ。
「良いんですか?」
「早く。私の気が変わらないうちに…」
「…わかりました」
僕は、彼女の言葉に従い、こういう時のために用意している縄で湧井先生を拘束する。
一方、自分が生かされた事に気付いた湧井先生は、
「なぜ生かす!魔女が、法の下で裁かれろなどと言うつもりか?!」
そう、愛乃さんを問い詰める。
「…本当なら、あなたのことなんて百回殺しても飽き足らないくらいだけど…」
「そうだろう…だったら殺せ!」
「殺しても、あなたは死ねば家族のもとへ行けるって、そう思っているでしょう?」
「そうだ。もはやこの世に未練はない!」
「…だったら、あなたが最も苦しむやり方で終わらせる」
愛乃さんは、凍るような視線を湧井先生に向ける。その目を見て分かった。彼女が先生を殺さないのは、法の下で裁くためでもない。ましてや、その境遇に同情したなんてあり得ない。
そして、感情の宿らない零下の声で、彼女は湧井先生への裁きを告げる。
「あなたは家族のもとへは行かない。ただの殺人犯として檻に繋がれる。檻の中で、その惨めな余生を精々長く楽しみなさい」
「…あ、あああぁぁぁぁあああああああ!!!」
愛乃さんの言葉に、湧井先生が叫び暴れる。だが、魔本も喪い、雁字搦めに拘束された先生に、できることなど何一つない。そして、愛乃さんももはや、何もするつもりは無いようだった。
雲間から現れた満月が照らす旧校舎の広場の上で、湧井先生の慟哭はいつまでも続いていた。
***
あの戦いから早や数か月。
青々と茂った木々が爽やかな風に揺れる立夏のある日曜、僕は愛乃さんとともにある場所を訪れていた。
それは、比良坂さんのお墓。
遺体こそ出てこなかったものの、湧井先生が逮捕されたことで今までの犠牲者はすべて明るみになった。その犠牲者の数は十を超え、一時期は学院中が大混乱に陥った。当然だ。学院の教師が、まさかそれほどの事件を起こしているなど。まして、それを完全に見逃していたなど、誰もが夢にも思わなかった。
もちろん、世間でもあの事件は大問題になり、魔法使いの扱いをもっと厳重にすべき、なんて話も挙がったほどだ。ただ、それを解決したのも同じ魔法使いである事が知れ渡ったことで、議論はさらに紛糾。結局、現状維持で様子を見ることになったみたいだ。
「遅くなってごめんなさい、比良坂さん」
愛乃さんが、お墓の前で手を合わせて比良坂さんに話しかける。
あの事件の後、色々な混乱があったり学校側からの自粛要請が会ったりで、僕たちはなかなか自由に外に出ることができないでいた。そのため、愛乃さんとしてはすぐに比良坂さんの墓参りに来たがっていたのだけど、なかなか来れる機会が採れなかったのだ。
そんなわけで、今日は事件の後初めての墓参りなのである。
「…ふふ、私みたいな悪人が墓参りだなんて、不思議よね?」
愛乃さんが、独り言ともとれない口調でそう言う。その内容は、今までの愛乃さんから考えれば大変珍しいものだ。『善人であれ』を実行していた愛乃さんは、自分を悪人だと言うことはほとんどない。多分、そう思っていなかったからだろうけど。
それが、こうしてその言葉を口にする。比良坂さんと知り合った時から色々調子を崩したような風だったけど、これもそんな変化の一つなのだろう。
「別に、不思議じゃないと思いますけど」
「え?」
愛乃さんの言葉に、吾知れずそんな本当が口をつく。返事があるとは思っていなかったらしい愛乃さんは、目をぱちくりしてこちらを振り返った。
愛乃さんからすれば悪人は死者を偲ばないのかもしれない。あるいは、彼女がいなくなった時、最初に怒りに支配されたことが影響しているのかもしれないが。
だが、そんなことは無いと説明せねばならないだろう。
「善人だって悪人だって、友人がいなくなれば悲しいものです。別に、愛乃さんが比良坂さんの死を偲ぶのがおかしいなんてことはないですよ」
「あなたがいうなら、そうなのかしら?でも、私みたいな悪人は倫理観が薄いっていつも…」
「悪人だって、愛は知ってますから。この場合は、友愛ですけど」
「友愛…」
分からない、といった感じでおうむ返しにそう言う愛乃さん。この人、本当にこういうことに疎いんだから…
そして、愛乃さんはぽつりぽつりとその言葉を繰り返す。そして、そのまま暫く経ったのち、ようやく得心がいったという風に…
「…そっか、私、比良坂さんのことが好きだったんだ」
そうつぶやいた愛乃さんの目から、つうっと一筋の涙が零れる。
その涙に気づいた愛乃さんは、「あれ?あれ?」と目元をぬぐうが、次々に零れる涙が顔を濡らし続ける。そして、そのまま声も上げずに、彼女は暫く泣き続けた。
爽やかな夏の風が、愛乃さんの長い髪をたなびかせる。
あの後、暫く声もなく泣いた愛乃さんだったが、やがて涙が止まるとすっかり晴れやかな表情になって顔を上げた。心に折り合いがついたのか、今までのような陰もなく穏やかな表情だ。
「…気持ちの整理はついたみたいですね」
「ありがとう。何も言わないでくれて、助かったわ」
「まあ、何もしてあげられませんでしたし、それくらいは」
「それでも。ありがとう。」
そう言って、愛乃さんは比良坂さんのお墓に向き直る。
そして、しばらく言葉を探している風に押し黙っていたが、やがてぽつぽつと語り始めた。
「ありがとう、比良坂さん。あなたのおかげで、友達を愛することを知った。友達のために、心や体が勝手に動くことも知った。多分それが、これからの人生の一番の糧になると思う」
初めての友達に向けた、感謝の言葉。それはまるで、普通の人間が抱くような、普通の感情だった。
「あなたがいないのは寂しいけど。でも、憎まれっ子世に憚るというし、そっちに行くのはだいぶ遅くなると思う」
そう言って、愛乃さんはふわりと笑う。それは、今までの愛乃さんからは考えられなかったような、優しい笑みだった。
「沢山の土産話を持っていくから、ゆっくり待ってて」
ざあ、と一筋の風が吹き抜け、木々の葉を鳴らす。まるで、何かに応えるように。
それに気付いてか、愛乃さんは満足したように立ち上がる。そして、くるりと身を翻すと、僕の手を取って歩き出した。
「さあ、戻りましょう。最近は周りがざわついて何もできなかったから、そろそろ善行を積んでいかないと」
「…それ、まだやるんですか?」
「当然。私は善人であるよう務める必要があるし」
そして、にっこりと笑うと、晴れやかな表情でこう言った。
「比良坂さんに胸をはるためにも、土産話は沢山作っておかないと!」