過去にツイッターで公開したものの再編集版になります。
薄暗い部屋。可愛らしく彩られた彼女の部屋は普段の色彩を失っていた。
カーテンは開いているし、夕日も入ってきている。しかし、そこにいる彼女自身の感情が、部屋を黒く塗り替えていた。
彼女は色を失った部屋で、ふさぎ込んでいる。
「桜ちゃん」
私が声をかけても彼女はピクリとも反応しなかった。声が届いているのかも怪しくなり、近づいてからもう一度名前を呼ぼうとしたとき、そっと彼女は顔を上げた。
「……あん、ず」
私の名前を呼んだ彼女は泣いていない。今にも泣きそうな表情を浮かべているだけで、その瞳には涙も潤いもなく、真っ黒に乾いていた。
「大丈夫? 桜ちゃん」
大丈夫じゃない、分かっているのにそう声をかけることしかできなかった。
真っ黒な瞳がゆっくりと塞がれる。
しばらくの間、沈黙が続いた。沈黙が続けば続くほど部屋の色が失われていくような気がして、耐えきれず、沈黙を破った。
「何かあったの?」
彼女の隣まで近づき、何度も同じ言葉を投げかける。大丈夫? どうしたの? 本当はそんな言葉で彼女を慰められるわけがないことは分かっていた。だけど、沈黙が、色彩がこれ以上失われることが怖くて、私は絶え間なく言葉を投げ続ける。
3回ほど言葉を投げかけたところで、ようやく彼女は眼を開けて、こちらを見つめた。近くで見るとその瞳の「漆黒に吸い込まれそうになる。私はゆっくりと彼女の頭を撫でた。少しでも気を紛らわせることが出来れば、いつもの明るい彼女に戻ってくれるんじゃないか。そう思いを込めて。
しばらく頭を撫でられながら私を見つめた後、彼女は口をゆっくりと開いた。
「私ね、見ちゃったんだ……、猫が死んじゃったところ」
「猫が?」
「うん、黒い小さな猫。通学途中の道でいつも会っていたんだけど、今日は会えないなーって思っていたら、帰り道でね、真っ赤な地が黒い毛を包み込んでいたんだ」
「そう、なんだ……」
「らこ、悲しくて、怖くて、急いで帰って来たんだよ」
「知ってる、走ってたの見えたから」
「辛いときは泣いてね、いっぱい泣いて、それで疲れて寝ちゃって、起きたら全部リセットされて。
そうしたらまた朝には笑顔になれるの……。なれてたの。
でもね、泣けないんだ。あんなに悲しかったのに、とっても辛かったのに。一滴も涙が出てこないの。どうしてだう。涙もどこかに置き忘れてきたのかな。急いで走って来たからかなぁ。おかしいんだよ、私」
そういう彼女の顔は今にも泣きだしそうなほど崩れている。それなのに瞳からは涙が。いつもは人の気持ちを思ってたくさんの涙を流している瞳が、今は泣くことを忘れてしまったように乾いていた。
私はその症状を知っていた。
「大丈夫、桜ちゃん。泣けなくても大丈夫。涙を流すのはね、記憶を洗い流すためなんだよ」
「記憶を……、洗い流す?」
「そう、悲しいこととかね、辛いことがあった時は、涙を流して一緒に辛い感情や悲しい感情を吐き出すの。でも、その時に感情だけじゃなくて記憶も整理して吐き出してしまうの。辛い記憶や悲しい記憶をね」
「でも、泣いても記憶はあるよ。辛いのも、悲しいのも」
「うん、全部は無くならない。だけど、辛い記憶や悲しい記憶よりも、泣いた記憶の方が残ってない? あの時なんでないたんだっけって」
「……そう、かも」
「でしょ? そうやって、涙を流すことで記憶も整理しているんだよ。だから、涙が流れない時は、流しちゃいけないことなんだ。その黒猫さんが死んじゃったこと、桜ちゃんは忘れちゃいけないと思ったんじゃないかな。桜ちゃんは強い子だから、現実と向き合って涙と一緒に流さなくても受け止められる。心がそう判断したとき、悲しくても涙は流れないんだよ」
昔、私も同じことがあった。アイドルを目指した挑戦に失敗したあの日。私はすごく悲しかった、とっても辛かった。だけど、涙は流れない。涙を流さず、嗚咽を漏らしていた私に環ちゃんが教えてくれた。あんずは強い子だから……。泣けなくても良いんだよって。
彼女の目が次第に潤んでいく。
「あれ、なんで急に……涙が……、あんなに出なかったのに。ダメ! 記憶が!」
「大丈夫、落ち着いて、その涙は流して良いんだよ。大丈夫、その涙は黒猫の死を洗い流すためじゃない、黒猫さんと過ごした楽しい記憶と今の悲しい記憶、その二つの色を混ぜ合わせるための水だから。心のパレットで混ぜて合わせて、思いでを彩るための水えのぐになるから」
それを聞いた彼女は、安心してひたすらに泣きました。ひとしきりの涙を降らせて、力をすべて出し切り眠りに尽きました。
明日はきっと、雨かな。晴れだと良いけど。どっちでもいいか。彼女はきっと笑顔でしょうから。