※この作品は『Arcadia』様にも投稿しています。
暇潰しでも良いので読んでくれれば嬉しいです。
『猫を探しています』
『空き巣注意』
『ゴミの分別』
――と色々張ってある掲示板の前で先程まで私の乗っていた電車が大きな音を立てて去っていくのが見える。
終電の電車だ。
既に駅から離れており、辺りに店は見当たらない。ただ街灯だけがポツポツと光を放っている。そんな中で私は一人で歩いている。
結局今日もこんな時間になってしまった。
いくら納期が近いとはいえ毎日こうも遅くなるのは勘弁して欲しい。
まったくあの禿げ親父め! まぁそれも後少しの辛抱だ。出張期間も後一ヶ月だし。
心の中で愚痴っている内にアパートが見えてきた。判っていたとはいえ、いざこうして歩いてみるとやっぱり駅から遠い。三ヶ月だけ、家賃は会社持ち、なら多少の不便は許容しようと思ってここにしたが残業帰りの疲れた時は辛いものがある。紹介の時は車だったから気付かなかった。
また少し街から離れている為、店や住居が少なくて草木が多く、かなり暗い。当然街灯はあるが多いわけではなく、むしろそれが逆に周りの暗さを際立たせている気がする。
正直なところ夜中にあまり通りたくない場所だ。
そういえば最近この通りで変質者が出たとニュースで聞いた。被害者は二人、どちらも女性で一人のところを襲われていた。犯人は近所の者だとか……少し怖くなってきた。
さっさと帰ってシャワーでも浴びて嫌なことは忘れよう。
私は少し歩く速度を上げた。
私の部屋は一階の端、『108』号室である。アパート自体は三階立てで、個人的には二階より上の階が良かったのだけれどここしか空いてなかった。今日みたいに早く部屋に入りたい時は助かる。
私はアパートの前に到着し、無自覚に溜息を吐く。実際何もなくとも安心してしまう。
自分が心配性なのはいつものこと。こればかりはどうしようもない。
早速鍵を開けて部屋に入ろうとするが、あれっ!
扉が開かない……鍵が閉まっている。でも今確かに私は鍵を開けたのだから、元々鍵は開いていたのか。閉め忘れとは我ながら無用心だな、と思い鍵を再び開けて扉に手をかける。
そこでふと先ほどの空き巣注意の張り紙を思い出す。……まさかね。だが先ほどは流してしまったが私は心配性で鍵の閉め忘れもチェックしている、そうそう閉め忘れるか?
私はギュッと鞄を握り締めて扉を少しずつ開けた。視線の先には――――
暗いながらもいつも通りの私の部屋のあるだけだった。真正面の廊下から奥のリビングまで見える限りは荒らされた様子もない。
まあそうだろうとは半ば思ってた。空き巣なんてそうそうあるはずがない。
……だが待てよ、ここで安心していいのだろうか?
先程まで私は何を怖がっていた? そう、変質者だ!
私がここに入居して二ヶ月、毎日通勤している。見た目は美人、とまで言うつもりはないがそこそこではあると思う。ここら辺で若い女性はあまりいないから目立つはず。
丸一日部屋を開けていたのだ、変質者がこれ幸いと侵入して隠れる時間は充分にある。
自意識過剰かもしれないが、用心して損はない。何もなければ笑って済ませばいい。
私は警戒しつつ部屋に入る。
とにかくまず明かりを付けよう、暗いと不意を突かれる可能性がある。
右手の鞄を握りつつ、入ってすぐ横、玄関のスイッチを左手で押す。
一秒位経った後、照明が点いて右手にキッチンを備えた廊下がしっかりと見える。明るくなっただけで特に異常もなく音もしない。
ここは先程から見ていたので問題なし。
問題はキッチンの反対にある一体型のトイレ・バスルームだ。普通は帰って来てすぐには見ない上、隠れるスペースは十分ある。それに先に奥のリビングへ行くと外への扉を塞がれて逃げ道を潰される恐れがある。先に確認しておくべきだ。
鞄を再び握って気が着いた。万が一を考えると鞄じゃ心許ない気がする。何かないかと思って周りを見渡す。
鍋――鞄と同じく心許ない。
包丁――使えそうだが、私に人が刺せるか?それに奪われたらかなり危ない。
傘――これも使えそうだが、部屋で振り回すには良くないかも。
殺虫剤――これだ! これなら私でも使いやすいし、もしもの時は相手の目にかければ逃げる隙を作ることが出来そうだ。何より使うのに躊躇しないで済む。
私は殺虫剤を持ってトイレの前に立つ。耳を傾けるが特に物音はない。
確か浴室のドアは普段から換気の為に開けていたはず、つまりこの扉を開くとすぐに部屋全体を見渡せる。
ごくりと唾を飲み込む。
トイレの照明スイッチは廊下にあるので点けることもできるが、居ると仮定するとわざわざこちらが中に入るということを知らせる理由はない。
私は殺虫剤を構える。そして意を決して一気にトイレの扉を開いた――――
ガランとしたトイレとバスルームがそこにはあった。
見た感じは問題ないとなると人一人が隠れるほどのスペースはここにはない。
なら次はリビングだと思い引き帰そうとしたところでふと思い出した。
そういえば前にバスルームの上の換気口のスペースに人が隠れていたというニュースだか映画だか見たことがある。一応チェックしておこう。
バスタブを踏み台に、殺虫剤を構えて換気口横の格納スペースを一気に押し開けた。
……問題はなかった。狭く暗いスペースがあるだけだ。
これで今度こそここは大丈夫。
一瞬ほっとしつつもすぐにここで油断してはいけないと気を引き締めて廊下に出る。
残るはリビングだ。ただ廊下とリビングの間の扉はさっき見た時に開いてて確認できたから、右半分は大丈夫。リビングに入って左半分が問題だ。
廊下の左の壁に背を引っ付けて音を立てないよう少しずつ進む。
リビング前まで来て一度止まる。
常識的に考えてここで覗いて誰か居る可能性は低い。隠れるところもないし、リビングに馬鹿正直に居るってことは普通ありえない。だけどやはり念の為だ。
そっとリビングを覗き込む。
…うん、普通だ。ベッドの上には崩れた掛け布団、電源の入ってないテレビ、テーブルの上にあるリモコンや朝食の食器、何から何まで朝のままだ。
ここまでくると残る選択肢は一つだけ、テレビの右側にあるクローゼットだけだ。
音を立てないよう慎重に移動してクローゼットの前に立つ。
――何となくだが唐突に凄く嫌な予感がした。
扉はキッチリと閉まっている。人が居るならこうは閉めれないはず。
時間は十分にあったと自分で考えたのを忘れたのか?
いやここに来るまでに私は音も出してたし、居たのならとっくに出てきただろう。
人の家に侵入するような奴が普通の人か?扉の前まで来るのを待っていたのでは?
こころなしか人の気配があるような気がしてくる。
クローゼットの中に潜んで私が開けるのを待っている人の気配が。
気のせいだと思いつつも唾を飲んでしまう。
心臓がドクドクいっているのが聞こえる。
耐えられなくなった私は右手の殺虫剤を向けて左手でクローゼットを開いた。
刃物を持った男がこちらへ向かって勢い良く飛び出して――――来なかった。
そんなものはなく、ただ私のコートやスーツ、私服が並んでいるだけだ。
ヘナヘナとフローリングに座り込む。
「……ぷっ! あっはははははははは!」
思わず笑ってしまった。
そりゃそうだ。こんな深夜に私は一人で何をやっているんだ。自分の部屋で殺虫剤片手に勝手にビクビク怯えて扉を開けまくるなんて。
いくら自分が心配性でもこれはない。本当にない。
立ち上がってリビングの電気を点けるとすぐに明るくなる。
必要なくなった殺虫剤を一度見てテーブルに置く。代わりにリモコンを取ってテレビを点けると賑やかな笑い声がテレビから聞こえる。バラエティ番組のようだ。
はぁ、なんか余計疲れてしまった。お腹も減ってきたけど、とりあえずは帰る時に考えた通りシャワーでもさっさと浴びてこの恥ずかしい出来事を忘れよう。
スーツを脱いで廊下に入った時、正面からガチャと音が鳴った。
自然とそちらの方に目を向けると――
玄関にヒョロッとした刃物を持った見知らぬ男がこちらを見てニヤッと笑っていた。
あ、玄関の鍵……。
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