ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり 未踏査地区編   作:ロートシルト男爵

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第5章 王の宴(上)

 

王都 アヴァロン駐屯地 久居権三郎の居室。

 

日本側のそれと変わらぬ官舎の一角に備え付けられた仏壇の前で正座し、手を合わせる久居。

棚引く線香の紫煙の向こうにはかつての愛娘。久居円の遺影があった。

 

久居は愛していた。

自衛官である父を尊敬し、自分も防衛医大を受験すると張り切って勉学に励む娘を。

時に喧嘩しつつも高校から帰ったら毎日予備校に通わせ、帰宅時間に合わせ遅めの夕食まで用意していた。

そんな目に入れても痛くないような娘はあの夏の日、齢18にして命を落とした。

 

銀座事件——銀座に突如として開いた門より現れた幾千もの帝国軍の軍勢の襲撃を受け、当時級友と銀座を歩いていた円は混乱の最中、連れ去られた。

 

娘が行方不明となったと知った妻は狂気の底に堕ち、久居もまた眠れぬ夜を過ごしながらも、アルヌスの丘で飛龍や翼竜の軍勢を短SAM(短距離地対空誘導弾)で一匹また一匹と粉々にしながら特地での勤務を続けた。

 

当時の3等陸尉、伊丹耀司の指揮下にある第3偵察隊の活躍により娘含む拉致被害者の安否が確認された時には血眼になって娘の名を探した。

だが帝国を通じてアルヌスへ届けられたのは娘の死亡通知書と、遺品の髪飾りだけだった。

 

帝国側の報告では、円は帝都の女衒に売られ、帝国兵や人外の獣達にその身を辱められ、ろくな食事も与えられずに衰弱死したという。

 

それを聞いた久居は3日間泣き続け、涙が枯れたある日を境に呟くようになった。

 

「特地の人間全てに、自分の味わった苦痛を100倍にして返す」と。

 

勿論専守防衛を国是とし、他国の争いに関与しない方式の時の日本政府の方針により戦争の機会はなかなか与えられなかった。

だが時の皇太子、ゾルザル・エル・カエサルの仕組んだクーデタによる帝都内部に於ける抗争の際には誰よりも最前線に立つことを志願し、槍と盾しか持たない帝国兵や掃除夫(オプリーチニナ)の軍勢を87式自走高射機関砲(スカイシューター)の水平射撃で肉塊に変え続けたという。

 

帝国との国交回復後は原隊に復帰し、胸の内に冷めやらぬ憎しみの炎を秘めながらも淡々と日々の勤務を続けていたようだが、ある日駐屯地を訪れた大津にその手を握られ、こう言われた。

 

「貴官の活躍は噂に聞いている。私には貴官が必要だ。そして貴官にも私が必要だ。私の下へ来い。そうすれば貴官の復讐は続けられる。我等が身、朽ち果てるその日まで」

 

と。

 

「円……昨日は10人殺したぞ。そっちももう賑やかだろう。ほら、今日の分の飴だ」

 

久居は懐から市販の飴を取り出し、仏壇に置かれた菓子入れに一つ放り込んだ。

 

「特地で人間を殺したら10人毎に一個の飴玉を仏壇に備える」

 

毎朝起床してから久居が行う習慣だ。

菓子入れには既に20個もの飴が積まれていた。

 

「『目には目を、歯には歯を』……ハンムラビ法典か……。相変わらずだな。久居」

 

仏壇に正対する久居の肩に、いつの間にか入ってきた大津の白い手が置かれる。

大津は第3種夏服のワイシャツと緑のスラックスを着込み、肩章に私物の緑ベレーを通している。

 

ちなみに門の向こうでは陸自伝統の緑の制服に代わって紫紺の新制服が採用されたとかされないとかいう噂があるそうだが、隊員達からの評判は専ら悪い。

評価は概ね「自衛隊っぽくない」「ナスみたい」「警察官っぽい」と散々であり、部隊によっては未だに旧制服が着続けられているという。

「自衛隊の海兵隊」とも呼ばれる水陸機動団の設立を見てもわかるように、中国の制海権拡大、北朝鮮のミサイル問題などに伴いこれまで縦割りであった陸海空の自衛隊の相互連携が防衛省に於ける方針の大綱となり、陸上自衛隊もまた統合幕僚監部の象徴色である紫紺を従来のオリーブ色に代わって採用したという。

尤もおエラ方の意図を理解できない国民や一般隊員達からの評価は既に記したように今ひとつであり、同時に高い調達資金、森田内閣に続いて発足した時の新政権による失政、汚職も相まって「税金の無駄遣いではないか?」「こんなことに金使うなら居室の壊れかけのアイロンや洗濯機をなんとかしろ」との声まで上がっている。

もちろん門開通から特地入りして久しいこの中隊に於いては支給は間に合っていないし、仮に支給されていたとしても、もはやサイコパス的と言える程合理主義的な大津のことである。おそらく頑なに着るのを拒み部下にも決して着ることを許さないだろう。

 

 

「ええ、中隊長。これが私の余生に於ける唯一の生き甲斐です」

 

「皮肉だな久居。元々その言葉は『やられた程度にせよ』という意味で作られたというのに…」

 

「ええ、存じておりますとも。ですが私はもはや自衛官ではない。況してや人間ですらない……復讐に身を焼かれたただの殺人鬼です。人間には人間のルールがあるように、鬼にもまた鬼のルールがあるのですよ……」

 

「気に入ったぞその言葉。私もそれには同意だ。私も自分を自衛官とも人間とも思っていない。だが、今の私はこの地を統べる王でもあり、貴官は宰相でもある。どういう成り行きか……とにかくそうなったからにはそれらの責務も全うしなければならん。それは分かるね?」

 

「ええ。陛下の職務、決して邪魔立ては致しませんし、己の使命も自覚しているつもりです」

 

「よかろう。ならば今日は殺しは無しだ。事前に話した通り客人を招いているのでな。示された時間に王宮に出向いてくれると助かる。久々の宴会と洒落込もうじゃないか。特上のトカイワインが届いている頃だろうし、席も既に取ってある。万年喪中のつもりか普段一滴も飲まない貴官も、たまにはリラックスした方がいい。娘さんもそんなことで腹を立てるような性格じゃないだろう?」

 

「ええ、陛下のお誘い、ぜひ乗らせて下さい」

 

「よし。では私も宿題があるのでな。失礼するよ。この仕事を続けて久しい貴官には言うまでもない事だが…くれぐれも時間にだけは遅れないよう……国賓を待たせたとあっては王である私の面子が潰れるのでな。以上!別れて事後の行動、わかれ‼︎」

 

「別れます‼︎」

 

久居はポマードで固めた白い毛髪の頭を下げて10度の敬礼をし、胸に留められたピカピカのダイヤ徽章と格闘徽章を光らせながら飄々と退出してゆく大津の広い背中を見送った。

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

どれほど眠っただろうか……。

 

今日の朝方。目隠しの麻袋を被せられ、大津の部下達に小突かれるがままに車両に詰め込まれ、暫く揺られているうちに恐怖で疲れ果てた豊川はいつのまにかうとうとと眠り込んでしまった。

目が覚めれば見慣れぬ一人部屋。

豊川は辺りを見回す。

自分の身体に掛かっている毛布とシーツはきちんと自衛隊式に端を三角に織り込まれており、完璧な状態のベッドメイキングがなされている。

ベッド脇のサイドテーブルにはガラスと真鍮で作られた花型の読書灯が備えられており、ペルシャ絨毯のような豪華な絨毯の敷かれた床の上にはマホガニー材のデスクと牛革のリクライニングチェアが一つずつ設置されている。

見慣れたフランスベッドを除けば、ここはどこかの高級リゾートホテルではないかと錯覚しそうな程上等な部屋だ。

 

「そ、そうだ‼︎善通寺を探さなければ…出口は……駄目か。じゃぁ窓は——なっ⁈」

 

出入口には人の気配。おそらく見張りがついているだろうということで諦め、豊川はベッド下に揃えて置かれた半長靴を履いて窓の方へと向かったのだが、ガラス窓の向こうに映る景色を目にした豊川は絶句した。

 

まず目に入るのはアルヌス式の六陵郭に囲まれ、寸分違わぬ高さに揃えられた石材の建造物が立ち並ぶ街。街の外れにはアステカのテオティワカンのような階段ピラミッドが幾つかあるように見える。

巨大な街の中には、その一部だけ切り取ったかのように柵が張り巡らされ、他の建物とは打って変わって真っ白で屋根の平たい、自衛隊の隊舎のような建物がずらりと並んでいる。

 

アヴァロン王国王都——大津が建設した鉄壁の城塞がそこにはあった。

 

「出ろ」

 

ふとドアが開けられ、89式小銃を3点スリングで提げた見張りの自衛官が退室を促す。

胸元の名札と3本線の腕章から判断するに名前は「佐藤」で、階級は陸士長だろう。

 

「なぁ、ここは何処なんだ?部隊のみんなは何処だ?」

 

階級が一つ下ということもありやや語気を強めに尋ねる。だが佐藤はそれらの質問に何一つ答えることなく淡々と豊川の後ろに回り、目元にOD色の布を巻きつけ後頭部で本結びにする。

 

「な、何をする⁈」

 

「陛下からの呼び出しだ。今からお前を連れて行く。暫く黙ってろ。そして何も見聞きするな。死にたくなければな」

 

「……」

 

何かに怯えているかのように酷く冷たい言い方をする佐藤に背中を押されるがままに、豊川は居室から外へと続く廊下を歩かされ続けた。

 

 

* * * *

 

 

 

「さて、これで主賓は揃ったな。佐藤。いい加減そのむさ苦しい目隠しを取ってやれ」

 

「はっ」

 

佐藤に誘導されるがままに歩き続け、座らされた椅子の上で豊川はようやく目隠しから解放された。

 

久々に戻った視界に、窓から差し込む幾筋もの陽光が直撃し豊川はやや目を眩ませる。

明るさに目が慣れるにつれ、豊川は眼前の景色に再度驚く。

 

 

まず目の前に広がるのは白いクロスの敷かれた巨大なテーブル。

机上には白磁の皿。その上には王冠型に折られたナプキン。それを囲うように置かれたナイフ、フォーク、スプーン、フィンガーボウルにワイングラス。

どれも自衛隊の合言葉「水平直角一直線」に倣うように、まるで毛布の上に分解した小銃の部品のように誤差±5mmで並べられている。

 

豊川の向かい側の席に座るのは3種夏服に身を包んだ大津。豊川から見て大津の左隣には丙-2。つまり戦闘服に半長靴だけの姿の善通寺。そして右隣には大津と同じく夏服の見知らぬ自衛官。

やや後退したオールバックの白髪と銀縁の角眼鏡がジジ臭さを漂わせるが、その風貌は大津同様若かった。

肩章と名札から判断するに階級は2等陸尉。名前は久居だろう。

 

「豊川、善通寺、ようこそ我が王宮へ。歓迎するよ。改めて自己紹介しよう。私は大津厳十郎。元陸上自衛官にして、この国の王だ。こっちは久居権三郎。同じく元自で、訳あってこの国で宰相をしている。よろしくな」

 

「………」

 

「ん?何だこの空気は。待てよ…私には言わなくても分かる。豊川、君は今無性に腹が減っていて、食卓に座ったからにはこんな与太話より前菜を出せとそう言いたいのだな?」

 

「い、いえ…」

 

「腹が減った」——それは大津の班に於いて、班長に決して言ってはならない禁句となっているため、豊川は咄嗟に口を噤む。

 

大津の自衛官としての風変わりな性格は今に始まったことではないが、食に関しては特に注意を要する。

入隊して間もない頃、初めての引率外出。

街を散策して暫く、班員の一人が「腹が減った」と呟いたのを耳にした大津は、徐に班員全員を行きつけのフレンチに連れて行ったという。

大津はナイフとフォークの使い方も分からぬ豊川達を見てクスクスと笑いながら昼間からワインを3本近く空け、飯代の支払いに戸惑う班員達の目の前で諭吉(一万円札)の束を置いて「あとはごゆっくり」とだけ告げて出て行った。

それ以来大津の前では「時間がない」と並び「腹が減った」はタブーとなったのだ。

 

「まぁ来てもらったのが明け方近かったからな…日課の起床ラッパも特例で取り止めにし、朝飯も出さず君達を昼まで寝かせておいたのは私の裁量だ。遠慮しなくていい。デュセス!ティア!ビスコッタ!皿と酒を持ってこい!!」

 

「「はい、陛下」」

 

大津の背後で控えていたヴォーリアバニーのメイド達——デュセス、ティア、ビスコッタと呼ばれた三人は大津の合図でそそくさと側のワゴンに向かい、配膳を始める。

テーブルの中央にはファターニェーロシュ。つまりサラミ(コルバース)やフォアグラの乗った肉の盛り合わせが置かれ、各人の皿の上にはグヤーシュ——肉野菜をパプリカ粉とワインで煮込んだスープが配膳される。

 

「さて、召し上がれ。なぁに、心配いらない。既に女官達に毒味はさせてある。ちなみにこのグヤーシュは特に旨いぞ?お袋が56年の動乱で逃げて来た時持ってきたレシピそのままで作らせた。特地(こっち)の材料じゃ旨く出来るか心配だったが…旨く出来た方だ。召し上がれ(ヨー エートヴァージャ)

 

「い…頂きます」

 

豊川と善通寺は大津に促されるままにスプーンを手に取り、グヤーシュを口に運ぶ。

 

味はたしかに旨い。ハンガリー料理自体を食べたことのない二人にとっては新鮮な体験ではあったが、それでも旨いことは確かだ。

 

「デュセス!酒を」

 

デュセスと呼ばれた黒毛のヴォーリアバニーは細い身体で一升瓶程の大きさの瓶を抱え、各々のグラスを黄金色のワインで満たす。

 

「班長!いい加減に——」

 

「積もる話もあるだろうが、それはこの杯を空けてからでも遅くはないだろう?豊川よ。いつも時間に追われる毎日を過ごしてきたんだ。たまにはゆっくり食事をするのも悪くないと思うが?うん?」

 

「………」

 

旧知の仲とはいえ昨日まで自分に銃を向けあまつさえ連行までした相手にいきなり宴席に呼ばれ、いつまでこんな茶番に付き合わされるのかといい加減しびれを切らした豊川はつい声を荒げたが、大津はその金色の瞳で彼を見据えつつ言葉を遮った。

 

「久居、善通寺、そして豊川。杯を持て。では改めて……再会を祝して‼︎」

 

大津の取る音頭の下、自衛官達による昼間からの奇妙な宴会が幕を開いた。

 


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