舞鶴第一鎮守府の日常   作:瀬田

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シリアス回。長めです。

ちょっと百合成分あるかもしれないので、苦手な方はご注意ください。

※2021/01/17
加筆修正の為に前後編へと分割しています。





第十一話 記憶(前篇)

「···ん」

 

ふと、気付きの声が彼女から漏れた。

最近、航空巡洋艦への改装を終えた鈴谷は、西方海域からの帰投後、提督を廊下の奥で見かけた。

 

「ん···あれ、提督じゃん!」

「おお、鈴谷···しーっ」

 

近づいて、鈴谷の目に映るのは、彼の肩に背負われた一人の少女。何か話そうとする鈴谷を制し、その少女――

重巡洋艦、熊野の顔を彼女に向けた。

 

「おっと、ごめんごめん…もしかして、ついに着任するの?」

「ああ、そうだよ」

「まじ!?嬉しいなぁ!」

 

さらにテンションを上げる彼女に提督がもう一度口元に指を立てて静まるよう促すと、「あ」と言って照れくさそうに、若干の申し訳なさを含めた笑みをたたえた。

というのも、最上型四番艦となる熊野は鈴谷にとって唯一の妹艦となり、それ故に彼女が熊野の着任を待ち望んでいたことは、誰にも明らかなことであった。

 

「···でも、なんで熊野はおぶわれてるの?」

 

一方、鈴谷はといえば、その妹が新規着任に際して提督に背負われている理由など分からず、きょとんと首を傾げていたのだった。

これに対し、提督は目を伏せ、静かに応える。そして、真剣な眼差しで彼女を一瞥するのだった。

 

「どうやら、この子には何かありそうだ···」

 

 

 

× × ×

 

 

 

その夢は、悪夢といって差支えなかった。

 

『また大破撤退か···これで何度目だ』

『も、申し訳あ――』

 

精いっぱい、責任を痛感しての謝罪のつもりだった。しかしながら、私の言葉は最後まで発せられることなく、言い終わらないうちに、自分の耳にも聞こえるくらいの、甲高い音が鳴り響いた。

――頬を強く打たれたという事実に、私は、そのヒリヒリとした痛みが伝わり始めてようやく気付いたのだった。

 

『それも聞き飽きた』

 

ゆっくりと、しかし平穏さなど露ほども感じさせない怒気を放ちながら私の目の前に歩み寄ったその男は、まるで私の存在自体を憎むように、否定するように、鋭く睨みつけながら私の後ろ髪を引っ張って、無理やり顔を上げさせた。

逃げることも、彼の手を払いのけることもできず、ただそれを享受するだけだった。

 

『もうお前は必要ない』

『ぁ···』

 

言い放った彼の目が、明確な悪意を孕んで、私を蔑んでいた。

彼がそうするのは当たり前だ。理由は分かっているのだ。成さなければならないこと、そのために努力することを、私が怠ったから。

それを伝えたい。そもそも、聞き飽きたと言われたからとはいえ、彼に謝るべきなのだ。戦えない艦娘に存在意義はない。しかし、声が出ない。辛うじて漏れるのは、彼に対する恐怖の呻き声だけだった。

 

『消えろ。価値なき者は、鎮守府(ここ)には要らない』

 

ごめんなさい。

貴女の代わりに、私が沈むべきだったのです。()()()()私など、要らないのですから――

 

 

 

× × ×

 

 

 

「···まの···」

「う、ん···」

「熊野」

「ん···」

 

深いところから、その呼びかけに応じるように意識がすっと戻る。

起き上がって、あの場所から逃れられたという安堵の念が、心の中に浮かんできた。そして、同時に生じたのは、聞き覚えのあるこの声の主は、誰かということだった。

 

「大丈夫?すっごいうなされてたけど」

「は、はい···っ!」

 

答えて、ベッドの傍に腰掛けた人物の方に顔を向けながら、ぼやけた視界に映りこんだ彼女の姿が、鮮明になるのを待った。

そして、瞬間、身体が硬直する。

 

「どうしたん?」

 

「おーい」と眼前に手を翳してくるのは鈴谷――否、分かっている。私が望む彼女ではない。

私は今日から横須賀を離れ、舞鶴に着任したのだ。そこでも、別の鈴谷がいる筈だった。

――しかしながら、一度でもその姿を見れば、奥底に閉じ込めていた記憶ですらでも、思い出してしまう。声が、聞こえてしまう。

 

 

『生きて…また、逢おうね···熊野』

 

 

乱反射する海面の彩光、潮風の香り、そして彼女の鮮やかな翡翠の髪色――

 

「あ、ぅあ···」

「く、熊野!?」

 

呼吸をリズムを取り戻そうとすればするほど、荒くなっていく。吸おうとしているのに、吸えない。有り得ないことに、水の中で溺れているようだった。

また視界がぼやけてきて、頭の中が霞が掛ったように白くなる。

 

「はっ、はっ…!」

「て、提督、熊野が!」

 

鈴谷が、あの人を呼んだのだろうか、私の様子に異変を感じ取って、聞こえなくなった耳にもその叫び声が届いた。

それと殆ど同時に扉を開けて飛び込んできたその人に、私は縋る他ない。

あの人の腕の中で、静かな呼吸を取り戻すまで、苦しさに思わず流れた涙を、碌に拭うこともできなかった。

 

 

 

× × ×

 

 

 

「…落ち着いたか」

「え、ええ。お見苦しい所を…」

「いや、俺の方こそ、試すようなことをしてすまない…鈴谷も、申し訳なかった」

「…いや、それはいいんだけどさ」

 

鈴谷は、抗議の視線を送った。それは妹が発作ともとれるような苦しみをなぜ味わわなければならなかったのか、という疑問でもあったが、最も解せなかったのは、その視線の先にあった、提督の胸にうずくまるように抱かれている妹の姿なのであった。

 

「ひっ、ご、ごめんなさい…」

「あ、ああいや、別に怒ってなんてないよ」

 

予想以上に落ち込み、そして怯えている熊野に困惑していると、代わりにというように、提督が口を開いた。

 

「…熊野は、所属鎮守府に問題があってウチに来たんだ」

「え」

 

重い口調だった。鈴谷は、それに驚きを隠すことなく、しかし直感的に熊野の背後にある問題の大きさを予感していた。

 

「そ、そんなことは…」

「大丈夫だ、もう隠す必要はない」

 

提督が少し腕の力を強くすると、その中にいた熊野の身体が少し震えるのが伝わった。

 

彼が語ったことは、鎮守府間の異動を経験したことのない鈴谷にとっては、到底信じられるものではなかった。

 

会社やアルバイト内のブラックな職務環境、などと形容されるように、鎮守府にもそのような酷烈な配属状況が存在する。一か月前まで熊野の所属していたのもそのような場所であったことは間違いなく、その中で長きにわたり経験させられてきた精神的な苦痛は、とても耐えられるようなものではなかったということだ。

 

彼が語ったことは限定的であって、鈴谷には、熊野に何があったのか、どうしてこのようになってしまったのかは分からなかった。

ただ、静かな怒りが沸々と沸き起こっていたことだけは確かだ。

 

「それじゃあ、さっきの過呼吸?みたいなのは···」

「十中八九、フラッシュバックという現象だな。熊野、()()が起こったのは、鈴谷が視界に映ったからか」

「…大変失礼ながら、そう、なります」

「そうか。重ね重ね、嫌なことを思い出させて済まなかった」

「い、いえっ!貴方は私を救って下さったのですから、感謝こそすれ、謝られることなど」

「そう言ってくれると有難い。…が、これから鈴谷とする話の中で、君の身に何が起こるか分からない。…少し、時間を空けよう」

 

そう言うと、壁掛けの無電を取って、「来てくれ」と誰かを呼びかける。間もなくして、執務室の扉が開いた。

 

「失礼します…熊野、久しぶりだね」

「久しぶりですわ、熊野さん」

「最上姉さん、三隈姉さん…お久しぶりです」

「二人とも、任務帰りで疲れているところ、申し訳ない。熊野を部屋に案内してくれるか。荷物はもう届いているはずだから」

「了解だよ」

「お任せください」

 

三隈に手を取られ、「それでは、失礼いたします」と部屋を出ていく熊野。

鈴谷は目が合って、彼女が少し怯えたのが分かった。それでも、目を離すことのなかった彼女の思いを、ただ何も言わず考えていたのだった。

 

 

 

× × ×

 

 

 

「それで、熊野と話せないってことは、つまり」

 

二人きりの執務室、全ての通信を切って、箝口令が敷かれたその状況に、わずかに緊張して鈴谷が尋ねる。

目下の話題は熊野その人であるが、年頃としてはどうしても気になってしまうのも仕方がなかった。

 

「ああ、鈴谷を見て記憶が――それも良くないものが――蘇るというのは、かつての鎮守府の過酷な環境の中で、熊野の知る鈴谷の身に何かが起きたから、と考えていいだろう」

「そ、それって――」

「あまり考えたくはない。しかし、あれほどの焦燥を引き起こす経験だ」

 

相当のことがあったとみて間違いない、と提督は結論付ける。

鈴谷は、あの時の熊野の表情を思い出していた。とても恐怖や悲しみと言った簡単な言葉では言い表せない、負の感情に染まり切った瞳は、今、彼女の心は、どうなっているのかさえ想像も及ばない。

 

――自分が、その支えになれないのか。

 

その思いが、ただ残った。

 

「姉妹艦であればあの子も落ち着けるかと思ったが、まさかそこに原因があったとは…つくづく、本当に」

「おっと、もう謝らないでよ。確かに少し思うところはあったけど、その()()っていうのは、元を正せば熊野がいた鎮守府の司令官でしょ」

「…確かにそうも言えるが」

「気にしてないよ。それよりも、何で熊野があんなに提督に懐いてるのかのほうが気になるかなって」

「…向こうの鎮守府の解体の際、あの子に会って長いこと話をしてな」

「解体…?それじゃあ、もうそこの司令官は」

「ああ。熊野の件とは別件だが、()()で制海権を喪失してな、降ろされたんだ」

()()ねぇ、もしかして、提督…」

「…偶然だ」

「本当かなぁ」

 

鈴谷は、胡乱なものを見る目で彼を見詰めた。恐らくながら、その失策とやらには彼が一枚嚙んでいるのだろう。

 

「まあ、そういうことにしておこうかな。もし本当なら、提督が熊野を助けてくれたってことだし」

「俺は何もしていないよ」

「あの高飛車な熊野が『救って下さった』なんて、並の司令官には言わないよ」

 

ウインクをしながらそう言った鈴谷の頬にはわずかな赤みが差していた。

「というか、大事なのはこれから熊野にどう接していくかってことじゃない?」と話題を転換した鈴谷に、提督は首肯した。

 

「…せめて、鈴谷からも何かしてあげられればいいんだけど、今のままだと厳しそうだね」

「どちらにせよ、姉妹同士で今のような関係を続けることは望ましくない。事態を好転させるための手段を取った方がいいな。熊野が精神的にも身体的にもリラックスできるような」

 

それを聞くと、鈴谷は少し俯く。視界に姿を捉えただけで、過去のフラッシュバックに繋がってしまう熊野の現状を考えると、それも当然だった。

鈴谷が建造され、舞鶴への着任を果たしてから約半年。熊野との再会は、きっと待ち望んでいたものに違いない。

 

「よし、そこから解決しよう」

「え?」

「まずは、会話ができる状態になってもらう。部屋を出る前、熊野の視界には鈴谷が映っていたんだ。心因性の一時的な症状――つまり、パニック状態に陥らないよう、落ち着くことが出来れば問題はないはずだ」

「…君たちは、どこまでいっても姉妹だ。きっと、思いは通じる」

 

きっぱりと断言した提督からは、ただならぬ自信と意志を感じた。

危険性は確かにある。しかしながら、それでもいつかは解決しなければならないと、彼は悟っている。

それは思い上がりでなければ、自分のためなのだろうなと、鈴谷は薄々感づいていた。

彼が、艦娘のことを第一に考える癖は良くも悪くも艦娘に伝わっている。覚悟を決めた表情も、その心構えも、傍にいるだけで伝わってくるようだった。

 

「…分かった、提督を信じるよ」

 

だから、鈴谷は笑みとともにそう言ったのだ。

 

 

 

× × ×

 

 

 

「今から、鈴谷と会ってもらう」

 

私は、目が真ん丸となっていることを自覚するほどに、彼の発した言葉に仰天していた自信がある。

 

この鎮守府に着任してから(といっても、それは今日の話なのだが)、基本的に彼の前でしか心が落ち着かない。

彼だけが、私の過去を知っている。口を開かなくても、このぐちゃぐちゃで、混沌とした気持ちを理解してくれる。

きっと艦として、人の武器としては落第点もいいところなのだろうが、彼は私を見放さない、それが、なんとなく伝わってきたのだ。

だから、私を試すような、そんな言葉に驚いたのだ。

 

「え、えぇ!?」

 

ああ、何と間の抜けた声なのだろう。反応としては十分驚愕のそれを伝えられたのだろうが、淑女としては失格である。

 

「不安か」

「不安、というより…また、あのようなことになってしまうのではないかと、それが恐ろしいと、考えてしまいます」

「そうだろうな。しかし、姿は同じでもあの子が君の記憶の中の鈴谷と違うことは、分かっているのではないか?」

「姿は、瓜二つです」

「しかし、中身は別人かもしれない…いや、別人だ。何もかもが違う」

 

私の反論は、理論より感情に依拠したものであることは、誰よりも私が理解するところだった。

彼女は私のことを知らないし、私は彼女のことを知らない。あの過去も、もうここではそれを知っているのは私ただ一人だ。だから、恐れる理由はない。似ているから恐れるなんて、無礼も極まりない。

私の反応を見た鈴谷の気持ちを考えると、胸が痛んだ。

 

「言っておくが、舞鶴(うち)の鈴谷は俺など比べ物にならないくらい優しくて、思いやりのある子だ」

「それは…貴方との比較は別にしても、分かっているつもりです」

「熊野のいう『分かった』とは、思い出の中で、前の鎮守府にいた鈴谷の記憶を思い出して、それを理解していると言っているんじゃないか?」

「…っ、そう、ですわね…」

 

提督が、一歩、私の方へと確かに近づく。無条件に私を受け止め、受け入れてくれるのが彼だった。

けれど、それが分かったのは、彼が心を閉ざそうとしていた私との関わりを止めなかったからだ。彼は伝えてくれたのだ。もう恐れる必要はないと。

 

あの鈴谷は、私の中の鈴谷とは違う。私の過去を知らない、それでも私を理解しようと、私を救おうとしてくれる、大切な姉。

私には、それを考えもせずに、勝手に罪悪感に溺れ、怯えているだけなのだ。

伝えなければいけない。今は足がすくんでしまうかもしれないから、この人の力を借りてでも。

 

「たとえ所属が違っても…失ってしまっても、君たちは姉妹であることに変わりはない。鈴谷を大切に思うならば、いつまでもこんな関係を続ける訳にはいかない」

「ええ」

 

提督の言葉が、胸に沁み込んでいく。私や鈴谷、艦娘たちのことだけを考えているのだと、それがすぐに分かった。

 

「確かに、君の体験した苦しみがどれほどのものなのかは、俺が直接経験して理解することは難しい。けれど、似たような思いをしたことはある」

「えっ…」

「舞鶴への深海棲艦の侵攻の後、俺は家族を失った。その時から、ずっと考えている…もう二度と、大切な人たちを失わないようにするにはどうすればいいか」

 

彼が意を決して伝えてくれたことは、驚きと悲しみに満ちていた。でも、だからこそこの人の心の強さを理解できる。この人なら、思いを一つにできると、信じられた。

だから、今度は私が、鈴谷に――

 

「…他人の抱えている悲しみを理解するなんてことは難しい。だから、思いは伝えなければならない。それを受け止めるだけの覚悟と優しさが、鈴谷にはきちんと備わっているはずだ」

「ええ。なんと言っても、この熊野の姉なのですから」

「…いけるか、熊野」

「はい。私の思いを、過去を、たとえ迷惑になったとしても…伝えます。鈴谷を、信じていたいから」

 

鈴谷は、聞いてくれるかしら――

いいえ、きっと聞いてくれる。受け止めてくれる。

私の中の鈴谷を信じて、私は、この思いを伝えるのだ。

 

 

 

海外艦、もし追加するなら初登場は

  • ドイツ艦
  • イタリア艦
  • ロシア艦
  • アメリカ艦
  • イギリス艦
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