舞鶴第一鎮守府の日常 作:瀬田
※話順整理の影響で元の第十二話「運とは?」が第六十九話となっています。ご迷惑おかけします。
「…来てくれたんだね」
「ええ」
提督の背に隠れていた熊野が、静かに鈴谷へ歩み寄りながら、そう言った。本人でなくても、握った手が震え、瞳が揺れるのが分かる。
どうしても、思い出してしまう。自分が撃ち漏らした――撃てなかった深海棲艦によって沈んでしまった姉の顔を。
「ううっ···」
出来るなら、ここから逃げ出して、提督に縋りたい。もう、あの海へ――大切な人を呑み込んだ、あの死線へ戻るのは、恐い。それでも、成さなければならない。
熊野を縛るのは、兵器としての義務感ではなかった。
妹として、戦友として、交わした約束を守り、果たす――それこそが、熊野が望む使命だった。
『あなたは生きて…また、逢おうね…熊野』
この戦いを終わらせ、その先に待つ未来まで、生き抜いてみせる。きっと、思いを届けてみせる。
彼女はそこに、きっといる。待ってくれているはずだから。
「きっと、私は貴女に許してほしかったんです。けれど、それは叶わない…貴女があの『鈴谷』でないこと以前に、あの時、心の弱さに負けて、手を伸ばして貴女を助けられなかったことが、どうしようもなく情けなくて…!」
「…」
「もう、私の過ちは取り返しがつかないし、あの鈴谷は、二度と戻って来ません…だから」
震える声を絞り出すように、熊野は独白する。自分の弱さを曝け出して、自分を知らない存在に、自分の罪を悔いることは、どうしようもない恐怖を伴った。
それを静かに聞き届けていた鈴谷は、怯えと必死に闘う熊野を、愛おしいと感じていた。
「この戦いの先でまた、あの子と会う…その約束を守るために、今度こそ貴女を…今、目の前にいる鈴谷を、守り抜くことこそが私の使命です」
鈴谷を視界に捉え、その瞬間に全身に纏わりつく悪寒をなんとか堪える。
あと少し、その境界を越えられれば、何かが変わる気がした。
「もし…貴女の傍にいることを、貴女が、鈴谷が許してくれるなら…!」
「…うん」
「私に、貴女の命を、今度こそ守らせて下さい」
心拍と精神の限界まで過去と闘い、紡ぎ出した言葉に鈴谷は微笑んで、熊野を優しく抱きしめた。
「熊野は頑張り屋さんだね…。私にも、熊野を守らせてよ」
「でも、それでは許されません。私は…!」
「そうかな。確かに鈴谷はその鈴谷じゃないけど、きっと、考えることは同じだと思う。心の弱さも、大変なことも一緒に乗り越えて、強くなるのが姉妹じゃん?それに、私も熊野に守られるばかりじゃ悔しいしね…ふふっ」
はにかんだ鈴谷の顔が、明るく微笑む。ゆっくりと身体を離すと、今度は熊野の瞳を真っすぐに見つめた。
「私のこと、嫌いかな」
「そんなこと…だ、大好きです」
「うん。私も大好き。ずっと待ってたんだから」
「…っ!鈴谷…!」
熊野の身体を、鈴谷は受け止める。
「あなたは鈴谷の、大切な妹。だから私も、
「…っ」
「ひとりで抱え込まないで。鈴谷と一緒に、この海を守ろうよ」
ぎゅっ、と自分を抱きしめる腕が強くなった。熊野の眦から一筋、涙が流れ落ちて、鈴谷の肩を濡らした。
もう、悪寒や震えは治まっていた。
(あったかい…ですわ)
決して、目の前の鈴谷が、あの鈴谷の代わりになるわけではない。けれど、もう一度だけ、チャンスが貰えるなら。
ともに過ごし、笑い合い、お互いを守ることができるなら、新たな鎮守府で、鈴谷を守り抜くことが、精いっぱいの、あの子に対する償いだった。
「ふふ、熊野、すごい顔」
鈴谷に、涙でぐちゃぐちゃになった顔を指摘され、顔が赤くなる。
「…鈴谷だって」
「え···あ、ほんとだ、へへっ」
それは鈴谷も同様だったが、特別気にすることもなく、今はただ、妹をその腕で抱きしめるだけだった。
「よくやってくれたな。熊野、鈴谷も」
「提督」
「ありがとね…熊野をここまで連れてきてくれて」
「いや、来たのは熊野自身の意志だ。俺は関係ないよ」
「い、いえ、私がここまで来られたのは、提督のお陰ですわ」
「まったく、提督らしいねえ」
相変わらずの謙虚な反応に若干呆れつつも、彼女は、腕の中の熊野へ向き直る。まだ、知らなければならないことがあるのだ。
「さあ、熊野。あの鎮守府で何があったのか、提督と私に教えてくれる?」
「…ええ」
「大丈夫···鈴谷の目、見て?」
熊野は躊躇いがちに目を伏せるが、ここで立ち止まってはいられない。視線のぶつかった遠慮がちな目が、次第に自信を取り戻していったのが鈴谷には分かった。
「…もう、大丈夫です。お話ししますわ」
× × ×
「…なるほど、ね」
大泣きになった熊野を優しく撫でる。
「ごめんなさいっ、本当に、本当にっ…ひぐっ…」
「謝らなくてもいいんだよ…って言っても、聞こえてないか」
胸に顔を押し付けたままの熊野に、鈴谷は微笑みかける。
同時に、彼女が抱える問題の深さを知り、その解決策を提督に問う。
「提督は、どう思う?」
「そうだな…·熊野が
建造・邂逅前の艦娘に備わる個体項というべき部分が、どの艦娘にも存在する。それが人間の遺伝的な形質だとすれば、熊野は前鎮守府での過酷な経験で、成長過程で得るべき後天的な性格構成分野に大きなダメージを負ってしまった。
傷を癒すのにはそれなりの時間が掛かるのは当然ともいえた。
「そうだね。でも、熊野はそれを直したいと思ってるの?」
「ぐすっ、そうしたいけれど、どうしても身体が、動かなくて···っ」
治療の間の期間についても、他の艦娘たちに説明しなければならない。
何より、熊野自身も着任したのにも関わらず、他の艦娘と行動を共にできないというのは、疎外感を感じさせるばかりか、精神的にも厳しいだろう。
有効な手立てが見つからず、一同は黙する。
「無理しなくていいんだよ?初めは海域に出るだけで、とか」
「でも、それでは鈴谷を守れない…!それでは、私がいる意味がないのです!」
「んー、鈴谷としてはかっこいいところを妹に見せたいっていうか…まあ、立場が逆ならそう思うよね」
これ以上妹の泣き顔を見たくないと、鈴谷は藁にもすがる思いだった。今、この場において、頼ることのできる相手は、一人しかいなかった。
「ねえ、提督。頼ってもいい?」
「もちろん。…ただ、道は険しい」
「やらせてください。選ぶことのできる道があるなら」
その言葉で、十分な覚悟が伝わって、提督は瞑目したのち、机の上に置いてあった端末の、とある資料を呼び出した。
「戦闘指揮艦という艦職がある。後方海域や鎮守府で、旗艦が処理するより更に難しい情報戦を処理する。要はもう一人の提督とも言えるな」
戦闘に代わり、過酷な座学をこなさなければならず、投入への承認を得るのは資格が必要で、難関なのだ。
利点としては、それだけの知識を得ているということもあり、提督指揮の海域も併せ複数海域の同時攻略や、艦隊数無制限海域では別働隊の稼働が可能となることだ。
「これなら、敵艦と遭遇することも少ない。訓練を併行しながらだと、非常に忙しくなるだろう。…どうだ、やってみるか?」
正直に言えば、少しでも戸惑うと思っていたが、熊野は涙を拭くと、強く決心したように言った。
「やります。私は、今までのお詫びをしなければなりませんから···」
瞳は未だ潤んではいるが、もう、あの時のように、怯えと迷いは既にないように思えた。
「よし、それなら本部から講義資料を取り寄せるよ。分からないところは教えるから、一緒に勉強しよう」
「もう一人の提督だって!すごいじゃん!鈴谷応援するよ!」
流石にいつも一緒という訳にははいかないけど、と付け加える。それに対し、熊野は嬉しそうに笑っていた。
提督は、姉妹の間に結ばれる強い絆を感じ取るとともに、彼女たちが進む道の障害を、取り払うことへの使命感を新たにしていたのだった。
× × ×
「···で」
その後、座学を始めた熊野は、猛勉強の末、三ヶ月後には戦闘指揮艦の称号を獲得していた。
ただ、そのおどおどとした性格は相変わらずであり、作戦前夜、熊野と打ち合わせを行っていたところ、突然響き出した雷鳴に半狂乱で震え上がった彼女に縋られた提督は、やむなく彼女の姉の助けを求めた。
「もう、提督に頼らないんじゃなかったの?」
「雷撃というか、雷はどうしてもダメで…」
「まあ、苦手なものは誰にでもあるから仕方ないが…その、離れてもらえるか」
しかしながら、彼の言葉とは裏腹に、今も震える熊野の腕が容赦なく締め付けてくる。
(さ、流石は艦娘、力強くて痛い···)
「てて、てっ、提督、ごめんなさいっ、わ、わたきゅし、ひえええぇっ!」
「提督、誰この子」
「鈴谷の妹だろう」
ため息をつく鈴谷。しかし、若干頬が緩んでいるのを、彼は見逃さなかった。
「まったく…仕方ないねえ」
「ご、ごめんなさい…あ、明日が不安で…」
「熊野は充分成長したよ。 明日の作戦に関しては、俺が必要ないくらいに仕上がっている」
「そそそ、そんなことはないですわ!」
顔を真っ赤にし、両手を振って否定する熊野。
申し訳ないが、彼女が海上で凛と佇む姿を想像出来ない。
震えて縋ってくる熊野にわずかな小動物の気を感じて、思わず頭を撫でた。
「…緊張し過ぎるなよ」
「ひゃう!」
「す、すまん。嫌だったか」
「い、いえ···嫌などではなくて、むしろ···あの」
「もー!鈴谷のけものにしないでー!」
「うわっ!」
「きゃっ」
そんなやりとりに一人、頬を膨らませる鈴谷が、熊野に体当たりするように突っ込んで来た。
三人が背を掛けるには狭いソファで、揉みくちゃになるように姉妹が提督の膝上で戯れている。
「もう!そんなに不安なら寝るよっ!」
「ええ!?こ、ここ執務室ですわよ!」
「いいの!ほらっ、そこに布団あるしっ!」
鈴谷の指差す方向には、真っ白な布団と、その上で見事な敬礼を見せる家具職人の姿が。
「ほ、本当だ」
「え!?これ寝る流れなんですか!?」
「もっちろん!ほらほら、布団敷くよ〜!」
鈴谷と提督に挟まれて、初めは顔を真っ赤にして眠りについたものの、五分程度で眠気に抗えずに爆睡してしまった熊野を見て、提督と鈴谷は互いに顔を見合わせて笑うのだった。
× × ×
「…」
結局早朝になって起こされるまで、解けた緊張のせいかずっと眠ってしまっていた。夢を見たわけでもなく、爆睡だった。…かなり恥ずかしい。
「や、やっぱり寝顔、見られたのでしょうか…」
お陰で身体は軽く、頭も冴えているが、不安は残る――立てた作戦の不備ではなく、主に自分の名誉という意味でだが。
「···眩しいですわね」
昇り始めた朝日の光が、艤装に反射する。波はなく、至って平穏な海がある。これから深海棲艦との戦いが始まるとは、到底思えなかった。
ふと、肩口に控える妖精さんから、本部との無電が繋がっていることを告げられる。
『――熊野。こちら作戦本部』
その声は唐突に耳に届いた。
「あっ、はい、こちら熊野ですわ。出撃準備、そろそろでして?」
『ああ。第一艦隊は準備完了した。第二艦隊の準備が出来次第作戦に移行しよう』
「了解ですわ···それでは」
私が率いる艦隊が、動こうとしている。今まで学び得てきたもの全てを発揮するときだ。
ぐっと全身に力が籠るのを感じる。決意を固めて、無電を切ろうとして、しかしまだ提督の言葉が続いていたことに気付いた。
『…熊野』
「は、はいっ。なんですの?」
『鈴谷も、俺もお前を応援している。忘れるなよ』
『おーい!くまのぉ!あいしてるぞー!』
『おいおい…そんなに叫ぶと熊野の耳に悪いだろ』
『あっ、ごめん』
「…ふふっ」
ふっ、と肩の力が抜けるような気がした。
もう二度と立ち直れないと思っていた。だけど、提督は救ってくれた。鈴谷は、受け止めてくれた。
二人が、背中を押してくれる。今度は守れるように、あの子のいなくなった海を再び駆け抜ける力をくれる。
それに、どこまでも応えていこうと思える。
「ありがとうございます、提督」
『俺は何もしてないさ』
「それでも、です」
『えー!?鈴谷はー!?』
「はいはい、鈴谷もありがとうございます。…大好きですわ」
『うおー!』
思わず微笑みが零れるのを自覚して、後続へと振り返る。水平線上の太陽に、腕を振り上げながら、溜めこんだ力を放つように、届くように叫んだ。
「···艦隊、抜錨!私がみなさんを勝利に導きますわ!」
海外艦、もし追加するなら初登場は
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ドイツ艦
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イタリア艦
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ロシア艦
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アメリカ艦
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イギリス艦