舞鶴第一鎮守府の日常 作:瀬田
「ふう···」
判子を一押しし、手元の書類を横に置いて一息つく。
外に目をやると、空は黒ずんで、雨が降り出していた。
──八月が終わろうとしている。
怒涛の忙しさを見せた夏季特別海域での作戦も終わりを迎え、その大勝利を祝う宴会も昨日行われた所だ。
高練度の艦が増えてきたとはいえ、やはり特別海域への侵攻は困難を極めたのだった。
横須賀や呉の司令部が敵中枢を捉え、無事撃破したとの報は昨日届いていた。
今作戦での轟沈艦はおらず、こちらとしても胸を撫で下ろす思いである。
(···まだまだ練度も足りないかな)
姫級鬼級の跋扈していた最終海域では苦戦を強いられたものの、熊野と二艦隊の反復出撃を行い、敵の補給行動の妨害に成功し、敵泊地を壊滅させることに成功した。
因みに、空母棲姫へのとどめを刺したのは、大和・長門の全力砲撃であった。
宴会にて胴上げされていた彼女らの笑顔を思い出して、こちらも笑顔が込み上げてくる。
「···ふあ、ぁ」
皆が酔いつぶれ、眠りに落ちた後、吹雪と共に宴会の処理を明け方まで行っていたこともあり、気を抜くと眠気に囚われてしまいそうだった。
(そういえば、手伝ってくれた吹雪にお礼をしないとな)
自分と同じく今朝欠伸をし、ふらふらのまま出て来た吹雪が少し心配になっており、今度何かのお礼をしようと思う。
「···取り敢えず、今日は風呂に入って寝──」
小さく独り言を呟いた、その時だった。
ふっ、と、外の暗闇が光る。
「っ─―」
どおおおおん、と分かりやすく巨大な炸裂音が轟く。
「···近いな。びっくりした」
眩い光に遅れ、1秒もしないうちに轟音は響いていた。
幼い頃、父に教わった音と光の仕組みを頭で思い出しながら、風呂を目指して執務室の扉を開けた。
「ひいいいい···!」
「···吹雪?」
遠く聞こえる悲鳴。
食堂から執務室、そして浴場へ繋がる廊下を全力疾走していたのは、紛れもなく、今朝方まで一緒にいた吹雪だった。
「し、司令官!んぶっ」
「うおっ、走ると危ないぞ」
「すすすすみません···そそそその、か、か、か、雷が」
「雷?」
と、そのやり取りの間に、眩い閃光が一筋。
「ひいいいいい!?」
どごおおおおおおん!と、例の轟音が続いて、吹雪の身体は震える。
思わず提督の身体にしがみついて抱きしめる。
「あだだだだだ!?」
長い間駆逐艦のリーダーとして、執務補佐としての彼女を見てきたが、こんな姿は見たこともなかった。
「ふ、吹雪、ちょっと締めすぎだ···痛い···」
「あ、す、すみません! 」
彼女が腕を放すと、力が抜け落ちるように倒れる。
「うご···」
艦娘に全力で締め付けられるのは、なかなか辛い。
それ以前に痛い。
「だ、大丈夫ですか!?」
慌てて、申し訳なさそうに寄り添った吹雪。
やはり、その表情からは先程の慌てようは想像が出来ないのだった。
「と、取り敢えず···移動しよう」
彼女に抱いた新鮮な印象と、続く痛みの中、彼女の手を引いた。
────────────────────────
「ここ···視聴覚室、ですか?」
「ああ」
ビデオ通話、映像講義だけでなく、映画などの娯楽を楽しむ用途にも、この部屋は設計されていた。
リラクゼーションシートの用意も、某睦月型駆逐艦、球磨型軽巡によって(彼の懐から)完備済みである。
横に接する小部屋には仮眠室もあり、休日の艦娘たちの憩いの場となっているのだ。
「一応完全とはいえないが防音にもなっているし···寝付けないようだったら、何か映画でも見るか」
「で、でも···提督、お疲れじゃ」
「まあ、その辺は途中で寝てしまっても許してくれ。もしかして、吹雪は映画とか、あんまり好きじゃないか?」
「い、いえ!」
顔を横に振る吹雪。あまり余裕がなさそうだった表情が少しずつ良くなってきているようで安心した。
「そうか。なら、手頃な映画を──────」
そうして、映画の収納された棚へ手を掛けようとしたその時。
「···あら?」
「おう、すまん···って、鳳翔」
「あら、提督···吹雪ちゃんも」
視聴覚室に、珍しい組み合わせが揃う。
「なるほど···それで、雷の音の聞こえないここへ」
「お恥ずかしい限りです···」
吹雪が顔を真っ赤にして俯く。
「まあ、苦手なものは誰にでもあるしな···でも吹雪、今まで普段も、出撃や遠征の時もどうしていたんだ?」
長くこの子と一緒にいたが、そんな様子は一度も見たことがない。
「そ、それは···その」
「ああ、もし嫌なら話さなくてもいいんだぞ」
「いえ!···えっと···」
「ふふっ、吹雪ちゃんはお姉ちゃんですものね」
「···なるほどな」
鳳翔の的確な指摘。
あまりそういう視点は持っていなかったため、反省する。
「そ、その···叢雲ちゃんも深雪ちゃんも白雪ちゃんも苦手なのに、私が苦手だって知ったら、きっと不安にさせてしまいますから···」
意外な艦娘の名が出たのは別として、健気な吹雪の姿勢に感嘆していた。
「ずっと我慢してたんだな···それで、三人とも眠ったのはいいが、って感じなのか」
「はい···情けない限りです···」
艦娘なのに、と付け加えた吹雪の頭を撫でる。
「艦娘だから、なんて気にするな。人の心を持っている以上、君達も人間だ。苦手なものくらいあるさ」
「あぅ···」
恥ずかしがる吹雪を気にも留めず、鳳翔の手に持つ映画を尋ねる。
「鳳翔はこれから何を見るんだ?」
「あっ、これです。提督もご一緒にどうですか?」
気を遣わなくていいぞ、とも思ったが、その映画の題材と、吹雪とを見て決めた。
「おう。それじゃあお言葉に甘えるよ。吹雪にも見て欲しいし」
「ふぇ···?」
顔を更に赤くしていた吹雪は、きょとんとした表情のまま、その映画のパッケージを覗いていた。
──────上映中
(···見たことはなかったけど、やっぱり見て正解だったな)
それは、一人の女性と狼の子供たちの物語。
二人の子を産んですぐ夫を亡くしたその女性は、狼と人間の血が混ざった子供たちを育てることを決意する。
子供たちの、獣と人との間の葛藤を案じ、そして見守り、やがて獣として生きようとした息子、人として生きることを決めた娘を、彼女は笑顔で送り出した。
「ぐすっ···」
「···うう」
今までの物語を思い出していると、両隣からは啜り泣く声が聞こえてくる。
(あら···感受性が豊か、なんだな···二人とも、純粋な子だからなぁ···)
吹雪はもちろん、鳳翔も母親のようだとは言われているが、それは精神的に大人であるということで、見た目(と実年齢)は提督よりずっと若かった。
女性の鑑、とは妙高の弁である。
(でも···そうか)
少し、気付くことがあった。
彼女らは──────艦娘には、家族と呼べる血縁関係がない。
同型艦との関係は姉妹とも言えるが、親が存在する訳では無い。
そんな経緯もあり、果たしてこの映画の趣旨が、彼女らにはっきりと伝わるのか、不安ではあった。
(それでも···親がいないというのは)
だからこそ艦娘に、この子達を戦場に置くことにはどうも気が引けるのだろう。
「あ、あの···」
「···ん?どうした、吹雪」
「手、を握ってもらえませんか」
「···ああ」
不安げな上目遣いでこちらを見つめていた。
(···別れは、いつでも辛いからな)
気持ちは、痛いほど分かる。
もう、二度と、親しい人たちを、艦娘たちを、失いたくない。
別れすらも、その先に死が待ち受けているようで。
(分かってるんだ···これが俺の、エゴだって)
握った手は、何も片方だけではなかった。
「ぐす···あ···提督、ありがとう、ございます···」
そう言って鳳翔は双眸の涙を拭く。
「···あぁ」
両掌に伝わる確かな温もりが安心を与えてくれる。
絶対に、離さない。
(···けれど、やっぱり、譲れないんだ)
この海の平穏と、この子達の笑顔が、本当に好きだと思えるから。
それが、映画を通して、今の自分の原動力となっている事が、ただ理解出来た。
「ぐすっ」
「どうだ、落ち着いたか?吹雪」
「えへ···感動のあまり、涙が···ですね」
落ち着かせようと頭を撫でると、嬉しそうな表情が覗ける。
迷惑に思われていなくてよかった、と一安心すると、鳳翔がうとうととしていた。
「···っと、そうだ。そろそろ寝ないとな」
日付が半刻ほどで変わろうとしていた。
「もう寝られるか?吹雪」
「ええと···その」
豪雨は次第に弱まり、ポツポツと小雨が降るばかりになっているのだが、やはり怖いものは怖いのだろうか。
「うふふ···提督、今夜はしばらく一緒にいてあげて下さい」
「鳳翔···そうなのか、吹雪」
図りかねた真意を汲み取ったのか、流石は鳳翔というばかりだ。
「えっと···実は、鳳翔さんにも···」
「あ、あら?」
────────────仮眠室
「本当に良かったのか?鳳翔」
「ええ···私は気にしていませんよ。何より、吹雪ちゃんの頼みですもの」
「あ、ありがとうございます···」
吹雪を真ん中にして、川の字になって横になる。
真夜中の寝室には、小さな雨音だけが響いていた。
「吹雪···不安じゃないか」
心配になって、思わず彼女の表情を伺う。
「いえ···その」
もじもじと顔を赤らめている吹雪。
「もし、伝えたいことがあるなら、言ってみたら?」
背中に優しく触れ、鳳翔は言った。
先ほどは想定外だったようだが、考えてみれば、まあ一人で大人の男とは眠れないだろう。
やはり、(口には出さないが)母親のような口調であることは否めない。
そんな彼女に内心苦笑し、視線を吹雪の方へ戻す。
恥ずかしがってはいたが、口を開いたようだった。
「その···聞いて欲しい話が、あるんです···私の、話」
「おう。聞かせてもらいたいな」
ぱっと、吹雪の顔が明るくなる。
「じゃあ···!」
「ああ。話してくれ」
そんな彼女が、なんだか妹のような、娘のような気がしてしまった。
「私···軍艦として生まれて、ソロモンの海で
青い海を渡る自分は、艦娘ではなかったけれど、今の私と···『吹雪』と同じような、女の子でした。
その時、もし私が──────軍艦としての私が、もう一度海の上へ生まれ変われるのなら、どうするんだろう、って思ったんです」
吹雪が薄く眼を開いたまま呟く。
「···そうしたら、沈んだ時に抱えた、後悔なんてなくなっちゃって···夢から覚めた自分は、本当に人間の女の子の体をしていたんですから···びっくりです」
人と艦。
映画とは少し違うけれど、どちらで生きるか、そこに葛藤することはなかったようだった。
「海の平和を守りたい。多くの人々を救いたいって思う一方で、人間としてまた生きられることが、私は本当に嬉しいんです」
紛れもない、彼女の本音であった。
既に鳳翔は眠りに落ちようとしていた。
そんな彼女の頭を撫で、吹雪に肩まで布団を掛けながら口にした。
「そうだな···あの戦争での、軍艦としての君たちが、過去にどれほど辛い思いをしてきたのか、俺が分かるのは、僅かな文書からだけだ」
悔しい、悲しい、寂しい。
沢山の負の感情が織り交ぜになっていた中に、彼女たちは光明を見つけた。希望を抱いた。
視線を合わせるようにして、彼は微笑みながら言った。
「それが分かるのは、君たちがここへ──────もう一度海の上に立つと決意してくれたお陰なんだ」
「···はい」
眠気を感じながらも、笑顔に変わりはない。
そんな吹雪を抱きしめるようにして続けた。
「ここへ来てくれて···生まれてきてくれてありがとう。俺は、絶対に君たちを護り抜くから···」
「···はい」
互いのゆっくりとした心音が、合わさっていく。
自分の言葉と、その心音に、何故か既視感を感じて───
「──────ああ。そうか」
遠い、昔の記憶。
(父さんも···母さんも、こうしてくれてたんだな)
はっきりとした記憶ではなく、その時抱いた感情が、自分の心に染み込んでいく。
(「生まれてきてくれてありがとう」か)
全ての親は──────子に、そう思うのだろう。
それが、親子という関係でなくても──────
閉じゆく両目。
すややかに眠る二人に笑みを浮かべ、眠りにつくのだった。
翌朝。
「ごうがーい!」
朝食を早めに済ませた青葉が、お手製の新聞をばら撒く。
執務室は今朝からごった返していた。
「ちょ···!こ、これ、どういう事なんですかー!」
これ以上ない赤面で詰めかけた吹雪の後ろには、榛名や蒼龍を始めとした艦娘の面々。
「えっと···だな」
「それはこっちの台詞ネー!ブッキー!」
「はっ!?」
鬼気迫る表情とただならぬオーラを感じ取り、恐る恐る振り向く先には、般若のような(何とは言わないが)金剛がいた。
「ひいぃ!」
「抜け駆けはなしと決まってるはずデース!」
「ちょ、ちょっと待ってくださいい!」
元凶は青葉の新聞の一面。
仮眠室でスヤスヤと眠る吹雪、提督、鳳翔さん(左から)の写真を、たまたま鳳翔に用のあった青葉が訪れ、激写されてしまった。
また問題なのは、両側の二人が提督の腕を抱き締めて眠っているということだった。
「寝る前は私が真ん中だったじゃないですか!」
「何のカミングアウトなの!?」
瑞鶴が反応する。
「ええと···そのだな。朝方、気が付いたら吹雪が俺の上に乗ってて···反対側に行ってしまったんだ」
「へ?」
固まる執務室。
「吹雪さん···?」
赤城に手を肩に置かれ、優しく微笑まれる。
「え?い、いやー!!赤城さん、ちょっと待ってくださいいい···」
引き摺られ、留置所(一航戦部屋)に連行される吹雪。
「わ、私ったら熟睡だったもので···!」
顔を赤くして、隣の秘書艦席にいた鳳翔が言う。
考えてみれば、今回の鳳翔は事故とはいえとばっちりもいい所である。
「悪いな鳳翔。今度お詫びでもさせてくれ」
素直に謝ると、鳳翔は両手を振った。
「い、いえ!む、むしろその嬉しかったと言いますか」
「え?」
「ひゃっ!?な、何でもないです!」
両手で顔を抑えて後ろを向いてしまった。
(ま、まさかそんなに臭かったりでもしたのか)
それは不味いと焦る。
その日、三者三様になかなか珍妙な光景が見られるのだが、それは別のお話。
吹雪は第二話で既出ですが、今回は少し世界観の方に比重をおいています。
艦娘はどうしてこの世界に現れたのか、どうしてこの国に現れたのだろうか。
ゲームでもアニメでも、徐々に明らかになりつつあるようですが、個人個人で考えを持ってみるのも面白いかと思います。
海外艦、もし追加するなら初登場は
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ドイツ艦
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イタリア艦
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ロシア艦
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アメリカ艦
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イギリス艦