舞鶴第一鎮守府の日常 作:瀬田
「──────か、あさん···」
「···?」
確かに、そう聞こえた。
何かに恐怖したように、少年は確かに、そう言ったのだ。
「い、今何て···」
「う、ぁ」
その瞬間、彼の身体が微かに震え始める。
「て、提督!?」
慌てて瑞鶴が抱き起こすと、彼はうっすらと瞼を開いた。
「瑞、鶴···」
「だ、大丈夫なの!?」
今まで彼のそのような姿を見たことのなかっただけに、焦りは大きい。
「あ···」
そんな瑞鶴を見ていると、今の自分の醜態に気づいたように、はっと目を開いて起き上がる。
「ご、ごめん」
「え?う、うん···その、提督さん大丈夫···?」
「い、いや···何でもないんだ」
すまなさそうに笑う提督。
(やっぱり、何か変よね···)
その顔を見てそれを確信すると、瑞鶴は目線を合わせて、こう言った。
「ねえ、提督」
「···どうした、ずいか···」
瞬間、両腕で包まれる。
「···何かあったなら、言ってよ」
「え···っと」
「提督さんが独りで抱え込んでるとこ、見たくないし」
「···でも」
「今までも、私たちが悩んでたら、提督さんは笑って解決してくれたよね」
「してもらうだけなんて···不公平よ。
確かに私達は人間の代わりに深海棲艦と戦うけれど、提督さんは、そんな私達の出撃が上手くいくように、作戦立案を頑張るし私達の悩み事だって聞いてくれる」
「それは、提督として···」
「そんなの、当たり前の事じゃないんだよ?私達って、世界で一番幸せな艦娘なの」
見上げた瑞鶴の瞳には、涙が浮かぶ。
「だから、提督さん」
両腕で彼を力強く抱きしめると、その雫は頬を伝って流れ落ちる。
「···ありがとう、瑞鶴···」
彼女の姿をを見て、本当に、恵まれたと思う。
それだけに、彼女と一緒に涙を流せない自分が恐ろしくもあり、許せないのだ。
(この子は···俺を許してくれるのかな)
ただその不安が胸中に渦を巻いて離れなかった。
──────空母演習場
「···ここで、いいかな」
「ああ。」
寝ている正規空母三人を起こさぬように、二人はここへ来た。
「···話してくれるの?」
「うん···」
彼は覚悟を決めたようだ。
その真剣な表情たるや、普段のにこやかな笑みとは結びつくはずもない。
「··もう·十年前くらいまえになるか、丁度君たちが生まれて少しして、鎮守府制が発足始めた、その時代のことは、知ってる?」
「うん。深海棲艦が突然現れて、日本沿岸を次々に襲撃したって···」
「その時から、俺はここに住んでいたんだ」
「···え、ってことは···」
気がつけば、外は大雨で、雷鳴が轟いている。
嵐の舞鶴鎮守府は、次第にその陰を濃くしていく。
「···そう。怨念に囚われた深海棲艦の群れはここ···舞鶴鎮守府の沿岸を襲ったんだ」
──────十年前──────
少年は走る。走り続ける。
そうするしか、なかった。
『母さんを···!父さんを···!兄さん、姉さんたちを···!』
カラカラの喉から、掠れた声が漏れる。
少年の喚き声は、誰にも届くことがない。
焼け落ちる思い出の家。
絶望と恐怖に黒く染まる涙の雫。
少年は叫ぶ。絶叫の渦に呑まれる。
『タスケテ···』
『ツメタイ···』
彼はまだ、それが誰の叫び声なのかすら、考える余裕がなかった。
ただ、業火の舞鶴市街を走り、叫んでいた。
────────────────────────
「···」
その彼を待ち受けていたのは、決して楽な道などではなかった。
「···まさか、あの出来損ないだけが生き残るとはねぇ···」
「本当に、あの家も不幸なことよ」
一家の葬式には、自分の身内はいない。
自分がこうして存在していることを不思議に思う輩の方が、多い。
──────自分は、その存在自体を、望まれていない。
それでも。
それでも少年は、あの夢を、諦められなかった。
「···そこからは、連日連夜働いた。 というか、一人で暮らしていく以上、そうするしか無かったのかもしれない」
よくある話だけど、と付け加える。
「···本当に、誰も助けてくれなかったの?」
瑞鶴は、精一杯声を出したつもりではあったが、現実の悲惨さに、掠れ声しか出ない。
「···家族は、全員死んだ。当時海軍の重鎮だった父親が死ねば、殆どの上級士官は昇級する」
もちろん、体裁上は悲しみの言葉が掛けられる場合がほとんどだったが、既に子供一人のその一家に、恵んでやる金などないというのが本音であろう。
「そ、そうだ、親戚の人たち、とか···」
「一連の騒動で、俺を養う金も余裕もなかったそうだ」
もちろん、それが嘘であることも、きっと彼は知っているのだろう。
「生活を続けるためにも、五年ほど必死で働いていると、正直な話、今が何日かなんて、些細なことから忘れていくのかも知れない」
そうして、少しずつだが、彼は忘れていく。
今日という日の些細な出来事も。
移り変わるこの国の現状も。
そしてきっと、あの日の光景も。
「え…」
「さっき話した若狭湾の襲撃事件も、あれが覚えている記憶の全部だけど、本当はもっと、大事なことを経験していたはずなんだ」
「だけど···士官学校を出て、海軍の提督合格通知が来る時にはもう、思い出すどころか…文字でしか記憶がない。仕事の疲れには耐えられたけど、情けないことに、俺の精神はもうぼろぼろになってたんだ。ただ海軍になって、提督になろうって、目標だけが残って、何故ここに自分がいるのか、昔の記憶は消えているから分からない。それが復讐なのか、正義心なのか、それとも単に生活を安定させるためだけなのか」
「ど、どうして」
「…結構嫌なことやってるんだよ。体裁は綺麗事言ったって、それを実現するためには、無理を押し通す下っ端の仕事も必要なんだ。理不尽なことだってある」
そこで何があったのかなんて、瑞鶴には知る由もない。
ましてやそれを聞いて得られるものなんて、何も無い。
「···だからこそ、艦娘たちに、君たちにそんな思いをしてほしくないから、俺はここにいるのかもしれない。
いや、そんな理由だったらどんなにいいか。俺はきっと、今までしてきた汚い仕事から逃げ出したかったんだ。目を背けたかったんだ。覚えていないのも、そんな自己嫌悪に蓋をして、周りから認められたかったのかもしれないな」
自分の言葉に自嘲して、提督は哀しげに笑って、目を閉じた。
提督の言葉に嘘はないようだった。それでも、瑞鶴はそれを信じることが出来なかった。
「嘘···でしょ」
人間に、あって当たり前のこと──────
艦娘だってあるだろう。過去に犯した罪や失敗を悔やむことくらい。
そして、それを他者に受け止めてもらうか、自分の中で区切りをつけること。
そうでなければ、未来を向くことができない。
そうでなければ、成長することができない。
しかし、彼にはそれが許されない。
一生、…自分の犯したかも分からない罪の意識に向き合わされて生かされる。理由も分からないまま。
少なくとも、そういう仕事が、瑞鶴の対面する幼少の姿の彼にとって、それがどれほどの負荷になったかなど、もはや想像し難い。
「そんな…」
「瑞鶴、君は…君たちは許してくれるか。こんな俺のことを。
深海棲艦と一緒だ───意志もなく、ただひたすらに怨念に引っ張られ続ける、そんな人間だ。存在する理由もない、ただの人間だ。守る価値もないだろう」
提督の表情は、瑞鶴が着任してから見た、どんな苦境に陥ったときの表情よりも、ひどく弱弱しい微笑だった。
彼がそのうちに居なくなってしまいそうでいてもたってもいられなくなって、瑞鶴は提督に縋って、両腕を掴んだ。
「な、なんで提督さんが許されなきゃならないの?そんなの可笑しいよ」
おかしいのは、彼の周囲の人間たちのはずだ。
なぜ、身寄りのない彼を一人に置いておけるのか。
なぜ、雨の中を濡れて、一人で歩く彼を見て見ぬ振りができるのか。
「俺は取り返しのつかない罪を犯した。けれど、今それを知る人間はいない…
せめてもの償いだ。俺はこの意識と一生向き合って生きる。そうでなければ…」
彼は言葉を続けようとする。
瑞鶴はとてつもなく恐ろしかった。
それは、彼をここまで追いつめていた当時の環境の冷たさ。
そして、彼がこれから、ひょっとすると霧のように、消えてしまうことだった。
「違う!提督さんは悪くない!誰も責められないよ!」
「いいや。誰かがしなければならなかったことでも、それでも報いを受けなければならない。それがどのような形であっても、俺はそれを拒む権利なんてないんだ」
あくまでも冷徹に言い放ったつもりだった。
しかしながら、提督の幼い体は、震え続けていた。
「…提督、さん?」
「畜生…だめだなぁ」
それは、心までもが、幼いころに戻っていたということなのだろうか。
立ち尽くしていた提督の頬に、涙の筋が流れる。
「怖いんだ、自分のしたことを知るのが。何よりも、それを知った君たちに、軽蔑され、侮辱され、必要とされなくなってしまうことが…っ」
嗚咽が部屋の奥まで響く。
それは、提督のものでもあったし、同じように瑞鶴も静かに涙を流して、小さい体で縋った提督の身体を抱きしめていた。
「…気づいてあげられなくて、ごめんなさい」
「謝ることはないさ…これは俺の中でけじめをつけるべき問題なのに、君たちを巻き込んでしまった」
普段よりもずっと近くで見るその顔は、やはり幼い頃に戻っているようだったが、それでもあの優しさと、穏やかな微笑みは変わっていなかった。
「ううん。私たちだって、提督さんが当たり前に無理をして、当たり前に一人で傷を抱えてることは、なんとなく分かっていたの。寂しそうに笑ってる提督さんの顔を知ってたから」
どこかで、この人の苦しみを肩代わりできないかと思っていたのかもしれない。
けれど、自分たちはその苛烈さを本能のうちに悟って、無意識に目を逸らしていたのだ。
「提督として君たちと一緒に仕事をするようになって、毎日が本当に楽しいよ。責任の重みを感じることはあるけど、もとからそのことは承知の上だったから」
「私もだよ。でも、提督さん、仕事だけじゃなくて、私たちの悩みまで一緒に悩んでくれるでしょ?さっきも言ったけど…あれって、結構、嬉しいの」
「本当か」
「うん!提督さん、いつも私たちが女の子だから遠慮してることあるでしょ。それでも思い切って私たちに声をかけてくれるの、なんだか嬉しくなっちゃう」
「…そうか」
瑞鶴は、自分の為に流してくれた涙で、目を腫らしている。
着任してから少しずつ、自分を理解してくれて、受け入れてくれている。
この子の信頼を、翔鶴よりも、加賀よりも信じなければいけないのは自分なのだと、強く思った。
心の中に、一筋の光が差し込んで、凍り付いていた思いが砕けていくようだった。
過去は変えられない。ならば、今は、今自分ができる功績を残すべきだ。
今あるこの世界を、ひたすらに、愚直に守り抜くべきだ。
「…ありがとう、もう大丈夫だ」
「あ、苦しかった?ごめんなさい!」
ゆっくり、腕の力を緩めた瑞鶴の元から離れる。
幼子の瞳には、確かな決意が見て取れた。
「いや、いいんだ」
もう、いつまでもくよくよしているわけにはいかない。
「…俺はあの日を後悔できないし、悲しむこともできない。深海棲艦への憎しみも抱くことは出来ない」
「!」
思わず目尻を下げた瑞鶴の手を強く握って、目を合わせる。
「だから、俺は艦娘の、君達のために生きる」
「え···」
「俺を救ってくれた、君たちのために」
その言葉に嘘はない。
それは、彼の笑顔が、覚悟が、証明していた。
だから、瑞鶴は信じる。
「···分かった···でも」
その幼い少年の双肩には重すぎる覚悟が、どうしても心配になってしまう。
この世界で誰よりも、大切な人間だからこそ。
「私たちも、提督さんを守るんだから」
「…ああ。ありがとう」
「うん!提督さんも、もっと私たちのこと頼ってよね!」
力一杯、思いの丈を込めて、もう一度抱きしめた。
「わっ、い、痛いって!」
「ふふっ」
雨は止み、雲間から顔を出した夕日は二人を照らし、輝く。
それは、少年の新たな決意を祝福するようであった。
くっさ(自己嫌悪
ただ、書いてて一番自分の中のものを書けたと思います。
心理描写が曖昧なので、投稿していく過程でスキルアップできたらなと思っています。
ショタ化事件が解決していませんが、今後日常回はショタ時間軸と大人時間軸の混在です。
ストーリー進行の方では、何かしらマークを付けたり、前書きに書いておきますので、よろしくお願いします。
海外艦、もし追加するなら初登場は
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ドイツ艦
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イタリア艦
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ロシア艦
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アメリカ艦
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イギリス艦