舞鶴第一鎮守府の日常   作:瀬田

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不定期更新シリーズ。

シリアス回。流血等の表現にご注意ください。


第二十話 昏き決意

絶望、なんて言葉がある。

例えば、私の鎮守府では、西村艦隊の皆さんが艦艇時代に『それ』を経験した。

あまり人と話すのが得意ではない私でも、それくらいは、まず知識として知っていたし、耳にした。

本人たちがどう思っているのかは置いておくとして、私には、とてもかつての状況が『絶望』だとは、思えないのだった。

 

「···ふう」

 

艤装を磨き終え、額を拭う。

工廠の裏手には冷たい風が吹く。まだ日があることだけが救いだが、日の出前の帰投だったなら、私も寝ていたかも知れない。

 

「次は···叢雲ちゃんのか」

 

潮で汚れたその艤装は、一体どんな加工金属で出来ているのか、私には分からない。

少なくとも、純度が高くないことは、確かだ。

色褪せ、濁りきった黒色を見ていると、先程までの思考が蘇る。

あの戦いで、七人が十倍以上の敵に戦いを挑み、結果として時雨さんだけを残して沈んでしまったことは、周知の事実だけれど。

きっと、私には──────少なくとも、当時の私にはとても出来なかったことだけど。

 

(戦場で、大切な人を守るために、戦いたかった)

 

こう思ってしまうのは、きっと私の思い上がりだ。

弾も撃てない、守れるものもない、誰からも必要とされない、そんな状況こそが、『絶望』なのだと。

 

 

 

鎮守府では、戦力の増強を目的とした『建造』が行われることがある。

資材を投入し、妖精の力で過去の艦船の魂を喚ぶ。

その資材のバランスにより、一定の艦種のコントロールが可能になるのだが。

彼女のような一般的駆逐艦は、どのバランス値によっても呼び出される可能性がある。

海域での艦娘との邂逅を『ドロップ』とも言うようだが、そこでの艦娘の発見も合わせ、現在保有している艦娘が重複して邂逅することはない。

それは、現在までの総鎮守府の報告をもとに囁かれている通説だ。

そもそも出会っていない、という確率は低く、海域の勝利にその邂逅は必然に近いという。

出会ってはいるのだが、方程式の重解と同じように、喚び出された艦魂は、艦娘たちの記憶に接触し、それと重なる艦娘を認知した途端に消失する、と考えられている。

それでは、なぜその一定の確率が示されてきたのか。

それは、皮肉にも轟沈艦が証明の一助となっていたからである。

 

(···私は、弱い)

 

解いた黒髪が、冷たい風に揺れる。

磯波は、その心が重くなるのを感じた。

『コモン』と称されるその所以は、『轟沈艦を出した海戦で、再び邂逅出来るほど入手が容易な』事実だった。

 

(弱くて、それでも数は多くて、だから)

 

かつての磯波は、それを強みだと考えた。

犠牲行動に走り、ただ沈没を待つ、それだけの人生を送ろうとしていた──────

 

「···っ」

 

磨いていた叢雲の艤装が輝く。何かを発するように。

 

「だめだ···」

 

頬に流れた涙を拭うと、自然と微笑みが溢れていた。

 

────────────────────────

 

「私は、要らないから」

「私は、どこにでもいるから」

 

砲撃の炸裂する恐ろしさを、私は知らない。

破片が、爆発が身を襲う痛みを、私は知らない。。

そう思い直しては、まるでそれが自分にとっての責務のように感じて、身代わりを買って出た。

どんなに危険な海域でも、どんな損傷を受けていても。

実際には沈んでしまうほど危険な状態に陥ってしまう海域の進出など自分には任されず、出撃できた南西諸島海域に留まっているのだが。

みんなは心配してくれる風に装ってくれるのだけど、はっきり言って駆逐艦としての性能は並以下だった私に気を配るほど暇でもなかったように思う。

南西諸島海域の制覇以降、私が出撃に呼ばれることは、少なくなっていった。

 

(私の出来ること、って···)

 

秘書はできない。戦闘こそが私の使命だと、『磯波』としての心が告げていたから。

艦娘のみんなはよくしてくれるけど、それは表面上そうしてくれているだけで、中身は分からない。

少なくとも、当時の私には、自我をあれほど不安定な場所に置いていた私からすれば、考えられる余裕なんてなかった。

そう思ってから、ずっと食堂や工廠の手伝いに勤しむ毎日だった。

提督は賢い人だったから、遠征や出撃のバランスもよく、運営は上手だったそうだ。

 

(とにかく、邪魔しちゃ、だめだよね)

 

提督だって、人間で。きっと、こんな戦争を早く終えて、愛する人と暮らし、愛する子供たちを育て────

人並みの人生を送りたいと考えるのが普通だろう。

その手助けをしたい、なんて考えられるほどお人好しでもないし、心の余裕もない。

けれど、艦娘としての使命が、結果として提督を幸せに出来る。

『人間』を、幸せにできる。

何の役にも立たなかった、この私が。

そこに、生きる意味を見つけたような気がした私は、消え入りそうになっていた心をもう一度、取り戻せた。

 

そう、思っていた。

 

──────『んじゃ、掃除よろしくね?』

 

『うん』

『この書類、明日までに頼める?』

『任せて』

『飲み物、買ってきてくんない?』

『いいよ。何がいい?』

 

今から思えば、雑用係のようにでも扱われていたのだろう。

私がそこを去った後、艦娘の皆がお互いに仕事を押し付け合った結果、雰囲気が悪くなり、連携がとれなくなったと聞いた。

その時の私は少なくとも、嬉嬉としてそんな意味の無い『仕事』をこなしていたような気がする。

 

『無理』

『出来ない』

 

じゃなくて。

責任を持って、こなさなければいけない。

そこに私の生きる意味があるから。

それを失ってしまえば、もう私がここにいる意味は無いから。

それが出来なければ、私は『死んでいる』から。

そんな時、『生きていた』私は、工廠で叢雲ちゃんと出会った。

改二の、輝いた姿が、どうしようもなく、心を黒く染める。

その心が憎い。

羨望と言えば聞こえはいいが、嫉妬を感じてしまうその心が。

どこかで叫ぶその心臓が。

 

『叢雲ちゃん···』

『い、磯波!?···その、どう、かしら』

『···うん、とってもかっこいいよ』

 

新しい兵装に身を包んだ叢雲ちゃんは、照れくさそうに、けれど、瞳の奥に自信を秘めつつ、笑っていた。

そうだ。

私の生きる意味は、ここにあるんだ。

 

叢雲ちゃんの瞳に映った私の瞳は、どれだけ濁っていたんだろうか。

 

 

 

 

『うっ···ぁ』

 

夜明け前、ペンを置き、頼まれていた最後の文書を書き終え、工廠に向かった。

 

『···よし』

 

昨日見た叢雲ちゃんの兵装とは何段も見劣りした、私の兵装。

けれど、それを自分の力不足の原因にするようではいけない。

提督が、よく徹夜をして鳳翔さんなんかに叱られているけど、それもどうかと思う自分がいる。

私を、鳳翔さんを、この鎮守府の艦娘みんなを守るためには、提督がいなければならなくて。

どんなに暑くても、寒くても、苦しくても、痛くても、必死にもがいて努力をしている提督を、邪魔することなんてできない。

同じ目線に立てているなんて、到底思えないけれど。

きっと、男の人には、守らないといけないものがあって。

人間とか、艦娘とか、そんな枠を飛び越えた何かが、提督を突き動かしているんだろう。

その時の私も、責任感の重さは違っても、提督と同じようなものだったんだろうと思う。

 

『んぐ···ぷはっ』

 

栄養剤をいつもより多量に飲み込む。

視界は歪んでいるし、頭痛は頭の芯を殴られ続けているようだったが、これでしばらくは持ちそうだ。

けれど、そんな私を見ている人なんて、誰もいなかった。

次第に昇る朝日の光が、頭の奥を揺さぶる。

けれど、目を逸らしてはいけない。

 

半年ぶりの出撃。

私に与えられていた仕事は、単艦挺身防衛。

北方海域の最深部が、私の果てる場所だった。

一種の清々しさと、強い決意を抱く。

 

『第十九駆逐隊、吹雪型九番艦、磯波、出撃します』

 

開かれた視界に映る視界。

もう私は、ここには戻れない。

あの海の向こうが、私を待っている。

 

『右舷より敵艦隊襲撃、挺身隊会敵用意!』

『了解』

 

燃料を気にしなくていいのは、皮肉にも楽だった。

この海域を奪還することを補助することだけが、私の役目だから。

全ての力を発揮し、敵の水雷隊へ突っ込む。

 

『はああっ!』

 

全ての痛みが、苦痛が、快感へと変わっていく。

怨念のような、その決意を敵艦に、砲撃として、雷撃としてぶつけていく。

何も、ただ事務作業を行っていた訳ではない。

演習をしている艦隊を観察し。

独りで教本を学び。

誰もいなくなった、深夜の海域で特訓をして。

艤装だって、工廠で何度も整備した。

それでも、足りないというのだ。

努力が、能力が、決意が、才能が。

劣っているなら、至らないなら、痛いなら、辛いなら、悔しいなら。

全てを掻き集め、それでも足りない自分は、どうすれば良かったんだろうか。

それでも、変わらない思いはあった。

次第に動かなくなる四肢と、赤黒く染まった視界が、今の自分の限界を示していた。

 

(それでも···!)

 

前を必死で睨みつけ、再突入を図る。

海域では激戦を極めている。挺身隊のおかげか、本隊へのダメージはかなり抑えられているようだった。

 

結果が伴わない正しさは、果たして正しいのだろうか。

分かっていたんだ。

心の奥で悲鳴をあげる、その声が。

痛い、辛い、苦しい、悲しい、冷たい、────諦めたくない。

 

(そうだ···私はやっぱり)

 

『きゃあっ!?』

 

後方で聞こえる、叢雲ちゃんの声。

振り向くと、戦艦の主砲が、大きな波に均衡を崩した叢雲ちゃんを狙っていた。

 

『ぐっ···ああああああぁ!』

 

身体中から流れ出る血が、口に入ってしまう。

鉄の味は、生の実感を私に与え、更なる使命を私に遂げさせようとしていた。

僅か数メートルの砲撃軌道に、持てる力の全てを込めて、飛び込む。

 

(私が、守るから···!)

 

叢雲ちゃんの瞳が、絶望に染まっていく。

ああ、そんな顔をしないで。

その時、私は知った。

叢雲ちゃんの流す涙を見て知った。

 

(なんだ···)

 

私のことを心配してくれる。

私を、見てくれている人がいるんだ、と。

 

(そっか···)

 

それに気づいた途端、後悔が湧き出てきた。

もっと、出来ることがあったんじゃないか。

叢雲ちゃんを、私のことを見ていてくれた人を、悲しませない何かを──────

 

『ぁぐっ···!』

 

脇腹を切り裂いた鉄片。

咄嗟に撃った砲撃が、丁度敵の砲撃にぶつかったらしい。

ともあれ、大破した身体では何をすることも出来ず、海面に叩きつけられた。

 

『い、磯波···!』

『む、らくも、ちゃん···はやく···に、げて 』

 

私を抱え上げようとする叢雲ちゃんの両腕を払って、立ち上がる。

膝と足腰に激痛が走り、何より上半身は傷だらけ。

大破した私に出来ることは、ただ一つだけだった。

戦艦は、他の挺身隊に仕留められ、残るは深部と増援のみ。

ここで本拠地を叩いてしまえば、統率の取れなくなった増援部隊は瓦解するだろう。

背を向け、動かない体に言い聞かせる。

 

『撤退しないと!急いで!』

『違うよ···私は、ここで叢雲ちゃんたちを守るから』

 

振り返らないで言った。

私の心の中の、決別の意志は固く、脆かった。

頬に流れるのは、血だけではないことを知っていた。

 

『長門さん···それでは』

『ああ···済まない…っ、達者でな···艦隊!磯波たちの挺身を無駄にするな!このまま敵本拠地に突入する!』

『了解』

『そ、んな···まって、待ってよ磯波···』

『…じゃあ、ね』

 

これ以上聞くと、揺らいでしまいそうだった。

 

『待ってよおぉ!』

 

僚艦の一人に引っ張られるように、退避して離れゆく叢雲ちゃんの、そんな声が聞こえていた。

 

『···さあ、努力の成果を、ここで見せよう』

 

口に出したつもりだが、聞こえない。

耳をやってしまったのだろうか。

そんなことはどうでもよく、ただ、死は、私を大きな口で迎えていたのだった。

 

『ぅ···あ、あ···』

 

痛みをこらえ、血に塗れた目を見開く。

 

『ああああああッ!』

 

目の前の深海の群れに、ただ一人、突っ込んでいく。

ただ、ひたすらに命を燃やして。

 

────────────────────────

 

絶望とは、何か。

それは、黒より昏い、夢と希望の、成れの果て。

ここは水底なのだろうか。

 

──────私の全てが海色に溶けても

──────貴方を忘れない

 

穏やかな心に、ただ、その言葉が響いた。

誰の言葉だったのか、それは結局分からなかった。

 

(私は──────忘れないよ)

 

心の中で固まっていたものが、解きほぐれていくような心地だった。

ゆったりと目を瞑った時、瞼の裏に見えた、あの光を、私は忘れられないのだった。

 

 

 

それから、悠久の時を過ごしていたような気がしていた。

何も見えず、何も見えない。

それが永遠に続くような、気がしていた。

 

「···あ、れ」

 

目が開く。降り注ぐ光が見える。

耳が聞こえる。小鳥のさえずりが届く。

動かせる両手に呆然としていると、扉が開いた。

 

「起きたか」

「え···」

 

声に驚いて、聞こえてきた方を伺うと、長門さんがいた。

微かに残っていた記憶が蘇る。

 

「な、がとさん···?」

「む」

 

思わず出た声に反応するように、長門さんは徐に、目線を合わせてくる。

 

「身体は、大丈夫か」

「えっと、は、はい」

「熱は···ないな」

 

額に冷たい手が当たる。

長門さんは安心した表情をしていた。

 

「あ、あの···長門さんたちは、無事でしたか?」

 

こんなことをしてくれる長門さんは初めてなので、つい戸惑ってしまう。

また、生き残ってしまった。

提督に、艦隊の皆さんに、合わせる顔がない。

 

(ううん、違う···)

 

違う。

そんな建前よりも、私は、恐怖していたのだった。

死に晒されることの恐怖に。

封じていたはずのその感情が、自然に沸き上がってきた。

だから、溢れ出した想いは、止められなかったんだろう。

 

「···磯波···泣いているのか?」

「えっ···あ···」

 

片頬に触れると、流れ出した雫が掌を伝った。

 

「···すみません、大丈夫です」

 

感情に突き動かされたのは久しぶりで、驚いていた。

 

「そうか」

「それよりも、その、艦隊がどうなったのか教えて下さい」

 

長門さんが健在ということは、ある程度の余裕を持って勝利できたのか。

少しほっとしていた心が、彼女の言葉で凍り付く。

 

「ああ···正直に話すと、私は君の鎮守府の長門ではない」

「え···」

 

最悪の想定が、脳裏をよぎる。

 

「君の···挺身護衛艦数隻を含んだ、舞鶴第五鎮守府第一艦隊は、北方海域深部制圧に失敗した。撤退を私達舞鶴第一鎮守府第一艦隊が援護したが···海域へ向かう途中、損傷の非常に激しい君を見つけて、一隻が曳航して君をここへ連れ帰って来た」

「そ、それで、む、叢雲ちゃんたち、は···」

「心配には及ばない。中破艦はいても大破までには至らなかったらしい」

 

ほっと胸を撫で下ろすが、長門さんの表情は硬いままだ。

 

「···それと、だな」

「···?」

 

重い口を開くように、長門さんは言い放った。

 

「君の鎮守府で、君が建造された」

 

あくまでも冷淡に、そう、彼女は言ったけれど、瞳の中に秘められた、悔恨の思いは伝わってきていた。

海域進出中に建造などしている暇はないのだが、戦況次第では戦力の確保も貴重だ。

恐らく“私”は、もうあの鎮守府からは切り離されてしまったのだろう。

 

「本当に申し訳ない···私達の提督を通して、再三抗議はしたのだが···」

「いえ···」

 

不思議と、心は軽かった。

ひたすら義務感で思いを縛り付けていたからか、哀しさや悔しさを感じることは無かった。

 

「···そう、ですか」

 

これから先、何が待っているのか、今は考えることが出来なかったけど、何となく頑張れる気がすると思えた。

 

「分かりました。···あの、保護して頂き、ありがとうございます。いつまでに退去すればいいんでしょうか」

 

少し不安を感じつつ聞いてみると、まだ長門さんの表情は変わらず、どこか緊張した顔のままだった。

 

「ああ。それで、君に話がある」

 

長門さんがそう言葉を発したところで。部屋にノックの音が聞こえた。

 

「長門、俺だ。そろそろいいか」

「ああ、丁度話が終わった所だ」

 

漏れ聞こえた男性の声は、この鎮守府の提督さんだろう。

色んな人に迷惑をかけてしまったな、と後悔したような思いはまだ私の胸中を大きく占領していた。

 

「···おお、もう起きていても大丈夫そうか?」

「あっ、はい。ご迷惑おかけしました」

「迷惑なんてとんでもない」

 

瞬間、彼の目つきが険しくなるような気がした。

 

「長門から話があったとは思うが···」

 

それから提督は語った。

あの鎮守府の処分について。

結局あちらの提督の悪事は暴かれた。

挺身隊と称した艦娘の非倫理的出撃に、資材や資金の着服が認められたそうだ。

収賄の疑惑で上官も同時に逮捕されるとのこと。

 

そして。

 

「···君の元いた鎮守府は、このまま後任が当たる」

「そう、ですか···」

 

沈黙が、辺りを包み込む。

長門さんは悔しそうに唇を噛んだ。

なぜ、この人たちは私のことをここまで気にかけてくれるのか、それが彼らの当たり前だと知らない当時の私は、きっと困惑するばかりだったのだろう。

 

「···それで、なんだが」

「···?」

 

きょとんとする私に、彼は告げた。

 

「もし、良ければ…俺たちの鎮守府に、所属する気はないか?」

 

────────────────────────

 

「磯波」

「あ···はい」

 

自分を呼ぶ声に気付いて、振り返る。

 

「提督」

 

そう、ちょうど思い返していた記憶の中の、その人だった。

 

「風邪ひくぞ。まだ続けるにしても、上着は着てくれ。」

 

背中にかけられた上着は、艦娘の訓練用のものではなかった。

 

「あの、これ」

「あ···すまん、俺のだけど許してくれ、臭くないから」

「はい···ふふ」

「···なんで笑うんだ?」

 

この人のこういう所は、昔からだ。

私を引き入れようとした時も、こんな風に。

 

 

『転属···ですか?』

『もちろん、あんなに辛い思いをしたんだから、一人の人間として生きていくことを選ぶのも当たり前のことだ。でも、俺は君がうちに来てくれれば、君の悩みを···後悔を、必ず、晴らしてみせる』

 

 

 

「どうして、提督は私をここへ引き入れてくれたのですか?」

「理由、か」

 

彼は少し考えるようにして言った。

 

「もちろん、君は練度的にも一線級の艦娘だ。間違いなくこの鎮守府に必要とされるだろう…ただ、あの時の俺は、君に親近感を感じたんだ」

「親近感…ですか?」

「気を悪くしたら済まない。それでもあの日、ぼろぼろになってこの鎮守府へ運ばれた君の姿を見て、そう思ったんだ」

 

視線が、重なる。

心を射貫くように、真っすぐで、鋭いものだった。

 

「どんなに辛くたって、大切な人を守ろうとするとき、人は一番強くなれる。その思いが消えない限り」

「他の誰でもない、いまここにいる君の努力と、覚悟が、叢雲を守ったんだ」

 

提督は傍にあった、叢雲ちゃんと、私の艤装を撫でて、再び顔を上げた。

 

「誇っていいんだ。君が命を賭けて、彼女たちを守ったことを、誰にも否定させないよ」

 

(ああ…)

 

だめだ。

 

「…ふふ」

 

頬が緩んで、止まらない。

 

「って、柄にもないことを言ってしまった…忘れてくれ──」

 

どうにも、止まらないのだ。

 

「おっと…どうしたんだ?」

 

夢中で、目の前のひとの腰に抱きつく。

 

「…えへへ」

 

『磯波』としてではなく、この『私』を、認めてくれるひとがいること。

『好きな人』が、私を必要としてくれること。

嬉しくて、溢れ出す気持ちが、涙が、止まらない。

 

「私、これからも頑張ります。だから、見ていてください」

「…ああ」

 

名残惜しいけれど、どうやら離れないといけないらしい。

 

「磯波ー、あ、いた!」

 

工廠の入り口で深雪が手を振る。

 

「磯波ちゃんごめんなさい。私たちの艤装まで」

「ううん、いいの。艦娘経験では、私の方がお姉さんだから」

「ったく···」

 

ふたりと一緒にいた叢雲ちゃんが、ゆっくり近づいてきた。

 

「ふぇ」

 

頭に手を置いて、彼女はこう言うのだ。

 

「程々にしなさいよね······ありがと」

 

実に彼女らしい、『叢雲』ちゃんらしい物言い。

それでも、最後の四文字から優しさが(どうしても)滲み出てしまうのは、『この鎮守府の』叢雲ちゃんらしい。

 

「···うん」

 

小さく微笑み返し、そして彼の、提督の方を振り向く。

また同じように、彼も笑っていた。

そうだ。

彼は見てくれている。

『私らしさ』を、

『私だけの気持ち』を。

そして、理解してくれている。

だから、それに応えるために──────

 

「さあ、行ってきな」

 

手渡されたのは、間宮券の束。

 

「おぉーっ!司令官やるじゃん!」

 

深雪ちゃんに肩を強く叩かれて苦笑している提督。

そんな彼を見て、磯波は決意したのだ。

 

──────私は、『私』を生きよう。本当の、私だけの『私』を。

 

「···はいっ」

 

受け取った磯波の表情。

それは、彼が今まで見てきた彼女の中で、最も輝いていた笑顔だったことは、言うまでもない。

 




性格上、絶対バッドエンドは書けないです…。
必要に迫られれば別ですが。

UA5000記念は追って掲載させて頂きます。読んで下さった方々、本当にありがとうございます。

海外艦、もし追加するなら初登場は

  • ドイツ艦
  • イタリア艦
  • ロシア艦
  • アメリカ艦
  • イギリス艦
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