舞鶴第一鎮守府の日常   作:瀬田

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第三十四話 証

「…あれ、司令官?」

 

もう日付が変わろうとしている時間帯。

文月はラウンジ近くの廊下に提督の姿を発見した。

 

(もうお仕事終わったのかな)

 

夜間作戦に体を慣らすため、この頃は第二二駆逐隊の面々と共に、起床と就寝の時間帯を繰り下げて生活している。

そんな理由もあって、夜間演習を終えた文月は、こっそりとテラスに出向く提督の後をつけた。

 

「…ふぅ」

 

(あれ…?)

 

柵の縁にもたれ掛かって、小さく息をついた提督。星を見上げているのだろうか。

ふと、文月は彼の手に、普段見ないものを見つけた。

 

(司令官って、たばこ、吸うんだっけ…?)

 

着任以来、提督は、艦娘への気配りを忘れなかった。

だから、彼が煙草や酒をあからさまに嗜んでいる姿を、文月たち艦娘はほとんど見たことがない。

彼女の脳裏に、穏やかでいて、凛とした表情で佇む普段の司令官像がはっきりと映る。

 

(なんか、いつもの司令官とは、別の司令官みたい)

 

遠くの景色を眺めるようにして、目を細めて煙草を吸った提督の瞳には力が抜け落ちて見えた。

全身から、その身に纏う覇気が消え失せていたのだ。

 

(どうしちゃったんだろ、司令官)

 

陰ながら彼を見つめていた文月。

廊下の奥にその小さな体躯を潜め、胸中の微かな不安の混じった目線を向ける。

 

「…どうしたんだ、こんなところで」

「ひゃあ!?」

 

そんな彼女の後ろから、夜警の仕事を始めようとしていた長門がやってきて、声を掛けた。

 

「あ…長門さん。お、お疲れ様です」

「うむ。もう夜も遅いぞ…と思ったが、夜間作戦前だったな。ここで何をしていたんだ?」

「え、ええと…」

 

一瞬、文月の脳内で、提督を眺めていたことを白状することを躊躇う自分との葛藤があったが、ふと、先程感じた違和感の正体を、長門ならば知っているのではないか、と思い当たって口を開いた。

 

「あのね、向こうに、司令官がいるんだけどね、なんか、いつもと違うみたいなの」

「なに、提督が…本当だな」

ふと顔を上げて、テラスの奥を覗けば、確かに彼の姿はあった。

薄く照明の灯るのみの鎮守府の闇のなかで、彼はまだこちらに気付いていないようだった。

 

長門はふと見慣れない彼の姿と、その身に纏う雰囲気とを文月と同様に感じ取った。

ただ、唯一彼女と違うところがあるとすれば、彼女が年長者であり、そして聡明であるが故に、あれこれ思考を重ねて、ある結論に至ったことであろうか。

もちろん、文月を貶しているわけではないが。

 

「…そうか、今日だったか」

「…?」

 

少し俯いて、しかし決して悲哀を感じさせない表情をして、長門は呟いた。

 

「今日、十年ほど前の今日は…深海棲艦の舞鶴襲撃の日だったんだ」

「…!」

 

文月は、目を見開く。

彼の『昔話』は、今では鎮守府の多くの艦娘たちが知るところとなっていた。

 

「あの襲撃で、提督のご両親は亡くなっている。だから、もしかしたら…今、提督は、お話をしているのかも知れないな」

「おはなし…」

 

提督の表情が、文月の脳裏に再び蘇る。

彼が見せた力のない瞳は、本来彼が備えもつ瞳なのかも知れない。

日々深海棲艦との死闘を繰り返し、指揮を執る、あの凛とした視線は、あくまでも彼が見せる様々な感情のうちの、ほんの一部でしかなかったのだ。

 

「一年に一回…提督が一人の人間として、ご両親とお話しすることのできる夜だ」

「…今日、だけなの?」

「ああ。…いつもならばこの時間は仕事も終わっていないだろう。今日だって、つい先ほどまで私が執務補佐に就いていたくらいだ」

「今だけ、なの?」

「彼の代わりは、世界のどこにもいない。大事な使命を、提督は遂げようとしているのだ。今日くらいは…夜の煙草も見逃してやろうじゃないか」

 

文月は、ただ口も聞けず、弱さすら感じさせる、儚げな提督の姿を見つめていた。

薄く開かれた彼の瞳は、もう一切の悲しみと後悔とを振り切って、ただ慈愛の念を強く放っていたようだった。

 

「しれえ、かん」

「…文月」

 

一筋、涙が文月の頬を伝って流れ落ちる。嗚咽を溢すこともなく、しんしんと流れる。

それがどんな感情に起因しているのか、文月は知らない。

泣きたいときに泣き、笑いたいときに笑うことのできる、そんな温かい環境に生まれ育った文月は、それを理解することができない。

彼と文月の間に、性別や年齢だけではない、大きく彼らを隔絶させるなにかが、超然と存在していた。

 

その、あまりにも遠すぎる距離に恐怖を抱いているのだろうか。

 

「しれいかんが…どこかへ行っちゃう」

 

手を伸ばした文月。

急に怖くなった。彼が霧のように消え、風にさらわれて遠くへ行ってしまうような気がしたのだ。

長門はそんな文月を抱き上げ、背をゆっくり、優しく叩いた。

 

「提督は深海棲艦への復讐のために提督になったのではない。自分のような人間が生まれないようにするためだ…それが綺麗事にならないように、どこまでも努力を続けているのは、文月も知っているだろう」

「…うん」

「提督は、ずっと私たちの側にいる。隣に立って、未来へ導いてくれることだろう」

「…うん」

 

ただひたすらに純粋な信念追求の極致が、彼の感情と表情として生まれ、表れている。

ここまでの人生を捧げ、その信念を燃やすように輝かせて生き抜いてきた者だけが見せるものが、そこにはあった。

 

「私たちには、私たちなりのやり方がある。その方法で、力の限り提督を支えようではないか」

「…!」

 

顔を長門の肩に押し付けたまま、文月は何度も頷いた。

その姿に、長門も小さく頷く。

 

「さあ、もう眠ろう。明日また、彼を支えられるようにな」

 

長門は、振り返ってテラスの奥を一瞥し、月明かりが照らしている彼の姿を見た。

彼の瞳は何を映しているのかが、長門にはなぜか、ひどく気になったのだった。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「…っふぅ」

 

長い長い執務を終え、一人、テラスに立つ。

今日ばかりは予定を入れられなかったとはいえ、艦娘たちの夕食の誘いを断ってしまったのが少し申し訳ない。

 

それでも、察しの良い者は気遣ってくれたようだ。

今日という日が何の日であるかを、彼女らに教えたことはない。ということは、わざわざ調べてくれた、ということか。

 

(部下に恵まれたな…俺は)

 

言葉では表しきれない彼女らへの感謝の思いを胸に留めていると、やはり昔とは大違いだという感覚が生じてくる。

 

苦難に富んだ人生だと、自分でも思う。

身寄りのなくなるということは、こんなにも不安なことなのかと、初めて知ったあの夏。

親類縁者の中で、唯一自分の顔と名前を知る老夫婦の元へ、暗い夜道の峠を越え、息も絶え絶えに歩き続けた光景が懐かしく、脳裏に浮かぶ。

 

家族の死を受け入れること、死を背負って生きること。

その重圧と喪失感の寂寥は、たった十数歳の少年が抱えるには重すぎた。

あまりにも救いのない人生と、後悔に一人涙を流したことは決して少なくなかった。

 

それでも、やはりこうして生き抜いたことは間違いではなかったらしい。

それは、他でもない艦娘たちが証明してくれたようだ。

鳳翔、吹雪、睦月、響、阿武隈…と、これまでに出会った順に、艦娘たちの笑顔が俊巡していく。

彼女らと出会えたことが、提督の人生に意味を与えた。

 

(家族や、艦娘たちのことを考えるだけで、力が湧いてくるようだ)

 

士官学校でも、自分より成績の高い者は幾らでもいたはずだ。

そんなものより、ずっと強く求められていたことは、きっとこの純粋さだったと、自信を持って言えた。

それをひけらかす意図は全くもってないが――。

 

(父さん…俺は、強くなれたかな)

 

いつもの優しげな表情も、時には厳しく叱られたあの記憶も、今では自分を支える大切な柱になっている。

 

(母さん…俺は、まだそっちには行けないみたいだ)

 

抱き締められたときの温もり、懐かしい料理の味。

薄れていく記憶の中でも、きっとそれらは、いつまでも残っていく。

 

(…)

 

兄弟や友人との思い出だって、強く心に刻まれていることだろう。

しかし、今となっては、彼らに会う手段もない。彼らは、自分の記憶の中に生きるだけなのだ。

いつまでも、覚えていること。繋いでいくこと。

それが、一人の人間としての自分の使命だ。

 

(まだ…けれど、きっといつか)

 

優しい月の光が降り注ぎ、星々は、都会の放つプラスチックな光に負けずに輝く。

一心に命を燃やすその生き方に、提督は惹かれるようだった。

 

(会いに行くから)

 

今度こそ、この大切な国を守れたなら、皆は許してくれるだろうか。

次に会ったときは、笑って自分を抱き留めてくれるだろうか。

 

あの優しい微笑みに触れられるなら、今すぐにでも、会いに行きたい。

そんなエゴを胸の奥にそっと押し込めて、未来を向く。

あの人たちが、そして艦娘たちが望む平穏が待っているはずだと、強く奮い立たせる。

 

(…少し、休んでから、迎えに行くよ)

 

彷徨に似ていて、しかし決して同じではないその思いが、彼の胸の中に溢れていた。

 

(待っててくれ)

 

遠く、遥かな思慕の念を抱いて、あの星に想いを馳せる。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

名残惜しい夏の夜の空気を振り切って、テラスから屋内に戻る。

空調が効いた心地よい涼しさが全身を覆った。

 

(さて…)

 

煙草を捨て、空き缶をゴミ箱に投げ入れる。

迷いのない視線でもってそれを確認したら、既に彼はいつもの表情へと戻っていた。

 

「…」

 

音もなく、夜の廊下を歩き進む。

起きている艦娘も少ない。夜間演習や、遠征に帰投した者がちらほらと散見されるだけだ。

 

執務室の扉を開けると、夜警である長門が待機していた。

 

「長門か。お疲れ」

「ああ、そちらも」

 

少ない言葉を交わし、残された、書きかけの文書を確認する。

すると、何だかそれらを書き始めようとする力が出ない。

 

「…」

「…提督?」

 

机上ですっかり固まってしまった彼の腕の動きを訝しんでか、長門が彼の名を呼んだ。

 

「何故だろう。今晩はどうも、駄目みたいだ」

 

言葉尻に微かな声の震えがあったことを、長門は聞き逃さなかった。

 

「…これは、秘書艦兼夜警の独り言だ。気にしないでくれ」

「…?」

 

小さく咳払いをして、長門はそっぽを向いて言う。

少し不思議にも思ったが、提督はそれを黙って聞くことにした。

 

「今日くらいは、提督にも休んでほしいものだな。思い出に浸る時間も大切だろう。弔問する暇もなければ、きっと後悔が残るだろう」

「…っ、長門」

「おっと、喋り過ぎたようだ。上司に聞かれては不味い」

 

立ち上がって、振り返る長門。

 

「…私だって、艦娘だって提督と同じ思いだ。そこに大きさの違いはあれ…決して忘れたりはしない」

 

彼女の表情には、確かな自信と笑顔があった。

目を見開いて、提督はそれをしっかりと見た。

 

「それではな。そろそろ巡回時間だ」

「ああ。……ありがとな」

 

さよならに手をひらひら振って、長門は扉を開ける。

提督は、そんな彼女の後ろ姿を見送って、窓辺に佇む。

見上げた夜空が、ついつい潤んでしまった瞳に、歪んで映る。

 

「…俺は本当に、幸せ者だな」

 

年を取ったからか、それとも、この鎮守府で変わったのか、いつの間にか緩くなってしまった涙腺。

提督は、涙が零れないように目頭を押さえて、一人、海の向こうに続く夜空に微笑んだ。

 

 

海外艦、もし追加するなら初登場は

  • ドイツ艦
  • イタリア艦
  • ロシア艦
  • アメリカ艦
  • イギリス艦
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