舞鶴第一鎮守府の日常 作:瀬田
新生活に春イベなど、もうてんてこ舞いでして…。
「げほっ、ごほっ…」
心地よい海風が吹き込む、夏の朝の執務室。
静かな部屋の中で、大きな咳の音が響いていた。
「し、敷波、大丈夫か…ぜえ…」
「だ、大丈夫だって、て、提督こそ…はあ…ごほっ!」
二人の咳の音は重なって、場の雰囲気は惨憺たるものであった。
提督と本日の秘書艦、敷波はこの季節恒例となった大量の書類仕事に追われ、さらに夏風邪に罹るという二重苦に見舞われていたのだった。
「ンフッ…やはり敷波は休んだ方が」
「だ、大丈夫だっての!しかも今咳我慢したでしょ!ンフッ」
(司令官一人置いて休むわけにはいかないし…)
「…って!別に司令官が心配なわけじゃないけど!」
「!?」
何やら叫びながら頭を抱えて振り回す敷波。
提督はその狂乱ぶりに、敷波のただならぬ異常を感じ取った。
「お、おい大丈夫か」
「だ、大丈夫大丈夫!何でもないから!」
しかし、提督の憂慮は消えない。
昨日の十数時間にも及ぶ激務にも拘らず、敷波は今日もこんな地獄に付き合ってくれているのだ。それも当然だった。
「流石に疲れただろう。よく頑張ってくれたよ。ほら、部屋まで送って行くから」
敷波の座る椅子と執務机の前で屈む。
風邪の時は歩くことも辛いものだ。本人には少し悪い気もするが、おぶっていこうと考えたのだ。
「だ、だから…まだ行けるって…っ!」
勢いよく立ち上がると、強い眩暈が襲ってくる。
体が言うことを聞かず、敷波はふらついた。
「おっと…大分重症だな」
敷波を抱え上げ、執務室を出る。
提督自身、熱に浮かされていながらも、ここは上司としての義務を果たすべきだと、ふらつく体をぐっと堪えた。
「…あれ、提督じゃないか?」
「んん?本当だクマ」
休暇で楽しんだ間宮からの帰り、部屋に戻ろうと談笑しながら廊下を歩いていた球磨型の長女と末妹は、遠くに彼の姿を見つけた。
「結構遠いクマ。よく見つけたクマね」
「…べ、別に、たまたまだよ」
徐々に近づいてみると、どうやら提督だけではないらしい。
具体的には、彼が誰かを抱え上げて移動している、ということだ。
「む、あれは…敷波クマ?」
「なにかあったのか?少し、聞いてみないか、姉さん」
「よしきた。敷波はスラバヤで一緒だった仲だし…気になるクマ」
木曾が天然な姉のお陰で追及を逃れて安心している隙に、球磨は走り去ってしまっていた。
「ちょっ!待ってくれぇ!」
「クマー。提督、敷波ー」
「ふぅ…おお、球磨か。お疲れ」
球磨は提督に走り寄ると、即座に彼らの異変に気付いた。
「…提督、敷波を担いでどこに行くクマ?」
「ああ、風邪を引いているようでな。明石に連絡して、医務室に向かうところだ」
「なるほどクマ。ついでにもらった風邪薬でも適当に飲んで誤魔化そうって腹積もりクマね」
「…やっぱり気付くものか?」
「顔、真っ赤クマ」
「あはは…」
提督が頭を掻いていると、木曾がやって来た。
「ま、待ってくれ球磨姉、って提督、顔赤いぞ」
「…」
「こんなの誰でも気付くクマ」
球磨は嘆息した。
「球磨姉、これはどういうことになってるんだ?」
「風邪ひいた提督が風邪ひいた敷波背負って医務室に向かってたとこクマ。そのあと普通に執務するつもりクマ」
「」
「おいおい…無理すんなよ」
完膚なきまでに目論見を看破されてしまった提督であった。
とりあえず、と言って球磨が言葉を繋ぐ。
「提督も執務が忙しいとはいえ、今は少しでも休むべきクマ」
「そうだな。敷波は俺たちが運ぼう」
「すまん、迷惑かけるな」
「気にするなクマ。普段からお世話になってる恩返しクマ」
「クマの恩返しってか」
「…」
「木曾、流石に提督もフォロー出来てないクマ」
敷波を抱えた球磨がジト目を向けているのに苦笑して、提督は歩き出す。
わざわざ声を掛けて来てくれた球磨型の二人には感謝しなければならない。
「風邪ですね」
医者コスプレに身を包んだ明石は、提督の胸元に聴診器を当てつつすっぱりと言い放った。
ちなみにわずかに緊張していたりする。理由はお察し。
「微熱に咳、くしゃみとくればそれしかないクマ」
「検査もしましたが、この季節はインフルエンザも流行っていませんし」
「まあ、重病じゃなくて良かった」
後ろで腕を組んでいた二人も納得の表情である。
そんな艦娘たちを見回して、提督は感謝の言葉を口にする。
「二人共、わざわざありがとう。明石、処置の方は」
「漢方を出しておきますね。あと、咳の症状がひどいようですので、咳止めを」
「ああ、ありがとう」
明石から処方箋を受け取り、ゆっくりと立ち上がる提督。
球磨はそんな彼の行く手を阻むように立ち塞がった。
「どこへ行くクマ?」
「まだ何もしてないだろ。…自然な演技だったと思ったんだが」
「執務なら大淀に連絡してある。吹雪たちが代行してるぜ」
いつの間に、と目を見開く提督に、木曾は自信たっぷりの笑みを浮かべる。
一同のやり取りに苦笑して、明石は近くにあった冷蔵庫から飲み物の容器を取り出した。
「これ、特別調合のスポーツドリンクです。医務室のベッドが今使えないので、別棟の和室に布団を敷いてもらっています。提督と敷波ちゃんも、そこでお休みになっては?」
「丁度いいクマ。二人とも球磨たちが看病してやるクマ」
「そうだな。今日は暇だったんだ」
「わざわざ手を煩わせることもないさ。風邪くらいで」
「遠慮するな。俺とお前の仲だろう」
やけにイケメンな台詞を受け取りつつ、提督は遠慮する。
敷波はともかく、部下に時間を削らせ、気を配らせる必要もないと思ったようだ。
「提督、ここは素直にお世話されてはいかがですか?」
「明石」
迫る球磨型娘たちにたじろいでいると、明石が耳元で助け舟を出してくる。
しかしながら、その内容は彼の望んでいたものとは違っていた。
「球磨ちゃんたちも心配なんですよきっと」
「…そうなのか?」
「っ、ええ…」
思いもしなかった言葉に明石の方を向く提督。
急に近くで視線が合わさってか、明石は顔を赤くしつつも頷いた。
「コラーッ!なにイチャコラしてるクマ」
「し、してませんしてませんっ!」
「…ともかく、分かってくれるな?」
「あ、ああ…」
話の展開が読めずに、もはや抵抗する気力もなく、場の空気に引き摺られるだけの提督なのであった。
「…んぁ」
深く沈んでいた意識が甦って、敷波は目を開く。
未だにふわふわと浮いたような感覚が身体を支配していたが、倦怠感や痛みはない。多少は楽になったようだ。
(…そうだ、私、風邪引いてたんだっけ)
次第に天井の色がクリアになっていく中、今日一日の記憶が思い出せるようになっていく。
体調が悪くなっていたことは敷波自身分かっていたものの、一人激務に耐え続ける提督を放っておくことはできなかったのだ。
「そうだ、司令官が――」
歪んだ視界の中、不安げに自分を見つめていた彼の表情が思い返される。
こうして自分が眠りについていたということは、今も彼は職務を続けているのだろうか。
敷波は、勢いよく起き上がった。
「…おお、起きた、のか…けほっ」
「あっ、うん…って司令官!?」
なんだか至極ナチュラルに返答をしてしまったが、ふと気付いて振り返ると、そこには彼の姿が。
物凄い勢いで二度見した敷波は仰天した。
「うひゃああ!?」
「あ…すまん、驚いたよな。色々と訳があって…。すぐに出る」
よろよろと立ち上がる提督。
よく見ると見慣れないジャージ姿である。恐らく彼も同じように風邪に苦しみながら寝ていたのだろうと、敷波は察した。
「あ、待って司令官!」
咄嗟に彼の服装の裾を掴んだ敷波。
とは言いつつも、その後のことを何も考えていなかったのか、押し黙るしかなかった。
「ん…どうした」
二重瞼でゆっくり問いかける提督。
語調はいつもよりも弱く、かなり疲弊しているであろうことが分かった。
「…だ、大丈夫だから。司令官のことだもん。こんなこと絶対しないって分かってるから」
「そ、そうか…っ」
意外な形で信頼を受け取った提督。
誤解のなかったことに安心したのだろうか、全身を脱力感が襲った。
よろめいて均衡を崩したところを、敷波が慌てて支えた。
「って、大丈夫!?」
「あ、ああ。少し寝かせてくれ。成り行きを説明するよ」
朝方に比べれば、どうやら敷波の体調は回復した様子。
提督は件の説明をしたあと、球磨たちへの報告を頼んでから眠りに落ちた。
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誰もが信用に値しない。
それが彼の人生にとっての前提であった。
自由と独立を高らかに謳い、新文明に酔いしれた時代から百年、二百年と経つ。
個人意思を貴ぶ時代の流れに任せて、我々は内面に潜む凶暴さと愚かさを隠し切れなくなってきたようだ。
『…』
大切に守ってきたものは、跡形もなく消えてしまった。否、初めから何もなかったのかも知れない。
変わってしまった世界の中では、それは何もないことに等しいから。
崩れ落ち、灼けつく瓦礫と劣化した絶望の感情の中で見た、あの人の――艦娘たちの表情の、なんと純粋なことか。
『…っ』
なにも高尚なことを考えているわけではない。
ただ単純なことなのに、人は目を向けようとしない。ただ子供の絵空事と笑うばかりだ。
孤高であることを尊んだはずの人間たちは皆、孤独になっていく。
自分が一度は選んだはずの生き方に後悔し、嘆いている。
恐怖のあまり、他人を押しのけてまで進もうとする人の波。
押しのけられた子供は、崩壊しようとする建物の瓦礫の海に消えた。
憎しみは、嫉妬の形を取ってありもしない責任をぶつける。
ただ彼は呪った。病に冒され続ける人間という存在を。
自分が生きていることも無責任な気がして、信じられなくなった。
また彼は愛することができた。彼女らを――彼女らに殺されることすら望むくらいに。
「…あ、起きた?」
若干の息苦しさを覚えて意識を取り戻した提督。
瞼を開いてみると、すぐそばに厚着をした敷波の姿があった。
「…ああ、そうだ…寝ていたのか」
「なんだかうなされてたみたいだけど…すぐ治まったみたい」
「そうだったか。なんだか申し訳ない」
僅かに気だるい体をゆっくり起こすと、額から濡れたタオルがずれ落ちた。
「ん…敷波が掛けてくれたのか」
「ううん。球磨さんと木曽さんが」
「そうか…」
割と高熱であったことは自覚していたが、温かくなってしまったタオルを握ると、やはり無理をするものではないと思わされる。
残念ながら、簡単に休むというわけにはいかないにしても、積極的に自分を休めたり、健康に気を遣うことは大切だ。
「後でお礼を言わないとな。敷波はもう大丈夫なのか?」
「まだちょっと寒いけど、楽になったみたい」
余裕が出てきたのだろうか、敷波の表情に笑みが見られる。
お互いに無理をしていたことを知っている彼らは、安堵からか、はたまた若干の照れからか、笑い合うのだった。
「…お互いに、無理しすぎてたのかもな」
「うん。意地張って抱え込むより、しっかり休むことの方が大事なのかもね」
敷波は、天井の仄かな照明を眺めるように寝転ぶ。
熱からか顔は赤いが、意識はしっかりしているようだ。
「…済まんな。本来は、みんな提督職のはずなんだが」
「ううん。
「…敷波」
「あたしたち…あたしが考えて、あたしが決めたんだ。足手まといかも知れないけど、司令官を支えたいって」
瞳には、確かな想いが宿っていた。
恥ずかしくて、ついつい艦娘たちの言葉を代弁するように話してしまうけれど、今だけは、自分の言葉で伝えたかった。
寝転んだまま、仰向けでこちらを向く敷波は、確かに台詞にそぐわない格好ではあったかも知れないけれど、想いは、確かに提督に伝わったようだ。
「…ありがとな」
「うんっ…けほっ」
「まずは風邪を治すところからだな。しっかり寝て、また頑張ろう」
「そ、そだね…」
何となく、温かくなる心にどうしても照れくさくなって、布団を被って顔の半分だけを出す。
ちらり、見つからないように、敷波は提督の方を覗いた。
「…z」
日頃の疲れも溜まっていたのか、既に眠りに落ちようとしているようだ。
対照的に、既に体力も回復しつつあった敷波は、彼から目を逸らせずにいた。
布団の隙間から覗く、熱で火照った頬と、軍装の上からは見えない、恵まれた筋肉質の体躯に、ごくりと敷波の喉が鳴る。
「きょ、今日くらい…いいよね」
熱で浮かされていたせいか、はたまた心境の変化か。
夏風邪は、結果的に彼女の背中を後押ししたと言えるだろうーー。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「うーむ…これはギルティクマ」
「罪状は?」
「抜け駆け罪クマ」
「今日くらい許してやってくれないか、姉さん」
「そうクマね…ま、昔のよしみってことで、見なかったことにしてやるクマ」
射るような強い夏の日差しも和らいできた夕方、和室には提督のすぐそばで眠る敷波の姿があった。
球磨たちはこれが過激派にバレないように努めようと決心するとともに、抜かりなく写真を残しているのだった。
「二人とも無茶するところはそっくりクマ」
「なんだかんだ言って頑固だからな」
それが必ずしも悪い意味ではないことは、二人とも理解しているようだ。
持ってきたスイカを枕元に置いて、汗の流れる敷波の額を優しく拭く球磨。
まったく、仕方ないクマと言いつつも甲斐甲斐しく世話を焼く姉の姿に、長女らしさを再確認する木曾は苦笑している。
「…なんだクマ?」
「いいや。ともかく、敷波は素直になれたみたいだからな」
「釈然としないけど…そうみたいだクマね」
提督の腕にしっかりと抱きついた敷波は、満足げに頬を緩めて眠っている。
どうやら相当いい夢を見ているようで何よりだ。
そんな敷波の珍しい表情を眺めながら、球磨がポツリと呟く。
「…提督として、大切で大変な仕事なのはわかってるけど、やっぱり無茶はして欲しくないクマ」
いつも明るい姉にしては、なかなか似合わない言葉だった。
それでも、彼女の本心には変わらない。木曾は、そんな姉の言葉に静かに、強く同調して応じる。
「そうだな。だが、ただ言うだけじゃあ無理難題を押し付けてるのと変わらない。提督が一人で俺たちを支えてくれているように…俺たちも、俺たちなりのやり方で提督の力になろうじゃないか」
「…クマ」
海から、そよそよと風が吹き抜ける。
部屋は少し暑く感じられたけど、気分は爽やかだった。
「…それじゃ、大淀たちの様子でも見に行こうぜ。あまり騒ぐのもなんだ」
木曾は、提督を一瞥してそう言った。
「そうクマね、それじゃあスイカも持ってくクマ?」
「いや…置いておこう、しばらくしても起きてなかったら片付ければいいさ」
日も既に水平線の下に消えようとしている。
夕食の時間には間に合わないと考えたのだろうか、木曾は姉にそう促して、部屋を去っていった。
(…バレてたか)
艦隊随一の武闘派である木曾のことだ。恐らく自分が目を覚まして会話を聞いていたことくらい気付いていたのかもしれないと、提督は悟った。
その証拠に、わざと残されたスイカを眺める。
「…全く、
男としての、なけなしのプライドが悲鳴をあげている。
ただ、今自分に出来ることはといえば、このスイカを食べて水分補給をし、またよく眠る。そして、明日からの執務に、全力で挑んでいくことくらいなのだろう。
「むにゃ…えへへ…司令官…。」
「…?」
何やら自分の夢を見ているのだろうか、それにしては愉快な夢のようで、どんな醜態を晒しているのか不安になる提督。
「スイカ、食べるかな…」
夏の夕凪の時間帯。
熱く乾いた空気が、部屋の古い扇風機に流されて頬を撫でる。
額を滑る汗を拭って、窓の外を眺めると、眩い橙の閃光が飛び込んでくる。
「…ふにゃ?」
「おっ、起きたか敷波」
「あっ、司令k…ってこ、これはそそその…!」
「元気そうだな。球磨たちが持ってきてくれたスイカ、食べれるか」
「えっスイカ!?って、そうじゃなくてぇぇ!」
日は沈み、次第に風が流れ出してくる。
窓辺の風鈴が、二人の(騒々しい)会話をよそにちりん、と鳴った。
気長に更新をお待ち頂ければ幸いです。
海外艦、もし追加するなら初登場は
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