舞鶴第一鎮守府の日常   作:瀬田

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今回はちょっと文章量が多めになっていますが、内容はスッカスカです(白目)
タイトル名は自然に浮かんだのですが、どこかで聞いた気もします。


第五話 紅い目こすったあの子

──────南方海域最深部

 

「···っ」

 

身体が、興奮の熱に震えている。今すぐにでも、叫び出したかった。

すっかりと日の落ちた、暗い紫色の空を一睨み、夕立は、翡翠色の瞳を輝かせながら、来る夜戦へ心を備えていた。

 

「···もう行っても、いいっぽい?」

「私たちも行くよ~」

「ええ。それではご武運を。もしもの場合は救援無線を行い、回避行動に徹して下さいね。くれぐれも、無理しないように」

「分かってるわよ」

 

心配性の大淀の忠告に、大井がうんざりした表情で答える。

 

分かっているのだ。

自分が沈んで、今も寝ずに待ってくれているあの人を、悲しませるわけにはいかない。

 

「それでは、時雨さん、比叡さん。行きましょう」

「うん。それじゃ大井さん北上さん、夕立をよろしく」

「私たちの心配してよ···この子はアレだからさ」

「アレ、だから困るんだよ。まあ、大丈夫だろうけどね」

 

時雨が苦笑している。

全く、姉妹だというのにひどいものだと、夕立は一人頬を膨らませた。

 

「ご、ごめんなさい···私も戦えれば」

 

そこへ、中破した比叡が口を挟んだ。

昼戦にて敵戦艦の砲撃を受けてのことであったが、それも北上や夕立を守り抜き、機動力によって深部の敵艦隊を撃滅させるという目的を達成するためであった。

 

その強い意志を汲んでか、提督も条件付きでそれを認めたのだった。

 

「謝らないで、比叡さん。夜戦火力を残すために三人を庇ってくれたんだから」

 

時雨が優しく微笑むと、比叡の表情が少し明るくなった気がした。

 

「そ、そうよ···だからあんたは休んでて」

 

大井が照れもあってか、目を逸らしながら言う。

 

(ツンデレっぽい)

 

「わー、大井っちのツンデレだー」

「言っちゃうんですね」

「き、北上さぁん!?」

 

そんな四人を横目に、夕立は、比叡にそっと近づいて、両手を握り締めた。

 

「比叡さん、ありがとう。夕立、絶対に勝ってくるわ」

「···夕立ちゃん···」

 

瞳は血のように紅く、艤装は力を纏うように熱を帯びる。

改二状態の放つとてつもない熱量は、艦娘たち全員に見られることではあるが、夕立は特にそれが著しい。

心の中に潜む力が、深海棲艦にとって恐怖や畏怖の対象となっているようだ。

 

「···あら~、これは」

「深海棲艦が可哀想だね」

 

目の色を変えた夕立に、北上と時雨が冷や汗をかいていた。

夜のこの子の恐ろしさは、他でもない、仲間である自分たちこそよく知っているからである。

 

「···それじゃあ、行くわ」

 

気を取り直し、遠く、敵南方泊地中枢から出立してくるはずの深海棲艦へ目を向ける。

何のことはない。

“たった”七、八隻のことだ──────

 

「夕立、突入するっぽい!」

 

 

────────────────────────

 

 

日は沈み、そこに光はない。

ただ、あるとすれば──────

 

「はあああッ!」

「ガッ···ア」

 

朱に染まった眼光が、一閃。

敵雷巡の身体の真ん中を凶弾が貫く。

断末魔を上げる暇もなく、海中へ沈んでいった。

 

「···ふう」

「夕立!左弦、九時!」

「──────ッ!」

 

僅かに捉えられた、薄い雷跡。

間一髪でそれを避け、雷撃の飛んできた方向へ、暗い海を駆ける。

 

「ったく、危ないわねぇ!」

 

大井は声を荒げながらも、あくまで冷徹に、持ち前の五連装酸素魚雷で敵戦艦の半身を穿つ。

砕け散った艤装に、吹き上げた血の赤が染まっていく。

しかし、純黒の夜闇の中にはそれを見分ける術など無かった。

 

「まあ、でもどうせ避けちゃうんだけどねー」

 

大井とちょうど背中合わせに、北上は重巡二隻を、主砲で吹き飛ばした。

飛び散る鮮血が、ついに敵の照明弾の光の元に晒される。真っ暗だった視界は、狂気のように紅く彩られた。

 

「電探に感有りっぽい!艦種不明、四隻!」

「さっきの雷撃はそいつらね」

「今相手してる敵の遊撃は一個艦隊だし…夕立、うちらが行くまで維持できる?」

「? そりゃーもちろん…」

「損害なしで、よ。当たり前でしょ!?」

 

もはや本人は気にもしなくなっていたが、夕立は血塗れである。

言うまでもなくそれが敵艦のものであったとしても、それほどまでの近接砲撃に出ていることは確かだ。。

敵大型艦の夜戦放火を、そんな距離でまともに受ければひとたまりもないことは自明である。

 

「…少しでも自信がないなら、あたしは絶対に行かせないけどね」

「…」

 

北上の、普段からは想像もつかない鋭さを秘めた眼差しが夕立を捉えた。

それを全身で受け止めて、夕立は目を瞑ったのだった。

 

「大丈夫」

 

言い放った決意は、固く、力に満ちていた。

艦隊を庇った比叡のため、今も自分の身を案じている大淀や時雨のため。

仲間たちの想いが心の中を巡り回って、血を沸き立たせる。

 

「そか」

 

北上は瞳を紅く染めた夕立を一瞥して、新手の近づく北方に振り返った。

大井もそれに倣い、そちら側に主砲を構える。

戦艦級の射程はすっぽりと彼女らを覆っている。それくらいの距離での近接戦闘は、諸刃の剣である。

 

「大井っち、援護お願い」

「ええ、もちろん」

 

体勢を低く保ち、北上は突撃に備える。

 

「ほんじゃ、やっちゃいますかぁ!」

「ぽい!」

 

大井の砲撃を合図に、北上と夕立が飛沫を上げて飛び出した。

 

 

────────────────────────

 

 

「…見つけた」

 

暗闇の向こうに待ち受けていたのは、重巡ネ級以下小型艦が三隻。

一隻で単独行動を取る夕立の急襲に対し、反応が遅れた深海棲艦らが対抗する手段は、もはや闇雲に砲撃を繰り返すのみであった。

 

「チェックメイト、ね」

 

でたらめに繰り出される砲撃は実際に夕立が保っている距離よりも、ずっと近くに着水している。

高速航行で勢いづいた夕立は、不意をついて一気にネ級の懐へ辿り着く。

 

「さよなら」

 

連装砲での至近連撃。ネ級が艤装を破壊され、たちまち大きくのけぞって怯む。

すれ違いざまの反航戦、夕立は遠ざかりながら魚雷をぶん投げる。

ネ級らとその艤装は粉々になった。

 

「…っやったぁ!」

 

跳びはねながらガッツポーズをして、爆風に背中を押されながら大井と北上の戦う海域へ戻る。

 

「遅いっぽいー!」

「呑気なこと言ってる場合じゃないわよ!」

 

背中を向けながらも怒鳴り声を返す大井の前方には、更なる敵艦隊が現れていた。

つまるところ、南方の主力に気を取られているうちに、挟撃に遭ってしまったらしい。

 

「ちょーっとまずいねー。夕立、半分頼める?」

 

北上は、無表情のままそう呟いた。

暗い視界に映るのは、少なくとも六隻以上。

背後の南から迫る艦隊を合わせれば、数的不利は相当なものとなる。

 

「···やっていいの?」

「もちろん」

 

次の瞬間に、夕立の表情は至って無邪気な、そして狂った笑顔に変わっていた。

ぞわり、北上と大井の背に悪寒が走った。

 

(この子…やっぱり、本物の夜戦狂だわ)

 

雷巡として、確かな夜戦戦力を買われている自信はあった。だが、彼女だけは敵に回したくないと、大井は悟っていた。

 

「ぽおおおいっ!」

 

いつもの癖の、不思議な掛け声を一つ。夕立は、飛沫を上げて敵艦隊へ肉薄する。

豆粒に見えた深海棲艦の姿が、みるみるうちに大きくなっていくのが分かった。。

 

「···!」

 

どうやら、気付かれたらしい。

 

『夕立っ!』

 

無線からは引き留めるような大井の声が流れてくるが、まるで聞こえていない。

 

(夕立は···負けないっぽい)

 

忽ち、怒涛の砲火と爆発が、耳を劈く。

気の狂うような閃光と炸裂音の中、踊るように至近砲撃を躱し、敵戦隊へ迫る。

 

「···はあっ!」

 

酸素魚雷を力任せに振り投げる。

突然の奇襲と薄い雷跡に、敵水雷戦隊は目に見えて戸惑っているようだ。

 

「どこ、見てるっぽいっ!?」

 

敵の注意が逸れたその一瞬、夕立が放つ砲撃は敵旗艦の軽巡の艤装を破潰させ、海中に潜めていた魚雷の誘爆が、水雷戦隊の六隻を巻き込んで霧散した。

 

「···ふう」

 

水雷戦隊の遺骸と艤装が沈んで行くのを眺めつつ、視線を更に奥、北側に移すと、夥しい量の敵が、こちらを睨んでいた。

 

「どうやら、こいつら倒してからじゃないと無理っぽいねえ」

「北上さん、それ私のセリフっぽい」

 

追いついてきた北上に苦笑いで返すと、夕立は、腰から短刀のようなものを取り出した。

 

「···それ、使うの?」

「ええ。元々は、これの実験目的でもあるっぽい」

「まあ半分名目みたいなもんだけどねー」

「北上さん、それは言わない約束っぽい」

「あはは」

 

随分と呑気なものである。

大淀や妙高が見たら卒倒しかねないその余裕は、何よりも、彼女らの戦闘力と意志の強さに因るものだ。

 

「···これで最後ですよ」

「何だかんだ言って付き合ってくれる大井っち、大好きだよ」

「···もう!」

「惚気ないで欲しいっぽい···」

 

夕立は、新たな武器を構えた。

 

──深海鉄。

深海銅とも称されるその金属は、文字通り深海棲艦の持つ金属で、艤装や残骸から抽出され、舞鶴第一鎮守府では、武具へ活用された。

夜戦や霧の立ち込める、偵察行動の効かない白兵戦時に有利だろうという考えからである。

 

「じゃあ、旗艦様、よろしくね」

「了解っぽい!」

 

重雷装巡洋艦の二人を駆逐艦一人の護衛にするという、艦隊決戦にはありえない陣形。

 

『常識』はいつでも捨てられる。

そういう風に彼女たちを変えたのは、もはや言うまでもなく、あの男だった。

 

「魚雷斉射っ!」

「おうっ!」

 

三隻から放たれる大量の魚雷は、暗い海中を、とてつもない速度で真っ直ぐに移動する。

 

「戦艦タ級!砲撃くるよぉ!」

 

北上がそう叫ぶのと同時に、砲撃音が轟く。

瞬間、海面は隆起し、鋭く水飛沫が上がった。

 

「夕立に任せて!」

 

揺れ動く波に上手く体重を乗せ、速度を得る。

砲撃の反動で動かない戦艦を仕留めるなら、今しかない。

 

「雑魚はお願いするっぽい!」

「おー、元気だねぇー」

「き、気をつけなさいよ!」

 

そんないつもの会話に苦笑して、敵前面へ突っ込む。

 

「···ガアァァ」

 

薄気味悪い、そんな叫び声。

人の形をしない深海棲艦は、本能のままに動く。従って、行動を予測しやすいのだ。

砲撃は夕立を大きく逸れて着水する。

 

「···下手くそね」

 

素早く増速して接近する夕立を恐れてか、雨霰のような砲撃が降り注ぐ。主砲の再装填が行われるための時間稼ぎの、機銃斉射であった。

 

「ふっ!」

 

目にも止まらぬ速度で腕を振る。小気味良い音を立てて、鉄の弾は弾けていった。

弾丸は夕立の服を裂いてはいるが、体を傷つける気配は一向に無い。

身を包んだ爆風は、敵の照明弾や探照灯に照らされた夕立を隠すのに丁度良かった。

 

「···もう終わりかしら?」

『どこにいんのか分かんないけど…援護はじめるよっ!』

 

最大出力、近接砲戦へ移行する。

北上たちの援護射撃によって敵艦を撹乱し、瞬時に敵艦の間を潜り抜ける。

後に残るのは、猛炎に焼け落ちながら断末魔を上げる深海棲艦のみであった。

 

「後は頼んだよ、夕立」

「任せるっぽい!」

 

煙の中から飛び出して距離を詰める夕立は、すぐさま主砲を撃つ。

 

「ガッ···」

 

艤装が砕けたタ級は、苦悶に顔を歪め均衡を崩す。

 

「はああっ!」

 

振り向きざまに、素早く腕と目を切りつける。

 

「グアァァァア!」

 

タ級が激痛に悲鳴を上げた。

両目を抑え、隙だらけとなったタ級が、従えている僚艦を壁としたようだ。

夕立の存在を感知した深海棲艦が、これでもかという数で殺到する、その瞬間。

 

「待ってたっぽい!二人とも!」

 

好機が到来した、と夕立は海面に主砲を撃ち込んだ。

水壁が敵艦隊と彼女を隔て、夕立は全速で離れていく。

 

『…夕立、戦域離脱!甲標的部隊、やっちゃってぇ!』

『行くわよ!』

 

集まる十数隻の深海棲艦が夕立が居た位置に砲を向けた時には、もうその姿はなかった。

僅かな音も立てず、海中には、夥しい本数の酸素魚雷が敵艦を捕捉していた――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「流石に疲れたっぽい···」

「当たり前だよお···何しろ20隻以上だったしね」

「血でベトベト···北上さん、大丈夫ですか!?」

 

おぞましい会話が耳に入ってきたが、考えないようにする春雨。

僚艦の時雨や、綾波、吹雪、ヴェールヌイまでも「夜戦時には」このようだと聞かされ、更に顔が青褪めるのは置いておいて。

 

「皆さん、対潜哨戒はしっかりね」

「五十鈴には丸見えよ!」

 

〇三三○に夜間戦闘を終えた夕立たちの元へ、二つの艦隊が到着した。

第二艦隊は周囲索敵の上、非常時には敵艦隊の西方誘引とその撃破を行い、第三艦隊は残された第一艦隊の護衛に就く。

既に比叡は大淀の先導で戦闘中に安全圏の海岸沿いから退避を行っているとのことで、一安心である。

 

因みに、基本的に艦娘が陸から退避することはできない。

その存在の秘匿性もあり、大本営の正式な手続きを経た、大規模な作戦中でもない限り、それは不可能であろうとされる。

 

「はぁ…疲れたぁ」

 

生死を賭した戦いで、既に精神もボロボロである。

艤装は小破止まりだが、生傷は多い。

 

「ちょ、ちょっと!夕立姉さん、大丈夫?」

「だ、だひじょーぶっぽい···」

 

ふらふらしていると、海面に頭から突っ込みそうになる。

バランスを崩してよろけると、すっと横から伸びた腕が夕立を支えた。

 

「おっと」

「あ、利根さん」

「ご、ごめんなさい、夕立姉さんが」

「よいよい。あんな戦のあとじゃ。疲れたのも無理はない」

「うふふ···きっと、北上さんや大井さんを気遣っていたのよね?」

 

筑摩が、優しく夕立の頭を撫でる。

 

「···夕立ちゃん、大丈夫?」

「も、もう少しだけこうさせてっぽい···」

 

疲れからか、目眩が強く、頭を襲う。

 

「まだ少しかかる。おぶってやろうか?」

「···ううん、大丈夫」

 

きっと、今も心配しているあの人に、逢いたい。

夜の戦いも好きだけれど、それをくぐり抜けて、無事に還ってきた時の、あの人の、安堵に満ちた表情。

難しく言うと、慈愛のような。

誰かが昔教えてくれたその言葉。

提督は、自分たちのことを、そういう風に、見てくれているんだと──。

 

他の人間の、艦娘の、誰でもない。

私たちだけを、ただ大切にしてくれているんだと。

そんな想いにこの身をもって応えたいと思うのは、おかしいだろうか。

 

「夕立、ちゃんと提督さんに、ただいまを言いたい」

 

これは、ぽいじゃない。

真紅の瞳は、朝日に照らされて輝いた。

 

 

────────────────────────

 

 

「···あっ、提督を見つけました」

「本当ね。この寒いのによくやるわ」

「とか言って、五十鈴も嬉しいんでしょう?」

「ばっ、馬鹿ね!そんな訳ないでしょ!?」

 

五十鈴のツンデレは今に始まったことではない。

冷静な分析をもたらした霧島に噛み付く五十鈴を横目で眺めつつ、今も埠頭で待つその人に目を向けた。

 

「もうすぐじゃぞ。夕立」

「うん···ありがとうっぽい」

 

駆け出したいのは山々だが、燃料も切れ始めており、何しろ疲労が大きい。

徐々に近づいていく陸。

桟橋に移動した鈴谷と提督が、受け渡しの用意をしていた。

 

「お疲れ様。報告は後でいいから、ゆっくり休んでくれ」

艤装を外し終え、綺麗に並んで敬礼をした18人に彼も敬礼を返すと、穏やかな口調で言った。

「ぽーい!」

「おっとっと」

 

敬礼を解くと、すぐに夕立が飛び込んでくる。

 

「提督さん、夕立頑張ったっぽい!」

「ちょっと夕立ちゃん!服!破れてるし血と煤まみれだよぉ!」

 

春雨の制止も虚しく、お互いが気付いた時には、既に夕立は彼の腕の中。

 

「···はっ、ご、ごめんなさい!」

 

すぐさま離れたが、ワイシャツは汚れてしまっていて、それを気にしたのか、飛び退いた夕立は髪まで落ち込んでいるように見えた。

 

「ん?あぁ。気にするな。それより、もういいのか?」

 

両眼に涙を浮かべた夕立に視線を合わせて言う。

 

「〜〜っ!」

「お疲れ様、夕立」

「提督さあああん!」

「おっと! 」

 

猪突猛進の勢いで再び飛び込んできた夕立。

汗と潮水と、さらに血が混ざったような匂いがして、その壮絶さが身に沁みて分かった。

 

「頑張ったな。ありがとう」

「大丈夫っぽい!夕立、提督さんのためなら、どこまでも行けるっぽい!」

 

見た目は年端もいかぬ少女。

その身体と精神に、南方の夜戦はどれほどの苦痛をもたらしたかなど、計り知れたものではない。

 

「···そうか。嬉しいよ」

 

それに、どうしても罪悪感を覚えてしまうのだ。

精一杯、それを償ってきたつもりではあるけれど、いつも心のどこかで、それは偽善だと、声が聞こえる。

 

(そんな時に、この子ときたら)

 

一時期、それに悩み苦しんでいた自分を動かしてくれたのは、夕立だった。

 

(いつも言ってくれるなぁ···)

 

この子は、全幅の信頼を見せてくれる。

どんな嵐が吹く日も、どんなに激しい戦いがあった日でも。

真紅の瞳を、綺麗に輝やかせて――。

 

「···提督さん?どうしたの?」

 

キョトンとした顔で見つめてくる夕立。

 

「いや···本当に、ありがとな」

 

こみあげるものを感じるあまり、思わず抱き締めていた。

 

「へ···?」

「きゃあーっ!て、提督!?」

「Nooooooooooo!」

 

金剛型の阿鼻叫喚は、彼の耳には届かなかった。

 

「ゆ、夕立姉さん···」

 

春雨の指の間から覗いた視線も。

 

「あら〜、これはちょっと羨ましいねぇ大井っち」

「へっ!?···むむむ」

 

北上と大井の羨望の眼差しも。

 

「···て、ていとくひゃん···」

「おっと、ごめん」

 

腕の力が強すぎたことを自覚し、腕を緩める。

抱きしめることに下心はもちろんなく、また家族のように触れ合いの機会の多い夕立のことだから、気にはしないのではないか、と思っていた。

 

「痛くなかったか?」

「ううん、で、でも、夕立···そろそろ限界っぽい···」

 

目を回して倒れこんだ夕立を慌てて押さえる。

 

「だ、大丈夫か?」

「···提督、僕が運んでおくよ」

 

見かねた時雨が、苦笑してそう言うのだった。

 

 

────────────────────────

 

 

「加減はどうだ?」

「うん!ちょうどいいっぽい!」

 

入渠ドッグ兼風呂場の近くの娯楽室で夕立の髪を梳かす。

心配して様子を見に行ったが、特に問題は無さそうで一安心した。

 

「さっきは済まなかった。あんな風にされるのは嫌だったよな」

 

うっかり不用心に触れてしまったことを謝る。

艦娘と言えども見た目と精神は年頃の子なのだから、やはりあのような行動は慎まなければならなかった。

 

「ぜ、全然大丈夫っぽい!そ、その、急に、ぎゅってされたから、ちょっとびっくりしたっぽい···」

 

彼女は彼女で、むしろ今はもっとして欲しい、という本心が伝えられないのがもどかしいが、それでもにやけ顔が隠せないのだった。

部屋に戻ったらきっと、白露や村雨が羨ましそうにしていることだろう。

そんな優越感と、風呂上がりの温もりと、何よりも好きな人と触れ合える、その心地良さが、身を包んでいた。

 

「そうだったか···これからは迂闊に触らないように気をつけるよ」

「えっ···う、うん」

「?」

 

寂しそうと感じたのは気のせいなのだろうか。

提督は、頭をよぎったそんな思いを片隅に追いやり、夕立の髪を梳くことに集中する。

ブラシが髪に引っかかると、相当痛いのだと、以前天津風に言われた覚えがある。

 

「すまん、もう少し寄ってもらってもいいか?」

「ふえっ、う、うん」

 

大の男に詰め寄られるのも嫌だとは思うが、こちらはしくじる訳にはいかないものなのだ。

 

(ちちち近いっ!近いっぽい!)

 

そんな彼なりの二律背反的な苦悩などいざ知らず、当の夕立の心拍数は跳ね上がっていた。

背中を通して伝わってしまいそうな心音に、おさまれおさまれと心は叫ぶ。

 

「あっ、そ、そうだ。作戦報告書···」

 

夕立は、もどかしいその心を隠すように、話をすり替えた。

 

「急がなくていいよ。疲れただろう?」

 

それでも、心の奥の本心は告げていた。

もっとこの人と一緒にいたい。

それは、日頃から忙しい彼にとっては、迷惑なのかもしれないけれど。

そんな自制心の枷が見て見ぬふりをしたのは、熱にでも浮かされてしまったのだろうか。

 

「···じゃあ」

 

上目遣いで、どこか緊張したように言う。

 

「一緒に、作って下さい、っぽい」

 

言ってから、後悔が自分を襲う。

勝手な我儘で、彼を困らせてしまったのではないかと。

 

「…おう」

 

対して、彼は笑っていた。

そんな姿が彼女らしくなくて、つい笑ってしまった。

夕立の気遣いが、聞こえてくるようで。

 

「それじゃこれ終わったらな。どこでやろうか」

「い、いいの!?」

 

整えた髪を撫でて、その向こうから、夕立の笑顔が、ぱっと輝いていた。

 

「ああ。新しく渡した武器の話もよかったら聞かせてくれ」

「···っ」

「?」

 

返事がなくて、何事かと夕立を見る。

 

「うん!提督にいっぱいお話するっぽい!」

 

元気よく飛び上がって抱きついてくる夕立の笑顔が、とても眩しいのであった。

 

 




この次のお話から投稿ペースを半日ごとに落としています。
最終的には週末の更新に落ち着かせる予定ですが、できる限り頻繁に更新したいと思っておりますので、読んでいただけると嬉しいです。

海外艦、もし追加するなら初登場は

  • ドイツ艦
  • イタリア艦
  • ロシア艦
  • アメリカ艦
  • イギリス艦
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