舞鶴第一鎮守府の日常   作:瀬田

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本日は加古さんたちのお話。


第五十一話 快晴

「うーん…」

 

加古は、両手指を重ね合わせ、大きく伸びをする。

ちらり、横目に見る鎮守府の風景。

夏の光に満ち溢れる明るい正午前、夜戦明けの大義名分を引っ提げて今日は睡眠を謳歌したという訳だ。

 

「しっかし、あちーな…」

 

着慣れた大きめのルームウェアの襟元をぱたつかせる。

光る海、輝く空…と、目を引く景色は結構なのだが、それでこの蒸し暑さが解決するわけではない。

いかんせんこう暑くては感動も何もない、というのが正直なところであった。

 

「…ん」

 

そんな時、加古は廊下の向こう側に艦娘たちの集団を見つけた。

 

「いよっし、んじゃ行こ―!」

「そんなに張り切って、よくやる気が出るのね…」

「まあまあ、そう言わずに。お願いしますよ」

 

潜水艦娘、伊19に伊401、伊400と思しき艦娘が、わいわいと前方を歩いている。

良く日焼けした肌は、潜特型艦娘の特徴なのだろうかと思案した。

 

「ん…あー!加古なのね」

「ほんとだー」

「加古さん、おはようございますっ」

「うお、なんだなんだ」

 

わらわらと寄ってきた潜水艦組。

なんだか伊19に至っては救われたような輝く笑顔を浮かべているので、何か隠しているのではないかと疑ってしまう。

 

「ちょ、ちょうど良かったのね。今日は二人とも、加古に水泳を教えるのねっ」

「はあ?」

「えー、あたしイクさんに教えてもらいたかったのにー」

「人に教えるのも上達のコツなのね」

「なるほど、納得です!」

「…おいおい」

 

急展開に待ったを掛けようとする加古であるが、そこに伊19の縋るような目線が刺さる。

 

(どういうつもりだよ…)

(今日だけ付き合ってあげて欲しいのね…このモチベーションにはイク、ついていけないのね)

 

直接脳内に訴えかけてくる伊19。

なんだか良く分からないが、まあこの蒸し暑さから逃れられるので良いか、と溜息をついた。

働いたら負けというスタンスを裏切らないだろう、なんてこの暑さで生まれた謎の思考回路に従うことにする。

 

「…分かったよ、んじゃ泳ぐか」

「自分で言っといてなんだけど、そんな簡単に決めちゃって大丈夫なのね?」

「なんだそれ…まあ、これだけ暑いし良いかなって」

「す、すごい決断力です」

「んー?どゆこと?」

 

一人首を傾げる伊401をよそに、加古の即決に驚きを隠せないようであった。

しかしながら、加古の言葉は冗談でなく、本当なのである。

 

「こう暑いとだらけるからなぁ。どうせなら泳ごうかってね」

「言っとくけど、水中では寝れないのね」

「分かってらぁ!!」

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「んじゃ、はじめるよー?」

「うーい」

 

常時水着で鎮守府をうろつく潜水艦娘に対し、加古はもちろんその手の水着を持ち合わせていない。

誰が着る予定なのかは分からないが、伊400が取り出してきた予備のスク水を着用し、先にコースロープの準備をしていた教官―伊401の元へ近づく。

 

「加古さんって、泳げるの?」

「んー、まあ一応士官学校でやったからなー」

「しおんたちは邂逅艦なので分からないんですが、水上艦娘も泳がれるんですね」

「まあ海で活動する以上はねぇ」

 

背中や肩甲骨を伸ばして、準備運動。

じりじり照りつける夏の日差しも、そよ風に波打つ涼しげな水面を見ていると、期待感で気にならなくなってしまう。

 

「飛び込みとかってできる?」

「ん、まあやってみる」

「気を付けてくださいね」

 

教練の記憶を身体が覚えているか分からないが、取り敢えずやってみよう、と考えた。

キャップを被り、飛込台へ足を踏み出す。少し目線が高くなって、水のきらめきが視界を彩った。

 

「よぉし…」

「がんばれー」

 

普段は寝てばかり(本人認識済み)ではあるが、今ばかりはなんだか違う。

目に届く光の眩しさのせいだろうと言われればそうかも知れないが――。

 

身体を大きく後ろへ引いて、脚に力を込める。

後は、思うがままのタイミングで目一杯、台を蹴り出して跳ぶだけ。

加古は、自分を迎え入れようとする水面の青色をただ見つめていた。

 

(…ここっ)

 

目を大きく開いて、弧を描くイメージで曲げた両膝をバネに大きく跳び出す。

空中を舞う一瞬で、脚を上向きに、頭を下げて入水準備。

どぽん、という音とともに、小さい飛沫を立てながら加古の身体がするりと水面へ引き込まれる。

 

「おーっ」

「加古さん、上手です!」

「…っ」

 

身体が冷たい水に包まれたその瞬間、長い間沈んでいた記憶が、脳裏に蘇る。

 

閉じていた目を思い切って開けてしまえば、そこは空の青が映る、光の差す水の中。

思わず水の冷たさに驚きながらも、飛び込みの勢いを活かして進み、身体が浮き始めたら、今度は腕を動かす。一かき、また一かきと、身体の中心軸に沿って水を掴み、腰の方へ押して推進力を得る。

 

「…はっ」

 

伸ばしたままの片腕で支えた顔を水面から出して息継ぎ。

肩越しに見たプールサイドの景色は、少し歪んでいて、とても鮮やかだった。

 

「いいねー」

「その調子です!」

 

瞬間的に見える潜特型姉妹の表情。

応援に応えねばと、水の塊を掴む腕を、素早く動かして勢いに乗る。

次第に迫る向こう側の壁に気が付かないまま、加古は次の腕を水へ放りだす――。

 

「はーい、そこまで」

「んむっ」

 

――その直前に、伊401に身体で止められた。

傍から見れば、突然に視界の外から現れた彼女のお腹に飛び込んだ感じになっていた。

訳も分からず、慌てて水面から顔を出す加古。

 

「ぷはっ、な、なにごと」

「そのまま壁にぶつかるとこだったよ。やっぱりゴーグルとか要るのかなぁ」

「水中でも、正確に視えているのは潜水艦だけなのかしら」

 

加古自身、水泳にブランクがあったとはいえかなりのスピードを出していたつもりだったので、素で追いつくどころか自分に対向してくる潜水艦娘の速さに驚いていた。

そんな彼女の様子に気付かないで、ゴーグルの必要性について話す潜特型姉妹。

 

「目が慣れてないだけなのかも。まあ、その辺はスピード控えめにして気を付けるよ。ありがと」

「ううん。それにしても、加古さんって泳ぐの上手いんだね!」

「静かで綺麗な泳ぎでした。いい先生に教わったんですね」

 

「あっ、もちろん加古さんもすごいんですけど」、慌てて加える伊400に苦笑する。悪気がないのは日頃の彼女を見ていれば分かるのだ。

 

「いい先生ねぇー…どうだったかなぁ」

「え、覚えてないの?」

「もう4,5年前になるからなあ…でも体術指導の教官はみんなマジできつかった」

「スパルタだったんですね」

 

遠い夏の記憶に、目を閉じて触れようとするが、その人の表情は思い出せない。

もう二度と帰れない、なんて懐かしむようなものでもないし、そもそも今の方が楽しいから気にならない。

 

「――でも、なんでこんな気分になるかな」

「ん?なんか言った?」

「あ、いや。んじゃご指導よろしくしおい教官!」

「りょーかいっ」

「あっ、しおんも教官ですよぉ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほいっ、しおいはみかんね」

「うんっ、ありがとーございます」

「どういたしまして。ええと、しおんはカルピス、っとほれ」

「あ、ありがとうございます」

「こちらこそ。結構いい練習になったよ」

 

2時間ほど泳ぎの練習をして、息の上がった加古がリタイアする形で水泳教室は幕を下ろした。

軽く髪を乾かして、いつものセーラー服に着替えなおした一行。

 

「元々お上手でしたから、加古さん」

「あたしたち要らなかったかも」

「いえいえ、ご謙遜なさらず」

 

二人へのお礼にと買った棒アイスのソーダ味を咥えつつ、伊401の髪を留める加古。

特に髪を気にしない伊401はこうして他の誰かに髪を結んでもらうことが好きなようだ。

一番はもちろん姉とあの人。

 

「ふー…やっぱ水に入った後は涼しいね」

「でもまた汗かいてきちゃうと大変よ?」

「んじゃ娯楽室行こう。誰かいるかもよ」

「おー!」

「そうですねっ」

 

元気よく腕を突き上げる伊401と、優しく微笑む伊400。

顔を合わせて話し始めた二人を眺めながら見上げる空の快晴に、巨大な入道雲一つ。

独り占めするように、視界を埋め尽くす濃い蒼はいつかの夏を蘇らせる。

 

あの時歩いたプールサイドも、腰かけたベンチも、今ここにはない。

だから過ぎ去っていく日々を忘れ行くのも仕方がないなんて、言わないで。

いつまでもあの日を、そして今日を覚えていようと思った、

 

「おーい!」

「ん」

 

ふと声のした方を向くと、遠くに何人かの艦娘たちが見える。

陽炎の揺らめく向こう側を、三人は注意深く、目を凝らした。

 

「あれ、イクさんたちじゃない?」

「ほんとだ!おーい!」

 

手を振って近づいていくと、次第に見えていた人影が大きくなっていく。

どうやた伊19だけではなく、伊168や伊58などなど、いつもの面々が顔を揃えているようだ。

 

「あれ、加古さん?」

「おーっす。今日は潜水艦隊非番なんだな」

「しおんたちは今日も自主練?精が出るわねぇ」

「あー、えっと」

 

複雑な経緯を話そうと当惑している伊401を見て、加古と伊400が苦笑している。

 

「今日は加古さんに泳ぎをお教えしていたの」

「か、加古さんに?なんで?」

「そこのサボり先輩に聞いてみな」

「ちょっ、イクは無実なのね!」

 

焦りに焦る伊19を問い詰める潜水艦娘たちを、笑って傍観する三人。

彼女の救いを求める眼差しにやれやれと助け舟を出すのは、もう少し後の事であった。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「なるほどねぇ、イクに任されたばっかりに」

「い、イクの身にもなってほしいの~」

 

冷房の効いた娯楽室にはそれなりの数の艦娘がいたが、昼の演習の時間になるとその多くが涼しさに名残惜しそうな表情を浮かべて退出していった。

非番の潜水艦隊は特に面白い訳でもない、この時間特有のワイドショーをソファーに寝転んで眺めていた。

 

「だって、折角の非番なのに暇なんだもん」

「イムヤさんたちはどうされてたんですか?」

「あー、それならハチがモーニング食べたいっていうから」

「西舞鶴までね」

「えー、行きたかったなー」

「加古さんにアイス頂いたんだし、いいじゃない」

「私たちにもアイスちょーだいなの」

「仕事ほっぽって飯食ってたやつの台詞じゃないな…」

 

窓を通してセミの鳴く声が聞こえてくる。

眩しいばかりの光を遮ろうとカーテンを閉じると急に暗くなる娯楽室。

寝転んだ潜水艦と加古に猛烈な眠気が襲ってきた。

 

「…夏に運動とか外出した後って物凄く眠くなるでち…」

「わかるわ…」

「はっちゃん、昨日夜更かししてたから…もうダメかもです…zzz」

「あ、はっちゃんが落ちた」

 

真っ先に眠りの海に沈んだのは伊8だった。

隣の伊168の膝に横たわりながら、うとうとと目を閉じかけている。

 

「あぁ~…Weich(ゔぁいひ)…」

「なにそれ」

「ドイツ語で柔らかい、なんですって」

「なんで知ってんだよ…」

「あれ、どっか聞いたことある語尾でち」

「ふ、太ってなんかないわよ…ね?」

 

思い思いの言葉を口に出す艦娘たち。会話になっていないのが眠気の強さを感じさせる。

絶妙に調整された空調の涼しい風が、熱された身体を冷やしていく。

 

「んん…」

「ふわぁ…」

「うおぅ」

 

加古の両隣に座る潜特型姉妹が眠気に耐えられず、加古の肩に寄りかかった。

伊401に至っては頬が肩に触れて、寝息がくすぐったく伝わるほどだった。

 

「なんだかんだ二人ともかなり泳いでたもんな…」

 

すっかり乾いた姉妹の髪を撫でる。心地よさそうに身体を預ける彼女たちに、なんとなく頬が緩んだ。

加古自身、眠気を感じていたことは事実なのだが、それでも今は目を瞑る気分になれなかった。

 

「――あれ、加古?」

「!?」

 

ふと、がちゃりと開いたドアの音に驚く。

急いで後ろを振り向けば、そこには姉である古鷹の姿が。

 

「お、おう古鷹…今ちょっと」

「あれ、潜水艦の子たち…あ、みんな眠ってるのね」

 

近づいて、次第に見えてくる潜水艦たちの姿に声のボリュームを下げる古鷹。

加古は目が合うと、「頼む」と言わんばかりに頷いた。

 

「今日はこの子たちと一緒にいたのね」

「うん。水泳を教えてもらってた」

「す、水泳!?」

 

しーっ、と口の前で指を立てた加古に、古鷹が慌てて口元を押さえる。

まあ当たり前の反応か、と苦笑いして納得してしまう。

 

「話すならまた寮室かな」

「そうね…でも、離れるならこの子たちを連れて行かないと、娯楽室に来た子が困っちゃうんじゃない?」

「それもそうか…んじゃ起こすか」

「おんぶして連れて行ってあげましょう。大鯨さんも呼ぶから」

「お、おうそうか…」

 

世話好きな古鷹らしい提案である。

最近はちゃんと自分のことができているのか、妹としても心配なので、悪い男に捕まらないうちに早いところ上司にもらって頂きたいのが本音であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ…もうくたくただ」

「そっか、水泳のあとだもんね。もう寝ちゃう?」

「いや、流石に…夕飯までは起きてるよ」

 

部屋に戻った加古たちは、時折雑談を挟みながらもそれぞれ読書やゲームなどに興じていた。

少し冷房で身体が冷えたため、節電がてら扇風機を回している。

最初に両隣の潜特型をおぶっていき、大鯨を呼んで残りの三人を寮室の布団まで送り届けた。

途中で伊168が大鯨の背中で目覚め、顔を真っ赤にして慌てていたのが可愛らしかった。

 

「珍しいね、ずっと起きてるなんて」

「不満だけど事実だから言い返せねぇ…ってか、古鷹は今日何してたのさ」

「私は提督のお手伝いに」

「ほーん?んで、どうなのさ今日のアプローチ戦果は」

「べ、別にそういう訳じゃあ…!」

 

目に見えて動揺している姉。普段の世話焼きに加え、日頃からこんなに純粋では世の男たちを勘違いさせてしまうこと請け合いである。

早く貰ってあげて欲しい。

 

「んまあ、妹としては応援するからさ。最近遠征体制が変わって駆逐艦と一緒にいること多いし、ライバルは多いよ?」

「え、そ、そうなの…って違うってばぁ!」

 

もはや本音を隠す気があるのかと問いたくなるほどなのだが、うちの姉はこれがデフォルトなのである。可愛い。

そんな感慨に浸りつつ、しかし姉という存在が身近にある加古にとって、先程の体験は不思議なものであった。

アイスを奢ったり、おんぶして部屋に送ったり。

年長者らしい振舞いを意識したことがなかったからなのか、いつも姉はこんな心境だったのだろうかと察する。

 

「…まあ、古鷹なら勝算あるよ」

「えっ、ほんと…って!」

「提督、末っ子らしいじゃん?お姉ちゃんとかに弱いんじゃない?」

 

いつまで経っても、建造された身とはいえやはり妹は妹。下の子の気持は分かる。

 

「そ、そうなのかな…」

 

何でも器用にできるかも知れないけれど、姉のように純真にはなれないというのが率直なところ。結構羨ましかったりするのだ。

そんな彼女が思う存分甘えさせてあげたら、きっとあの鈍感もイチコロのはずである。

 

「うむ、私が保証しよう」

「ふふっ、加古が言うなら納得かも」

 

笑った古鷹を横目に、傾いた太陽を眺める。まだ明るい青空に、茜色が映り始める夕暮れ時。

大きな雲も台風もなく、明日もきっと晴れるだろうけど、もう二度と、同じ夏はやってこない。

そう思うと、不意に寂しくなってしまう。

 

「…うん」

 

何かを求めてあがいて、そして今があって。

潜水艦たちと泳ぎ、一緒に眠って、夕日を眺め感傷に浸っている今日この時を、一体誰が想像しただろうか。

 

「あっ、六時だ。加古、お夕飯行こっか」

「おう」

 

自分を呼ぶ声に、窓を閉めて扇風機の電源を切る。羽の回転がゆっくりと静止する。

じっと、その様子を見つめた加古は、なんだかおかしくなって少し頬を緩ませた。

 

「加古ー?」

「今行くよ」

 

変わらず青い空と海は、たとえ自分が沈んだって青いままだろう。

だからこそ、今日を、明日を大切に生きていこうと思うこの気持ちが芽生える。

古鷹や青葉、衣笠と、伊400たちと、提督と、かけがえのない大切な仲間たちに出逢いながら、歩んでいくこの人生を生きて征くと、加古はそう惟った。

 

一抹の疲労感に、生ぬるい風が包む。

海の向こう、夕映えの橙がついに青空を染めつつ、黄昏時が訪れたのだった。

 

 




試験期間にはASMRが最高ですね。

海外艦、もし追加するなら初登場は

  • ドイツ艦
  • イタリア艦
  • ロシア艦
  • アメリカ艦
  • イギリス艦

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