舞鶴第一鎮守府の日常   作:瀬田

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少し空いてしまいました、すみません。


第五十七話 月夜海を越えて

『あれ?』

 

いつの日にか見た光景が蘇る。これは夢だと、身体にまとわりついた不思議な浮遊感がそう告げていた。

ゆっくりと周囲を見渡しているうちに、その場所がどこなのか、それがなんとなく理解できていく。

 

(ここは――)

 

足元の水面に星々のみが映って煌めく。あまりにも幻想的で柔らかな光が夢想の世界を彩っていた。

そう。今、自分が立っているのは、海──星々の瞬く、蒼い、蒼い海だった。

 

「会い…たい」

 

(あれ…?)

 

ふと、理由もなく声を発してしまった。

否、発したのではなく、発したのは自分の意思ではないことを、瞬間的に自覚した。

それならば、"会いたい"のは誰なのか――。

 

「貴女に…会いたい」

 

そんな疑問を抱える自意識に構わず、か細い声が星空に向かって、白く霞んだ息に乗せられ、溶けていく。

真っ白な腕がすっと、漆黒の空の向こうへ伸ばされていた。

 

 

何か、大事なことを忘れている気がしてならなかった。

 

 

──────────────────────────────────────────────────────────────────────

 

 

「っ···」

 

目を覚まして起き上がる。時刻は5時を過ぎた所だった。

まだ日の昇らないような仄かに暗い早朝、少し涼しくなった空気に身震いして、制服に手を通す。

 

(あの夢は···)

 

どこかで、夢と記憶が繋がっているような気がした。

 

(それなら…いつの夢なんでしょうか)

 

とてもとても、大切な記憶のような気がした。記憶の断片に思いを馳せて、既視感を覚えたあの星の光を再顧する。

窓にそっと手を添えて、薄く映った自らの瞳を見つめる。硝子の向こうの太陽は、その姿をゆっくりと現そうとしていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「提督、おはようございます」

 

時刻は7時。秘書艦が執務室を訪れる時間――にはまだ早いが、それは規定上の話で、大体の艦娘たちは同じような時間にやってくる。

提督としてはとても有難い話だと思ってはいるが、秘書艦娘たちの心中にある思いを考えるとそれも大概なのであった。

 

「おお、今日は涼月だったな」

「はいっ。本日はこの涼月が、お傍で務めさせていただきます」

「ああ、よろしく」

 

対空戦闘にも秘書業務にも生真面目に取り組む彼女は、所定の時間よりも早くここを訪ねることが多い。

さらに温厚な性格は周りの信頼や好感を生み、加入時期は新しいながらも艦隊の調整、相談役を務めてくれることもあり、とても頼もしい限りだ。

 

 

「今日もお忙しいんですか?」

「いいや、先週から余分にやっておいたからな。午後の執務に入れば、すぐに終わると思う」

 

コツコツやっておいて正解だったと付け加える。これも日頃の艦娘たちが円滑に艦隊行動をこなしてくれているお陰なのだ。

 

「それは良かったです···提督はいつもお忙しそうなので、お休みを取って欲しくて」

 

笑顔から伝わるその優しさが、とても嬉しい。さらに早く彼女らを解放できるのならお互いに好都合であろう。

 

「ありがとう。まあ、心配を掛けないよう、程々にやっていくつもりだ」

 

執務机の横につけた作業用の机。

隣に座った涼月と目が合うと、彼女は一瞬だけ目を伏せ、そして嬉しそうに微笑んで目を向けた。

 

「さあ、今日も頑張ろう」

「はいっ!」

 

彼らの一日は、そうして始まったのだった。

 

 

──────────────────────────────────────────────────────────────────────

 

 

「提督、ここは···」

「ん、ああ資材残量が合わないか···資材管理書を確認しよう」

 

そう言って立ち上がる提督を、涼月が止める。自分の仕事なのだから、自分でやるのが当然、といった表情だった。

 

「あっ、私が行きます」

「涼月は、資料庫初めてだろう。案内にもなるからな」

 

ふとした瞬間に見せる軽い微笑みに、心臓は不意打ちをくらって心拍数を上げる。

きゅっ、と音がするようだった。

 

「は···はい!お願いします」

 

()()は指揮官への憧れか、それとも一人の男性に対する恋慕の情か。

元々そういう話には疎い面もあった彼女ではあるが、慰安旅行での一件で、提督は予想以上に自分のことを見てくれているのだと知り、徐々にその存在が心のなかで大きくなっていることを、認めざるを得なくなっていた。

 

「とりあえず、経理に関する報告書はここにまとめてあるから、新しいものから探していこう」

「はいっ」

 

資料室は広く、先代の書類まできちんと整理されている。

 

「これは…かなり整理されているんですね」

「ああ。着任当初はかなり散らかっていたからな。先代はこういう管理や計算も無視していたようだから、建造されたばかりの子たちにも手伝ってもらったよ」

「へえ…」

 

多くの駆逐艦や軽巡洋艦とああだこうだ言いながら、この部屋の整理整頓に励む彼を想像すると、ついつい笑みが零してしまう。

そんなことに注意しながら、一番窓側にあった、古ぼけた一冊を、おおよそ資材管理とはほぼ関係のないものだと知りながらも、涼月は手に取ってしまっていた。

 

「これ…」

「ん、見つかったか」

「あっ、いえ。すみません、どうしても気になってしまって、つい」

 

引き抜こうとして、提督の声を聞いてようやく職務外の内容であることに気が付いて、涼月はそれを元に戻そうとする。

その資料のタイトルが目に入って、提督は一考し、「いや」とその手を止めた。

 

「あっ…」

「これ…背表紙には何も書いてないな。涼月、君は確か邂逅艦だったよな」

「は、はい…あ、あの、そのぉ…」

「それなら、あの戦争のことは、あまり記憶にはないのか」

「そ、そうですね。…あの、それより、手を」

「…よし」

 

ふと、何かを決心したような表情をして、提督は涼月の手首を掴んでいた指先を離し、例の大層古びた資料冊子を最後まで引き抜いて取り出し、本棚の上に置いた。

 

「涼月」

「は、はいっ」

「…執務は中断だ。これから、君にとって大切な話をしよう。覚える必要はない…が、しっかりと聞いてくれると嬉しい」

「…はい?」

 

至って真剣な、提督の眼差し。

棚の上に置かれた冊子――『艦船勤務』が、少し冷たい風に頁をはためかせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「その、提督。一体、どういったお話なのでしょうか」

「ああ。それはだな」

 

提督に率いられる形で小会議室に足を踏み入れた涼月。

ホワイトボードや近海航路の海図など、軍議に使用される品々には目もくれず、提督はさきほど涼月が手に取った冊子の表紙を開いて、そこに書かれていた詞を読み上げ始めた。

 

「四面海なる帝国を 守る海軍軍人は」

「…?」

 

涼月は、彼の声にはっと顔を上げる。それは、普段とはまた違う、あくまでも冷徹さを感じさせる彼の声色に反応した、という理由以上に、聞いたことがないはずのその言葉の並びに、心が突き動かされたような気になったからである。

 

「戦時平時の別ちなく 勇み励みて勉むべし」

「あ、あの…っ」

 

そこまで読んで、一度提督は朗読を止めた。もう殆ど歌詞を()()()()()()()とはいえ、伏せていた顔を上げ、涼月に視線を集める。

 

「聞き覚えはあるか?」

「い、いえ…ですが、何故かそのような気がしてしまって」

「そうか」

「一体、これはどういうことなのでしょうか」

 

好奇心と不安とが混ざりあった感情を、提督は確かに涼月の目線から読み取っていた。それはきっと、名前も知らない一曲の歌に揺さぶられる心に、誰か、別の人格の『涼月』を感じているからなのだと考えられた。

 

「知りたい…涼月はそう思うか?」

「はい」

 

そこには、一瞬の迷いもなかった。

普段はあまり、自分の思いを前に出すことのない彼女だけに、その思いの強さが意外なところで証明されたのだった。

提督は、微笑みながらも口を開く。涼月とその歌を繋いだ記憶について――

 

 

 

 

 

駆逐艦『涼月』は、幾度となく艦命の危ぶまれる事態に身を晒しながらも、その窮地を乗り越えてきた駆逐艦だった。

 

一度目はウェーク島の輸送時、敵潜による雷撃が原因で、船体の半分を失う大破。しかし、初月の援護・曳航もあり、損失部分を新造して得ると、なんとか戦線に復帰する。

二度目はその復帰から数か月後、今度は僚艦若月と共に台湾への輸送任務の際による被雷。時同じくして後の僚艦となる冬月も同程度の被雷を受けている。更に、これが原因でレイテには参加できず、秋月、初月、若月を失う。

 

そして、文字通り命を賭した坊ノ岬の死闘。航空戦力をマリアナに次ぐレイテで完全に喪失した日本軍にとって、夥しい数の敵機群への対空戦闘能力こそ必要とされた。

全砲が火を噴き続ける中、ほぼ全ての艦船機能が黙する大破を受けながら、大和の沈没を看取った。

 

臨時旗艦となった冬月により作戦は中止された。涼月の通信機能は途絶していたが、もはや戦闘不可能の状態に陥るにあたり、単艦での帰投の判断が下される。前進は被弾箇所の浸水を招き沈没につながりかねないため、後進9ノットによる航行帰投が決定。未だなお消火活動に苦しむ涼月乗組員は危険を顧みずも、生還を諦めなかった。

 

「如何なる堅艦快艇も 人の力に依りてこそ その精鋭を保ちつつ 強敵風波に当り得れ」

「歌詞の続き…なのですね」

「ああ。乗組員はこの詞そのままの心で、涼月とともに還ることを選んだ。敵潜による被雷も免れた。50名あまりの戦死者、30名以上の負傷者。他にも、きっと痛みを厭わずに闘った乗組員もいただろう。全員の努力の結果、翌日には佐世保軍港に帰投している。この歌――『艦船勤務』は、帰還を祝った冬月や生存艦の初霜、雪風の歓声に応えて歌われたものだったそうだ」

「あ――」

 

その瞬間、知らない記憶と、聞き覚えのないはずの声が頭の中を駆け巡った。

 

 

『やったなあ、涼月。すごかったぞ』

 

 

「あれ…私…!」

「水漬く屍と潔く 生命を君に捧げんの」

 

続く歌詞の一部を、提督は噛みしめるように口にする。

気付かないうちに溢れた涙に戸惑い驚く涼月に、持ち合わせたハンカチを手渡して続けた。

 

「排水が終わって、被害状況の確認が進んだ。完全に浸水したにも拘らず水密を保っていた区画では、酸欠死した組員がいた。同じく水測室では、探信儀に手を掛けたまま力尽きた者もいた」

 

語る残酷な真実は、ひとえに涼月を祖国の港へ帰還させるために、自らの命を投げうってまで行動した乗組員たちの努力の成果だった。

涙ぐむ涼月を見据えて、それでも敢えて言葉を切らない。

 

「もちろん、それは感謝して当然のことだ。恐らく、本来の意味とはまた違うのかも知れないが――『君』を守り抜こうと彼らは必死だった。けれど、俺が一番言いたいことは、涼月自身の心に、その血が流れているということだ」

 

やや婉曲的な表現をしたが、つまるところ、艦娘たちはその艦体の魂のみを引き継いだのではないということ。

艦長以下全ての乗組員たちの魂は混ざり合い、あるいは組み合わさるようにして一つの人格――現代の艦娘たちへと繋がっている、というのが提督の予想でもあった。

 

「涼月は、『必ず還る』という言葉をよく口にしているな。それは決してあの時代の駆逐艦『涼月』の思いだけではない。思いを一つにした組員たちの、涼月に対する想いが結晶となって、今の涼月を支えているんだ――

それを、できるならいつまでも、覚えていてあげて欲しい」

「ええっ…もちろんです…っ!」

 

還りたい。会いたい。

その想いは、間違いなくあの時のものだ。初霜、雪風、そして冬月――あるいは、佐世保に待つ僚友、郷里に迎えてくれる家族、恋人に。

星の光以外、何も見えない夜闇の中で行き場を失ったその感情が、今は手に取るように理解できる。

 

「いつか、冬月や若月が着任して…初月や初霜たちと共に艦隊を組めたなら、その時は、佐世保の防波堤で精いっぱい慰めてあげて欲しい。貴方たちの願いは、今この時に叶いました、と」

「はい…はいっ…!」

 

涼月はもう、提督の前で涙を見せることを憚らなかった。顔を上げ、努めて明るい笑顔を見せた。

遠い未来、必ず彼らに報いることができることを信じて。

 

「気張らなくていい。ただ、彼らはきっと、新しく生まれ変わった君に心から、自分たちの生きたこの世界を、楽しんで生きて欲しいと思うはずだ」

「ええ」

 

熱鉄身を灼く夏の日も、風刃身を切る冬の夜も。

この世界で彼女が生き続けることは、必ず彼らにとっての鎮魂となるはずだと、この場で断言できた。

 

「私は、きっと…逢いに、行きますから」

 

自分自身の過去を知る艦娘は、決して多くはない。それが、艦娘という存在が偶発的に生まれたものであることの証左となっている。

現実として、新たな脅威となった深海棲艦との戦いの中で、それを知る必要はないのかも知れない。

しかし、どんなに悲惨な過去であっても、目を向ける勇気をもつことは、必ず、強さを手に入れる鍵となる。

涼月の言葉を聞き、その真っすぐな瞳の輝きを受け止めて、提督はそれを信じて疑わなかった。

 

澄み切った風が、新しい季節を運んでこようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おっ、夕食はほうとうなのか」

 

あれから数日。涼月はいつも通りどころか防空演習でも抜群の成果を上げていた。

元々かなり防空能力は高いのだが、練度の高い長女の秋月にも追いつきそうな勢いなので、張り切りすぎて無理をしていないか心配ではあったのだが、それも杞憂だったようだ。

 

「はいっ。春から夏に育てていたものを、一度収穫して追熟させていたんです」

「防空射撃と家庭菜園にかける情熱が凄いのだな、涼月は」

 

涼月と初対面の者ならば、彼女の口から「追熟」というワードが出ることは予想だにできないのであろうと苦笑する。

ふと目が合った磯風も、同様の表情を浮かべていた。

 

「も、もちろん他のお仕事もちゃんと…」

「分かっているさ。しかし、涼月自身はそれで大丈夫なのか?もっと自分を大切にして――」

「うふふ。提督のようなお言葉ですね」

「い、いや。これは本心からでだな――」

 

慌てて両手を振りながら、こちらを窺う磯風。実際のところ、思っていたことがほとんど一致していたので吹き出しそうになってしまった。

 

「磯風はしっかり者だからな」

「そ、そうだろうか」

「はい。それと、私は充分に私生活も楽しませて頂いていますよ?秋月姉さんたちと一緒に艦隊を組めること、本当に幸せだと思っています」

「それは勿論、素晴らしいことなのだが…。司令、何か言ってやってくれ」

「このほうとう、旨いな。だしが効い麺に麺に良く絡まっている」

「し、司令!」

「そ、そうですか!自信作でして…かぼちゃ以外にも大根や人参、大豆も育てていまして…あっ、そうそう。だしも昆布や煮干しの産地をよく選んでですね――」

 

マイペースに食べ始めた提督に、猛烈な勢いで迫ってこだわりを語りだす涼月。やや赤ら顔なのを見る限り、これこそが彼女の『情熱』と『楽しみ』なのではないかと、ほうとう特有の平らな麺を啜りながら思案する。

 

「あ…美味しい」

「本当ですか!?あっ、お味噌も本場の甲州みその作り方を間宮さんに教わってですね…!」

 

留まることの知らない料理研究家の興奮冷めやらぬ早口を耳にしつつ、何故か黙々とほうとうを食べ進めてしまう。

こうした涼月の知らない一面が、一体いつから現れてきたのか。それを磯風が知ることになるのには、まだまだ時間が掛かるようであった。

 

 




かぼちゃ食べながら涼月出した提督いましたよね。
サブ艦に欲しい。ほんとに。

海外艦、もし追加するなら初登場は

  • ドイツ艦
  • イタリア艦
  • ロシア艦
  • アメリカ艦
  • イギリス艦
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